村上和隆
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
新:村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言
人生勉強会開始を契機に他人様の事よりむしろ自分自身を振り返り
人生に関する言葉の意味などを改めて自分なりに考え直したり
まあこの歳で、やっと自己流の哲学に芽生えたという事でしょうか
山暮らしでの経験を通じても改めて考え直す事も沢山見つかった
麻薬患者を牢屋に押しこめて麻薬を断つようなものだったのかもしれない
人生ホームページやブログを書くにつれ自分自身が一番問題だと認識し出した
手当たり次第、直して行くと、過去の自分とのギャップを感じ出した
自分が直って行く実感、現代的生き方からの脱出、それでも依然中途半端な感じ
自分がこれほど潜在的に病んでいたことを認識していなかったということだ
気付いたら部屋中ごみや無用な物で一杯だったというような事と似ている
長年染み付いた愚かさ・いい加減さ・出鱈目さは驚くべきものだった
人一倍自分はしっかりした人間であるくらいの軽い自覚だった
そんなお粗末な自分が何故人生勉強会なんて立ち上げたのか???
戦中に生まれ、東京から大阪へ、そして京都へ、大企業から零細企業
ベンチャー企業へ、会社が日本一に、そして今滋賀の山にひっそり暮らしている
「お前ほどのいい加減な者こそやれ」という神様の啓示だったのだろうか?
ブログ記事を書き続けるにつれ、少しづつ人生感は深まって行く
平成22年に人生勉強会を立ち上げてホームページを掲載して以来
その成果か?最近は、ネットを見て戴く人も確実に増えてきた
最近数年は春~秋は山に暮らしているので、山を訪れる人も少ない
人との会話も少なくなっているのに、逆に人との縁が少なくなるほど
かえって冷静にきちんと自分や人間が観察できるようになってきた
妙なものである、物事は絶つほど捨てるほどに正しく見えてくる
私が東京を離れて東京を理解し、大企業を離れて大企業を理解し、
都会を離れて都会を理解したように、捨てるほどわかるようだ
金持には、金の大事さや金の本質は永遠に理解できない
”捨てる=物事がわかる””捨てる=明(諦)らめる”なんです
よくこういうことを言われる「私はお金も美貌も勉強も捨てられません」
やれるに越したことはないが、まあ当然なこと無理です
そのものを捨てるのが無理ならば、執着を無くす努力をしましょう
でも、執着だけを捨てるほうが簡単なようで、むしろ難しいのですが
捨てる、離れる、捕らわれない、執着しない、・・・・・・
ひっそり山で一人暮らし続けた効果の一つと言って良いと思う
物事は失って初めて気づき、深く正確にわかってくる
失う、捨てる、無、空とかいうことが、意外にきっかけになる
自分だけを見つめる、他人の思惑を気にせず、ひたすら自分に集中する
完璧とは言わないが、他人のことも冷静かつきちんと見えるようになってきた
対処法や対策も冷静に探し出し、見定められるようになってきた
やたらに多くの人に接し過ぎために見えなかったものが見えて来た
友達が多い、人脈が多いと、喜んだり自慢する人がいるが
かつての私は、人付き合いの多い人を見て羨ましいと思ったものだ
どうも、そうばかりではないようだ、現代は人や情報に埋没している
人口・情報過密で、過剰に他人や情報を意識し、大きな影響を受け続ける
私は、過剰な人や情報の影響を『精神的被爆・汚染』と称している
金持ちも美人も秀才もある意味、邪魔、壁、霧に苛まれている
そんなもの思い切って捨ててしまうことこそ本質を極める道だ
でも人間は一生、その邪魔、壁、霧を決して振り払おうとしない
むしろ楽しんでしまう、まみれてしまう、一生付き合ってしまう
良い影響を受けていると思うと、案外そうでもない、とんでもない誤解
現実に自分の場合を振り返ると、良い影響を受けた人はほんの一握り
悪い影響を受ける多くの人を敢えて見えないようにすればよいのだが、
現実は、そうもいかない、何らかの被爆・損傷を受けてしまう
株取引で証券会社や専門家の話を信じて買って大損するようなものだ
私の経験でも、自分自身で考え、評価し、決定し買うべきなんです
自分の自分による自分のための人生でなくて一体何なのだ?と言いたい
やはり面倒でも、苦しくても、自分で考える、自分を信じるべきなんだ
