村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

409.ミニ悟り(一般人が自分なりに望ましい境地を開いた状態)の結果的・具体的な状況

2016-11-28 16:08:11 | 人生

指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
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テーマ
ミニ悟り(一般人が自分なりに望ましい境地を開いた状態)の結果的・具体的な状況

概要
1.世間の状況     世の中は平和で、便利で豊になったが、人は堕落、油断大敵
坊さんというのはさすが、姿勢も真っすぐに威風堂々として落ち着いていていつも感心する
逆に一般人は姿勢は悪く、おどおど、自信もなく、言う事・やる事もお粗末、卑しい
自分はどうかと反省し、坊さん迄行かなくても、ミニ悟りでもいいから目指そうとする人は少ない

2.問題点     心のことを忘れている、放たらかし
便利で豊な時代で、都会に住む頭でっかちな人が増え、悟り自体がどんどん遠ざかっていく
温厚な人はいるが、中途半端では悟りからは、ほど遠く、むしろ我慢ばかりで本人はつらい
「悟ったからって、一体どうだって言うんだ」みたいに、悟ということの価値観が廃れている
ミニ悟りでもよいが、一般人を対象にした教育の機会や指導者が少ない
うつ病やアルツハイマーや苛めなど現実のマイナスの問題の解決がメインになっている

3.私はどうしたのか、何をしたのか       あくまで偶然、先生は山の自然、自己流
私は全くの偶然で55歳で山に篭って暮らし続けたことで知らぬ間に心境の変化を来した
悟りや仏教やいろいろ座学の勉強も大切だが、それだけではミニ悟りですら難しい
座禅同様に、ひたすら座るような修養が必要であり、急がば廻れだと理解できた
「座禅とか山に篭るなんて事で悟れるわけがない、しんどい」と思う気持ちもあるだろう

4.私はどうなったのか       今は山を下り、貧乏だが田舎町で楽しく暮している
私のような人間が、山に篭る暮らしがよく続けられたと、今になって不思議だなーと振り返る
東京から大阪京都を経て、偶然に滋賀の安曇川の長尾山中に来たのは摩訶不思議な出会いだ
これまた不思議なことだが、今思うと、それ以前に諸準備を自分は長年やってきたように思う
かつて私が東京工業大学に合格したとき凄く喜んだが、入学後にすごく落ち込んだのを思い出す
人間の心というのはラッキーなこと幸せが幾ら続いても満足しないし、悟れない、むしろ逆だ

かく言う私も、さしたる目標も計画もなく、偶然なのだから偉そうなことは言えない
しかし、例え偶然でも、私の心に、長い事ずーと、求める意志があったのは確かだ
買わない宝くじは当たらない、宝くじを買い続けてきたから偶然でも当たったのだ

5.一体なにが原因で出来ないのか     やろうとしない・きっかけをつけない・やる気がない
心に焦点を当てて自分を更に成長させようとすることを諦めている、断念している
悟りの本家である僧侶などが自分達のことで目一杯であり、一般人に向かっていない
政治も役所も財政難、山は限界集落化し、山の別荘地もどんどん荒廃が進んで消滅寸前だ
山の暮らしと都会の暮らしに大きなギャップがあるので、ますます山暮らしは敬遠されている

6.提言       やってみなはれ、いいもんでっせ、参考になるか知らんが・・・
別に悟らなければいけないということもないが、せっかく戴いた人生、是非目指して欲しい
目下73歳、山の麓の田中という田舎町の平屋に移り住み、平静な心で老後を暮らしている
今の状況や心境を整理してみたので、下に掲載する
但し、この表のように直接的になろうと努力したり、無理して頑張るのは悟りから遠ざかるだけ

私の体験では、悟りそのものを求めては達成できない、むしろ悟ることさえも忘れて修養
多分、理解し難いと思うが、こればかりは頭で考えても分かることではない
私も仏教や禅は初心者以下であり、私の今の状況をお伝えするのが下手なので申し訳ない
結果的には今の私の心境が下に示したとように明らかに変わったことをお伝えするしかない
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408.もっともらしいものに、誤魔化されている、しかし、そこから脱却出来ない

2016-11-22 08:09:06 | 人生
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テーマ
もっともらしいものに、誤魔化されている、しかし、そこから脱却出来ない

概要
1.世間の状況     人が一番騙されるのは、もっともらしい物事である
・日々、時々刻々人は他人から騙されている     
・日々、時々刻々人は他人を騙している
・日々、時々刻々人は自分自身を騙している     人はいかに騙すかに腐心している
田舎の山でひっそり暮らし続けると、そういう怪しげな信じ込みがきれいに剥げ落ちて行く

