K-POPというと過剰に反応する人がいる。
無理はないかな、とは思う。
例えば、韓国では、反日教育や反日キャンペーンが国を挙げて繰り広げられている。
その中で、韓国内の親日派への風当たりが強いことは、想像がつく。
少しでも日本寄りの発言をした人は、韓国内世論に袋叩きの目に遭う。
その種の現象に敏感な人には、韓国憎しが、K-POP憎しに変わってもおかしくはない。
日本でも、ネットの一部を中心に、反韓キャンペーンが繰り広げられている。
その現象につられて、嫌韓になる人も、いるだろう。
ただ、韓国における親日派は肩身が狭いが、日本における親韓派は、それほど肩身が狭い状態とは言えない。
特定のテレビ局へのデモ行動くらいでは、親韓派に楔を打ち込むまではいかないだろう。
嫌韓派は、K-POPブームは作られたもの、一部のメディアのゴリ押しだ、という。
ただ、私は、商売とは基本的にゴリ押しが伴うものだという見解を持っている。
たとえば、アメリカ映画の話題作の封切り前には、テレビでは怒涛の如く「アメリカ興行成績No.1」とか「今年一番の話題作」「泣ける映画」というようなキャッチコピーで、大量のCMをほとんどのテレビ局で繰り返し放映している。
あれも、考えようによってはゴリ押しだ。
あの方式をくどいとは思うが、商売だからと、私はそれを普通に受け入れている。
同じように、韓流も商売なのだから、私は普通に受け入れている。
ショービズの世界で、宣伝は、成功するための大きな要素である。
国家に対する感情論と映画、音楽の善し悪しは、別物だと私は思っている。
私も韓国が、国家ぐるみで韓流をプロデュースするのを鬱陶しいとは思っているし、まるで交戦相手国的な扱いで反日教育をするというのは、他国家に対して礼儀を欠くと思っている。
国家として幼稚である、とも思っている(過去の日本帝国主義の愚挙に対しては申し訳なく思うが)。
しかし、私の中では、音楽や映画、ドラマは別なのだ。
スポーツも別だ。
優れた音楽や映画、そして優秀なスポーツ選手は、やはり尊敬に値するものだと思う。
たとえ彼らが、ガチガチの反日思想を持っていたとしても、彼らの優れた能力まで否定したくはない。
BoAという女性歌手がいる。
日本デビューして、今年10年になるという。
BoAは、今現在のK-POPアーティストとは比べ物ならないくらいに、日本で成功した。
シングルもアルバムも日本の人気アーティストと同程度に売れたと記憶している。
しかし、誰も、BoAのことをテレビ局やレコード会社の強引な韓流押しとは言わなかった。
その後、東方神起が売れたときも、嫌韓派は増えたかもしれないが、ゴリ押しと騒ぐことはなかった。
いまほど、世間は騒々しくなかった。
それは、なぜかと考えたときに、私はひとつのヒントを見つけたのである。
9月に東京ドームで、韓国のプロダクション・SMエンターテインメントの歌手が集まって「SM Town」というコンサートが開かれた。
そのコンサートをK-POP好きの我が高校一年の娘とヨメが、観に行ったときのことだ。
コンサートは、かなり盛況だったらしく、どのアーティストが出ても歓声が途絶えることなく、観客のボルテージは上がりっぱなしだったという。
そのコンサートには、BoAも出ていた。
ただ、BoAが登場すると、観客が作る空気が若干変わったというのだ(あくまでも娘の感想だが)。
今まで立って歓声を送っていた女の子たちのうちで、BoAが出てくると座ったり、トイレに席を立つ子が、少なからずいたという。
これを見て、娘は頭にきたという。
「失礼だ」と思った。
我が家は、大学三年の息子、高校一年の娘、ヨメ、そして私を含めて、家族全員が、BoAのファンである。
だから、その話を聞いて、皆が怒った。
BoAの歌で、席を立つだとぉー!
失礼にもほどがある! 責任者出てこい!
と、家族全員が憤った。
だが、怒りながらも私は、そのとき思ったのだ。
最近の風潮に流されて俄かK-POPファンになった人たちにとって、BoAは、感覚的にJ-POPと捉えられているからではないか、と。
例えば、日本人や韓国人、中国人のアーティストが、アメリカにわたって全編英語の曲をリリースしたとする。
曲を聴く限りでは、アメリカ人が歌っているように思える。
そんなとき、その歌は、日本人が歌っていたとしてもJ-POPとは言われないだろうし、韓国人が歌っているからといってK-POPとは言われないだろう。C-POPとも言われないはずだ。
その歌は、アメリカの歌として認識されるはずである。
BoAも同じなのではないか。
BoAが日本語で歌う曲は、日本ではK-POPではなくJ-POPと捉えられている。
つまり、「K-POPに憧れている」最近の俄かファンたちにとって、BoAはJ-POPなのだから、興味の対象ではないことになる。
彼女たちは、K-POPには熱くなれるが、J-POPには熱くなれない。
K-POPを聴きに来た彼女たちに、J-POPを聴く理由はない。
だから、K-POPファンの一部は、BoAに興味をなくしたのだ。
私からすれば、K-POPアーティストが日本語で歌う歌は、J-POPに分類されるべきだと思うのだが、盲目的に「K-POPに憧れている」ファンにとっては、ブームとしてのK-POPだからこそ、強い興味が持てるのだ。
J-POPであるBoAは、きっと、そんな彼女たちのブームからは、外れた人なのだろう。
そう考えると、今のK-POPアーティストたちが、BoA並みに日本語が上手くなったら、みんながJ-POPのジャンルに入って、今ほど反発は受けなくなるのではないか・・・・・と。
