シズオカ文化クラブ5月定例会の講演は、宝台院に隣接する旧アソカ幼稚園2階講堂で開かれました。開始前には、幼稚園の真向かいにある『中村屋』の親子丼(特上!)で腹ごしらえ。前回ブログにも紹介したとおり、民俗学者の中 村羊一郎先生に、『今川伝説の再発見』という講話をしていただきました。
今年2010年は、今川義元が織田信長に桶狭間の戦い(1560年)で討ち取られてから450年の節目に当たります。映画やドラマに出てくる義元って、お公家かぶれしたダメンズに描かれることが多いですよね。でも今川時代というのは、静岡(駿府)にとって大変意義深い時代でした。
戦国時代、「安倍七騎」と呼ばれる7軒の旧家が安倍川流域にあり、彼らの家には今川家の朱印状が残っています。中山間地のには、寄り親・寄り子のような主従関係が存在していて、戦(いくさ)が起こると寄り親は地域の戦闘集団のボスとして寄り子を従え、戦った。彼らにしてみれば、自分を地域のボスとして認めさせ、治安維持の担い手たる身分を保証してくれる存在が必要で、それが今川家だったというわけです。
今川義元が信長に討たれ、後を継いだ氏真も武田家に滅ぼされると、彼らは武田家から朱印状をもらいます。今川に殉じる義理人情はなく、故郷の地の安寧こそが大事。その後、武田家が滅び、豊臣・徳川時代になると、兵農分離が徹底され、故郷の土地を守りたいなら武器を捨て、それが嫌なら故郷を捨て町へ出てこいと二者選択を迫られる。このとき、最後まで故郷の地を離れなかった誇り高き人たちが「安倍七騎」と呼ばれたそうです。
一方、武将の中にも、戦国の騒乱をしたたかに生き抜いた者がいます。摂津伊丹城の当主一族だった伊丹康直は、戦乱のさ中、今川義元にその勇猛ぶりが評価されて今川家の水軍の将となり、次いで武田家に仕え、焼津の花沢城の戦いで徳川家と戦った際は、「敵ながらあっぱれ」と徳川家に讃えられ、スカウトされてそのまま徳川大名となって家名を残しました。いわゆるスパイ工作で寝返ったというわけではなく、正々堂々と闘って敵軍に“再就職する”ことも、この時代は可能だったんですね。
誇り高き者、したたかに生き抜いた者がいる一方で、『松野のボッカー様』伝説のような話も残っています。松野というのは安倍川中流の里で、正月に餅つきをしてはいけないという暗黙の掟があるそうです。昔、ボッカー様と呼ばれる姓名不詳の殿さまがいて、「自分が戦から戻ったら正月祝いをしよう」と言い残してそれきり音沙汰なし。正月になって、とある家で餅をついたら、その家が火事で全焼してしまった。ボッカー様の祟りだというわけです。
似たような話は富士山麓の十里木にもあって、ある落武者親子がこの地にやってきて、村人の家の正月飾りの餅を盗んで食べた子を、父が「武士の恥だ」と言って斬り捨てた。翌年からその村で餅をつくと、血の色に染まるようになり、以来、正月に餅をつけなくなったそうです。
一方、静岡市の沓谷に長源院という今川の重臣によって建立された寺があり、「満福舞」という伝統芸能が伝わっています。開祖が寺を建てようとした土地は、地ならしがうまくいかず難儀をしていると、満福と名乗る老人が現れ、柄杓で水をかけると、たちまち地ならしができた。その老人は、かつて大火傷を負った武士を助けたことがあるとか。大晦日に寺では「満福、満福」と唱えて踊るようになったそうです。
似たような話が井川にも残っており、井川の特産めんぱは、ひのきを薄い板状にしてそれを柄杓を使って丸める技術が要ります。この地にやってきた旅人が、板を蒸して丸太に巻きつける方法を村人に伝授してくれた。感謝する村人に「ひよんどり=火伏せの踊りを毎年やりなさい」と言い残して去ったという。井川のひよんどりは、大晦日の真夜中に柄杓で井戸水を汲んで飲むのがならわしになったそうです。
・・・中村先生曰く「諸国に残る伝説には、ひとつのパターンがあるようです」とのこと。
これらの伝説にどんな意味合いがあるのかわかりませんが、戦国時代というのは、それまで続いていた荘園的秩序を破壊した武士が、新しい秩序を築きあげようともがいた時代であり、荘園時代の秩序を守っていた農民と武士の間には、当然、摩擦もあったし相互理解もあった。また、農民が暮らす村と、武士や商人が暮らす町とは、戦乱の時代も活発な交流があったことがわかります。ちなみに、菊川市棚草というところには、「今川さま」というほこらがあり、水利の恩人として尊ばれているそうです。
今川という大きな「破壊者」が静岡を良くも悪くも変えたことは確かですが、中山間地には、荘園的秩序の名残りといえる「田遊び」や「ひよんどり」のような伝統芸能が今も残っています。…これも考えてみると大変興味深いことです。
歴史と言えば、史料に頼った「表舞台」の話しか注目されないけれど、地域のフィールドワークを積み重ねていくことで、別の“時代考察力”が磨かれるのだと実感しました。
貴重な学習の機会をいただき、中村先生およびシズオカ文化クラブのみなさんには心より感謝いたします!