村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

438.絵を描いて褒められた老人の私

2017-07-26 17:19:01 | 趣味
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

出来た・出来ます

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その後外回りを整備し、自分でリフォーム工事など実施し、以前よりすっきりさせました

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  

お元気ですか?今年はひどく蒸し暑いですね,熱中症になりそうです
安曇川田中の家でも例年になく
 ・クーラー入れる
 ・除湿機入れる
 ・扇風機廻す
 ・一時間おきに水飲む
 ・外にはあまり出ずサイクリングも自粛
 ・家の中でストレッチや体操しています
 ※でも野菜は鈴なりだ

すでに何回かお話しましたように
1年半断り続けて来た絵画教室に今年通い始めて4回が終わりました

約60年続いた最悪のレベルから、短期間で脱出できた
家で自画像を描いてみたら、予想外に、すんなり描けたりしたのだ
何でだろ?あれだけ嫌がっていたのが嘘のような状況になっている

自画像を描いたこともあるが、ひどく全く似もしなかった苦い経験を思出す
人間特に顔は難しいが、
74歳の吾輩に”自画像をきちんと描く”という身近な目標を与えてくれた
絵描きを苦しむのでなく、じっくり樂しめばよい、他人の評価などどうでもよい

早速居間の模様替えをし、机の端に絵を描くための台を設置した
そうしたら「何と言うことでしょう」片隅アトリエが出現したではありませんか
ときどき、絵に向かうというしごく洒落たことが出来る部屋になったのだ
丁寧に鉛筆で描いた線を一つづつ見直し修正していく、のんびりした時間が流れる

さて話し変わって、キュウリが大豊作、あげてもあげても減らず困っている
採ると、ぞろぞろと出てきます、「もう出てくるな」と怒っていまいそう
ゴーヤも大豊作の予兆、小さいのが幾つも細い蔓に懸垂している
まあ、たまたま植た家の前の空き地が風水的に良かったせいもある

豊作貧乏でやつですかな、出来過ぎて困ってしまうという話(嬉しき悲鳴かな)
家の庭の屋根付きのトマトは出来よく、真っ赤な完熟が食べられ最高に美味い
「何をやってもお上手ですね」なんて言う人まで出てくる、正直嬉しい
生まれて以来始めてです、やっと褒められることが私にも出来たらしい?
でも、実は、空地の力・自然の力・肥料や太陽の力なんですがね

さて、話の方向を少し変えて、”褒められるというのは、良いことだ”という話
私も、人様のやっていることに、いちいち関心し褒めることが多い
正直、心の底から関心しているので、褒めているというより関心しているのだが

ここ当面、私の絵も予想外に褒められっぱなしだが
私が描いた絵を友達にみせて、「絵をやらないか?」と誘うほど
しかし答えは誰も同じように
「絶対にやらない」「村上さんは絵心があるが私にはない」と逃げ腰・へっぴり腰
困った人達だ、私が一年半横山さんに断り続けた同じフレーズを口にする
「あーこの人間どもめ」「体よく絵を描かない理由を述べたておるわい」
私のように、騙されたと思って、一回でも絵を描いてみれば、何のことはない

俳句くらいなら、どうやら、やらないこともないが、絵となると敷居が高いようだ
そんなことはない、こんな楽しいことはないのだ、「愚か者め」と言いたい
山暮しもさんざ勧めるが、山暮しのほうはもっと悲惨だ、誰もやろうとはしない
それにつけても、日本の義務教育は絵嫌いや○○嫌いを沢山量産してしまったようだ
そして褒められた、ごく一部の幸運な人が絵描きになったようだ

人は、最もしたいことをやろうとチャレンジしなくなり、やれそうな事だけをする
やれそうもないと思い込んだり、他人から言われるだけで、絶対にやらなくなる
やれそうなことだけする人生なんて、そんな人生はつまらん人生に違いないのだ
やれそうもないことを、勇気を持ってやってみると人間が一皮剥ける・一段上がるのだが

子供や生徒や部下に対して
「褒めて育てよ」と言うが、
「黙って育てろ、見て盗み」
「叱って育てろ」
まあ、いろいろですが、どうされていますか?

私も74歳、すでに褒められて有頂天になる年齢ではないが、
やはり、けなされるより褒められるほうが、人間は気分は良いので
会話上手の条件の大事な一つは、うまく褒めることだ
効果的に若者を褒めるには、それなりに経験と高等な技術が必要だ
矢鱈に褒めれば良いということではない
お中元やお歳暮みたいなもので、単なるお仕着せでは効果がない
安物や要らないものを貰っても嬉しくはないどころか迷惑なものだ
真心が篭っていないと伝わらない
見え見えの歯の浮くようなお世辞はいけないし、いい加減な褒め方も逆効果だ

もっとも上目線から言うのも逆効果だ
あくまで相手と同じ目線で優しく言ってあげ、手伝って支えてあげることだ

褒めるには、褒める人自身がまず、尊敬されるようでないといけないのは当然だ
”誰から褒められるか”褒められる人によってその効果はまるで違う
父親やそこらのおっさんから褒められても子供は大して嬉しくないかもしれない
褒められて嬉しい、感動を与えるほどの器量の人間でないと効果は少ない
何でもいいのだが、そういう意味で身近に子供を感動させる大人が減った

現代において、尊敬される人が身近にいるだろうか?いや、いない
身近に尊敬出来る人なんか99%いない、少なくとも私の感じでは、いない
尊敬されるということは人間の全部がそうでないと受け手は納得しない
立派なことを言うわりに、だらしない・いい加減・軽蔑に値する人では駄目だ・・・
全幅の信頼や尊敬がおける人がいない以上、限られた専門領域ならともかく
褒められても、感動し、おいそれと手放しで喜べない

私が絵描き教室に通っても、先輩の生徒さんからは、どちらかというとお世辞
先生は褒めてはくれるが、駄目出しも厳しい、でも嬉しい・楽しい・深い・ためになる
「良いは良い」「悪いは悪い」「なぜ」「こうしたらもっと良い」・・・を言ってくれる
もし、良いものがないのであれば、無理して褒めない
それが親切であり、真心というものだ、尊敬されていれば恨まれることなどない

