杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

一生修行・臨終卒業

2011-07-22 13:23:55 | ニュービジネス協議会

 16日(土)は午前中に御前崎総合病院ひまわりコンサートを観た後、浜松に向かい、浜松福祉交流センターで開かれたアクティブシニアネットの100回記念月例会を取材しました。

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 講師は㈱高齢社の上田研二会長。社名のとおり、60歳以上を対象にした人材派遣会社で、上田会長ご自身、1938年生まれのバリバリシニア。2000年1月の会社設立ですから、シニアによるシニアのための起業だったわけです。しかもご自身は長年、パーキンソン病を患い、手足が思うように動かず、言葉もスムーズに出ないという状態にもかかわらず、事業意欲マンマン、艶話もお好きで巧みな話術で湧かせてくれました。・・・午前中は子どもたちの歌声に癒され、午後はシニアに“カツ”を入れられ、人生いろいろだ~としみじみ

 

 

 上田氏は高校卒業後、東京ガスに検針員として入社し、社内試験を受けて事務職に就いたものの、ご自身曰く「遅刻やポカ休の常習犯で、競馬・パチンコ・マージャンにのめり込んだ問題社員」時代が続いたそう。そんなとき懐の深い上司と出会い、仕事で自分の提案が受け入れられたことをきっかけに発奮。東京ガス外販店グループに異動し、160店ほどの店舗を管理する中、問題ある販売店は99%経営者に責任があることを実感して「あなたが変われば会社が変わる」と熱血指導されました。

 その後、ガスター(給湯メーカー)専務取締役本部長、東京器工(協力企業)代表取締役社長を務め、大事にするのは①社員と協力企業、②顧客、③株主の順という「人本主義」と、経営内容のオープン化・社員への利益還元を貫いて、見事、借金体質から脱却させました。

 

 

 そんな上田氏、早くから自分自身を含めて定年後の人生に生きがい・働きがい・仲間との付き合いの場を提供したいという思いを持っていました。熱血指導で人本主義の経営をされてきた人なら想像できますね。

 

 アメリカンスタイルの株主第一主義は間違っていると考え、定年後は人本主義に基づいた会社を作りたい。少子高齢化時代が予測される中で豊富な経験を持つ高齢者が必ず必要とされる。ならば、定年を迎えた人たちのワークライフバランスを、ワークシェアリングしながら年金併用型で働いてもらうことで実現したいと、シニアの人材派遣会社=㈱高齢社を設立されたのです。

 

 

 

 設立時の2000年当時は“ハケン”がクローズアップされていましたが、「シニアのハケンなんてうまくいくわけがない」「自治体のシルバー人材センターとどう違うんだ」とさんざん言われたとか。上田氏は原則として年金併用型の給与で月8万円から10万円を稼いでもらおうと、働きやすく、アットホームな会社づくりに努め、派遣業と謳う以上は登録社員の就労率7割以上の維持・確保に尽力しました。

 

 自身の行動指針を、

①争臣を置く、耳を傾ける(直言してくれる部下を大切にする)。

 

②本田宗一郎氏のよき経営者3条件(約束を守る/人に好かれる/相手にももうけさせる)を見習う。

 

③公私混同しない。

 

④「自分の会社に人材はいない」は経営者の恥。部下の長所をよく見て学びとれ。

 

⑤業績不振の原因は社内にある。けっして景気のせいにしない。

 とし、人本主義を実践し、2003年は登録社員80人・売上高3500万円だったのが、2010年には社員483人・売上高4億2700万円超に。坂本光司先生(法政大学大学院教授)の近著『ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社』でも紹介されました。「入社資格は、登録時に60歳以上75歳未満であること。定年はなし。自然消滅するから(笑)」とし、本社スタッフには今年初めて、「若者の就職難を放っておくわけにはいかない」と、四大卒の女性を1人採用したそうです。

 

 

 73歳の今も「新しい会社を作る計画がある」と意気軒昂の上田氏。「過去から今をみれば、今の自分が一番年寄りだが、未来から今を見たら、今が一番若い。だからこそ今日一日をつねに大切にし、つねに青春の心を持ち続け、自分の置かれた立場で精一杯社会に貢献できる人間でありたいと思う」と力強く〆てくださいました。

