悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
履歴:東京台東区育英小学校⇒台東中学校⇒白鷗高等学校⇒東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営
住居:東京浅草猿若町誕生⇒埼玉県川越疎開⇒東京浅草三筋町、夏は藤沢市鵠沼⇒大阪(門真⇒萱島)⇒京都⇒滋賀(長尾⇒田中)
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器(昔のものは省略)
**物事は起きてからではなく起きる前にやる 村上原基人生勉強会**
二拠点生活の勧め、都会暮らしから田舎暮らし、私の体験から
普通に・自然に・ゆったり・安全に・当たり前に暮らそう
先月、久しぶりに京都に1週間と長めに滞在を試みました。そこで改めて感じたことを述べてみます。田舎暮らしの私が、以前も何度か、このブログで、住んでいた京都などの都会の暮らしについて感じた違和感を述べていますが、やはり年齢とともにその感じ方も更に変化している。ちなみに私は東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀と移り住んできた。
昔戦争直後の東京には野原もあった空き地も沢山あった虫も鳥も魚もいた、逆にマンションはなく、多くの木造の家で町はごく穏やかにつつましく暮らしていたが、現在の東京都心はほとんどコンクリートと舗装道路、道路は自動車で埋まっており、人間は一体どこに行ったのかというような景色になっており、ぎゅうぎゅう詰めに高層ビルに押し込められているのだろうか。人間が自由に存在し使える空間が家の中にも外にもほとんどない。私のように田舎に移り住んだ人間からすると、こういう景色は人間の住むのに快適な環境とは到底言えるものではない。
都会ではやたら怪しげな物を次々に作るんですよね、数年後に行ってみると、街並みは凄く変ってしまっている。それに対して田舎は、ほとんど変わらない。
しかしもう一つの不思議は、そういう環境に多くの人が暮らしているというかなり危険な現実だ。普通島に渡ってそこが無人島と思ったら人が住んでいる場合、「えっ、こんな島に人が住んでいるの、嘘だろ」と言うのが普通なのだが、私は都会に対して「えっ、こんな劣悪な環境に人がもの凄く多く住んでいるの、嘘だろ」となるのである。これは、けっして大げさな事でも冗談でもない。私がたまたま30年先を行っているというだけのことに過ぎない。
そして最近そういう私の感覚に気づく人が徐々に都会にも増えてきて、田舎に移り住む人も少しづつだが増えている。セッカチな私が過去にやってきたことが、その20~30年後に多くの人がやるようになるという体験を幾つかしているが、都会暮らしからの脱出もそろそろ現実のステージになりつつある。
老人にとって都会は生きづらい場所。京都の家はマンションでまあまあ広い部屋で、京都は東京や大阪に比べてもましなほうではあるが、その京都でさえも、もう住むには限界に近付いていると思っている。
①家や鉄筋コンクリート住宅が密集し、道路も自動車で一杯
②家に入るとまず玄関が狭い、まあ靴を脱ぐだけの広さしかない
③玄関の横に狭い洗面所、更にそこに洗濯機も置いてある
④トイレも狭く、ドアは座った位置からすぐの場所に迫る狭さだ
⑤風呂は狭く湯舟は足を延ばして入る余裕はなく洗い場も狭い
⑥専用の台所はなく台所と居間一体のリビングダイニング
⑦庭もない。駐車場も借りる。駐車は何処も有料で高額
⑧家の周辺に空き地や緑地はなく、無論田畑もない
⑨散歩は細い路地を歩くしかないが、両側は家でぎっしり
⑩家ではテレビか又は近所のスーパーに買い物に出掛けるだけ
⑪大工仕事や畑仕事やスポーツも家の中では到底無理
⑫日常顔を合わすこともなく、気軽な近所付き合いもない
⑬一日の過ごし方はほぼ家に籠るか買い物か病院か役所へ
⑭自動車の排気ガス、家や人も過密で呼吸する空気は汚い
