村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

473.誰もが困る会話ネタ不足について私がやった対処法

2019-03-25 18:51:12 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
     安曇川竹の里卓球クラブ

出来た・出来ます

テーマ:誰もが困る会話ネタ不足について私がやった対処法

会話下手な人の悩みの中で、ネタがないと悩んでいる人は多い
一日机に座って画面と睨めっこの毎日で、副業も趣味も交流もなく
豊富な経験や様々な年代や分野の人と会話する機会が少ない
会話下手というより会話ネタや自分独自の考え方が形成されない
自分そのものが不在、会話とは相撲のように一対一の取組みだ

そもそも日本人は、閉鎖的で、とっつきにくい人が多い
だからこちらが相当会話好きでないと確かに会話ネタが途切れる

 ・特に異性と喋ると会話のネタがない
 ・初対面の人との会話で共通のネタがない
 ・相手の話のネタに対応できない
 ・とにかく相手によって、自由にネタが出てこないで悩む人が多い
 日本人同士の付き合いは、一般的にとかく疲れるものである
 ある意味苦しみであり、楽しむ余裕までたどりつけない

 その結果「あまり人と会話しないでおこう」になって行く
 会話ネタがないことから会話の苦手意識が身体や心の底に積もって行く

私も60歳以前はことごとくそうであった、気軽に話題が出てこない
相手のことをあまりに意識しすぎる、やれ金持ちとか美人とか頭いいとか
会話下手、付き合い下手、自信不足、対人恐怖、恥ずかしがりや・・
自分の経験の狭さや浅さ、そのため話がぎこちなくなり沈黙が流れる
会話が弾まない、失速し、気まずい雰囲気が流れ、ますます焦る
「もう駄目」会話は進まない、その結果、確実に会話恐怖症に追いやる

ところが55歳でコンサルタントを自営し、山暮らしを始めて以降
60歳くらいから、急速にというか自然に、私の会話姿勢は変わった

 ・誰ともとりあえず話すようになった
 ・豊富な自分の経験から話題をあれこれ展開するようになった
 ・なにしろ自分自身が人との会話に積極的に変わって行った
そうするうちに私は過去の会話ネタなしの意識から完全に開放された
少なくとも会話ネタがどうのこうのという意識は、ほぼなくなった
更に経営コンサルタントで全国の会社に訪問・指導・講演し
山暮らしの趣味や新しい体験が加わり会話ネタには困らなくなった
いままで都会での依存や引きこもり的な態度が一変して行った

その結果どんどん会話は円滑に行くようになり悪循環は好循環に
つらく苦手な会話という意識から会話は楽しく得意なことに変わって行った
これは、さすがの私にとって大きな驚きだったが
その後会話以外のことでも同様な変化が出現し更に驚きを重ねた
何事においてもそれまで出来ない原因が突如一掃したような感覚だった
金メダルをとったスポーツ選手や世界的な業績の立派な人の
数倍私にとっては超ビッグな事件・話題であった

その頃から仕事上、見知らぬ人の前で話す機会も増え
その上、コンサルタントという仕事上必然的に文章を書く機会が増えて行った
人生勉強会や田舎暮らしや会話のブログも立ち上げ文章を書き続けた
文章を書きは、物事を深く、論理的かつ整然と構成する能力を向上
会話は、読む・書く・話すの3つが揃って完成することを実感出来た

いろいろな経験及び会話が増え、自分独自の考えや見解を熟成されて行った
独自の考えや意見を会話に反映することこそ会話の厚みが増す元になる
自分の考えがなく、ただネタに振り回されていた会話が
自分自身の意見や主張から泉のごとく湧き出てきた感じがしてきた
アイデアや創造的な思考に弾みがつき、会話以前と以後に大き成果を感じた
単なる経験の状況説明で終わらないから、子供ではなく大人の会話になる

会話のネタが出てこない、会話したくない という人は
その人の会話下手ではなく、その人の人間性や人間総合力の不足に過ぎない
常に会話は結果であり、人間総合力は原因である

下に自分の会話のネタの元になる経験や能力をリストアップしてみた
皆さんも同じようにリストアップされることをお勧めする
そうすると会話のネタが足りないか又は沢山あるかがきちんと分かる
どっから攻め込まれても受け答えできるし、相手に自ら会話も仕掛けられる
ある程度の会話ネタを蓄えるとそれ以降会話ネタは自ら作りだせるようになる
自分の経験の範囲が狭いうちは、自分が牢獄に閉じ込められて苦しかったが
それが急激に広くなって、狭い牢屋から出獄し
自分を縛っていたものから解き放たれ自由に会話ネタがしみ出て来るのである
貯金をし、ある金額以上溜まると、突如大きな買い物が出来るようなものだ

私の主な経験・能力・趣味リストアップ
住居  埼玉川越(疎開) 東京浅草 東京大岡山 神奈川鵠沼 大阪門真
    大阪萱嶋 京都伏見 滋賀安曇川長尾 滋賀安曇川田中 
場所  東京 浅草 三筋町 蔵前 上野 銀座 大岡山下宿 鵠沼別荘 江の島
    大阪 門真 京都 伏見 滋賀 安曇川 長尾 琵琶湖
    市川真間 東京西小山 不動前 津田沼 藪原
出張  四国高松 九州甘木 茨木日立 高知 九州博多 東京厚木 
    新潟燕三条 大阪中央区 大阪新庄 大阪茨木 大阪淀川 神奈川 東京新宿
    東京港区 愛知岡崎 鳥取 長野 滋賀彦根 
学校  育英小学校 台東中学 白鷗高校 城北予備校 東京工業大学 修士課程
会社  松下電器 エンゼル工業 ローム テクノ経営 関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
    大企業  小企業    ベンチャー   自営
仕事  管理技術 生産管理 環境管理 技術 製造 経営コンサルタント
専門  IE VE QC レイアウト 環境 ISO14001 環境マネジメントシステム
    環境法令 廃棄物処分 リサイクル 大気汚染 水質汚染 騒音振動
    省エネ パソコン 資産管理 
副業  株式投資 金投資 不動産投資 
支援  人生研究 都会暮らし 田舎暮らし 会話指導 文書作成 ブログ
    確定申告 老後暮らし 節約 健康
運動  テニス バレー スキー スケート バドミントン 卓球 ジョギング
趣味  大工 水道工事 電気 野菜つくり 庭つくり 草木剪定 
    ギター ウクレレ ピアノ 水彩画 
    読書 山菜 小アユ釣り
暮し  山暮らし 雪下ろし 雪国暮らし 大木切り  整理整頓
好き  歴史 山暮らし 俳句短歌 禅
病気  鼻腔萎縮切開 前立腺癌摘出 脱腸 胃カメラ 腰痛 花粉症

この表をよく見ているうちにあることに気づいた
過去や現在にとらわれずどんどん新しい住い・会社・仕事・副業・趣味に挑戦した
すなわち家の実家付近だけではない、会社も最初の会社だけではない
趣味も限られたものだけではない、仕事や専門もいろいろ広げた
 ・住居 関東 関西 その他   大都会 中堅都市 田舎 山
 ・場所と出張 全国各地くまなく
 ・会社 大企業 中堅ベンチャー 小企業 自営
 ・仕事と専門 管理技術 技術 製造 環境管理 生産管理 パソコン 法令
 ・副業と支援 株式投資 不動産投資 人生 田舎暮らし 会話 文章 節約
 ・運動 いろいろ ・趣味 大工 絵画 野菜 楽器をはじめいろいろ
以上のように整理してみると例えば会社も大中小自営といろいろな規模の会社を経験
また住まいや暮らしも大都会・中都市・田舎・山と多岐にわたっている
仕事も趣味も同様に多面的だ、しかも読み書き話す3拍子も揃っている
物事が多面的に見える、もしこうだったらと仮想して物事をとらえられる・・・
会話の乏しい人は会話が平板で一面的、仮想をしないので会話に発展性がない
すなわち、つまらない、会話もダンスのように軽快に飛びまくるのが楽しい

会話は会話だけのことではないのだ
もっと自分の生き様全体を総合したもので、
その総合力がたまたま会話というものも豊に楽しくするのだ
会話とは必死にネタを探すようなものではないのだ
対人恐怖の元、必死にネタを探しながら、必死に会話する人なんかつらいだけだ

都会人は冥加とかオクラやブロッコリーとかタラの芽のなり方も知らない
ましてや、それらの育て方・増やし方も採取方法や料理の仕方も知らない
山菜や魚や山の獣のこともほとんど知らないし、暮らしとして経験もしていない
草花の名前もほとんど知らない都会人が多いが楽しい会話が成り立たないわけだ
あまりに知らず経験がなさ過ぎる、深みがない、広がりがない、・・・

今現在の私にとって都会人はとにかく田舎や山や海や川のことになると
全く話は通じない、物作りもよいが、都会の建物や物のことばかりだ
テレビやネットで放映されるスポーツやニュースが話題の中心
彼らはすでに人間でも生き物でもなく物質的だロボット的で面白みはない

私の場合、会話でネタに困らないし初対面の人にもほぼ合わせられる
田舎や山や川の暮らしの話題も入れ込んで都会人に教えてあげるのも楽しい
だから会話が苦しいことでなく、すごく楽しくなったのが嬉しい
その結果物事が立体的に理解し会話を展開できる
その結果、話が平板にならない白黒でなくカラフルになるの
そうなると話す自分も話し方を工夫できるし相手も深みや味も出る

会話と言うが、そもそも自分の変化に富んだ仕事や家や趣味や交友や努力が
活かされていることをよく認識し、若いうちにいろいろな体験をすることが
会話だけでなく人生全般を豊で楽しいものにすることを肝に銘じるべきである
会話は広さと深さと味わい、人生全体が表現され、会話すれば人が分かる

再度まとめると
 1)引っ越し・転職、いろいろな仕事・副業・趣味・経験・係りを持つ
 2)古い趣味を続けるのではなく次々に新しい趣味に挑戦する
 3)文章を継続して書き続けよ
 4)本を読む、講演会を聴く
 5)誰とも気さくに会話する
 6)深く考える癖、改善する癖
 7)都会暮らしで過去積もった嘘誤魔化しを捨てる
 8)自分の総合的な人間力を磨け
知識を蓄えるより経験を蓄えよ、変化を蓄えよ


田中の土間をフル活用
卓球場・会話室・飲み会・洗濯干し・野菜乾燥・冬場の温室

私が4年前から住む安曇川竹の里には
80所帯ほどの主に都会からの人で構成される町で少子高齢化が進んでいる
ここでも自治会と福祉の活動が細々と行われているが人手やお金がなく
活動は停滞がち、みな頑張っている、私もお粗末ながら少しだけ貢献している
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464.他人の意見に耳を傾けず、意見を受け入れない人々

2018-10-06 08:47:13 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

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テーマ:他人の意見に耳を傾けず、意見を受け入れない人々

こういうことありませんか?
自分がある人に「こういうことしたら、すごくいいと思う」と言うことがある
しかし、それを聴いた相手は全く意に介せず、関心もやる気も全く示さない
まあ、いつものことで、言った本人自身も特に驚かないし、意に介さない

そういうことの連続で、いつも自分の意見を聴かない相手に慣れっこになっている
私もその一人、私は元々経営コンサルタントだったのでアドバイスは得意だが
私のアドバイスを活かした人をあまり知らない
「もうそんな人と付き合ってもしかたない」「時間やお金の無駄」なのだ

それが反省になって、
私は他人の意見やアドバイスを何とか受け入れようとするようになった
そして受け入れてみると、良い結果を得られることが分かってきた
それからというもの、相手から何か得ようとする姿勢が強くなって行った
これは、すごい変化であり、私にとって大きなプラスとなっている
相手のアドバイスを受け入れようという提案も他人には受け入れられない

「他人のことを聴いていない」と私は言われるが、実は、私が一番聞いているのだ
   ”聴いている=相手の意見を受け入れる”ことだと私は思っている
もし相手の意見を何も役立てていないのなら本当に聴いていることにはならない
ゆったり聞いていることより、相手の言うことに絡むくらいがのぞましいのだが
そういう絡む態度を「村上さんは他人の言うことを聴いていない」と勘違いするのだ
無論、私はそういう見かけの聞いていない感じを反省して直しているのだが

私には出来たことが、その人には何らかの個人的な理由で出来ないのだ
またはやる気がないのだ
その原因を考えると、相手のアドバイスを受け入れない理由は
 ①関心がない
 ②興味がない
 ③やる気がない
 ④他人を受け入れない
 ⑤面倒くさがり
 ⑥分かる努力を惜しむ
 ⑦苦手意識
 ⑧続かない
 ⑨レベルが低い
 ⑩直ぐには出来ない
 ⑪元からそういう意識が欠如している
 ⑫受け入れるだけの素養がない


タバコの禁煙や甘い菓子を止めることを考えれば容易に理解できることでしょう
他人の意見やアドバイスくらい素晴らしいものはないのだが
あまりに核心をついているアドバイスなので、かえって出来ないのだろう

何度付き合っても、私の意見を一切聴かない、意見が役立ったという話もない
それでは、真の友人とは言えないし、付き合う意味もない
友人とは、互いに影響を与える関係でなくては価値がないことを認識すべきだ
私が参考になるのは、相手の欠陥ばかり、反面教師としてだけ役立っている
そんな友人関係は悲しいものだが、それでも、少しは役立っていると思うしかない

 1)あまりに親しい友人
 2)親子
 3)夫婦
 4)恋人同士
 5)上司部下
あまりに慣れてしまい、所謂”上の空という状態”になっている

意外なことは、それが、かなり親しい人同士の場合に多く起きていることである
マンネリとか慣れとか言う状態だ
人との付き合いとは、ある意味互いに緊張状態のほうが望ましいというものだ

親しくなるほど、例えば、家族、夫婦、親子などのほうが
相手を尊敬せず、相手の意見を受け入れない関係になりがちなのである

無関心は最も悪い関係なのだ、むしろ対立するほうがずーっとましなのだ
最も望ましい関係とは、愛し合う二人と思い込むと大間違い
愛し合う関係はそのうちマンネリになり無関心になり、最後は鬱陶しくなる
そういう意味では愛し合う瞬間から別れが始まるのだ

本当の愛人や友人とは、互いに影響を及ぼし続ける関係でなくてはならない
互いに影響を及ぼす関係が鬱陶しくなったら、
その愛や友人関係も終わりに近づいていると知るべきなのだ
友人とは慣れの典型で当初のドキドキ感やワクワク感が薄れていく

人は飽きるのだ、「逢うは、別れーのはじめ」なのである
はやく別れが来るか、ゆっくり来るかの違いくらいのものなので
友人とか恋人なんてのは意外に儚いもので、
無関心も別れも、意外にすぐにやって来るものである

友人のようで友人にならない、恋人のようで恋人にならない
そういう関係が一番深い良い関係長持ちするということなのだ

 ・友人とは互いに影響を及ぼす関係なのか
 ・友人とは互いに遠慮なく、大して影響を及ぼすこともなく、空気のような存在なのか
    どちらかに一方に偏り過ぎてはいけない

夫婦や家族がその点一番別れが早く、かつ絶望的だ
だから子供も早く親元から独立させるべきなのだろう
親から距離的に離すことは、精神的には離れない良い方法なのだ

「ご結婚おめでとう」ではない「ご結婚残念でした」なんです
本当は結婚なんかしない、同じ屋根の下に住まない、友人なんかにならない
友人になるのも良いがあまり親密にならないほうがよい
一体親密(慣れ)とはどういうことか考えたことがありますか?

 ・親密とは慣れと裏腹
 ・相手の意識が薄れる
 ・やがて確実に新鮮さが欠如する
 ・相手への尊敬の念も薄れていく
 ・相手を人と意識しなくなる同化してしまう、同化させてしまう
 ・親子や夫婦の場合が最も顕著だが、親子や夫婦の意識が全くなくなる


そういうことが親密の恐ろしさである、そんなのは親子関係でも夫婦関係でも
友人関係でもない

だから家族は離れて暮らせ夫婦も離れて暮らせなのである
私は、55歳から家族と離れ、一人山で暮してきた
それが良い結果を招いたような印象を持っている、慣れ合いはいかん
今思うのだが都会に暮らしていると、都会暮らしに慣れてしまうのだ
慣れてしまう=堕落、マンネリであり私の考える友人の資格を失うのだ
真の友人とは異質なものを持つ者同士でなくてはいけない
なぜかというと、真の友人ではなくなり、”同じ穴のムジナ”になってしまうからである

今の日本の世の中の構造は戦後や戦前の日本とは大きく変質している
あまりになんだかんだ便利さに親しむあまり、人間が人間でなくなっている
便利さに親しむことも親子や夫婦や友人と同様に、ある意味で人を蝕んでいるのだ
便利さ以外にも次のようなものがある、慣れが怖いものである
 贅沢
 安全
 平和
 快適
 健康
 長生き
 携帯・インターネット・テレビ
 カード

こういうことが進んでいる国は先進国のように思われているが
私は、そうではないと思う、そういうものに慣れっこになっていることは
やがて、無意志になり無批判になり無関心・無感動になっていく

 ・日本人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・都会人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・家族員になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・妻や夫になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・現代人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・有名人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・偉い人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・幸福人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない


古い人間は、携帯やテレビやカードが昔は存在しなかったことを知っている
古い人間はテレビや自動車や洗濯機がない時代を知っている
しかし最近の人は、それらが当たり前にある、永遠にあると信じ切っている
好景気は良いことのように思っているが、実は好景気は永遠に続くわけではない
平和もそうだ、いつまでも続かない、最近の人は戦争体験が全くない
ある意味平和が続くと平和に慣れっこになって、争い事が起こって来るものだ
大災害の体験もない、大不況の経験もない、食料危機の経験もない

”あって当たり前”の人が多くなていることは大きなリスクなのだ
火山噴火や巨大地震のように確実にマグマや歪みは溜まっていく
水も電気もガスも出て当たり前ではない、もし、それらがでなくなったら
昔の人はともかく、最近の人はびっくりしてパニックになってしまう
慣れてはいけないのだ、当たり前ではいけないのだ
また、調子が良いから、更に”行け行けどんどん”もやってはならない
  控え目・節度・謙虚・間・冷静・沈着・原点基本が大事なのだ

ここ田中も空地が多い、そのことはむしろ暮らし易さでもあるが、土地価格が下がり
その空地が放置されている、草ぼうぼうは良くない、私は転入時から
前の空き地を綺麗に維持管理している。こんなことも真似る人は少ない
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458.質問:友人とはどんな人ですか?