 生涯を通して「今が青春」と思い続け、生き切って、臨終のときが「卒業」と言える、そんな人生を送れたら幸せでしょうね。


ひまわりと風車

2011-07-21 09:51:50 | 環境問題

 16日(土)、市立御前崎総合病院で、ひまわり摘み&コンサートが開かれ、御前崎少年少女合唱団の子どもたちがひまわり畑で愛らしい美声を披露してくれました(こちらをご参照ください)。

 

 

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 同病院の職員有志のみなさんで結成された「御前崎総合病院花の会」が、中央棟2階屋上で屋上緑化&温暖化対策、そして入院患者さんの心のケアに作った花畑。春は菜の花、夏はひまわり、秋はコスモスを咲かせ、満開のタイミングを見計らって花畑コンサートを開いています。

 この日は満開の一歩手前という感じでしたが、快晴の花畑は、青空&病院の白壁&遠目に見える風力発電機の白い羽、そしてひまわりイエロー&葉っぱのグリーンという色彩のコントラストがそれは見事でした。

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 合唱団の子どもたちは鮮やかなピンク色のユニフォーム。日照りのもとで汗だくになりながらも、一生懸命歌ってくれました。

 

 途中、子どもたちが車いすの観客の中に入って、みんなで「ふるさと」を歌った時は、「よくある演出だな」と思いながらも、やっぱりジーンとしてしまいました。自宅を離れ、長期入院されている方は、どんな思いで「ふるさと」を歌っているんだろうと切なくなってしまいます。

 

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 病院の眼と鼻の先には、浜岡原発があり、原発施設から西に向かって、風力発電の白い羽が何機も立っています。ひまわりの花を撮ろうとしたら、ちょうどアングル的に、ひまわりの背景に白い風車が入り込むんですね(この写真では小さすぎて見え辛いですが、奥の緑の木立の真ん中に立っています)。

 ひまわりの花と風車だけを切り取ってみたら、安心安全でエコな風景の象徴みたいに思えるけど、その真横に原発があるのが現実です。

 

 

 

 御前崎病院花の会の代表・塚本隆男さんは、放射線技師として福島にボランティアに行き、ご遺体の放射線量検査と除染作業のサポートをされてきたそうです。・・・あまり多くは語られませんでしたが、それは想像を絶する辛い作業だったと思います。

 原発施設のある町で医療に携わる塚本さんが、こうして花畑を育てて、患者や住民の方々に開放し続ける活動の価値を、あらためて噛みしめました。

 

ひまわりや菜の花を咲かせる運動、病院内だけじゃなくって、御前崎市全域でやってほしいな・・・!


小里貞利氏講演「大震災における政治のリーダーシップ」

2011-07-19 11:33:22 | 国際・政治

 こちらの記事でもご案内したとおり、7月14日(木)夜、ホテルアソシア静岡で、阪神淡路大震災時の震災担当大臣・小里貞利氏の講演会が開かれました。昭和5年生まれの小里氏、猛暑の中、お住まいのある鹿児島から空路、東京入りし、六本木にある個人事務所でお仕事をこなされ、夕方、新幹線で静岡へ。講演後は東京へとんぼ帰りされました。・・・いやホント、政治家というのはタフでなければ務まらないんですねえ。

 

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 ご自身の口からも、「28歳で鹿児島県議会議員になってから、国会議員を引退するまで48年間、一日も休みは取らなかった」「今でも年賀のあいさつにはバイクに乗った自分の写真を使っている。バイク乗りのキャリアは日本一だと自負している」「馬も乗るし、競馬もやる。けっこうな荒馬も乗りこなせる自信がある」と後期高齢者(失礼!)とは思えない闊達な自己紹介。「底力のある馬はパドックを通るときからわかる。スタート直前も、非常に落ち着いているし、絶対にブレない。人を惹きつけるエネルギーを発信しているんですよ」と語ります。

 

 お話はそこから、ブレまくっている現政権の話題に入り、比較対象として、小里氏が震災担当大臣を務めた当時の政治情勢を解説されました。馬の話から入るなんて、政治家というのは話術の達人なんだなぁとしみじみ・・・。

 

 