くれぐれも、頭ごなしにけなすとか安易に叱り飛ばすのは厳禁
私にも京都の一流電子部品企業にいた頃経験したが、ひどい叱りや罵声や嫌がらせを受けたが
   死ね・首吊れ・辞表持って来い・そして数々の嫌がらせでしたね
一流企業の最高幹部クラスでも、そんな間違ったことを平気でするものである
また幼児虐待なども困ったことだが、尊敬できない自分勝手な親が増えているのだ
自分がどんだけ立派な人間と勘違いしているのだろうか?人には立派な人なんかいないのだ

人々の生き方を観ていると、私も含めて逆のことを願ったり、やったりしている

 ・厳しくされないと成長しないのに、厳しさを避けたり、嫌う
 ・苦しいことがないと成長しないのに、楽なほうを選ぼうとする
 ・失敗を多く経験しないと成長しないのに、ほうをとする
 ・貧乏を経験しないと脆くなるのに、金持ちのほうを選ぶ
 ・結婚し子供を作らないと成長しないのに、未婚・一人暮らしを選ぶ
 ・嫌なことを自ら進んでやらないと成長しないのに、他の人にやらせてしまう
 ・損しないと成長しないのに、得するほうを選ぶ
 ・叱られないと成長しないのに、叱られるのを避ける

褒めることも大事だが、的確かつ上手く叱ることも究めて大事なのだ
親も子供を叱らなくなった、その分会社では陰湿な部下苛めが増えているらしい
今74歳になってみると、こういうやり方は大間違いと分かってくる

良き師を持ち、褒められたり、厳しくされたり、そんな環境が最高だろう
自分は子供や生徒や後輩にとってそうなんだろうか?と反省する

ところで褒められると言っても、次のようなことは褒めないほうがよい
 ・金持ち羨ましい
 ・美人ねー
 ・格好いいね
 ・がんばるわねー
 ・ラッキーだったね
 ・頭いいね、成績いいね

こんな褒め言葉は本当の褒め言葉ではない、気休め、気まぐれだ
自分の努力の結果でないものを誇ってはならないし、褒められても価値がない

私は55歳以降「褒められよう」として何かをやることを戒めるようになった
というより
「他人のためにやってやる」「社会のために役立つ」と考えず、口に出しても言わない
大人は褒められることを期待しないが、子供や若者の成長を褒めることは大事だ
私の若い頃「下手・駄目」は致命傷だった、やる気を失った、くよくよ悩み続けた
一言、そしてそれが続くとやる気は完全になくなり、一生コンプレックスになってしまう

子供若者にとって、しかるべき大人からの褒め言葉は人生さえも大きく変えるもの
子供若者にとって、褒めらLことは栄養源・活力源だが
「最近褒められていますか?」老人も褒められることを諦めないで欲しいですね

しかし大人になってから、褒めらて有頂天になることはマイナスになる
褒められないようなことはすべきではないが、鼻つまみの老人は案外多い
老人になると、むしろ我が強く頑固になる人も案外多い

 ・自慢もしなければ、しょげることもない
 ・喜びもしなければ、悲しみもしない
 ・賞賛を求めないし、賞賛もしない
 ・期待もしなければ、落胆もしない
 ・威張りもしなければ、卑屈にもならない
 ・欲張りもしなければ、何でもやってみる
 ・わざわざ他人のためにやらなければ、淡々と何でもやる
 ・過度な楽しみや贅沢も求めないし、質素倹約も厭わない
 ・頑固に自己を主張しなければ、他人の主張は受入れる
 ・楽を求めなければ、苦も厭わない
普通・中庸・自然・合理・平然・温和・謙虚・

ところで
写真の画像を送って戴ければ、自画像にします
まだ絵は下手ですが、それなりに似せて描くくらいはできる
写真は左から光を当て、影がきれいになるように撮影下さい
あの世にも持っていけるかもしれませんよ
本音は、皆さん、ご自分で描くのが一番ということだ

たった絵を描くということから人間は大きく変わるもんです
たった山で暮すということから人間は大きく変わるもんです
たった一歩踏み出すことで人生は大きく変わるものです
もう歳だから、絵は苦手だから、恥かきたくないから、
これらは老いですよ、ある意味すでに死ですよ

自分は金持ちだから、美人だから、頭がいいから、強いから
絵なんか描かなくてもいい、山なんかに暮さなくていいと思ってはいないか?
描けるが描かないのなら許されるが、描くのが億劫なんてのは駄目
山暮し出来るのなら許されるが、山暮しが億劫なんてのは駄目

「出来ない」は人生の禁句なり、人生の負けなり、人生の恥なり
しかし、先輩や大人や先生が、くれぐれも、わざわざ
若い人に絵嫌いやあれこれコンプレックスを植え付けたりはしないように

部屋も整理整頓し、ストレッチ場とアトリエを設置しました


近所のお子さんが私の家の大きな手づくり郵便箱が欲しいというので
設計図に基づき、板材を切り出し、ネジで組み上げた
そして再度ネジを外してばらし、材料とネジや蝶番をセットにして
「組み立てて下さいと」部材一式を渡してあげました
お子さんが大工に親しむ良い方法だと思いませんか

ちなみに費用は材料だけで1300円程度です、郵便受けが小さくて困ってませんか?
近くの人でご希望ならば材料実費で作ってさしあげますので、どうぞ3日もあれば
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437.絵描き教室その2:絵具で色付け

2017-07-20 07:53:35 | 趣味
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テーマ:絵描き教室その2:絵具で色付け

絵嫌いの私のその後の4回目の絵描き教室の状況報告であります

皆さま、誰かからある日突然「絵を描きませんか?」と誘われたらどう答ますか?
 1)無理無理、絶対にやらない
 2)絵には全く興味ない
 3)忙しくてそんな余裕がない(実は忙しくないのだが)
 4)下手くそで恥ずかしいが、とりあえずやってみます
 5)ハイ、絵がやりたいです、絵を描きます

さあ、答えはどれですかね?
私はお誘いを受けた当初はお察しどおりノー:2)と3)でした
一年半たって、何かのきっかけで、嫌々ながら、しぶしぶ4)に
ほとんどの人の答えは1)2)3)でしょうが、一体何故なんでしょうね?
絵嫌いの人が多いのは・・・???
日本人には○○嫌いなんてのが沢山ありますが、絵はbest one

