村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

79.知ることがいいとは限らない

2007-02-26 09:34:39 | 人生
『知性や教養が邪魔する』という言葉がありますが、生やさしいものでなく、現実は、大いに邪魔しているんです。『知性や教養は確実に自分を蝕む』一面をもっているものなんです。それにいつ迄も気づかないと貴方は地獄に落ちるのです。

  「人は知れば知るだけ賢くなると思い込んでいる
   ところが人は知れば知るほど馬鹿になるものだ
   なまじ、少しばかり知るくらいならば
   何も知らないほうが、よっぽど良かったに違いないのだが
   知るとは一体なんなのだろう
   いくら多くを知ったとしても、わかることにはほど遠いのだ
   知るということを知った・知っていると間違う
   人はなまじ知ることによって遠回りしてしまうのだ
   そして多くの人は肝心なもを知ることなくあの世へ旅立つ」
  ----------------------------
   人は日々学び・これでもかこれでもかと知り続ける
   それは良いことであるには違いない
   食事と同じで、生きるために必要であることは間違いない
   しかしである、良いからと言って過ぎたるは及ばざるが如し
   食べ過ぎると肥満になり、ついに病気へと進むのと似ている

   食事と同様に考えてみると、知るということも

   ①必要な時に・要なものを・必要なだけを知ること
   ②必要以上に知識をほうばらないこと
   ③知識に偏重しないこと
   ④知識はわかることが目的であること
   ⑤自分の知識を疑ってみること
   ⑥録でない知識は整理し、知識の質を高める
   ⑦なんでもかんでも知ればいいという考えを改める
   ⑧知らない人はもっと知れ
   ⑨過剰に知っている人は、むしろ減らせ
   ⑩人間は生まれて以来頭に刷り込まれた知識がありそれが邪魔しているものだ
   ⑪知識以前に人間としてあるべき姿をまず描け
   ⑫知識が人間のあるべき姿への前進に役立つことが重要だ

知識も食事も生きるために大事なことには違いないが、肝心なことは、そのとり方・使いかたである。
物事万事がなんとなくやっていると過食になりただただ肥満になり、病気に役立つだけとなる。
食事も選んで食べ・噛み砕き・消化し・きっちり吸収することが大事です。
知識も同様です。選らんで知り・考え・理解し・きっちり身につけて実践することが大事です。
http://www.meico.org/zayuunomei.html
http://www.meico.org/p14.html
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78.地球環境崩壊は、確実かつ急速に悪化していくが、一体誰が真剣に取組むのか?

