リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

消えるか残るか

2011-12-28 08:54:00 | オヤジの日記
今年一番CDが売れたのは、AKB48だという。

そのセールス方法に関しては、異論があるのは当然だとしても、売れたことは間違いがない。
どんな手法を取ったとしても、売れたということは需要があるということだから、彼女たちのアーティスト・パワーは大したものだと思う。

その音楽的なクォリティは別にして、彼女たちが、今年を代表するアイドル・グループだということは疑いがない。

ジャニーズ系も一時の勢いはないような気はするが、それなりに安定していたと思う。

ただ、今年に関して言えば、全体的に見て、爆発的に流行ったという歌は、見当たらない。

AKB48はレコードセールスは驚異的だったが、全体的に流行っていたかと言えば、疑問符がつく。
(マルモリに関しては、次元が低すぎて、歌という観念では捉えられない。あれは、ただの現象だと思う)
限られたファン層だけに受けた結果と見るべきだろう。


そして、猛威を振るったとまでは言わないが、話題になったのが、K-POP。

その人気は、捏造だ、偏向報道だ、などという現実を見ない人も少なからずいるようだが、多くのK-POPグループが日本の音楽シーンに出現したのは、事実である。

大ヒットはなかったが、多くの日本人・人気アーティストと同じくらいのセールスは記録した、と私は判断している。

K-POPに関しては、真正面からその存在を凝視する人は、逆風にもめげない強い人である、と言っていいと思う。
その強い人たちが、ライブに頻繁に足を運び、CDやグッズを買い求めて、K-POP旋風の後押しをした。

そのファンたちの興味や情熱が、どのあたりから来ているのかは、AKB48のファンたちの興味や情熱のありかがどこにあるか、というのと同種の疑問が湧くが、人気があるという現実だけは、否定できない。

音楽としてのK-POP。
その歌、踊りは、ジャニーズさんたちよりマシ、AKB48さんよりもお上手、というレベルのものだが、「なんとなく新しい」「いいかもしれない」というイメージが、彼らの歌、踊り、ルックスを実際の実力以上に評価しているものと思われる。

要するにこれは、過去に色々とブームになってきた現象と同じで、「一時の熱気」なのだ。

反日国家から来た人が歌う歌、ということで反発している人もいるようだが、音楽に「反日」「反韓」を持ち込んで、ムキになるのは野暮というものだ。


K-POPは、ビジネス。
J-POPだって、アメリカン・ショービズだって、ビジネス。


K-POPが流行ったからといって、韓国だけが儲かっているわけではない。
日本の音楽業界も儲かるのだ。
テレビ局だって、批判の矛先を向けられているフジテレビだけでなく、国営放送のNHKや他の民法だって儲かっているはずだ。

商売は、儲かってこそ、商売。

高邁な思想も大事だが、商売は儲けることが大事。

資本主義を持ち出すまでもなく、経済を円滑に回すことができる媒体があれば、そこに求心力が働くのは、原理として当たり前のこと。
K-POPが流行ることで、少しでも世の中の財布が潤うなら、存在意義はあると思う。

反日だ、反韓だ、反米だ、と言って反目しても、お互い戦争を望む度胸はないはずだ。
ただ人種差別的な感情論で反発しているだけだろう。

現実世界には、まだ紛争地域がいたるところにあるが、世界を動かしているのは間違いなく経済である。
ショービジネスというのは、その経済の中でもちっぽけなものだが、潤滑剤になる可能性は持っている。

たくさんのブームが、出現しては消え、そのごくわずかなものが文化として定着する。

K-POPが文化になるには、そのクォリティが低すぎるとも思えるが、それは歴史と大衆が決めることだから、数年の推移を見なければならないだろう。

ブームは無理やり作れるが、文化は無理やりは作れない。

「歴史の承認」という審判が、必要になる。

それは、深淵なプロセスを含むものなのだ。

だから、今ちょっとだけ流行っているからといって、民族主義的差別を持ち出してムキになることはない。

歴史が必要としないものは、消え去る運命にある。
不要なブームが行き着く先は、歴史の闇の中だ。



K-POPブームも、その過程を悠然と見ていればいい、と私などは思っているのだが、いかがでしょうか。