2.問題点     自分は嘘誤魔化しがない、騙されてもいないと信じているから生きていける
・人は自分が騙されているとは思っていない
・人は自分が他人を騙しているとは思っていない
・人を騙す・嘘誤魔化しは、いけないことだと信じており「嘘つくな」と他人に強く要求する
他方、嘘つきな自分を棚にあげ、他人に騙されたと言ってすごく怒ったり悲しんだりする

3.私はどうしたのか、何をしたのか     思い込み易い、何故そんなにあっさり決めつけるのか
私も65歳くらいまで、もっともらしいものを軽率に信じてしまう、そんな人間の一人であった
しかし55歳で山に暮らし出し徐々に人の嘘誤魔化しというものが鮮明に見えて来た
山暮らしを7~8年続けた頃から都会に行くと、皆、嘘誤魔化しをついていることに気づき出した
それ以来都会というものが嘘・騙し・見せかけ・異常・怖い・つまらない・詐欺・・・・に見えて来た
都会の人との会話にずれが生じて来た、私は嘘誤魔化しがなくなったから、真逆になる

4.私はどうなったのか      嘘誤魔化しの人間と、ほんの一握りの本物の人間 
人間は洋服を前後左右上下を逆にして着て歩いているような印象だ、騙し絵みたいなものだ
マジで論争する気も起きなくなった、以来他人を怒ったり喧嘩するのも馬鹿馬鹿しくて一切止めた
嘘つき同士がいかにも真面目に真実について論争しているのは怪しいものだ、この嘘つきめが
若い頃から物事を糞真面目に考え過ぎて来た、もっと大らかに、自由に見て向き合えばよかった
まず思い込みや既成概念を全部洗い流そうと思った、そしてそれは数年でかなり出来て来た
何かすっきりしてきた、明るく、元気に、自由に、拘らず、悩むことも格段に減った、

5.一体なにが原因で出来ないのか     目立つ・尤も・魅惑的なことに安易に飛びつく
都会暮らしの人に多いように思うが、ある種の型に無理やり自分を押し込めて我慢している
その無用な型や枠を脱ぎ捨てる算段をしないことには何時までたっても、変わらない
私にとって55年の生き方+55歳から山暮らしを18年やったことで型や壁や枠が外れた
ところが自分自身がそうなってみると、人々が窮屈に縛られている姿に違和感を感じるばかり

6.提言       あれこれ目移りせず、やたら憧れず、田舎でゆったりつつましく暮せばいいのだ
山に来た都会の人が愛でるのは、自然の景色ではあるが、断片的、表面的である。
自然に対する知識・経験・感性・価値観が未熟。 逆に、不自然なものには目が肥えている
お上りさんが京都に来て観光するが驚き・感心はするが中身は全くわからないのと似ている
 1)男は美人の女に弱い、「美人を我がものに出来たら、もうどうなってもいい」なんて信じている
  「犯罪の影に女あり」と言うが人間の思い込みを悪用する例であり、人生を誤ることになる
 2)金が欲しい、大金持ちになりたい、でも一向にそうはならずに、むしろ騙され大損する
 3)頭の良い奴、学者、博士、先生、秀才あやかりたいと思うが未だに歯が立たない
  実は「美人は美人じゃない」「秀才は秀才ではない」「金持ちは金持ちではない」 
  「都会は暮らし易くない」これが分からないと自分自身を騙し、騙され続ける
 4)都会暮らし、便利で、豊で、買い物やスポーツや芸術や友人や憧れて都会に人が集まった

しかし美人もよくよく見れば圧化粧・着飾り・優しい言葉使い・・・映画俳優のように演じているに過ぎない、
可哀そうに、歳をとるにつれ、どんどん汚くなっていく、美しい婆さんはあり得ないのだ
金なんて必要なだけあればいいのだが、大金持ちなんてのが、羨ましがられるが、
無用な物を沢山持ちきれない、使いきれないほど集めて、広い家で、収納や掃除や廃棄処分も大変だ

頭なんてのも並でいいのだ、仕事し、ご飯食べ、皆と明るく楽しく暮せればよい、
頭が良すぎて余分なことを考え余計な事をやり世間を騙し、悪事を働く、ノイローゼや麻薬にそまる奴もいる
東京・大阪・京都と都会を転々とし結果的に京都ですら住みにくい場所である、狭い、煩い、自動車が多い
人はゆったり歩けやしない、人に気使う、よくもあんな危ない所に住めるものだ
日本人はおもてなし、きめ細かい、いろいろ便利で品質の良い製品や食べ物が多いと旅行者も激増だとか
海外観光客を観光先進国なみに六千万人にしようなんて、なんか間違ってる
そんなもの美人同様にやがて飽きられてしまう、あまり無理せず、自然体で普通に生きよう
無理・無駄は破滅の元、便利さ・豊かさ・美しさ・楽を求めてもそれは蜃気楼に過ぎない