2007-02-23 22:19:40 | 環境
地球環境問題は、最近いろいろな具体的な悲惨な異常現象の進行によって世界中の人々も、やっと少しは危機感や地球環境問題の重要性の認識が高まってきたように思います。
何事も切羽詰らないと人間の意識は高まらないようです。
「実際に問題になってから、やるでは犬畜生以下」じゃないですか。
地球環境問題は重要な問題だと言いだしたのは、かなり昔のこと1970年前後でしょうか。その後日本では、公害問題などは飛躍的に改善される一方で、年を追って地球環境問題の深刻さは大きくなっていくばかりです。
その結果、洪水・旱魃・暴風・竜巻・不漁・生態系の変化・気候の変動・大雪・暖冬・猛暑・氷河の融解・黄砂・砂漠化・難病奇病・生物の異常繁殖・・・・・がこれでもかこれでもかと、自然の神様からつきつけられている。もう手遅れではないか?
しかしこれだけつきつけられても、ノーテンキな人間はまだ懲りるどころか、
①エアコン使うのは当たり前
②自家用自動車乗るのは当たり前
③天井一杯にまた夜の夜中に無駄な照明つけるのは当たり前
④エレベーター・エスカレーター使うのは当たり前
⑤電気製品使い放題も当たり前
⑥レジ袋貰うのは当たり前
⑦過剰包装当たり前
⑧食べ物残すのは当たり前
⑨ごみとして捨てるのは当たり前
⑩ガスや水を無駄使いするのは当たり前
⑪つまらんイベントや祭りや宴会・大会・・・をするのは当たり前
⑫手当たり次第印刷物にするのは当たり前
⑬コピーするのは当たり前
⑭夏にネクタイ・背広着るのは当たり前
⑮経済成長は当たり前
⑯寒くない地方でも冬の暖房は当たり前
⑰使い捨て次から次に新しいものを買い換えるのは当たり前
⑱都会集中・田舎の過疎化は当たり前
⑲戦争するのは当たり前
⑳軍備増強にお金や努力をするのは当たり前
「環境改善しましょう」と提案しようもんなら、90%の人は抵抗勢力と化し、大反対・猛反対の大合唱だ。小泉さんじゃないが、こいつら自身をぶっ壊さないと駄目なようだ。
第二次大戦後は、物資欠乏もあって、私の小さい頃には物を大事に使うことを嫌というほどやってきました。自動車や電気やレジ袋なんかほとんど使いませんでした。しかしそういう時代に育った人々さえも、この重大な地球環境問題の局面において環境にやさしい行動を完全に忘れ去っており、真剣な行動を起こそうとしている人はごく僅かです。
ましてや、私達のように徹底した節約とか修理とか再使用などということを知りもしないしやったこともない若者達にとってはそんな時代に戻るなんてことは不可能と言わざるをえない。そうであれば、地球環境問題への真剣な対応は、我々古い世代が生きている今すぐに着手しておかないと益々手遅れになる。
最近日本は不景気だという。だから経済発展が必要だという。(愚か者めが!)
そうではないでしょ。「不景気・収入が少ない・高齢化・小子化」結構じゃないですか。不景気・収入が少なくても、質素な暮らしでも、楽しくゆとりをもって生きていける皆が協力し支え会う国づくりこそが今求められていることではありませんか?安倍さん、それこそが美しい国ではないのですか?あんたは逆のことをやろうとしていませんか?
絶好のチャンスじゃないですか?ところが安倍首相や大臣や多くの知識層も相変わらず経済発展を前提とした改革を提唱する。
資源も化石燃料もない日本ですから、節約・倹約なんてことは一旦やると決めれば、簡単なことで一昔前に戻りさえすればいいのです。地球が崩壊する日のことを思えば、資源や化石燃料の大幅節減なんかわけもないことです。エアコンや自家用自動車などを年を決めてその日から一斉に止めればいいんです。どちみちそういう事態はいつか(あと30~70年か?)必ずやってくるのですから、早くやっておくことです。そういうことは歴史が嫌というほど教えてくれていませんか?日本から自家用自動車がなくなったら昔のように、道路はスイスイ、随分すっきりしますよ。
今は、もう環境破壊阻止に間に合うぎりぎりの段階なんです。しかもその削減は最低でも50%というとてつもないものなんです。
かつて堺谷太一氏がいったように「トウーリトル・トウレイト」であれば、確実に地球は崩壊を加速していくんです。
砂上の楼閣のように、頼りない砂でも砂があるうちはどうにかこうにか建っているのですが、砂が崩れ出せば、その上の楼閣がアッと言う間に倒壊するのは、しごく当たり前のことなんです。
南極や北極の氷河が溶ける様を見るにつけ、氷河が崩れることは、その上に建っている人間の暮らしが砂上の楼閣のように一挙に崩壊する姿を想像するのです。
しかし不思議と世界規模のこういう大きな問題がかつてなかったせいか、世界全体のことだから自分のこと、自分の国のことと意識できなくなっているのです。これは単に錯覚なんです。もし自分一人が大変な状況になるとか自分一人が死の危険に遭遇するという場合は、当事者は大騒ぎするのですが、世界全体の問題となると、なぜか態度が大きくなって「どうせ世界が全部駄目になるんだ、その時は俺も潔く死ぬ」なんて言う感覚の人が圧倒的に多いのです。
次のようなことを言う人がおられます。「地球環境問題は重大問題ですから、多くの人が関心も持っているはずです」と。しかし大きな間違いです。これだけテレビ・新聞や週刊誌でも騒がれているのに「地球環境問題に本当の意味で関心を持っているのはせいぜい10%なんだ」そうです。
地球環境問題だけでなく、何事によらず大きな問題でも関心を持つ人の割合というものは、10%以上になることはないそうです。これだけ駄目政治家や役人が多いから多くの人は選挙に関心を持ち選挙に行くだろうと考えていると、政治に大きな関心を持っている人は、同様にせいぜい10%以下なんだそうです。だからその証拠に投票率は、むしろどんどん下がって行くじゃありませんか。
物事というのは、かなり身近に迫ってくるまでは、せめて10%以下の関心を持つ人によってのみ支えられる運命を持っているものらしいのです。
もしこれが10%を超えるようでしたら、環境問題の対策もズンズン進むのですが、そういうことは理論的にも現実的にもないらしいのです。
そういえば通常時において、会社でも真面目に真剣に会社の経営のことを考えて仕事をしている社員というのもせいぜい10%未満でしたね。会社が人員整理とか倒産だとなってからやっと多くの社員が真剣に経営のことを心配するのです。
もし10%以上の社員が通常時に経営に関心を持ち仕事をしている会社があったとしたら、それは相当に凄い立派な会社なはずですよ。
100人の集団・1000人の集団~1億人の集団、大きくても小さくても真剣な人間は、せいぜい10%以下という法則があるから地球環境問題対策も進展は期待できそうもないですね。世の中というものは進歩すれば進歩するだけ、同じようにして最後は堕落していくもののようです。
1) http://www.meico.org/kankyoukaizen.html
2) http://www.meico.org/kankyouhousin.html
3) http://www.meico.org/kankyoudoukou1.pdf
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77.世の中おかしくなって、女が女らしさを失い、男なみに堕落していく