悪い影響を受ける人も反面教師として役だっているのかもしれないが
世の中は反面教師ばかり、良い手本の人に接することがない
他人を診断・診察し診ているとまあ、ひどい現実が見えて来ます
身体の病気は一部分だが、それに反し、心の病気は全体的である
「私のどこに問題が?問題は何んですか?」ではない
問題だらけ、お世辞にも良いところなんて何もない、言う気もしない
褒めろと言うが、褒め殺しで、褒められないものを無理やり褒める
そんな褒め方では例え良くなっても、本質的に大した役には立たない
たんなる誤魔化し、甘やかしに過ぎない、百害あって一利なし
叱って、叱咤激励で育てるのが正しい躾なり、教育で本人の血や肉になる
有識者や先生、経営者など世間的に大層立派な人でも、問題だらけ
”羊の皮を被った狼”というのが真相、まさかと疑うが、真相だ
むしろそういう大層立派な人ほど問題が大きく深いから困ったものだ
頭の良い人ほど何だかんだと小細工や屁理屈をつけ自己擁護したがる
「自分は羊の皮を被った狼ではないか?」なんて殊更悩む必要はない
世間的に相当立派に見える人でさえ狼、ましてや普通の人はひどい
立派な人とは、自分が羊の皮を被った狼であることに謙虚に気付く人
困る人は、「私の問題はどこにあるのか」と矢鱈に尋ねる人です
大きな勘違い、その勘違いが更に悩まし問題解決を遅らす元となる
自分を丸ごと徹底して洗濯すべきで「どこが汚れているか?」ではない
全体がひどく汚れている、だから丸ごと洗い直したほうが早いし確実
「自分は案外きちんとしている」「他人よりまし」という思いが邪魔する
そして「どこだ、どこだ、何だ」とあら捜し、犯人捜しを止めない
改善・手直しというより改革・革新・出直し・一度捨て去るのだ
物が一杯になって押入れに入りきらずに部屋に物が散かっている状態
そんな場合、一つや二つの物を捨てたくらいでは、きれいにはならない
多くの人が無用な物の多くを捨てるのを躊躇し狭苦しい部屋で我慢する
一度大半を捨て去る覚悟・根本から物の整理整頓を考え直すことが大事
そういう問題だらけの最悪最低の自分を叩き直す決断をすることだ
人間の一番いけないことは、
①中途半端
②面倒がる
③甘さ
④傲慢
⑤欲張り
⑥利己
⑦逃避
⑧先送り
⑨怠惰
⑩固定観念
人間はこういう基本的な弱さ・愚かさを日々まき散らし続ける
指摘できることは、どこが悪いではなく、一つづつ全面的に直すこと
私との対話の中でもしも「自分の全てが悪い」と気付いてくれたら成功
でも「どこ、何、どうしたらいいか?」という疑問ばかりが返ってくる
こういう人は、何年経っても、良くはならない、むしろより悪化して行く
人間、この不完全な者
人間、この不健全な者
子供のような大人
大人のような子供
人間、この不真面目な者
こつこつ真面目に自分を叩き直し続けても一生でその一割でも改革できたら
それはすごい成功である、それほど人間の罪・悪徳・悪性は深い
でも、それだから今のまま何もしないでなく、例え少づつでもよいから
日々焦らず、一歩一歩、真面目に取り組んでいかなくてはならない
私も駄目人間の例外ではない、違うとすれば直そうと努力していること
山暮らしの私が手入れした林は多い
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
新:村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言
人生勉強会開始を契機に他人様の事よりむしろ自分自身を振り返り
人生に関する言葉の意味などを改めて自分なりに考え直したり
まあこの歳で、やっと自己流の哲学に芽生えたという事でしょうか
山暮らしでの経験を通じても改めて考え直す事も沢山見つかった
麻薬患者を牢屋に押しこめて麻薬を断つようなものだったのかもしれない
人生ホームページやブログを書くにつれ自分自身が一番問題だと認識し出した
手当たり次第、直して行くと、過去の自分とのギャップを感じ出した
自分が直って行く実感、現代的生き方からの脱出、それでも依然中途半端な感じ
自分がこれほど潜在的に病んでいたことを認識していなかったということだ
気付いたら部屋中ごみや無用な物で一杯だったというような事と似ている
長年染み付いた愚かさ・いい加減さ・出鱈目さは驚くべきものだった
人一倍自分はしっかりした人間であるくらいの軽い自覚だった
そんなお粗末な自分が何故人生勉強会なんて立ち上げたのか???
