モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

1990年イースター島*その8*ラノララク

2009-05-20 23:48:00 | イースター島*1990年

~1990年3月・イースター島3日目~

9:40am頃、民宿の4輪駆動車で、ラノ・ララクへ出発

運転手は20代前半と思われる、民宿の息子さん。

同行者は神経質そうで30代と思われるイギリス人男性と

我が友人クミちゃん、そして私です。

イースター島の気候は、我々が島についてからすこぶる良好で、

暑いながらも風がさわやかに感じられました。

さて、車はハンガロアを出てから、道なき道のようなところを

進んで行きます。周りにはなにもなかったように記憶しています。

当初の予定通りクミちゃんと二人、徒歩で出かけていたら、

途中でさまようことになったか、疲れて動けなくなったか・・・

ラノ・ララク・・・モアイの製造地のようなところに到着しました。

なんとも不思議な光景です。モアイが半身で埋まっていたり、

作りかけのモアイが岩場に残っていたり。

息子さんはあまり愛想のある方ではないようですが、簡単にガイドをしてくれて、

とは言っても、私の語学力ではあまり理解できなかったのですけれど

石切り場は小高い丘のようになっていて、

上のほうまで、時間をかけてゆっくり見ました。

息子さんが「ハンガロアに雨が降っている!」と言うのでその方角を見ると、

まるでそこだけ空から薄ぼんやりとした幕が下りているようで、

まわりに遮るものがなく、空気もきれいだから、

こんな幻想的な光景が見られるのだと、感動的でした。

ほどなく、虹もかかりました

さて、現在はトンガリキという所に、日本の企業がモアイを復元したそうですね。

1990年は、残念ながら復元されておらず、

トンガリキはチラッと見てあまり印象に残らず・・・。

そして、島の北部にある、白い砂浜の海岸に着きました。

イースター島の地質とはまるで違う、細かい白砂です

クミちゃんはもと水泳部で泳ぎも得意なので、水着になって泳ぎました。

一方私は、なんせ時差ぼけが残っているのか、水着を後で洗ったり、

砂や塩でべたべたするのがめんどうで、水着を持って行きませんでした。

木陰でゴロゴロしたいと思ったのに・・・あまり木陰がないよ~

文科系イギリス人も所在無く砂浜をうろついてました(全く愛想がない)。

息子さんといえば・・・なんと小さな岬の先端で、

一人黙々とカラテの型に取り組んでいます

彼は、あまり愛想がないのですが、私たちが日本人ということで、

「自分はカラテを習っていて、沖縄に行ったことがある」・・と

自分の事に関して、このことだけ話してくれました。

イースター島から沖縄に行くのは、ものすごく大変な気がするけど、

ひょっとして、「行きたい」って言っていたのかしら(自信のないヒアリング)?

こうして一行は14:00頃、民宿に帰ってきました。

今日の行程でも、ほとんど観光客と会わず・・・。

作りかけのモアイをゆっくり見ることができて、紫外線もたっぷり浴びて

~続く~

 

 

コメント
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