とにかく書いておかないと

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夏目漱石が「近代小説」の文体を作った(書評『「私」をつくる 近代小説の試み』より)

2019-08-01 17:10:58 | 国語
 安藤宏氏の『「私」をつくる 近代小説の試み』を読んで、学んだこと、考えたことを書き記しておく。最初は近代小説の文体はどうやって生まれたのか。

 そもそも日本の近代小説というのはなんだったのか。もちろん日本にも文学の伝統はあったのだが、西洋のような人間の心理を描くという文学作品はなかった。この場合「なかった」というのはもちろん一方的な見方である。江戸時代の文学は文学ではなかったのかというとそれは違う。しかし江戸時代の文学作品と西洋の小説とでは、描き方に大きな差があったのはあきらかである。明治の日本人は西洋の小説を日本に持ち込もうと必死になった。誤解のないように繰り返し言うが、日本の伝統的な文学の良し悪しの問題ではない。その当時の日本人にとって「西洋の小説」が「正しいもの」となってしまった。西洋に追いつくために「西洋の小説」を日本語で作らなければならない、そう考えたのだ。

 その一番最初の問題が「人称」だった。日本には「そもそも『人称』という概念自体が存在しなかった」からである。だから「小説の中に西洋語の規定にある『主語=語る主体』をどのような形で取り入れていくかというのは、実はなかなか難しい問題なのだった。」日本語には主語がないという説がある。日本語は述語主体の言語であり、主語という概念がなかったというのは、ある意味正しい考え方である。だから当時の人は西洋の必ず主語のある文体を日本に持ち込むことに苦労した。

 今、我々が当たり前のように読んでいる小説の文体は、夏目漱石が完成したものである。夏目漱石以降、夏目漱石の文体をみんながまねし始めた。夏目漱石以前の小説を読んでみるとは多くの小説家が苦闘していた様子が伺われる。例えば森鴎外の「舞姫」などは漢文訓読調であるし、幸田露伴も、二葉亭四迷もみんな今から読むと、非常に読みずらい。それらの文体に我々がなれていないからである。それに対して夏目漱石は今でもわりと読みやすい。夏目漱石以降、多くの小説家が夏目漱石をまねし、これがその後日本人の「小説文体」として定着したからだ。

 これはおそらく夏目漱石がイギリス留学によって人称について深く考えてきたことが影響しているように思う。日本の「小説」を作り出そうとしていた時代に、その役を担う人物として、イギリスで文学を学んできた夏目漱石は適任だったのだというのが私の仮説である。

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