2018-07-05 13:13:22 | 会話
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   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
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いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

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テーマ:質問:友人とはどんな人ですか?
  人付き合いが浅くなり、深い付き合いを避ける

何事も、原点に戻って、そもそも何なのか?と時々問うてみるとよい
意外にも答えは簡単には出てこない、すなわち全く分かっていない
今回のブログでは「友人とは何か?」の質問を投げかけてみます
よく考え、出来れば、とりあえず自分なりに答えを出してみて下さい

友人とは何ぞや、友人に満足しているか?自分の友人はどうなのか?
「友人とは何だ?俺たちは友人か?」友人とも語り合ってみて欲しい
一般的に日本人は宗教観同様、友人に対しても淡泊なので深くは考えない
一日中いや1週間1カ月も人と会話しなくても平然としている日本人は多い
便秘じゃあるまいし、原則毎日、ご近所さんと会話し付き合いましょうよ

1)友人とは一体何ですか?
2)友人は何人いますか?多いですか?
3)親友とはどんな人ですか?
4)親友と普通の友人とはどう違いますか?
5)友人は何人くらいがよいと思いますか?
6)異性の友人はいますか?異性の友人は友人ですか?
7)友人とはどう貴方の人生に係わっていますか?
8)友人がいない時期がありましたか?
9)友人がいないとどう困りますか?友人は必要ですか?
10)親子や兄弟とは友人ではないですか?友人はどう違いますか?
11)自分が嫌な人は友人にしませんか?
12)友人の大半は同じ年齢の人ですか?何等かの傾向がありますか?
13)友人と別れる場合、つらいですか?つらくないですか?
14)なぜ一部の人だけ友人なのですか?
15)友人の条件は何ですか?
16)友人は偶然に出来るのですか?
17)友人はどのくらいの頻度で会いますか?
18)友人はどこの人ですか?会社・近所・趣味・血縁・旧友?
19)友人を作るにはどういう努力をしたらよいですか?
20)今いる友人で満足していますか?友人はいればよいのですか?

私を含めて多くの人は「友人とは何か」など全く分かっていない
友なんて、普段付き合っている人程度の感覚しかない
面倒臭い、厄介、格別会話することもない、むしろ嫌なやつばかり・・・
友人はいるものの、本当に友人なのか?価値ある友人なのか?
改めて訊かれたら、全く答えられない、あげくのはてに
今の友人に「どんな意味があるのか?」さして重要な友にも思えない

友人でもない人を友人と信じて一生懸命付き合っている人は多い
「友人がいない」と悩んでいる人のほうが、案外真面目に考えている
友人って何なの、本当に必要なの、なぜ、どんなのが真の友人?
現代においては、真の友人関係なんて現実にあり得るのか?
チャランポランな、どうでもいいような友人ばかりだったりする
何事も本物と偽物では全く違うもの、多くは偽物で誤魔化している

どこの馬の骨とも分からん人と必死に付き合っているのかもしれない
実際の友人を次のように点数で評価してみたらいかがでしょう?
(各項目:10優秀・8優・6普通・4下・2最悪⇒50点が限界)
出来れば70点以上と付き合いたいがそんな友人は見当たらない
友人などというものはその程度のものだ。下に事例をあげてみたが
56点などは合格点で、実態は40点くらいなのかもしれない
   1)知識経験性    6
   2)倫理道徳性    6
   3)人間性      6
   4)生活力・行動力  6
   5)利益・有効性   6
   6)創造性      4
   7)思考力      4 
   8)楽しさ・明るさ  6
   9)良識・常識    6
   10)表現力      6
          合計点 56点
これ自体はさして意味はないが、考える糸口にでもなればと思う

お粗末な人を友人として付き合いをしているとしたら、
肥え溜めを「良い湯だ」と気持ちよさそうにしているのに似ている
友人に限らず、多くの人間の人生は肥溜め人生なのだ
願うべくは、良い友達が欲しいが、現実はそんなにうまくいかない

●昨今の私が強く願っていることは、
   まず自分自身が相手にとって良き友であることである
●友人ができない最大の理由は自分にあるのではないか?
 自分を磨けば、自ずと、自分より優れた友人も増えてくるはずだ
●友人を選ぶ以前に、自分が相手から選ばれなければならない
●子供と同様に友人にも”私の”と言う言葉を頭につけると間違いの元
●友人などというものはさほど素晴らしいものではない
 あまりに友人に拘らないほうがよい
●結婚相手を決めるなんてこともすごい難しいことだ
 それが証拠には昨今は日本でさえ離婚が増えている


友人とはあくまで恋愛感情抜きの話、恋愛感情は本当はくだらない
恋愛感情というのは羨ましいようだが、冷静に考えるとむしろ弊害だ
日本では男女の恋愛関係も友人関係が少ない又は希薄だが
男女の友人はあり得るが男女の恋愛関係と友人関係は同じものではない
これを混同するといろいろな誤解や問題が生じる
恋愛関係というのは基礎的な同一基盤がないので、時に簡単に崩壊する
恋愛関係とは酒に酔うようなものであり、友人関係とは相反する
60歳になって退職し家にいる時間が増えると
恋愛関係の夫婦にとってはもはや「好き」ではない鬱陶しい存在だけ

私は恋愛感情が薄れたら、高齢化時代には距離をおくべきだと思う
夫婦は、友人ではない、「一時の好き」で一緒になっているだけ
「好き」が薄れれば一緒にいる意味がないし、むしろトラブルの元だ
友人関係 ⇒ 恋愛関係 ⇒ 単なる契約関係と変化してくるのだ
高齢で家で二人きりというのは、単なる契約関係なのだから
「そろそろ離婚(別居)しましょう」なんて契約変更もあり得るのだ
生涯愛し合うなんて現代では時代錯誤、夫が浮気するのは本来自然な姿


すなわち恋愛関係というのは、冷静に考えると、さほど価値はない
「盲目の恋」とか「結婚は人生の墓場なり」というのはその通りだ
50~60歳になって仲良し夫婦なんて、どうにかしている
ある意味怪し気・不気味だし、単なる仮面夫婦でしかない

高齢化時代の人生は2期に分かれる、すなわち人生は2つあるのだ
人生1期が終了する大体50~60歳に、2期に備えるべきなのだ
愛情関係を清算して、友人関係に転換すべき時期でもあるのだ
子育てが終われば恋愛関係も終わりだが、人間は長生きになった

どんな友人にしろ、友人作りが下手な人の人生第2期は厳しい

1)友人とは俗に言う「馬が合う」という相手同士のことだろう
  馬が合わなければ、付き合いは長続きしない
2)それと話題が互いに共通していることもあるだろう
  趣味友達というのもその一つだろう
3)それと互いに価値観が同じ人というのも条件だ
  不潔とか、貧乏くさいとか、厳しい など価値観が合わないと困る
4)何となく面白い、楽しい、愉快なんていうのも大事なことだ
5)中には仕事仲間というのもある共通の目標に向かって頑張る同志
6)また飲み友達なんてのもあるが、「息抜き仲間」だ
  前向きではないが人間は昔から何かと言うと飲んだくれる
7)褒め合い友達・慰め友達・指摘友達・放蕩友達なんてもあり得る
8)一番望ましいのは近所友達だ「遠くの友」より「近くの他人」だ
 友人などと気取るのではなく、近所付き合いこそが友人の原点だ

まあ友人になるにも、何等かのきっかけが必要で
魚釣りのように、餌を上手く仕掛ける人が魚を沢山釣るようなものだ
他方餌かけが下手な人は雑魚一匹さえもつれない
何度も言うが孤独が悪いと思っていない、むしろ前向きな孤独であれば
孤独を味わい突き詰めた者のほうが素晴らしい人生になると言うものだ
概して人間などという者はくだらん、傲慢・堕落した者を
無理して友人にする必要はない、努力はするが無理しない、
肩の力を抜く、友人が出来てもその友人に拘ることはない、縛られない
むしろ一期一会の友のほうが望ましいくらいに最近の私は思っている

但しやはり普通の人間は一人では生きるのが難しい・つらい
まあ友達とは近所の本当の仲間みたいなもんだ
昔戦後の東京の下町のご近所さんは家族以上だったことを思い出す
現代は近所さんとの付き合いをしない傾向があるが大きな間違いだ

・いざとなれば頼りになるのはご近所さんだ、普通に仲良くせい!!
・家族は今や同じ家に住まなくなった遠くの人となったことも心しておけ
・血のつながりに、どれほどの意味があるのか、考えてみろ

何しろ何かに拘り過ぎて、友人関係を歪めてはならない
少なくとも友人を色分けというか差別するのは止めよう
60歳以降の私のように、老若男女、見境なく誰とも付き合おう
近くにいる人達がいざと言う時に助け合い励まし合おうではないか

血のつながりだけで会話や付き合いも全くないが、家族に拘っている
友人というか自分をとりまく友人をきちんと考え直す時期に来ている
あなたは、自分の友人・近所とどう向き合うべきなのか?
「もう老い先短いから友人などどうでもいい」なんて「勝手にしなはれ」

動物でも群を作らず一人で生きる獣がいるし、弱い者は群れるとも言う
人間も一人では活きられない、歳とって悟りきればそんなこともないが
年取って悟り切ってしまうと逆にどんな人とも付き合えるようになる
私も昔は、孤独で友達もいな時代が長かったが、  55歳から
人里離れた山で長く暮すうちに友達が増え・会話好きになって行った

孤独な若い時代を思い起こすと「人間がカリカリしていた」ように思う
トゲトゲしていて相手も近寄り難かったと思う。
   未熟なのに、
やたら自己主張が強く・他人を受け入れない・その割に自信がない
面白くもないし、相手への思いやりもない・・

舌きり雀のお婆さんのように、重いゴミのツヅラを背負い続けて来たのだ
20年の山暮らしで、やっと重いツヅラを降ろし身も心も軽くなった
過去を断捨離するには、過去を引きづっていては無理なことを思い知った
今75歳で思うことは肩に力が入っている内は、友達も出来ないものだ
心がゆったりしてくると、意識せずに、勝手に友達が増えてくるものだ

ところで、私が今思う「友としての最低限の必要5条件」は
 ①ゆったりした・心の広い大きな人
 ②あれこれ経験や見識が豊かな人
 ③健康な人・明るい・楽しい人
 ④依存や甘えがなく、かつ謙虚な人
 ⑤何でも挑戦し、行動的な人
5条件を備えている人は少ないですから、現実には若干の妥協をするしかない

「友達百人出来るかな?」でなく「良い友達が一人でも出来れば」よいのだ
「本当に良い友達が一人でもいるのだろうか?」と考え直すべきだろう
友人は人数が多いことが重要ということではない   どちらかと言うと
多くのどうでもいい友人より一人の素敵な友人を目指すべきだろう
ここらへんも、「友人とは」の各自の考え方によるのである

自分より優れた人が簡単に自分と付き合ってくれるだろうか?
結婚しない若者が増えているが、伴侶をゲットするのは簡単ではない
自分より素晴らしい友は出来難い、碌デナシは碌デナシと付き合う
一般的に、優れた人は、より優れた人と付き合いたがるものである
友人とは一般的に自分と同程度か以下の人で、さほど役立ちはしない
どんぐりの背比べ、価値ある会話もあまり期待出来ない
すなわち同程度以下の友人が普通だから、あまり期待しないことだ

現実の友人関係はそんな程度のものであり、類は類を呼ぶのだ
頭の良い、あまりに立派な人とは付き合い難いものである
自分がつきあっている友人は自分の鏡なのかもしれない
だから友人は互いに慰め合う関係で競うべき相手ではない
名門の野球部に入れるような人はごく一握りなのだ
しかも何かで世界的な一流の人でも万事が優れているとは限らない

そのようにあれこれ考えると自分にとって友達とは何なんだと迷う
「迷ってもしかたない」と考えるのをやめてはならない
人は大いに迷うべきである、迷いを楽しむべきである
迷うのは悪いことではない、迷うから迷わなくなるのだ

長年付き合っていた友人とある日大喧嘩して別れることもある
友人などと言うと多いほど良いことのように思われているが
そうではない
部屋に無用なガラクタが沢山あるように、ガラクタ友人が沢山いても
何も得ることはない、いっそ孤独でいたほうが無難なのかもしれない
「キジも鳴かずば撃たれまい」なまじ友達なんかいるために悩み苦しむ
友人に限らないが、何でもあることが良いと思い込む人が多い、例えば、
金持ちとか秀才とか美貌とか必しもあればあるほど良いとは限らない

友人は、とりあえず誰とも付き合うというスタンスが良いと私は思う
日本人は誰とも付き合う、誰とも友人になることを放棄している
相手との摩擦や揉め事を嫌うのだ、「触らぬ神に祟りなし」なのだ
多くの日本人には、友人とは身近な人を必死に友達に仕立てることだ
友人が出来るとその友人に拘る、縛られる、離れまいと必死になる

昔の私は60歳くらいまで、友人は出来ず、孤独であった
しかしその後180度変わって誰とも付き合うようになった
そうすると、誰とも付き合う反面、友人造りに、あくせくしなくなった
一人なら一人でもいい、街中で人に出会ったら気楽に声かける
声かけても良い返事が返って来ない人は多い、「なぜなんでしょう?」
「自分のことをどう思っているか」他人の思惑を気にかけなくなった
若い時以来54歳までさんざ他人も目を気にかけて来た私なのだが

すなわち友人が出来たが別にその友人を独占しようとは全く思わない
友人を固定化する/固定化されるのは怖いこと、危険だと思っている
友人が偏った考えを持っていればそんな影響を受け続けるのは危険だ
友人以外何でも固定化・限定化するのは危険だと思っている
トランプさんが急激かつ大胆にアメリカファーストをやっている
独断的なやり方は友人をなくし、敵に回し、怨念を蓄えることになる

さて結婚についてであるが、最近は結婚しない人が増え、少子化している
豊な時代には結婚して子供を造る必要はない、それよりも自分自身が大事
親・兄弟・子供・他人より大事なものは自分、付き合いなんて面倒臭い
夫婦は長い間縛られる関係、そんなものはぞーっとする
高齢化時代の夫婦関係
・夫婦協働時代
 1)新婚時代
 2)養育時代
 3)子離れ
・夫婦自立時代(おまけの時代)
 長く縛られた関係から、自由な暮らし・生き方に戻るべきだろう
 4)リタイアー
 5)老い
 6)死期前

友人とは遠くにいようと、恋焦がれなくても、自分の心に寄り添う人
ただ残念ながら、
そんな友人はほんの僅かしかいないか、いないと言うべきか
私は若い時から60歳くらいまで
明確にこれが友人だという人はいなかった、どちらかと言うと孤独・孤立
しかし60歳過ぎる頃、友人もでき、孤独で悩むこともなくなった
孤独を味わうようになったし、他人との付き合いも楽しめるようになった
友人とはべたべたした関係ではない。

人との付き合いは、恋人でも愛人でもなく、クールな友である
 ・依存し過ぎない
 ・好き過ぎない
 ・意気投合し過ぎない
 ・気にかけ過ぎない
 ・つまらん関係を作り過ぎない

友人と言うとつい、いつも寄り添い付き合う関係のように言うが
私的にはそうではない
他人というのは薬ではない、むしろ毒であることもある
特定の人を長くベッタリ寄せていると、その毒は本当に効いてくる

日本では街で気楽に声かけても最初は素直に会話に乗って来ない
「この人一体何なの?」と高い壁をつくり、距離をとる
何なのだろうか?何でもっと気楽に楽しく会話を楽しまないのか?
隣近所の人と挨拶もしない、会話はしない人が多くなった
経済成長前は、そんなことはなかった、近所付き合いは広く濃かった
この経済成長期の何が人々を寡黙にさせてしまったのだろうか?
近所付き合いをしない・挨拶をしない・他人の目を避ける・・・

