講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
テーマ
仕事は稼ぐためか、好きだからかやるのか?
仕事とは貴方はどう定義しますか?
・お金を稼ぐ、食っていくためのもの
確かにそうじゃ
・つらいもの
それもそうじゃ
・世の中の要望に応えて、その見返りにお金を稼ぐ
まあまとめるとそうなるかね
・仕事するためには、好きだのどうだの言ってられない
・条件の良い仕事を得るためには自分の暮らしや人生さえも犠牲にする
しかし、本当にそうなんだろうか?何か肝心なものを忘れてないだろうか?
私の考えは仕事とは自分が一番楽しい事、好きな事
苦しみや悩みがあっても、自分が好きなこと、それが仕事
そうでなければ、それは仕事ではない、というのが私なりの定義
”好きではない事=仕事ではない” が私の昨今の基本的な信念だ
注)好きと言っても一時の感情やエイヤーで好きということではない
よくよく調べ、分析・評価した上で冷静に好きということですよ)
その意味が分かりにくいので、少しづつ説明して行く。というのは、
過去の私や世間一般は”仕事=好き”ではないように思うからだ
75歳の昨今のこの私の考えに反し
私の55歳以前の過去の仕事や人生は、必しも楽しくはなかったと思う
仕事のつらさが自分を逞しくするという考えも当時はあったと思う
戦後の経済成長期には「頑張ろう家建てる迄」みたいなことがあった
必死に我慢して仕事をする、苦しさにもじっと耐える、耐え忍ぶ、・・
就職氷河期の人は可哀想だったと思うが、売り手市場の今がチャンスだ
好きな仕事で一生を楽しく、幸せになるラストチャンスかもしれない
もし貴方のやっている仕事が好きではないのであれば、それは仕事ではない
それは処罰か拷問か奴隷か我慢忍耐だと、昨今の私は思うようになった
嫌な思いで作ったり・やったりしたものが他人を喜ばすなんてことはない
料理も嫌々しんどい思いをして作っものが美味しいはずがない
社長やお客様が心底喜ぶものは”仕事する自分が最も好きなもの”であろう
好きなことには全精神・全肉体の努力が結集して、雑念など全くない
ラーメン店や飲食店もそんなものなので、好きで真剣にやっている店が繁盛する
企業も成長するほど、上司は部下に厳しくなり、仕事はつらいものへと変わる
仕事とは食っていくため、家族を食わしていくためのもの、だから一生もんだが
好きでない仕事で人間関係や厳しいノルマで、一生苦しむなぞ、ぞーっとする
結婚出来ない・結婚後上手くいかない・子供産まない等の社会現象も
物事を好きになれない現代人が増えていることを示している
世代間ギャップというのがあるが、
昔の人は根性論的だが、最近の若者や今後はそうではないと思っている
「たかが好き、されど好き」好きなことにきちんと向き合えということだ
・好きって一体何なの?
・好きなものってある?
・どう好きなの、単なる好きなの?
・好きなものに対してどうしているの?
・ところで自分は好かれているの?
・どう好かれているの?
・自分のどういうところが好かれていると思うの?
・好き・・・・・
好きということをもっと深く考えてみなくてはならないのでは?
でも我々の一般的な実態はまだまだ”仕事=つらいもの”かもしれない
「そうだよ、仕事ってのは、すげーつらいものさ」「つらくないなんて仕事じゃねー」
その考えは正しいのだろうか???
好きでない仕事を嫌々やって魅力的な製品.サービスが生まれるのだろうか?
「好きこそものの上手なれ」と言うじゃないか
苦しみ・悩みというのは、私なりには嘘誤魔化しなんです
仕事=苦しみ・悩む=嘘誤魔化しなんて悲惨です
そんなつらい仕事で人生を送ってしまったら、人生を無駄に暮すことになる
一生かけても良い製品も良いサービスも何も生まれる訳がない
好きな仕事を選び、やっている最中に苦しみ悩みがあるのはむしろ歓迎だが
仕事を含め全てについて苦しみ悩みの多い間違った生きたかをしてしまう
人生も、苦しみ・悩む、辛い修行と言ったイメージがあるが、はたしてそうだろうか?
