村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第8号 村上和隆の経営塾「一言」   日本人は真剣にリスクを避ける重大な時期が来ている

2007-07-29 16:22:49 | 経営管理
8、日本人は真剣にリスクを避ける重大な時期が来ている

またまた新潟で巨大地震が起きました。TVやマスコミは、「政治や役所がけしからん」という論調が圧倒的でしたが、国民一人一人がもっと事前の予防や対策をしないことをもっと厳しく非難すべきです。マスコミがそんな出鱈目な論調(災害被害者は大赤字の税金を投入して助けるべきだ)を続けると、災害頻発国家の未来はありませんよ。避難所の人の半数以上の人は、自分で予防や対策を十分にしていない駄目人間なんです。
巨大災害のあるたびに、「巨大地震は来ますよ」「巨大台風は来ますよ」と何度も言っているんです・誰でも知っているんです・何度も警告されているのです。しかし、今の日本や世界中には、「リスクなんて難しいことは俺の知ったことではない」「リスクなんて来てから考える」「自分には関係ない」「予防にお金をかけるくらいならば、遊びや贅沢に使う」という間違った安易なノーテンキな考えが国民及び政治家・役人に充満しているのです。
巨大地震が、まだ大都会で起きていないからいいのですが、あれが東京・大阪・名古屋で起きたら、あらゆる意味で、日本にとって致命傷・トドメになるのは必至です。日本のあらゆるものが崩壊し、「陽出づる国の終焉・日本沈没」になっていきます。もはや「政治家や役人がどうのこうの」なんて言ってられない深刻な事態が100%確実に間近に迫っているのです。企業もこの際、巨大地震対策や予防を1年がかりで真剣やるぐらいのことが不可欠なんですが、多分多くの日本企業は阪神大地震以後、完全に忘れ去られてしまっているのです。
苦しい中から、300~600万円くらいのお金をかけて、きちんと予防や対策していた多くの人は、地震の被害を少なくすんでいるのです。そういうことは評価されず、マスコミでも報道されないのです。

「被災者は可哀想だ」という考え方は、リスク管理ではタブーなんですがね!「リスク回避のできない怠け者」「国や周囲に迷惑かける厄介者」「事前のリスク回避をしたか」こそが大事なんです。海外から、「災害多発国家なのに、日本はリスク意識の欠如した国民だ」と言われ、軽蔑されているのをご存知ですか?

「病気する人・事故起こす人・事件にあう人・災害に遭う人は、可哀想な人である、国や県や市町村が当然助けなければいけない」という考えは、今後少なくとも日本では、捨てないと、膨大な財政赤字に更に税金負担が確実に増え、この国は一夜にして、更に駄目な国・超貧乏国家・世界一哀れな国へと崩壊していくのです。世界一大金持ちの国が一夜にして大貧乏国家になり得るのですよ!もっとリスクを国民一人一人が自分自身で責任をもって管理しないといけないのです。
マスコミや政治家や役人は、リスク回避の自助努力・自前でできる予防方法の教育・点検活動・予防を促進する施策を実施することが急務なんです。災害の後始末(応急対策)なんかやっている場合じゃないんです。恒久対策・再発防止対策こそが急務なんです。しかし残念ながら、そんな有能な政治家は日本には存在しないのです。

ということは「できることから早急に自分でやっておけ・自前でリスク回避しておけよ」なんですよ!