⑮混雑する場所が多く感染性の病気にかかるリスクが多い
⑯小まめに歩くとか作業・運動する場がなく運動不足になる
⑰他の家の人の暮らしぶりが全く分からない、交流はない
⑱自然がないので、人工的なコンクリートの箱物中心になる
⑲鳥や獣、草花、山野草、果樹との出会いや付き合いがない
⑳都会の人に加えて外人観光客で更に混雑し騒々しい
㉑車での移動も道路が混雑で老人には危ない、安らがない
㉒集合住宅の階下や階上や横の家からの騒音が気になる
㉓過密でウイルス感染リスクが高く、どこでもマスクが離せない
㉔家の周囲の外の景色が一年中変わらない。無機質だ
㉕自然の中の感覚や一体感がない、独房の牢獄同然
㉖コンクリートジャングルという言い方がそのとおり、無機質だ
㉗他人に見られている感じがする他人の目を強く意識してしまう
㉘田舎は一日中とにかく静、都会は一日中煩い、心地悪い
㉙買い物が近くで出来るのでつい買い物に行く買ってしまう
㉚喫茶店や飲食店や飲み屋が多いのでつい行ってしまいがち
㉛お金を出せば何でもやってくれる、手に入る、だから人間が狭い
㉜都会の人々は田舎の私には無関係でつまらん事を好む
㉝都会の人は田舎に住む私にとっては、今や異邦人になった
㉞ひょっとして都会人は長年牢屋暮らしをてきた人達なのか
㉟まあごてごて空虚なことや贅沢やチマチマしたことを仰々しくやりたがる
田舎住まいの今の私にはほとんど興味も関心もない
㊱狭い、人が多過ぎるということが都会に住む人を閉じ込めている
㊲広い庭付きの家の居住が必要だが都会ではそれが許されない
㊳都会には個人の自由がないのだがそれに気づかない人々
㊴都会のマンション等は一体感があるようで気楽な緩い付合いがない
㊵人工的なもの囲まれているのが標準的な居住場所と思込む
㊶田舎と都会を対立的に認識して、二拠点生活は考えない
㊷親自身が田舎暮らしの経験がなく都会の延長としか理解してない
㊸田舎は米・野菜や果樹や牛や鶏が飼われ、都会は食材とも遠い
㊹都会の飲み屋・料理屋・イベントなどが田舎にはほとんどない
㊺田舎は自分に向き合う、自分を観詰める時間やゆとりがある
これ以外にも違和感のあることは沢山あります。それが何かということは貴方が田舎に二拠点生活をして実際に確認するのが重要なんです。バンジージャンプなんです。飛び込まんとそれは分からないのです。飛びこんで思い切って田舎での自由を味わってみることです。でも意外にも貴方は「都会の牢獄に帰りたい」なんて言うかもしれませんね、都会と田舎は真逆な世界だからね
家の外に出る場合田舎の家の場合はドアーをあければすぐに外、自然界だからそこには隣家や空き地や土そして鳥や草花や川などの自然があるが。都会ではまず玄関を出て階段を降りエレベーターで一階におりるが、そこもコンクリートとアスファルトであり、隣の家もありません。マンションのお隣りさんとはあまり付き合いはない。
道路やビルを見ても自然や生き物など何もないのだが、田舎では土、草花、野菜、木、隣の家やその庭があり、空もあり、鳥もいる。都会ではわざわざ見るようなものがないのです。スーパーまで行ってそこに売っている品物を観るしかない。人とのふれあいも限定的で人は多いが、そのわりに人との付き合いが少ない。田舎では買い物に行くのも時間がかかるが、でも時間通り目的地に行けるし、無料で待たずに駐車が出来る。
まあとりあえず田舎に住み続けて都会暮らしを見詰め直して欲しい。ある時に巨大地震が起きて家が倒壊した。その日から住む家がない。でも私は一応京都か滋賀のどちらかで住めるのである。そういうようなことを総合的に考えて二拠点生活のメリットに焦点を当ててみたらいかがですか?でもその際に大事なことは、災害に襲われにくい場所。を慎重に選ぶこと、また広くて安全な庭付きの平屋の家をお勧めします。
御近所の駐車場に雑草が茂り特に最近の夏の猛暑で雑草は凄まじい。それでも別荘に時々来られて雑草抜きばかりやるという訳にも行かない。薄い防草シートではすぐに破れるので、最終的に防草シートつき人工芝を敷いて差し上げました