すなわち
仕事=好きなもの
すなわち仕事の見つけ方や会社の決め方がおかしい・怪しい
・理工系・文科系なんて区別はきっぱり捨てよう
・一流会社・二流会社、大会社零細企業などという区分もやめよう
・近くの会社と言うのもやめよう
・いくらお金くれるからとか待遇がよいとかいうのもやめよう
そんな過去の仕事の選び方を一旦、エイヤーと捨ててしまいましょう
世界中を旅行して自分の仕事を探すのなんてのは、良いことかも
私のように全国各地に移り住んで仕事も変えていくなんてのも良いかもしれない
そういう中で好きな仕事を見つけたらよい、好きな事はそう簡単には見つからない
・俺は太っていて力もあるから相撲取りをやったが、実は好きじゃないし、すげーつらい
・成績よくて良い大学に入り、大会社に入ったが、全然面白くもない、つらいだけ
なんて人も案外多い
単純に自分が好きなものを探すのはやってみて好きかどうかなのだから
すなわちあれこれ、やってみろ、次々に転職してみ、ということだ
現実は仕事に限らず好きなものが自分の周辺に少ないのではなかろうか?
・家好きじゃない
・父好きじゃない
・母好きじゃない
・先生好きじゃない
・部屋、洗面所、風呂、台所・・・好きじゃない
・洋服・靴好きじゃない
・友人、先生、兄弟・・・好きじゃない
・学校好きじゃない
・勉強好きじゃない
・趣味好きじゃない
幾つ好きなものがあるだろうか?
好きでもない都会に住み好きでもない人や環境にどっぷりハマっている
ところで、そういう自分自身は周囲の人に好かれているだろうか?貴方はどう?
何かを好きになるのも良いが、自分自身は他人に好かれないのは何とも悲しい
よく自分を飾るなとか自分に正直に生きろと言うが、それはそれで正しいが
間違うと我儘勝手な他人に好かれない嫌な自分になってしまう
だからと言って、他人に好かれるように自分を飾ったり誤魔化し自分を変えるというより、
時間をかけて、いろいろな体験を積み、自分を磨くことが自然に他人から好かれる元である
簡単に言えば、自然に振る舞うことだろうか、不自然な人は好かれないのだ
明るく元気で楽しく自然な人は、道端で偶然に会っても話し掛けたくなるし、
単に「おはよう」「こんにちわ」とか通り一遍の挨拶だけで通り過ぎることはなくなる
ところで何でもよいが、人生で非常に好きなことを発見出来ていますか?
それは幾つありますか?たった一つですか、三つも四つもありますか?
昔70歳以前には自分の人生において好きなものは食べる寝るくらいだった
「退職後はあれもこれも自由にやりたい」と思っていた人が現実には退屈男になる
実はあれこれ趣味の種や芽をもっているがそれを植えて育てる意欲がない
今の私はそういう点でいろいろな種や芽を自由に栽培している感じだ
現代人・都会人は暇が大嫌いだが、今の私は暇さえも好きになっている
暇で何もすることがない時間がやって来ると、「よく来たね」親愛の友来るだ
暇な時間に何だかんだとやってみると、過去嫌いなものが好きに変身する
しかし今は多くのものが好きだ、何も欲張って好きになったというより
気づいたらあれもこれも好きになって行ったのだった、現実にそんなことある
例えば(あまりに当たり前のものは書きませんが)
大工・山暮らし・家事・物書き・ガーデニング・絵描き・バイク・木伐採
自転車・会話・家のリフォーム・パソコン・資産運用およそ何でも好きだ
昔苦手だった会話や人付き合いも好きになり、今なら苦手だった営業も出来る
昔は絵描きや書や文書作成は最も苦手だったが、今は全くそんなことはない
あれほど嫌がっていた絵も、昨年トライしてみると、すぐに好きになった
言ってみれば、今私が好きな仕事や趣味の幅は、格段に広くなった
広くないと、好きな仕事の幅も極めて狭くなり、嫌いな仕事を選ぶはめになる
山暮らしを始めてから広大な管理放棄地の草抜きや木伐採を一人で淡々と
やっているうちに、そんなことでも今は、むしろ好きな事になっている
周囲の人からは「気の毒に草むしり,大変でしょ」なんて言われるが
そうしてみると、現在で私が好きな仕事は広大無辺になっている
すなわちどんな仕事も好きになれそうなのだ、なんとも幸せだ
好きなことが多い人 好きなことの深い人 何でも好きになれる人
は強いし、人生が豊かなのだ
反対にあれもこれも嫌いが多い人
は弱いし、人生は不幸になりがちだ
普通はそうはいかないし、かつての私のように仕事選びに苦しんでいるはず
私は今や人も誰でも付き合える、私が若ければ誰とも結婚できるかもしれない
しかし昔の私はそうではなかった、好きな人を探すのに苦労したし
人付き合いや会話がなっていなかったので大きな壁であった
現実に昔は孤独な時期が長かった、友人がいなかったし、かなりつらかった
どこでどう変わったのでしょうか?
