マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます 村上原基
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験
●努力して真剣に生きてるが、どうしても上手く行かない人お越し下さい
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず、
*****************************
テーマ:人を好くということ、優しい人ということ
AさんがBさんを好きになったとする
なぜと訊いたら「Bさんは優しいから」とAさんが言う
世の中にはこんな人が案外多い、案外ではなく ”優しい人=良い人”という固定観念
私はすかさず「この世に優しい人なんか一人も存在しない」と意地悪にも切り込む
でもAさんは「そんなことはない、とにかくBさんは格別に優しい」と反発してくる
私は「優しく見える人間は、ほぼ間違いなく大嘘つきだ」と更に言い立てると
Aさんは「そうではない、Bさんだけは違う」と必死に擁護する
優しくするという事は、何らか下心があるか、優しくするのが趣味みたいな人だ
優しいのは少なくとも3通りはある、
①無理して作る優しさ
②素直に普通にしていて、にじみ出る優しさ
③嘘誤魔化しの下心ある優しさ
これらをきちんと判別しないと良いはずの優しさがとんでもないことになりかねない
お分かりでしょうが、Aさんも矢鱈と優しさに飢えていて、手に入れたいのだ
相手を冷静・冷徹に観てない、少し優しくされると、優しい人と信じ込もうとする
優しさを探し求めるよりも自分自身を強くすることが先決だがそれはやらない
他人に安易に依存し、自分のことで面倒なことや苦労は一切やらない
優しい他人を探し出すより、自分自身が強く・優しくなったほうが早いのに
他人に優しくすることは、相手は心地よいとして本人自身は決して楽しくはない
すなわち優しいという行為は自分が相手にしてあげることで、相手に期待する
ことではないのだ、68歳以降の私は優しいことを格別期待しなくなった
無論優しくされることを拒みはしないし、心地良さを否定するものではない
しかも私が優しくする場合「私がやってあげた、優しくした」という気持ちも捨てた
最近の私はむしろくだらん優しさなんかより、厳しい指摘や指導のほうが嬉しい
優しいとはわざとらしくするものではない、それとなく自分も相手も気づかない
ようにするものだと思っている。やはり私は奥ゆかしい日本人の一人である
例えば大谷翔平やイチローのように常にパフォーマンスを発揮し、それを
大観衆が褒め讃えるのだが、もしそれがひ弱な私だったらとても耐えられない
彼らも過剰に褒められて、自分を演じ努力するのは苦痛になって来るのだ
大谷翔平のようにやる事全て褒められると彼も息き抜きできない、可哀そうに
褒め讃えられるから頑張るというのは凄い緊張だし、疲れるし、イジマシイ
大坂直美がインタビューを拒否したのもノイローゼを告白したのもその辺の事だろう
猿回しの猿のように観客が褒めるようにいつも緊張を強いられるのだ
首相の支持率とかテレビ局の視聴率なんてのに一喜一憂して頑張るのは御免だ
優しさも同様に常時見張られていたらそんな夫婦関係は悪くなるだけだ
「結婚当時は凄く優しかったのに、今は最悪のごみ以下になった」と言うが
その大半は結婚当時、お相手を優しいと勝手に思い込んでいた自分にも責任がある
優しさを相手に期待したり要求するのはその人の人格の低さを示すに
過ぎない、極めて子供じみている
優しさとはいかにも素晴らしいように聞こえるが、子供が欲しがる飴玉に過ぎない
現実に昭和世代では、夫は妻の優しさに大きく甘えていたのだが、
当時の異常なほど素晴らしく優しい妻は耐えられない苦痛を味わっていたのだ
「私のどいうところが好きですか?」と相手に訊いて「優しいから」と
いう答えが返って来るようだったらその相手の人格を疑ってもよいと思う
そうでないと貴方は一生その人から優しさを要求されることになる
「あー人間はなんと嘘誤魔化しに弱い」単なるいい加減な思い込みなのだ
安易に思い込みをしてしまう人は多いが、そういう人は危なっかしい
騙されるのをむしろロマンチックとか幸福だと思って、逃げ込むタイプの人
オレオレ詐欺のように、わざわざ好んで詐欺に掛かる症候群の人
一度信じると、それを絶対に変えようとはせずに、むしろ頑張ってしまう
言っておくけど、例えば、結婚する人の99%この症候群該当者だからね
私は優しい人間を100%疑う、オレオレ詐欺なんか絶対にひっかからないが
他方、高額なお金の要求にあっさりひっかかる人は、未だに沢山いる
でもそんな私でさえも優しい人間に吸い寄せられることもないことはない
かくしてこの世は騙し騙され
「私は決して騙しも、騙されもしない」なんて人々で地球は埋め尽くされている
「嘘つきは泥棒の始まり」と言う人がいるが、そうだとすると地球上は全員嘘つき
でもそのおかげか、人類は経済活動を行い、子孫も残すことが出来ている
「何てこった」
そして、大体、好きと言う言葉もおかしい、この言葉も安易に使われ過ぎている
Love Like Prefer Trust・・・一体どれなんだ?どういうことなんだ?
