<続き>
国立博物館は、ピマーイ遺跡から徒歩10分ほどで、その位置関係はグーグルアースを借用して、下に示しておく。
国立博物館の前面は貯水池、背面はチャッカラード川に面している。近隣遺跡の遺物が多数展示されていた。
先にも記したが、近隣の小規模遺跡や廃墟同然のような遺跡で管理できない遺物が集めれている。従ってよっぽど興味を持って、キャップションを注視しないかぎり、どれがどこの何であるか分かりにくい。
先ず目に入ったのがエントランス展示されている石造や青銅、木造漆塗りの各種像であった。其の中で木造で漆塗りの布袋像が眼に入った。辿り着けなかったワット・シーサワンにあるとされる、クメール陶片を貼り付けた布袋像と形が一緒である。この木造漆塗りの布袋像は18-19世紀と比較的新しい。
下の石像はキャップションによると、梵名ボーディ・サットヴァ [bodhisattva]つまり菩薩とある。時代はロッブリー様式で13世紀、ロッブリーの13世紀と云えばモン族の世界であるが、やはりクメールやモン族風の顔立ちである。
下はキャップションによると、バジュラダーラ(Vajradhara)・日本名執金剛(しゅこんごう)と表記されている。仏教の護法善神で、日本では金剛杵を執って仏法を守護するため、この名がある。時代はロッブリー様式で13世紀と記されている。

更にナコンラチャシーマ県ピマーイ郡KUTI RISHI出土と記されている。素人にはロッブリー様式とクメール様式の区別がつかない。下はクメール様式のバジュラダーラ(執金剛)とキャップションに記載されている。
出土地はナコンラチャシーマ県ファイタラエン郡でクメール様式・13世紀とある。クメールとロッブリーの違いが理解できない。いずれも亀有の両さんにしか見えないのだが。
ブリラム県パノムルン遺跡から出土した、10世紀ロッブリー様式のブラフマー神像である。仏教では梵天と呼ばれているが、ヒンズー教では三最高神の一神。四つの顔と四つの腕をもち、水鳥ハムサ(ハンサ)に載る。これをみるとコラートもモン(Mon)族の居住域であっとろうと思われると共に、中世のタイ東北部や中部の地は、多様な宗教と文化に覆われていたと思われる。
現在のタイは上座部仏教一色であるが、中世はもっと多彩で、物事に寛容な社会であったろうと想像している。
これも10世紀のロッブリー様式で、ブリラム県ムアンタム遺跡出土と記されている。多様な民族が混在すれば、何でもありの世の中になる証左であろう。
<続く>
国立博物館は、ピマーイ遺跡から徒歩10分ほどで、その位置関係はグーグルアースを借用して、下に示しておく。


先ず目に入ったのがエントランス展示されている石造や青銅、木造漆塗りの各種像であった。其の中で木造で漆塗りの布袋像が眼に入った。辿り着けなかったワット・シーサワンにあるとされる、クメール陶片を貼り付けた布袋像と形が一緒である。この木造漆塗りの布袋像は18-19世紀と比較的新しい。






現在のタイは上座部仏教一色であるが、中世はもっと多彩で、物事に寛容な社会であったろうと想像している。

<続く>