”大学出た⇒会社に就職した⇒我慢して定年”=最悪な仕事選び
高校~大学では、自分な好きなものを発見する期間であって欲しい
嫌々、仕事や結婚生活を続けている可能性が大きいが、そんな不幸な事はない
・自分が好きなもの、一日やっていても疲れを知らないもの
・時間の経つのを忘れるような楽しくてしょうがない仕事
・毎朝楽しくで嬉しそうに会社に出かけるそんな仕事
そういう仕事こそが自分向きの人生を最大限に豊かにする仕事
大して好きではない仕事を選んでしまった場合には、
会社で挫折したり、上手くいかなかったり、ノイローゼになったりする
結婚・夫婦生活も同様で
嬉しそうに、楽しく、話し・協力し・尊敬しあうそんな夫婦関係
互いに大して好きでもないのに結婚してしまったら家庭は地獄でしかない
私の想像に過ぎないが、何となく上手く行かないとか悩んでいる人は
さほど好きではなかった仕事や物や人を、厳密に考えず
エイヤーか又は、「まっいいか」みたいに決めたせいではないかと思う
すなわち「元に原因あり」であって「今の問題ではない」ように思う
そんな時はクヨクヨ悩み続けるより、いっそ離婚や転職に梶を切るべきだ
仕事や結婚相手の人が好きではなかったから。 か又は
自分自身がだらしない頼りない人間だったという更に大元の原因でしょう
好きになることとは=
①相手をよく観察分析評価する
②自分が何を好きかをしっかり見極める
③自分自身がより幅の広い、しっかりした人間になる
(他人から好かれる・求められる人に)
好きでないものや人を、好きだと思い込んで選んだのは実に不幸なことで
例えば
美味しそうなラーメンと思ってその店に入り注文したら不味かった
もっと事前にいろいろ調べ、店内を観察して入店すべきだったのです
結婚や就職は、その典型であり、余程好きでもない限り決めてはいけない
立派なことを言う私めも御多分に漏れず、過去は、好きでもないものを
さんざ買ったり、やったり、追求したりしてまいりました。
それ見い、谷あり山あり、苦あれば楽有りで、最初から上手くは行かない
と言われそうですが、私は私自身の苦い経験から言っているのであって、
苦い経験をお勧めではなく、「苦い経験をするな」と言いたいのです
苦い経験は当前とか苦い経験してこそ立派になれると信じないことです
もし苦しみ悩むことがあったら、その苦い経験から早く脱出して欲しい
舌切り雀の昔話をご存知だろうか:単なる思い込みは危険なり
優しい爺さんは小ぽけな荷物をもらい家に帰り開けると金銀財宝が出てきた
それを見た悪い婆さんが大きなツヅラを背負い家に帰る途中、中身をみると
石やお化けや恐ろしい虫が出てきた。
仕事や人を選ぶ場合多くの人は見かけで選び
それが自分にとって望ましいかどうかを慎重に考えないものなのである
大学進学そのもの=生涯の仕事決定ではない、単なる出発点に過ぎない
終身雇用がどうのこうのなんてのは3~4回転職してからの話なのだ
結婚も3~4人の人と付き合ってから結婚相手を決めるべきなのだ
まずは、自分の好きな事や人をじっくり見極めることが最も大切なのだ
過去を振り返ると、私の場合も、完璧に嬉しい楽しい仕事ではなかった
もし私が、100%好きな仕事をしていれば、大金持ち・大物になっただろう
好きな仕事を見つけた人が必しも100%成功するとは限らないが
好きな事は楽しいはずであり、そんな幸せなことはないはずなのである
プロのスポーツ競技選手はあたかも好きで楽しくやっているようだが
現実は苦しみや悩みを多く抱えており、そうでもないらしい
好きでやっているはずだが、意外にそうではないことも多いので要注意だ
大半の人は、私同様に「会社を辞めたい」と何度も思った人で、
(結婚では「この人とは、すぐにも別れたい」と思う人も多い)
最近の若者は、入社後1年持たない人や、1週間もたない人もいると聞く
しかし、それが正解かもしれない、「日本では3年は我慢せよ」と言うが、
嫌なことは3年やっても嫌なものであろうから、早く転職したほうが良い
結婚なんかも嫌な相手はせいぜい1週間とか1月で別れたほうが良い
2~3年暮らしてみると大半は、かなり思い違いな相手が多いのだから
結婚前に同棲し、その上で1年後に正式結婚すればよいかもしれないし
結婚式や披露宴は格安にやるか、ごく簡単なもので良いと思う
離婚しないように殊更に豪華絢爛な披露宴は止めよう
最期の結婚のようにして大盤振る舞いの披露宴とはナンセンス極まりない
