東京から大阪、大阪から京都に移り住んで長いことになりますが、東京生まれの私が日本語のとてつもない特殊さ・すごさを実感したのは、京都に住んで否応なしに下手な京言葉で会話し始めてからでしょう。日本語は、本来難しいのですが、京言葉はその何十倍も何百倍も難しく奥深いように思います。おこらないで欲しいのですが、標準語の東京弁は最悪・最低で、あんな言葉使っていると、東京人は、日本人ではなくなってしまいますよ。
フランス語というのは世界一きれいな言葉ですが、それと同等またはそれ以上に京言葉は繊細で素晴らしく、優美なものであることを実感します。そしてそこから更に日本語・日本文化のすごさを改めてつくづく実感したものです。
日本語というものは、そんじょそこらの国の言葉とはわけが違うのです、多くの類まれな特徴があるのです。「日本語は英語と比較して世界語になっていない」と言う人がいますが、それは「京言葉が日本語になっていない」などと暴言をはくのと似ています。日本語というのは、日本人でさえも往生しているというのに、そんじょそこらの記号語を話す外人がしゃべれるようなそんな生易しいものではないのです。外人が日本語話すなんてのは、凄いことなんです。
①言葉自体が記号でなく、言葉一つづつ、それぞれ独自の意味を持つ
②言葉の数が非常に多い(多分世界一では?)
③同じ意味でも何十種類の言葉がある
④更に抑揚や言い回し、語尾、状況によってもかなり意味が変わる
⑤尊敬語・丁寧語・謙譲語がある、しかも種類も多い
⑥文法や表現の仕方は、バライテイーがあり、自由度も大きい
⑦話すことはできても、読み書きは更に相当複雑である
⑧間違って伝わる場合も多いが、どちらとも取れるような曖昧な表現が多い
⑨反対の表現をすることがある(例:つまらんものですが)
⑩謝る表現や一見無意味・無駄に思える会話が多い
⑪女と男の言葉が違う、年齢毎の言葉も違う
⑫擬音語や情を表す微妙な表現も豊富
※日本語は争うため、交渉のため、取引のため、相手を服従させるための言葉ではなく、互いに融和する心を通わせるための言葉と言うことができるように思います。そういう日本語を是非取り戻す必要があります。現代は日本語も西欧化しています。
漢字・ひらがな・カタカナがあり、日本人は欲張りで本来の日本語以外に更に外来語もあり、読み書きも大変なんです。日本人は世界一難しい日本語を話すということで他所の国の人より頭の働きが良くなっているはずなんです。日本語を読み・話し・書くのは、当り前ではないのです。すごいことなんです。
30歳40歳になって日本語がきちんと流暢に話せ・書け・読める人は、すごく頭の働きが良い人のはずなんです。歳とらないためにも生涯、きちんとした日本語を話し・書くことを是非お勧めします。
『日本語というのは、かけがえのない最重要な世界文化遺産』なんです。そういうことが日本人自身に理解されていないことが残念です。日本語に比較したら、日本の建造物や寺や美術品なんかどうでもいいんです。そんなものは、写真でも模造品でも保存できますし、壊れてもそれらしい物はいつでも作ることが可能なんです。ところが日本語は生ものですから、一度廃れていくと、どうやっても回復や保存が不可能であり、やがて本当に絶滅してしまうのです。
テレビで出鱈目かつ下品かつ安易な日本語を話すタレントや放送関係者は、彼等はそうは意識していないでしょうが、日本語の破壊者であり、「自分が儲かりさえすれば、日本語なんかどうなってもいい」という彼等の罪は相当に深いものなんです。
周囲を海で囲まれ、島国で長いこと平和で一民族的の国であったせいか、言葉は、どんどん複雑になり、洗練されていったようです。
したがって日本語には、非常に優れた面を持つと同時に、大きな弊害が共存しています。
ちょうど和服は素晴らしいのですが、和服を着る面倒臭さが表面に出てきたのです。最近の若者の衣服のように、ジーパンにTシャツのほうが着やすく、洗濯も簡単だし、安いので良いとなってしまいがちです。アメリカ式は多民族国家(寄り合い所帯)ですからあらゆることが、単純化・記号化されています。
企業などで標準化ということをやっています。標準化すると能率が上がるのです。
標準化には、
①単純化 ②統一化 ③規格化 が行われます。多くの人がばらばらなことをやると非常に手間がかかるのはご存じのとおりです。だからまず単純なものにし、統一し、規格化してしまうのです。アメリカ語や標準日本語は単純化・統一化・規格化されていますよね。しかし方言(地方言葉)はその地方で同じ年代の人にしか正確に通じません。私など東京人が関西に移り住んでも、最初のうちは関西人の言うことは1/10くらいしか理解できていませんし、喋るなんてことは、なかなかできません。私のように関西に35年も住んで下手でも関西弁を使い関西の人と付き合って、それでもやっと半人前以下なんです。京言葉や方言は生まれて何十年かその地でその土地の言葉で生活をしないと、とても身につくものではないのです。