あれほど嫌々だった絵描き教室も早というか、遅いというか4回目
前回3回目に描いた靴と帽子のデッサンに色付けをするが、家で嫌々色付け
絵具や筆は買ったが絵の具の扱い方は全くわからない、まあ鬱陶しい
小学校~高校まで絵を勉強していたはずが、絵の具の使い方も全く分からない
日本の義務教育はすごくいい加減だったことに今更ながら気づかされる
英語同様に、沢山の絵嫌いを育てただけ

英語・絵描き・習字・文書書き・会話・プレゼンなど全く身についてない
歴史や地理や化学や物理なども大して役に立ってない
きちんと役立つように教えて来なかったのだ⇒役立つ教育への変革が必要だ
義務教育で、勉強好きにならずに、勉強嫌いになったものが多い、トホホ
最悪な教育にしては、戦後の日本人は頑張ったと思うが、なんとも残念だ

この歳で絵を描くことになったが、日本の義務教育の被害者の哀れな姿だ

教室3回と家での自習でデッサンは、どうやら初心者なりに描けるようになった
これは誠に意外で、デッサンは、すぐに、そこそこ描けるようになった
絵の具だけは、気が重い、というか絵描き教室を止めようかと悩む始末、憂鬱・・・
先輩の生徒さんが楽しそうに絵の具をつけていて、さすが、すごく上手い

私は、もう全然だめ、多分大半の大人が絵描きを躊躇う理由もここら辺にある
  ・まずは鉛筆描きのデッサン(構図と描く場所と方向)
  ・絵を習うのを拒否する最大の原因は絵具つけ
まず色出しが難しい、対象の物の色にあわせて絵具を混ぜて色を作ること
12色の絵具を絞ってそれらを混ぜて色をだすのだが、素人には全くわからない
先生や先輩はこともなげにパレットの上であれこれの絵具を手早く混ぜて行く
それが出来ない、経験と感性なんだろう、2~3年やれば出来るのだろうか?

まあ絵の具つけは2回目だが、何しろ私にとっては、難行苦行である
絵の具つけて教室に持っていくと、先生がいろいろ指摘してくれる
その指摘が的確なのにはびっくりするが、指摘された通り上手くはいかない
絵描きは、デッサンよりも絵の具付けがとてつもなく難しいのに気づかされる

①パレットの上で絵具を混ぜ合わせて色を作り出す
②大胆に紙の上に塗ってみる、駄目なら渇いてから何度も重ね塗りする
 (絵具も進化しているのか、実際に重ね塗りが可能なのだ)
③ちまちま塗るな、大胆に失敗を恐れず塗れ
④縁取りはするな、縁取りを意識して色付けするな
⑤物の質感を出せ、隣会う場所の色の違いを出せ
⑥平板に色つけしました的な説明的な絵にするな、
⑦背景は部分毎につけて行く、場所毎に違う、背景は単なる壁塗りではない
⑧影を大事にせよ、影によって微妙な質感も出てくる
⑨色付けで自分だけにしか描けない個性的な絵にしろ
⑩光も白や黄色を大胆につけろ、白は塗らない白と塗る白がある
⑪きれいに描こうとか仕上げようとするな、汚くなってもいいから大胆にトライせよ
⑫色を塗ったらその色や塗り方で良いのか、よくよく見直す
 ・絵を描くのは物や景色そのものを写し取るのではない
 ・正確に写真のように描くことではない
 ・しっかり描くことも大事だが真面目過ぎた絵は面白くない、
  遊び心や少し気を抜けくことも大事

こんなところが先生から戴いた助言でしたが、初心者には非常に参考になった
どうやら絵の具付けが出来ましたし、最悪だと思っていた絵について先生からは
始めて色付けしたのにしては、上出来とお褒め戴ました、「ホッッ」
まあ数日前まで今すぐにも止めようかなどと憂鬱に陥っていましたが
なんとあっさり、絵具付けの楽しさを知ってしまいました
ある意味、ひょっとして、私は絵描き下手ではないのかもしれませんな

パレットの上で絵具を混ぜて色を出すのも何となく少しだけ分かったようだ
私は絵心は全くありませんし、絵描きは正直嫌いで、60年くらいご無沙汰でしたが
是非皆さま絵描き教室に通おう、最初だけ我慢して始めれば何か得るものがある
出来れば私のような歳ではなくせいぜい60歳くらいで始められたらと思う
お茶・お花・楽器・カラオケも良いが、絵は、ずーっと良いよー
心も落ち着くし、禅僧や偉人が晩年、絵を描くのも合点が行く

物や景色をいい加減にしか観ていなかった、絵を描くとなると物の見方が深くなる
たかが絵描き、されど絵描き、すごく奥が深い、味わい深い趣味だ
趣味としては絵描きのような長い年月かかりそうな趣味を持つのもよい
その深みを少しでも分かると絵描きの楽しさが分かってくる
幼少時から幅の広い経験を重ねておくことが老後を価値を高めると考えている
 偉い禅僧のように、深み・味わい・ゆとり・が経験の浅い人と全く違ってくる

小中学校で絵を描いて良い悪いの評価をしていたのは、不味かったと思う
学校時代に「絵を褒められたことがない」他の人の絵は展示され表彰される
絵の上手い子供と比較してしまう、そういうことが6年も9年も続くと絵嫌いになる
いつしか「自分は絵が下手くそ、恥ずかしい」となってしまっていた
会話下手も同様に、会話下手だという強い意識が、会話しない人にしてしまう
その他何事も○○嫌いになってしまうことは、恐ろしいことだ・悲しいことだ
これを直すためにも会話や絵を習いませんか?なんなら私でも頼って下さい

ところが今度のことで、身近な人に絵描きを勧めるが100%Noだ
高齢者であろうと、日本人は元気、気力、素直さがなくなってしまいました
今はかく言う私も、数か月前まで、一年半、断り続けてきたのですがね
60・70歳の男性は我が可笑しくなるほど、同じ回答、同じ態度を示します
なぜ絵描きがこの歳の男に嫌われるのか?
「絵描きは専門家だけが描くもの、素人は手を出してはならない」みたいなこと
こんなにまで嫌われるには原因がありそうだ

 ・絶対に無理
 ・絶対に出来っこない
 ・絶対に嫌
 ・絶対にやらない

嫌われる、そういうものほど、実は、その人が本来やるべきことなのだ
  嫌=その人の弱点 ⇒ 弱点の克服=幸せに通じる

人は、頑固というか自分を信じないというか、とにかく、ひどく臆病者だ
今迄も普通の人が嫌がることをやってきた私だが、今度、更に私は確信を深めた
ナポレオン:「俺の辞書に不可能という文字はない」そのとおりだ
自分にとって、あれこれ不可能を引っ張り出して、挑戦してみよう
それこそ遠回りのようで、本物の人生への近道かもしれない