2007-02-18 22:13:51 | 人生
「男女平等」ということでも、安易に「単なる平等論や男女雇用平等法みたいなもの」として導入するから、女が男のように男が女のようになって、本来それぞれが持っている大事なもの大切なものを失い、男女相互をかえって切り離してしまう結果になるのです。男や女がいなくなって、世の中は「おかま人間」ばかりになってしまったのです。
特に女が男みたいになってしまったのは、もう世も末だ。いかにも良いことのように言う人がいるがそうではない。神様は女は女として作られたのであって、男のようにしようと作られたのではない。女である権利を女も男になる権利にすり替えてしまった。馬鹿げた大誤解である。
  ①子供を生まない
  ②子供を育てない
  ③家にいないで外で仕事する
  ④男と争う
  ⑤女のたしなみを全て捨てる
  ⑥男女同権を大声で主張する
  ⑦子供が家に帰っても母親すらいない
  ⑧男と同じことをやり同じことを考える
  ⑨母親の機能が家庭から消失する
  ⑩考え方や行動まで男になっていく
  ⑪男特に能無しの男は更に自信喪失になる
  ⑫しかしどうしたって、男は子供を生めない

一体本来の女の役割や喜びをそこまで捨てて何が楽しいというのか?当然であるが男は女になれない。なぜ女として生まれたのに女として生きる権利を放棄するのか?男女平等などと男に成り下がることを喜ぶのか?しんじられなーい!
神様がせっかく男女を不平等にお分けになったのに、それを「無理やりエイヤ一緒にするべきだ」とやってしまっているのです。男女平等の導入は、とりかえしのできない新たな大きな問題を出現させてしまっているのが現実なんです。この例以外にも、こういうことがあまりにも多すぎるんです。小賢しいのです。中途半端に頭の良い一流大学出の人間のやりそうなことなんです。
ところで私は、欧米の女性がすこぶる嫌いだ、女として認識できない、彼女達を、男以上に男のように認識してしまうのは私だけだろうか?当然だが全然好きになれない。彼女達の心の中に男と女の関係で入れ込めないような気がする。昔は、自分の母なんかはその点大好きな最高な女性で、控えめだが、品格というか尊敬できる女性でした。よく働き・家庭を守り・夫を敬い・子供を愛し・質素で・控えめで・何でもできた・謙虚であるが芯は強かった・明るかった・・・。「封建社会は悪い」とばかり、本来の女そのものも全てを破壊し尽くしてしまったようだ。女の男化・おまか化である。最近は日本の女も欧米化してきた、日本の女も精神的には、そろそろ全く魅力を感じられなくなっている最近の自分に気づく。がばいばあちゃんというか昔流の温かみで一杯の女性や母親は絶滅したらしい。
ちなみに信じられないかもしれませんが、64歳男の私は、今私の母親のようになろうと真剣に努力している日々なんです。だってかつての日本の母親達はあまりにも素晴らしい女性であったからです。多分もう二度とああいう昔の日本の母親は現れないでしょうね、残念です。未だにあとにも先にもおふくろは尊敬する唯一の存在ですからね。現代の尊敬できない日本の母親からは素晴らしい子供ができるわけがないのですがねー。これが悲しい現実ですかねー。
あまりに堂々としたツーンとすまし顔の欧米の女性は、まず会った瞬間に違和感がある、こんなのは女性ではない、無性だ、無表情・とっつきにくい・気位が高い・全く謙虚さは感じられない、温かみも感じない、女性の魅力なんて微塵も感じない、謙遜なんか間違っても絶対にしない・・・・・欧米の男性は、こういう高慢ちきな女に慣らされて、久しいのだろう可哀想なことだ、外人男性が日本女性に惚れるのも納得する。昔の日本女性を知る私に言わすと、欧米の女性は、中に秘めた品格や本物の優雅さ優美さというものがない。これでもかこれでもかと表に出すが、それほど大したものではないのだ。彼女達は謙遜しない、謙遜すべき秘められた大きなものがないからだ。その代わりにか、胸や身体をやたらに露出する。謙遜しない女・奥ゆかしさのない女は、品格がない。そういう女にあるのはケース一杯の化粧品や衣服やバッグの山でしかないのだ、品格のある女性ではなく安物の下品な商品でしかない。まあ品格や優雅さなんか要らないというのなら何をか言わんやだが。