まさに口伝えの文化なんです。
最近、京言葉や難波言葉だけでなく日本語そのものが崩壊しています。若者が和服を着ないのと同じように、若者が本物の日本語を好まなくなっているからという理由です。
残念なことではありますが、こういうことを阻止することは、ほとんど不可能なんです。地球環境問題で種の絶滅ということがあり、コウノトリのように本当に絶滅寸前の状況ですが、古来の日本語も絶滅・崩壊に近いんです。ある程度のものは残るでしょうが、まあ本来の日本語や京言葉、難波言葉とは似ても似つかないお粗末な言葉に変化してしまっており、そういうことは誰も止められないのです。
地方の方が京都に来ると京都の人が話すのを聞いて、「京都の言葉はいいですね」なんておしゃっていますが、京都に住んでいる者にとっては、京言葉なんか、もうほとんどなくなっていると同然と認識しています。大人達自身が話す京言葉でさえ、かなり無茶苦茶なんですから。
◎日本語は最重要な世界文化遺産です。残念ですか絶滅の危機にあるのです
1)日本人は日本語だけ使えればそれで十分過ぎる
2)日本語はそれほど優れている
3)日本語はそれほど奥が深い
4)日本語は、世界の宝
5)英語なんかしゃべるよりもっと日本語の能力を高めよ
6)英語化は益々日本を喪失していく
7)日本人は英語的ではない、苦手で当然だ
8)日本語をきちんと使えるには生涯かかる(50年必要だ)
9)日本語は標準語しゃべれるだけでは日本人ではない
10)日本語のルーツ京言葉・難波言葉が使えないのは日本人とは言えない
11)本語は複雑で面倒だから、どんどん捨てられていく
12)日本語をきちんと読み・書き・喋れない人は日本人とは言えない
子供だけでなく大人も、きちんと京言葉や難波言葉を話す人はいなくなった。和服や和家具や和建築などはともかく、日本語は一度絶滅したら元に戻すことは200%不可能なんです。
残念です。少なくとも英語みたいなものを勉強するのは従来のように、学校で6年やっても多くの日本人が満足に話せなくてそれで十分なんです。むしろ本来の日本語教育や京言葉教育をきちんとやるべきなんです。NOVAも日本語会話スクールや京言葉会話スクールを全国に作って欲しいですね。英語みたいな記号語ではなく、意味語・手作り語・情語・心の伝達語である日本語をもっと大切にして欲しいですね。
遅ればせながら東京生まれの私も京言葉をもう少しきちんと喋れる努力をしようと思っています。非常に難しいことではありますが、35年もまがりなりに京都で生活してきたのですから、60の手習いでも不可能ということはないと思っています。少なくとも、ご飯のように、ゆっくり味わいながら京言葉をしみじみと話すようにしていこうと思っています。
時々年配の関西の女性が本物の京言葉や難波言葉を話すのを耳にすることがあります。それを聞いていると、どんな音楽や芸術より何倍も素晴らしさを感じ、うっとり聞き惚れてしまいます。いつまでもそういう方の話を聞いていたいと思ってしまうほどです。相当の高齢の方でもそういう人と一緒に暮らしたいなーなんて思ってしまうほど、一流の文学作品をはるかに超えるほど素晴らしいものです。
まあひょんなことから、私は、東京から京都に移り住んで、そういう素晴らしい京言葉や難波言葉を日常耳にする幸せを味わえる時期に生きていただけ幸せなんでしょうがね。そう思って自分を慰めるしかないのでしょうね。
日本人には、貴方ご自身のために「きちんとした日本語を話しなさいよ、できれば京言葉に触れ、勉強しなさいよ、心が豊かになりますよ」と言いたいですね。
フランス語というのは世界一きれいな言葉ですが、それと同等またはそれ以上に京言葉は繊細で素晴らしく、優美なものであることを実感します。そしてそこから更に日本語・日本文化のすごさを改めてつくづく実感したものです。
日本語というものは、そんじょそこらの国の言葉とはわけが違うのです、多くの類まれな特徴があるのです。「日本語は英語と比較して世界語になっていない」と言う人がいますが、それは「京言葉が日本語になっていない」などと暴言をはくのと似ています。日本語というのは、日本人でさえも往生しているというのに、そんじょそこらの記号語を話す外人がしゃべれるようなそんな生易しいものではないのです。外人が日本語話すなんてのは、凄いことなんです。
①言葉自体が記号でなく、言葉一つづつ、それぞれ独自の意味を持つ
②言葉の数が非常に多い(多分世界一では?)