 それはさておき、小里氏が大臣を拝命する前というのは、今以上に政治が混乱している時期でした。非自民・非共産の8党派が寄せ集まった細川政権が誕生し、小沢さんの糸引きで羽田さんにバトンタッチ。当時、小里氏は、下野した自民党の国会対策委員長を務めておられました。

 

 当時の自民党も、政権奪還を目標にあれこれ手を尽くし、社会党の村山党首を担ぎ出すという秘策に打って出ました。大政党である自民党が村山さんに「自分たちが支えるからやってくれ」と譲歩した。いくら政権奪取するためとはいえ、そこで党内がまとまったというのは、小里氏いわく「最後は、与党の混乱状態を長引かせたら、国家のためにならないとの思いが一致した。一度決めたら不思議と自然に、信頼や秩序が生まれた」そうです。

 

 

 そんなこんなで自民・社会・さきがけ3党で発足した村山政権が、いきなり直面したのが阪神淡路大震災でした。死者行方不明者6500人というのは、当時としては戦後最大の自然災害で、日本が戦後築き上げた文明の脆弱さを嫌が上でも見せつけられたわけです。

 

 村山政権で北海道・沖縄開発庁長官に就任した小里氏は、発生3日後の1月20日朝の閣議後に村山首相から「すべての権限を与えるから」と震災担当大臣を任命されます。就任後は、後藤田正晴氏や竹下登氏といった自民党の重鎮がこぞって支援・協力し、警察や自衛隊等の関係機関への報・連・相も徹底し、大阪府の横山ノック知事(当時)には「大臣の携帯に電話してもいつも話し中だ」とボヤかれたとか。

 

 

 「現場で動く実働部隊は、指示がしっかりしていればきちんと動く。公務員も、政治家が真剣に“汗をかいてくれ”“知恵を絞ってくれ”と言えば、真正面から取り組んでくれる。彼らが力を発揮できるしくみを作ることこそ政治の責任」と語る小里氏。氏が指揮した震災対策は後に「手堅く出来た」と評価を受けたようですが、その要因を、

①政官民の幅広いボランティア精神が醸成されたこと。

②官僚・役人の力を信頼し、大切にしたこと。

と振り返り、「オールジャパンで臨むというのは、こういうことだと実感できた」と語ります。

 

 

 ひるがえって、現政権は「政治主導・脱官僚」を旗頭にし、政・官関係があまり良好ではなかった状態の中で、3・11が発生した。非常時とはいえ、ただちに「オールジャパン」というわけにもいかず、官僚の中には現在の状況を非常に憂いて、自分なりに取り組もうと頑張っている人もいますが、現首相は「オレが、オレが」で自己中心で動き、専門委員会をいくつも作り、連日会議ばかりで、結局、具体的な現地対策や救済策が進まない。・・・確かに、今もテレビで予算委員会を聞きながら書いていますが、被災地に届くのはいつなんだと空しくなります。

 

 小里氏は、3・11の後、首相交代論が熱を帯びていたとき、「激流を渡る時、馬を乗り換えるのは得策ではない」と発言して批判を受けましたが、その後の状況を見て、「この馬に乗り続けていたら大変なことになる」と思い直したそうです。「今回の震災対策における政治の統治能力・とりまわし能力に、日本の命運がかかっている」と厳しい言葉で講演を締めくくられました。

 

 政治にしても、ビジネスにしても、チームスポーツで結果を残すにしても、組織を機能的に動かすことのできるリーダーの存在・資質が改めて、重く感じられます。リーダーは、キリストや聖徳太子みたいに神がかり的に生まれるものではなく、ある意味、社会が育て、社会が選ぶ存在であるならば、内側、外側、集団同士、いろいろな関係性の中で人とつながる根本的な意味を、今一度、考えてみる必要がありそうです。

 

 第三者ぶって評論家じみたことを言いっぱなしにするのは少々無責任だと思うので、私自身、今、新たに学びの場を作る準備をしています。また追ってお知らせします。


中日新聞掲載『描かれた富士』

2011-07-17 08:51:34 | アート・文化

 今日はまずお知らせから。

 明日(18日)21時から、SBS静岡放送(TBS系列)でオンエアされる月曜ゴールデン『西村京太郎サスペンス・探偵左文字進15』(水谷豊主演)は、長崎の造り酒屋が舞台となったドラマです。

 実は、今年の春頃、東京のドラマ制作会社から、酒造職人の作業や動作について参考にしたいと、『吟醸王国しずおか』HPに問合せがあり、パイロット版をお貸ししました。お役に立ったのかどうかわかりませんが、制作会社の方から丁寧なお礼状と、7月18日オンエアのご連絡をいただきましたので、視聴できる方はぜひご覧くださいまし!