さて、この際次の10項目を、改めてチェックしてみて早速、予防やいざという時の対応を準備して下さい。「お金を全額円で預金しています」なんてボケた人がいるのも信じられません。そんなに円やドルは安全ではないのです。過去の巨大地震でも毎回「水が一番困ります」というわりに、水の確保なんて簡単なことすらできていないのです。有効な予防や対策は何もせずに「災害がきたらお助けを」という態度の人々に「もう勝手にしろ」「国家や県に頼るのは止めろ」というのが私の感想です。
予防や事前の対策をしたのに、被害にあった人だけを助けるというのは理解できますが、何も努力していない人に、一律多額の税金を使う(努力しない人を助ける・努力する人は助けない)というのは、国家や組織を滅ぼす何ものでもありません。
①巨大地震(都会脱出・補強工事・地震保険・ログハウスや鉄筋や面構造家屋)
②お金(円でなくユーロで・預金・高リスク品は控えめに)
③健康(禁煙・運動・和食・節酒)
④ヒートアイランド(都会から脱出・断熱)
⑤石油などの資源高騰に起因する物価上昇(節約・高寿命・工夫・贅沢排除・修理)
⑥高齢化(病気・介護・お金・住まい・趣味・仕事作り)
⑦巨大台風・洪水など(安全地域へ移住・安全対策)
⑧汚染・公害(田舎へ移住・汚染防止・光化学スモッグ・中国からの汚染)
⑨贅沢・便利・快適・平和による堕落(仏教等信仰・真面目・肉体労働)
⑩食事(中国品・安い食品は要注意・油分・砂糖・農薬・防腐剤・野菜・バランス食)

※項目毎に10点づつ=完璧が10点、ある程度やっている5点、全くできていないが0点を目安にして下さい
合計が80点以上が理想ですが、さしずめ、まずは早急に60点狙いですかね。

こういう中で当面私の3つの重要ポイントとして実施していることは、

 ①田舎暮らし、都会脱出
 ②円からユーロへの移行
 ③心身のきちんとした健康管理

私は、できれば日本というリスクの多いかつリスク管理の弱い国を脱出したいくらいなんですが、今後も日本に住み・暮らすのであれば、相当リスク管理を真面目に考えるか相当の覚悟が必要であろうかと思っています。

『リスク意識』⇒『リスク回避』⇒『自己責任』⇒『リスク管理』
http://www.meico.org

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

91.物理法則曰く、「作用があれば、反作用あり」

2007-07-24 10:08:18 | 人生
物理法則曰く、「作用があれば、反作用あり」すなわち、「得ようとすれば、同じだけのものを失う」

得るとは、どんどん継続的に得られ続け、良いものがどんどん蓄積すると勘違いする
「得る=得る」ではないく、実を言うと、「得る(作用)=失う(反作用)」
貴方が多くのものを得たとしよう、喜んでいる場合じゃない、同じだけ失っているのだ

戦後、欧米化により日本は世界の富を得たが、掛け甲斐のない日本文化を失なった
戦争は、人の命を奪った以上に、日本という掛け甲斐のないものを失わせた
得るものが多いほど大きいほど、失ったものは二度と蘇ることはない
例1)豊かさ・便利を得て、地球環境を失う
例2)物質を得て、精神を失う
例3)平和や安全を得て、油断する
例4)速さを得てゆとりを失う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
金持ちやその子供の多くは、金や物や豊かさ以外のほとんど多くの大事なものを失った抜け殻になっていく
それが証拠には、保有する多額の金に依存する
己を高めず、金によって己を高いように見せかける・誤魔化すようになる
金ばりの「張子の虎」みたいになっていく

幸せには、
  ①得る幸
  ②失ったもの取り戻す幸
  ③何もない幸がある
人は①得る幸を幸と勘違いする

現代は、①得ることの幸を目暗滅法に追求する時代である
 その結果大事なものを次々に平気で失って行くのだ
気がついたら丸裸・無力・無能になっている

「子孫に美田(多額の財産)を残す・子供に贅沢をさせる」などということは、与えるにあらず
子孫から魂を奪う何物でもないのである
現代と戦前の大きな違いは、昔は、

貧しく・飢え・怯え・つらく・耐え・勤勉・規則的・敬い・謙虚で・節約的
であったが、今はみじんもその名残がない
現代は、そういう大事なもののほとんどを失った/得たものは泡のような刹那的な快楽だけであった
ところがどうだ、いまだに血眼になって「金が欲しい・物が欲しい・名誉が欲しい・贅沢がしたい」というじゃないか?
人の浅ましさは信じられない

