杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

サッカー王国静岡その1

2010-06-16 14:31:27 | 本と雑誌

 12日(土)の『吟醸王国しずおか』パイロット版試写&トークIN藤枝の終了後、トークゲストの「喜久醉」蔵元青島孝さん、スタッフ、最終19時上映のお客さんで遅い夕飯を食べに行った時、食堂のテレビでサッカーW杯韓国‐ギリシャ戦をやっていて、みんなでサッカー談議で盛り上がりました。メンバーは藤枝の住人が多かっただけに、みんな詳しいのなんの。19日の日本オランダ戦は藤枝のパブリックビューイングで燃えるぞ~と張り切っていました。

 

 

 私ひとり、藤枝人のサッカー熱に煽られっぱなしでしたが、「これでも、昔、“サッカー王国静岡”って雑誌を丸一冊書いたことがあるんだよ~」と虚勢を張ってみたら、青島さんから「凄いじゃない、昔サッカー王国静岡で、今は吟醸王国しずおかなんだ~!」と冷やかされ、帰宅して久しぶりにその雑誌を引っ張り出してみました。

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学研スポーツムック STRIKER特別編集

『サッカー王国静岡』(1994年9月発行)

〈内容〉

◎日本の頂点に立つ静岡のサッカー力学/インタビュー・藤田一郎氏(前日本サッカー協会強化副委員長)

◎2002年への挑戦~ワールドカップを日本へ・そして静岡へ/対談・石川嘉延知事&小倉純二氏(日本サッカー協会専務理事)

◎王国の誇り85人 静岡県出身Jリーガー名鑑

◎カズ、世界に挑戦!静岡からエールを込めて―KAZU goes to ITALY/談話・納谷義郎氏(静岡県サッカー協会理事)

◎川口能活(横浜マリノス)インタビュー

◎BORN IN THE SHIZUOKA 対談/長谷川健太×三浦泰年

◎ALL OF 中山雅史★GONのルーツを追え!

◎ライバル静岡を語る/小嶺忠敏氏(国見高校監督)、大渕龍介氏(読売日本ユース監督)、古沼貞雄氏(帝京高校監督)

◎SPECIAL MEETING IN SHIZUOKA~Jリーガーを育てた指導者座談会

 

 

 この雑誌を企画した出版プロデューサーの土屋清さんは藤枝の出身。Jリーグが発足して2年目のこの時、故郷を離れて暮らす静岡出身者にとってのプライドの象徴として実現させたのでした。ライターもデザイナーもオール静岡人で作ろうということで、デザイナーの松永直人さん(藤枝東サッカー部出身)から声をかけてもらいました。

 特別サッカー通でも何でもない自分に書けるかどうか不安でしたが、インタビューの多くは土屋さんがやってくれて、自分は書き起こし&編集作業に徹することができ、「サッカー通じゃない人が読んでも分かるように書けてた」と及第点をもらい、安堵しました。

 

 

 中でも、『Jリーガーを育てた指導者座談会』は、自分の恩師のことが直接話題になったデザイナー松永さんが並々ならぬ思いで取り組んだコーナーだったようで、入稿後、彼から「専門的な内容で難しかったと思うけど、よくまとめてくれた。レイアウトもしやすかった」と褒めてもらったことを今でも覚えています。

・・・そんな制作者側の事情はさておき、この指導者座談会、サッカー王国の基礎を築いた名将たちの誇りと本音が吐露されていて、静岡県のサッカー事情に関心のある人にはかなり読み応えがあるんじゃないかと思います。

 

 ワールドカップで盛り上がっている時期だけに、改めて、Jリーグ誕生のころ、こんな座談会があったということを紹介してもいいかな~と思い、数回に分けて再掲しますね。

 

 

 

SPECIAL MEETING IN SHIZUOKA~Jリーガーを育てた指導者座談会

 

〈座談会メンバー *役職は1994年当時のものです〉

◇長谷川二三氏(藤枝東高校サッカー部監督・静岡県サッカー協会技術委員長・藤枝市出身)

◇井田勝道氏(静岡学園高校サッカー部監督・日本サッカー協会公認コーチ・静岡市出身)

◇前嶋孝志氏(高部小学校教諭・清水市サッカー協会技術委員長・焼津市出身)

◇古川一馬氏(静岡県サッカー協会理事・トレーニングセンター部長・清水市出身)

◇橋本忠弘氏(静岡県サッカー協会専務理事・藤枝市出身)

◇進行役/加藤真久氏(静岡県サッカー協会常務理事・沼津市出身)

 

(加藤)静岡県はJリーガーを85人も輩出し、平成5年度は9つの全国大会で優勝を果たしました。まさにサッカー王国にふさわしい躍進ぶりですが、もちろん、このような状況は一朝一夕で出来上がったわけではありません。いろいろな歴史を背景に、指導者の方々が熱心に指導された賜物といえましょう。

 まず、Jリーガーを大量に送り出した手腕ということで、彼らに最も近い高校チームの監督さんにうかがいます。全国で勝つより県内で勝つほうが難しいといわれる環境の中で、年間を通して指導し、大会を勝ち抜いていくにはプレッシャーがきつく、監督さん同士でしのぎを削ることもあると思いますが…?