日本女性の顔も、最近急速に欧米人の顔になっている。私などは、お面を被ったような日本の女性に全く魅力を感じなくなりつつある。顔だけでならともかく、精神も完全に悪く欧米化しつつあることを実感する。そのうち日本男性もアジアやアフリカの女性が良いなんていう時代が間違いなく来るだろう。結婚しない男が多い・離婚が多い・少子化するのも当然だ。女を放棄する女が増え、本物の女が絶滅しつつあるのだから。
もっとも男は、すでにかなり欧米化し軟弱な人格やたくましさがない若者が急増しているのだが。男なんてつまらんものでっせ。その点女はそのままでも随分素晴らしいものですよ。それをなんで男になろうとするのか?西欧の女は毎日「お前を愛する」と言われないと許さないということを聞く。まあ西欧の病んだ一面を思う。そんなこといちいち言ってないと不安だというわけらしい。何がレデイーファーストじゃ。世も末じゃわい。
女は男より下に思い込む女が多いがそんなことはない。表面上、男は腕力だけは強いから、男のほうが上だと勘違いしているが、どうあろうと、冷静に分析すれば、女のほうが男よりずーと上ですよ。
老若問わず、欧米や日本で離婚する女が増加しているという、旦那が退職したらそれを契機に離婚を切り出すという。日本の男も、もっと女のことを考えてやらんといかんとつくづく思うから、わからないではない。でも旦那をそういうふうにしたのは、最近風・欧米化した考え方の日本の女にも半分責任はあるんだと思う。否むしろ女のほうに多くの責任があるのかもしれない。すぐに離婚でなく、お互いに根本から反省し、生き方をを大きく改めることこそが大事だと思うのだが???しかし衣食住を含めて欧米化した日本人は、どうももう魅力ある女や男の関係には、戻れないようだ。
現代急速に男も女も若い人から笑顔や温かみが失せていっていることにお気づきでしょう。昔、高度成長とともに、都会から無関心というものが少しづつ広がっていった時期がある。しかし現代はそれが、いよいよ終幕に近づいたような気がする。「無関心、ここに極わまれり」みたいなもんでしょうか?特に若い女親が無表情・冷たい・厳しい(やたら夫や子供に厳しさだけで、やさしさが欠落している)そういう味気ない社会になってしまったのだろう。かつてのように、これからは、女に女を求める時代は終わったようだ。朝から晩まで男のほうが「お前を愛している」なんて言い続けないといけない時代が来ようとしている。
男ももっと男らしくならんといかんが、平和で豊かな時代、男の堕落は今に始まったことではないが、女の尻を追い回す宿命を持った男のだらしないこと・お粗末なこと、それが最近すごい勢いで加速しているのだ。女よ世を救うのは女ですよ。男は生命を生むことも育てることもほとんど無力なしょうもないもんですからね。その男を真っ当にできるのも女ですよ。
それを「女も男になります」とは一体なんてこと言うんや!
すばり言うわよ、「男女同権だか何だか知らないが、魅力的な女だけでなく魅力的な男・魅力的な人間が少なくなった」ということよ
http://www.meico.org/p14.html
ブラックバスが日本の魚を食い荒らすように、女が男になって男を喰い荒らす、そんなことかもしれない。本来か弱い男は喰われ、子供も行き場を失ってオロオロしている。こんな国が真っ当なわけがない。
大昔は女が世の中を支配していた。ある時男が男女平等を叫び、戦争に男が行くようになってから男がのさばって今日に至ったということらしいが?
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76.柳沢厚労大臣の「女は子供を生む機械発言」について

2007-02-14 16:03:33 | 政治
こういう不用意な発言は、何故無くならないのでしょうか?
細木数子さんではありませんが、ズバットと言いいますと「日本の政治家が無脳だから」ただそれだけなんです。