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
履歴:東京台東区育英小学校⇒台東中学校⇒白鷗高等学校⇒東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営
住居:東京浅草猿若町誕生⇒埼玉県川越疎開⇒東京浅草三筋町、夏は藤沢市鵠沼⇒大阪(門真⇒萱島)⇒京都⇒滋賀(長尾⇒田中)
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器(昔のものは省略)
**物事は起きてからではなく起きる前にやる 村上原基人生勉強会**
二拠点生活の勧め、都会暮らしから田舎暮らし、私の体験から
普通に・自然に・ゆったり・安全に・当たり前に暮らそう
先月、久しぶりに京都に1週間と長めに滞在を試みました。そこで改めて感じたことを述べてみます。田舎暮らしの私が、以前も何度か、このブログで、住んでいた京都などの都会の暮らしについて感じた違和感を述べていますが、やはり年齢とともにその感じ方も更に変化している。ちなみに私は東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀と移り住んできた。
昔戦争直後の東京には野原もあった空き地も沢山あった虫も鳥も魚もいた、逆にマンションはなく、多くの木造の家で町はごく穏やかにつつましく暮らしていたが、現在の東京都心はほとんどコンクリートと舗装道路、道路は自動車で埋まっており、人間は一体どこに行ったのかというような景色になっており、ぎゅうぎゅう詰めに高層ビルに押し込められているのだろうか。人間が自由に存在し使える空間が家の中にも外にもほとんどない。私のように田舎に移り住んだ人間からすると、こういう景色は人間の住むのに快適な環境とは到底言えるものではない。
都会ではやたら怪しげな物を次々に作るんですよね、数年後に行ってみると、街並みは凄く変ってしまっている。それに対して田舎は、ほとんど変わらない。
しかしもう一つの不思議は、そういう環境に多くの人が暮らしているというかなり危険な現実だ。普通島に渡ってそこが無人島と思ったら人が住んでいる場合、「えっ、こんな島に人が住んでいるの、嘘だろ」と言うのが普通なのだが、私は都会に対して「えっ、こんな劣悪な環境に人がもの凄く多く住んでいるの、嘘だろ」となるのである。これは、けっして大げさな事でも冗談でもない。私がたまたま30年先を行っているというだけのことに過ぎない。
そして最近そういう私の感覚に気づく人が徐々に都会にも増えてきて、田舎に移り住む人も少しづつだが増えている。セッカチな私が過去にやってきたことが、その20~30年後に多くの人がやるようになるという体験を幾つかしているが、都会暮らしからの脱出もそろそろ現実のステージになりつつある。
老人にとって都会は生きづらい場所。京都の家はマンションでまあまあ広い部屋で、京都は東京や大阪に比べてもましなほうではあるが、その京都でさえも、もう住むには限界に近付いていると思っている。
①家や鉄筋コンクリート住宅が密集し、道路も自動車で一杯
②家に入るとまず玄関が狭い、まあ靴を脱ぐだけの広さしかない
③玄関の横に狭い洗面所、更にそこに洗濯機も置いてある
④トイレも狭く、ドアは座った位置からすぐの場所に迫る狭さだ
⑤風呂は狭く湯舟は足を延ばして入る余裕はなく洗い場も狭い
⑥専用の台所はなく台所と居間一体のリビングダイニング
⑦庭もない。駐車場も借りる。駐車は何処も有料で高額
⑧家の周辺に空き地や緑地はなく、無論田畑もない
⑨散歩は細い路地を歩くしかないが、両側は家でぎっしり
⑩家ではテレビか又は近所のスーパーに買い物に出掛けるだけ
⑪大工仕事や畑仕事やスポーツも家の中では到底無理
⑫日常顔を合わすこともなく、気軽な近所付き合いもない
⑬一日の過ごし方はほぼ家に籠るか買い物か病院か役所へ
⑭自動車の排気ガス、家や人も過密で呼吸する空気は汚い
