村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

589.別れは悲しいことではなく、より多く経験すべきことだ

2024-08-27 20:26:06 | 言葉
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

別れは悲しいことではなく、より多く経験すべきことだ

「別れは悲しい」だから別れない、そういう人は多い
「別れはつらい」だから別れない、そういう人は多い
「今で満足している」だから別れない、そういう人は多い

一体そんな考えで良いのだろうか?

別れはつらいもの、避けるべきこととされがちだが
一生のうちに何度別れを経験したかで人生の値打が決まる
人は別れの回数だけ、貴重な出会いを経験する
別れてから出会うことで少なくとも人間の厚みが少しづつ増す
別れや出会いは逃避的や、投げ槍なものであってはならない
私は他人より数倍別れて来た、場所と、会社と、文化と・・・
自分を真摯に見詰める者は、心の中にも出会いや別れがある
別れは悲しむのではなく前向きに捉える者は、別れを利する

ある都会の人が言う「私は人脈が豊富だ、楽しい、おかげで
私の毎日は充実している」しかし私にはこの人を羨むどころか
可哀そうだとも思ってしまうのだ。なぜならば
人というものこそ最も自分を縛り付ける足かせになるのだ。
人から自分自身を自由に保つことなど到底できないのだ。

多くの人と付き合うとその人達をつい見詰めてしまい、
自分を他人と比較する、他人を基準にする事など意味がない
多くの人が自分や自分の心に纏わりつく、住み着くようになる

何事においても「過ぎたるは及ばざるがごとし」である
自分を深く見詰めて自分自身を成長させていくべきなのだ
「主体は自分自身、自分が自分の主人」を忘れてはならない

多くの人からの情報や考え方や付き合いはいろいろな意味で
自分を縛り付けてしまうことに気づいていない。
そんな人に言ってあげる「私のように山に10年籠ってみたら?」
「一度今までのシガラミを全部捨ててみたら?」

背後霊と言うのがあるらしいが私はそんなようなものが
全員の心にびっしり住み着いている
のだと思っている

多くの場合自分自身を縛るのは、友人・知人・家族・会社・住まい
なのだということを知るべきだ
麻薬患者を縛るのが麻薬そのものだということに似ている


別れとはいったい何であるか、人はじっくり考えてみるべきだ
出会うから別かれる、別れるから出会いがある
新たな素晴らしい出会いのために別れると言ってもよい
人が長生きなのは多くの別れをするためかもしれない
結婚し子を産み孫が生まれて永遠の出会いに繋がって行く
学校や就職や結婚や家族との別れ程度で最低限の別れは、
それらは私に言わせれば別れとは言えない


私は
24で東京から大阪へ更に京都へ、55歳で都会と決別し、
滋賀県の一人山暮らし、今は田舎町で暮らし続けている
松下電器からエンゼル工業そしてロームを経てコンサルタント会社へ
最後は、山暮らしをしながら経営コンサルタントを自営、
妻とは55歳の時に癌で他界して別れ、
 ”妻の死と会社退職とコンサルタント自営と山暮し”はほぼ同時発生した
 のであるが、そういう厳しい別れは55歳以降の私の生き方
 を大きく変え新たな出会い(自由と自然と自分発見)
 もたらした

子供達も兵庫・大阪・京都と別々の地で暮らしている

地域文化や住環境や多くの人々との別れと出会いもしてきた
仕事も趣味も生き方や暮らし方多くの出会いをしてきた

生まれて以来同じ場所・環境・人・便利さ・過密さの中で
生きているのは人を狭く・浅く・小さくするだけのことだ
長年大都会や大企業に居続けた人と後年遭うと、私は大きな
違和感を感じる。本人はそんなことを感じていないのだが
すでに得た地位や会社や住居や人を捨てたくないばかりに
別れることを躊躇ってはいけない

私は、最初30歳頃は怖々、悩み苦しみながら
そして50歳頃からはやや大胆になり
65歳以降は躊躇なく多くのの別れと出会いをして来た。
それに反して多くの日本人は、別れないことを後生大事に保つ、
私に言わせれば自分を縛り付ける生き方をしている。
私の経験から言えることは別れを恐れないとか
面倒くさいとか考え過ぎない
ことだ