まず言ってはならないことを言ってしまった柳沢さん本人について言えば、「女は子供を生む機械発言」だけでなく、以降の発言も、とんでもない無能さを露呈してしまいましたね。しかしこんな人でも安倍首相が続投させると言っているということは、自民党では彼は、優秀だとされているんでしょうね。良い代打がいないんですよ。頭数は揃っているが、有能な人材不足なんです。
本人もつい言うことに困って「私は国語の能力がない」「口下手で」なんてことまで反省してしまうほど。黙っていればいいのに、更に化けの皮を自ら剥がしてしまったようです。
まあそれにしても国語力だけでなく、議員在籍年数以外に、大した能力のない議員や大臣が多いですが、この取り除き難い大型ごみどもを大掃除して欲しいですね。
経営コンサルタントの場合にもあるんですが、コンサルタントとか先生とか言われて、ついその気になってしまう人が多いのですが、実態はとんでもないお粗末なコンサルタントが沢山います。日本の政治家は、議員バッジ(印籠)つけて、もっとちやほやされ煽てられていますから、ついついその気になってしまい、「俺は国を動かしているんだ」なんて思い上がってしまうのです。人間として慢心・思い込み・錯覚は致命傷なんですが、無能な人間ほど、ついはまってしまうのです。まあ思い上がった政治家や役人は一度総懺悔をしないといけない。
そういう意味で今回の騒動は、国民がやっと政治家特に自民党議員の無能さを認識するきっかけにはなったのでしょう。柳沢さんは下手な釈明をしないですぐに引っ込めば傷口が小さくて済んだのですが、そうならなかったというのは、柳沢さんが更に駄目人間を証明してしまいました。

しかし、今回のように大きな問題になるということは、裏を返せば、「日本の政治家が有能だ・誠実だ」と僅かでも思っている国民がまだ案外いるということですかね。日本国民はまだ日本の政治家に期待・希望を持っているということでしょうか?よく言いますが「文句を言われるうちが花だ」ですね。
私の場合は、かなり以前から日本の政治家や役人に文句さえも言いたくない絶望のレベルですよ。どら息子・放蕩息子みたいなもんで、もう駄目!最低!なってない!日本政治家や日本の役人は、全然期待をしていないし、俗悪な政治家や役人のいない国に行きたいですが、そうも行かないので困っています。

一方攻めるほうも攻めるほう(民主党)です、柳沢さんが「そういう意図はない」と全面降伏の釈明をしているのに、「いやそんなことはない、お前は心の底でそう思っているはずだ」柳沢さん「そんなことはありません」・・・・・しかし幾ら釈明しても断じて許さない。人間は完全ではありませんから不用意な発言することはあり得ますよ。もし悪意に満ちた発言であったら柳沢さんはあんな発言はしなかったはずですし、俗に言う「魔がさした」という奴ですよ。
民主主義というのは、相手に釈明の機会を与え、公平かつ冷静に判断すべきなんです。昔の西部劇のように無理やり絞首刑台に登らすようなことはいけません。いい悪いを簡単に決め付けずに、どんな時にも冷静で公平な姿勢を失ってはいけませんね。そうしないと第二次戦争中の日本のようになってしまいますよ。最近はやりの、まさしく「苛め」ですよ。「苛めは絶対にいけない」「苛めは止めましょう」と民主党も言ってませんでしたかね。まあ柳沢さんは自殺しなかったから良かったようなもんで万一自殺したとしたら、完全な苛めになるところでしたよ。
何であれ、苛めはいけませんよ!!励ましならともかく。大臣柳沢さん、すっかりしょげ返って、無能で力のない弱者だけに更に可哀想でしたよ。今後、柳沢小臣なんかと影で呼ばれたまま、大臣家業をやり続けるのですが、苛められ続けるのでしょう、哀れを感じますね、気の毒ですね。
不二家さんの場合も、結果的に、かなりひどい苛めになってしまい釈明も何もなく立ち上がれないほどに、徹底的に打ちのめされ、多くの不二家関係の方方が可哀想な目にあっているのです。食品関係というのはかなりデリケートでそれなりに悩みもあるんですよ。まあ今回の不二家さんがかなり悪いのはわかりますが、ここまでよってたかって苛めるのかというのが、最近の日本の傾向なんです。苛め・つるし上げの怖い時代に突入しているのかもしれませんね「くわばらくわばら」。「苛めは絶対にいけない」と言っている人が堂々と、当然のこと、良いことをしているかのように苛めまくる、そういう時代なんですかね。