「貴方の辞書に不可能という文字が沢山ある」
「出来ない・出来ない」と思っていることは、自分にとってマイナス効果だけ
「出来ない」ではなく、とりあえず何でもやってみる、結果は問わない

 ・高齢化、老後には室外の趣味だけでなく室内での趣味も持っておく
 ・絵描きは、頭や手先を使う趣味も望ましい
 ・老後の趣味に若い時に苦手で、それを克復した勲章のような趣味を
 ・他の人があまりやらないが、やれば老人でも出来る趣味を持ち広める

74歳の村上にも出来たんだから、俺にも出来るはず、と考え方を変えるべきだ
何しろ思いきりが悪い日本人は「腹切ります、ご免」「バンジー」でないといけない
人に絵を教えてあげることも人付き合いを広くし、明るい老後に役立ちます

老人に一言
歳をとって、もうあの世が近いのだから、
自分で好きなことをあれこれやってみるのが一番
金もある時間もある能力もあるんですよ
チャレンジ、結果は問わない

年寄りに「絵描きませんか?」なんて普通は言ってくれない
「あの爺さんもうあの世が近そうだから、絵描きなんて勧めても無駄ね」
そうなるとテレビみて一日が経っていく 、テレビが唯一の親友の友達
いよいよあの世が総体的にぐぐぐっと近づいてくる
あと元気年齢・健康年齢10年くらい、お互いにあれこれやりましょう

やることは、ごろごろ沢山転がってます、少なくとも田舎にはね
絵描きは始めるまで長くかかったが、やってみるとなかなかのもんです
「絵は絶対にやらん」「死ぬまでやらん」「この歳で絵描いて恥さらしたくない」
そう言わんとやってみなはれ、近くに絵描き教室ありまへんか?
特に男性、さあー勇気をふるって通いましょう

高島市には毎月新旭駅前で絵描き教室やっていますからどうぞ
次回は8月2日午後1:30新旭公民館(駅前のビル)
スケッチブックB3程度、鉛筆2Bと4B各3本消しゴム毎回1000円
問い合わせ:0740-32-3022 横山みち子
     私でもいいですよ090-6750-7889村上和隆

デッサンの絵(初心者、幼稚絵描き、まあまあですか)


絵具付けた絵(どうやら色付けたが、全然なってませんがね)
でも楽しさを少し分かりかけたような出来です


ところでこんなのも描きましたが、自画像、まだまだ上手くは描けない
顔の微妙な影が再現できません、どうやったら出せるのか?
顔の場合は、他の静物と比べると、なかなか誤魔化せない
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ちょこっと、一休み1

2017-07-13 10:26:32 | 人生
金メダルは狙いません
金メダルなんかとれませんし
私のような普通男には、つらいだけ
銅メダルでも無理
勝ち負け・争いには参加しない
世の中の争い事:世界一とか金メダルとか14歳で18連勝?とか、勝手にやって

私には何の関心もないことであります
私には何の関係もないことであります
一体、一人の人間が金メダルを採ることに、どんな意味や価値があると言うのか?

何故、多くを犠牲にして、一つのことを我武者羅にやろうとするのか?
我慢せんで、もっとやりたいことあるだろうに?
人生はそんな風に使うべきなの?人生の無駄使いではないのか?
何故、金メダルが欲しいのか?
何故、金メダルを採った人を応援したり、国民栄誉賞を与えるのか?

もっと普通にいろいろ人生を楽しむ人を賞賛出来ないのか?
例えば、山暮しや田舎暮らしする人は賞賛されず、無視されている
地元の役所も一切何もしてくれない、全く相手にもしてくれない
都会からわざわざ、過疎の田舎や山に住む人は実に偉いと思うのだが
地元からも望まれていないかのような扱いだ、人間以下の扱いだ
がっかり、「おい地元よ自分達の山や田舎に誇りを持て」

日本人はあまりに同じ考えの人が都会にうんざり吹き溜まっている
もっと、自由に自分のしたいことやったら、老い先短いのだから
大病院のある都会に住む、怖気づくな、そろそろ炎が燃え尽きようとしてるのだ

地元や役所がどうあろうと、役所が何もやってくれないのを言い訳にしない
どんな逆境でも、自分自身の考えで、好きなように何でもやって来た
何でも、やろうと思えば、軽々しくつまみ食いする
今振り返ると
つまみ食いが現在の私の暮らしや人生を楽しくして来た
会社も土地も家も趣味も仕事も、「まあやってみっか」でやって来た
 (私は東京・大阪・京都・滋賀、都会・山・田舎
 松下電器・エンゼル・ローム・テクノ経営・自営
 趣味もあれこれ、若い時は全国各地を旅行}

貴方は、あまりにあれこれ縛られている自分を意識したことあるか?
「人は束縛を好むものであります」「縛られたいのでございます」
私なんか縛られず、まさに村上虎さんなんだ

現在の田舎安曇川田中でも野菜・ブドー・ガーデン・木の剪定伐採
  大工・絵画・ブログ・人生勉強・サイクリング・ストレッチ・山暮し

前の空き地に野菜を植え毎日食べ、近所にも配る


駐車場の屋根にブドー今年初めて実がなった


ここ田舎町では、庭のガーデ二ングができますよ


山の家のリフォームで大工の腕を発揮




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436.どちらでも良い、どうなっても平気でいることが出来る

2017-07-05 19:42:28 | 会話
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テーマ
どちらでも良い、どうなっても平気でいることが出来る
どちらでも、良い結果を出す、むしろ上手く活用する

よくお聴きする悩みは、何かをやると結果が気になって心配でたまらない
面倒なことはやらないほうが心が休まるので、不安になるならば止めてしまう
そういう人の場合「○○じゃなければ駄目」というような考え方の人が多い

私に言わせると、そういう考え方には、大きな勘違いや弊害がある
「ピンチはチャンス」だと言ってあげても、「ピンチは全てピンチ」だと思うようなタイプ
自分勝手に、どちらかが良い、他方が悪いと決めつける癖が原因だ
「誰がそう決めたか?」そうです「自分が勝手に決めて、そう思い込んでいるだけ」
この癖をきちんと是正しないと何事も上手く行かず、苦しみ悩み続けることになる