結婚祝い金も3年後とか5年後にあげたらどうかと思う
ところで、今の私は、ある程度の人ならば誰でも好きになれる
昔より人を選ぶ幅は格段に広がったのだ、今結婚しない人が増えたのは
かつての私より更に幅の狭く、しかも付き合いベタが多いからだろう
あれもこれも出来ない人や我侭な人が増えている
例えば、最近はドライバーやトンカチ・のこぎりも使えない人が多い
出来ることはパソコンやスマホのキーを打つことだけという人も多い
そういう人は実に困った人で、仕事を頼んでも、人付き合いをしても
どちらも全く上手く出来ず、仕事も恋愛も結婚も100%失敗する
より好きな仕事をやることが真の幸せだが、給料等を優先してしまう
むしろ嫌いな事はすぐに辞めたほうがいいのかもしれない
「石の上にも3年」とか「ある期間我慢せい」と言ったのは昔のことだ
私流に言えば好きな事に対しては当てはまるが、嫌いなことは当てはまらない
会社も3~5年の間に「今の仕事は好きですか?」と聴いてやらねばならない
好きな仕事探し:
①物づくりか非物づくりか
②高度先端技術か既存技術か
③重労働か軽作業か
④田舎(山・海・平地)か地方都市か大都会か海外か
⑤座り仕事か経ち歩き仕事か
⑥研究職か非研究職か
⑦製造か販売か営業か事務か
⑧芸術(絵画・音楽・造形・文学・俳優・歌手)か非芸術か
⑨頭脳職か事務職か作業職か
⑩危険職か安全職か
⑪大企業か中堅企業か零細企業か自営か
⑫専門の狭い範囲か広い範囲の仕事か
先祖や親や兄弟の情報も参考になる。父母のどちらの血をひいたかも重要
子供も長男と長女は私に次男は妻の血を引いていて明らかに違いがある
得意な技術・技能は何か、学校の学科の成績はあまりに参考にならない
私は技術系だと言われ東京工業大学に入ったが、父の血筋は事務系だった
会社にも学業成績と社会での実力発揮のベクトルが正反対の人もかなりいた
例えば絵が好きだから画家だと決めつけずに、もっと範囲を広げるべきだ
技術や理科系だと思っていたら、意外と文科系なんて人も多い
私は、事務系でありながら、やや技術系なので、大きな利点・特徴である
仕事・結婚相手・住居を選ぶ時に最も大事なのは「心底好きかどうか」
(本当に心底好きでないと、失敗し、大きな成功や幸福を得られない)
しかも
自分自身も勉強し経験し鍛え異文化を体験し、自分自身の幅を広げるべきだ
(自分が狭い人は、好きな仕事や人をなかなか絞れない)
物事を考える時に悲観論になりがちでどんどん悪い方にはまり込みがち
(失敗・間違いに陥っても楽観論で早くそこから脱出すること)
出来れば物事を安易に毛嫌いせず、深く好きになるよう努力すべきだ
●好きを増やせ、それこそが幸せへの近道
●嫌いを減らせ、苦手を減らせ、それこそが幸せへの入口
そのためには自分自身及び意識を大きく変えることだ
固定感念を捨て去り、より自然に振る舞える自分になるべきだ
得ようでなく、捨てようから始めることが肝心だ
多くの嫌いは固定感念や自分のつまらん意識が邪魔しているのだ
最期にもう一度『好きこそ、物の上手なれ』(嫌うは、物の下手なれ)
解説引用: 好きこそ物の上手なれとは、どんなことであっても、
人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ
出典:故事ことわざ辞典 このことわざの意味は…好きなコトであれば、
誰に強いられることもなく自分から取り組むことができ、
モチベーションを保ちながら継続して努力を続けることができるので、
スキルが比較的早く上がる、というもの
好きなことをやっている人には勝てない ...仕事でも同じこと
· 好きであれば「自律性」が保たれ、 · 寝ないでやれるのは好きだから
3年前に田中に引越しした時に床下のシロアリ駆除を行ない今度3年目の検査
そこで換気扇4台と全面炭を敷き詰めた。なんせ地下水が豊富、床下は土むき出し
湿気の多いところで、前回と合計100万円かかったが健康や家のためには納得
一戸建ての家は床下の湿気対策をすべきだ地震対策の重要な一つでもある
地震対策では柱がシロアリに食われていないことは絶対条件だから
床下換気扇朝10時~午後3時まで自動的に換気する
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
テーマ
仕事は稼ぐためか、好きだからかやるのか?