今回のような個人攻撃ではなく、議員は誰と言わず、もっと本質的な問題を冷静に論議したり、基本的な勉強をすべきですね。民主党も審議拒否(ある意味、いじめ方式)は、せいぜい半日以内にして戴けませんか。今更自民党を攻撃しても、あの党はあんなものですよ。野球の巨人ジャイアンツみたいなもので、もうそれほど力がないんですから。民主党も自らの実力で正々堂々と戦い、自民党ジャイアンツを倒すべきであって、姑息な手法は止めないといけませんが、民主党も大した人物がいないのですな。
民主党が阪神ターガースのようになるチャンスだと言うのに、自民党ジャイアンツに負けず劣らず烏合の衆だから、むしろ猛反省するのは民主党のほうですよ。あんな弱っている自民党を正々堂々と負かせられず、審議拒否なんて昔の社会党みたいな無能な・無益な意味のない戦術しかないのだろうか?だから結果的に民主党自身の指示率も下がってしまったのですよ。しっかりしてよ民主党タイガース!

まあ柳沢さんをはじめ全国会議員の無能さを露呈したあきれたお粗末な柳沢問題でした。攻めるも、攻められるほうも、指導層として、もっとしっかりして戴かないいと、この国は本当に駄目になりますよ。もう国も地方も議員や役人を全員、取替えしたらどうですかね!

http://www.meico.org/p18.html
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第7号 村上和隆の経営塾「一言」   「できません」と平気で言う社員さんや会社さんが増加している

2007-02-09 12:00:14 | 経営管理
7、「できません」と平気で言う社員さんや会社さんが増加している、そういう時代になった

ISO14001をはじめ経営支援していて最近数年感じていることは、
会社さんが、せっかくコンサルタントを導入しているのに拘わらず、せっかくいろいろ改善を提案しても、大方「できません」の連発なんです。
一つや二つの企業さんでの話しなら、私も、さほど気にはならないのですが、どうも、ほとんどの会社様でそういう状況なんです。
そこでこれは大変なことだと思い、理由を私なりに想像してみますと

①バブル崩壊以降、トップからの指示が増加した、もうこれ以上は無理だ
②トップダウンは良いことではあるが、かなり行き過ぎている
③「トップの言うことしかやらない」という副作用が出ているようだ
④人員削減で忙しいので、新たな改善や仕事までやりたくない
⑤社員からの提案に、そう簡単にお金や人を出してくれない
⑥すぐに利益に結びつく、確実に大きな利益になりそうなこと以外はNO
⑦新しいこと・前向きなことに対する拒否の姿勢
⑧大きなことをやるには、それなりに力がいるが力がない
⑨自分にやれと言われても、やれる自信がない(臆病になっている)
⑩「余計なことは、やらないほうがまし」という意識の蔓延
⑪なにしろ忙しいから余分なことをやれる余裕などない
⑫トップも自社の利益確保に必死で前向きであっても手間のかかることまで手が廻らない
⑬日本人の努力・頑張りの能力の低下
⑮さしあたって仕事が忙しくなっているので、日々の仕事さえやっていればいい
⑯一般的に若い人に意欲がなくなっている
⑰その他

環境問題の場合についても、せっかくISO14001を導入しても環境改善は100を目的にすると、せいぜい10くらいしかできていないのに、それ以上はやろうとしていないような印象を受けます。むしろ「随分やっている、これ以上は無理だ」という意識なんです。
「できない」という発言に対して、更になんとかやって戴こうとして、私もいろいろ説明や助言をしても「頭から考えられなーい」「絶対に無理でーす」という感じです。
トヨタの徹底した無駄とりをやっているレベルの会社がある一方で、「できません」を連発する会社もその数倍あるというのが現実です。すごい立派な会社を知っている私のようなコンサルタントとしては、情けないやら、指導の限界や大きな壁にぶち当たってしまうわけです。
世界に冠たる「KAIZEN]はどうなったのでしょうか?政治(抵抗勢力)や役所は最たる「できませーん」の代表ですが、日本の指導層である政治や役所がもっと「KAIZEN]を率先して実施し、日本企業にトヨタの徹底した無駄とり改善を広めて欲しいものです。
ちなみにKAIZENをやっている会社というのは、これまた逆の意味で「すごーい」ですよ。マスコミも、日本企業や日本再建のために、そういう素晴らしい事例をもっと紹介して自覚ややる気を高めて欲しいですね。一時、小泉首相の時に「抵抗勢力」という言葉がはやりましたが、会社も個人も「国民総抵抗勢力」なんですね。環境問題しかり、例えばレジ袋の有料化みたいなささいなことさえできていないのです。