戦中に生まれ、東京から大阪へ、そして京都へ、大企業から零細企業
ベンチャー企業へ、会社が日本一に、そして今滋賀の山にひっそり暮らしている
「お前ほどのいい加減な者こそやれ」という神様の啓示だったのだろうか?
ブログ記事を書き続けるにつれ、少しづつ人生感は深まって行く
平成22年に人生勉強会を立ち上げてホームページを掲載して以来
その成果か?最近は、ネットを見て戴く人も確実に増えてきた
最近数年は春~秋は山に暮らしているので、山を訪れる人も少ない
人との会話も少なくなっているのに、逆に人との縁が少なくなるほど
かえって冷静にきちんと自分や人間が観察できるようになってきた
妙なものである、物事は絶つほど捨てるほどに正しく見えてくる
私が東京を離れて東京を理解し、大企業を離れて大企業を理解し、
都会を離れて都会を理解したように、捨てるほどわかるようだ
金持には、金の大事さや金の本質は永遠に理解できない
”捨てる=物事がわかる””捨てる=明(諦)らめる”なんです
よくこういうことを言われる「私はお金も美貌も勉強も捨てられません」
やれるに越したことはないが、まあ当然なこと無理です
そのものを捨てるのが無理ならば、執着を無くす努力をしましょう
でも、執着だけを捨てるほうが簡単なようで、むしろ難しいのですが
捨てる、離れる、捕らわれない、執着しない、・・・・・・
ひっそり山で一人暮らし続けた効果の一つと言って良いと思う
物事は失って初めて気づき、深く正確にわかってくる
失う、捨てる、無、空とかいうことが、意外にきっかけになる
自分だけを見つめる、他人の思惑を気にせず、ひたすら自分に集中する
完璧とは言わないが、他人のことも冷静かつきちんと見えるようになってきた
対処法や対策も冷静に探し出し、見定められるようになってきた
やたらに多くの人に接し過ぎために見えなかったものが見えて来た
友達が多い、人脈が多いと、喜んだり自慢する人がいるが
かつての私は、人付き合いの多い人を見て羨ましいと思ったものだ
どうも、そうばかりではないようだ、現代は人や情報に埋没している
人口・情報過密で、過剰に他人や情報を意識し、大きな影響を受け続ける
私は、過剰な人や情報の影響を『精神的被爆・汚染』と称している
金持ちも美人も秀才もある意味、邪魔、壁、霧に苛まれている
そんなもの思い切って捨ててしまうことこそ本質を極める道だ
でも人間は一生、その邪魔、壁、霧を決して振り払おうとしない
むしろ楽しんでしまう、まみれてしまう、一生付き合ってしまう
良い影響を受けていると思うと、案外そうでもない、とんでもない誤解
現実に自分の場合を振り返ると、良い影響を受けた人はほんの一握り
悪い影響を受ける多くの人を敢えて見えないようにすればよいのだが、
現実は、そうもいかない、何らかの被爆・損傷を受けてしまう
株取引で証券会社や専門家の話を信じて買って大損するようなものだ
私の経験でも、自分自身で考え、評価し、決定し買うべきなんです
自分の自分による自分のための人生でなくて一体何なのだ?と言いたい
やはり面倒でも、苦しくても、自分で考える、自分を信じるべきなんだ