そこらへんで、私が実際にやっている考え方・やり方を紹介してみよう
そうすると万事上手く行くし、どうなってもそんなに心配しない、悩まなくなるはずだ
まあ簡単に言ったら「どっちでもよい、どうなってもよい方式」なんです
普通の人は「自分の思う方にならないと困る」から、大丈夫かと心配が絶えない

まず話をやや高尚なことからはじめよう
禅宗の僧侶などを観ていると、厳しい修行をした後に、山中で淡々と寺を守り
世間の何が、どう転ぼうと平常心で、淡々と、かつ悠々と修行を続けている
事態がどちらにどう転ぼうと気にする気配は感じられない、凡人とは真逆だ
「偉い坊主にしか出来ない、自分達には出来っこない」と思っていないか?
凡人は悩まなくてもよいことを敢えて悩む、しかも喜んでそうしてしまう
「雉も泣かずば撃たれまい」「人も無用なことを考えす・やらずば悩むまい」

凡人は一喜一憂・周章狼狽・慌てふためき・ドキマギ・取り乱す・・・・
僧侶の落ち着きは、厳しい修行・禅の教え・暮らす環境のせいなのだろうが
凡人や都会に長く暮した者は、あーだこーだと言っては一喜一憂する

凡人は一喜するから一憂するのだ、つまらんことに一々喜ばないことだ
小ぽけなことを喜ばないことだ、そうすれば小ぽけなことで悩まなくなる
それから「俺がやった」「俺のおかげだ」なんてみみちい考えも捨てたほうがよい
・心配というのは、あーなったら、こーなったらと悪い結果ばかり想像するから
・心配というのは、あーなっても、こーなっても、良い結果が出るようにしてないから
・心配をするのは何ら意味がないどころかマイナスでしかない、
 心配とは結果が良く出るように心を配ること、創意工夫・備えることでなくては

巷の人は、心配し悔やみ、そわそわと落ち着きがない
心がざわつき、オドオドし、自信がなく、何となく暗く、付き合うのも気を使う
更に、小心な割に、頑固で強情な人や、文句ばかり言う人や、偏屈もいる
世の中には困った君や困った嬢が沢山いるから、付き合い切れん
いろいろな負の症状や表情が身体や顔や話しに否応なく現れれてしまう

人の世の中は、特に都会ほど二元対立のるつぼである
物事は右があれば左、表があれば裏、上があれば下のように対立で成り立っ
ところがその二元対立のもののどちらか一方を自分にとって良いと思い込む
わざわざ阪神タイガースのファンなんてことを世間に表明したがるのだ
私はこれが好き、私はこれが良いと思う、私はこれを選ぶ、私はこれをやる・・・・
というように自分にとって都合の良いもの・心地良いもの・有利なものを選択する
しかし、にもかかわらず、その結果、苦しみや悩みも生じるからおかしいのだ

二元対立で苦しむのでなく、むしろそれを上手く活用するのが得策なのであるが

領土・資源・金は皆が欲しがるから争いや詐欺や収奪が絶えない
中国が人口と経済力にまかせて収奪を始めているが、将来の大きな火種だ
二元対立を好む国家も会社も人も絶対に成功・繁栄や平和には辿り着かない

二元対立を受け入れて、巧みに対処していくのは、頭で理解するだけでは難しい
いろいろな二元対立に、むしろ率先して入り込み二元融合させる体験が大事だ
都会暮らしが絶対だと、あまりに強く思い、生涯絶対に田舎暮らしは考えない
思い切って変えてみる、その積み上げが人間対立から自由に解き放たれる道だ

私は故郷を捨て・都会を捨て・家族を捨て・贅沢を捨て・便利を捨て・・・・・
山に20年暮らして結果的に過去のしがらみを、あれもこれも捨て
55~70歳で村上和隆は、結果的に、巧まずして生まれ変わった
他人を指導したり、教えを垂れるほどではないが、自分ぐらいはどうにか出来る
20年の山暮らしは、二元対立という束縛からの離脱だった
多くの変化・多くの経験・多くの新たな出会い・多くの別れ(徹底して捨てる)
地域の人、会社の人と上手く行かない人の多くは二元対立にハマっている人だ

「あいつとは絶対に付き合わない」とか「陰で悪口を言う」なんて人が多いが
私の場合、どんな嫌な人や苦手なタイプの人とも付き合うようにしている
付き合わない、仲良くしないから、喧嘩や揉め事で、どんどんややこしくなる

どちらでも良い、どうなっても平気でいることが出来る
どちらでも、良い結果を出す、むしろ、どちらかと言うと上手く活用してまう
自分にとって嫌なことも平然と受け入れ、活用してしまう癖をつけることだ

・ピンチはチャンスと言うではないか
・苦は楽の種、苦あれば楽ありと言うではないか
競技や勝負では、攻めだけでは安定的に勝ち続けられない、守りも大事だ
むしろ守りのほうが、大事かもしれない、守りあっての攻めなのだ
東京など大都会も攻めばかりの姿勢が目立つが、そろそろ守りが大事だ
高齢化では守りばかりでなく、最近、むしろ攻めの老後が大事と考えている

積極的生き方とは、ガンガン飛ばすことではない、むしろ冷静かつ合理的だ
かつ円満・余裕があり、一喜一憂せず、いつも平然としている、大仁の風格だ

世の中の人には、多くの雑多な経験をした人と、経験が少なかった人がいる
世の中の人には、多くの変化をした人と、変化が少なかった人がいる
世の中の人には、多くの自立・自律をした人と、自立・自律がしない人がいる

当初入社の大企業M社では、定年まで他社に転職したことのない友人が多い
少なくとも日本では、多くの人は、経験や変化や自立は避けて生きようとするが

私などはむしろ、あえて世間とは正反対に、変化や経験や自立を多くしてきた
だから若い頃は不幸・不遇だった、変化・新体験・自立は楽でなく、つらいことだ
関東から関西へ・故郷を離れ一人暮らし・都会から田舎へ・大企業から小企業へ
そういうことは苦労が多いために、私の世代でそういうことをする人は少ない