仕事とは貴方はどう定義しますか?
・お金を稼ぐ、食っていくためのもの
確かにそうじゃ
・つらいもの
それもそうじゃ
・世の中の要望に応えて、その見返りにお金を稼ぐ
まあまとめるとそうなるかね
・仕事するためには、好きだのどうだの言ってられない
・条件の良い仕事を得るためには自分の暮らしや人生さえも犠牲にする
しかし、本当にそうなんだろうか?何か肝心なものを忘れてないだろうか?
私の考えは仕事とは自分が一番楽しい事、好きな事
苦しみや悩みがあっても、自分が好きなこと、それが仕事
そうでなければ、それは仕事ではない、というのが私なりの定義
”好きではない事=仕事ではない” が私の昨今の基本的な信念だ
注)好きと言っても一時の感情やエイヤーで好きということではない
よくよく調べ、分析・評価した上で冷静に好きということですよ)
その意味が分かりにくいので、少しづつ説明して行く。というのは、
過去の私や世間一般は”仕事=好き”ではないように思うからだ
75歳の昨今のこの私の考えに反し
私の55歳以前の過去の仕事や人生は、必しも楽しくはなかったと思う
仕事のつらさが自分を逞しくするという考えも当時はあったと思う
戦後の経済成長期には「頑張ろう家建てる迄」みたいなことがあった
必死に我慢して仕事をする、苦しさにもじっと耐える、耐え忍ぶ、・・
就職氷河期の人は可哀想だったと思うが、売り手市場の今がチャンスだ
好きな仕事で一生を楽しく、幸せになるラストチャンスかもしれない
もし貴方のやっている仕事が好きではないのであれば、それは仕事ではない
それは処罰か拷問か奴隷か我慢忍耐だと、昨今の私は思うようになった
嫌な思いで作ったり・やったりしたものが他人を喜ばすなんてことはない
料理も嫌々しんどい思いをして作っものが美味しいはずがない
社長やお客様が心底喜ぶものは”仕事する自分が最も好きなもの”であろう
好きなことには全精神・全肉体の努力が結集して、雑念など全くない
ラーメン店や飲食店もそんなものなので、好きで真剣にやっている店が繁盛する
企業も成長するほど、上司は部下に厳しくなり、仕事はつらいものへと変わる
仕事とは食っていくため、家族を食わしていくためのもの、だから一生もんだが
好きでない仕事で人間関係や厳しいノルマで、一生苦しむなぞ、ぞーっとする
結婚出来ない・結婚後上手くいかない・子供産まない等の社会現象も
物事を好きになれない現代人が増えていることを示している
世代間ギャップというのがあるが、
昔の人は根性論的だが、最近の若者や今後はそうではないと思っている
「たかが好き、されど好き」好きなことにきちんと向き合えということだ
・好きって一体何なの?
・好きなものってある?
・どう好きなの、単なる好きなの?
・好きなものに対してどうしているの?
・ところで自分は好かれているの?
・どう好かれているの?
・自分のどういうところが好かれていると思うの?
・好き・・・・・
好きということをもっと深く考えてみなくてはならないのでは?
でも我々の一般的な実態はまだまだ”仕事=つらいもの”かもしれない
「そうだよ、仕事ってのは、すげーつらいものさ」「つらくないなんて仕事じゃねー」
その考えは正しいのだろうか???
好きでない仕事を嫌々やって魅力的な製品.サービスが生まれるのだろうか?
「好きこそものの上手なれ」と言うじゃないか
苦しみ・悩みというのは、私なりには嘘誤魔化しなんです
仕事=苦しみ・悩む=嘘誤魔化しなんて悲惨です
そんなつらい仕事で人生を送ってしまったら、人生を無駄に暮すことになる
一生かけても良い製品も良いサービスも何も生まれる訳がない
好きな仕事を選び、やっている最中に苦しみ悩みがあるのはむしろ歓迎だが
仕事を含め全てについて苦しみ悩みの多い間違った生きたかをしてしまう
人生も、苦しみ・悩む、辛い修行と言ったイメージがあるが、はたしてそうだろうか?
