私の住んでいるマンションの駐輪場に、最近よくハクセキレイがやってくる。私は勝手に「つるとんたん」と名前をつけた。
私が、駐輪場で自転車を取り出そうとすると気配を察して、私のそばに降り立つのだ。スピースピーと鳴きながら、テケテケテケテケと歩く姿は、結構可愛い。
木曜日の午前、買い物から帰ってきたとき、駐輪場に自転車を止めた。そのとき、つるとんたんが買い物袋を置いたカゴに舞い降りてきた。
腹減っているのかと思った。ちょうどパンを買ってきた。パンの耳の角を細かく千切って、駐輪場の開いたスペースに置いた。つるとんたんは、遠慮なく啄ばみ始めた。
こんな小さな触れ合いでも、心は温かくなるものですね。和んだ。
しかし、和んでいる場合ではなかった。怒られたのだ。
「何をしているんですか、あなた」
振り返ると、同じマンションに住む50歳前後に見える女性が眉をひそめて私を見ていた。
「野鳥に餌をやるなんて、非常識すぎますよ。これ以上都会に野鳥を増やしたら、害にしかならないのがわからないんですか」
あんた、動物との共存共栄を考えたことがないんか。すべての野鳥に害があるわけではない。都会でバードウォッチングする人たちの楽しみを、あんたは否定するのか。
と思ったが、同じマンションの住民と揉め事を起こしても厄介なだけだ。
はいはい、ごもっともです、ちゅみましぇん、と言って、私は駐輪場から逃げ出した。つるとんたん、ゴメンな。
後ろから、女の人の舌打ちが聞こえた。え? 俺、舌打ちされるほどのことした? コロナストレスでっか。
そのことをヨメに言ったら、「パパはね、愛情が過剰なのよ」と言われた。「武蔵野のアパートにいたとき、ヤモリが家に入ってきたよね。みんな気持ち悪がっていたけど、パパは、割り箸で捕まえて使っていない小さな水槽で飼ってたね。水槽は庭に置いて毎日様子を見ていた。あれ、変だよ」と言われた。
「なんで、ヤモリに愛情を注げるの?」
だって、生きものだから。
私は、生きもの係ではなかったが、彼らの歌う「ブルーバード」は好きだ。
ヨメが言う。「子どもたちへの愛情もすごいよね。子どもたちの友だちにも愛情を注ぐんだから」
フリーランスということもあって、有効な時間の使い方をすれば、子どもたちの学校行事に参加することはできた。大学まで、すべての行事に参加した。
息子、娘に疎まれるかと思ったが、それはなかった。
学校に行くと息子のお友だちからは「まっちゃんのお父さん。オッス」と声をかけられた。娘のお友だちからも「夏帆ちゃんのお父さん。オッス」と声をかけられた。
オッス、というのは、いつも私がお友だちににかける挨拶の言葉だ。みんなそれを真似ているのだ。嬉しいことだ。
息子や娘のお友だちとは、ボウリングに行ったり、プールに行ったり、河川敷でバーベキューをしたり、ラジバンダリした。
今なら、親でもない他人のガイコツがそんなことをしたら、誘拐罪で捕まっていたかもしれない。そしてSNSで盛大に叩かれただろう。「あいつを殺せ」。警察と児童相談所の出番だね。
娘の高校時代や大学時代のお友だちは、今でも我が家にやってくる。みんな今は亡きセキトリを可愛がってくれた。愛すべき子たちだ。
そして、餃子パーティーやタコ焼きパーティー、焼き肉パーティーを今でもよく開く。
先週の日曜日。マリアちゃんが一人でやってきた。「パピー、私、結婚するんだ。昨日プロポーズされた。即答したよ。これ、うちの親にも言ってないんだけど、1番最初にパピーに報告したくて」
2人で泣きながら、エアーハグをした。
俺の愛情は過剰で異常だよな。
きっと子どもたちは、私の愛情を鬱陶しく思っているだろうな。
息子29歳。娘24歳。もう独立してもいい頃だ。
2年前に、娘に聞いてみた。
一人暮らしをしたいとは思わんか。
娘が答えた。「今は無理だ。セキトリ(我が家のブス猫)がいる。セキトリのいない生活は考えられん。ボクは、いまセキトリが趣味なんだ」
息子も娘もセキトリを溺愛していた。2人とも仕事から帰ってくると、まず「セキトリは?」と必ず聞いた。セキトリが起きていたら、2人とも抱きしめて、頬ずりをした。スーツにセキトリの毛が付いてしまうがお構いなしだ。
しかし、いまセキトリはいない。子どもたちを家に繋ぎ止めるものは、いなくなった。
そこで、かなり勇気がいったが、金曜日に私は、天津飯とシュウマイを食いながら、子どもたちに直球で聞いてみた。
ひとり暮らしをする予定はあるかい?
息子は即答だった。
「俺は、結婚するまでは、この家にいるよ。だって、パパとママが心配だもの」
娘も即答に近かった。
「ひとり暮らしは考えたことがある。このマンションの近くにアパートを借りて、都合よく晩ご飯だけ食べに来ようかなってな」
「でもな、セキトリが死んだときのパピーとマミーの尋常じゃない落ち込み具合を見たら、それは無理だってわかった。今まで支えてもらったボクたちが、今度はおまえたちを支える番だって気づいたんだ」
俺の過剰な愛情は異常じゃなかったか。
「もちろん異常だ。だけど、それがなければ、今のボクたちはない。過剰な愛情に慣れてしまったんだよ」
君たち、大人になったねえ。
さて、私の愛するセキトリの月命日が迫っている。9日だ。
またミニ祭壇を花で華々しく飾って追悼しようと思う。
今にして思うと、セキトリも私の過剰な愛情を鬱陶しく思っていたのではないか。
「もっと俺をそっとしておいてくれないか」と。
どうなんだ、セキトリ。
「オワンオワンダニャー(そんなことはないぞ)」と答えてくれたら嬉しいけど、セキトリはもう答えてくれないんだよな。
セキトリ、I love。
ところで、いま世界中で抗議の声が高らかに上がっている「ジョージ・フロイドさん殺人事件」。
殺された人にも殺した人にもきっと家族はいる。
どちらもイコールなのに、なぜ黒人が殺されることが多いのか。
黒人を殺した白人は、その家族も殺したのと同然だ。
白いだけで、なんの根拠もないプライドを振りかざして、一つの家族を圧殺する資格を与えたのは誰だ!
黒人に対する過剰な殺意を多くの白人警官に埋め込んだやつは一体誰だ!
民主主義のない世界で、人民を抑圧する法律を作ったのは誰だ!
もちろん・・・いま民衆に銃を向けることを命令している、おまえらだよな。
BLACK LIVES MATTER
HONG KONG INDEPENDENCE MATTER