現代人は
 ・出来るだけ会話しない、付き合わない
 ・付き合うのは自分の許可した人だけ
 ・隣の人やご近所さんと付き合うのは鬱陶しい
 ・自分の年齢と差の大きな人は付き合いたくない
 ・見知らぬ人なんか挨拶さえもしたくない
 ・それ以外の人は、せいぜい適当な挨拶程度
 ・もっぱら会話や付き合いはLINEでやる
 ・自分のやっていることは写真撮りネットに挙げる
 ・それと、付き合いらしいものは、いつものメンバーで女子会や飲み会
 ・異性や初対面の人と話すのは苦手、話題が続かない
 ・他人と衝突するのは嫌だ
人は貝になった、重い固い貝殻をかむり、何故か自分を守る


テレビ・携帯電話・インターネット・過密都市・豊さ・マンション暮し
多忙のせいだろうか?
人は深く物事を考えなくなったし、人と係わらなくなった
私の経験では、友人つくりは挨拶と笑顔と会話から
 1)必ず挨拶をする
 2)笑顔・笑い・気軽さ
 3)誰にも声かけ・少しお節介に
 4)相手も乗り易い楽しい話題つくり
 5)自信を持つ、でも壁は作らない
 6)文章書きを続ける
 7)何事にも挑戦・異文化体験
 8)田舎暮らし・山暮らし
 9)深く考える・創意工夫する・習慣
10)トライし失敗も多くすること
11)大工や野菜作りを続ける
12)自分自身の生き方を走り続ける
13)どんどん質問する
14)誰にも教えを乞う
15)関心する・感動する・驚く・賞賛する

友人になる第一歩は挨拶と会話だ、挨拶出来ないと友人は出来ない
会話の前が挨拶だ、「たかが挨拶されど挨拶」だ、気軽に交わそう
友人がいない人、人付き合いが苦手な人の多くは会話下手なのだ
挨拶や会話が出来ずに、人はまず仲良くなることはない

「会話一年生」一から始めないと一生、会話らしい会話も出来ない
そんな人生は実に惨めなものだと思う
人として生まれて、読み書き出来て、一生会話をしないなんて
頭も目も耳も鼻も口も語学力も広い知識経験もあるのに
問題なのは、
頭も良い良識もあるマナーも良いのになぜか会話下手な日本人が多い
日本独自の社会的な要因だろうが、人なのになぜ会話が苦手なのか?
「話さずに相手に分かって欲しい」と虫の良いことは考えないことだ
日本人は各自もっと気軽に多くの人と付き合い会話を楽しんで欲しい

友人は百人ではなく千人・万人・無限であるべきなのだ
特定の友人しかいないというのがむしろ異常なのかもしれない
そういうことで友人について深く広く考え直してみましょう

人付き合いがますます浅くなり、深い付き合いを避けようとする
・もともと日本人としてあまり口を出すことを抑制してきたが
その上に
・挨拶をしない
・付き合いを避ける
・結婚しない、相手を探さない(男女よ大いに語れ)
・結婚相手がいない(自分を磨け)
・一人でいたい、お宅、引きこもり
・テレビやDVDやパソコンやゲームだ
・人より犬や猫のほうが可愛いし面倒臭くない
・平和で豊かで便利で何も心配なんかない
・隣人に聞くとか何か借りるなんて考えたこともない、コンビニに行く
・考えるのは面倒、考える必要もない
・動く、汗かくのは嫌、趣味も大して興味ない
・俺は何もしない、金出せば誰かがやってくれる
・自然も田舎も面倒臭い、都会で便利を享受する
・あたかも最先端の現代人のように装い次のような”意味ねー”的態度
 人は考える葦ではない、面倒臭い
 人にとって大事なのは絆なんかじゃない
 人が汗水たらして頑張るなんて昔のこと
 他人と深く係わるなんてのも昔のこと
 一体友人なんてどんな意味があるの?
 あるとすれば飲みに行って駄弁る時だけくらいかな
 会社の仕事終わって飲み会なんてまっぴら御免、無駄なだけ
友人だけでなく、ことごとく何でも「意味ねー」で片づける
しかし
そんな社会にしたのは経済成長期に頑張った私達なのだ
世界は年々怪し気な政治家や指導者に振り回されている
世の中はゴチャゴチャで大混乱前夜であるように思うの
そのうち「エーイ面倒だ、一度壊してしまえ」となる
私はそんな中で55歳以降山暮らしや田舎暮らしを選んだ
都会や人と交わりを断ち、20年うそ社会から距離を置いてきた

第二次大戦の日本のように又は北朝鮮のように人々は、主体性なく
指導者や人工知能の言うがまま、スマホが唯一の友や師のように
科学技術進歩は良いが、人は振り回され、しんどそうに日々生きている
一体、このバラバラの社会や世界はどういう方向に行くのだろうか?
トランプなる人が社会や世界を是正し立て直ししてくれるのか?
ひげや軍服は来ていないが、第二次大戦のヒットラーのように見える
怪し気なあんな者達に自分の人生を引っかきまわされてなるものか?

当り前の町の当り前の人と当り前に付き合い、当り前に暮らす
肩の力を抜く、  依存・執着もいかんが、無視・無関心もいかん

長尾のログハウスの前庭の階段を鹿対策のため簡易なドアーが必要で
従来の使い難い衝立をドアーに直した。およそ最後のリフォーム
買う人がこてこての都会人なので少しでも小綺麗にしないといけない
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454.会話における話題や相手との壁などの問題

2018-05-09 08:24:59 | 会話
出来た・出来ます
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出来た・出来ます
テーマ:会話における話題や相手との壁などの問題
     会話は地道に頑張れば必ず上手くなる

久し振りに会話について話す、以前と内容の重複はお許し下さい
最近も誰とも多くの人と会話を楽しむ75歳の私、幸せです。
世の中には、もの言わぬペットを友達とし人と会話しない、
日がなパソコンやゲームやテレビと向き合い、会話不足な人が多いですね
ますます会話下手になっていく老人や若者が増えていくのだ

日本人は会話が苦手、気心が知れた人以外は基本的にしない
日本人と会話して感じることはひどい口下手、付き合い下手ということ
男は寡黙・理屈・地域社会から遊離、女も女同士に引き篭もる、感情的
女の人も女同士だけの会話好きだが、男と話すと違和感やお粗末さを露呈
日本人は初対面を含めて、見知らぬ人との会話の訓練が不足している
だから便利で経済的に豊でも、何となく貧相だ、会話とか自然などは苦手
多くの日本人は、会話教育も会話トレーニングも受けたことはない
何しろ会話という手段で日本人は自分を上手く表現したり伝えられない

私も若き時は会話・付き合い・人間関係で60歳くらいまで長く悩んできた
今は逆の立場、下手な会話の相手でさえも案外楽しんでいる
けっして急がない、去る者は追わずであるが、確実に友人は増えている
会話が上手になって、交際も広がり、より楽しく、より明るくなった
皆さんも私のようになって欲しいが、私にも出来たのだから大丈夫

会話とは若い頃から上手いはずがない。これを勘違いしないように
若いのによく喋る人は、単なるお喋りであって、会話とは言えない
お喋りが悪いと言っているのではない、お喋りは会話の初歩に過ぎない
私のように若い頃は会話下手で悩むのは、しごく当然で、その悩みを
会話や人間成長につなげて、やがて本物の会話上手になるのだ
こういうことを勘違いして会話上達を諦めてはならない
音楽やスポーツなどの習い事より数段大事なことは会話なのだ
会話とは人間として生きていくのに不可決な道具なのだ

私の過去の反省を含めて、会話下手な人とはおよそ次のようなもの
 ①話題がない、話題が途切れる
 ②上手く話せない、面白く話せない
 ③相手の会話に上手く乗れない
 ④知識や情報がない、または逆に知識に頼り過ぎる
 ⑤趣味がない、あまり行動型でない、知識だけの人も多い
 ⑥楽しそうにできない、笑顔や笑いがない、やや暗い
 ⑦話しかける勇気がない、気軽さがない、堅苦しい
 ⑧話す相手が限定される、苦手な人とは無理
 ⑨友人自体が少ないので自分に閉じこもりがち
 ⑩話す機会が少ないので会話が上達しない
 ⑪とにかく恥ずかしい、あがりやすい、リラックスしてない
 ⑫会話だけでなく、何事も自信がない


そういう中でも、話題がないことで悩むという人が多い
話題がなく、会話のきっかけがつかめないから会話は苦手だと
私は65歳以降、急に会話好きになり、積極的に誰とも話すようになった
確かに歳をとって人間が丸くなり、話題が増えたと言えば言えるのだが
話題なんてものは沢山あるじゃないかと思うのが今日この頃である
話題の元は沢山あるが、会話に挙げたり話題を広げることが下手だ
一見つまらん話題でもよく観察したり、掘り下げると面白い話になる
それをつまらんように話すからその話題は展開せずに、話題に事欠くのだ

料理に例えば食材は沢山あるし、お金出せば何でも買えるが
料理は下手というのと似ている、食材も料理によってより美味しくなる
話題は沢山ある、それを会話に挙げて、仕立て上げるかどうかなのだ
料理と同様にいかにそれを美味しく調理するかなのだ
ということは、何しろ手あたり次第会話訓練の積み上げが必要
もし会話に挙げなければ、話題がないとなり、会話下手は直らない
多くの日本人は元々会話下手だが、更に会話下手を露見してしまう
話題を選んではいけない、そんなのは会話が相当に上達してからの話

とにかく会話が上手くなろうとするならば、何でも話題にすること
話題なんて
天気・ニュース・スポーツ・経済・政治・お洒落・製品・食べ物・酒・・・・・
もう話題がないどころの話ではない、ほぼ無限にあるのだ
まあ無限だからその中から難しく選ぼうとするが、それは駄目
とにかく何でもよいのだ、その場で思いついたのでよい
最近の私は、道端で人に会ってもすぐに次々に話題を投げかける

60歳頃からブログも書くようになり、広く・深く考えるようになったことも
会話において、話題を展開させる力がついたようである
会話は話すだけでない、その前提として深く考え、文章にする習慣も重要

現代は、結果的に日々パソコンやテレビの前に座して動かなくなる
”お宅”になって、家に引き篭もる人は、会話下手になる典型的タイプ
そんな影響なのか会話の苦手な子供や若者が増えている
奥様がまだ元気な場合、奥様に頼り切りになり、更にひどくなる
進んで外で身体を動かし、いろいろ挑戦し、人に交わり会話することだ
会話と言えども体力を消耗する、会話しない人はエネルギー不足なのだ
一人引き篭もったり、誰とも会話しないのは、ある意味楽かもしれない
読書好きや運動好きや職人なども会話の少ない人が多い

会話の相手も選ばないということ、誰にでも話しかけること
会話下手な人は相手を選ぶ、相手を選ぶというのは会話下手の特徴だ
会話下手の理由は何かと、あれ駄目これ駄目と、選ぼうとすること
誰彼構わず話しかけるのは、最初は勇気や気力がいるが
対人恐怖症は、経験の少ない特に若い人に多いが、これは当然であり
気にしないことだ、苦手を克服するより、そういう意識自体を消し去ること
むしろ誰でも気軽にとりあえず笑顔と挨拶から、身近な話題から

私は年齢や性別を問わないで誰にも話しかけるようにしている
一つの癖だ、良い癖だ、楽しい癖だ
老人や若者からさえも、時々素晴らしい教訓を貰うこともある

テレビの街歩き番組で素晴らしいのは、町のありきたりの話で盛り上がる
私が上手い思うのは円広志さんだが、是非あれも参考にすべきだ
大阪人はおおかた会話好きだ、彼らは壁を作らない
気軽に話そうとする・ボケ突っ込み文化・明るい・軽い・親切・・・
(大阪と大違いで京都は、よそ者には、そうはいかない、気位高く、いけず)
実に上手くて関心する、話題がないはずが次々に会話を展開させる

私も、すっかり関西文化に浸かり、ボケ突っ込みも出来るようになった
関東の人は会話技術的にはボケ突っ込み文化がない・会話が平ばん
超大都会の悲劇なのだろうか、昔の東京はそんなことはなかった
意欲や元気がないビジネスライクで会話が弾まない、面白くも何ともない
会話とはある話題を10倍100倍に拡大し面白おかしくする腕である

少し脱線、おまけ
大阪は商人の町、初対面でも相手を大事にする
京都は長い付き合い、信用を重視する、初対面の人は疑ってかかる
  ※京都でも商売に限れば大阪以上だが、それはごく一部だ
現在の東京は、ビジネス社会、人のことより、早く、効率よく物事を進める
 大阪の取引は、円滑でやり易い、楽しい
 京都の取引は、しんどい、やりにくい、緻密で疲れる
 東京の取引は、ルールにのり、無駄がない、早い、細かいことに拘らない


大事なことは、何はともあれまず会話を誰かと始めることなのだ
会話の本を沢山読むことではない、大事なのは実践と継続だ
泳ぎなどと同様、本を100冊読んでも会話は上達しない
会話も野球と同じで朝から晩まで練習しないと上達しない


それと大事なのは相手との間に勝手に壁を作らないこと
自分自身も、苦虫をつぶしたり、頑固、超真面目、堅物にならないこと
相手は壁を必要以上に意識しているのだ
リラックス・笑顔・笑い・声掛で相手の心の固い高い扉を開かせることだ
 
 会話相手・話題を選り好みするな
 えり好みのし過ぎはかえって禁物
 難しい話題はむしろ相手にとっては、つらいものだ
 会話下手の意識や恥ずかしいという意識も捨てよ
 過度な自己主張も駄目
 自分だけ話し続けるも駄目
 こういうことは会話訓練というか日常の会話習慣
 会話下手=会話習慣病なのだ

引用参考=人付き合いの悪い人の特徴
1.褒めない
2.駄目出しばかりする
3.笑わない
4.内に篭る
5.競争したがる
6.世間話が出来ない
7.共感力がない
8.人の話を聴かない



たかが会話だが、奥はあまりに深い、ひたすら会話道を歩み続けるしかない
会話下手な人とは、必死に追い求め、挑戦してこなかったからなのだ
ところで生まれながらによく喋る:所謂社交家の会話は、案外面白くない
一生かけて会話道を必死に求めない場合、会話は深みや楽しみがない
会話の深みや広さを増すことに結び付くことは何でもやってみることだ

 ・何でも話題にあげる
 ・その話題を展開する
 ・面白い話に展開していく
 ・相手を話題に乗せる
 ・つまらん話題でも笑顔と笑いで盛り上げる
 ・常日頃、身の回りの些細なことに関心を持ち、深く考えてみる癖を

それと人間恐怖症も話題を選んだり、会話下手の原因になる
相手がレベル高そうだから話題も上等でないといけないと思い込む
相手が怖いのは、特に初対面・美人美男・頭のいい人・金持ちなど
相手の人が怖いというのは何の根拠もないが、とにかく怖い
高所恐怖症のようなものなのである「怖い怖い」と思うから怖くなる
お化けのように、お化けが実在するのではなく、勝手に自分が思い込む
特に若い人に多い、私もかつてそうだったからよく分かる
こういう問題は、若い時には、かなり難しい問題で、歳をとると解消するものだ

要するに私が私がと自我・自意識が過剰なうちは会話も上手く行かない

しかし
 1)話題を選り好みしないということは出来る
 2)また出来るだけ誰でも話しかけるというのも努力次第で出来る
 3)笑顔と笑いもきちんとやるとなれば出来ることだ
少なくとも当面最低限の目標として以上の3点の努力をすべきだと思う
何かを信じて努力を続けないと道は開けてこない

何事でも、出来ない人というのは何かが駄目だからと理由を探すものだ
「会話の話題なんか無限にある」と自分に言い聞かすことだ

会話しないことの原因を話題がないことに、おっかぶせていませんか?