そんなことは、ないか。
無理はないかな、とは思う。
例えば、韓国では、反日教育や反日キャンペーンが国を挙げて繰り広げられている。
その中で、韓国内の親日派への風当たりが強いことは、想像がつく。
少しでも日本寄りの発言をした人は、韓国内世論に袋叩きの目に遭う。
その種の現象に敏感な人には、韓国憎しが、K-POP憎しに変わってもおかしくはない。
日本でも、ネットの一部を中心に、反韓キャンペーンが繰り広げられている。
その現象につられて、嫌韓になる人も、いるだろう。
ただ、韓国における親日派は肩身が狭いが、日本における親韓派は、それほど肩身が狭い状態とは言えない。
特定のテレビ局へのデモ行動くらいでは、親韓派に楔を打ち込むまではいかないだろう。
嫌韓派は、K-POPブームは作られたもの、一部のメディアのゴリ押しだ、という。
ただ、私は、商売とは基本的にゴリ押しが伴うものだという見解を持っている。
たとえば、アメリカ映画の話題作の封切り前には、テレビでは怒涛の如く「アメリカ興行成績No.1」とか「今年一番の話題作」「泣ける映画」というようなキャッチコピーで、大量のCMをほとんどのテレビ局で繰り返し放映している。
あれも、考えようによってはゴリ押しだ。
あの方式をくどいとは思うが、商売だからと、私はそれを普通に受け入れている。
同じように、韓流も商売なのだから、私は普通に受け入れている。
ショービズの世界で、宣伝は、成功するための大きな要素である。
国家に対する感情論と映画、音楽の善し悪しは、別物だと私は思っている。
私も韓国が、国家ぐるみで韓流をプロデュースするのを鬱陶しいとは思っているし、まるで交戦相手国的な扱いで反日教育をするというのは、他国家に対して礼儀を欠くと思っている。
国家として幼稚である、とも思っている(過去の日本帝国主義の愚挙に対しては申し訳なく思うが)。
しかし、私の中では、音楽や映画、ドラマは別なのだ。
スポーツも別だ。
優れた音楽や映画、そして優秀なスポーツ選手は、やはり尊敬に値するものだと思う。
たとえ彼らが、ガチガチの反日思想を持っていたとしても、彼らの優れた能力まで否定したくはない。
BoAという女性歌手がいる。
日本デビューして、今年10年になるという。
BoAは、今現在のK-POPアーティストとは比べ物ならないくらいに、日本で成功した。
シングルもアルバムも日本の人気アーティストと同程度に売れたと記憶している。
しかし、誰も、BoAのことをテレビ局やレコード会社の強引な韓流押しとは言わなかった。
その後、東方神起が売れたときも、嫌韓派は増えたかもしれないが、ゴリ押しと騒ぐことはなかった。
いまほど、世間は騒々しくなかった。
それは、なぜかと考えたときに、私はひとつのヒントを見つけたのである。
9月に東京ドームで、韓国のプロダクション・SMエンターテインメントの歌手が集まって「SM Town」というコンサートが開かれた。
そのコンサートをK-POP好きの我が高校一年の娘とヨメが、観に行ったときのことだ。
コンサートは、かなり盛況だったらしく、どのアーティストが出ても歓声が途絶えることなく、観客のボルテージは上がりっぱなしだったという。
そのコンサートには、BoAも出ていた。
ただ、BoAが登場すると、観客が作る空気が若干変わったというのだ(あくまでも娘の感想だが)。
今まで立って歓声を送っていた女の子たちのうちで、BoAが出てくると座ったり、トイレに席を立つ子が、少なからずいたという。
これを見て、娘は頭にきたという。
「失礼だ」と思った。
我が家は、大学三年の息子、高校一年の娘、ヨメ、そして私を含めて、家族全員が、BoAのファンである。
だから、その話を聞いて、皆が怒った。
BoAの歌で、席を立つだとぉー!
失礼にもほどがある! 責任者出てこい!
と、家族全員が憤った。
だが、怒りながらも私は、そのとき思ったのだ。
最近の風潮に流されて俄かK-POPファンになった人たちにとって、BoAは、感覚的にJ-POPと捉えられているからではないか、と。
例えば、日本人や韓国人、中国人のアーティストが、アメリカにわたって全編英語の曲をリリースしたとする。
曲を聴く限りでは、アメリカ人が歌っているように思える。
そんなとき、その歌は、日本人が歌っていたとしてもJ-POPとは言われないだろうし、韓国人が歌っているからといってK-POPとは言われないだろう。C-POPとも言われないはずだ。
その歌は、アメリカの歌として認識されるはずである。
BoAも同じなのではないか。
BoAが日本語で歌う曲は、日本ではK-POPではなくJ-POPと捉えられている。
つまり、「K-POPに憧れている」最近の俄かファンたちにとって、BoAはJ-POPなのだから、興味の対象ではないことになる。
彼女たちは、K-POPには熱くなれるが、J-POPには熱くなれない。
K-POPを聴きに来た彼女たちに、J-POPを聴く理由はない。
だから、K-POPファンの一部は、BoAに興味をなくしたのだ。
私からすれば、K-POPアーティストが日本語で歌う歌は、J-POPに分類されるべきだと思うのだが、盲目的に「K-POPに憧れている」ファンにとっては、ブームとしてのK-POPだからこそ、強い興味が持てるのだ。
J-POPであるBoAは、きっと、そんな彼女たちのブームからは、外れた人なのだろう。
そう考えると、今のK-POPアーティストたちが、BoA並みに日本語が上手くなったら、みんながJ-POPのジャンルに入って、今ほど反発は受けなくなるのではないか・・・・・と。
そんなことは、ないか。