すなわち
仕事=好きなもの
すなわち仕事の見つけ方や会社の決め方がおかしい・怪しい
・理工系・文科系なんて区別はきっぱり捨てよう
・一流会社・二流会社、大会社零細企業などという区分もやめよう
・近くの会社と言うのもやめよう
・いくらお金くれるからとか待遇がよいとかいうのもやめよう
そんな過去の仕事の選び方を一旦、エイヤーと捨ててしまいましょう
世界中を旅行して自分の仕事を探すのなんてのは、良いことかも
私のように全国各地に移り住んで仕事も変えていくなんてのも良いかもしれない
そういう中で好きな仕事を見つけたらよい、好きな事はそう簡単には見つからない
・俺は太っていて力もあるから相撲取りをやったが、実は好きじゃないし、すげーつらい
・成績よくて良い大学に入り、大会社に入ったが、全然面白くもない、つらいだけ
なんて人も案外多い
単純に自分が好きなものを探すのはやってみて好きかどうかなのだから
すなわちあれこれ、やってみろ、次々に転職してみ、ということだ
現実は仕事に限らず好きなものが自分の周辺に少ないのではなかろうか?
・家好きじゃない
・父好きじゃない
・母好きじゃない
・先生好きじゃない
・部屋、洗面所、風呂、台所・・・好きじゃない
・洋服・靴好きじゃない
・友人、先生、兄弟・・・好きじゃない
・学校好きじゃない
・勉強好きじゃない
・趣味好きじゃない
幾つ好きなものがあるだろうか?
好きでもない都会に住み好きでもない人や環境にどっぷりハマっている
ところで、そういう自分自身は周囲の人に好かれているだろうか?貴方はどう?
何かを好きになるのも良いが、自分自身は他人に好かれないのは何とも悲しい
よく自分を飾るなとか自分に正直に生きろと言うが、それはそれで正しいが
間違うと我儘勝手な他人に好かれない嫌な自分になってしまう
だからと言って、他人に好かれるように自分を飾ったり誤魔化し自分を変えるというより、
時間をかけて、いろいろな体験を積み、自分を磨くことが自然に他人から好かれる元である
簡単に言えば、自然に振る舞うことだろうか、不自然な人は好かれないのだ
明るく元気で楽しく自然な人は、道端で偶然に会っても話し掛けたくなるし、
単に「おはよう」「こんにちわ」とか通り一遍の挨拶だけで通り過ぎることはなくなる
ところで何でもよいが、人生で非常に好きなことを発見出来ていますか?
それは幾つありますか?たった一つですか、三つも四つもありますか?
昔70歳以前には自分の人生において好きなものは食べる寝るくらいだった
「退職後はあれもこれも自由にやりたい」と思っていた人が現実には退屈男になる
実はあれこれ趣味の種や芽をもっているがそれを植えて育てる意欲がない
今の私はそういう点でいろいろな種や芽を自由に栽培している感じだ
現代人・都会人は暇が大嫌いだが、今の私は暇さえも好きになっている
暇で何もすることがない時間がやって来ると、「よく来たね」親愛の友来るだ
暇な時間に何だかんだとやってみると、過去嫌いなものが好きに変身する
しかし今は多くのものが好きだ、何も欲張って好きになったというより
気づいたらあれもこれも好きになって行ったのだった、現実にそんなことある
例えば(あまりに当たり前のものは書きませんが)
大工・山暮らし・家事・物書き・ガーデニング・絵描き・バイク・木伐採
自転車・会話・家のリフォーム・パソコン・資産運用およそ何でも好きだ
昔苦手だった会話や人付き合いも好きになり、今なら苦手だった営業も出来る
昔は絵描きや書や文書作成は最も苦手だったが、今は全くそんなことはない
あれほど嫌がっていた絵も、昨年トライしてみると、すぐに好きになった
言ってみれば、今私が好きな仕事や趣味の幅は、格段に広くなった
広くないと、好きな仕事の幅も極めて狭くなり、嫌いな仕事を選ぶはめになる
山暮らしを始めてから広大な管理放棄地の草抜きや木伐採を一人で淡々と
やっているうちに、そんなことでも今は、むしろ好きな事になっている
周囲の人からは「気の毒に草むしり,大変でしょ」なんて言われるが
そうしてみると、現在で私が好きな仕事は広大無辺になっている
すなわちどんな仕事も好きになれそうなのだ、なんとも幸せだ
好きなことが多い人 好きなことの深い人 何でも好きになれる人
は強いし、人生が豊かなのだ
反対にあれもこれも嫌いが多い人
は弱いし、人生は不幸になりがちだ
普通はそうはいかないし、かつての私のように仕事選びに苦しんでいるはず
私は今や人も誰でも付き合える、私が若ければ誰とも結婚できるかもしれない
しかし昔の私はそうではなかった、好きな人を探すのに苦労したし
人付き合いや会話がなっていなかったので大きな壁であった
現実に昔は孤独な時期が長かった、友人がいなかったし、かなりつらかった
どこでどう変わったのでしょうか?