京都は観光地として外国人にも日本人にも人気がある、しかし長年京都で暮らしてみると、
京都も所詮人が暮らす普通の街に過ぎない、
なんか格別なものがあるわけではない古都京都なんてあたかも格別なものがあるようだが、
そんなものを求め過ぎないほうが無難だ
美人なんかも格別なものがあると思って男が追い回すのだが、美人も普通の人間に過ぎない
嘘誤魔化しは更なる嘘誤魔化しを作り出す、いかにも尤もらしいが、尤もらしくするだけなのだ
金がないのに何故無理してオリンピックを招致し、礼賛する。まんまと悪徳政治家に騙される

若い頃私もあちこち観光地に行った、今格別何もない自然なままの安曇川の田舎で暮らし続けていると、
安曇川がどこよりもいい、じっくり腰を据えて平平凡凡暮らしている
安曇川は格別素晴らしくもない、美味しいものも、名物も、大した城も、寺もない、温泉もない、
さしたる美人もいない、あるのは平凡な自然だけ、それでよい、あまり華美なものは人を騙すだけ
京都も行かない、旅行もほとんどいかない、ご馳走も食べない、美人とも付き合わない・・・
それでも幸せであり、何の不満もない、一体あちこち行って何を求めているのやら?

追伸
私のこの話が何を言っているかわからない人が多数だろうと推察するが、分かって欲しい
美人美男・金持ち・秀才・古都・おもてなし・絶景・古都・・・尤もらしいものに目血走るべからず
そういうものは、皆、不自然なのだ、でっち上げ、あたかも、尤もらしきものなのだ
正直な話、神社や寺に行くと尤もらしい豪華装飾・仏像・お札・僧侶等沢山あって、人を騙す
京都が好きだったら20年住んで暮らしみろ、美人が好きだったら3年一緒に暮してみろ
東京から大阪へそして京都に住んだ頃は目が血走っていたが今やお寺も庭も関心なし

女は40歳くらいから確実に汚くなって行く、美しい婆さんなんてのは、まずいない、超汚くなって行く
京都も美人も先生も秀才も誰でも、毎日嘘誤魔化しのために金や時間や無駄な努力をしている
京都も美女も食べ物も、がつがつせんとたまに少し、ゆったり味わえば良い、のめり込むな

当たり前の山暮し、人はいない、静かな山で、秋は紅葉

    
当たり前の暮らし、田舎町の田中の我が家の手作りの庭と駐車場です

   
当たり前の山で皆で、もらった古い大型倉庫解体、再組立て
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407.山で自分さえ良くなったからよいのではなく、山を下り、都会の人にもお手伝いをしたい

2016-11-15 09:11:22 | 人生
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村上原基人生勉強会
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テーマ
山で自分さえ良くなったからよいのではなく、山を下り、都会の人のお手伝いをしたい

概要
1.世間の状況     現代人は楽をし、贅沢し、勝手なことを言い、無駄に長生きしている
高齢者は自分の老後のことで精いっぱい、若者や大人は迷い、悩んで精神病や自殺者が増加
都会に人が集中し、ますます便利になり、わざわざ不便な山で暮そうなんて人はいなくなる
日本は素晴らしい国だが、平和ぼけ・過剰な便利さを追求し、人間の根源を見失いつつある

2.問題点     日本の生き方の精神を子供に伝えなくてはならないが、伝えられそうにない
身近に人生や精神的な指導者・手本・見本が不在で、かつ、きちんとした適当な教育もない
家族関係も、社会の結束も弱体化し、利己主義化、少子高齢化によってバランスも崩れつつある
全体をきちんと維持されてないので高齢化の時代には、あれこれ致命的欠陥を抱えた高齢者が増加
物質的豊かさや便利さによって、日本人は横着になっている、手足、身体や頭等の部位を使わない
ロボット化等、どんどん無用な科学技術や製品を研究開発し、働かない・死なない人を増やす

3.私はどうしたのか、何をしたのか      都会人の真逆な暮らしをすることで、人生を再構築
55歳から18年、自然だけの山暮らしをし、偶然、結果的に過去の自分を一旦清算できた
65歳で人生勉強会立ち上げ、「人生blog、出来た出来ますblog」を書き掲載を続けてきた
18年後、昨年72歳で安曇川の田舎町に降りてきて久しぶりに人が住む町暮らしに戻った
そして都会で、現実にあれやこれや苦しむ人や悩む人のために役立つべきだと考えを変えた