私もエアコンや自販機やFAXや天井照明や残業や郵便を止めるか大幅削減しましょうと提唱しているのですが、大阪市役所の職員のように「できません・絶対に無理です」という醒めた答えが帰ってくるだけです。一方そういうものをごく当り前にやっている会社も、案外あるのです。そういう私も手本を示すために達成しています。例えば、冬の場合かなり厚着をして、暖房はお客さんが来られる時以外は、使用していませんし、冬でもよほど寒くない日は、むしろ、ドアを開け空気を通しています。
動物達は裸で寒い山の中でしのいでいるんですよ。知恵も家も洋服もある人間にできない理由なんかあるわけがありません。私はそのおかげで身体の健康まで取り戻したほどです。エアコンに頼る→体力や健康に悪いのですよ。身体が弱るだからますますエアコンに頼るのですよ。嘘だと思うのならばいつでもお越し下さい。
でもそういうことはやる決断と思い切ってやってみないと実現しないのです。だから私のようなことをやる人や会社はほとんどありません。「そんなこと嫌・駄目・無理」ですって!
トップの責任は重大であって、改善に対して、意欲を見せ、自ら手本を示すとともに「どんどん改善しろ、全面的に手伝う、表彰もする」でなくてはならないというのに。政治家もそうですよ、安倍さん、悪名高い日本の政治家や役人の名誉回復したらいかがですか。
クールビズとかウオームビズなんてことだけでなく、もっと率先して、国会や役所からエアコン使用の大幅削減・紙・ごみ・電気の大胆な削減なんかをやって欲しいものです。http://www.meico.org/kankyoukaizen.html
最後にまとめると「何も言わず、やらなくなった若者よ、ロウジンカ?」
 ①めんどくさい
 ②しんどい
 ③やる気が起きない
 ④やったことがない
 ⑤怖い
 ⑥自分の責任になるから
 ⑦能力がない
 ⑧失敗が嫌
 ⑨忙しくてそれどころじゃない
 ⑩上がOKするわけがない
 ⑪そんなこと、やったことがない
 ⑫身体がしんどい
 ⑬やり方がわからない
 ⑭やっても褒められない
 ⑮給料が増えるわけじゃなし
 ⑯チャレンジ精神なし
 ⑰言われたら、しかたなくやる
 ⑱誰かがやるじゃん
 ⑲汚い・臭い・面倒・
 ⑳考えざる・言い出さざる・やらざる
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74.高齢化・お歳寄り予備軍の方方に贈る

2007-02-02 11:33:53 | 老後
私は昭和18年戦争真っ最中に生まれたが、戦後昭和20~24年くらいまで、物資欠乏の時代にも拘わらず、当時は無論テレビも娯楽も、何もすることがなかったらしく、なぜか子作りが盛んであったらしい、それを団塊の世代というらしいが、何とも悲しいネーミングである、「塊」の扱いである。しかしこの塊がウンコのように押し出されてくるのである。
このウンコの老後は、一応6つくらいに分類できるらしい。ウンコとは失礼だというお叱りを受けそうだが、薔薇色のようなイメージをとりあえず捨てて、まずはウンコくらいに思っておいたほうが本人のためなのである。「俺はウンコなんかじゃない」そう言い切って欲しいのである。
これらのウンコは、もうかつてのように社長でも部長でも先生でも宝でもなくなり、一度は無用なものとしてゴミ箱に捨てられるという現実をまず認識すべきなのである。
その上でリサイクルではないが、どう自分を有用なものに再生していくかが大切なポイントである。

①働きウンコ組(従来どおり働き続ける)
②頑張ウンコ組(新しいことにチャレンジ)
③喜びウンコ組(やっと自分のやりたいことできる)
④隠居ウンコ組(まあ歳相応に静かに)
⑤ごみウンコ組(何もやることもなく家でも邪魔扱い)
⑥悲しウンコ組(離婚や病気や破産や悲惨になる)