いろいろな別れや出会いを経験し続けてくると
死別もどんな過酷な分れでさえも、悲しい事ではない
生を享けた者、出会った者に、別れは100%やって来る
誕生や出会いは同時に別れや死ぬことを意味する
死は最後の別れ、もう二度と別れることはできないのだ
大事なことは人生でより多くの別れを作り、経験することだ
別れはいつも”ハッピーエンド”とするのだ

別れが悲しいものであれば、生まれも出会いも悲しいはずだ
生まれる・出会うことだけがなぜ目出度いのだろうか?
別れが、なぜ悲しいもの・つらいものと考えるのだろうか?
別れとは完了・完成・完結ということ、締めくくることなのだ
別れないことで自分を必要以上に縛りつけていませんか?

別れを泣いて悲しむ人の姿を多く見かけることがある
私は「一体なに悲しんでいるんだ?」と思ってしまう
別れを悲しむなんて事を考える僅かな隙間は私にはない
別れは悲しむとか悩むことなんかでは全然ない
別れとは私的には決別・挑戦・冒険・脱皮・飛躍・変革と考えている
別れの少ない人の人生にチャレンジの痕跡はない


会社も住まいも環境も趣味も仕事も友人も妻や夫さえ
別れを恐れず変えても良いと思っている。
結婚でさえ契約、双方合意ならば契約解除もありえる
ましてや契約のないものは、自分が意味ないと思えば
別れることだ。普通は経済的などの理由で離婚などできないので
仕方なく結婚を続けている場合が多いが、
可能な人ほど何回も離婚と結婚を繰り返すのですよ。
離婚は望ましくないとか、離婚禁止の法律はないのです。
最近結婚しないなんて言う人が多くなって困っていますが、
簡単に離婚できないのであれば結婚しないという選択もあり
私の場合も妻が他界して再婚はしませんでした。

以上、別れについて述べてみたが、何事においても同様なのだ
悲しむことは悩むことなど、この世には一切無いのだ
悲しむ・悩むことはむしろ人間を成長させる原動力なのだ
人はつまらんことを、固定観念で悪く考える傾向がある
別れが悲しいと躊躇う者は「勝手に悲しんで躊躇っていろ」
別れのない人生は出会いのない人生に過ぎないのだ
55歳以降私が体験した些細な事だが別れを紹介する
 妻との別れ 都会との別れ  会社勤めとの別れ
 子供への小言・意見することの別れ 家族暮らしとの別れ
 自動車との別れ 酒ビールと別れ せっかちとの別れ
 床屋での散髪との別れ 新聞との別れ 旅行との別れ
 着飾るからの別れ 自己中心からの別れ 
 会話苦手からの別れ 他人への依存からの別れ:自活
 経営コンサルタント自営との別れ 山暮らしとの別れ⇒田舎町へ
 父との別れ 母との別れ 東京の兄姉との別れ
(東京血縁との付合いをやめ京都人として生きるに決める)
 55歳山暮らし・自然・安曇川・山菜との出会い
 55歳ISO14001との出会い 55歳コンサルタント自営との出会い
 57歳ホームページ作成との出会い 57歳前立腺がん摘出との出会い
 60歳素人大工作業との出会い 60歳ブログ作成との出会い
 62歳人生勉強会との出会い 67脱腸手術との出会い
 72歳田舎町暮らしとの出会い 72歳草木の剪定との出会い
 72歳福祉活動との出会い 73歳水彩画との出会い
 74歳卓球との出会い 80歳老いとの出会い

 その他やったことや小さいことはいくらでもあるが省く

今年も歴史的な猛暑そして台風10号歴史的な本土上陸台風らしい
道からの洪水に侵入をふせぐガードを設置しました


停電が予想され熱中症も心配なので電源も購入しようと調査検討にかかりました。大災害の多くなるこの時代安全にはより多くのお金と努力をかけることをお勧めする。費用は14万円くらいになりそうだ  Anker Solix C1000  1056Wh 世界最速の急速充電 高出力AC(定格1500W / 瞬間最大2000W / SurgePad 2000W, 6ポート) 長寿命10年 リン酸鉄 ¥139,900 税込

ポータブル電源の選び方
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28.日本文化は、日本語の文化、その日本語が絶滅の危機に、残念です