私は、「多くの人が作用としたら、自分は反作用になれ」と思う
①人が集まろうとしたら、自分は離れろ
②人が高み(右)に行ったら、自分は低くき(左)に行け
③人が贅沢したら、自分は倹約しろ
④人が都会に住むなら、自分は田舎に住め
⑤人が急ぐならば、自分はゆくりしろ
⑥人が争ったら、自分は柔和になれ
⑦人が無駄使いしたら、自分は節約しろ
⑧人が外見を大事にしたら、自分は内面を磨け
⑨人が安心したら、自分は心配しろ
⑩人が楽したら、自分は苦しめ
⑪人が工業をしたら、自分は農業をしろ
⑫人が浮かれたら、自分は自重しろ

この際、かつて高校時代に習った「作用あれば、反作用あり」という法則を思い出してみようじゃないか
「得ることで失う」のが良いのか「失うことで得る」ことが良いのか?
http://www.meico.org/zayuunomei.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

90.何でも相手の責任にすることを止めよう、甘えん坊の子供を卒業しましょう

2007-07-18 20:31:27 | 人生
現在は立派な仕事をしているある方が、自分の若い頃のことを反省して次のようなことを言っておられました。
その方は、昔少年期から青年期は愚れ続け、結婚してからも社会にも同化せず、仕事も満足にやらず、そういう鬱々としたものを誰彼構わずに社会や他人のせいにし札付きの悪だったらしいのです。しかしある時に思ったそうです。「自分が悪いのにも拘わらず、俺は何でも社会や他人のせいにしてはいないか?」
そしてその瞬間から猛反省し、全く逆に、他人のせいにしないで、自分が悪いんだと受けとけめて、それからは、むしろ人一倍真面目な生き方に戻り、大層立派な仕事をやり、世の中のために貢献されるようになったらしいのです。立派な大人からしたら、つまらんことなんですが、その方自身にとっては、相当に大きな転換だったらしいのです。
その方が、当時を振り返って、「とにかく何でも他人のせいにし、八つ当たりしていた」「それが高じてどんどんエスカレートして自分でもコントロールできなくなっていったらしい、当時は他人のせいにするのは当り前だった」ということを話されていました。
私もいろいろな方とお話をする機会が多いですが、95%以上の場合は、「妻が悪い・夫が悪い・兄が悪い・親が悪い・先生が悪い・・・・・」というような話ですね。そういう時、「また来たか」と観念します。何故かというと、他人の批判は、なかなか止まらないのです。奥さんの立ち話・会社帰りの居酒屋のサラリーマンの話のほとんどが他人批判なんです。自分を反省するなんてのは、歓迎されないのです。とにかく人間は他人批判が好きですね。
人というものは、何故か「病高じて、何でも責任をなすり付ける」ようになって行くようです。お酒や女や麻薬やパチンコに依存するのと全く同じことのようで、どんどん深みにはまって行くらしいのです。しかしこの方が偉いのは、ある時にハット気づいたことです。

まあ世間には、大なり小なり他人のせいにする人、「責任なすりつけ症候群」の方は多いのです、というより、ほとんどの方がそうだとも言えるのです。いい大人がまるで子供じみているというのが実態なんです。

①親のせいにする
②妻のせいにする
③学校や先生のせいにする
④上司のせいにする
⑤部下のせいにする
⑥社会のせいにする
⑦国のせいにする
⑧子供のせいにする
⑨役所のせいにする
⑩兄弟のせにする
⑪友人のせいにする
⑫会社のせいにする