まずは、身近に会話友達を作るのが良い、話しやすい友人で訓練したらよい
出来れば口数の多い明るい人を選ぶのが一番よい

会話下手の一番大きな理由は、人間が暗い・小さい・こだわる・自意識過剰
すなわち、人間の成長が基本である、

やや言いにくいことだが、
   会話下手=未熟人間

会話がきちんとできるのは人間のレベルの物差しと言うわけだ
そう考えると会話も単なる会話ではなく、人間度の確認になる
人間関係が悪いとかないのは会話しようとしないから


会話下手は、人間として問題や欠点や改善点が多いことを意味する
そうなると会話下手でもよいなどと開き直っている訳にいかないくなる
人間的に未熟だということに対して言い訳が出来なくなる
何としても会話が上手く出来るように努力せざるを得ない

日本では会話、スピーチ、討論の教育や訓練の機会が極端に少ない
学校や地域でもっとそういう機会を作るべきであるが少ない
モノ言わない文化をなんとか直さないといけないですね

とにかく何でもよいから誰にも声かけることが大事、それを乗り越えよう
顔を合わせても何も話しかけないのでは、会話が始まらない
会話どころか、むしろ、壁が出来、人間関係が冷えてしまいます
何でもよいから話しかける、この訓練を欠かさないようにして欲しい
話題をいかに展開していくかのほうがむしろ重要です
 今日は天気が悪くなる
 なにがどう困る
 最近の天気は
 明日以降の天気はどうか
 天気が何故悪くなるか
 いつ天気がよくなるか
 雨の日は何するか?
 雨でも楽しく過ごせる工夫は
・・・・・たかが今日の天気からあれこれ話を拡大して行くのです

自分も拡大し相手も拡大すれば倍以上話題は広がる
もし相手が乗らないと会話はテンポよく進みませんね
会話は相手との共同作業なのです

最近の私は相手がどうであろうとどんな話題であろうと次々に話題を展開
させていくことに自信があります。その元はいろいろありますが、
私は会話と同時に長年物書きを続けて来たことも回転を良くしているのは事実です
また私独自の話題があれこれあるのも強味です
私の場合は大工・山暮らし・木の剪定・ガーデニング・絵・パソコン・・・
そういう私の得意な具体的な話題を織り交ぜて行ける
それと、相手から話題を引き出すことにも気を配るべきです

 ・会話は体験・訓練です・・・まずは質より量
 ・会話は高度な精神技術です・・・会話とはより深く・より広く・より
 ・会話は人生です・・・自分で考えるのと同時に他人と討議すること
 ・会話は人です・・・自分を磨くこと
 ・会話は人生最高の楽しみです・・・お金使わず誰とも・どこでも出来る
 ・会話は楽しき社交、ダンスみたいなもの
  ・・・社交の仕方はいろいろあるが、会話が安くて・簡単で一番
 ・会話の前提になる自分で物を考えそれを文書にすること
 ・会話だが文章を書くとか身体を動かすとか総合的な結果が出るもの
 ・身も心も常に元気なこと、明るく笑顔でいること
 ・相手の話に笑顔と笑いで、面白いことを表現すること


会話というのは徐々に人間関係の深まりになっていきます
焦ることはありません、会話を楽しむことがやがて友人関係に発展する
そしてついには親子や兄弟以上の関係になっていくはずです
急いではいけない、ゆっくり会話を通じて心を許すようになるまで待つ
「来る者は拒まず・去る者は追わず」ひたすら日常的な会話を楽しむこと

やがて相手の気持ちや好き嫌いまで分かるようになっていく
血のつながりより会話でのつながりが大事、人間関係=会話です
最近は会話のない夫婦や親子が増えていませんか?

会話から、更に暮らしの上での付き合いに進めていく
深い楽しい人間関係への発展も、その始まりは会話から
会話を疎かにする者は人生を疎かにする。会話は大事です

会話でお悩みの方は一度安曇川田中の私に相談下さい
何が問題か、何をどうすべきかを分析し改善の提案できると思います
私もかつて若い時に会話で悩んできましたからね、お役に立てば

田中の家のイチゴ、屋根の上で日差しを浴びて育ってます
イチゴの実がなる頃、いろいろ虫がつくので高いところにおいています

田中の家のミニ盆栽、山野草と苔は山からのもの
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450.ぶつぶつ文句言いに何の利益があるというのか?

2018-03-08 21:57:11 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例:
  ・自分の人生論・山暮らし・会話上達・老後の暮らし・自力防災・嘘誤魔化し・資産運用

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

テーマ
ぶつぶつ文句言いに何の利益があるというのか?立派な大人になろう

昨今の家で親子/兄弟などが二人以上いれば、何かと互いに文句を言いあう
貴方は日常、誰かにぶつぶつ文句を言う頻度は多いですか少ないですか?
もし他人に面と向かって文句を言わない日がないという人は重症・要注意だ
私は現在、その文句言いから解放された一人として見解を述べてみたい

昭和初期、父が絶対的権力者で、まだ寿命も短かく、文句言いは父だけだった
しかし男女平等で父の権力も地に落ち、高齢化、核家族化、一人暮らしの現代は
欧米なみに安易に自分の意志を表明するようになり、ズバズバと文句を言う
言いたいことが言える、それ自体は、むしろ良い世の中になったのだが
ネットなどでも辺り構わず誹謗中傷も増えていると聞く、トランプさんもその一人
トランプみたいに文句が多い人は基本的に精神障害があると言わざるをえない
暑いの寒いの・好だの嫌いだの・面白いのつまらんのと言うような人は情緒不安定
自分の心を適正にコントロールできない、アクセルを踏みすぎ、急ブレーキが多い

昨今では、虐め・ハラスメント・DV・ネット炎上・虐待という形にエスカレートする
たかが文句と侮ってはならない、様々な悲惨な結果になる可能性が大きい
感情の抑揚が強く、感情を上手く抑制できない人は文句言いに走りやすい

互いに建設的議論したり、明るく意見を言い、聞き、受入れる文化が伴ってない
日本人は、相手と楽しく議論したり、相手を理解しようとする能力が欠如している
昔から、自分の意志を現さず、自分の意志を伝える努力をして来なかったのだ
その結果、日本の社会や企業や家庭の人間関係はバラバラ状態に崩壊している
日本の本音と建て前の文化も廃れつつある、過去の人間関係の基本は崩れた

単なる文句言いや、あまりにぶしつけな文句の言い方は厳禁なのだ
ヅケヅケ言うからには、他人の意見にもっとしっかり耳を傾けるべきなのだ
かつ、相手に対する思いやりは以前よりも数倍大事になるのだ
文句を、何も考えずに、ただ自分勝手に相手にぶっつけるのは愚か者のすること

言い変えれば、日本人は数段大人にならないといけないということである
昨今の日本で欠けていることが和気あいあいの家族の一体感であろうか?
残業もほどほどにして、週末や夕食や一家団欒を全員で楽しまんといかん
「日本流おもてなし」は、深みがない、内面(うちづら)は極めて悪い

日本のおもてなしは外だけ、家庭やご近所では喧嘩、揉め事が絶えない
文句言いによる家庭崩壊・夫婦崩壊・親子崩壊・兄弟崩壊・・・
そんな現代の日本人を尊敬できるわけがない

夫婦喧嘩・親子喧嘩・兄弟喧嘩その発端は些細な文句言いから始まる
長年の親友が一言の文句の言いあいであっさり親友解消なんてもよくある
私も同年配の兄弟や友達の家の夫婦喧嘩の悲惨さを漏れ聞く
離婚なんてのも長年の文句の言いあいが大量に溜まった果てのことだ
文句を言いあわない、互いに敬う、いたわり合う、讃えあうことも大事だ

ご近所同志のトラブルや喧嘩もニュースになったり、よく耳にする
逆に文句を言わず我慢すれば、心に憂さや嫌なものが溜まっていく

 ・叱りつける・・・上の者が下の者に強圧的に意見する
 ・本人に直接文句を言う・・・人によっては良いこともあるが、大方最悪
 ・直接ではないが聞こえるようにぶつぶつ言う・・・かえって陰湿になる
しかし結果的には、「何度文句を言っても、一向に改まらない」なのである
その結果文句自体よりも、改まらないこと自体が頭に来るようになるのである

もう文句の言い方が良いの悪いの、どうのこうのではなく、
 ・言われるほうは・・・煩いしつこい奴だと怒り
 ・言うほうは・・・全然改められないことに怒るのだ
ぶつぶつ文句を言うと、言い方はどうあれ、双方に何も良い効果はない
残るのは二人の間の不信感とわだかまりや恨みや怒りなどである
しつこくしないこと、暗く陰湿にならないこと、トコトンやっつけないこと

75歳の私は、他人に面と向かって文句を言わないことにしている
むしろ相手の良いところを褒め讃え、決して文句のための文句は言わない
人というのは、「自分は正しい」「相手が悪い」と信じているものだ
人とは自分にプライドを持っており、自分には甘く、相手にはきついのだ
他人に文句を言っても何のプラスもないのだが、親しさに甘えて
つい気に食わぬことをポンポンと面と向かって説教や苦情を言ってしまう
相手の立場を考えずに単に文句を言うのは、愚か・恥知らず・自分勝手だ

文句言いは、もう、病気だ、生活習慣病だ、難病だ、大病だ
ぶつぶつ文句が病気とは思わず「親切に言ってやる」と思う日本人が増えている
個人に向かっての批判・非難・文句が多い人は、実にみっともない
「私は子供のように駄々っ子です」と自ら言っているようなものだが
なかなか長年の癖は、頭や心に沁みついているから、なかなか直らない
人が、しつこく、ぶつぶつ文句を言うのは何故だろう?
人は「文句を言いたがりや」「黙って見過ごせない」から

ちなみに私も昔は、そういう普通のというか最低の文句言いであった
しかし山に20年暮した後の私は、文句が減り、更に全く文句を言わなくなった
文句を言わなくなった私からすると、文句の多い人々が不思議でならない
「ぶつぶつ文句を言うのは人として未熟な人間の証」だと悟ったとからなのだ
時々京都に行くが娘との会話もスムースだし、
何か娘に怒られても「すまんすまん」ですます。私はもはや爺さんなんです
確かに私が悪いからだ

例えば、私なりに食器を綺麗に洗っているが、娘の求める綺麗さとは異なる
しかし、娘がお父さんの洗った食器が汚いというのだから、素直に認める
20年の山暮らしで、他人に文句を言うことは、私の頭や心からなくなった
他人からの文句は「有難い」と素直に受け入れる私になったのだ
山暮らしが過去の固定観念を捨てさせ、正しい観念を植え付けてくれた
凄まじい固定観念は、都会暮らしのままでは普通、容易には拭い去れない
都会というのは人の心も固くし、閉ざさせてしまうものなのだ

会話指導もする私にとっても、会話という面からも「文句言い」は最悪だ
困ったことに、会話好きに文句言いの人が案外多い
すなわち、会話上手の人は、油断して、本性を露わにしてしまうのだ
会話が上手いのに、文句言いでは、何のための会話上達なのかわからない
会話の上手の基本の中で一番大事なことは「相手を不愉快にさせないこと」
もし言う場合は、相手を十分に思いやり、相手の気分を害さないように注意だ

文句のつけどころがないなんて立派な人はいない、むしろ問題だらけの人が大多数
家で、やたら文句を言われては、心が休まらない、家は気を抜き休める場所だ
あれも、これも面と向かって
文句つけていたら、一日中、文句言いに付き合わなければならない
「口数が多すぎる」そのために言わんでもいい文句も沢山言ってしまう
会社で朝から晩まで煩い社長なんてのがいるが、こんな会社は業績が悪い
文句を言えば文句が返ってくる、戦争のようなものだ、結果は果てしないだけ
駄目人間であることはお互い様であって「互いに他人に言える立場かい?」
口は災いの元なのだが、文句言いの人の口を封じるのはかなり難しい

文句言う人、文句言われる人、どちらも、もっと大人になって欲しい
会話の中で文句や批判は多い、こんな人のぶつぶつ口撃を防ぐのは、
当面は、黙って台風の時同様、平然と通り過ぎるのを待つしかない
または、相手の上を行ってしまうようにより大人になることだ
「勝手に言わしておけ」「相手にせん」文句が行き過ぎるのを待つだけ
要するに、文句というものを観ないことだ、完全否定することだ
もし余裕があれば
文句言いをじっくり味わしてもらうしかない、聞いてあげることも功徳だ

周囲の事に感じ過ぎないことだ、周囲がどうあれ心を乱さないこと
平然としていること、文句に反応しないこと、動じないこと、
文句言われたくらいで、腹立てないこと、相手を批判しない事が大事なのだ
そうは言っても、
言われたほうの人の心は、言った人がきついほど、これまた煮えくり返るのである
「畜生」「ばか野郎」「死ね」みたいなもんで、会社の役員を何度も呪ったものだ

私もしばしば身内や町内や家庭のご夫婦の凄まじい文句の言いあいを目撃する
「何ともバカバカしい」「どうでもいい」「いい加減にしたら」ということに過ぎない
一体どんな効果を期待しているか定かではないが、明らかに逆効果しかない
「夫婦喧嘩は犬も喰わない」というが、実にくだらないことだと言っているのだ
今、私が思うことは、  ” 文句を言わないこと=立派な大人”  である
本人達は、真剣に相手をののしり、自分の正当性を訴えるのだが
どちらかが、そんなことは、見向きもせず、無視すれば済むことなのだ
ほどよく語り合い・理解しあい・互いを思いやり・相手に迷惑をかけない
そういうことがきちんと出来て大人なのにと、私はしみじみと思う

20年の山暮らしをした私は、文句言いを、完全に捨て去り縁を切った
つまらん品格のない文句などは、全く耳も貸さないし笑い飛ばす
夏に暑いのは当たり前、冬は寒いのが当たり前、だから暑いの寒いのと文句を言わない
文句言っても暑いのが涼しくなる訳ではない。 文句なんてものはその程度のものだ
「文句言ってどうにかなる」のは子供が親に駄々こねて地べたに寝てしまう時だけ
みっともないが、まあ、子供だから大目に見るとして、
駄々こねるのは、大の大人がやることではない
文句は言う人だけが悪いのではなく、言わせる人も悪いことを重々知らんといかん

物事には
 ・好きがあるから嫌いが生じる
 ・嬉しいがあるから、悲しいがある
 ・良かったがあるから悪かったがある
私は都会の人に比べて、好き・嬉しい・良かったという感情を減らしている
いつも平板・平静・平常でいられる
 好き過ぎると、好き過ぎるほど、嫌う場合には、嫌う気持ちも大きくなる
 好きという感情が低く抑えられるようになると、嫌いという感情も抑えられ
感情の起伏を平らにすること、こういうことは大人のすべきことである
コツをつかめば、それほど難しいことではない

ぶつぶつ文句も同様で自分からも言わないし、言われても受け流すようになる
もし他人の文句が妥当であれば、ごく素直に取り入れて正すべきである
本来は文句を言ってくれるのは有難いのだ、そういうことも大人のあるべき姿だ
自分にとって役立つ相手の人からの文句であれば、私は大歓迎だ

私も以前は他人に文句を言われると受け入れるどころか大きく反発したものだ
多分皆さまもそうではないだろうか?
しかし
70歳くらいから、私に文句というか意見をしてくれることが有難いと思うようになった
その意見が妥当な場合、どう自分は対処すべきか即刻悔い改めるようになった
何でこんなことが70年も出来なかったのだろう?よくも無駄な時を過ごしたものだ

同時に競技スポーツを観なくなった。争うということが実につまらんと悟ったのだ
争うということは、良いことのように言う人もいるが、所詮は、排他・排除につながる
相撲・野球・オリンピックあらゆる競技スポーツや競技会は関心がなくなった
勝った者は大喜びし、幸福にもなるが、負ける者は悲しみ不幸になることも多い
オリンピックでも「金メダルをとることにどんな価値があると言うのだろうか?」
金メダルとれたのは、その人が素晴らしいからではない、単なる偶然にすぎない
「百戦して百勝するとも立派な武士とは言えない」たまたまの偶然に過ぎない
宝くじなんか滅多に当たるものではないが、当たるとすれば全くの偶然でしかない

世の中には必ず一人だけ金メダルを採る人が存在する、宝くじも必ず一人1等当選する
それは偉いことではない、10人が100m走ると必ず一人だけ一等賞がいるのだ
すなわち1等賞や金メダルなんて、ごく当たり前で、世界には嫌というほどいるのだ
その一人の金メダルの人の陰に、失格のレッテルを貼られた非常に多くの選手がいる
金メダルを採ったものは関所の手形を持ち、他の人は関所を通過する手形をもらい損ねる
プロ野球・オリンピックは人間の考えた嘘誤魔化しが真実のように丁稚上げられたもの
嘘誤魔化しもどんどんエスカレートすると国民栄誉賞まで嘘が嵩じてしまうのだ

何度も言うが金メダルは、偶然その人が採っただけのこと、偉いことではない

人は、あまりに嬉しがったり、好きになったり、し過ぎてはならない
そんなことで大喜びするのは、実に恥ずかしいことだ
しかし、長年の都会生活の果てに大喜びすることを覚えてしまうのだ
大喜びしたり大喜びしようとすることが、大泣きすることに通じるのだ
人は、冷静、冷徹でなければならない。熱くなってはいけない。人は熱くなり易い
そんなことを誇ってはならない、現代はそんなことがあまりに多すぎる
だから世の中は一向によくならないのだ

勝つ人間もいるが負ける人間も必ずいるのだ、だから負けても悩むことはない
山暮らし20年の私なりに思うのは、「争い事は実に愚かだ」ということだ
やくざ者のすることなのだ、本当に偉い人は人を押しのけ勝とうとはしないし
文句言われて悩んだり怒ったりすることはないのだ

ましてやそんなものが国民栄誉賞だなんて、よほど政治家もどうかしている
絶対にやってはならないことで、ノーベル賞や文化勲章もすぐに辞めて欲しい
立派な発明や本もこれまた偶然の産物に過ぎない、誰かがいつかやることなのだ
あんなものを平然と、かつ、喜々としてもらう人が信じられない、情けない
私には、王選手もイチロー選手も松井選手も人間として尊敬の対象ではない