それでなくとも今後巷を歩くと、年々、自分のような老人が溢れかえるのである。そして自分も間違いなくその一員になっていくのだ。それは現在と較べものにはならないような状況、過疎の村のような老人だけの状況になる。種田山頭火の「わけいってもわけいっても青い山」という句があったが、「歩めども歩めども老人の山」という現実になる。山頭火の数倍悲しくも暗い現実がそこに出現する。
長年ビジネスの世界にドップリ浸かって、忙しさと・人間つき合い・家族・健康・自分自身のこと・財産・・・あれこれつらい修羅場をくぐり抜けて、やっとその苦労や苦痛から脱出し開放される時が来た。
ホッとする一方で、会社を去ること、肩書きも友人もなくなるのは、かつて味わったこのとない厳しくも悲しい現実だ。
60歳で還暦を迎える人には、100%老後は否応なしにやって来る。老後は天国かと思いきや案外大変だ。生老病死というが、多くの人に確実に過酷な老病死苦がひたひたと押し寄せて来る。
時間もある、金もある、能力も経験もある、友人もいる、家族もある、しかし何となく、かなり多くのものを失った、又はどんどん失っていくような感覚が一挙に襲ってくる。そういう中でなんとなく日々を過ごしていると、元気がなくなり、老化は予想外に早く進んでいく。
今迄あんなに切望していたはずなのに、過酷な仕事から開放され、毎日が日曜日になると、暇がかなり苦痛であることを実感する。なんということはない、忙しくても苦痛/暇になっても苦痛なのである。人間には苦痛しかないのか?まるで昔の百姓のように一生苦と戦うことになる。働けど働けど我が暮らし楽にならざりき。
こんな悲しいことは止めたいが、昔の水呑み百姓のように、死ぬまで楽しくなく悶々として又は苦難に満ちて暮らす老人は多いのである。
本当は、若い時まあ50歳くらいでいいのだが、自分の老後の理念・方針・目的・目標・しくみ作り・老後のライフスタイル作りなんてのを真剣にすべきであったのだ。しかし多くの人が、老後のことなんて全然考えてもいないから、いざ退職してからハタッと困る。退職して一日家にいる何をやればいいのか?一日テレビ見て・パソコンやって・奥さんの料理を食べる日々、まあ正真正銘の穀つぶし・役立たずになってしまう。場合によっては、最悪の場合、最愛であったはずの奥様からある日突然、離縁状を突きつけられる始末だ。
老後においては、退職を機会に180度生き方を見直し・大きく変える必要がある。置かれる環境や状況や価値観が180度変わっているのだから、自分自身のライフスタイルを新たに手作りで構築しないとうまくいくわけがない。ごみとまでは言いたくないが、へますると粗大ゴミ・ごみ屋敷の主人になってしまう。
暇はかなわんと仕事を見つける人がいる。しかしそういう人は一生働かされる奴隷まがいのスタイルになってしまう。それでいいというのならばまあしかたがないのだが。
そこであれやこれや始めるが、そんな思いつきのことは長続きしないし心の満足は得られない三日坊主というやつである。
私は「毎日暇で暇で」と嘆く多くの初老の老人を知っている。ところが彼は案外行動的なのである。あっちこっちと日がな動き廻るのである。よそ目にはスゲー楽しそうに見えるのだが、どうも本人は焦っているらしい、他人が思うほど本人はどうも楽しくはないらしく朝から晩まで鬱々としている。まあ贅沢極まりない悩みなのである。孫は可愛いというが一日付き合うと芯から疲れてしまい、早く帰って欲しいと思う。
でもまあそういうことで悩むうちは、まだましなのであって、いよいよ老病苦が身にまとわり着くようになると、いよいよあとは病や死や苦との戦いの日々しか残ってはいない自分に気づくのである。

私の54歳退職後自営した体験からすると、

①なるべく若いうちにライフスタイルを確立する
②方針や目標を立てる
③過去と決別する部分と引き継ぐ部分を50-50に
④生活に3~4本の柱を建てる
⑤人との付き合いを大切にする
⑥こつこつ何かやる
⑦新しいことを1つ2つやる

というようなのだろう?なにしろそんなに簡単に結論は出ない10年くらいかかる、ということは60歳の人は70歳になってやっと自分なりにライフスタイルが確立できるということになる。
不幸か幸か、私のように54歳で退職した者は64歳で構築できたのであるが、正直60歳で退職の人は、70歳になってやっと路線が引けるという悲しい現実があるのである。
しかし焦ってはならない、着実に努力と日々の積み上げをしていくことをお勧めする。いろいろな老後に関する本が出ているが、財産管理・健康管理・危機管理など基本的なことは本のとおりやるべきとして、基本的な部分以外のことについては、あまり影響を受けすぎないほうがいい、「1000人の初老の老人がいれば1000とおりの老後の生き方がある」というスタンスのほうが良いと思うのである。

青春とは心の若さであるhttp://www.meico.org/kokoronowakasa.html
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