立派な大人は絶対にそういうことはしません。ある意味、『大人と子供の判別の基準』みたいなもので、

・大人=自分の責任で、何事も自分で対処する
・子供=他人のせいにし、自分は何もしない

ですから、よく「お前が悪いんだ」などと得意顔かつ、声高に相手を罵る人がいますが、一見偉そうに見えますが、子供じみているのです。アルコール中毒患者も紙一重なんですが、とりあえず酒を止めればいいんですが、止められないんです。もし止めれば、結果は良いことだらけなんですが、何故か止めないんです。同じように「責任なすりつけ症候群」も簡単なことですが、なかなか止められない人間の代表的悪癖なんです。是非、こんなくだらない癖を止める努力をして欲しいものです。
料理がまずいのも・子供の成績が悪いのも・雨漏りするのも全部奥さんのせいにするなんて旦那さんは多いし、逆に稼ぎが悪いのも・持ち家がないのも・欲しいものが買えないのも・家族団らんがないのも全て夫のせいにするなんて妻も多い。その他不平・不満は数え切れない。
最近は子供のことを、何でも学校の先生のせいにする若いお母さんが多いそうで、社会問題になっているそうです。しかし毎日周囲の多くの人にそういう文句や不平不満を言っても事態は一向に改善されないのです。いや、むしろ事態はどんどん悪化して行き、夫婦離婚なんてことに繋がって行きます。改善や効果があるのであれば他人のせいにし、どんどん文句を言えば良いのですが、そうではないのです。そういう基本的なことをまずしっかり認識しないといけないのです。
民主党や野党が長期政権の駄目自民党に勝てない理由は、自民党の批判ばかりして、格好よく自民党をこき下ろすことに快感や生き甲斐をおぼえており、自分達の真剣な努力を怠っているからです。

まず
「自分は、偉そうに他人に文句ばかり言ってる、どうしようもない未熟な甘えん坊だ」
という認識を持つことです。

他人を責めないことを日常化することです。逆に相手に感謝し、相手を褒めることに転換してご覧なさい。プラスマイナス倍の違いが出てきます。バブルの頃、破綻した山一證券の社長さんが言っていました「社員は悪くありません。経営者が悪いのです」というようなことを言う人が少ないのです。「他人のことを許す・自分の責任にすること]
は立派な大人としての条件ですよ。貴方だって、生きることやその他多くのことを自然や社会や周囲の人々から許されているのですよ。わかっていますか?
また日本特有のことですが、「外面は良いが、内面は極めて悪い」こういうことも直すべきです、外面以上に内面も良くする努力こそが大切なんです。
さあ甘えん坊の貴方、今晩奥様に「お前はいつも、いろいろやってくれてありがとう、お前は偉い」「妻は悪くありません、私が悪いのです」とでも言ってみて下さい。しかし長年他人を批判することに慣れた貴方は、そんなことを言うこと自体が恥ずかしいのです。出来損ないの乙女みたいなもんです・未熟な甘えん坊の子供そのものなんです。

私は、基本的に他人を責めません。「人間は生涯、自分の未熟との戦い」なんです。他人に責任を擦り付けるなんて馬鹿馬鹿しいことは全然考えもしません。むしろ他人の良いところを真似、他人の悪いところは自分の反省に使うようにし、むしろ他人を褒め、教えを乞うようにしています。そうすると、人付き合いも自ずと楽しく・スムースに行きますので、一挙両得です。
アルコール中毒や麻薬患者のように、「責任なすりつけ症候群」を卒業してみたら、その効果の大きさを実感できるはずです。さあ今日から貴方を変えてみませんか?今やっておられる”他人を批判し、他人を変えようとする無駄な努力”は止めましょう。
http://www.meico.org/p19.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

