東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

昭和、平成を生きる、自分史-6

2013年03月09日 13時06分07秒 | Weblog
 6年生の時だ、母が家を建てると言い出した、家を建てるといったって、どうするのだ、土地は?と聞くとすでに買ってあるという、みんなで見に行った土地は今も私たちが住んでいる港区麻布本村町○番地の場所だ、母が、夜なべに夜なべを重ねて作ったお金である、すんでいた豊岡町から三の橋を渡って、ちょうど私の行くことが決まった麻布中学校に近いところだった、母は進学ママだったけど、私も中学の試験に受かって本当によかったと思ったことを覚えている、土地まで買っていたのだから、

 ちょうどそのころ兄弟行進曲という子供の本を読んでいた、そのお父さんはお金に無頓着でお母さんが土地を全部手配して吉祥寺に家を建てるという、うちとおんなじ状況の話であった、そのころでも新築の家は吉祥寺など郊外なのに、港区に土地を買った母の働きは並々ならぬものであった、

 この家というのは、父が自分で立てたのである、父は大工の腕があり、家ぐらい自分で立てられたのだがうちのみんなが手伝うことになった、30坪の土地に15坪の家、その家は半分しかできていなくて、天井も張ってない、障子も入っていない状況だった、姉の嫁入りで相手の人たちもこの半分しかできてない家に招いた、都内といっても当時ガスがない、下水がないという状況で、まきを使って外でご飯を炊く、私もまき割がうまくなった、

 私は人前に出ることが嫌いで、たとえばおみこしでみんなと一緒にワッショイなんていうのが絶対できない、朝鮮の演芸会でハーモニカの演奏をしたのがうそのようで、人に聞かれたくない、少し練習すれば人より上手になるんだけど、それがいや、近所の人にいいハーモニカをもらったんだけどそれから一度も吹かないという子だった、人前で歌えるようになるにはそれから30年もかかった、ある時(会社時代)社屋ができて演芸会をやったんだけど、そのころは人前で歌なんか絶対できないから、なんか歌えといわれて本当に困った、そこで歌ったのが「君が代」その後、歌も歌えるようになったのだが、

 中学に入ってびっくりしたのがみんな頭がいいこと、小学校ではそこそこいい成績だったが、この中学では100点満点で成績がつく、勉強をしなかったわけではなかったのだが、優等生には到底なれず、平均点は80点かつかつだったと思う、後に総理になった人たちも優等生ではなかったのではないだろうか、鉄道趣味も人様に知られると困るからやめてしまうようなありさま、しかし電車の絵は相当上手にかけた、友達に見つかり、鉄道クラブの雑誌にEF58(当時の最新型電気機関車)の絵を描いてくれとずいぶん頼まれたんだけど断ったりしていた、その絵は友達が私の絵を見て描いていたのだけど惨めなものだった、

 中学一年で隣の席に座ったM君、なんと満州国で私のすぐ近くに住んでいたひとだった、15年くらい前に彼らとうちの奥さんと4人で新京市を訪れた、なんと彼の家はそっくりそのまま実在した(私の家はわからず)満州興○銀行の社宅で、長い塀に囲まれて、裏の一角にスチームゼネレーターの小屋があり、サンルームを備えた洋館である、彼はスケートが得意で、少年倶楽部かなんかの表紙になっていたな、(没)

 Kという友達はいろんな趣味を持っていたけど、鉄道は私の影響である、彼の年賀状はその後すべて鉄道の写真、高3のころから、社会人になるまで、毎月雑誌を作って彼と交換していた、今のようにコピー、パソコンがないので、すべて手書き、ずいぶん一生懸命に作ったものである、Kは一部上場企業の役員になったけど、早く亡くなってしまった、晩年も鉄道が写った年賀状をくれた、

 友達といえばTである、彼は高校時代は横須賀から通っていたが、卒業するころ表参道に引っ越した、私は大学まで明治通りを通るトロリーバスで通っていたので、彼が浪人して勉強しているところに、毎日押しかけていた、彼とはクロスワードパズルを作って交換していたが、ずいぶん迷惑であったろうと思う、その後慶應義塾大学に受かったけど、もし落ちていたら、それは間違いなく私のせいだったろう、ずうずうしく彼の家族とマージャンやトランプで遊んでいたのだから、Tも若くしてなくなってしまった、

 生きている友達をご紹介しないといけない、年中あっている横浜のK君、浅草のK君である、横浜のK君は根性のある人だ、3年浪人して芸大に入った芸術家である、浅草のK君は実業家である、建築資材を扱い、よほど儲かっていたのだろう、ポルシェ、ジャガー、ベンツなどの名車を乗り継いでいる、この二人はこのブログに時折登場する、

 中学高校時代、成績はたいしたことはなかったのだが、唯一好きだったのが生物、これは一所懸命勉強して全問100点だった、生物学者になっていてもよかった、