 

 

 

 

 さて、昨日(16日)の中日新聞朝刊に、富士山特集第4弾が掲載されました。第2弾「富士山と信仰」、第3弾「富士山と百人一首」に続くシリーズです。

 世界文化遺産登録の推薦書が今月中にまとまり、いよいよユネスコに上申となります。一介のライターである自分には、こんな側面支援しかできませんが、富士山の歴史文化を知れば知るほど、なぜこの山が今まで世界遺産になれなかったのか不思議なくらいです。その要因は、自分も含め、「日本人自身がその価値を知らなかったこと」に尽きると思います。原稿を再掲しますので、中日新聞を購読されていない方はぜひご一読くださいまし!

 

 

 

描かれた富士~時代と国境を超え、世界のアートシーンを魅了した富士山<o:p></o:p>

  

 先月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界自然遺産に小笠原諸島、世界文化遺産に奥州平泉の史跡が登録され、改めて世界遺産への関心が高まった。富士山の世界文化遺産登録に向けた取り組みを進める静岡・山梨両県合同会議では、今月にも登録推薦書の最終原案をまとめ上げる。今回は、推薦書原案のポイントとして、「信仰」とともに富士山の文化的価値を示す「芸術」、とりわけ絵画のジャンルにスポットをあてる。<o:p></o:p>

 

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<o:p></o:p>法隆寺壁画から横山大観まで<o:p></o:p>

  絵画に描かれた富士山で現存する最も古い作品は、法隆寺東院絵殿の壁画『聖徳太子伝』(東京国立博物館蔵)といわれる。以降、『一遍聖絵』『遊行上人縁起絵』等、高僧の功績を伝える作品や、『伊勢物語』等、旅物語の世界観を描いた作品に登場する。

 江戸時代以降は、狩野探幽、円山応挙、池大雅、与謝蕪村、司馬江漢、谷文晁等、名だたる画家が独自の画風で描き、近代に入ると南画の富岡鉄斎、日本画の横山大観、洋画の梅原隆三郎等に引き継がれた。<o:p></o:p>

  自ら富士登山を経験した富岡鉄斎の六曲一双屏風『富士山図』は、眺める富士と登る富士の特徴を対照的に描き込んだ傑作として知られる。<o:p></o:p>

  横山大観の六曲一双屏風『群青富士』は、白雲を透かして輝く重厚な金地に、富士の群青、緑松、残雪の白の大胆な対比が魅力だ。大正時代のモダニズムをまとう秀作として、静岡県立美術館コレクションでも高い人気を誇る(画像はこちらを参照してください)。大観は生涯で一千五百点もの富士山図を残した。

 

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 富士山の“一やうならざる”を描いた『冨嶽三十六景』<o:p></o:p>

  さて、一般の人々が絵画に描かれた富士山と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、『冨嶽三十六景』『東海道五拾三次』等の浮世絵版画だろう。それらは明治以降、海外に紹介され、日本の象徴としてのイメージが広がり、さらに印象派や世紀末の芸術家に創造的刺激を与えた。<o:p></o:p>

  『冨嶽三十六景』は作者の葛飾飾北斎(1760~1849)の名を不動のものとした46枚の連作で、江戸後期の富士講(集団で富士山を登拝する)ブームを背景に、浮世絵風景画というジャンルを打ち立てた大ヒットシリーズ。北斎は続けて『富嶽百景』も発表している。<o:p></o:p>

  『冨嶽三十六景』の出版元、永寿堂は、このような広告コピーを作成している。<o:p></o:p>

 『冨嶽三十六景 前北斎為一翁画 (中略) 此絵は富士の形ちのその所によりて異なる事を示す 或いは七里ガ浜にて見るかたち 又は佃島より眺る景など総て一やうならざるを著し山水を習ふ者に便す 此ごとく追々彫刻すれば猶百にもあまるべし三十六に限るにあらず』<o:p></o:p>