「自分の亭主より猫の方が好き」なんてけったいな奥様方が多いが、世も末
そんな亭主と我慢して一緒に住むことが私には信じられない
ちなみに私は55歳から滋賀県の山や田舎町で一人暮らしをしている
私は猫も犬も好きとか可愛らしいとは思わないし、ましてや人をそう思わない
好かれる=可愛がられる
どだい好くなんて事は他愛のない子供じみた事、一時夢見るようなもので永続しない
やがて目が覚めれば憎しみや無関心に変わってしまう、そんな程度のもの
新婚時代あれほど燃え上がった男女が、それから30~40年今や一言の会話さえない
だからそんなことで真剣に悩むのは馬鹿らしい、人間関係は大らかに楽しめばよい
人間関係は沼のようなものかもしれないと私は思っている
人間関係の深みにはまって、身動き出来ないようになるのは実に愚かしい
やれ浮気とかを大袈裟に批判するのはいかがなものか?遊び遊び
大恋愛も小恋愛もないし、熱烈恋愛もすぐに冷めるものだから
でも結婚となれば大違い、あれはマジな契約だからね、
契約だから、冷静に、最初からきちんと契約しておくことだ
又は状況次第では、迷わず解約(離婚)または別居することだ
すごく嫌い又は無関心な夫や妻と我慢しているなんて「一体結婚って何なの?」
結婚式において離婚保険に加入するなんてそんな保険ないのかな?
生命保険があるのだから、あながち不謹慎な保険ではないと思うのだが
人間関係というのは、放置するとややっこしい
人間関係に深くはまることは自分を生きづらくしてしまうと思っている
人間は究極一人、本質的に孤独だと思っている
夫婦・家族・友人・師弟どれも諸刃の剣のようなもの
もし無益や無用な関係であれば、潔く遠ざけるか切るか減らすか
絆が大事というが、あくまで自分がしっかりすることがまず第一
人間関係が下手、躓く人の傾向は、その人自身が弱い・だらしない・
依存がち・自分というものがない、だからやたら優しい人を追い求める
そしてやがて、その人が意外と優しくないと責めたてるのだ
このニヤケタ皺だらけのキモイ爺じいの私、手にはスマホをかかげて不気味な笑い
ガラ軽は使えなくなると言われ、ついに嫌々ドコモの楽々スマホに契約した
なんせ電話番号さえあればインターネットなんかどうでもよい、
補償や付帯サービス一切なしで月1630円で契約、ガラ軽より200円負担増だ馬鹿らしい
私には無用な機能満載、実に馬鹿げてる、かけ放題で月千円以下の電話のみ携帯
が欲しい。政府は、そんな簡便格安な携帯も出すようにメーカーを指導して欲しい
1G契約のスマホでネットはやらないが、重い・大きい・画面小さい・使いにくい
デスクトップPCで光ネットを家でやってるが、何と使いやすいことか
格安最低価格スマホ+格安光ネット=一番効率的だと思っている
(私の場合1Gスマホは電話受信以外ほとんど使わない:ガラ軽⇒スマ重となる)
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験
●努力して真剣に生きてるが、どうしても上手く行かない人お越し下さい
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず、
*****************************
テーマ:人を好くということ、優しい人ということ
AさんがBさんを好きになったとする
なぜと訊いたら「Bさんは優しいから」とAさんが言う
世の中にはこんな人が案外多い、案外ではなく ”優しい人=良い人”という固定観念
私はすかさず「この世に優しい人なんか一人も存在しない」と意地悪にも切り込む
でもAさんは「そんなことはない、とにかくBさんは格別に優しい」と反発してくる
私は「優しく見える人間は、ほぼ間違いなく大嘘つきだ」と更に言い立てると
Aさんは「そうではない、Bさんだけは違う」と必死に擁護する
優しくするという事は、何らか下心があるか、優しくするのが趣味みたいな人だ
優しいのは少なくとも3通りはある、