89.私は、山奥のミミズを尊敬する

2007-07-13 22:39:12 | 森の暮らし
 誰を尊敬するかと訊かれたら、私は迷わずに「山奥のミミズを尊敬します」と言うでしょう
 ミミズは文句言わん・つまらんこと考えん・黙々と生きて・けな気に役立っている
 なぜかミミズを尊敬すると、心が大らかになる、安心する
 人なんか尊敬するのは、裏切られそうで何となく不安で、落ち着かない
 人はずる賢い・身勝手・屁理屈言う・嘘つく・裏切る・やたら修行なんかする
 そもそも、厳しい修行するなんてことが、人間の駄目さを表しているんだ
 歴史上の偉人だからと、無批判に信じていいものか?疑わしいもんだ
 とにかく人間は信用できんが、ミミズ師は安心して尊敬できる
 これでもまだ「尊敬するのは、人間じゃないのか」って訊きますか?
 お前さん、勝手に、いつまでも人間を尊敬していればいい
 人間が尊敬できないから、「誰を尊敬するか?」なんて、つまらんこと訊くんでしょ
 もし、世界中に尊敬する人間が多ければ、この世は確実に良くなるはずだが
 何故か、勲章を貰うような偉い人に従ってきたが、世の中は確実に悪くなっていく
 尊敬されるべき指導者層が、どんどん軽蔑の象徴に成り下がり、堕落して行く
 人間の世は、末世のような流れになっているじゃないか
 特に政治家・役人・先生は、山奥に入りミミズに遭ってみて欲しい
 人間は、真剣に、山奥のミミズに教えを請うべきだ
 人間は、山奥のミミズを師と仰ぎ、行いを改めなければならないのだ
 ミミズはすごいぞ、一匹残らず全部のミミズが、尊敬に値するんだから
 人間じゃ、せいぜい数えるほどしかいない、情けない
 人間なんか尊敬するな、尊敬に値するのなんか、いそうだが、いない
 下手に人間なんか尊敬していたら、自分自身も尊敬される人間にはなれない
       
       http://www.meico.org/zayuunomei.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

88.ISO取得して数年~10数年経つたが、さて自分の会社はどうするか?

2007-07-06 22:12:19 | ISO
ISOの認証を取得して数年経つと、会社自身やISOの運用状況にいろいろな状況変化が出てきます。ご自分の会社はいかがですか?

①非常にうまくいっているし効果も大きい
②会社のレベルアップなど、大きな波及効果が出ている
③まあまあ順調に行っている
④順調そうだが、さほど著しい成果が見えない
⑤順調だが事務局主体である
⑥維持しているだけで精一杯
⑦当初の担当者が止めたため、かなりいい加減になっている
⑧まあどうにかこうにか認証を維持している
⑨審査で、毎年相当不適合をくらっている
⑩全くうまくいってなく崩壊寸前である
⑪返上し止めたいが迷っている
⑫意味も能力もないので、返上を決定した

そうです。とりあえず認証取得し何年か運用し外部審査を受け続けてくると、ISOが会社にとってどうであるか効果や課題が具体的にわかって来られたはずです。
そういう段階で今後どうするべきかを考えるのは、有意義なことです。
一度コンサルタントに入ってもらい実情を総括し、何が問題で何をどう是正すべきか、どうすべきか
 ・システムのリフォームをすべきか?
 ・組織や何らかのてこ入れすべきか?
 ・返上の方向を検討するか?
 ・返上するか?
 ・返上しても大丈夫か?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

認証件数は2007年前半でISO14001は約27千件、ISO9001は約43千件が取得している。一見順調に伸びているようだが、実態は頭打ち、70以上ある審査機関も、ご多分に漏れず倒産や統合の波が打ち寄せている。ISO9001については、新たに取得する企業より返上する企業が上回っている。ISO14001も地方自治体を中心に返上が目立っている。但し一般企業では、時代の流れで、ISO14001の返上は難しい。
当然予想されたことではあるが、頭打ちからそろそろ減少する傾向が見えてきたというのである。ISOを取得した会社が倒産する・業績不振・人の余裕がない・維持する能力がない等によって恥ずかしながら返上する会社が続出しているのである。名誉ある返上であればむしろ望ましいことであるが、トヨタのように名誉ある返上は少ない。(ISO9001:1987年制定20年経過、ISO14001:1996年制定14年経過)
私がかなり以前から警告していたように、審査の質や費用にも疑問を抱く会社も増えてきた。
いろいろな返上のケースがあるようだが、どちらにしろここ10年くらい次々にISO認証取得してきたが実際に運用してみて、うまく行かない会社・効果がない会社・経済的に維持できない会社が顕在化してきたのです。
買ってみたが使わず部屋の隅に放置された健康器具の廃棄を決断する人のようにISO9001も返上の見切りをつける会社が出てきたということです。別に驚くことではなく当然の成り行きではあります。例えば地方自治体で財政が逼迫したことでISO14001を返上するとことが増加しています。まあ出鱈目な役人には不向きなのがISOですから、財政破綻をよい口実にして返上しているのでしょう。真面目にやればお粗末な役所のマネジメントの質向上になるはずなんですが、それだけの能力や誠意が全くない連中なんです。だから財政も破綻するのです。役所というものは、無責任が看板で、顧客重視・効率・無駄削減・厳格さなどは至って苦手なんです。