私が尊敬する人は、俺がやってやるなどとも思わず、地味だろうと、
誰も認めてくれなかろうと、自分がなすべきことを黙々と心を乱さずやる人だ

心を平静に保つ、他人のことをあれこれ批判しない、
ましてや自分の不平不満を誰かに向けて、面と向かって文句言わない
更に、
 ・やたらに好きにならない
 ・やたらに喜ばない
 ・やたらに頑張らない
 ・やたらに褒められようとしない
 ・やたらにいい恰好しない
 ・やたらに威張らない
 ・やたらに口数を多くしない
 ・やたらに自分を意識しない
 ・他人のやっていることを多めに見る
 ・他人の良いところを褒めてあげる

相手の欠陥や不出来を探し出して、ヅケヅケ文句を言うことは良いことではない
良いことと言うならばその効能を考え・言ってみてから冷静に言うべきだ
他人に対する文句はカーっとなってぶちまけるものではない

国会の議論を観ていると、野党は与党のスキャンダルをしつこく追及するが、
あんなことは国家の政治家のやるべきことではない
  政治家や指導者は、 文句を言われてはならない ・文句を言ってはならない
 ・政治家は天下国家、10年20年先のことを議論すべきなのだ
 ・高い税金を使い、くだらんスキャンダルを責めるなんて
  政治家の本文を全うせず、日本の野党は文句言いに生き甲斐を見出す
 ・文句を言うのは別の所・時間でやれ、あんたは文句家か?政治家ではないのか?
 ・もっと高尚な互いに役立つ議論をするように努めて欲しい

夫婦円満・親子円満・兄弟円満・ご近所円満に・・・・・
そうなることは、実は自分自身が大人になったことを意味するのです

ぶつぶつ文句言いもそうだが、人間は「それが良い」という固定観念から抜け出せない

毎年一か所以上お金の許す範囲で家のリフォームをしている
TOTO洗面化粧台LDCF075BAGEN2A:75幅80高52㎝奥、左にスムース排水
今年は念願の洗面所に75㎝幅の洗面台を入れ、横に棚もとりつけた計7万円

更に今月はシロアリ、床下湿気対策として
部屋全部の床下に炭を敷き詰め、4か所の床下換気扇を設置予定だ60万円
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443.人との付合い・会話について

2017-11-09 18:58:59 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会 
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安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。

テーマ
人との付合い・会話について

・今自分は、付き合いや会話は上手く行っていますか?
・他人との会話や付き合いに完璧に満足していますか?
・相手も自分との会話や付き合いを楽しんでいますか?
それとも
長年上手く行かず、引き篭もって悩みの種になっていませんか?

他人に負けたくない、自分第一、だから衝突する、ぶつかる
自分が可愛い、自分を褒めて欲しい、相手に負けたくない
しかし、そんなことに拘ると人間関係は上手くいかないが
自己愛・勝ち負けを気にしながら、他人と付き合う人は多い

人の大きな悩みは、①対人・②お金・③健康の3つである
強いて言えばそれにプラス④生きがい⑤住まいだろうか
これらがバランス良くキチンとしている人が幸せになり得る
生きがいとか、ゆとりある環境の良い所に住むことも大事な要素
人付き合いがよくお金や資産があり、健康で、生きがいを持ち、
静かで広い自然豊な家に住んでいることが幸せの必要条件

この3~5つをしっかりコントロールしている人は幸せなはず
私は人をこの3~5つで概略評価する、どれが強くどれが弱いか
相手の人の弱点をしっかり把握し、その人を計り知ることだ
相手を思いやることもでき、付き合いも上手く行く

昔戦後までは非常に濃い近所や親戚付合いがあった
現代は付き合いが喪失、人間関係は極端に希薄化している
今や親子や夫婦、更にはお隣との付き合いをしない人が多い
その傾向は高齢化やスマホや個室化などによって加速している
まさに絆や家族愛や夫婦愛は、死語となり、あるのは自己愛だけ
恋愛をしない・結婚もしない・子供も産まない・妻子を虐待する
ネット・スマホ・テレビによって、漢字も書けない会話もしない人

日本人は争わないを基本に付き合い術を文化として身に着けた
ところが国境を接する欧米はそういう文化を築き上げて来なかった
ところが一方、昨今、急速に日本人は、欧米化して来たが
やはり日本人や日本的な付合い方がベースとして残っている

日本的付き合い方(良い・悪いでなく日本の文化なのだ)
・謙遜  ・謙虚  ・遠慮
・個人や自分より全体重視
・思いやり  ・お世辞
・事なかれ主義  ・長い者にはまかれろ

当然ながら、日本的な会話や付き合い方の悪い面も出る
最も付き合いが壊れている典型が、家族・家庭だろう
親子、夫婦がしっくり行かないのは、家庭内が欧米化していること
家族は親しい者同士のほうが、つい、はっきりものを言いがちだ
はっきり言うことは欧米的には望ましいことだが
日本人にとっては、あまり望ましいことではない、カチンと来る

家庭崩壊・親子崩壊・夫婦崩壊・・・・
学校や職場でも同様なことが起こりつつある
セクハラ・パワハラ・学校崩壊・職場崩壊も起きている
それらは欧米的な付きあい方が出過ぎる典型である

私のかつて勤めた京都の会社は、ひどいパワハラ会社だった
常務は「死ね」「首つれ」「辞表持ってこい」:一部上場会社だが
そんなことをやらす社長は、付き合い下手で日本人的ではなかった
そんなブラックな会社に勤めたら、早々に止める決断をすること
結婚も、しかりブラックな夫や駄目妻とわかったら早々に離婚を

和式か洋式かどちらかを考え、会話し・付合うことは大事だ
日本では、安易に欧米スタイルで付き合いをすると上手くいかない
逆に、いつまでも和式で付き合っているのも必しも良いとは言えない
自分が、どういう流儀で会話や付き合いをしているか反省したい

私の最近の姿勢は和式も洋式もなく、独自の原基式のようなもの
昨今の私の流儀では、どこでも誰ともうまく会話し、付き合えている
おかげで、私の最近の人との付合いは驚くほど順調・快調だ
しかし言うは易く、行うは難しく、誰でも出来るというものではない
素晴らしい完璧な付き合い方の出来る付合い相手をほとんど知らない
人は「自分が正しい」「自分が可愛い」という思い込みが災いする

『他人と付き合うとは、自己と向き合うことなり』

世間では次のように言う
「遠くの親戚より、近くの他人」だが、一概にそうとは言えない

話はやや脱線するようだが、
大昔、高貴な人の結婚は通い婚だったと、私は「さもあらん」と思う
昔の人は賢かったと思う、結婚とか家庭は、もっと柔軟であるべし
恋愛とは精神的で、恋しい人は遠くにいるほど、思いがつのる
いざ結婚して一つ屋根の下に住むと「美人も3日で飽きてしまう」
言うまでもないが、汚点が目の前に露呈し、生活臭・粗が見えてくる

そのうち恋しい思いは何所かに消え失せる(40年を要しない)
やがて子供が生まれ、恋しさは子供に奪われてしまう
それでも稼いでいるうちは、かろうじて妻子も父を敬っているいるが
やがて会社をリタイアーし家でゴロゴロすると、ゴミ扱いになる
捨てたいが捨てられない鬱陶しいだけの存在になてしまう
憎いを通り越して、どこかに、一緒にいないほうがよい存在に
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」となる、全てが嫌になる
「あれから40年」、凄まじい変わり果てたる姿になる
今や、添い遂げるなんてことは、超高齢化の現代では無理な話だ

恋しいものほど、むしろ距離を置くことが実は正解なのだ
「親子だから夫婦だからはっきりものを言う」は大間違い
友達がなぜ良いのかというと、距離を置いているからなのだ
友達なんてのに、親友なんてのはあり得ないそうだ
もし親友になったら別れの始まり、危険信号なのだそうだ

漫才コンビなんてのは一見すごく仲良さそうだが、現実は最悪と聞く
「仕事を終え早く離れたい」という日々らしく、鬱陶しい関係なのだ
親子や夫婦関係が断絶し問題だというが、その言い方はおかしい
親子だから夫婦だから、むしろ断絶するのだ、断絶して当前なのだ
同種の者ほど、近いほど、磁石のように引合う以上に大きく反発する

人というものは意外と人間関係や付き合い方のイロハを知らない
分かってないのに、漫然と人と付き合うから、ぎくしゃくする
そして状況によっては憎しみ合い、かえって苦しみ悩むことになる

親しいものほど遠くにいる、思いやることが良いということなのだ
逆に近くにいる家族親子や夫婦は争いが絶えないのが当り前
最近高齢化に伴い夫婦が別居するケースが増えているが
あまりに長く近くに暮し続けて来た結果に過ぎない

私の場合は妻が他界する少し前に安曇川の山に一人住んだが
それ以降家族との関係は私としてはきちんと整理したように思う
すなわち家族と距離を置くことによって冷静な関係に戻った
現代は、私のように55~60歳に別婚・離婚をしたほうが無難だろう

「親しい中にも礼儀あり」と言うが、そもそも「親しき中に礼儀はない」
昔は長幼の序があって親や先輩は絶対的に正しいとなっていたが
現代は親の威信等微塵もない、子供も妻も言いたい放題だ
今や、親よりインターネットやテレビのほうが信じる・頼る存在なのだ
「うるせー婆、爺―」「殺すぞ」みたいな親子や夫婦関係になる
親や妻や夫に言うべきでないことを、ストレートに言ってしまう

その結果老いた男は、家の中でゴミ扱いになってしまう
ゴミだから全く賞賛や尊敬や思いやりを受けることはなくなる
「これは、どちらの責任なんだろうか?」と最近、私は考えてしまう
両者に責任はありそうだが、どちらかという男本人側にありそうだ

・親が子供と同居していること
・親がやることをやっていないこと
・親が自立していないこと
・親が子供に思いやりを与えていないこと
・親が親・大人・悟りに近づいていないこと
・家事を自身できちんと遂行できていないこと
・親が現役退職後自堕落な生き方をやり続けて来たこと
・親が‭いい歳して、自分の生き方を発見できていないこと

言いたいことをストレートに言う欧米人の場合も、
実はカチンと来ている、欧米流の夫婦関係は意外につらいそうだ
でも、凄いことは、彼らはトコトン自己主張し、闘い、耐える
その闘いは長年やってきただけあって互いに堂々とやる
陰湿にはならない、明日になればケロッと出来る
だが、日本人には、そういうことがスマートに出来ない
・欧米人には、相手がもっともな意見を言うことに関心があり
 徹底して自己の主張を言うが相手の主張にも耳を傾ける
・日本人は、相手がいかに引いてくれるかに関心がある
 「あいつは、しつこい、嫌な奴だ」ということになるのである

欧米と日本、互いに、到底理解出来ない相容れない行き方
・日本人は「優しい」「謙虚・大人しい人」を結婚相手にする
・欧米はその逆で、自己主張をしっかりする人を選ぶ

ちなみに最今の私は、
厳しいご意見をしてくれることも、褒めてくれることもどちらも好む
辛口の酒も甘い菓子も好きみたいに、両党使い何でもござれだ
凄く楽でストレスがないだけでなく、自己改善に役立っている
だから最近の私は次のように考えてしまう
何でこんな良い付き合い方が誰にも出来ないんだろう?

日本人が一時的にしろ欧米的な会話をする場合があるが
これは上手くいかないはずだ、何故かというと
欧米人が長年かけて築いて来た土台が日本人にはない
土台が違うものに、うわ物だけを別物にしても上手くはいかない
土台も完全に変えた同士が欧米的な会話をやらないと
日本人の場合は、ひどく人間関係を悪化させてしまう
外国人にとって、日本人や御もてなしや優しい反面
上手く付合うのは難しいく悩ましいと言う

従来の日本人的な会話や付合い方で行くのか、それとも
欧米的なはっきりものを言う付き合い方にしてしまうかなのだが
 ・日本では日本的な付合い方が上手く行くのは間違いない
 ・欧米では欧米的な付合い方が上手く行く
最近の私のように両方の生き方が融合出来るようになるのは
並大抵ではなく、普通の人にはかなり困難に思える

日本では、うっかり、はっきりものを言って失敗する人は多い
はっきりものを言えるのは、会社の社長や偉い政治家くらいだろう
しかし安易に、はっきりものを言う人間を日本人は好かれない
はっきり言えば疎まれ、仲間外れされることを覚悟しないといけない
欧米でもはっきりものを言うからには、
発言の裏付けに豊富な情報や実力が伴わなければならない

すなわち欧米でさえも、はっきり言うと失敗するケースも多い
だからユーモアによって、厳しい論争を笑いで円滑にするのだ
洋式も和式も笑いは大事、優しくオブラートに包むことだ
厳しい事を言い合う場合ほど、笑いを上手く入れるべきなのだ

会話下手な人を観ていると、ほとんど笑いを入れないし、笑い下手だ
日本でさえも、はっきりものを言えない日本人は時として馬鹿にされる
私も少し真面目なことを言う場合は、笑いを入れるようにしている
自分を褒めて恐縮だが、昨今の私の笑いの入れ方は絶妙なレベル
笑いの技術を高めると会話は数段楽になる、スムースに楽しく進む
(正直な話、笑いで誤魔化す・紛らわすという側面もないではないが)

そもそも日本人は正面切って争うことに慣れていない
すなわち争い方が極めて下手な国民なのだ
平和国家日本ではなく、争い下手国家日本なのだ
本質を忘れて下手に闘争に踏み込むと日本の国も人も大失敗する
外交も日本独自のスタイルを維持すべきで、それこそ尊敬を得る道だ
最近「日本人も国際化にあっては言うべきことをはっきり言うべきだ」
というが、そう簡単には身につかない
日本人は悪いことも出来ない、悪人にはなれない体質の国民なのだ

トランプ大統領を引き合いに出すまでもなく、
いかに立派な意見を言おうと、必しも結果が上手く行くとは限らない
だから日本人は安易に欧米的な闘争に踏み込んではならない
欧米は国境を接し、争いが絶えない地域だったこと忘れてはならない
そんな地域で、日本的な温和な付き合い方があっさり通じるわけがない

日本的な付き合い方が通用するのは日本においてだけなのだ
韓国や中国においても全く通用しない、長い争いの歴史だったからだ
外国人が日本に来て「日本人は優しい」と言うが、当然のこと
日本は良かれ悪しかれ、それほど世界に珍しい平和な国なのだ
結論をすぐに出さず、じっくり心の中で温め続け、考え続ける
相手を深く思いやる、そんな器用なことを欧米人が出来るはずがない

争い下手な日本人が争うと、無用な苦しみ、悩みがやって来るだけ
争わない文化を持っている日本人が争っては価値が半減する
それでも、愚かな日本人の争いが
・親子喧嘩  ・嫁姑喧嘩  ・夫婦喧嘩  ・親子喧嘩
・しょうもない小競り合い  ・いちゃもん  ・弱い者苛め
・いいがかり  ・ヤクザ者  ・クレームモンスター

意外に、小ぽけな・些細な喧嘩が多い、争いとか闘争とは程遠い
日本人は大きな事は我慢するが、小さな事は案外相手を許さない
即ち日本人は、感情で喧嘩し、相手を許さないところまで行きがち
日本人同士の付き合いでは「そんな事はいかん」と私は思っている
どうしても相手と争う必要がある場合、よほど大きな問題に限るべし
日本人はどんな時も笑顔で悠然としているのが似合う
つまらん争いをする日本人は、価値がない野暮な人である

すなわち日本人同士の喧嘩は小ぽけで、恥ずべきことが多い
70歳以降私は他人への怒りや不平を抱くのを一切止めてしまった
つまらんことで相手を嫌ったり・怒ったりしても何も解決しない
第一、相手の人も不愉快や憂鬱にし、無用な敵対意識が残ってしまう
何も役立たないどころか自分の成長にとっても大きなマイナスになる
何の意味も価値もない事を感情のままに人間はしたがるものなのだ

私なりに正しい人間関係とは、あるべき人間関係とは
人との付き合いとは、楽しく味わうもの
くれぐれも、つらい思いや嫌な思いをするためのものではない
会話や付き合いというのは努力や工夫で楽しくすべきだ

・相手を差別しない
・相手を毛嫌いしない、頭こなしに嫌いと思い込まない
・相手を立てる、自己主張を強くしない
・頑固、堅物や固い難しい話も禁物
・相手のことを質問もし、いろいろ聴いてあげる
・相手の関心のある話題を盛り込む、相手を敬う
・楽しく会話する、明るく付き合う
・笑顔、笑いを忘れない、必死・マジにならない
・会話付き合いが互いのプラスになる
・相手と言い争わない、喧嘩厳禁
・意見がましくしない、上から目線は禁物
・女と男の付き合い会話は全くの別物
・相手の機嫌を損なうのは禁物、ソフトに、穏やかに
すなわち自分の狭い、小ぽけな了見や性格を表に出さないこと
堂々と明るく、大きく、楽しく、明るく、優しく、暖かくである