③同じ意味でも何十種類の言葉がある
④更に抑揚や言い回し、語尾、状況によってもかなり意味が変わる
⑤尊敬語・丁寧語・謙譲語がある、しかも種類も多い
⑥文法や表現の仕方は、バライテイーがあり、自由度も大きい
⑦話すことはできても、読み書きは更に相当複雑である
⑧間違って伝わる場合も多いが、どちらとも取れるような曖昧な表現が多い
⑨反対の表現をすることがある(例:つまらんものですが)
⑩謝る表現や一見無意味・無駄に思える会話が多い
⑪女と男の言葉が違う、年齢毎の言葉も違う
⑫擬音語や情を表す微妙な表現も豊富
※日本語は争うため、交渉のため、取引のため、相手を服従させるための言葉ではなく、互いに融和する心を通わせるための言葉と言うことができるように思います。そういう日本語を是非取り戻す必要があります。現代は日本語も西欧化しています。
漢字・ひらがな・カタカナがあり、日本人は欲張りで本来の日本語以外に更に外来語もあり、読み書きも大変なんです。日本人は世界一難しい日本語を話すということで他所の国の人より頭の働きが良くなっているはずなんです。日本語を読み・話し・書くのは、当り前ではないのです。すごいことなんです。
30歳40歳になって日本語がきちんと流暢に話せ・書け・読める人は、すごく頭の働きが良い人のはずなんです。歳とらないためにも生涯、きちんとした日本語を話し・書くことを是非お勧めします。
『日本語というのは、かけがえのない最重要な世界文化遺産』なんです。そういうことが日本人自身に理解されていないことが残念です。日本語に比較したら、日本の建造物や寺や美術品なんかどうでもいいんです。そんなものは、写真でも模造品でも保存できますし、壊れてもそれらしい物はいつでも作ることが可能なんです。ところが日本語は生ものですから、一度廃れていくと、どうやっても回復や保存が不可能であり、やがて本当に絶滅してしまうのです。
テレビで出鱈目かつ下品かつ安易な日本語を話すタレントや放送関係者は、彼等はそうは意識していないでしょうが、日本語の破壊者であり、「自分が儲かりさえすれば、日本語なんかどうなってもいい」という彼等の罪は相当に深いものなんです。
周囲を海で囲まれ、島国で長いこと平和で一民族的の国であったせいか、言葉は、どんどん複雑になり、洗練されていったようです。
したがって日本語には、非常に優れた面を持つと同時に、大きな弊害が共存しています。
ちょうど和服は素晴らしいのですが、和服を着る面倒臭さが表面に出てきたのです。最近の若者の衣服のように、ジーパンにTシャツのほうが着やすく、洗濯も簡単だし、安いので良いとなってしまいがちです。アメリカ式は多民族国家(寄り合い所帯)ですからあらゆることが、単純化・記号化されています。
企業などで標準化ということをやっています。標準化すると能率が上がるのです。
標準化には、
①単純化 ②統一化 ③規格化 が行われます。多くの人がばらばらなことをやると非常に手間がかかるのはご存じのとおりです。だからまず単純なものにし、統一し、規格化してしまうのです。アメリカ語や標準日本語は単純化・統一化・規格化されていますよね。しかし方言(地方言葉)はその地方で同じ年代の人にしか正確に通じません。私など東京人が関西に移り住んでも、最初のうちは関西人の言うことは1/10くらいしか理解できていませんし、喋るなんてことは、なかなかできません。私のように関西に35年も住んで下手でも関西弁を使い関西の人と付き合って、それでもやっと半人前以下なんです。京言葉や方言は生まれて何十年かその地でその土地の言葉で生活をしないと、とても身につくものではないのです。
