~1990年・イースター島3日目・夕方~
ラノ・ララクのミニツアーから戻ってきて、少し休み、
ハンガロアへ散策&買出しに出かけました。
ところでイースター島に来る時にはUS$しか持っていなかったけれど、
町での買い物はペソ(P)です。着いた日も翌日も銀行は閉まっていたので、
とあるお店で両替をお願いしたのですが・・・。
使えないコインが混ざっていたよ~
日本人だから文句を言わないと思ってなめられたのか・・・
若い女性の店員さんだったけど、パスクア人ではなかったような。
私たちは大体、1US$=300P=150円で計算していましたが、
売っている食べ物などは、日本の物価とあまり変わらない印象でした。
後に出会ったチリから来た日本人に聞いた話では、
チリより物価が3倍くらいしているようです。島なので、仕方がありませんね。
民宿の朝食は、パン、クッキー、日本のマドレーヌのような物、
ジュース、インスタントコーヒー(ネスカフェ)でした。
パンが2種類あって、そのひとつが私にとってはどうしても口に合わず、
(まるでダンボールを食べている感じ・・作った方すみません)
こっそり持ち帰って、クミちゃんに食べてもらっていました。
クミちゃんに言わせると、「重曹が入ったパン」ではないかと・・・。
好き嫌いはあまりないはずの私ですが、飲み込めなかったです。
こういった食生活で、昼も夜も節約食事の中、この日はハムを買ってきて、
「リッチだね~」と喜んでいました。
民宿に戻ると、おじさんが、お友達となんだか陽気なご様子。
「一緒に軽く飲みましょ~」と持ってきたのは、ピスコというお酒とコーラです。
コークハイのように割ってくれて、乾杯・・・するとおじさんが
「イ~ッキ、イ~ッキ」
と踊りだすではありませんか
そのころ、日本では確かに「一気、一気」の一気飲みがはやってはいましたが、
地球の裏側の絶海の孤島まで浸透しているとは!
今のようにインターネットも普及していないしね。
日本人の我々を喜ばせよう(驚かそう?)としてくれたのかな。
おじさんがあまりに陽気すぎて、とまらなくなったらどうしようと恐れて、
クミちゃんと私は軽く調子を合わせるにとどめ、部屋へ退散することにしました。
おじさん、ありがとうね、でもちょっとついていけなかったョ ~続く~