4.私はどうなったのか       18年の山暮らしの後、年齢を考え町に降りて来て移り住む
田舎町でさえも、山暮らしとは大違い、当然、近所の人々との付き合いも多くなった
小さな町だが、日々多くの人と出会うことになった、山暮らし経験者の私には大きな違和感だ
18年間の山暮らしで、幸いにも自分は成長出来たが、自己満足しているだけで卑怯だと考えた
引き続き山に篭っていては社会に良い影響も与えられない、山暮らしで得たもので社会に還元したい
山暮らしを捨てて積極的に町に出て行き、新たな目で、もう一度日本社会や日本人を観てみたい

5.一体なにが原因で出来ないのか    人生は、どこかで一度ご破算しないと、前に進めない
あまりに便利な都会暮らしを続けて、都会人と交わり続け、麻薬患者のように崩壊する
私は55歳から18年山でひっそり暮らしてきた、その結果、
山暮らしによって自分自身の心はいつしか洗われ、都会暮らしに大きな違和感を感じている
自分が良くなることも素晴らしいが、それで終ったら何のために生まれてきたのか分からない
現代人は楽をし過ぎるから、浅い、狭い、ひ弱、面倒なこと嫌がる、自力でせずに依存する

6.提言     73歳、今後20年かけて自分の人生を完成させていきたいと思っている
そこで、今更遅きに失するのだが、きちんとした人生のやり直しの方法を、考え出すことにした

55歳以降、山暮らしなどで自分の過去を洗い流すことだ、私のように15年以上はかかる
無論山暮らしでなくても、他に良い過去の清算方法ややり直し方法があれば何でも良いのだが?
55歳から山暮らし後70歳にして、人生再出発がやっと、始まった、皆さまもご一緒にいかが?
その後の方法は、恥ずかしながら、私にもあまりよくわからないが、自分なりに考えてみた
1.まず人生の項目を分類してみた、私は偉い僧侶になれはしないし、なろうとは考えていない
2.ごく普通の社会に生活する普通の人間としてその分類毎に自分を点検し改善して行こうと思う

人生改善検討用項目一覧表


追伸
この表は、私の考えであり、もっと良い表も出来るでしょうが、私は、まずはこれで始める
何事も最初から完璧は無理、大事なことは、そこそこ自分で考えったことから始めること
インターネットなど現実の時代に即して作成しているので中途半端にみえるかもしれないが
皆さまと一緒にやっていきたいので、一緒参加したい人はどうぞ 取り組んで欲しい
皆でやりながらより良い人生のために一つづつどうやっていったら良いか考えて行きたい

貧乏・不便・ぶす・頭悪いこんな贅沢はない、逆に金持ち・便利・美人・秀才って可哀想くだらねー
現代は 貧乏・不便・ぶす・頭悪いでも楽しく生きられる、むしろそのほうが楽しい時代になったのだ
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406.変革(change)するために

2016-11-08 09:45:38 | 人生
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テーマ 変革(change)するために

概要
1.世間の状況     changeと言っても上辺だけだから何も本質的に変わらない
オバマさんがかつてchangeと声高々に唱えたものだが、その後さしたるchangeはなかった
変革・変化とは案外難しい、特に長年染み付いた行動パターンや意識や習性は変えられない
便利で豊な暮らし慣れていると、知らぬ間に精神肉体ともにひ弱で自堕落な人間になっている

2.問題点     あくまで表面的なマイナーチェンジなのだ、人間の深みや重厚さが伴ってない
・変化しようとしない、大きな変化(変革)はやりたくない、変化する価値を認識できない
・変化するのに障害が多い環境に暮し生活している
・変化しようとトライするものの、挑戦が続かないで挫折しやすい(三日坊主型)
・厳しい、困難な問題については、特に改善や変化をトライしない

3.私はどうしたのか、何をしたのか    本質を変えるのに必要な変化を決断実行すべきなのだ   
東京から関西へ、親元から遠い地方へ、大企業から中小企業へ、都会から山奥に、・・・・
私は、人一倍色々変化してきたが、必しも満足する結果は出ず、中途半端さを感じていた
いろいろな変化は有意義であったが、本質的・根本的な変革が起きないと劇的な結果は出ない
55歳でなぜか偶然に安曇川の長尾の山の暮しを始め、約18年ひっそりと暮らしてきた
当初その暮らしが大変革とは気づかず何となく18年経ったが、大きな結果をもたらしてくれた
これは、中途半端な田舎でも、年数が短くても、暮らし方が都会的でも駄目だったような気がする
都会暮らしを離れ、18年間の平凡な山暮らしで本質が見えてきて、最も大きく自分も変わった