2006-05-28 12:15:44 | 言葉
東京から大阪、大阪から京都に移り住んで長いことになりますが、東京生まれの私が日本語のとてつもない特殊さ・すごさを実感したのは、京都に住んで否応なしに下手な京言葉で会話し始めてからでしょう。日本語は、本来難しいのですが、京言葉はその何十倍も何百倍も難しく奥深いように思います。おこらないで欲しいのですが、標準語の東京弁は最悪・最低で、あんな言葉使っていると、東京人は、日本人ではなくなってしまいますよ。
フランス語というのは世界一きれいな言葉ですが、それと同等またはそれ以上に京言葉は繊細で素晴らしく、優美なものであることを実感します。そしてそこから更に日本語・日本文化のすごさを改めてつくづく実感したものです。
日本語というものは、そんじょそこらの国の言葉とはわけが違うのです、多くの類まれな特徴があるのです。「日本語は英語と比較して世界語になっていない」と言う人がいますが、それは「京言葉が日本語になっていない」などと暴言をはくのと似ています。日本語というのは、日本人でさえも往生しているというのに、そんじょそこらの記号語を話す外人がしゃべれるようなそんな生易しいものではないのです。外人が日本語話すなんてのは、凄いことなんです。

①言葉自体が記号でなく、言葉一つづつ、それぞれ独自の意味を持つ
②言葉の数が非常に多い(多分世界一では?)
③同じ意味でも何十種類の言葉がある
④更に抑揚や言い回し、語尾、状況によってもかなり意味が変わる
⑤尊敬語・丁寧語・謙譲語がある、しかも種類も多い
⑥文法や表現の仕方は、バライテイーがあり、自由度も大きい
⑦話すことはできても、読み書きは更に相当複雑である
⑧間違って伝わる場合も多いが、どちらとも取れるような曖昧な表現が多い
⑨反対の表現をすることがある(例:つまらんものですが)
⑩謝る表現や一見無意味・無駄に思える会話が多い
⑪女と男の言葉が違う、年齢毎の言葉も違う
⑫擬音語や情を表す微妙な表現も豊富
※日本語は争うため、交渉のため、取引のため、相手を服従させるための言葉ではなく、互いに融和する心を通わせるための言葉と言うことができるように思います。そういう日本語を是非取り戻す必要があります。現代は日本語も西欧化しています。

漢字・ひらがな・カタカナがあり、日本人は欲張りで本来の日本語以外に更に外来語もあり、読み書きも大変なんです。日本人は世界一難しい日本語を話すということで他所の国の人より頭の働きが良くなっているはずなんです。日本語を読み・話し・書くのは、当り前ではないのです。すごいことなんです。
30歳40歳になって日本語がきちんと流暢に話せ・書け・読める人は、すごく頭の働きが良い人のはずなんです。歳とらないためにも生涯、きちんとした日本語を話し・書くことを是非お勧めします。
『日本語というのは、かけがえのない最重要な世界文化遺産』なんです。そういうことが日本人自身に理解されていないことが残念です。日本語に比較したら、日本の建造物や寺や美術品なんかどうでもいいんです。そんなものは、写真でも模造品でも保存できますし、壊れてもそれらしい物はいつでも作ることが可能なんです。ところが日本語は生ものですから、一度廃れていくと、どうやっても回復や保存が不可能であり、やがて本当に絶滅してしまうのです。
テレビで出鱈目かつ下品かつ安易な日本語を話すタレントや放送関係者は、彼等はそうは意識していないでしょうが、日本語の破壊者であり、「自分が儲かりさえすれば、日本語なんかどうなってもいい」という彼等の罪は相当に深いものなんです。

周囲を海で囲まれ、島国で長いこと平和で一民族的の国であったせいか、言葉は、どんどん複雑になり、洗練されていったようです。
したがって日本語には、非常に優れた面を持つと同時に、大きな弊害が共存しています。
ちょうど和服は素晴らしいのですが、和服を着る面倒臭さが表面に出てきたのです。最近の若者の衣服のように、ジーパンにTシャツのほうが着やすく、洗濯も簡単だし、安いので良いとなってしまいがちです。アメリカ式は多民族国家(寄り合い所帯)ですからあらゆることが、単純化・記号化されています。