そしてこういうことが普通に、当り前に出来るようになるためには
自分の大きな人間的成長が背景というか土台に必要になる
人間的な成長がなくして、細かいことをあれこれやったところで
良い結果は出ない、相変わらず付き合いはぎこちなく上手く行かない

私の場合、20年の山暮しによる過去の総清算であったように思う
過去のつまらん拘りを全て消し去る・捨て去ってしまうこと
一からごくごく普通の、まっさらな人間として出直すことである
というのは、
人間が付き合い難い原因は、長年染み付いた性格や悪癖なのである
個別的に悪癖を一つづつちまちまと捨てるのはそう簡単なことではない
むしろエイヤーと全部一挙に投げ捨ててしまうほうが楽なのだ

最近私は誰とも付き合い、会話するようになったが
そんな私でも、付き合い易い人は、良い性格で悪癖の少ない人だ
私でも、了見の狭い悪癖のある人と付き合うのはしんどいのは間違いない
ただ私にとっては、最近は、何とかして誰とも付きあうようにしている

相手や自分が大きな、広い心の持ち主であれば、
付き合いは円満ですこぶる楽しい会話が出来るはずである
是非、相手を毛嫌いせずに楽しいお付き合いを楽しんで欲しい
私の経験でも「嫌いな人とも無理に付き合おう」などとしても
誰でも簡単に上手くいくような簡単なものではない
やはり自分自身の人間的な成長が基盤として絶対的に必要になる

たかが会話や付き合いだが、人間的な成長のバロメーターだ
いかにも付き合い上手なような人が社会には存在するが
よくよく分析してみると、付き合い下手な人なのだ
それほど世の中には付き合い上手は少ない
私の経験でも本当の付き合い上手、会話上手の人は一人もいない

なぜならば
人間として土台が弱い不完全な人が大半なのだ
その不完全な人間同士がいかにうまく付き合おうとしても
人としての土台の不完全さ脆さが表面に出てしまうからなのだ

人との付き合いが
①好きな人とだけ付き合う
②知り合いだけと付き合う
③同性とだけ付き合う
④同年輩の人とだけ付き合う
⑤抵抗のない範囲で誰とも付きあう
⑥初対面でもどんな人とでも制限なく付き合う

さあ自分はどうだろうか?
①~④の人は明らかに付き合い下手だ
女子会だけが付き合いだなんて言う女性がいるが、
単に好きな女友達と狭い付き合いをしているだけのこと
相手を限定し狭い付き合いは、引き篭もりの僅かな延長に過ぎない
異性や若者や年配者や異文化人とは会話もしないのも付き合い下手

一度自分の現在の付き合い方を根本的に見直してはいかがでしょう
良い人生は良い付き合いから、良い付き合いは良い人生から
幅広く円満な付き合いが出来ることは、楽しい人生のバロメーター
高齢化・便利な暮し・都会化・家族崩壊・スマホ・ゲーム・・・
人との付合いを閉ざし、引き篭もる人は確実に増えている

技術進歩・都会化・便利化・家が狭く庭や空き地消滅によて
人間として基本的にあった文化が消滅していく
会話や付き合いは大事な文化だが、それさえも消えつつある

年齢とともに、真剣に自分の付き合いや会話を見直す
そのためには自分の人間的な成長度を見直しましょう
付き合いや会話は、人生最大・最高のテーマです

語る禅僧  南直哉 ちくま文庫 880円+税
すごく参考になります。私の人生勉強会の方向にも合致しています
是非いつかお読み下さい

付近の人のお兄さんが買った空き家の荒れ果てた庭を作り直しました
私の得意であり私の大の趣味です、二日くらいで綺麗に修復できました


60年ぶりに絵を始めて半年、高島市新旭の文化祭に絵を出展しました。
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436.どちらでも良い、どうなっても平気でいることが出来る

2017-07-05 19:42:28 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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出来た・出来ます

安曇川長尾のログハウス売り出し中
9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円
その後外回りを整備し、自分でリフォーム工事など実施し、以前よりすっきりさせました

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。

テーマ
どちらでも良い、どうなっても平気でいることが出来る
どちらでも、良い結果を出す、むしろ上手く活用する

よくお聴きする悩みは、何かをやると結果が気になって心配でたまらない
面倒なことはやらないほうが心が休まるので、不安になるならば止めてしまう
そういう人の場合「○○じゃなければ駄目」というような考え方の人が多い

私に言わせると、そういう考え方には、大きな勘違いや弊害がある
「ピンチはチャンス」だと言ってあげても、「ピンチは全てピンチ」だと思うようなタイプ
自分勝手に、どちらかが良い、他方が悪いと決めつける癖が原因だ
「誰がそう決めたか?」そうです「自分が勝手に決めて、そう思い込んでいるだけ」
この癖をきちんと是正しないと何事も上手く行かず、苦しみ悩み続けることになる

そこらへんで、私が実際にやっている考え方・やり方を紹介してみよう
そうすると万事上手く行くし、どうなってもそんなに心配しない、悩まなくなるはずだ
まあ簡単に言ったら「どっちでもよい、どうなってもよい方式」なんです
普通の人は「自分の思う方にならないと困る」から、大丈夫かと心配が絶えない

まず話をやや高尚なことからはじめよう
禅宗の僧侶などを観ていると、厳しい修行をした後に、山中で淡々と寺を守り
世間の何が、どう転ぼうと平常心で、淡々と、かつ悠々と修行を続けている
事態がどちらにどう転ぼうと気にする気配は感じられない、凡人とは真逆だ
「偉い坊主にしか出来ない、自分達には出来っこない」と思っていないか?
凡人は悩まなくてもよいことを敢えて悩む、しかも喜んでそうしてしまう
「雉も泣かずば撃たれまい」「人も無用なことを考えす・やらずば悩むまい」

凡人は一喜一憂・周章狼狽・慌てふためき・ドキマギ・取り乱す・・・・
僧侶の落ち着きは、厳しい修行・禅の教え・暮らす環境のせいなのだろうが
凡人や都会に長く暮した者は、あーだこーだと言っては一喜一憂する

凡人は一喜するから一憂するのだ、つまらんことに一々喜ばないことだ
小ぽけなことを喜ばないことだ、そうすれば小ぽけなことで悩まなくなる
それから「俺がやった」「俺のおかげだ」なんてみみちい考えも捨てたほうがよい
・心配というのは、あーなったら、こーなったらと悪い結果ばかり想像するから
・心配というのは、あーなっても、こーなっても、良い結果が出るようにしてないから
・心配をするのは何ら意味がないどころかマイナスでしかない、
 心配とは結果が良く出るように心を配ること、創意工夫・備えることでなくては

巷の人は、心配し悔やみ、そわそわと落ち着きがない
心がざわつき、オドオドし、自信がなく、何となく暗く、付き合うのも気を使う
更に、小心な割に、頑固で強情な人や、文句ばかり言う人や、偏屈もいる
世の中には困った君や困った嬢が沢山いるから、付き合い切れん
いろいろな負の症状や表情が身体や顔や話しに否応なく現れれてしまう

人の世の中は、特に都会ほど二元対立のるつぼである
物事は右があれば左、表があれば裏、上があれば下のように対立で成り立っ
ところがその二元対立のもののどちらか一方を自分にとって良いと思い込む
わざわざ阪神タイガースのファンなんてことを世間に表明したがるのだ
私はこれが好き、私はこれが良いと思う、私はこれを選ぶ、私はこれをやる・・・・
というように自分にとって都合の良いもの・心地良いもの・有利なものを選択する
しかし、にもかかわらず、その結果、苦しみや悩みも生じるからおかしいのだ

二元対立で苦しむのでなく、むしろそれを上手く活用するのが得策なのであるが

領土・資源・金は皆が欲しがるから争いや詐欺や収奪が絶えない
中国が人口と経済力にまかせて収奪を始めているが、将来の大きな火種だ
二元対立を好む国家も会社も人も絶対に成功・繁栄や平和には辿り着かない

二元対立を受け入れて、巧みに対処していくのは、頭で理解するだけでは難しい
いろいろな二元対立に、むしろ率先して入り込み二元融合させる体験が大事だ
都会暮らしが絶対だと、あまりに強く思い、生涯絶対に田舎暮らしは考えない
思い切って変えてみる、その積み上げが人間対立から自由に解き放たれる道だ

私は故郷を捨て・都会を捨て・家族を捨て・贅沢を捨て・便利を捨て・・・・・
山に20年暮らして結果的に過去のしがらみを、あれもこれも捨て
55~70歳で村上和隆は、結果的に、巧まずして生まれ変わった
他人を指導したり、教えを垂れるほどではないが、自分ぐらいはどうにか出来る
20年の山暮らしは、二元対立という束縛からの離脱だった
多くの変化・多くの経験・多くの新たな出会い・多くの別れ(徹底して捨てる)
地域の人、会社の人と上手く行かない人の多くは二元対立にハマっている人だ

「あいつとは絶対に付き合わない」とか「陰で悪口を言う」なんて人が多いが
私の場合、どんな嫌な人や苦手なタイプの人とも付き合うようにしている
付き合わない、仲良くしないから、喧嘩や揉め事で、どんどんややこしくなる

どちらでも良い、どうなっても平気でいることが出来る
どちらでも、良い結果を出す、むしろ、どちらかと言うと上手く活用してまう
自分にとって嫌なことも平然と受け入れ、活用してしまう癖をつけることだ

・ピンチはチャンスと言うではないか
・苦は楽の種、苦あれば楽ありと言うではないか
競技や勝負では、攻めだけでは安定的に勝ち続けられない、守りも大事だ
むしろ守りのほうが、大事かもしれない、守りあっての攻めなのだ
東京など大都会も攻めばかりの姿勢が目立つが、そろそろ守りが大事だ
高齢化では守りばかりでなく、最近、むしろ攻めの老後が大事と考えている

積極的生き方とは、ガンガン飛ばすことではない、むしろ冷静かつ合理的だ
かつ円満・余裕があり、一喜一憂せず、いつも平然としている、大仁の風格だ

世の中の人には、多くの雑多な経験をした人と、経験が少なかった人がいる
世の中の人には、多くの変化をした人と、変化が少なかった人がいる
世の中の人には、多くの自立・自律をした人と、自立・自律がしない人がいる

当初入社の大企業M社では、定年まで他社に転職したことのない友人が多い
少なくとも日本では、多くの人は、経験や変化や自立は避けて生きようとするが

私などはむしろ、あえて世間とは正反対に、変化や経験や自立を多くしてきた
だから若い頃は不幸・不遇だった、変化・新体験・自立は楽でなく、つらいことだ
関東から関西へ・故郷を離れ一人暮らし・都会から田舎へ・大企業から小企業へ
そういうことは苦労が多いために、私の世代でそういうことをする人は少ない

欧米ではむしろ、
多くの会社・多くの国や土地・多くの人・多くの体験・多くの状況を好む
日本の文化や技術を学びに来る外人も多い、この点が日本人に欠けている
長尾の山のログハウスを安く売り出しているがなかなか買い手がつかない
しかたがないので、今必死に自分でリフォームや整理をしている始末だ
外国なら、都会に近い山の良質の安いログハウスはすぐに売れるはずだ
世の中が元気なくなって、こんな良質な物件が売れないのが日本なんだろう
生き方が大きく変わる日本人が出てくるにはあと10年はかかるね

日本人は例えば「何にしますか?」「なんでも結構です」という答えが一般的だ
これはこれで日本的であり、日本人の私には当たり前かつそれで良いと感じる
しかし、あまりにも主体性のない無責任な答えであり、よい結果にはならない

欧米人が、自己主張が強いのはある意味、彼らの扱い難さにもつながる
日本のように「まあまあ空気を読んで、適当にやりましょう」と無難にはいかない
しかし現代の日本人は、日本人の一面を僅かに残しながら、他の多くの部分で
二元対立を強く出し、自己中心的な主張をしてしまう、昔の日本人とは大きく違う

昔の日本人は二元対立を敢えて否定し、二元融合を実践してきたのだ
唯一の間違いは太平洋戦争突入だったが
あれは二元融合の国だからこそのやむにやまれずの苦い結果だったんだろう
そして現代では世界からは、地震や災害後の行動などで評価されているが
日本人としての良さも減り、かつ悪い事だけ欧米化しているのが現実だ

東京オリンピック招致は大反対だったが、結果的に惨憺たる状況になっている
ああいう争い事には日本はあまり積極的に関与しないほうが無難だ
争って、勝ち誇るなんてのは野蛮人のやること、国民栄誉賞なんかもっての外

世の中には専門馬鹿の人も多い、こういう人は頑固で威張りちらす
立派なようで立派でない、自立しているようで自立していない、狭い人間だ
すなわち専門外では役立たずだ、専門以外のことは何をやらせても出来ない
定年後の亭主みたいに、文句が多いし役立たずと言われてもしかたがない
一般的に専門家やその道の第一人者という人とは付き合わないのが無難だ
面白くも楽しくもない人が多い、自分中心でやたらに自慢だけが多い
こんな人は10~20年、山に一人で暮しことを是非お勧めする

人生で大事なことは、自分にとって都合の良いことや楽なことより、
よりつらい面倒なこと、挑戦的なことを貪欲に経験すべきなのだが、
現代人は便利に慣れてしまい、面倒を拒絶する若者や老人が多くなっている
その結果、日本人の美点である我慢とか相手を立てるなんてことも出来ない
最近の日本の若者は相手を立てない、我儘だ、世渡りが下手

どちらか一方を良しとし、他を悪いと決めつけてしまう
そして自分の考え方や暮らし方・生き方や行動が片寄って行く
二元対立の片側に大きく傾いたまま、むしろ更に傾いて行くのだ
好き嫌い、良し悪し、苦楽、美醜、多少、・・・・・とにかく片寄る
食べるものは肉、何でもスマホ、歩かず作業せず、毎日酒飲む、美人を追い回す
思い込み・信じ込み・固執・偏愛・偏執・こだわり・自分なりの常識・癖
現代の病気はほとんどが、生活・暮らし方が一方に片寄るのが原因なのだ
片寄るには相当に深く、広い経験や見識が必要だが、なかなかそうはいかない

・現代は =  便利+豊+楽
・昔は =   不便+貧しい+つらい
一番良いのはこの融合型で、幸いに私などはその路線を進んで来たように思う

不便も・貧しさも・つらいも・やり方次第で人生にプラスで、良い結果ももたらす
現代の暮らしを私が観ていて、可笑しなことしているという例が沢山あり過ぎる
幾つか例を挙げてみよう

●例1:チーム・選手・俳優などをひいきする
野球やサッカーを、ヒイキのチームを、やたら必死に応援する人がいる
試合内容は関係なく、とにかくタイガースが勝てばすごく幸福というわけ
会社の仕事を終え、帰宅せずに競技場に出かけ応援する、「お疲れさま」
まあ、かつての私もそうであったから、理解はできるが、それでも
冷静に見ていると一体何のためにあれ迄必死に応援するのか不思議でならない
彼らなりに何らかの理由はあるのだろうが、私には無駄なことにしか思えない
選手の家族とか縁故とか友人ならば少しは納得するが、実は、赤の他人なのだ

・阪神タイガースの選手は赤の他人
・一生懸命稼いだお金を無駄に使う
・仕事で疲れ、応援で更に疲れる
・勝てばいいが、負けると落ちこむ
・応援というより、勝つことに拘る、精神的ストレス
・打つべき時に打たない、エラーは腹がたつ
・よく考えると無駄で、何ら有益な価値を生まない
・だいたい、他人にあんなに入れ込む値打ちはない
・やってる選手も体調不良だのスランプだのろくでもない
・競技場でテロや事故もあり得る
・夜遅くまで飲み食いしながらストレス、身体に悪い
それでも、なぜかどんどんのめり込む
「万年優勝しないチームなんか見放せ」と思うがそうはしない
駄目チームでも、いや、駄目チームこそ、永遠に応援し続ける
優勝するチームをひいきすればよいがそんなことはしない

・同様に自己愛とか家族愛とか仲間意識なんてのも熱烈なファンである点では
阪神タイガースと同様であって、自分に密着したあらゆるヒイキ目も害がある
自己愛の強い人がいるが、こういうものも年齢とともに減らすなり無くすとよい
自己愛が阪神タイガース同様に自分を苦しめていることも多い
苦しむくらいなら自己愛や家族愛や仲間意識も百害あって一利無しだ
女性が高い化粧や美容室通いで必死に美顔しているが一利あるかなしかだ

●例2:値上がりばかりに拘る株式投資
株式に投資する値上りばかり追及する人がいる
そうではない、値上り半分、値下り半分だから
・「今日も株が値上りしました」「良かったですね」は、おかしい
・「今日も株が値下りしました」「残念でした」も、おかしい
値下りも追及しないと儲からないし、大損することが多い
値上りだけしか儲からない・儲けてはいけないと信じ切っている
値上りと値下りは半々なのだから、一喜一憂しては、毎日疲れて仕方がない