4.私はどうなったのか       本質的・根源的に自分を発見するような変革を求める
沢山変ったと言っても表面的であって、それが自分の人生を大きく変えなければ意味がない
小さい人並な変化はいろいろやるが、小ぽけな変化は大した結果をもたらさない、月並みだ
人間が現代社会で失ってきた、本質的なことや根源的なことに関係する変化に挑戦すべきだ
すなわち変化したと言っても、結果的に簡単にリバウンドしてしまう程度のものは無意味なのだ
すなわち、つらい、苦しい、難しい変化で、普通の人はやろうとしない類の変化であろう
都会の人を見ていると確かにいろいろなことをやっているように見えるが、本質的根源的ではない

5.一体なにが原因で出来ないのか     枠や壁を取っ払え
当然のことで人間特に現代人は必要もないのに苦しい思いまでして変革にチャレンジしない
ましてや私の山暮らしのようにあまり意味もなくニーズもないと考えてしまうものには挑戦しない
現実に昨年山をおりて、山の家は売出したが、ネットに大きく出ても買おうとする人は目下なし
私には極上物件だが、並の人は、周辺が賑やかで人も沢山いる中途半端な場所でないと駄目らしい
現代人は老いも若きも、男も女も、一様に金儲けや便利さ楽しさ、豊さを追究しているからだ
私は全くの偶然で大きな、素晴らしい機会を得たが、私だけ例外で、友人や知人は嫌だと言う
現代人は便利で豊な暮らしに慣れたので、あえてつらい変化への挑戦はしたがらない

6.提言       多く変化するうちに、枠や壁を打ち破り人生にとって大事な変化に出会ってほしい
簡単で自分がしたい変化しか、やらないのでは、大事なもの、価値あるものは得られない
私も人一倍いろいろ変化してきたが、安曇川の山や田舎での暮らしでやっと自分を発見した
18年の山暮らしは究極の変革であり、在り来たりの変化ではなかった、
自分を本質的に高める変化を求めるべきなのだ
変化慣れしておくことも大事だ、長年変化しない生き方をし続けていると本質と出会わない人生で終る

在り来たりの変化を大そうな変化と勘違い思い違いしているうちは、本物の変化人にはなれない
”上辺変化人”なのだ、そうではなくて”本質変化人”を目指さないと変革は出来ない
枠を作ってその範囲内でしか変化しようとしない人が多い、枠を取り払って変革して欲しい
・例えば東京や関東の人は関西や京都に暮してみようなんてあまり考えない
・例えば大企業中心の人は零細企業やベンチャー企業に転職しようなんて考えない
・例えば都会暮らしをしてきた人人は田舎や山暮らしをしようなんて考えない

まず枠を外すことが先決、これが出来ない人は変化を語る資格がない
私は東京から関西、大企業から中小企業に都会から田舎への変化はあくまで入門編だった
変化人であることが、やがて大きな変革へと導くきっかけとなるのかもしれない
さして変化人でない人がいきなり大きな変革に出会いそこから大事なものを得るのは困難だ
田舎暮らしを始めたが中途半端な人や田舎に来なくなって、何となく浮かない人を見かける

老後も都会の病院のそばではなく、私のように田舎に70歳で落ち着く場所を見つけることだ
変化変革によって人間として本来あるべき姿を発見する、本質にたどり着くのが理想
そうでないと一体、我が人生とは何だか意味のない味気ないものでしかなくなってしまう
変化の目的は、金儲け、物質的豊かさや便利さなど表面的な利益を得ようとすることではない
変化するのが目的ではなく、本質をつかみ、自由自在に生き生き楽しく暮らせることが大事
私の経験では、そういうことも変化や変革と厭わす続けて行かないと得られないように思う
いろいろ変化し都会だけでなく山奥の暮らしもしてみると本質に近づけるような気がする

追伸
私は年取るということが、老いぼれ(老病死)ることではなく、人間完成への道だと考えている
しかしそのためには歳をとっても変化変革を追究し続けることが不可欠だと思う
老いても肉体精神を劣化させることなく日々動かし続け健全に維持する努力も忘れてはならない
歳だ、現状維持が精いっぱいだなどと考えたら人間完成への道も断たれてしまう(寝たきり老人)
「俺は何もかも分かっている、俺は正しい」と自慢し始めたら周囲から嫌われ糞爺になってしまう

山で引越しした家から古い時計が出てきた、そのまま使える代物ではないが捨てるのも忍びない
そこでアイデア出した
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