  当時認識されていた富士見の名所のみならず、江戸市中や郊外、さらには相模、駿河、甲斐、信濃等の諸国から望む富士山の魅力を発掘せんことを“売り”にしているようだ。<o:p></o:p>

 

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 〈凱風快晴〉〈神奈川沖浪裏〉の魅力<o:p></o:p>

  46枚の中には、季節や気象変化によって表情を変化させる富士山の魅力にも迫っている。〈凱風快晴〉は夏の早朝、陽光を受けて山肌の溶岩大地が暗赤色に染まる“赤富士”の現象をとらえたもの。<o:p></o:p>

 〈神奈川沖浪裏〉は、小船が大波にさらされ、船のへりにしがみつく船頭と、巨大生物のように覆いかぶさる波頭と、遠方に小さく描かれた白富士の動と静の構図が見事である。富士山の浮世絵といえば、国内外問わず、まずこの2作を想起する人も多いだろう(画像はこちらを参照してください)。<o:p></o:p>

  静岡県立美術館の芳賀徹館長は、今年2月の『富士山の日記念世界文化遺産特別講演会』で2作にふれ、「それまで詩歌に詠まれた名所としての富士山ではなく、他の浮世絵とも違い、民衆の姿が出てこないまったく純粋な風景画。自然への新たな感覚の発見をした」と述べている。<o:p></o:p>

  北斎が確立した浮世絵風景画は、その後、歌川国芳、歌川広重ら多くの絵師に影響を与えた。<o:p></o:p>

 

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<o:p></o:p>“フジヤマ”に魅了された印象派<o:p></o:p>

  浮世絵は明治になって、林忠正ら日本人美術商の手によってヨーロッパに紹介され、印象派の画家に大きな影響を与えた。<o:p></o:p>

  世界文化遺産登録推薦書原案(11年3月作成分)に示された、『富士山らしき山が描かれている作品とモチーフになった日本の作品』を挙げてみると―<o:p></o:p>

 

◇タンギー親爺の肖像/ゴッホ→歌川広重『五十三次名所図会〈原〉』<o:p></o:p>

 

◇セルヴィス・ルソー(陶器セット)花器「富士山」ほか/ルソー→葛飾北斎『北斎漫画』初編ほか<o:p></o:p>

 

◇バカラ・クリスタル製造所/竹文花瓶→葛飾北斎『富嶽百景〈竹林の富士〉〈田面の不二〉』<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>このほか、直接富士山は描かれないが、浮世絵に影響を受けたと思われる作品は、ゴッホの『花咲く梅の木』『雨中の橋』『花魁』、マネの『〈牧神の午後〉の挿絵』、ドガの『たらい』『起床(パン屋の娘)』『出走前の競馬馬』『カフェ・コンセール「アンバサドゥール」で歌うベガ嬢』、モネの『舟遊び』『オリーブの木の習作』『サン=タドレスのテラス』、カミーユ・クローデルの『波(浴女たち)』ほか多数挙げられる。<o:p></o:p>

  中でもクロード・モネは画面構成や、『冨嶽三十六景』等の連作という発想に着想を得たとされる作品を続々発表した。彼は300点にも及ぶ浮世絵版画を収集し、自宅に日本風の庭園を作るなど「ジャポニスム」に深く心酔したことで知られる。またアンリ・リヴィエールは北斎にならってズバリ『エッフェル塔三十六景』という連作版画を制作した。<o:p></o:p>

  作曲家のドビュッシーも北斎に魅了された一人。交響詩『海』の楽譜初版本の表紙は、冨嶽三十六景〈神奈川沖浪裏〉の波濤をデザイン化している。<o:p></o:p>

 

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〈文化〉の称号にふさわしい奇跡の山<o:p></o:p>

  世界に美観を誇る山は数多あるが、富士山のように、国のシンボルとして信仰と芸術の対象になるような山は極めて珍しい。さらには、この山をはじめ、日本の風景や暮らしを描いた浮世絵が西洋の画家たちに「ジャポニスム」という芸術革命をもたらし、世界の近代絵画史に大きな足跡を残した。富士山という自然美が、時代を超え、国境を超え、人間の想像力と創作意欲の糧になったのだ。<o:p></o:p>