欧米ではむしろ、
多くの会社・多くの国や土地・多くの人・多くの体験・多くの状況を好む
日本の文化や技術を学びに来る外人も多い、この点が日本人に欠けている
長尾の山のログハウスを安く売り出しているがなかなか買い手がつかない
しかたがないので、今必死に自分でリフォームや整理をしている始末だ
外国なら、都会に近い山の良質の安いログハウスはすぐに売れるはずだ
世の中が元気なくなって、こんな良質な物件が売れないのが日本なんだろう
生き方が大きく変わる日本人が出てくるにはあと10年はかかるね

日本人は例えば「何にしますか?」「なんでも結構です」という答えが一般的だ
これはこれで日本的であり、日本人の私には当たり前かつそれで良いと感じる
しかし、あまりにも主体性のない無責任な答えであり、よい結果にはならない

欧米人が、自己主張が強いのはある意味、彼らの扱い難さにもつながる
日本のように「まあまあ空気を読んで、適当にやりましょう」と無難にはいかない
しかし現代の日本人は、日本人の一面を僅かに残しながら、他の多くの部分で
二元対立を強く出し、自己中心的な主張をしてしまう、昔の日本人とは大きく違う

昔の日本人は二元対立を敢えて否定し、二元融合を実践してきたのだ
唯一の間違いは太平洋戦争突入だったが
あれは二元融合の国だからこそのやむにやまれずの苦い結果だったんだろう
そして現代では世界からは、地震や災害後の行動などで評価されているが
日本人としての良さも減り、かつ悪い事だけ欧米化しているのが現実だ

東京オリンピック招致は大反対だったが、結果的に惨憺たる状況になっている
ああいう争い事には日本はあまり積極的に関与しないほうが無難だ
争って、勝ち誇るなんてのは野蛮人のやること、国民栄誉賞なんかもっての外

世の中には専門馬鹿の人も多い、こういう人は頑固で威張りちらす
立派なようで立派でない、自立しているようで自立していない、狭い人間だ
すなわち専門外では役立たずだ、専門以外のことは何をやらせても出来ない
定年後の亭主みたいに、文句が多いし役立たずと言われてもしかたがない
一般的に専門家やその道の第一人者という人とは付き合わないのが無難だ
面白くも楽しくもない人が多い、自分中心でやたらに自慢だけが多い
こんな人は10~20年、山に一人で暮しことを是非お勧めする

人生で大事なことは、自分にとって都合の良いことや楽なことより、
よりつらい面倒なこと、挑戦的なことを貪欲に経験すべきなのだが、
現代人は便利に慣れてしまい、面倒を拒絶する若者や老人が多くなっている
その結果、日本人の美点である我慢とか相手を立てるなんてことも出来ない
最近の日本の若者は相手を立てない、我儘だ、世渡りが下手

どちらか一方を良しとし、他を悪いと決めつけてしまう
そして自分の考え方や暮らし方・生き方や行動が片寄って行く
二元対立の片側に大きく傾いたまま、むしろ更に傾いて行くのだ
好き嫌い、良し悪し、苦楽、美醜、多少、・・・・・とにかく片寄る
食べるものは肉、何でもスマホ、歩かず作業せず、毎日酒飲む、美人を追い回す
思い込み・信じ込み・固執・偏愛・偏執・こだわり・自分なりの常識・癖
現代の病気はほとんどが、生活・暮らし方が一方に片寄るのが原因なのだ
片寄るには相当に深く、広い経験や見識が必要だが、なかなかそうはいかない

・現代は =  便利+豊+楽
・昔は =   不便+貧しい+つらい
一番良いのはこの融合型で、幸いに私などはその路線を進んで来たように思う

不便も・貧しさも・つらいも・やり方次第で人生にプラスで、良い結果ももたらす
現代の暮らしを私が観ていて、可笑しなことしているという例が沢山あり過ぎる
幾つか例を挙げてみよう

●例1:チーム・選手・俳優などをひいきする
野球やサッカーを、ヒイキのチームを、やたら必死に応援する人がいる
試合内容は関係なく、とにかくタイガースが勝てばすごく幸福というわけ
会社の仕事を終え、帰宅せずに競技場に出かけ応援する、「お疲れさま」
まあ、かつての私もそうであったから、理解はできるが、それでも
冷静に見ていると一体何のためにあれ迄必死に応援するのか不思議でならない
彼らなりに何らかの理由はあるのだろうが、私には無駄なことにしか思えない
選手の家族とか縁故とか友人ならば少しは納得するが、実は、赤の他人なのだ

・阪神タイガースの選手は赤の他人
・一生懸命稼いだお金を無駄に使う
・仕事で疲れ、応援で更に疲れる
・勝てばいいが、負けると落ちこむ
・応援というより、勝つことに拘る、精神的ストレス
・打つべき時に打たない、エラーは腹がたつ
・よく考えると無駄で、何ら有益な価値を生まない
・だいたい、他人にあんなに入れ込む値打ちはない
・やってる選手も体調不良だのスランプだのろくでもない
・競技場でテロや事故もあり得る
・夜遅くまで飲み食いしながらストレス、身体に悪い
それでも、なぜかどんどんのめり込む
「万年優勝しないチームなんか見放せ」と思うがそうはしない
駄目チームでも、いや、駄目チームこそ、永遠に応援し続ける
優勝するチームをひいきすればよいがそんなことはしない

・同様に自己愛とか家族愛とか仲間意識なんてのも熱烈なファンである点では
阪神タイガースと同様であって、自分に密着したあらゆるヒイキ目も害がある
自己愛の強い人がいるが、こういうものも年齢とともに減らすなり無くすとよい
自己愛が阪神タイガース同様に自分を苦しめていることも多い
苦しむくらいなら自己愛や家族愛や仲間意識も百害あって一利無しだ
女性が高い化粧や美容室通いで必死に美顔しているが一利あるかなしかだ

●例2:値上がりばかりに拘る株式投資
株式に投資する値上りばかり追及する人がいる
そうではない、値上り半分、値下り半分だから
・「今日も株が値上りしました」「良かったですね」は、おかしい
・「今日も株が値下りしました」「残念でした」も、おかしい
値下りも追及しないと儲からないし、大損することが多い
値上りだけしか儲からない・儲けてはいけないと信じ切っている
値上りと値下りは半々なのだから、一喜一憂しては、毎日疲れて仕方がない