悪い影響を受ける人も反面教師として役だっているのかもしれないが
世の中は反面教師ばかり、良い手本の人に接することがない
他人を診断・診察し診ているとまあ、ひどい現実が見えて来ます
身体の病気は一部分だが、それに反し、心の病気は全体的である
「私のどこに問題が?問題は何んですか?」ではない
問題だらけ、お世辞にも良いところなんて何もない、言う気もしない
褒めろと言うが、褒め殺しで、褒められないものを無理やり褒める
そんな褒め方では例え良くなっても、本質的に大した役には立たない
たんなる誤魔化し、甘やかしに過ぎない、百害あって一利なし
叱って、叱咤激励で育てるのが正しい躾なり、教育で本人の血や肉になる
有識者や先生、経営者など世間的に大層立派な人でも、問題だらけ
”羊の皮を被った狼”というのが真相、まさかと疑うが、真相だ
むしろそういう大層立派な人ほど問題が大きく深いから困ったものだ
頭の良い人ほど何だかんだと小細工や屁理屈をつけ自己擁護したがる
「自分は羊の皮を被った狼ではないか?」なんて殊更悩む必要はない
世間的に相当立派に見える人でさえ狼、ましてや普通の人はひどい
立派な人とは、自分が羊の皮を被った狼であることに謙虚に気付く人
困る人は、「私の問題はどこにあるのか」と矢鱈に尋ねる人です
大きな勘違い、その勘違いが更に悩まし問題解決を遅らす元となる
自分を丸ごと徹底して洗濯すべきで「どこが汚れているか?」ではない
全体がひどく汚れている、だから丸ごと洗い直したほうが早いし確実
「自分は案外きちんとしている」「他人よりまし」という思いが邪魔する
そして「どこだ、どこだ、何だ」とあら捜し、犯人捜しを止めない
改善・手直しというより改革・革新・出直し・一度捨て去るのだ
物が一杯になって押入れに入りきらずに部屋に物が散かっている状態
そんな場合、一つや二つの物を捨てたくらいでは、きれいにはならない
多くの人が無用な物の多くを捨てるのを躊躇し狭苦しい部屋で我慢する
一度大半を捨て去る覚悟・根本から物の整理整頓を考え直すことが大事
そういう問題だらけの最悪最低の自分を叩き直す決断をすることだ
人間の一番いけないことは、
①中途半端
②面倒がる
③甘さ
④傲慢
⑤欲張り
⑥利己
⑦逃避
⑧先送り
⑨怠惰
⑩固定観念
人間はこういう基本的な弱さ・愚かさを日々まき散らし続ける
指摘できることは、どこが悪いではなく、一つづつ全面的に直すこと
私との対話の中でもしも「自分の全てが悪い」と気付いてくれたら成功
でも「どこ、何、どうしたらいいか?」という疑問ばかりが返ってくる
こういう人は、何年経っても、良くはならない、むしろより悪化して行く
人間、この不完全な者
人間、この不健全な者
子供のような大人
大人のような子供
人間、この不真面目な者
こつこつ真面目に自分を叩き直し続けても一生でその一割でも改革できたら
それはすごい成功である、それほど人間の罪・悪徳・悪性は深い
でも、それだから今のまま何もしないでなく、例え少づつでもよいから
日々焦らず、一歩一歩、真面目に取り組んでいかなくてはならない
私も駄目人間の例外ではない、違うとすれば直そうと努力していること
山暮らしの私が手入れした林は多い