中継地の福知山を午前8時に出発。舞鶴・若狭道を初めて利用し、敦賀から北陸道である。現役の頃、出張で何度も来た武生、鯖江、金津、小松、金沢と次々と通過し、正午前に富山に着いた。富山は7年振りである。
先ず富山市郷土博物館である。写真の建物は近年の復元で鉄筋コンクリート製である。加賀藩第三代藩主前田利常は次男利次に10万石を与えて分家させ、富山藩が成立した。
利次は当初、居城として婦負郡百塚に新たに城を築くつもりであったが、藩の財政がそれを許さなかったため、万治2年(1659年)に加賀藩との領地交換により富山城周辺の土地を自領とし富山城を居城とした・・・とのことである。
郷土博物館内の展示をそれなりに期待して入館したが、富山城の生い立ちを中心とした展示で、発掘調査により出土した陶片の他は文書中心の展示で、もうひとつ食い足りない。
いよいよ今回の目的である、富山市佐藤記念美術館で開催の、敢木丁コレクション受贈記念展である。見るとクメール陶主体の展示である。
図録でみるのと現物を見るでは、大違いで現物がリアルで圧倒的に感激する。残念ながら写真撮影禁止であるので、展覧当日の写真を掲載できない。
紹介したい品々は多々ある。幸いに敢木丁コレクション・オーナーから頂いた図録や一部の写真が手元にあるので、名品を後日紹介したいと考えている。
先の9月末に、タイ各地でクメール陶を見たが完品は少なく、堪能するまでに至らなかったが、今回の富山では十分鑑賞することができ、時間をかけてやって来た甲斐があった。
明日は、愛知・新城のヨコタ美術館である。やはり東南アジア陶磁のコレクションの一部が常設展示されているようなので、訪れることにした。
先ず富山市郷土博物館である。写真の建物は近年の復元で鉄筋コンクリート製である。加賀藩第三代藩主前田利常は次男利次に10万石を与えて分家させ、富山藩が成立した。
利次は当初、居城として婦負郡百塚に新たに城を築くつもりであったが、藩の財政がそれを許さなかったため、万治2年(1659年)に加賀藩との領地交換により富山城周辺の土地を自領とし富山城を居城とした・・・とのことである。
郷土博物館内の展示をそれなりに期待して入館したが、富山城の生い立ちを中心とした展示で、発掘調査により出土した陶片の他は文書中心の展示で、もうひとつ食い足りない。
いよいよ今回の目的である、富山市佐藤記念美術館で開催の、敢木丁コレクション受贈記念展である。見るとクメール陶主体の展示である。
図録でみるのと現物を見るでは、大違いで現物がリアルで圧倒的に感激する。残念ながら写真撮影禁止であるので、展覧当日の写真を掲載できない。
紹介したい品々は多々ある。幸いに敢木丁コレクション・オーナーから頂いた図録や一部の写真が手元にあるので、名品を後日紹介したいと考えている。
先の9月末に、タイ各地でクメール陶を見たが完品は少なく、堪能するまでに至らなかったが、今回の富山では十分鑑賞することができ、時間をかけてやって来た甲斐があった。
明日は、愛知・新城のヨコタ美術館である。やはり東南アジア陶磁のコレクションの一部が常設展示されているようなので、訪れることにした。