<続き>
●ワット・プラ・シー・ラタナ・マハータート
1933-1994年の長期にわたる考古学的発掘調査により、それはスコータイ王国前期の3-11世紀の遺物であった。
ここには、”ヨーノック年代記”でチャリエンと呼ばれる古代都市があったとされる。つまり、タイ族が南下や西南下する前で、先住民はモン族やラワ族などで、クメールの支配を受けていた。その後、アユタヤ時代に改築された。
クメール様式のプラーン(仏塔)の前に、ラテライト(紅土石)に漆喰を塗った柱が林立している様子は、スコータイと同じである。
そこに至る正面の山門上に、漆喰で四方に人面が刻まれた小さな塔が置かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/c6/cf13ff2d6621a40d8da61f9457ccbdb1.jpg)
人面に見えるのは菩薩であろうか?下の両手を広げて舞うのはアプサラである。まるでカンボジアのクメール遺跡のようである。
この山門を入って右手にナーガ座に坐す仏陀像を見ることができる。それが下の写真である。
プラーン(仏塔)の正面には大仏座像で、それなりの大きさである。左に遊行仏、右に半身を地面に埋めた立像が安置されているが、その写真は省略する。
これらの仏像の左右から、階段にてプラーンへ上ることができる。入り口破風の像はガルーダか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d9/13efddbef88150a9c4f86a0dd6b5c086.jpg)
プラーン内部は仏舎利とのことである。テラスから振り返る眼下に遺跡全体を見ることができる。
現在の本堂の周囲には結界石が巡っている。この結界石はそれなりに古そうであった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/79/b37b4e2f404d4edd5ff58d51c30bd8f6.jpg)
次回はワット・チャンロームを紹介する。
<続く>
●ワット・プラ・シー・ラタナ・マハータート
1933-1994年の長期にわたる考古学的発掘調査により、それはスコータイ王国前期の3-11世紀の遺物であった。
ここには、”ヨーノック年代記”でチャリエンと呼ばれる古代都市があったとされる。つまり、タイ族が南下や西南下する前で、先住民はモン族やラワ族などで、クメールの支配を受けていた。その後、アユタヤ時代に改築された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/f9/28b92fe4097ba022018dfc77d211a8b6.jpg)
そこに至る正面の山門上に、漆喰で四方に人面が刻まれた小さな塔が置かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/c6/cf13ff2d6621a40d8da61f9457ccbdb1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/77/f60b0b5c631e3288099e92744f891268.jpg)
この山門を入って右手にナーガ座に坐す仏陀像を見ることができる。それが下の写真である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/89/4d21e48d4edd5091ff247c9e4d735800.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/21/417ab71c6e9954d5393c9eb6b73d5518.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d9/13efddbef88150a9c4f86a0dd6b5c086.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/71/d4f5e4b63cb0f85e0e2587fb73929e2d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f3/9b5996d1df3eef62985f45a4b3995c16.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/79/b37b4e2f404d4edd5ff58d51c30bd8f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/37/234c80572a9fe79ac843bd97a4d4fece.jpg)
<続く>