東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

昭和、平成を生きる、自分史-1

2013年03月04日 10時18分31秒 | 自伝
自分史を書いてみようと思う、

いま75才であるが家族に恵まれた、カナイ(普通に家内と書くべきだろう・笑)70才、
当然であるが2人一緒のベッドである、
仲はいいほうといえるであろう、
毎晩「Anatato kekkonshite yokatta]という、

そういえば、今日は結婚記念日である、
昭和39年3月4日北海道は今年と違ってとても暖かい日々であった、札幌はコートなしで歩けるほど、
十勝にもいった、帰りに青函連絡船、東北本線で帰ってきたのは印象ふかかった、勿論蒸気列車であった。

仕事は介護保険のヘルパー派遣・ケアマネージャー業である、数年前から三男が社長を引き受けてくれて、
私たちは月の数日お手伝いをすればいい、2人住まいであるが、三男が毎日家に出勤してくれる、

健康面であるが、8年前に腎臓がん、3年前に肝臓がんになってそれぞれ治療した、
特に肝臓はラジオ波という治療で抗がん剤を使わず、開腹手術もなく、その後4ヶ月ごとの検査でよい
このところ健康だ、昔は毎日咳が出る、めまい、腰痛、風邪、足の攣り、逆向け、いろんなところ悪かった、
このような悪いところがなくなった、


子供は3人の息子で、

長男46才、with妻、子供が、小4の長女、小2の次女、

次男45才、妻がいて、子供が、T高等専門学校の長男、Yサイエンスフロンテイア高校の長女、E高校に受かった次男、

三男43才、妻あり、子供は、2才の長女、


このように3人とも結婚して、子供がいるというのは現代では未曾有なことである、
長男千葉に持ち家、次男厚木の私の家、三男世田谷に持ち家、
と、住まいに問題はなく、それぞれ仕事を放り出したりしていない、


もっと早く書かなければいけなかったのは、日本国の現状である、

こんないい国になるとは思わなかった、

経済が安定して、失業者がすくない、
少子高齢化といっても中国ほどじゃない、
人口が減って6000万位になったらもっとよいと思う、
泥棒とか、チンピラとかの割合が少ない、
いや中国と比較したら、どんな問題でも数倍引き離している、
40年前、東京の空気汚染がひどい時代に厚木に引っ越した、
だから子供たちの健康上はよかったと思っている、

しかし考えてみると、小学校の友達で今も都内にすんでいるのは、
とても少数である、みんな同じ事を考えていたのだろう、