でも、ひたすら値上りばかりで一喜一憂する、やがて大損で離脱する
資産運用や株取引を嫌う人の多くがこのような誤解が原因なのだ
日本人が株式投資をしないのは、
値下がりするのが心配でおちおち夜も眠れないというのが原因のようだ
もし、株式会社取引がそんな心配なことであれば、私は当の昔に止めているはず
株式投資などは、欲張らないことです、利益は少しで良いのだ
まあ何事も欲張るから失敗するし、心配ばかりするのではありませんか
心配より日々のちょっとした地道な努力の積み重ねが大事なんですがね

おかしなことに「自分で自分を追い詰める・苦るしめる」のが実態だ

従ってまずは
1)相場がすでにかなり上がった後には原則買わない
2)株価低迷、暴落している時に買う
3)銘柄によって値が安い物を物色する
4)値上がりして利益が出たら半分売る
5)その後値上りしたら待つ、値下がりしたら売った分買い戻す
6)そこそこ満足する利益が出たら残りを売る、まだいけるなどと欲張らない
・将来性はあるが価格が低迷しているものを物色する
・株式は安く買い、高くなれば半分売って、様子を見る
・高い相場の時には買わない
・一度に沢山まとめて買わない、少しづつ時間をあけて買う
・儲かったらとりあえず一部または全部を売る

人生においても同様の誤解が人を苦しめているのだ
幸福だけが幸福だと信じきっている、「人生は楽ありゃ苦もあるさ」である
楽だけを追究せず面倒や不便や苦難も活かす努力が大事なことを忘れているのだ

資産運用は原則分散投資をお勧めする
分散投資は勝ち負け五分五分を目指す、「それじゃ利益が出ないじゃないか」
危険な投資というイメージが多いが、欲張り過ぎ、儲けようとする人ほど損する
私の経験上もそういうことが言える、儲けようと欲張って大損していた
ところが分散投資を貫くと
・あまり怖くなくなる
・大損しなくなる
・その代わり、むしろ少額ながら毎年安定的な利益が出る

人生でもそうなのだ、欲張り過ぎると大損、大失敗するのだ
私は、資産運用の経験から次の教訓を得た
どちらでも良い、どうなっても平気であること、どちらかに片寄るのは止めよう
良い/悪い、儲かる/損だ、速い/遅い、楽/しんどい、便利/不便・・・・
どちらでもいいのだ、それを上手く仕組むことポートフォリオが大事だ

●例3:自分の欠点に拘る(それほど誰も観てませんが)
自分は顔悪い・頭悪い・金ない・性格暗い・なにやっても下手・・・なんて
悩む人が多い
私もかつてぴったり当てはまって、長年悩み続けてきた
・何でこんなに頭が悪いのだ、特に記憶力は遺伝しかなり劣悪
・何で人付き合いが下手なのか?友達いない
・なんでお金儲けが下手なのか、預金も資産も増えない
・顔も今一つ恰好よくない、女の子にもさほどもてない
・性格もどちらかというと真面目で暗い、悲観的に考える
・相手に対して意見を主張できない、喧嘩もできない
・人生に対して明るい将来や夢や目標がない

それやこれやで、55歳までは駄目人間そのものだった
「いい学校、いい会社に行ってらして」なんて他人から言われても
「わかってない、俺はひどい、最悪なんだ」とますます、かえって落ちこむのだ
しかし当時を振返ると、私自身によるより、思い違いによるものだったのだ
簡単に言えば考え過ぎ、固定観念による束縛、自分不在などであったろう

過剰に卑下し、コンプレックスになり、行動が消極的になるのは良いことではない

●その他、いろいろ拘る、片寄る、捕らわれる
・円安だろうが円高だろうがどちらでも良い、資産をきちんと運用できる
・株が上がろうが下がろうがどちらでも良い、資産をきちんと運用できる
・阪神タイガースが勝とうが負けようがどちらでも良い、自分にとっては何もない
・美人だろうがブスだろうが、どちらでも良い、美人もブスも生き方次第
・体力があるとか、金持ちとかどちらでも良い、必しも良い結果になるとは限らない
・・・大切なことはどんな状況も受け入れて的確に向き合えば、結果はついてくる

人は苦しむ生き物である、人は苦しむために生きる、
人は苦しみから逃れようとして、かえって苦しむことになってしまう
動物は無駄・無用に苦しまない、彼らは自然で単純に生きているからだろう
人間の場合、苦しみの原因は多岐にわたっており、ややっこしい
しょっちゅう、苦しみに追いかけられ、無駄に悩み過ぎてしまう

苦しみを受け入れる、苦しみが平気だという人は別だが、そんな人は少ない
私も安曇川の山で20年暮らす以前は苦しみ悩み多き人だったと思うが
55歳以降、山に暮らし経営コンサルタントをして今74歳、私はすっかり変わった
55歳までが嘘のゆように、不思議と今は、やたらに苦しむことは激減した
苦も楽もバランスさせることだ、どちらか一方に片寄るのは得策ではない
むしろ片寄ることは苦や悩みを増やすだけだ
まあ歳の功なんだろうが、私の最近の生き方や心構えを紹介しよう

私が山に20年暮らして自分なりに決めた生き方は中庸、片寄らないということ

①諦めない、でもいよいよ駄目なら潔く諦める、逃げ出す
②予防に万全を期す、その上で被災したらその場で最善をつくすのみ
③争わない、どうしても必要な場合だけ意見を主張する
④自然をモットーにする、自然流・自然主義、不自然は排除する
⑤広々、のんびりした田舎に暮らす、狭苦しいところに近寄らない
⑥一日動く、作業する、働かずば喰わず(働くとは単純に動く事)
⑦暮しの一つ一つをルール化し、きちんと守る、でも時によって頑固ではない
⑧明るく誰とも気さくに付き合う
⑨ひいきを作らない
⑩何かに我を忘れのめり込まない、いつも冷静で冷めている
⑪マイナス・駄目・負け等を深刻に悩まない、そのまま受け止める
⑫相反することをむしろ、うまく利用する

このうち⑫の項目を中心に具体的にお話をしたい

普通人間は自分にとって一見良いことを追い求めてしまう
例えば
・阪神が勝つことだけを喜ぶ
・株式が上がる事だけを喜ぶ
・自分の意見を曲げないで相手の意見を受け入れない
・美人・美男が良いと思う
・身体が強いことを求める
・便利なことが良いと思い込む
・都会が暮らし易いと思い込む
以上のことを冷静に深く考え直すと、必しも良いとばかりは言えない

何しろ安易に勝手に良い・悪いを決め、強く思い込んでしまう

さあ今日から阪神タイガースを熱狂的に応援するのは止めましょう
実に愚かしい・あさましい・みっともない・くだらない・無駄・意味ない・・・
もし止められなかったら
それは貴方自身の弱さ・甘さ・お粗末さを示すだけのことなのだ
そういうことから卒業した私に言わせれば
「勝手にやってなさい」「何の利益も、人間成長もありません」
「他人のフンドシで相撲をとる」なんて何の意味もない
他人ではなく、せめて自分で勝て喜びなさい!!

