真理と実存人文書院このアイテムの詳細を見る |
この本の性格をひとことでいうなら、澤田氏が以前取り上げた『<呼びかけ>の経験』にて、第1期の本来性のモラルと呼ぶ時期の後期のモラル論となる。
『存在と無』の最後にて、
「これらの問いはすべて、非共犯的で純粋な反省へとわれわれを向かわせるのであり、その答えは倫理の領域においてしか見出されないであろう。本書に続く著作を、この問題にあてるつもりである」(1140頁)
と述べられているものにサルトルが答えようとして構想したノートである。
つまり、一冊の著作物として完成したものという性格ではなく、構想段階のノートとなのである。
澤田氏が、芸術家のアトリエの例を上げて述べているように、それゆえわれわれ自身による解釈の自由度が、『存在と無』にくらべて高いといえる。
サルトル自身の真理に対しての呼びかけを促すという意味で非常に面白い本だ。
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さて、この本の主題は、
「人間は世界に問いかけを到来させる存在である。しかし、人間とは、自分に関するものでありながら自分自身では解くことができない問いかけが世界の内に彼へと到来するような存在である。それゆえ、人間は一つの根源的な無知との関係によって定義される。人間はこの無知との深い関係を持っている。この無知のあり方に応じて人間は、自らはなにであり、何を探求しているのかを定義するのである。」(29頁)
というものを分析していくことでなされていく。
ということで、
①解かれるべき問いかけ
②根源的な無知
③真理
*真理に関しては論述を追うことで見て欲しい。
の3つを追うことでこの著書での論理を追うことにしたい。
まずは、①の問いかけについてみてみよう。
これは、ここでも何度か述べているように、人間存在が対自的に行う即時的存在への問いかけを言い表している。
対自が即自に対して行うこの検証こそが問いかけであり、この問いかけの結果として現れるのが真理とサルトルのいうものである。
「真理とは存在の漸進的な暴き出し」(32頁)である。
対自ー即自として暴き出したものを「真な者として他者に与える」(44頁)というのが、人間存在における問いかけの発端である。