”大学出た⇒会社に就職した⇒我慢して定年”=最悪な仕事選び
高校~大学では、自分な好きなものを発見する期間であって欲しい
嫌々、仕事や結婚生活を続けている可能性が大きいが、そんな不幸な事はない
・自分が好きなもの、一日やっていても疲れを知らないもの
・時間の経つのを忘れるような楽しくてしょうがない仕事
・毎朝楽しくで嬉しそうに会社に出かけるそんな仕事
そういう仕事こそが自分向きの人生を最大限に豊かにする仕事
大して好きではない仕事を選んでしまった場合には、
会社で挫折したり、上手くいかなかったり、ノイローゼになったりする
結婚・夫婦生活も同様で
嬉しそうに、楽しく、話し・協力し・尊敬しあうそんな夫婦関係
互いに大して好きでもないのに結婚してしまったら家庭は地獄でしかない
私の想像に過ぎないが、何となく上手く行かないとか悩んでいる人は
さほど好きではなかった仕事や物や人を、厳密に考えず
エイヤーか又は、「まっいいか」みたいに決めたせいではないかと思う
すなわち「元に原因あり」であって「今の問題ではない」ように思う
そんな時はクヨクヨ悩み続けるより、いっそ離婚や転職に梶を切るべきだ
仕事や結婚相手の人が好きではなかったから。 か又は
自分自身がだらしない頼りない人間だったという更に大元の原因でしょう
好きになることとは=
①相手をよく観察分析評価する
②自分が何を好きかをしっかり見極める
③自分自身がより幅の広い、しっかりした人間になる
(他人から好かれる・求められる人に)
好きでないものや人を、好きだと思い込んで選んだのは実に不幸なことで
例えば
美味しそうなラーメンと思ってその店に入り注文したら不味かった
もっと事前にいろいろ調べ、店内を観察して入店すべきだったのです
結婚や就職は、その典型であり、余程好きでもない限り決めてはいけない
立派なことを言う私めも御多分に漏れず、過去は、好きでもないものを
さんざ買ったり、やったり、追求したりしてまいりました。
それ見い、谷あり山あり、苦あれば楽有りで、最初から上手くは行かない
と言われそうですが、私は私自身の苦い経験から言っているのであって、
苦い経験をお勧めではなく、「苦い経験をするな」と言いたいのです
苦い経験は当前とか苦い経験してこそ立派になれると信じないことです
もし苦しみ悩むことがあったら、その苦い経験から早く脱出して欲しい
舌切り雀の昔話をご存知だろうか:単なる思い込みは危険なり
優しい爺さんは小ぽけな荷物をもらい家に帰り開けると金銀財宝が出てきた
それを見た悪い婆さんが大きなツヅラを背負い家に帰る途中、中身をみると
石やお化けや恐ろしい虫が出てきた。
仕事や人を選ぶ場合多くの人は見かけで選び
それが自分にとって望ましいかどうかを慎重に考えないものなのである
大学進学そのもの=生涯の仕事決定ではない、単なる出発点に過ぎない
終身雇用がどうのこうのなんてのは3~4回転職してからの話なのだ
結婚も3~4人の人と付き合ってから結婚相手を決めるべきなのだ
まずは、自分の好きな事や人をじっくり見極めることが最も大切なのだ
過去を振り返ると、私の場合も、完璧に嬉しい楽しい仕事ではなかった
もし私が、100%好きな仕事をしていれば、大金持ち・大物になっただろう
好きな仕事を見つけた人が必しも100%成功するとは限らないが
好きな事は楽しいはずであり、そんな幸せなことはないはずなのである
プロのスポーツ競技選手はあたかも好きで楽しくやっているようだが
現実は苦しみや悩みを多く抱えており、そうでもないらしい
好きでやっているはずだが、意外にそうではないことも多いので要注意だ
大半の人は、私同様に「会社を辞めたい」と何度も思った人で、
(結婚では「この人とは、すぐにも別れたい」と思う人も多い)
最近の若者は、入社後1年持たない人や、1週間もたない人もいると聞く
しかし、それが正解かもしれない、「日本では3年は我慢せよ」と言うが、
嫌なことは3年やっても嫌なものであろうから、早く転職したほうが良い
結婚なんかも嫌な相手はせいぜい1週間とか1月で別れたほうが良い
2~3年暮らしてみると大半は、かなり思い違いな相手が多いのだから
結婚前に同棲し、その上で1年後に正式結婚すればよいかもしれないし
結婚式や披露宴は格安にやるか、ごく簡単なもので良いと思う
