ブログの名前に「モアイ」とつけたからには、
イースター島の思い出話もたまには挟まなくては・・・。
パッチワークを頑張っている間は、
ハンドメイドについてのことを取り立てて綴ることもないので、
若い頃の旅の話を。
今日はイースター島に行くまでのきっかけなど・・・。
1990年1月のスキー場で、「南の島に行きたい」と思ってしまい、
一緒にいた友人のクミちゃんも同調してくれて、
その前年に「成田~タヒチ」直行便が就航され始めていたので、
タヒチ行きは即決でした。
早速スキー場から戻って、「地球の歩き方:タヒチ編」を購入。
すると、「イースター島への誘い」という章があるではありませんか。
イースター島へ行くには、南米チリか、タヒチからしか入れないというのです。
それまで、「イースター島=モアイ」という知識しかなかった自分にとって、
一生縁のない所だと思っていたのが、
「今回を逃したら多分行く事ができないだろう」というワクワク感が生まれ、
またもやクミちゃんも賛成してくれて、
イースター島行きへの意思が固まったのでした。
時はバブル時代(後期)とはいえ、学生だった我々にとっては、
ものすごく出費がかさむ旅の予感。
もちろん、旅はバイト代を貯めていくものですから、
無駄には使いたくありません。
飛行機代をリサーチすると、
タヒチまで往復のオープンチケットが約20万円(保険込み)。
この頃はまだ格安チケットが一般的ではなかった気がします。
タヒチ往復のチケットは特にあまりありませんでした。
イースター島~タヒチの往復は・・・いくらかかるのか。
イースター島は南米チリ領なので、チリの大使館やチリ国営航空など、
東京方面へ情報収集に赴きましたが、
あまりよい情報が得られず、タヒチでチケットを購入するほうが、
日本で買うより安いらしいということで、そうすることにしました。
おおむね15万円見積もっておけばいいという感じでした。
私は海外は2度目でしたが、1度目はパック旅行・・・、
国内での1人旅を何度かしていたので多少のトラブルには動じない性格。
クミちゃんは海外3度目で、フリー旅行の経験あり。
ただし、二人とも語学に堪能ではなく、タヒチはフランス語主体、
チケットをうまく取れるのかさえわからないのに、
若いということはチャレンジ精神旺盛なのでしょうね。
こうしてタヒチ行きを決めてから約1ヵ月後、
1990年3月2日早朝に成田を飛びたったのです。~続く~