でも、ひたすら値上りばかりで一喜一憂する、やがて大損で離脱する
資産運用や株取引を嫌う人の多くがこのような誤解が原因なのだ
日本人が株式投資をしないのは、
値下がりするのが心配でおちおち夜も眠れないというのが原因のようだ
もし、株式会社取引がそんな心配なことであれば、私は当の昔に止めているはず
株式投資などは、欲張らないことです、利益は少しで良いのだ
まあ何事も欲張るから失敗するし、心配ばかりするのではありませんか
心配より日々のちょっとした地道な努力の積み重ねが大事なんですがね

おかしなことに「自分で自分を追い詰める・苦るしめる」のが実態だ

従ってまずは
1)相場がすでにかなり上がった後には原則買わない
2)株価低迷、暴落している時に買う
3)銘柄によって値が安い物を物色する
4)値上がりして利益が出たら半分売る
5)その後値上りしたら待つ、値下がりしたら売った分買い戻す
6)そこそこ満足する利益が出たら残りを売る、まだいけるなどと欲張らない
・将来性はあるが価格が低迷しているものを物色する
・株式は安く買い、高くなれば半分売って、様子を見る
・高い相場の時には買わない
・一度に沢山まとめて買わない、少しづつ時間をあけて買う
・儲かったらとりあえず一部または全部を売る

人生においても同様の誤解が人を苦しめているのだ
幸福だけが幸福だと信じきっている、「人生は楽ありゃ苦もあるさ」である
楽だけを追究せず面倒や不便や苦難も活かす努力が大事なことを忘れているのだ

資産運用は原則分散投資をお勧めする
分散投資は勝ち負け五分五分を目指す、「それじゃ利益が出ないじゃないか」
危険な投資というイメージが多いが、欲張り過ぎ、儲けようとする人ほど損する
私の経験上もそういうことが言える、儲けようと欲張って大損していた
ところが分散投資を貫くと
・あまり怖くなくなる
・大損しなくなる
・その代わり、むしろ少額ながら毎年安定的な利益が出る

人生でもそうなのだ、欲張り過ぎると大損、大失敗するのだ
私は、資産運用の経験から次の教訓を得た
どちらでも良い、どうなっても平気であること、どちらかに片寄るのは止めよう
良い/悪い、儲かる/損だ、速い/遅い、楽/しんどい、便利/不便・・・・
どちらでもいいのだ、それを上手く仕組むことポートフォリオが大事だ

●例3:自分の欠点に拘る(それほど誰も観てませんが)
自分は顔悪い・頭悪い・金ない・性格暗い・なにやっても下手・・・なんて
悩む人が多い
私もかつてぴったり当てはまって、長年悩み続けてきた
・何でこんなに頭が悪いのだ、特に記憶力は遺伝しかなり劣悪
・何で人付き合いが下手なのか?友達いない
・なんでお金儲けが下手なのか、預金も資産も増えない
・顔も今一つ恰好よくない、女の子にもさほどもてない
・性格もどちらかというと真面目で暗い、悲観的に考える
・相手に対して意見を主張できない、喧嘩もできない
・人生に対して明るい将来や夢や目標がない

それやこれやで、55歳までは駄目人間そのものだった
「いい学校、いい会社に行ってらして」なんて他人から言われても
「わかってない、俺はひどい、最悪なんだ」とますます、かえって落ちこむのだ
しかし当時を振返ると、私自身によるより、思い違いによるものだったのだ
簡単に言えば考え過ぎ、固定観念による束縛、自分不在などであったろう

過剰に卑下し、コンプレックスになり、行動が消極的になるのは良いことではない

●その他、いろいろ拘る、片寄る、捕らわれる
・円安だろうが円高だろうがどちらでも良い、資産をきちんと運用できる
・株が上がろうが下がろうがどちらでも良い、資産をきちんと運用できる
・阪神タイガースが勝とうが負けようがどちらでも良い、自分にとっては何もない
・美人だろうがブスだろうが、どちらでも良い、美人もブスも生き方次第
・体力があるとか、金持ちとかどちらでも良い、必しも良い結果になるとは限らない
・・・大切なことはどんな状況も受け入れて的確に向き合えば、結果はついてくる

人は苦しむ生き物である、人は苦しむために生きる、
人は苦しみから逃れようとして、かえって苦しむことになってしまう
動物は無駄・無用に苦しまない、彼らは自然で単純に生きているからだろう
人間の場合、苦しみの原因は多岐にわたっており、ややっこしい
しょっちゅう、苦しみに追いかけられ、無駄に悩み過ぎてしまう

苦しみを受け入れる、苦しみが平気だという人は別だが、そんな人は少ない
私も安曇川の山で20年暮らす以前は苦しみ悩み多き人だったと思うが
55歳以降、山に暮らし経営コンサルタントをして今74歳、私はすっかり変わった
55歳までが嘘のゆように、不思議と今は、やたらに苦しむことは激減した
苦も楽もバランスさせることだ、どちらか一方に片寄るのは得策ではない
むしろ片寄ることは苦や悩みを増やすだけだ
まあ歳の功なんだろうが、私の最近の生き方や心構えを紹介しよう

私が山に20年暮らして自分なりに決めた生き方は中庸、片寄らないということ

①諦めない、でもいよいよ駄目なら潔く諦める、逃げ出す
②予防に万全を期す、その上で被災したらその場で最善をつくすのみ
③争わない、どうしても必要な場合だけ意見を主張する
④自然をモットーにする、自然流・自然主義、不自然は排除する
⑤広々、のんびりした田舎に暮らす、狭苦しいところに近寄らない
⑥一日動く、作業する、働かずば喰わず(働くとは単純に動く事)
⑦暮しの一つ一つをルール化し、きちんと守る、でも時によって頑固ではない
⑧明るく誰とも気さくに付き合う
⑨ひいきを作らない
⑩何かに我を忘れのめり込まない、いつも冷静で冷めている
⑪マイナス・駄目・負け等を深刻に悩まない、そのまま受け止める
⑫相反することをむしろ、うまく利用する

このうち⑫の項目を中心に具体的にお話をしたい

普通人間は自分にとって一見良いことを追い求めてしまう
例えば
・阪神が勝つことだけを喜ぶ
・株式が上がる事だけを喜ぶ
・自分の意見を曲げないで相手の意見を受け入れない
・美人・美男が良いと思う
・身体が強いことを求める
・便利なことが良いと思い込む
・都会が暮らし易いと思い込む
以上のことを冷静に深く考え直すと、必しも良いとばかりは言えない

何しろ安易に勝手に良い・悪いを決め、強く思い込んでしまう

さあ今日から阪神タイガースを熱狂的に応援するのは止めましょう
実に愚かしい・あさましい・みっともない・くだらない・無駄・意味ない・・・
もし止められなかったら
それは貴方自身の弱さ・甘さ・お粗末さを示すだけのことなのだ
そういうことから卒業した私に言わせれば
「勝手にやってなさい」「何の利益も、人間成長もありません」
「他人のフンドシで相撲をとる」なんて何の意味もない
他人ではなく、せめて自分で勝て喜びなさい!!

しかし私などは自分が勝っても、敢えて喜ぼうとはしない
即ち勝負けなんて、どうでもよい、勝ち負けが一体なんなのだ?
そうならないと、人間は悩み、苦しみ続けるだけなのだから
そうだったら、一切何事も喜びも悲しみもしないことが大事だ
こうしたい・こうなりたい・しかもそうなたら喜び、ならなかったら落ち込む
そういうことは、無意味・無価値・無駄なだけなのだ
そうでもあるにかかわらず、人間は他人のことさえ一喜一憂したがる愚かしい
必死に応援している人達を観ていると「頭がおかしいんじゃないか?」と思う

私が野球を観戦する場合、もし阪神タイガースがひいきであっても、
阪神が点数入れようが、相手が点数入れようが平然としている
というより、むしろどちらでも面白いなーと冷ややかに観ている
勝つか負けるかとか順位は、そのままを受け入れる、
一位のチームも最下位のチームも「そうなんや」程度
一位のチームは称賛し、最下位のチームは駄目、その原因を考える、それだけ

客観性がない、衝動的、ヒステリック、冷静さを失う、エイヤーでやってしまう
ヒイキのチームや選手が勝つことだけを考え過ぎるのは、太平洋戦争の日本軍や
ドイツのヒットラー、現代では北朝鮮や中国共産党がその典型ではなかろうか?

最近の私にとってはオリンピックでメダルなんかとってもとらなくてもどっちでもいい
メダル獲得を国の目標なんかにするのはバカバカしくてお話しにもならない

山暮しをしてから、グルメを求めなくなった、食事にそんなに手をかけなくなった
食べ物を必要以上に美味しくすることの虚しさを実感したから
素材に近いものを食べる、正直そんなに美味しくないが続けていると苦ではない
もともと自然の生き物は調理などしない、味など加えないのだ
そういうベースにもどって、やたらに過度に美味しいものを求めなくなった

逆に時々美味しいものを食べると、美味しさが身体に浸みわたってくる
美味しいラーメン・美味しい寿司・美味しい洋菓子・・・・私は全く興味がない
偶然にそういうものに出合う以外、私には感心も必死に行列に並ぼうともしない
求めない、偶然にたまたま出会うこと、一期一会みたいなことが好きだ
人生はそんなもので良い、そんなものが良い結果をもたらすことを知って欲しい

・旅行もしなくなった、自分の住みたい場所に引っ越し、安曇川に根を生やしています
 (数日の旅行より、一定期間引っ越すことだ)
・都会と違い、大病院がない田舎には住めないなんてことも考えもしない
・衣服も質素にしている、華美に飾るのは、自分を偽っているように思っている
・大工仕事も野菜作りも自分でする、買うのが当たり前なんて考えない
・男・女・老人・若者・子供・都会の人・田舎の人誰とも気軽に付き合う
・田舎や山に暮らして「来る者は拒まず・去る者は追わなく」なった
・付近の清掃や整備や町の役も、他人のためにやってあげているなんて思わなくなった

しかし、たかだか、このような簡単なことが普通の人は、すんなり出来ない
  『どちらでも良い、どうなっても平気であること
  どうでも良い、どちらでも良い、どうなっても良い、片寄らない
  むしろ、どちらでも、良い結果にする、良い結果になるものだ
  良かれと、どちらかに片寄ることは、悩み・苦しみを生む元だ』

”阪神タイガースが勝っても負けてもどちらでもよい”とは、なかなかならない
美人・秀才・屈強・金持ち・・・から離れられない
株式は値上がりばかり求める、株式以外に分散投資しない
都会でなくて田舎でも山奥でもどこでも住もうとはしない
・・・・・・・・
どう説得しても、どんだけ説得しても、絶対に応援を諦めない
「もうお手上げ、一体何がこの人をそうさせているのか?」回答は絶対に出てこない

中庸という言葉があるが、まさに中庸という言葉に尽くされるのだろう
私は、目立つ人、偉い人、華やかな人、金持ち、美人、勝者を羨むことはない、
むしろ、私は、あえて、悩み多い人だ、可哀そうな人だと思うのだ

人がごく普通に「良い・悪い」「応援する・しない」「美味しい・まずい」を鵜のみにしない
一度全て疑ってみる、しかし注意すべきは、他人批判しろとは言っていない
あくまで自分の生き方を見直し、生き方や行動を自ら正していくことだ

おさらい
1.良い悪いを決めつけない
2.偏らない
3.二者選択において、結果がどちらになっても事前に適合するようにしておく
4.どっちでも良い、どうなっても良いを常にモット―にする
5.一喜一憂しない、喜び過ぎない、悲しまない
6.既成概念を一度綺麗さっぱり捨て去る(現実には難しいことだが)
7.偏った暮らしを長年続けない
8.自分の既存の価値観を一度疑ってみる
9.他人と同じ考えであることに拘らない
10.「他人のためにやってあげる」などといった植え付けられている価値観を捨てる
11.どちらでも良い結果がでるようにする工夫や努力をしてみる
12.まあ、あとは私のように山で20年くらい長年の垢を落とすことでしょうか


簡単そうで実は、時間+努力+修養が必要です

長尾のログハウスをリフォームしている、私としては必要を感じないが
購入する人には、安い上に、建物や庭がすっきりしていないといかんみたい
・無用なものを除去 ・小ぎれいにする ・片づける ・破損個所を修理
玄関もすっきり整理しました


裏も目隠しし、すっきりさせました。無用な物を撤去しました




土間の仕切りも和風に直しました


隣との囲いの部分の垣根・扉も直し土に苔がはえないように石を敷きました


庭の草花もほとんど抜きました、木も伐りました


水場も小綺麗にしました


7月2日日曜日川の土手の竹や雑草を2m分刈りました。草刈り機と町内総出
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423.意味のない社会通念や固定観念既成概念を捨てて自分自身で考え直す

2017-03-10 08:52:36 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
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    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
  ご希望のより、田中の空き家もご案内します
メイル



テーマ
意味のない社会通念や固定観念既成概念を捨てて自分自身で考え直す

概要
1.世間の状況     自分自身が存在しない、社会への依存、社会へのおもねり
固定観念・既成概念・社会常識・他人の目・思い込み・・・・自分で考え独自に行動しない

2.問題点     社会との悪縁を断ち切れていないで、ますますはまり込んで行く
自分自身で観て・考えて・判断して・選択して・決断して・実行すべきだが、なかなか出来ない

3.私はどうしたのか、何をしたのか       都会から大企業から社会から離れた
54歳でロームを退職し、経営コンサルタントを始め、山に暮らし、大きく生き方が変わった

4.私はどうなったのか       自力・自分・自活・自制・自戒・自信・自発
捕らわれている自分が全面的に開放された、自分の心の中にあるベルリンの壁を打ち壊せ

5.一体なにが原因で出来ないのか     社会に流されている、社会に漂っている
つまらんことを正しいと信じ切っている
自分で深く考えない、社会の流れや共通認識や通念に身を任す
他人の目を気にする、決断しない、思い切って実行しない

6.提言     人生に自分がいない、以下の事について、私はそんなことしない
固定観念で考えると正しいと信じ切っているが、よくよく考えると実に間違っていることがある
そんな間違いを何の疑問も抱かずに、そのまま続けている損失は大きいのでは?
こんな間違いはもっと多く、むしろほとんどが疑い深いと言ってもよいほどだ
以下のことはあくまでも例に過ぎない、もっとふさわしい例があるはずだから、考えて欲しい

・狭い家・危険・家が高い・・そんな都会に住む ・選挙では名前や「よろしくお願います」だけ
・バレンタインデーでの義理チョコ   ・豪華結婚披露宴  ・豪華葬儀  ・豪華墓石
・皆同じ日に一斉に休む  ・皆同じ時間に集中して会社に行く
・老人でも出来る仕事を若い人がやっている   高い戒名料やお布施
・給料日がほぼ皆25日付近に集中している   正月や五月連休なども集中して休む
・高いお金をかけて散髪屋で散髪する   ・高いお金かけて観光旅行する

・新聞なんかみなくてもテレビやインターネットがあるのに新聞を購読する
・テレビ装置をもっているだけでNНKが受信料金をとる    税金でとれ、安くしろ
・無制限に医者にかかっただけ、健康保険料が適用される
・無利子に近いのに大金を銀行に預ける、銀行に奉仕している
・生活保護は生活費+住宅費+医療費で年金暮らしより恵まれている
・派遣社員は組合もなく守られる組織がなくホッタラカシ
・トイレで手をいい加減に洗っているが実態は極めて不衛生、しないほうがよいくらい

・災害危険地域に平然と住み、暮らしているが放置されている
・毎食後と寝る前に一日4回の歯磨きせず、しかも間食している
・山や田舎にログハウスを持って居るのに一年に数回しか利用しない
・大学の講義や先生はあまり役立たない、だから生徒は授業に出ずに卒業する
・政務活動費が不正に使われているが何も手を打たれない
・東京オリンピック招致は金かけずに出来るが歌い文句だったがとんでもなく多額になっている
・役所の見積もりはあまりに高くても簡単に通ってしまう,税金がいくらあっても足りないはずだ

・仏像に手を合わせてお願いし拝む  ・膨大な借金をしているのに全く減らそうと努力しない
・少子高齢化なのに積極的に優秀な移民を受け入れようとしない
・職人や技能工の養成の学校を積極的に作らない   高度な職人を保護するべき
・韓国や中国の日本攻撃に一一反応し過ぎる、はっきり言うべきだし、無視すべきは無視する
・靖国神社参拝批判に対して、戦犯をはっきり分けるなどの対処を断行しない
・尖閣列島や竹島に兵隊を常駐させない  すなわち島自身が使われていない
・法律違反や怪しい人や無能な人やつまらん発言を不用意にする人を安易に大臣にする

・与党議員の不祥事に膨大な時間やお金をかけて国会で野党が得意に追及する
・オリンピックで金メダルとると国民栄誉賞だが、大した価値はない
・競技用スポーツは健康にも悪く、なんら賞賛すべきことではない
・老人ホームは老人を過保護に扱い、老いを加速するだけ
・親戚家族や遠くの友人(近くの他人に勝る者はなし)
・海外旅行は危険、インターネットで見られる、物見遊山に過ぎない、お金かかる
・海外旅行するくらいなら(山や海や遠く離れた場所に別荘を買う)
・人間を外見や地位や財産や学歴や仕事だけで判断する
・女性を顔や外見だけで判断し付き合い、結婚する
まだまだ無限にあるが、ここらへんで止めます

文化とか社会ルールは大事なことではあるが、それはあくまで絵に例えると背景に過ぎない
その背景の前で演じる主人公は自分です。華々しく活躍しなくてはなりません
特に65歳を過ぎたら、それまでの社会に影響を受けて来た自分を一度脱ぎ捨てて生まれ変わろう
社会通念とか常識は、大した意味もないことが多い、そういうことに拘り過ぎるのは価値がない
山で暮らしてきた私は、自然から教わった事が多い、社会と違って嘘誤魔化しが微塵もない
社会は古い観念がそのまま定着し文化になっているが、文化は必しも絶対的なものではない

追伸
自分の足で歩け   /他人にやらすな・任すな
自分の頭で考えろ  /他人や社会に考えさせるな
自分の目で見ろ  /マスコミの見たものを見て信じるな
自分を信じろ  /有識者・新聞・テレビ・政治家を信じるな
社会に自分が影響を及ぼす  /社会から一方的な影響を受けるな
65歳以降それまでの暮らし方生き方と真逆な人生を体験したらどうだ、私はそうして来た
社会につかず・離れず/社会に媚びらず・交わる/社会に染らず・味わう/社会に流されず・自立

最近の朝食です。野菜サラダ・ヨーグルトと果物・12枚切りのパン1枚・野菜ジュース・コーヒー

今年の豪雪に凝り、9日に庭の屋根を解体しやり直しを始めました、でも花粉が飛び始めました

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419.会話の話題がなくて悩む人が多いが、会話の上達は自分の人生感と関係がある

2017-02-10 21:43:24 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
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JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
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  ご希望のより、田中の空き家もご案内します
メイル

テーマ
会話の話題がなくて悩む人が多いが、会話の上達は自分の人生感と関係がある

概要
1.世間の状況     会話が苦手な相手がいるという悩み相談が多い
一般的に、若い人は高齢者や初対面の人と会話を楽しむことをしない、そんな余裕がない
また世間では、驚いたことにこんなに楽しいはずの会話を楽しむより、ひどく悩んでいる人が多い
会話の話題がなくて困るという人がいるが、確かに情報や経験の少ない人はつらいだろう
そういう意味では、会話の話題がないと悩む人は、まだまだ大した人生でないという結果だ
話題がないのであれば、例えば、相手のことや相手にいろいろ聞くという方法がありませんか

2.問題点     会話しないで引き篭もったり、会話しないではつまらない、損
もっと相手に関心をもって、相手のことを話題にしようとしたらよい
自分のことを話そうとし過ぎる、あまりに自分のことを話題にして会話を始めようとする
無理に話題を捜そうとしてしまう、それこそかえって相手との溝を作ってしまう
日本人は会話をあまりに凄いこと、小難しいこと、恥ずかしいことなどと意識過剰

3.私はどうしたのか、何をしたのか    かつての私の場合は恥かしいとか勇気がなかった
私は55歳くらいまでは永いこと、人見知り・対人恐怖的な事が続いていた
55歳で山暮らしを始めた、また経営コンサルタントを自営したことがきっかけ
しかし57歳くらいから大きく変わった、物凄く人好き・会話好きで人に教えるほどに変身
自分自身で、物事を深く、広く考えるようになった、インターネットやブログを書くようになった

4.私はどうなったのか       会話が変わる、会話で変わる、会話は快和だ
誰でも話しかける、声かける、誰にも挨拶やねぎらいやお礼を言うようになった
会話に悩む、苦しむのではなく、一転して、得意、非常に楽しむ、趣味、生きがいになった
若い時苦手なものをあるきっかけによって180度反転させ得意なものに変身できることを知った
会話をどんどん楽しむように手当たり次第に誰にも話しかけていくような姿勢に変わる
会話下手、口下手、引っ込み思案、恥ずかしがり屋という意識をかなぐり捨てる

5.一体なにが原因で出来ないのか     真剣に人生に取り組むことだ
何でも話題にしてしまおう、話題を選ぶなかれ、話題に良い悪いがない
普段から考える習慣を持つ、周囲に関心をもつ習慣をつける、本やネットを観る
話しかける相手を選んでしまう、この人は止めておこうという気持ちを根強く持っている
自分が相手に心を開かないから、相手からもなんとなく話しかけにくく感じてしまう

6.提言    話題は無制限にある、その話題を面白くするのも、つまらなくするのも自分次第
相手の特徴・相手の姿かたち服装・相手の趣味・相手のことにもっと気軽に興味を持つ
何事もやらずに出来ることはない、会話でも勝手に壁を作って会話しない人では駄目
会話上手と言える人は案外少ない、単なるお喋りの人は沢山いるが、必しも会話上手ではない
会話塾なんかにお金かけて参加しても、人間としての根本問題を改善しないとよくならない

自分は会話が上手い、楽しい、いい雰囲気だとならないと会話は価値を生まない
そういうことが合格であれば、今度は誰とも会話するように相手を拡大していく
誰彼関係なく話しかける、最初は上手くいかないが、徐々に、少しづつ手ごたえが出てくるはずだ
誰とも会話できるようになると、人間が大きくなる、引っ込み思案や対人恐怖がなくなる
人間は嘘つきでだらしなく、大して立派なもんではない、そんな人間に何が対人恐怖なのだろうか
人は立派な服装、女は化粧し、外見は立派で偉そうだが、そんなことはない、もっと相手に入りこめ
駄目人間同士という意識が良い、相手が立派、私は劣るなんて格差を作ったら会話は出来ない
相手を気にし過ぎ、おどおどして会話をすることなく、気楽にあれこれ楽しむことが大事

話題はどちらかというと軽いものがよい、関西だったら呆け突っ込みだし、難しい話は少なく
私はどちらかというと女性との会話がいいが、女性でも話題の出し方は案外下手だ
男は更に話題の出し方が下手で、その上、難しい話を難しく話そうとする、息が詰まる
どんな話題も面白く運ぶと話題が増える結果になる、良い話題でもつまらなく話すと価値はない
どんな話題でも、いろいろなテクニックで面白可笑しくする人とそういう事が出来ない人は大きな差
でも、相手がどんなに話題山し下手や会話下手であっても、面白可笑しく楽しく会話を進めるのは功徳

追伸
会話するかどうかは別にして、話題がないなんて人は真剣に・楽しく生きてない、人生が貧しい
56歳から会話好きに大変身した私だが、孤独に一日静かに過ごすことも出来る
人生を深めて行けば、話題なんか泉のようにコンコンと出てくるものなのだ
何だかんだ言う前に、孤独な時期を過ごし、自分をじっくり掘り下げ、成長させておくことが大事
私の場合幸運にも55歳から山奥でひっそり暮らす機会があった、固定観念を捨て基本に戻れた
自分で考え、自分でやり、自分を深く見つめ直し、基本原点に帰ることで、自分がしっかりする
会話が突如、上手くなり、人生が変わったとのか?人生変わったから会話が上手くなったのか?
そいうことから、会話が下手なのは、私の推測では、生き方が貧しいのじゃないか?
即ち、会話してみると相手や自分の成長・成熟度合いがわかってしまうのである

町の女性から草木染めの展示会のお勧めを受け近江今津まで出かけてみて来た
草木染という素朴な良さは、現代人にはどの程度わかるのだろうか?

そこで直売もしていたが、草木染は皆女性ものなので、コーヒーカップを買ってき

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417.現代社会は高度専門化され、嘘誤魔化しばかりが増える、依存は要注意だ

2017-02-01 21:49:45 | 会話
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安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
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メイル

大雪の残雪は空き地や畑にまだ沢山ありますが、どうやらひと段落しました

テーマ
現代社会は高度専門化され、嘘誤魔化しばかりが増える、依存は要注意だ

概要
1.世間の状況     信じるという言葉が怪しい、私の辞書には他人を信じるという言葉はない
政治家や役人や先生や経営者の言うこと、やる事は正しいはずだが、案外、嘘誤魔化しだらけ
マスコミや文筆家や科学者や専門家の言う事、やる事は正しいはずだが、案外、嘘誤魔化しだらけ
医者や大工やデパートや理髪師の言うこと、やる事は正しいはずだが、案外、嘘誤魔化しだらけ

2.問題点     自分が出来ない、知らないことは信用せざるを得ない、安易に信じて騙される
もっともらしく言ったり、やるので頭から信用してしまう、ところがそれこそが大きな間違い
政治家も専門家も医者も全幅の信用をして、任せてしまうが、それこそが間違い
無暗矢鱈に信用してしまう、コンサルタントを経験した私からすると、実態はいい加減なものだ
簡単に信用して確認や監視や検査もせずにお任せしてしまう人々が、私には信じられない
政治家や医者なんて本来すごく不信感と疑いをもって相対することが大事なのだ
場合によっては、最近の都会に住む僧侶のかなりの部分はいい加減なインチキ僧侶なのだ
嘘誤魔化しで満ちている、分かりやすい例は、結婚も夫婦や友人も嘘誤魔化しで成り立っている

3.私はどうしたのか、何をしたのか      人は皆、大嘘つき
うちのママが言いました「男はみんなオオカミよ」。同様に人間はみんな大ウソツキなのだ
どんな専門家、肩書を持った人も、立派な成果をあげた人も絶対に信用してはならない
ましてや、自分自身も例外でなく、全く問題外の出鱈目人間・嘘つき人間である
誰も信用しない、信用できるのは自分だけなのだが、その自分自身が非常に頼りない
実は自分がもっとも信用ならない、この悲しさはどうもならない、生涯を通じての努力あるのみ
自分も他人も誰も信用できない人間で社会は出来ているということだ。”依存しない、依存させない”

4.私はどうなったのか       山や田舎に住み、出来るだけ人に依存しない生き方に戻る
人は誰も信用しないことにした、うっかり信用なんかしたら、必ず裏切られる
ほとんどの人は信じないが、あの人だけは信じるなんて言う人がいるが、それ自身が大間違い
信じてしまいそうな人ほど、むしろ嘘誤魔化しの人なのだ、詐欺師なんてそんなものだ
尊敬する人とか人間国宝などというのも実に怪しい、人は仏(ホトケ)になるまで信用ならん
むしろ、どちらかというと、信用できそうでない人の方が、やや信用できるものかもしれない
もっともらしい人、外見や肩書や頭の良さや恰好良さによって誤魔化される

5.一体なにが原因で出来ないのか     安易に人を信じる、特に専門家は無条件に信じてしまう
安易に人を信用しようとしがちであるが、絶対、人なんか信用してはならない
自分のことを考えてみなさい、どれだけ信用できない自分かがわかるでしょ
信用できるか以前に、いかに信用出来ないか
専門家なんかも専門馬鹿とも言われるように考えが浅い・狭い、ごくごく部分的にしか信用出来ない

6.提言       他人に頼まざるをえないから、頼むのだが、頼む内容によっては、大きな賭けを
人にものを頼むということは、すなわち、半ば諦めること、騙される可能性あり、結果を問わないこと
もし他人に頼むのであれば、ソバにつき切りで監視・監督指導しないと危ない
そうだから、人に頼むのは、どうでもいいものしか頼めないのだが、案外大事なことを頼むものだ
現実はすごく重要なことを他人に頼み仕事の内容を常時監視しない人が多いのには呆れる
多くのことを自分でやらずに他人に任せて、結果に対して文句ばかり言う癖がついている
本来自分がやることだということを忘れている、昔はほとんど自分でやっていた
他人に文句言うのではなく、自分でやる、そして自分に文句を言い反省して成長していくべきだ

腕利き職人や悟りを開いた偉い禅僧は「修行は一生かかっても終わらない」という
他人に安易に頼み、依存し文句を言う、その上なおかつ、騙され、大きな損害を被る
多くの事件事故はほとんどが他人を信用して頼んでやらせた結果と言っても過言ではない
結婚なんかも信用した結果である、ほとんどが裏切られる、信用したほうが悪いのだが
信用する間柄ほど裏切られる、信用して相手に任す、そしてとんでもない裏切りに出合う
例えばリフォーム業者を信じたらとんでもない目に遭う、工事全体を細かく監督してないといけない
すなわち政治も経済も健康も・・・何でも直接監視・確認・点検・検査・・・しておかなければならない
いかに情報時代と言えども、全てに対応することは不可能。だとしたらどうすればいいのか?
自分の関心のある、重大と思われることについては、しっかり情報を集めて、自分で判断するべきだ
しかし情報を集めることも、監視や分析し判断することも出来ないのが普通だ

例えば、医者
医者の言うことや貰う薬の良し悪しは、素人の私たちには到底評価し判断できない
ということは、医者や薬などの場合は医者や製薬会社の言いなりで誤魔化されている
「誤魔化されていないと」言うがはたして、その根拠はというと、何もない
医者が言った、製薬会社の能書きに書き記してあるとしか答えられない
嘘誤魔化しとまでいかなくても、人や会社が全てきちんと医療や薬品製造をしているとは限らない

例えば老人に多い高血圧
最近日本だけ、高血圧の基準が厳しくなり多くの老人が降圧剤を飲まされており、副作用も出ている
外国の基準やごく最近の昔の基準や年齢別基準を全く無視して血圧の基準が一律に設定されている
私も元々低血圧気味であったが、71歳に急に10~20くらい血圧があがり、薬を飲まされた
2年くらいになるが、記憶障害・抑鬱症状・ふらつき・視力障害などの副作用がでてきた
本やインターネットでは抑圧剤を飲むなという警告がでていたのです、なるほどわかった

信頼出来る人がいると安心したり、逆に、信頼出来る人や友人がいないと悩むのも無駄なこと
信頼できない人間と付き合っているという認識で、浅く広く誰とも気軽に付き合うのがよい
人にあまりに過剰に拘り、依存しないほうがよい、野原の草木や花と出会うような気分でよい
それより自分自身を日々磨くことだ、何事にも動じない、原点基本に戻り平凡に暮らすこと
逆に他人に、自分の考えや判断を一方的に押し付けてはならない
トランプ大統領は、人間として、指導者として欠落している、アメリカ国民も落ちたものだ
しかしトランプは世の中がこんなものだという悪い手本を示した反面教師としては、大きな成果

欧米流には、自己主張と闘いの文化となり、日本式には和・謙遜・おもてなしの文化となる
欧米流が正しいのかもしれないが、嘘つき同士の闘争は最悪なのだ
日本流は「私も貴方も大嘘つきの駄目人間なので」はなから闘争せず、おもてなしする
むしろ今後は、日本流が望ましいが、なかなか日本のようにはうまくいかない

俺俺詐欺や振込め詐欺やインターネットで詐欺に遭うこともあるが、そんなのは騙される方が悪い
嘘誤魔化しの中から真実や正しいことを捜すのに骨が折れる、多くの人が調査を諦めてしまう
世の中進歩しているようで、、それらに依存し過ぎると、嘘誤魔化し、騙されることも多くなっている
廻りをさがしてみて下さい、嘘誤魔化しされていることが沢山ごろごろしていますよ

追伸
「私は信頼できる友人や先輩が3人います」そんなことを言う人はすでに騙されている
「貴方は信頼できる人が何人いますか?」私の答え「一人もいません」いるわけない
そんな質問する人に質問したい「貴方自身は自分を信頼していますか?」多分答えはNO
この世に世界中に一人でも信頼出来る人がいるのなら是非紹介して欲しい
多分歴史上でしかいないが、仏陀とそのごく僅かな高弟くらいしかいないのではないか?
今の世に信頼なんか出来る人は皆無と言っても過言ではない。それが実態だ

どんな人からも、どんな事も、自分が世の中に大きく騙されていることを自覚すべきだ
自分が観察・分析・評価・判断することを放棄し専門家を頭ごなしに信じる又は疑わないのはまずい
現代は、依存の時代、依存しないと生きていけない時代になっている、そこに落とし穴がある
自分の、自分のための、自分による生き方・暮らし方をすべきだ、あまり広げない、依存し過ぎない
だから、私は最近旅行もしない、やたらに拘わらない、動くほど騙される確率は上がる

山や田舎の素晴らしい環境に暮してひっそり暮らす、政治家や役人の世話にならない
都会の狭苦しい所に住む、依存することが増える、疲れる、何だかんだして、騙される
出来ることは、大工も自分でやる、人に頼むときも目を光らす、あまり欲張らない
簡単に言えば、田舎で、自然に交わり、ひっそり、質素に、自力で、何でも自分やることだ
自分で出来ないことや専門知識のないことを他人に頼む、依存するべきではないのだ
自分で出来ないことや専門知識のないことを他人に依存するから、とんでもない問題に遭遇する

隣の人が夏ミカンを沢山くれた一月おいて実をむいて瓶にいれ氷砂糖を入れ3日くらいで
夏ミカンの砂糖漬けができた
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