①無理して作る優しさ
②素直に普通にしていて、にじみ出る優しさ
③嘘誤魔化しの下心ある優しさ
これらをきちんと判別しないと良いはずの優しさがとんでもないことになりかねない
お分かりでしょうが、Aさんも矢鱈と優しさに飢えていて、手に入れたいのだ
相手を冷静・冷徹に観てない、少し優しくされると、優しい人と信じ込もうとする
優しさを探し求めるよりも自分自身を強くすることが先決だがそれはやらない
他人に安易に依存し、自分のことで面倒なことや苦労は一切やらない
優しい他人を探し出すより、自分自身が強く・優しくなったほうが早いのに
他人に優しくすることは、相手は心地よいとして本人自身は決して楽しくはない
すなわち優しいという行為は自分が相手にしてあげることで、相手に期待する
ことではないのだ、68歳以降の私は優しいことを格別期待しなくなった
無論優しくされることを拒みはしないし、心地良さを否定するものではない
しかも私が優しくする場合「私がやってあげた、優しくした」という気持ちも捨てた
最近の私はむしろくだらん優しさなんかより、厳しい指摘や指導のほうが嬉しい
優しいとはわざとらしくするものではない、それとなく自分も相手も気づかない
ようにするものだと思っている。やはり私は奥ゆかしい日本人の一人である
例えば大谷翔平やイチローのように常にパフォーマンスを発揮し、それを
大観衆が褒め讃えるのだが、もしそれがひ弱な私だったらとても耐えられない
彼らも過剰に褒められて、自分を演じ努力するのは苦痛になって来るのだ
大谷翔平のようにやる事全て褒められると彼も息き抜きできない、可哀そうに
褒め讃えられるから頑張るというのは凄い緊張だし、疲れるし、イジマシイ
大坂直美がインタビューを拒否したのもノイローゼを告白したのもその辺の事だろう
猿回しの猿のように観客が褒めるようにいつも緊張を強いられるのだ
首相の支持率とかテレビ局の視聴率なんてのに一喜一憂して頑張るのは御免だ
優しさも同様に常時見張られていたらそんな夫婦関係は悪くなるだけだ
「結婚当時は凄く優しかったのに、今は最悪のごみ以下になった」と言うが
その大半は結婚当時、お相手を優しいと勝手に思い込んでいた自分にも責任がある
優しさを相手に期待したり要求するのはその人の人格の低さを示すに
過ぎない、極めて子供じみている
優しさとはいかにも素晴らしいように聞こえるが、子供が欲しがる飴玉に過ぎない
現実に昭和世代では、夫は妻の優しさに大きく甘えていたのだが、
当時の異常なほど素晴らしく優しい妻は耐えられない苦痛を味わっていたのだ
「私のどいうところが好きですか?」と相手に訊いて「優しいから」と
いう答えが返って来るようだったらその相手の人格を疑ってもよいと思う
そうでないと貴方は一生その人から優しさを要求されることになる
「あー人間はなんと嘘誤魔化しに弱い」単なるいい加減な思い込みなのだ
安易に思い込みをしてしまう人は多いが、そういう人は危なっかしい
騙されるのをむしろロマンチックとか幸福だと思って、逃げ込むタイプの人
オレオレ詐欺のように、わざわざ好んで詐欺に掛かる症候群の人
一度信じると、それを絶対に変えようとはせずに、むしろ頑張ってしまう
言っておくけど、例えば、結婚する人の99%この症候群該当者だからね
私は優しい人間を100%疑う、オレオレ詐欺なんか絶対にひっかからないが
他方、高額なお金の要求にあっさりひっかかる人は、未だに沢山いる
でもそんな私でさえも優しい人間に吸い寄せられることもないことはない
かくしてこの世は騙し騙され
「私は決して騙しも、騙されもしない」なんて人々で地球は埋め尽くされている
「嘘つきは泥棒の始まり」と言う人がいるが、そうだとすると地球上は全員嘘つき
でもそのおかげか、人類は経済活動を行い、子孫も残すことが出来ている
「何てこった」
そして、大体、好きと言う言葉もおかしい、この言葉も安易に使われ過ぎている
Love Like Prefer Trust・・・一体どれなんだ?どういうことなんだ?