しかし私などは自分が勝っても、敢えて喜ぼうとはしない
即ち勝負けなんて、どうでもよい、勝ち負けが一体なんなのだ?
そうならないと、人間は悩み、苦しみ続けるだけなのだから
そうだったら、一切何事も喜びも悲しみもしないことが大事だ
こうしたい・こうなりたい・しかもそうなたら喜び、ならなかったら落ち込む
そういうことは、無意味・無価値・無駄なだけなのだ
そうでもあるにかかわらず、人間は他人のことさえ一喜一憂したがる愚かしい
必死に応援している人達を観ていると「頭がおかしいんじゃないか?」と思う

私が野球を観戦する場合、もし阪神タイガースがひいきであっても、
阪神が点数入れようが、相手が点数入れようが平然としている
というより、むしろどちらでも面白いなーと冷ややかに観ている
勝つか負けるかとか順位は、そのままを受け入れる、
一位のチームも最下位のチームも「そうなんや」程度
一位のチームは称賛し、最下位のチームは駄目、その原因を考える、それだけ

客観性がない、衝動的、ヒステリック、冷静さを失う、エイヤーでやってしまう
ヒイキのチームや選手が勝つことだけを考え過ぎるのは、太平洋戦争の日本軍や
ドイツのヒットラー、現代では北朝鮮や中国共産党がその典型ではなかろうか?

最近の私にとってはオリンピックでメダルなんかとってもとらなくてもどっちでもいい
メダル獲得を国の目標なんかにするのはバカバカしくてお話しにもならない

山暮しをしてから、グルメを求めなくなった、食事にそんなに手をかけなくなった
食べ物を必要以上に美味しくすることの虚しさを実感したから
素材に近いものを食べる、正直そんなに美味しくないが続けていると苦ではない
もともと自然の生き物は調理などしない、味など加えないのだ
そういうベースにもどって、やたらに過度に美味しいものを求めなくなった

逆に時々美味しいものを食べると、美味しさが身体に浸みわたってくる
美味しいラーメン・美味しい寿司・美味しい洋菓子・・・・私は全く興味がない
偶然にそういうものに出合う以外、私には感心も必死に行列に並ぼうともしない
求めない、偶然にたまたま出会うこと、一期一会みたいなことが好きだ
人生はそんなもので良い、そんなものが良い結果をもたらすことを知って欲しい

・旅行もしなくなった、自分の住みたい場所に引っ越し、安曇川に根を生やしています
 (数日の旅行より、一定期間引っ越すことだ)
・都会と違い、大病院がない田舎には住めないなんてことも考えもしない
・衣服も質素にしている、華美に飾るのは、自分を偽っているように思っている
・大工仕事も野菜作りも自分でする、買うのが当たり前なんて考えない
・男・女・老人・若者・子供・都会の人・田舎の人誰とも気軽に付き合う
・田舎や山に暮らして「来る者は拒まず・去る者は追わなく」なった
・付近の清掃や整備や町の役も、他人のためにやってあげているなんて思わなくなった

しかし、たかだか、このような簡単なことが普通の人は、すんなり出来ない
  『どちらでも良い、どうなっても平気であること
  どうでも良い、どちらでも良い、どうなっても良い、片寄らない
  むしろ、どちらでも、良い結果にする、良い結果になるものだ
  良かれと、どちらかに片寄ることは、悩み・苦しみを生む元だ』

”阪神タイガースが勝っても負けてもどちらでもよい”とは、なかなかならない
美人・秀才・屈強・金持ち・・・から離れられない
株式は値上がりばかり求める、株式以外に分散投資しない
都会でなくて田舎でも山奥でもどこでも住もうとはしない
・・・・・・・・
どう説得しても、どんだけ説得しても、絶対に応援を諦めない
「もうお手上げ、一体何がこの人をそうさせているのか?」回答は絶対に出てこない

中庸という言葉があるが、まさに中庸という言葉に尽くされるのだろう
私は、目立つ人、偉い人、華やかな人、金持ち、美人、勝者を羨むことはない、
むしろ、私は、あえて、悩み多い人だ、可哀そうな人だと思うのだ

人がごく普通に「良い・悪い」「応援する・しない」「美味しい・まずい」を鵜のみにしない
一度全て疑ってみる、しかし注意すべきは、他人批判しろとは言っていない
あくまで自分の生き方を見直し、生き方や行動を自ら正していくことだ

おさらい
1.良い悪いを決めつけない
2.偏らない
3.二者選択において、結果がどちらになっても事前に適合するようにしておく
4.どっちでも良い、どうなっても良いを常にモット―にする
5.一喜一憂しない、喜び過ぎない、悲しまない
6.既成概念を一度綺麗さっぱり捨て去る(現実には難しいことだが)
7.偏った暮らしを長年続けない
8.自分の既存の価値観を一度疑ってみる
9.他人と同じ考えであることに拘らない
10.「他人のためにやってあげる」などといった植え付けられている価値観を捨てる
11.どちらでも良い結果がでるようにする工夫や努力をしてみる
12.まあ、あとは私のように山で20年くらい長年の垢を落とすことでしょうか


簡単そうで実は、時間+努力+修養が必要です

長尾のログハウスをリフォームしている、私としては必要を感じないが
購入する人には、安い上に、建物や庭がすっきりしていないといかんみたい
・無用なものを除去 ・小ぎれいにする ・片づける ・破損個所を修理
玄関もすっきり整理しました


裏も目隠しし、すっきりさせました。無用な物を撤去しました




土間の仕切りも和風に直しました


隣との囲いの部分の垣根・扉も直し土に苔がはえないように石を敷きました


庭の草花もほとんど抜きました、木も伐りました


水場も小綺麗にしました


7月2日日曜日川の土手の竹や雑草を2m分刈りました。草刈り機と町内総出
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