経営上もISOも順調な企業さんの場合でも、この際、ISOを認証取得する目的を改めて再度よく考え直し、今後どうするか明らかにするべきではないでしょうか?私はそういう時期に来ていると思います。とてつもなく面倒で複雑なシステムを仕事の合間にエッチラコッチラ大変な思いをして運用しているなんて笑い話というか悲しい話が現実にあるそうです。劇的リフォームを是非してあげたいですね。「エーッこんな簡単なものでいいんですか?」びっくりする会社さんが多数あるでしょうね。また多額の審査費用を払っている会社さんも多いのです。「エーッこんな安くていいんですか?」びっくりする会社さんが多数あるでしょうね。

①目的が明らかか?(YES/NO/わからない)
②その目的を満足しているか?(YES/NO/わからない)
③満足する有効な効果をあげているか?(YES/NO/わからない)
④システムの運用に過大な手間や費用がかかっていないか?(YES/NO/わからない)
⑤経営層は十分関与・参画しているか?ほったらかしでないか?(YES/NO/わからない)
⑥社員は、ISOを理解し活動に的確に参画しているか?(YES/NO/わからない)
⑦審査費用の負担が大きくないか?(YES/NO/わからない)
⑧ISOが企業風土として定着しているか?(YES/NO/わからない)
⑨返上したらどういうマイナスが生じるか?(YES/NO/わからない)
⑩毎年外部審査(サーベイランス・更新審査)は役立っているかか?(YES/NO/わからない)
⑪外部審査は必要か?(YES/NO/わからない)
⑫返上し・自主宣言に切り替えられないか?(YES/NO/わからない)

ところでISOの取得の目的がわかりませんという会社の社長さんがおられます。又はそれほど目的を明確にせず認証審査を受けて運用し続けてきた会社の社長さんも多いのです。そこで審査を受け認証を取得する目的をISO14001「環境マネジメントシステム」を例に考えなおしてみましょう。
①環境改善成果を出すため
②環境戦略上取り残されないため
③会社のマネジメントの質を上げるため
④会社の信用を高めるため
⑤特定企業との取引を維持するため
⑥イメージアップ(みっともない)のため
⑦社員の力量アップ
⑧世間の企業に遅れをとらないため
⑨会社の環境リスクを減らすため
⑩環境法令順守や最低限の環境管理をするため

自分の会社のISO取得の目的は、この中のどれと、どれか、ウエイトの大きいのはどれか?
それが分かれば自ずと返上すべきか?もっと真面目にやるべきか?今どうすべきかの方向が見えてくるはずです。

例えば、金に余裕もないが重要なお客さんからの命令であれば、返上はできませんから、審査費用の圧縮やシステムの簡素化やコンサルタントへの管理業務委託などの手を打つことになるでしょうし、もし特に支障がなければ返上するのもやむを得ないのです。

