杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

イラストルポと出版文化

2015-03-13 12:53:55 | 本と雑誌

 先日、若い酒徒から「篠田酒店エスパルスドリームプラザ店に酒造りのイラスト画が飾ってあって、思わず見入ってしまいましたよ」と言われ、業界団体が作った広報用の酒造工程図のことかと思って聞いてみたら、どうやら私が【静岡の文化73号~特集静岡の食文化】(2003年県文化財団発行)で磯自慢酒造の杜氏・多田信男さんを描いたイラストルポのことでした(今は飾ってありません)。

 

 

 それから間もなく、フェイスブックで「ワインバーに置いてあった雑誌sizo;ka。こういう雑誌、今でも作れないのかな」という書き込みがあり、私が描いたイラストルポのページが写真で紹介されていました。その記事を見た人から「マユミさんは画を描くんですか!?」という驚きのコメントがあり、昔書いたものが見知らぬバーに置いてあって愛飲家の眼にとまるなんて・・・と嬉しくなり、同時に、こういう仕事ができた時代が遠くなったな・・・という寂寥感に襲われました。

 

 イラストで紹介するというのは、普通に取材し、写真を撮って書く記事の数倍~数十倍、現場観察力が求められます。昔、漫画家の大和和紀さんが源氏物語を描くのに「絵に描くことが歴史を最も理解できる」とおっしゃっていたとおりです。私の場合、職人の手仕事を取材する機会が多かったのですが、職人の表情はもちろん道具や設備の一つひとつを、デフォルメするにしても、構造や背景を理解しなければ画にできない。イラストルポの仕事は、私の取材力をトコトン鍛えてくれました。そういう場を与えてくれた静岡のローカル雑誌のほとんどが、今は廃刊となっています。

 

 先日、静岡新聞出版部の編集者に、出版物が置かれた環境―とりわけ旧態依然とした書店流通体系について聞き、そんな中でも紙ベースの読み物を作って、まっとうに支持されるには何が必要なのか、考え続ける毎日です。静岡は豊かで暮らしやすい土地だと言われてきました。日本一の富士山や駿河湾があって、歴史もあるし産業もある。食材の数も日本一と知事がさかんに自慢します。でも京都や金沢のような文化都市のイメージがない。徳川家康が駿府で印刷技術を興し、葵文庫という優れた蔵本もあるというのに出版文化が育っていない。文化の豊かさや教育の質のバロメーターって、ひとつはその地域に出版・書販事業が健全に育っているかだと思うのですが、自分も含め、この業界に関わる人間の責任であるし、産・学・官のサポートも必要でしょう。まっとうな出版文化を育てようという人々とつながりたい・・・今はその思いで一杯です。

 

 私のような肩書きのない一介のライターに表現の場を与え、育ててくれたローカル雑誌。今読んでも色褪せない、むしろ時代を先取りしていたかのような重量感ある内容です。一部ですが紹介させていただきます。

 

 

 私のイラストルポ・デビュー作品です。昭和62年(1987)静岡新聞社発行の【狩野川通信】。建設省沼津工事事務所のスポンサードで作ったムック本です。昨年、Mr狩野川と紹介した「狩野川屋」の山本征和さんを久しぶりに訪ねたら、まだこの本がカウンターに置いてあって、いまだに似顔絵を客から冷やかされる、と喜んでくれました。

 

 

 1994年から3年間、静岡新聞社で制作された季刊誌【しずおか味覚情報誌・旬平くん】。静岡県農林水産業振興会のサポートを受け、編集者の平野斗紀子さんが心血を注いで作った雑誌です。私はイラストルポ「ただいま仕込み中」を連載させてもらい、上記の山田豆腐店(静岡)をはじめ、山口水産のなまり節(松崎町)、天野醤油(御殿場)、天野重太郎商店(焼津)のカツオ角煮、七尾たくあん(熱海)、富士開拓農協の手作りチーズなど、食の担い手をガッツリ取材しました。酒蔵がなかったのが残念といえば残念かな。

 

 

 【旬平くん】のイラストルポを評価していただき、新たに連載の場を持ったのが、【SHAKE Shizuoka】(1997~98)。花城ハムの花城光康さんを取材した号です。この雑誌は上川陽子さんが議員になる前に自主発行していた静岡ミニコミ誌。陽子さんとはこの雑誌の制作をきっかけに知り合いました。出会ったのは陽子さんのおば様が経営されていた紺屋町のおでんや「いずみ」。偶然カウンターで飲んでいたときです。酒と雑誌づくりという純粋?な縁のおかげか、今もなお、FM-Hi【かみかわ陽子ラジオシェイク】へと続いています。

 

 イラストルポの最後の仕事が、前述の【SIZO;KA】でした。東京の出版社にいた編集者本間さとるさんが、故郷の藤枝で2007年から09年まで自費出版した季刊情報誌です。本間さんとはまったく面識がなかったのですが、何かで私が描いたものを見て連絡をくれて、酒蔵ルポを連載することに。無報酬でしたが酒の記事が書けることが無性に嬉しく、張り合いをもって描かせていただきました。考えてみればこの20数年、酒の記事で報酬を得たのはほんのわずかで、酒のライターとしてはアマチュアなんです、私(笑)。

 

 こうしてみると、私がイラストルポを発表した媒体は、いわゆる商業雑誌として成功したものではなく、個人の努力か行政の支援に頼らざるを得ないものばかりでしたが、資本先がどうであれ、制作者の熱意は変わりません。地域の中の身近な取材対象者や読者に真摯に寄り添い、また地域のクリエイター(カメラマン、デザイナー、ライター等)を育てようと多くのチャンスを与えてくれました。こういう熱意ある人々と時代を共有でき、本当にラッキーだったと思います。

 ネットコミュニケーションが発達した現在、紙ベースの読み物に求められる情報は何か、皆、悩んでいると思いますが、「色褪せないものを残す」こと、これに尽きますね。歴史愛好者からしてみたら、この時代の市井の情報が信頼できる媒体として残っていないと、後世の歴史家がこの時代の判断を誤るかもしれないと危惧します。我々の子孫に、「ご先祖様が生きた時代は、なんだかよくわからない、つまらない時代だなあ」と思われるのは悔しいじゃないですか。都合よく上書きされない情報を残す、という意味でも、出版文化はしっかり守り、継承していかねばなりません。

 今現在、書く場を失いつつある時代遅れのライターに何が出来るのか、本当に自問自答する毎日。心ある出版文化の担い手とつながりたい・・・心からそう願っています。



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