企業などで標準化ということをやっています。標準化すると能率が上がるのです。
標準化には、
①単純化 ②統一化 ③規格化 が行われます。多くの人がばらばらなことをやると非常に手間がかかるのはご存じのとおりです。だからまず単純なものにし、統一し、規格化してしまうのです。アメリカ語や標準日本語は単純化・統一化・規格化されていますよね。しかし方言(地方言葉)はその地方で同じ年代の人にしか正確に通じません。私など東京人が関西に移り住んでも、最初のうちは関西人の言うことは1/10くらいしか理解できていませんし、喋るなんてことは、なかなかできません。私のように関西に35年も住んで下手でも関西弁を使い関西の人と付き合って、それでもやっと半人前以下なんです。京言葉や方言は生まれて何十年かその地でその土地の言葉で生活をしないと、とても身につくものではないのです。

まさに口伝えの文化なんです。

最近、京言葉や難波言葉だけでなく日本語そのものが崩壊しています。若者が和服を着ないのと同じように、若者が本物の日本語を好まなくなっているからという理由です。
残念なことではありますが、こういうことを阻止することは、ほとんど不可能なんです。地球環境問題で種の絶滅ということがあり、コウノトリのように本当に絶滅寸前の状況ですが、古来の日本語も絶滅・崩壊に近いんです。ある程度のものは残るでしょうが、まあ本来の日本語や京言葉、難波言葉とは似ても似つかないお粗末な言葉に変化してしまっており、そういうことは誰も止められないのです。
地方の方が京都に来ると京都の人が話すのを聞いて、「京都の言葉はいいですね」なんておしゃっていますが、京都に住んでいる者にとっては、京言葉なんか、もうほとんどなくなっていると同然と認識しています。大人達自身が話す京言葉でさえ、かなり無茶苦茶なんですから。

◎日本語は最重要な世界文化遺産です。残念ですか絶滅の危機にあるのです

1)日本人は日本語だけ使えればそれで十分過ぎる
2)日本語はそれほど優れている
3)日本語はそれほど奥が深い
4)日本語は、世界の宝
5)英語なんかしゃべるよりもっと日本語の能力を高めよ
6)英語化は益々日本を喪失していく
7)日本人は英語的ではない、苦手で当然だ
8)日本語をきちんと使えるには生涯かかる(50年必要だ)
9)日本語は標準語しゃべれるだけでは日本人ではない
10)日本語のルーツ京言葉・難波言葉が使えないのは日本人とは言えない
11)本語は複雑で面倒だから、どんどん捨てられていく
12)日本語をきちんと読み・書き・喋れない人は日本人とは言えない

子供だけでなく大人も、きちんと京言葉や難波言葉を話す人はいなくなった。和服や和家具や和建築などはともかく、日本語は一度絶滅したら元に戻すことは200%不可能なんです。
残念です。少なくとも英語みたいなものを勉強するのは従来のように、学校で6年やっても多くの日本人が満足に話せなくてそれで十分なんです。むしろ本来の日本語教育や京言葉教育をきちんとやるべきなんです。NOVAも日本語会話スクールや京言葉会話スクールを全国に作って欲しいですね。英語みたいな記号語ではなく、意味語・手作り語・情語・心の伝達語である日本語をもっと大切にして欲しいですね。

遅ればせながら東京生まれの私も京言葉をもう少しきちんと喋れる努力をしようと思っています。非常に難しいことではありますが、35年もまがりなりに京都で生活してきたのですから、60の手習いでも不可能ということはないと思っています。少なくとも、ご飯のように、ゆっくり味わいながら京言葉をしみじみと話すようにしていこうと思っています。

時々年配の関西の女性が本物の京言葉や難波言葉を話すのを耳にすることがあります。それを聞いていると、どんな音楽や芸術より何倍も素晴らしさを感じ、うっとり聞き惚れてしまいます。いつまでもそういう方の話を聞いていたいと思ってしまうほどです。相当の高齢の方でもそういう人と一緒に暮らしたいなーなんて思ってしまうほど、一流の文学作品をはるかに超えるほど素晴らしいものです。

まあひょんなことから、私は、東京から京都に移り住んで、そういう素晴らしい京言葉や難波言葉を日常耳にする幸せを味わえる時期に生きていただけ幸せなんでしょうがね。そう思って自分を慰めるしかないのでしょうね。
日本人には、貴方ご自身のために「きちんとした日本語を話しなさいよ、できれば京言葉に触れ、勉強しなさいよ、心が豊かになりますよ」と言いたいですね。
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