とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

現代文の参考書シリーズ 「お金」論2

2016-06-15 23:59:42 | 現代文の参考書
【お金が独り歩きし始める】
 しかし、今現在の社会の中で「お金」というものを考えると別な感覚を得る時があるのではないでしょうか。

「お金」が何かの代用品だという考え方は、「お金」は「何か」があって初めて存在するもの、つまり、「お金」は主役にはなれないという考え方と通じると思います。

 日常生活の中だけで考えると、「お金」は主役にはなれないという考え方にそれほどの違和感を感じないと思います。商品の善し悪しが先にあり、それに見合った値段がつく。同じ商品なら安い値段の店で買い物をしますし、安いだけで、すぐに壊れるような商品ならば次第にだれも買わなくなる。モノがあってはじめてそれに見合った値段がつくのです。もしモノの価値と値段がかみ合わなかったら、時間がたてば修正されていく。だから、「お金」はモノの代用品であり、主役にはなっていません。

 しかし、高価なものの場合はどうでしょうか。

 100万円の宝石と、80万円の宝石と比べたらどちらがいい宝石でしょう。知らず知らずに100万円の宝石のほうがいいものと思ってしまうのではないでしょうか。100万円の絵と1000万円の絵と比べた時、1000万円の絵の方が、10倍いい絵だと考えてしまうのではないでしょうか。
なんとなく、金額の方が、モノそのものよりも価値をしめしているように感じられます。
バブル経済のころはひどかった。みなさんは知らない時代のことでしょうが、1980年代に、みんながお金持ちになった気分になった時代があったのです。日本中が浮かれてしまい、お金は使うためにあると思いこみました。お金をバンバン使い、消費が拡大するので企業の業績も上がる。株も上がり給料もあがる。だれもがちょっと変だなとは感じつつも、もしかしたら、経済というのはこういう風に消費をし続けることによって好結果を生むのだという考えも芽生えはじめ、だれも止めることができない状況になってしまいました。

 車も家も高いものから売れます。どうでもいいような料理が、ちょっと気取った内装の店で出されただけで、何倍もの値段に跳ね上がる。通常500円ぐらいで食べられるような料理が、3000円ぐらいで出され、高給が雰囲気を味わって、みんなそれで満足していたのです。

 以上のように考えると、実態とお金が本当は結びついていないのではないかとかんがえてしまうようになります。

 続きます。

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