 

(井田)私が高校サッカーの世界に入ったのは23年前(注・1971年)でした。当時は藤枝東の名将長池実先生をはじめ、美和利幸先生(浜名高)、勝沢要先生(清水東)といったみなさんが非常に熱心にやっておられ、藤枝東は見事全国制覇を果たしました。

 長池先生はヨーロピアンスタイルのパスをつなぐ組織プレーを日本で最初に高校サッカーに取り入れた。美和先生はイングランドスタイルの走りまくるパワーサッカー。勝沢先生は外側からえぐる勝負強いスタイル。みなさんそれぞれ独自のスタイルを持っておられた。他県では一県に一人ぐらいしかいませんでしたが、静岡には独自スタイルを持つ監督が大勢いましたね。そんな中に飛び込んで、最初はまったく歯が立たなかったのですが、なんとか自分らしいサッカーをやりたいと思いました。

 

(加藤)東京五輪やメキシコ五輪で活躍した山口、富沢といった選手は、長池先生の教え子でしたね。

 

(井田)とにかく当時は藤枝東の強さがずば抜けていた。長池先生が来る前から藤枝にはその素地があったと思いますよ。中学でも藤枝中学が県内では抜群に強かった。同じ藤枝地区では、西益津中、静岡市では城内中、清水市では袖師中、浜松では西部中学が強かった。そのあたりがサッカー王国の歩みを語るスタートになるんじゃないかな。

 

(前嶋)僕は焼津の出身ですが、中学時代は藤枝中にさんざんいじめられました。高校は藤枝東に行きたくてもレギュラーになれないだろうから、静岡や清水に行って藤枝東のエリートたちを見返そうと思った。

 

(古川)確かに僕らがサッカーを始めた頃の藤枝の力は絶大でしたね。教員になって清水に戻った時、2番3番じゃダメだ、藤枝を抜いて一番にならなきゃと思いましたが、やっぱりサッカーは11人のチームプレー。1人や2人うまい子がいたって無理なんですね。そこで清水では、清水FCという選抜スタイルを組み、藤枝コンプレックスを取り除くことから始めた。選抜のレベルを上げたことが、結果的に清水全体の底上げにつながったんじゃないでしょうか。

 

(加藤)藤枝の近代的なサッカーを、束になってやっつけようという気概が清水にはありましたね。清水FCには小学生から育てようとトレーニングセンター制度に真っ先に力を入れました。

 

(前嶋)自分の中学(焼津・豊田中)のころを考えると、藤枝周辺の中学の指導者に与えた長池先生の影響というのはすごかったと思います。僕は清水の高校へ進んで初めてリフティングを覚えたんですよ。今なら小学3年生でやるようなことです。清水の場合は、だから小学生から力を入れなきゃいかん!というわけで、ちょうど望月達、後藤、反町あたりの世代から小学生の基礎づくりを始めた。そこから生まれたイイものとイイものが重なれば、もっとイイものが生まれるだろうというのが清水FCの考えでした。これが小・中・高・社会人へと広がったんだと思います。

 

(加藤)藤枝ではテクニック重視の考えが今も続いています。テクニックといえば井田さんの指導が挙げられますが、やはり藤枝への対抗意識があったのですか?

 

(井田)とにかく長池先生をはじめ、すごい指導者がいたから、自分はもっと違った新しさを追求したかった。その中で70年代のブラジルのサッカーが日本人に合うのではないかと考えた。最初は先輩指導者に追いつけ追い越せでしたが、他人と同じことをやっていてはいつまでも追いつけないから、人と違うことをやろうと思いました。

 

(長谷川)僕らが高校生の頃は、日本代表の半数を藤枝出身者で占めようというのが目標でした。今は県出身者で実現させた。でもこれからはどうでしょうか。

 今後の問題は、第一に指導者育成です。長池先生が僕らのお手本だったように、僕らが今の若手のお手本になれるかどうか。それがダメなら世界から優秀な指導者を呼ぶという方法もあるでしょう。

 指導の世界も日本だけでなく、世界のレベルで考えなければならない時代です。静岡がそのあたりを柔軟に考え、率先してやるべきでしょうね。ハッキリ言って現場でモノを考える力は、日本のトップより静岡の指導者のほうが上だと思うんですよ。

(つづく)


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