唐突ですが、ここのブログに頻繁に登場するイナバ君の本当の名字は「イナバ」では、ありません。
イナ●君です。
これは、以前このブログに書いたことがありますが、ブログに登場する人たちを特定されて迷惑をかけないようにフィルターをかけているからです。
たとえば、杉並の建設会社の顔デカ社長は、当たり前のことながら「顔デカ社長」という名字ではありません。
人類史上最も馬に激似のお馬さんの名字も「お馬さん」ではありません。
上記のように、私の場合は、人の特徴を主語にすることが多いですね。
大学時代の友人を「ハゲ」と呼んだり、「カツラ」と呼んだりしています。
そのことで、彼らのプライバシーを守っているんです(名誉毀損スレスレですが)。
テクニカルイラストの達人・アホのイナバもプライバシーを守らなければ池無いいけないひとりだ。
イナバ君をブログに登場させるとき、私はイナバ君に事前にいつも了解を得ていた。
書いちゃうけどいい?
「あー、全然オッケーですよ。Mさんが炎上しないなら、僕は全然オケですから」
器がでかいね、イナバ君。
今回のブログもイナバ君に了承を取った。
「Mさん、最後のオチ、鮮やかに決めてくださいね。若いころのフェルナンド・トーレスみたいに」
サッパリ、意味がわからん。
了承を取ったので、ややこしいことを書こうと思う。
驚きの驚愕の事実だが、実はイナバ君の本名は「イナバ」ではない。
何を訳のわからんことを、と思った方は、頭が正常です。
私とイナバ君が、頭がおかしいのです。
イナバ君の本名は実は「シマ」というのです。漢字では「島」(これは本当です)。少し、珍しい名字かもしれない。
イナバ君は、自分のこの名字を子どものころから気に入っていた。
長年生きていて「シマ」という名字の人に出くわさなかったからだ。
小学校、中学校、高校、専門学校、社会人になってからもシマさんはいなかった。
私の狭い交際範囲でもシマさんは、過去も今もイナバ君以外いない。
もちろんシマさんはいるのだろうが、積極的に探す気にはならない。街を歩いてプラカードを掲げ「シマさんを探しています」などということをやる気力が今の私にはない。
そんな理由で、私はシマさん探しを諦めた。
イナバ君が言う。
「そんなふうに、僕の人生の中でシマという名前に今まで1度も出会ったことがなかったんです。でも、結婚して何年か経って、日野市の分譲住宅を買うことになったんです。環境が良くて、奥さんが望んでいたレンタルの家庭菜園が近くにあったので、即決でした」
「でも、引っ越しの日、左隣の家に挨拶に行ったとき、その家の表札を見て驚きました。『島』だったんですよ。え? ここで同じ名字が出てくるの? 今まで、1度も出てこなかったのに」
「パニックですよ。よりによって、引っ越し先の隣が同じ島さんだなんて。うろたえた僕は、玄関先に出てきた島さんに、とっさに『今度隣に引っ越してきたイナバです』と言っちゃったんですよね」
イナバというのは、奥さんの旧姓だ。
それから、アホのイナバは、「イナバ」になった。得意先でも「イナバ」で通すことにした(まわりからは婿養子? と聞かれたらしい)。
表札も「イナバ」にした。ただ、横に小さく「島」という字も書いておいたが。
奥さんも子どもたちも名字は、シマだ。世間でも学校でも、彼らは「島さん」「島くん」と呼ばれる。郵便は、「イナバ内 島」で届く。
面倒臭くねえか。
だが、イナバ君の奥さんもお子さんたちも、別に不自由は感じていないという。
奥さんが言う。「だって、犯罪というわけではないですもんね。芸名みたいなものですから」
面白い家族だねえ。イナバ君。
イナバ君の奥さんは今、レンタル菜園ではなく、近所の農地を買い取って、本格的な農業に汗して、色々なものを栽培していた。
トマト、きゅうり、ナス、長ネギ、枝豆、キャベツ、カボチャ、ニンジン、トウモコロモコシ、ブロッコリー、サツマイモなどの旬な野菜を毎年我が家にトド届けてくれた。
ありがたいことだ。
先日は、ズッキーニとナス、カリフラワー、枝豆が届いた。ラタトゥイユを作った。うまかっちゃん。
箱の中には、他にガーゼで作ったマスクが12枚入っていた。ボランティアで老人ホームに届けるマスクと一緒に作ったらしい。ありがとうございます。
「ところてん」とモニターの中で、イナバ君が言った。
「ところてん」というのは「ところで」の意味だ。昔から、私がイナバ君の前だけで使う言葉だ。
6月から9月までしか使わない。この期間に「ところてん」を私が頻繁に使うので、イナバ君も私を真似て使っているのである。
「でも、Mさん、なんで6月から9月までなんですか」
ところてんは、暑くなるとお店の棚に顔を出すよね。だから暑くなる6月から使うんだ。俳句でいう季語みたいなものだよ。
「ああ、バイクのキーですね。何となくわかりました」
え? わかったの? ほんまにアルマーニ?
ところてんのあと、イナバ君が言った。
「6月1日に、奥さんと車でハチジョージのラーメン屋に行ったんですよ」(八王子だね)
イナバ君の車はメルセデスだった。しかし、そのときは奥さんの四輪駆動の軽トラックで行った。災害地に物資を運ぶとき、でかい荷台があった方が便利だから、奥さんはその車を愛用していた。
今回は、八王子のラーメン屋さんに行く途中に、老人ホームがあったので、ついでに野菜を届けることにしたのだ。
八王子では、懇意にしているボランティア仲間の人の敷地に車を止めた。荷台には、野菜の端切れが入ったダンボールをそのまま置いてきた。
そして、念願の八王子ラーメンを夫婦して、堪能した。
「やっぱり、ハチジョージラーメンはうまいよね。来てよかったなあ」
「そうね、さすがハチジョージは期待を裏切らないわね」
イナバ君の奥さんは、よほどの間違いでない限りは、イナバ君の言葉を訂正しない。そんなことをしていたら、キリがないからだ。
よかったね、美味しいラーメンが食べられて。少しは、自粛生活から気分が解放されたかな。
「気分そうそうでしたね」(爽快ね)。
満足して、車を止めた場所に帰ったら、荷台に置いた端切れの入ったダンボールがなくなっていた。
野菜の端切れですよ。そんなのを人の敷地にわざわざ入って持っていくかねえ。
「どうせ捨てるものだから、構いませんけど、マカフジミだと思いませんか」(摩訶不思議だよね。ちなみに不可思議は数の単位で2番目に大きい単位を表します。どーでもいいか)。
しかし、私はそれを聞いてオロドイタ。その言葉、私はつい2週間前、我がヨメの口から聞いたことがあったのだ。
長らく使っていなかったアナログプレーヤーがあった。壊れたと思って、クローゼットの奥にしまっておいたのだ。場所を取るから、とりあえず捨てちまおうかということで意見が一致した。
ただ、捨てるにしても今まで頑張ってくれたのだから、綺麗にしてから捨てようと思った。綺麗にしたのち、一応タップに繋いでみるかと思って、繋いでスイッチを入れてみた。
あらまあ、ターンテーブルさんが回り始めたぞ。ミニコンポに繋いでみた。宇多田ヒカルパイセンの「First Love」をかけたら、普通に再生してくれたのだ。
そのとき放ったヨメの言葉。
「あんらあ、マカフジミだわ」
そのとき、私は、身近にマカフジミが2人いることに、気づいた。