離婚しないように殊更に豪華絢爛な披露宴は止めよう
最期の結婚のようにして大盤振る舞いの披露宴とはナンセンス極まりない
結婚祝い金も3年後とか5年後にあげたらどうかと思う
ところで、今の私は、ある程度の人ならば誰でも好きになれる
昔より人を選ぶ幅は格段に広がったのだ、今結婚しない人が増えたのは
かつての私より更に幅の狭く、しかも付き合いベタが多いからだろう
あれもこれも出来ない人や我侭な人が増えている
例えば、最近はドライバーやトンカチ・のこぎりも使えない人が多い
出来ることはパソコンやスマホのキーを打つことだけという人も多い
そういう人は実に困った人で、仕事を頼んでも、人付き合いをしても
どちらも全く上手く出来ず、仕事も恋愛も結婚も100%失敗する
より好きな仕事をやることが真の幸せだが、給料等を優先してしまう
むしろ嫌いな事はすぐに辞めたほうがいいのかもしれない
「石の上にも3年」とか「ある期間我慢せい」と言ったのは昔のことだ
私流に言えば好きな事に対しては当てはまるが、嫌いなことは当てはまらない
会社も3~5年の間に「今の仕事は好きですか?」と聴いてやらねばならない
好きな仕事探し:
①物づくりか非物づくりか
②高度先端技術か既存技術か
③重労働か軽作業か
④田舎(山・海・平地)か地方都市か大都会か海外か
⑤座り仕事か経ち歩き仕事か
⑥研究職か非研究職か
⑦製造か販売か営業か事務か
⑧芸術(絵画・音楽・造形・文学・俳優・歌手)か非芸術か
⑨頭脳職か事務職か作業職か
⑩危険職か安全職か
⑪大企業か中堅企業か零細企業か自営か
⑫専門の狭い範囲か広い範囲の仕事か
先祖や親や兄弟の情報も参考になる。父母のどちらの血をひいたかも重要
子供も長男と長女は私に次男は妻の血を引いていて明らかに違いがある
得意な技術・技能は何か、学校の学科の成績はあまりに参考にならない
私は技術系だと言われ東京工業大学に入ったが、父の血筋は事務系だった
会社にも学業成績と社会での実力発揮のベクトルが正反対の人もかなりいた
例えば絵が好きだから画家だと決めつけずに、もっと範囲を広げるべきだ
技術や理科系だと思っていたら、意外と文科系なんて人も多い
私は、事務系でありながら、やや技術系なので、大きな利点・特徴である
仕事・結婚相手・住居を選ぶ時に最も大事なのは「心底好きかどうか」
(本当に心底好きでないと、失敗し、大きな成功や幸福を得られない)
しかも
自分自身も勉強し経験し鍛え異文化を体験し、自分自身の幅を広げるべきだ
(自分が狭い人は、好きな仕事や人をなかなか絞れない)
物事を考える時に悲観論になりがちでどんどん悪い方にはまり込みがち
(失敗・間違いに陥っても楽観論で早くそこから脱出すること)
出来れば物事を安易に毛嫌いせず、深く好きになるよう努力すべきだ
●好きを増やせ、それこそが幸せへの近道
●嫌いを減らせ、苦手を減らせ、それこそが幸せへの入口
そのためには自分自身及び意識を大きく変えることだ
固定感念を捨て去り、より自然に振る舞える自分になるべきだ
得ようでなく、捨てようから始めることが肝心だ
多くの嫌いは固定感念や自分のつまらん意識が邪魔しているのだ
最期にもう一度『好きこそ、物の上手なれ』(嫌うは、物の下手なれ)
解説引用: 好きこそ物の上手なれとは、どんなことであっても、
人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ
出典:故事ことわざ辞典 このことわざの意味は…好きなコトであれば、
誰に強いられることもなく自分から取り組むことができ、
モチベーションを保ちながら継続して努力を続けることができるので、
スキルが比較的早く上がる、というもの
好きなことをやっている人には勝てない ...仕事でも同じこと
· 好きであれば「自律性」が保たれ、 · 寝ないでやれるのは好きだから
3年前に田中に引越しした時に床下のシロアリ駆除を行ない今度3年目の検査
そこで換気扇4台と全面炭を敷き詰めた。なんせ地下水が豊富、床下は土むき出し
湿気の多いところで、前回と合計100万円かかったが健康や家のためには納得
一戸建ての家は床下の湿気対策をすべきだ地震対策の重要な一つでもある
地震対策では柱がシロアリに食われていないことは絶対条件だから
床下換気扇朝10時~午後3時まで自動的に換気する