⑮混雑する場所が多く感染性の病気にかかるリスクが多い
⑯小まめに歩くとか作業・運動する場がなく運動不足になる
⑰他の家の人の暮らしぶりが全く分からない、交流はない
⑱自然がないので、人工的なコンクリートの箱物中心になる
⑲鳥や獣、草花、山野草、果樹との出会いや付き合いがない
⑳都会の人に加えて外人観光客で更に混雑し騒々しい
㉑車での移動も道路が混雑で老人には危ない、安らがない
㉒集合住宅の階下や階上や横の家からの騒音が気になる
㉓過密でウイルス感染リスクが高く、どこでもマスクが離せない
㉔家の周囲の外の景色が一年中変わらない。無機質だ
㉕自然の中の感覚や一体感がない、独房の牢獄同然
㉖コンクリートジャングルという言い方がそのとおり、無機質だ
㉗他人に見られている感じがする他人の目を強く意識してしまう
㉘田舎は一日中とにかく静、都会は一日中煩い、心地悪い
㉙買い物が近くで出来るのでつい買い物に行く買ってしまう
㉚喫茶店や飲食店や飲み屋が多いのでつい行ってしまいがち
㉛お金を出せば何でもやってくれる、手に入る、だから人間が狭い
㉜都会の人々は田舎の私には無関係でつまらん事を好む
㉝都会の人は田舎に住む私にとっては、今や異邦人になった
㉞ひょっとして都会人は長年牢屋暮らしをてきた人達なのか
㉟まあごてごて空虚なことや贅沢やチマチマしたことを仰々しくやりたがる
田舎住まいの今の私にはほとんど興味も関心もない
㊱狭い、人が多過ぎるということが都会に住む人を閉じ込めている
㊲広い庭付きの家の居住が必要だが都会ではそれが許されない
㊳都会には個人の自由がないのだがそれに気づかない人々
㊴都会のマンション等は一体感があるようで気楽な緩い付合いがない
㊵人工的なもの囲まれているのが標準的な居住場所と思込む
㊶田舎と都会を対立的に認識して、二拠点生活は考えない
㊷親自身が田舎暮らしの経験がなく都会の延長としか理解してない
㊸田舎は米・野菜や果樹や牛や鶏が飼われ、都会は食材とも遠い
㊹都会の飲み屋・料理屋・イベントなどが田舎にはほとんどない
㊺田舎は自分に向き合う、自分を観詰める時間やゆとりがある
これ以外にも違和感のあることは沢山あります。それが何かということは貴方が田舎に二拠点生活をして実際に確認するのが重要なんです。バンジージャンプなんです。飛び込まんとそれは分からないのです。飛びこんで思い切って田舎での自由を味わってみることです。でも意外にも貴方は「都会の牢獄に帰りたい」なんて言うかもしれませんね、都会と田舎は真逆な世界だからね
家の外に出る場合田舎の家の場合はドアーをあければすぐに外、自然界だからそこには隣家や空き地や土そして鳥や草花や川などの自然があるが。都会ではまず玄関を出て階段を降りエレベーターで一階におりるが、そこもコンクリートとアスファルトであり、隣の家もありません。マンションのお隣りさんとはあまり付き合いはない。
道路やビルを見ても自然や生き物など何もないのだが、田舎では土、草花、野菜、木、隣の家やその庭があり、空もあり、鳥もいる。都会ではわざわざ見るようなものがないのです。スーパーまで行ってそこに売っている品物を観るしかない。人とのふれあいも限定的で人は多いが、そのわりに人との付き合いが少ない。田舎では買い物に行くのも時間がかかるが、でも時間通り目的地に行けるし、無料で待たずに駐車が出来る。
まあとりあえず田舎に住み続けて都会暮らしを見詰め直して欲しい。ある時に巨大地震が起きて家が倒壊した。その日から住む家がない。でも私は一応京都か滋賀のどちらかで住めるのである。そういうようなことを総合的に考えて二拠点生活のメリットに焦点を当ててみたらいかがですか?でもその際に大事なことは、災害に襲われにくい場所。を慎重に選ぶこと、また広くて安全な庭付きの平屋の家をお勧めします。

御近所の駐車場に雑草が茂り特に最近の夏の猛暑で雑草は凄まじい。それでも別荘に時々来られて雑草抜きばかりやるという訳にも行かない。薄い防草シートではすぐに破れるので、最終的に防草シートつき人工芝を敷いて差し上げました