さて返上するかどうか迷っている会社さんの場合に、さしあたって調査検討すべきことを次に述べます。

(1)毎年の審査費用について
審査というのは初年度は時間や手間をかかけて審査し、合格し認証書をもらうのだが、それ以降も毎年運用状況を中心に外部から審査をしに来る。当然審査の手間・審査当日の準備・審査費用の負担が毎年かかってくる。まあこの金や手間がゼロであれば返上の必要も無いのだろうが、案外この毎年の審査費用も馬鹿にならないほど高い。私としては信じられないのだが、審査費用は審査機関によって3倍くらいの価格差があることを企業さんはご存知ない。みな同じ値段だと思い込んでいる方が多い。当社の勧める審査機関は、お客さんから「こんな安いのですか?」とびっくりされることがある。なんのことはない、あい見積もりも取らずに有名な審査機関や大手の審査機関と何年も契約し、相当に高い審査費用を払っておられる。私に頼んで戴けばまあ1/2~1/3にはなる。審査機関なんか途中で変更できますか?そんなことしたら手間がかかりませんか?と言われるが、そんなことはない全く簡単に変更できるのである。
ですから教えてあげると、多くの会社さんが審査機関を変更されているのが昨今の流れである。30~40万円/年も削減できるのに調査すらやらない会社は多い。審査機関は大手がいい・大手でないといけないと信じきっている。馬鹿な話だ、そういう審査機関の審査には無駄が多く指摘が細かいから更に損なのだが、そいういうことを調べさえしない。今大手の審査機関の登録数が急速に減っているのをご存知だろうか?

(2)複雑で面倒なISOのマネジメントシステム
次にシステムが複雑で手間のかかるもの・膨大な文書や記録を作成しているものも多い。そういう複雑で量の多いものは手間ばかりかかる。もしこういうことで悩んでいる会社さんは、これも私に頼んでもらえば、簡単にリフォームできるのである。劇的ビフォーアフターである。認証当初と違って、長年の運用を通じて具体的なこともわかっておられるのですから、簡略化の意味ややり方についてもご理解・納得戴けるはずです。
http://www.meico.org/ISOsyutokugosien.html

(3)認証審査を維持する価値があるか
手間と費用がかかるISOであるが、一体審査し認証を維持する価値があるのだろうか?「ISOを取得したのに今更返上なんてみっともないことはできない」ということでしょう。維持できない=維持する能力がない会社と評価されるからです。
問題は維持できないのに無理してまで審査を維持する効果があるのか?はっきりした目的があるのかということを考え直すことが大事です。
目的も不明確・効果もないが恥ずかしいからというだけで認証審査を続けるのは無駄でもったいない話です。否、社員にとっても、「自分達の会社は無駄なことをやっている会社だ」と思わすことになってしまいます。

(4)名誉ある返上:自主宣言
でも品質や環境管理がきちんとできているのでしたら、時期を見て、むしろ大威張りで返上ということも手であると思います。この場合大事なことは高い品質や環境上のパフォーマンスを出している会社であることです。例えばトヨタ自動車のような会社の返上はむしろ勲章にさえなります。さしずめ「ちゃちな外部審査なんか不要です、社内監査で十分です。」というところですかね。監査なんてのは、実力のある会社は、本来自前でやるべきもんなんです。
ISO14001環境マネジメントシステムの場合は最近は環境報告書によって自社の環境パフォーマンスが非常に高いことを証明すれば済むことです。
ところでISO規格というのは、元々審査・認証取得を目的にしてはいません。自主宣言でもいいのですが、自主宣言では、手盛りで客観的な評価ではないということで、しかたなく外部審査を受け認証書をもらうことがはやっているだけなんです。ですからもう何年もISOの外部審査を受け定着し、自信があれば名誉ある返上という手もあるのです。私としては、むしろこの名誉ある返上を目指して欲しいのです。しかし名誉ある返上は、当然リスクもあるわけですからくれぐれも相当の力がある会社で、実力やパフォーマンスを公開できるようにし、慎重に実行して下さい。いつまでも外部審査に頼っているのは、見方を変えれば、ISOが浸透し、熟成してない証拠です。
http://www.ecology.or.jp/isoworld/iso14000/salon94.htm
http://www.ecology.or.jp/member/iso/0612.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする