杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

シズオカ文化クラブ5月定例会1~宝台院見学

2010-05-19 14:05:55 | 歴史

 17日(月)夜はシズオカ文化クラブの定例会で、静岡とゆかりの深い今川氏について勉強しました。講師は民俗学者で静岡産業大学教授の中村羊一郎先生。有名武将の戦歴をたどる歴史学というよりも、民俗学の視点から、地域土着の民の生き方を通して戦国時代の実情を読み解く大変興味深い内容でした。

 

 

 

 講座の前に、葵区常磐町にある宝台院の見学会がありました。歴史ファンなImgp2367 らおなじみ、徳川家康の側室で2代将軍秀忠の生母・お愛の方(西郷局)の菩提寺。寺はもともと浄土宗「龍泉寺」という名で鎌倉時代に現在の静岡市葵区柚木あたりに建てられ、家康が駿府入りをして間もなく糟糠の妻だったお愛の方が37歳で亡くなると、この寺に葬られました。

 息子秀忠は、母の菩提寺としてふさわしい寺にしようと、慶長9年に紺屋町に移し、寛永5年に常磐町へ大伽藍を建てました。このとき、お愛の方へ“宝台院殿一品大夫人”の謚号が送られたことから、宝台院と呼ぶようになったそうです。

 

 

 

 当時の大伽藍は、二条城と同じ大工集団の手による傑出した建造物で、江戸増上寺とならぶ徳川家当用菩提寺としての格式があり、最後の将軍慶喜が駿府へ蟄居した際、ここで1年間謹慎生活を送りました。その後移り住んだ旧代官屋敷(現在の浮月楼)は寺のすぐ隣に位置していたといいますから、宝台院がいかに大きかったかがわかります。なんでも常磐町に建てられた当時は9700余坪あったとか。常磐町のとなり町・西門町は、その名の通り、宝台院の西門があった場所でした。

 

 

 昭和初期までは静岡を代表する国宝級の名刹として、また初詣やお祭り等で庶民にも大いに親しまれていたそうですが、昭和5年の静岡大火でほとんどが焼けてしまい、復興した諸堂も昭和20年の静岡空襲で焼失。二条城に匹敵する国宝級大伽藍の面影は、古い写真の中でしか見ることができなくなりました。

 

 

Imgp2369  現在の鉄筋3階建ての宝台院は、昭和45年に建てられたもの。2階の本堂には、快慶作の白本尊阿弥陀如来像が安置されています。金箔の裏に白い樹粉が塗られてあったことから“白本尊”と呼ばれるようになったそうで、増上寺には煤色の“黒本尊”が祀られています。なんでもこの白本尊の耳の後ろには矢の傷が残っていて、戦乱のさ中、家康公の身代わりになったということで重宝されているそうです。

 

 

 

 3階は宝物館。家康公の真筆御影像、家康公が父から譲り受けた刀剣、手習いの書、三代将軍家光の絵画や書など、博物館蔵レベルのお宝がズラリと並んでいます。静岡市街地にあって拝観料200円を払えばいつでも見られるのに、じっくり見学するのは初めて・・・。歴史好きを自認する身としては、ちょっと恥ずかしかったです。

 来年のNHK大河ドラマは確か秀忠夫人お江が主人公のはずですから、少しはクローズアップされるのかな?

 

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 宝台院の境内の片隅に、キリシタン灯篭があります。秀吉の朝鮮侵攻の折、小西行長が朝鮮半島から拉致し、のちに家康公のお気に入り侍女となったジュリアおたあが建てたもの。キリシタンだった彼女は、信仰に殉じて島流しとなり、伊豆神津島で亡くなるのですが、徳川の正当な菩提寺である宝台院にキリシタン灯篭が残っている理由はよくわからないそうです。

…なんだかダヴィンチコードみたいな歴史推理サスペンスが書けそうですね!

 

 

 

 長くなったので、中村先生の講演は次回へ。


映像作家が伝える北朝鮮とビルマ

2010-05-17 12:44:52 | 映画

 昨日(16日)は夕方から、昨年『吟醸王国しずおかパイロット版試写&トーク』でお世話になった羽田エクセルホテル東急で、ちょっとした補足撮影をさせていただくために上京しました。せっかくだからと、日中は渋谷で映画を2本はしごしました。この2本、同時に観れたのが奇跡と思えるほど深く見応えのある作品たちでした。

 

 

 

 

 1本目は韓国映画『クロッシング』。北朝鮮の貧しい炭鉱の町で暮らす家族の過酷な運命を描いた作品です。テレビの情報番組で、ジャーナリストから「これほどリアルに北朝鮮の現況と、脱北者家族の悲劇を描けたのは奇跡だ」と絶賛され、拉致被害者家族の横田夫妻なども観賞したと紹介され、しかも監督は北朝鮮問題の専門家ではなく、日本の漫画を原作にした『彼岸島』を撮った若いエンターテイメント系のクリエーターだと知って、どんな取材やリサーチをしたのか興味を持ちました。

 

 

 

 ストーリーは、北朝鮮の貧しい炭鉱夫が、結核に冒された妻の薬を入手するため、決死の覚悟で中国に密入国し、中国の公安警察に追われ、ドイツ大使館に駆け込んで脱北者支援団体の助けで韓国へ渡る。その間、残された妻と一人息子には悲惨な運命が待ちうける・・・というもの。主人公は過酷な運命に立ち向かうヒーローでもなく、父の帰りを待ちわびる息子に奇跡が起きるわけでもなく、北朝鮮の“ありふれた日常”を切り取った物語、かもしれません。

 

 北朝鮮問題専門のジャーナリストが、「自分が取材した光景とうりふたつ」と唸るほどの映像は、企画から完成まで4年がかりで脱北者を取材し、実際の脱北経路をリサーチしたとか。韓流ドラマ『星に願いを』のチャ・インピョを主演に迎えたドラマパートは、台本どおりに撮ったとしても、北朝鮮の炭鉱町の風景、闇市場で残飯を乞う子どもたち、強制収容所の描写など、物語の舞台や背景を創り上げるまでは大変な労力が要っただろうと思います。

 私たちが観ると、その舞台背景は「これが21世紀のアジアに実在するのか」と目をそむけたくなりますが、北朝鮮では“ありふれた日常風景”なんだということが、しっかり伝わる映像です。監督をはじめスタッフは、実際の取材を通して、「足し引きせず、あるがままを正しく伝えよう」と実感されたのではないかと思います。

 

 

 リアルな舞台設定をきちんと構築した上で、主人公のドラマをしっかり描くから、映画作品として国籍問わず多くの人々の心を揺さぶることができる。ときには観る者が共鳴できるエモーショナルな味付けも必要です。そのあたりの匙加減が、プロの映像作家の腕の見せ所なんでしょうね。監督の意図はズバリ的中し、久しぶりに映画で何度もボロ泣きしてしまいました。

 

 

 

 

 

 2本目は、2007年9月のビルマ反政府運動を記録したドキュメンタリー『ビルマvj~消された革命』。ノルウェーに本部を置く「ビルマ民主の声」というジャーナリスト集団が、2000人の僧侶と10万人の市民がデモ行進し、政府に弾圧された一部始終(ジャーナリスト長井健司さんが至近距離から射殺された決定的シーンなど)を命がけで潜伏撮影した映像を、デンマークの映画監督が再構築した作品です。

 

 映像はハンディカメラや携帯動画で撮ったもので、秘密警察に見つかりそうになり、電源onのまま慌てて服やカバンの中に隠し、かろうじて音声だけ録れた、というパートも。映像作家が創り上げた『クロッシング』とは対照的ですが、独裁国家のリアルを伝えようとするvj=ビデオジャーナリズムの真髄を見せてくれました。

 

 

 身の安全のため隣国タイの国境の町でホストコンピュータを管理する編集局長“ジョシュア“(仮名)のもとへ、各地で取材活動をする同志から緊迫した電話が入ります。

 

 

 ジョシュアが電話を受けるシーンや彼の“心の声”は、おそらくデンマーク人監督の演出が入っていると思われますが、僧侶が行進を始め、後に続く市民が次第に増えて行き、やがて町中にシュプレヒコールが響く様子に、撮影中の同志が電話で感動と興奮を伝えるシーンや、やがて軍や警察が実力行使に出て流血の惨事となる様子に「・・・もう(撮るのが)耐えられない」とふるえる同志の電話の声が、実際の映像に重なり、胸に強く迫ってきます。思わず、ドキュメンタリーには映像と音声のミックスが重要なんだ、と、制作者目線で見入ってしまいました。

 

 

 

 ビルマは、亡くなった祖父が戦時中に送られた戦地で、一度訪れてみたいと思っていましたが、“ミャンマー”になってしまってからはその機会もなくなりました。若い仏教徒たちが非暴力を盾に素足と袈裟姿で行進する様子、軍や警察に暴行を受ける様子、河に袈裟姿の死体が放置されているシーンは涙なしでは見られませんでした。・・・京都や奈良で呑気に仏像巡りができる自分は、日本に生まれて本当にラッキーだったと思うしかありません。

 

 

 

 私自身は、この先も出来る限り活字の世界で生きて行きたいと思っていますが、素人が動画を撮って気軽にネット投稿できる時代になったからこそ、ビデオジャーナリストの役割というのは、逆に大きな意味を持つと思っています。

 この作品は今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされ、受賞は、例のイルカ漁隠し撮りの『ザ・コーブ』に獲られましたが、ビデオジャーナリストの存在価値を知らしめたこの作品は、ドキュメンタリーという映像分野の価値そのものも再認識させてくれたのではないでしょうか。ドキュメンタリー作家以上に、独裁国家の内部でビデオジャーナリズムが機能する価値と重みが深く理解できる人はいないはずですから。

 

 

 

 

 

 とにもかくにも、映画というメディアがこの世に存在してよかった、と心から思えた2本でした。

 

 

 


酒袋の長い旅

2010-05-14 23:36:24 | 吟醸王国しずおか

 12~13日と、『吟醸王国しずおか』の撮影で、「喜久醉」青島酒造を訪ねました。

 12日は、今期の造りがひと段落した時点での、杜氏&蔵人の打ち上げ会。ホントはひと月前に予定していたのですが、蔵人の一人が急病で全員揃わず、仕切り直しをしてもらいました。

 

 場所は、蔵のご近所の中華料理屋さん。特別こだわりの店というわけではなく、昔っから蔵のみなさんがフツウにご飯を食べに行っているお店で、ギョーザやスブタに生ビールと、ほんとに普段通りにくつろいでもらっちゃいました。

 

Dsc00017  さすがに「喜久醉」がないとカッコが悪いと、お店の許可をいただいて試飲用に持ち込ませてもらいましたが、造りが終わってホッとくつろぐ素の表情をとらえたのは、やっぱり普段通りにビールをがぶ飲みしているとき。「喜久醉」を呑むと、お仕事モードに戻されちゃうんでしょうね。

・・・試飲の結果が気になりながらも、今日はカタイ話は抜きで呑もうとハッパをかけている青島さんには、工事現場の親方みたいな逞しさがありました。

 

 

 

 13日は、機械搾りの酒袋(こちらの過去記事を参照してください)の最後の洗いと天日干し。お天気に恵まれ、真っ白な酒袋が青空のもと、気持ち良さそうに風に揺られてました。

・・・私、日常生活の中でも、洗濯物が青空のもとで清々と干されている光景が何より好きなんですねぇ。洗濯物を干すときは、何をどこの位置にどんな順番で吊るそうか真剣に考える。料理をするときも、どんな手順で作るのが効率よく全品同時に仕上がるか考えるのが、家の中でのささやかなストレス解消です。

 

 我が家の小さなベランダで窮屈そうに吊るされる洗濯物と違って、広々とした干場で、大きくて真っ白な酒袋が5月の薫風にそよぐ姿って、たまらなくイイ! ほぼ1カ月、毎日水だけで洗い絞りを繰り返すなんて、エラく効率の悪い作業のように思えますが、大変な思いをして育てた酒のもろみを、最後の最後、清酒と酒粕に仕分ける大事な袋です。手間を省こうなんて考えたら、酒の神様にしっぺ返しをくらうでしょうね。

201005131111171  

 長い長い洗い作業からようやく解放された酒袋は、こいのぼりのようにホントに気持ち良く泳いでいました。

 

 

 

 『吟醸王国しずおか』の撮影の旅も、ひとまずフィニッシュを迎えますが、映画作りは、撮影のあとの編集加工作業が、真の産みの苦しみです。自主制作で資金繰りが苦しく、撮影はしたものの世に出られない作品が世の中にはごまんとある、と聞いています。

 『吟醸王国しずおか』の旅路の果ては、ちゃんと扉が開くのか、その先は晴天か豪雨なのか、どっちに転ぶかわかりませんが、少なくとも、効率を考えて手間を省こうなんて考えたら、被写体になってくれた蔵元に顔向けできない、ということだけは解っています。

 

 丁寧に洗われた酒袋は、今秋の造りが始まる前に、再び長い長い洗い作業を経て、次の搾りのときを待ちます。この酒袋が現場に復帰するとき、映画が世に送り出されているとよいのですが・・・。


HP連載『朝鮮通信使から吟醸王国しずおかへ』スタート

2010-05-12 11:49:45 | 吟醸王国しずおか

 私が20数年の地酒取材の集大成として取り組んでいるドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』は、とりあえず、本日(12日)夜の青島酒造蔵人打ち上げ会をもって、撮影にピリオドを打ちます。

 

 

 思えば、ちょうど3年前の2007年5月、静岡市が製作した映像作品『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』が完成し、その直後に、朝鮮通信使の監督だった山本起也さんとカメラマンの成岡正之さんに、自分が長年取り組んできた地酒のドキュメンタリーを映像化したいという夢を打ち明け、相談に乗ってもらったことから、プロジェクトはスタートしました。

 

 

 映画の作り方などまったく知らない素人が、よくそんな大胆な事を…と、我ながら呆れてしまいますが、当時は、朝鮮通信使の制作に関わって、未経験の大きな仕事を経験したことへの興奮と手応えが、どこか妙な使命感―映像化は、長年地酒を取材してきた自分に与えられた使命かもしれない―に変貌し、自分を駆り立てたのでした。

 その後の経緯は、当ブログのカテゴリー『吟醸王国しずおか』をご覧いただくとして、本日(12日)から、吟醸王国しずおかホームページの成岡正之さんコーナー『映像世界の杜氏を目指して』で、朝鮮通信使の制作秘話がスタートします。

 

 このコーナーは、映像カメラマン成岡さんの波乱万丈の半生を私が聞き書きしたもので、第1部ではカメラマンとして独り立ちするまで、第2部では映像制作会社の経営について綴ってきました。

 

 そして第3部「朝鮮通信使から吟醸王国しずおかへ」で、私も間近に接してきたカメラマン成岡正之のプロの技と、成岡さんから見た映画監督山本起也のスキルの高さ、映画作りの現場の実態などを、それこそドキュメンタリータッチで綴ってまいります。

 

Img_2587  成岡さん(写真奥)も山本監督(写真手前)も、大きな組織からスピンアウトし、クリエーターたる生き方を貫こうとして、あちこちで衝突を繰り返しながらも、『朝鮮通信使』の厳しい制作現場では、プロのスキルをしっかり発揮しました。

 ・・・なんて素人の私がエラそうに言うのもおこがましい話ですが、私も組織に属さず、自分のライフワークを愚直に追い続けているので、こういうプロたちとのセッションが自分を大いに向上させ、吟醸王国しずおかという作品づくりへ導いてくれたと思っています。

 

 今日から始まった『映像世界の杜氏を目指して第3部~朝鮮通信使から吟醸王国しずおかへ』は、そんな彼らへの敬意と感謝の結晶です。ぜひご覧くださいませ!


アットエス再開&松井妙子先生個展のお知らせ

2010-05-11 14:09:02 | アート・文化

 かねてよりお知らせしたとおり、静岡新聞の総合情報サイトアットエスの連載コーナー『静岡の地酒が飲める店』、本日5月11日よりリスタートいたしました。

 

 再開第1弾は、このところ吟醸王国しずおか映像製作委員会でもお世話になっている静岡市呉服町の『MANDO』です。3月にオープンしたばかりですが、私の周りの酒呑みにはすっかり馴染みの店。とはいえ、私が原稿を送るまで情報通のアットエス編集部のスタッフでも知らなかったみたいで、酒呑み以外に知らしめる価値は大いにアリ!と実感した次第です。

  

 同コーナーでは、静岡県内の飲食店(ジャンルは問わず)で静岡の地酒が飲める店を月2軒ペースで紹介していきます。基本的に、静岡の酒を、ただメニューに書いて置くだけでなく、店主が愛情を持ってきちんと語ってくれる店を発掘していきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

 先日も、酒の会でご一緒した白隠正宗の高嶋さんから「あのコーナーを頼りにしてますから」と嬉しいエールをもらいました。蔵元さんも楽しみに読んでくれているなんてウレシイ限り! 高嶋さんご推薦の沼津・三島近辺のお店も、今後続々と紹介していきます。自薦他薦、大歓迎です。みなさまからの情報もお待ちしています!

 

 

 

 

 お知らせがもう一つ。毎年5月GW明けに恒例となった、松坂屋静岡店での『松井妙子染色画展』が、明日12日(水)から18日(火)まで開催されます。こ1005 のところ、当ブログに松井先生のお名前で検索される方が増えているので、個展情報を楽しみに待っておられる方がいるんだなぁ~と、私もファンの端くれとして嬉しく思います。

 

 過去ブログでも紹介のとおり、松井先生の個展は、初日の開店前から、お正月の福袋待ちの行列みたいに並んで待つ人がいて、開店と同時に会場の6階美術画廊まで猛ダッシュしなければ、お目当ての作品は買えません。毎年悔しい思いをした人が翌年こそは、と満を持して待機しますので、心してお越しください(苦笑)。

 

 

 自分が好きでただ一生懸命に追いかけているものが、他の誰かから期待されていると知った時の喜びややりがい・・・松井先生も、“初日猛ダッシュ”のお客様を迎えるたびに実感されていると思います。松井ファンのお客様から、松井作品を手にすることは自分へのご褒美だと聞いたことがあります。そんな存在になれるなんて作家冥利に尽きるお話ですね!

 

 

 私も、はるかレベルは下ですが、マユミさんの地酒情報は頼りになる、楽しみにしている、と言われ続けるよう、心新たに頑張りたいと思っています。アットエス『静岡の酒が飲める店』、どうぞごひいきに!