  今月中にまとまる世界文化遺産登録推薦書原案は、富士山が〈文化〉の称号にふさわしい奇跡の自然であるということを訴求するメッセージになるだろう。(文・鈴木真弓)<o:p></o:p>

 

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取材協力/静岡県世界遺産推進課<o:p></o:p>

 参考文献/○富士山~信仰と芸術の源(編/富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議、認定NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議)、○生誕250年記念展図録「北斎の富士~冨嶽三十六景と富嶽百景」(企画構成/山形美術館学芸課)<o:p></o:p>

 


大井川のお膝元でパイロット版上映

2011-07-15 21:22:43 | 吟醸王国しずおか

 7月14日(木)の午後、島田市田代にある『田代環境プラザ』で、大井川地域地下水利用対策協議会の定期総会が開かれ、総会後のお時間を頂戴して『吟醸王国しずおかパイロット版』の試写会を行いました。

 

 

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 『田代環境プラザ』というのは、島田市営の田代の郷温泉「伊太和里の湯」の手前にある島田市のゴミ処理施設付随のコミュニティ施設。国1バイパス向谷ICから川根方面に大井川沿いを北上し、建設中の第二東名の高架とクロスする手前を右手・山側に登っていきます。

 

 

 今年の春、中川根に取材に行った時、雪が残っていて道路も凍結していて、寒くて怖い思いをしたことがありました。帰り道に温泉の看板を見つけ、山奥の道をどんどん入っていくので、よけいに心細くなったんですが、温泉施設は新しくてとてもきれいで、お湯も素晴らしく、500円という入湯料にも大満足。島田にはいい施設があるなあと思いました。

 

 それはさておき、今回、視聴してくださった大井川地域地下水利用推進協議会は、映像の主な舞台となっている志太地域と対岸の牧之原市・吉田町を含めた大井川流域で、地下水を利用されているさまざまな企業・団体のみなさん約100人です。

 

 

 酒蔵と同じように、大井川の水の恩恵を受けていらっしゃる方々に、自分のつたない地酒体験や取材活動についてお話する日が来ようとは、20数年前に初めての酒蔵取材で志太地域の蔵を訪ねた時には想像もできませんでした。

・・・ご参加のみなさんにとっては、ちょうどお昼寝をしたくなる時間帯で、パイロット版のBGMがさぞ耳に心地よかったと思います(笑)が、
私自身は、この地でこの映像を見ていただけるという感激で胸一杯でした。

 

 

 

 もちろん、真剣に映像を見てくださった方も大勢いらっしゃいました。
終了後には「あの蔵はうちの近所で、つきあいがあるから、今度、同業者の集まりでぜひ上映会をやらせて」と声をかけてくださる経営者の方も。また「うちの息子が映っていた」と某蔵元の社員のお父さんが嬉しそうに声をかけてくださいました。ああ、地元だな~とほっこり温かくなりました

 会場をザッと見まわし、顔見知りや酒造関係者はいないと思って安心?して、過去の酒造業の課題や問題点などを、かなりストレートに話してしまったのですが、帰り際に「ごくろうさん」と青島秀夫社長(青島酒造)に声をかけられ、冷や汗をかいてしまいました 青島社長は「酒屋が水の勉強をするのは当たり前」と、毎年欠かさず総会に参加されているそうです。

 

 

 とにもかくにも、『吟醸王国しずおか』は、地域の水の恵みを誰よりも実感されているご当地の方々に、こうして少しずつでもご理解をいただき、真の意味で「地域発信型」の映像作品に育っていければと思います。

 

 ご清聴くださった大井川地域地下水利用対策協議会のみなさま、お声をかけてくださった島田市環境課のみなさま、本当にありがとうございました。

 

 

 なお、パイロット版の上映は、DVDの映写機器があれば、どこでもおうかがいしますので、お気軽にお声掛けくださいまし!吟醸王国HPのメールアドレスinfo@ginjyo-shizuoka.jp までお気軽にご連絡ください。