リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

娘が好きなYUI

2011-11-11 12:34:27 | オヤジの日記
高校一年の娘は、私の影響を強く受けているから、音楽の嗜好が私と似ている。

幼稚園の年長から浜田省吾を聞き、小学二年で椎名林檎にロックを感じ、小学三年で倖田來未、宇多田ヒカルの良さを知った。
その後、安室奈美恵、加藤ミリヤ、ブルーハーツ、ジャンヌ・ダルクなどもお気に入りのアーティストに加わった。

そんな娘が、初めて自分の意思で好きになったアーティストが、YUIだった。
小学四年のときだ。

「feel my soul」

その歌を初めて聴いたとき、「うわっ! これ、いいよ。声もいいし、メロディも私好みだよぉ!」と言ったのである。
それは、「不機嫌なジーン」というテレビドラマのエンディングテーマとして流れたものだった。

一緒に、そのドラマを観ていた私には、今ひとつピンと来なかったのだが、娘は「このCD欲しい、買って!」と強くねだったのだった。

次の日にCDを買って帰ると、娘は、それを20回以上繰り返し聴いて、「ああ! すごい! 惚れたぜ!」と叫ぶのである。

どの部分が気に入った? と私が聞くと、娘は、「声、詞、メロディ、全部!」と言って、ガッツポーズを作るのだ。
それほど、気に入ったようだ。

それ以来、オリジナル・アルバム6枚を買い揃えた娘は、かなりのローテーションで、YUIの歌を聴いている。
友だちと行くカラオケでも、よく歌っているようだ。

そして、テレビでYUIの歌う姿を見ると、「いいなあ、可愛いなあ、抱きしめたくなるぜ」などと言って、変な興奮の仕方をしている。


私が、歌詞がいいって言ってたけど、どのへんがいいんだ、と聞くと、「歌に、嘘がない気がする。素直に自分の感情を自分の言葉で表現して、強い表現ではないけど、深いメッセージも込められている気がするんだよね。メロディも親しみやすいけど、うねるような感じの音程の波があって、感情移入しやすいんだ。まあ・・・・・だから、全部だな」と、娘も自分なりの表現で答えてくれた。


一番好きな歌は、「My Generation」。
「弱さに支配されていた」の部分で、卒倒しそうになったという。

「夢にまで見たような世界は/争いもなく平和な日常/でも現実は日々トラブッて」と歌う「Rolling Star」にも感情移入しているらしい。

そして、YUIは、「自分と一緒に、歩いているような存在なんだよ」とも言っている。


「Tokyo」って歌を聴いてみろよ、と言われた。

「ミディアムバラードの歌なんだけど、少女の気持ちをYUIの澄んだ声で歌われると、自分がまるでその場にいるような気になるんだよ。
泣けるぞ、この歌は」



確かに、少し泣けた。


MISIAのリズム感

2011-11-09 13:30:12 | オヤジの日記
MISIAは、テレビの音楽番組に出ない。

人並み外れた歌唱力を誇るMISIAだが、テレビに出ないのは、生ではその歌唱力が発揮できないからではないか、と勝手に思っていた。

しかし、「星空のライブ(アコースティック)」を聴いて、その疑問は払拭された。

抜群のリズム感。
乱れない音程。
決して細まることも掠れることもない伸びのある声。
そして、言葉を活かす明瞭な発音。

さらに、MISIAは、音域が広い。
声量もある。

どれもが、上級のプロフェッショナルの技術を感じさせるものだった。


歌唱力というのを人がどのように捉えているかは知らないが、私はリズム感と抑揚だと思っている。

MISIAは、けっして音程を外さないが、それはプロフェッショナルとしては、当然のこと。
(できない歌手が多いことに呆れるが)

だが、多くの人は、音域の広さよりも声量で歌唱力を判断しているように、私には思える。

前半は、モタモタした感じで歌っても、最後に胸を張り、声を張り上げて音を伸ばせば、その人は歌唱力があると判断する人が意外と多いようだ。

口を大きく開けて、張り上げっぱなしにするだけで、上手いという評価が得られるのだから、「声量だけがある歌手」は楽である。
リズム感や抑揚が無くても、張り上げるパートのある歌を歌い続ければ、いつまでも上手いと言われる。

最近流行りのK-POPでは、歌担(うたたん=メインボーカル)と言われる人の中には、この張り上げ歌唱をする人が多い。
同じ音階で、音を必要以上に長く引っ張るのである。
不思議なことに、それがファンから上手いと評価されている。

その同じ音階で音を長く引っ張る手法はは、プロの表現手法として如何なものか、と私が疑問を投げかけると、私の周りの人たちは「それがなぜいけない?」と反論するのである。

それに対して、私はオペラ歌手とMISIAを引き合いに出して、反論に応える。

オペラ歌手もMISIAも、ともに声量があるが、無闇に音を伸ばすことはしない。
ここぞという時だけ、音を伸ばす。

そして、伸ばした音に抑揚を付ける。
決して伸ばしっぱなしにしたりはしない。

曲の前半は抑え気味に、その曲のテーマを表現し、最後に昂った思いを表現する手法として、抑揚を付けて声を張り上げる。
抑揚をつけることで、曲に表情を付けるのである。
そして、伸ばしっぱなしにしないで、声がフェイドアウトする前に、スパッと切るのだ。

本当に声量のある人は、この声を切るのが上手い。
ダラダラと伸ばしはしない。

そして、これは、ごまかしが効かない手法であるとも言える。
リズム感、確かな音程、声量がなければ、必ず破綻する。

声量だけがご自慢の歌手は、大抵リズム感がない。
K-POPの歌担がそうだし、和田アキ子、布施明など日本のベテラン歌手のほとんどが、プロとしてのリズム感を持っていない。
先天的に持っていないのか、声量があることを奢り高ぶっていて、それを必要としていないのかわからないが、とにかく、ない。