「自分の亭主より猫の方が好き」なんてけったいな奥様方が多いが、世も末
そんな亭主と我慢して一緒に住むことが私には信じられない
ちなみに私は55歳から滋賀県の山や田舎町で一人暮らしをしている
私は猫も犬も好きとか可愛らしいとは思わないし、ましてや人をそう思わない
好かれる=可愛がられる
どだい好くなんて事は他愛のない子供じみた事、一時夢見るようなもので永続しない
やがて目が覚めれば憎しみや無関心に変わってしまう、そんな程度のもの
新婚時代あれほど燃え上がった男女が、それから30~40年今や一言の会話さえない
だからそんなことで真剣に悩むのは馬鹿らしい、人間関係は大らかに楽しめばよい
人間関係は沼のようなものかもしれないと私は思っている
人間関係の深みにはまって、身動き出来ないようになるのは実に愚かしい
やれ浮気とかを大袈裟に批判するのはいかがなものか?遊び遊び
大恋愛も小恋愛もないし、熱烈恋愛もすぐに冷めるものだから
でも結婚となれば大違い、あれはマジな契約だからね、
契約だから、冷静に、最初からきちんと契約しておくことだ
又は状況次第では、迷わず解約(離婚)または別居することだ
すごく嫌い又は無関心な夫や妻と我慢しているなんて「一体結婚って何なの?」
結婚式において離婚保険に加入するなんてそんな保険ないのかな?
生命保険があるのだから、あながち不謹慎な保険ではないと思うのだが
人間関係というのは、放置するとややっこしい
人間関係に深くはまることは自分を生きづらくしてしまうと思っている
人間は究極一人、本質的に孤独だと思っている
夫婦・家族・友人・師弟どれも諸刃の剣のようなもの
もし無益や無用な関係であれば、潔く遠ざけるか切るか減らすか
絆が大事というが、あくまで自分がしっかりすることがまず第一
人間関係が下手、躓く人の傾向は、その人自身が弱い・だらしない・
依存がち・自分というものがない、だからやたら優しい人を追い求める
そしてやがて、その人が意外と優しくないと責めたてるのだ
このニヤケタ皺だらけのキモイ爺じいの私、手にはスマホをかかげて不気味な笑い
ガラ軽は使えなくなると言われ、ついに嫌々ドコモの楽々スマホに契約した
なんせ電話番号さえあればインターネットなんかどうでもよい、
補償や付帯サービス一切なしで月1630円で契約、ガラ軽より200円負担増だ馬鹿らしい
私には無用な機能満載、実に馬鹿げてる、かけ放題で月千円以下の電話のみ携帯
が欲しい。政府は、そんな簡便格安な携帯も出すようにメーカーを指導して欲しい
1G契約のスマホでネットはやらないが、重い・大きい・画面小さい・使いにくい
デスクトップPCで光ネットを家でやってるが、何と使いやすいことか
格安最低価格スマホ+格安光ネット=一番効率的だと思っている
(私の場合1Gスマホは電話受信以外ほとんど使わない:ガラ軽⇒スマ重となる)