まさに口伝えの文化なんです。
最近、京言葉や難波言葉だけでなく日本語そのものが崩壊しています。若者が和服を着ないのと同じように、若者が本物の日本語を好まなくなっているからという理由です。
残念なことではありますが、こういうことを阻止することは、ほとんど不可能なんです。地球環境問題で種の絶滅ということがあり、コウノトリのように本当に絶滅寸前の状況ですが、古来の日本語も絶滅・崩壊に近いんです。ある程度のものは残るでしょうが、まあ本来の日本語や京言葉、難波言葉とは似ても似つかないお粗末な言葉に変化してしまっており、そういうことは誰も止められないのです。
地方の方が京都に来ると京都の人が話すのを聞いて、「京都の言葉はいいですね」なんておしゃっていますが、京都に住んでいる者にとっては、京言葉なんか、もうほとんどなくなっていると同然と認識しています。大人達自身が話す京言葉でさえ、かなり無茶苦茶なんですから。
◎日本語は最重要な世界文化遺産です。残念ですか絶滅の危機にあるのです
1)日本人は日本語だけ使えればそれで十分過ぎる
2)日本語はそれほど優れている
3)日本語はそれほど奥が深い
4)日本語は、世界の宝
5)英語なんかしゃべるよりもっと日本語の能力を高めよ
6)英語化は益々日本を喪失していく
7)日本人は英語的ではない、苦手で当然だ
8)日本語をきちんと使えるには生涯かかる(50年必要だ)
9)日本語は標準語しゃべれるだけでは日本人ではない
10)日本語のルーツ京言葉・難波言葉が使えないのは日本人とは言えない
11)本語は複雑で面倒だから、どんどん捨てられていく
12)日本語をきちんと読み・書き・喋れない人は日本人とは言えない
子供だけでなく大人も、きちんと京言葉や難波言葉を話す人はいなくなった。和服や和家具や和建築などはともかく、日本語は一度絶滅したら元に戻すことは200%不可能なんです。
残念です。少なくとも英語みたいなものを勉強するのは従来のように、学校で6年やっても多くの日本人が満足に話せなくてそれで十分なんです。むしろ本来の日本語教育や京言葉教育をきちんとやるべきなんです。NOVAも日本語会話スクールや京言葉会話スクールを全国に作って欲しいですね。英語みたいな記号語ではなく、意味語・手作り語・情語・心の伝達語である日本語をもっと大切にして欲しいですね。
遅ればせながら東京生まれの私も京言葉をもう少しきちんと喋れる努力をしようと思っています。非常に難しいことではありますが、35年もまがりなりに京都で生活してきたのですから、60の手習いでも不可能ということはないと思っています。少なくとも、ご飯のように、ゆっくり味わいながら京言葉をしみじみと話すようにしていこうと思っています。
時々年配の関西の女性が本物の京言葉や難波言葉を話すのを耳にすることがあります。それを聞いていると、どんな音楽や芸術より何倍も素晴らしさを感じ、うっとり聞き惚れてしまいます。いつまでもそういう方の話を聞いていたいと思ってしまうほどです。相当の高齢の方でもそういう人と一緒に暮らしたいなーなんて思ってしまうほど、一流の文学作品をはるかに超えるほど素晴らしいものです。
まあひょんなことから、私は、東京から京都に移り住んで、そういう素晴らしい京言葉や難波言葉を日常耳にする幸せを味わえる時期に生きていただけ幸せなんでしょうがね。そう思って自分を慰めるしかないのでしょうね。
日本人には、貴方ご自身のために「きちんとした日本語を話しなさいよ、できれば京言葉に触れ、勉強しなさいよ、心が豊かになりますよ」と言いたいですね。