杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

映像作家が伝える北朝鮮とビルマ

2010-05-17 12:44:52 | 映画

 昨日(16日)は夕方から、昨年『吟醸王国しずおかパイロット版試写&トーク』でお世話になった羽田エクセルホテル東急で、ちょっとした補足撮影をさせていただくために上京しました。せっかくだからと、日中は渋谷で映画を2本はしごしました。この2本、同時に観れたのが奇跡と思えるほど深く見応えのある作品たちでした。

 

 

 

 

 1本目は韓国映画『クロッシング』。北朝鮮の貧しい炭鉱の町で暮らす家族の過酷な運命を描いた作品です。テレビの情報番組で、ジャーナリストから「これほどリアルに北朝鮮の現況と、脱北者家族の悲劇を描けたのは奇跡だ」と絶賛され、拉致被害者家族の横田夫妻なども観賞したと紹介され、しかも監督は北朝鮮問題の専門家ではなく、日本の漫画を原作にした『彼岸島』を撮った若いエンターテイメント系のクリエーターだと知って、どんな取材やリサーチをしたのか興味を持ちました。

 

 

 

 ストーリーは、北朝鮮の貧しい炭鉱夫が、結核に冒された妻の薬を入手するため、決死の覚悟で中国に密入国し、中国の公安警察に追われ、ドイツ大使館に駆け込んで脱北者支援団体の助けで韓国へ渡る。その間、残された妻と一人息子には悲惨な運命が待ちうける・・・というもの。主人公は過酷な運命に立ち向かうヒーローでもなく、父の帰りを待ちわびる息子に奇跡が起きるわけでもなく、北朝鮮の“ありふれた日常”を切り取った物語、かもしれません。

 

 北朝鮮問題専門のジャーナリストが、「自分が取材した光景とうりふたつ」と唸るほどの映像は、企画から完成まで4年がかりで脱北者を取材し、実際の脱北経路をリサーチしたとか。韓流ドラマ『星に願いを』のチャ・インピョを主演に迎えたドラマパートは、台本どおりに撮ったとしても、北朝鮮の炭鉱町の風景、闇市場で残飯を乞う子どもたち、強制収容所の描写など、物語の舞台や背景を創り上げるまでは大変な労力が要っただろうと思います。

 私たちが観ると、その舞台背景は「これが21世紀のアジアに実在するのか」と目をそむけたくなりますが、北朝鮮では“ありふれた日常風景”なんだということが、しっかり伝わる映像です。監督をはじめスタッフは、実際の取材を通して、「足し引きせず、あるがままを正しく伝えよう」と実感されたのではないかと思います。

 

 

 リアルな舞台設定をきちんと構築した上で、主人公のドラマをしっかり描くから、映画作品として国籍問わず多くの人々の心を揺さぶることができる。ときには観る者が共鳴できるエモーショナルな味付けも必要です。そのあたりの匙加減が、プロの映像作家の腕の見せ所なんでしょうね。監督の意図はズバリ的中し、久しぶりに映画で何度もボロ泣きしてしまいました。

 

 

 

 

 

 2本目は、2007年9月のビルマ反政府運動を記録したドキュメンタリー『ビルマvj~消された革命』。ノルウェーに本部を置く「ビルマ民主の声」というジャーナリスト集団が、2000人の僧侶と10万人の市民がデモ行進し、政府に弾圧された一部始終(ジャーナリスト長井健司さんが至近距離から射殺された決定的シーンなど)を命がけで潜伏撮影した映像を、デンマークの映画監督が再構築した作品です。

 

 映像はハンディカメラや携帯動画で撮ったもので、秘密警察に見つかりそうになり、電源onのまま慌てて服やカバンの中に隠し、かろうじて音声だけ録れた、というパートも。映像作家が創り上げた『クロッシング』とは対照的ですが、独裁国家のリアルを伝えようとするvj=ビデオジャーナリズムの真髄を見せてくれました。

 

 

 身の安全のため隣国タイの国境の町でホストコンピュータを管理する編集局長“ジョシュア“(仮名)のもとへ、各地で取材活動をする同志から緊迫した電話が入ります。

 

 

 ジョシュアが電話を受けるシーンや彼の“心の声”は、おそらくデンマーク人監督の演出が入っていると思われますが、僧侶が行進を始め、後に続く市民が次第に増えて行き、やがて町中にシュプレヒコールが響く様子に、撮影中の同志が電話で感動と興奮を伝えるシーンや、やがて軍や警察が実力行使に出て流血の惨事となる様子に「・・・もう(撮るのが)耐えられない」とふるえる同志の電話の声が、実際の映像に重なり、胸に強く迫ってきます。思わず、ドキュメンタリーには映像と音声のミックスが重要なんだ、と、制作者目線で見入ってしまいました。

 

 

 

 ビルマは、亡くなった祖父が戦時中に送られた戦地で、一度訪れてみたいと思っていましたが、“ミャンマー”になってしまってからはその機会もなくなりました。若い仏教徒たちが非暴力を盾に素足と袈裟姿で行進する様子、軍や警察に暴行を受ける様子、河に袈裟姿の死体が放置されているシーンは涙なしでは見られませんでした。・・・京都や奈良で呑気に仏像巡りができる自分は、日本に生まれて本当にラッキーだったと思うしかありません。

 

 

 

 私自身は、この先も出来る限り活字の世界で生きて行きたいと思っていますが、素人が動画を撮って気軽にネット投稿できる時代になったからこそ、ビデオジャーナリストの役割というのは、逆に大きな意味を持つと思っています。

 この作品は今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされ、受賞は、例のイルカ漁隠し撮りの『ザ・コーブ』に獲られましたが、ビデオジャーナリストの存在価値を知らしめたこの作品は、ドキュメンタリーという映像分野の価値そのものも再認識させてくれたのではないでしょうか。ドキュメンタリー作家以上に、独裁国家の内部でビデオジャーナリズムが機能する価値と重みが深く理解できる人はいないはずですから。

 

 

 

 

 

 とにもかくにも、映画というメディアがこの世に存在してよかった、と心から思えた2本でした。