その点、MISIAは、真の意味でのプロフェッショナルである。

アカペラで歌うMISIAの「everything」を聴いてみたら、それがわかる。

それを聴けば、バラードにこそリズム感が必要なのだということが、如実にわかると思う。

これが、本当のバラードだ。



私は、MISIAは、まだまだ過小評価されていると思っている。



娘の見解

2011-11-04 15:24:02 | オヤジの日記
韓国の年輩の方々は、どんな音楽を聴いているのだろうか。

KBSやMnet、SBS、KNTVなどのプログラムを見てみると、若者向けの音楽番組やドラマ、バラエティ番組が、多くを占めている。
それらの番組は、年輩の方々が見て、共感できる内容とは思えない。

日本の場合は、歌は演歌、テレビは時代劇、お笑いは笑点など、お年寄りが好むものが、とりあえず存在する。

韓国にも、その種のものはあるのだろうが、あまりにもK-POPが幅を利かせすぎて、年配の方々が肩身の狭い思いをしているのではないかと、余計なことを考えてしまうのだ。

あるいは、国民主義、全体主義のお国柄だから、国家総動員で国策を盛り上げようとしているのなら、全体主義が徹底した年輩の方々の方が、むしろ積極的に国策を推進しようとしている、とも想像できる。



「しかし、あの子たち、歌わされている感じが強いよな」と、K-POP大好きの私の高校一年の娘が、冷静な分析をする。

娘とヨメは、日常生活での会話の98パーセントが、K-POPだ。

娘は、SHINEE、少女時代、IU、ブラウン・アイド・ガールズがお気に入りだ。
ヨメは、SHINEE、BEAST、CNBLUEがお気に入り。

娘とヨメのMP3プレーヤーに入っている曲は、すべてがK-POP。
CDやDVDもK-POPアーティストのものしか買わない。

このように、2人とも徹底しているのだが、2人には大きな違いがある。
ヨメは、熱狂的妄信的だが、娘は、冷静に音楽を聴いているようなのだ。

「K-POPの子たちはさあ、ジャニーズとかAKBと同じで、大人たちの事情で歌わされている気がするよ。言ってみれば、歌うお人形さんだな。ミュージシャンでもなくアーティストとも言えず、あの子たちは、ただの歌手だな。それもロボットに近い歌手だね。まあ、俺はそこが面白いんだけどな(娘は、自分のことをオレと表現する)」

さらに、娘が言う。
「K-POPは、一つの方向にしか向いていないから、飽きられるのも早いかもな。K-POPには、歌手はいくらでもいるが、アーティストが少ない。日本みたいに、アーティスト志向の強いのが出てくれば、層が厚くなるから、将来的にも面白いんだが」


娘は、かなりのK-POPびいきだが、冷静に見るところは、見ているようだ。


確かに、K-POPには、アーティスト志向の人が少ないような気がする。

宇多田ヒカルのように、個人を等身大に、革新的にプロデュースする人がいない。
X-JAPANのように、圧倒的なテクニックと表現力で、音楽を昇華させる人もいない。
椎名林檎のように、自分の作り出した言葉で、自分の表現したい音楽を自由自在に操れる人もいない。
そして、K-POPの歌手は、日本人より歌が上手いと主張しているファンがいるが、COCCOや元ちとせのように、己れの魂を極限まで高めて、言の葉(コトノハ)を解き放てる人が、いない。ただ、教えられたとおりに歌っているだけ、という印象が強い。

そして、何より、忌野清志郎や浜田省吾、斎藤和義のように、体制や自国文化を茶化す人がいないのが、残念だ。

全体主義、国民主義が根強すぎるためか、歌手が「いい子」になりすぎている。
これは、私個人だけの見解だということを承知で書くが、ほとんどの歌が、大人の言うことを聞く「いい子」の歌で終わっているのが、物足りない。

女性アイドルの際どいセクシーなダンスにしても、大人から押し付けられた「お遊戯」のような気がして、少し痛々しい。

多くが体制の言いなり、大人の言いなりのように感じるのは、もちろん私の偏見ではあることは承知。
彼らは、ただ歌が好きなだけなのかもしれない。
好きな歌を言われるままに表現することが、彼らにとって最大の喜びであるなら、それを否定することはしない。

ただ私は、それに対して、疑問を持ち続けるだろう。

みんなが同じ方向をむいて、同じ種類の音楽を惰性のように繰り返し続けることは、「個」を消し去ることにならないか。

表現者としては、「個」が一番大事なはずなのに、全体に埋没することを選び続けていいのか。

それは、AKBやEXILEなども同じであるから、それが苦にならない人だけが、アイドルとして成功すると言えるのかもしれない。


ただ、それは、俺が望んでいる音楽とは、かなり違うな・・・・・と。


K-POPアイドルの中で、BIGBANG、2EN1は、クリエイティブな部分を持っているグループだと思う。
しかし、言い方を変えると、極めて洋楽を真似ることが巧みなグループだということもできる。

いまはまだ彼らが、その洋楽的な部分を韓国人のアイデンティティと同化させることに成功しているとは思えない。
うまく真似ている、としか感じない。

彼らが、洋楽のエッセンスを独自の個性として同化させることに成功したら、彼らに続くアーティストが、きっと現れるだろう。
それは、韓国の音楽にとって、大きな分岐点になると思う。



ただ、その時が来るまで、今のK-POPの流行が続いているかどうか・・・・・・。
あるいは、韓国政府が、その時まで気長に待ってくれるかどうか・・・・・・。


そのことが、私には、とても興味深い。