村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

🌸新年明けましてお目出とうございます🌸

2024-12-31 20:00:07 | お知らせ
🌸新年、明けましてお目出とうございます🌸
今年82歳になり、まあまあどうやら元気です




正直、昭和を牽引してきた我々の時代も終わる
無限距離リレーの一走者に過ぎないことを実感する
あと10年生きられるか、どう生きるか、どちらにしろ
より真剣に生きて行かなくてはならないなと思っている
政治家や経営者や有識者や世間風潮を信じない
騙されたくない、彼らは自分や自党の利益のためだけ
夏の猛暑がいよいよ深刻化し真剣に断熱を徹底した
昨年12月に田舎の家の一部解体リフォームを始め
断捨離も開始しました。まあ捨てる物が出るは出るは
さっぱりして今年は穏やかな春4月を迎えられる予感
毎日すごく楽しく解体・廃棄作業を続けている
日々室内と庭が生き生き命を取り戻そうとしている
今年は京都の暮らしも復活させようと考えている
いつかこの田舎の家も大工道具、卓球のできる
別荘
として売却に出そうと考えている
今年はこうするぞ、変わるぞと言う思いで新年を迎えた
  いつでも珈琲飲みながらトークにもフラッとお越し下さい。
  庭で幅狭の台で卓球もできますよ

 無論人生勉強にも気軽にお越し下さい地図
Honestly, our era that led the Showa era will come to an end.
I realize that I am only one runner in an infinite distance relay.
Whether I can live another 10 years, or how I will live,
I think that I need to live more seriously.
I don't believe in politicians, business people, experts, or the public trend.
I don't want to be deceived, they are only in the interest of themselves and their own party.
The heatwaves of summer have become more serious, so I have seriously insulated my house thoroughly.
Last December, we started to dismantle and renovate part of our country house.
We have also started decluttering.
Well, there are things to throw away,
and it feels refreshing and I have a feeling that this year will be a calm spring April.
We are having a lot of fun dismantling and disposal work every day.
Every day, the interior and garden are coming alive and trying to regain their life.
This year, I am thinking of reviving my life in Kyoto.
I am thinking of selling this country house as a villa where I can use carpentry tools and play table tennis someday.
This year, I welcomed the new year with the feeling that I will do this, that I will change.
★Please drop in anytime for a chat over coffee.
★You can also play table tennis on a narrow table in the garden.
Of course, please feel free to come and learn about life.

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599.人との壁を取り去るには少人数の飲み会を

2024-12-24 12:46:29 | 人間関係
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
**物事は起きてからではなく起きる前にやる 村上原基人生勉強会**

人との壁を取り去るには少人数の飲み会を

81歳の年末一年中365連休の私なので年末もクリスマスも関係ないのだが、歳も押し詰まり12月23日午後外から2人お呼びしてご近所の人3人と同年配の合計5人で、和気あいあい4時間あまりを過ごしました。後半はカラオケで締めました。当初はご近所の親しい3人だけでやるつもりでしたがやや寂しいと、今回は特別に外の人もお誘いしたのです。
事前に食べ物を買ってきて準備するだけ予算は一人1500円程度、お酒は各自持ち込みでやっています(最近私はアサヒゼロ:ノンアル)。普段はやや距離のある人でも、そういう形で家に呼んでゆったり飲み食いをしながら身の上話や昔話や趣味や悩み事の話を交わすのはその人との間にあった壁を一挙に取り去り、ぐーんと近づけることを最近実感しています。
『相手を知り、己を知れば交友関係危うからず』と言いますからね
(敵を知り、己を知れば百戦殆からず)
ゆったりリラックスして一緒の時間を過ごすことで、それまでは何となく分かり難い人であっても、私の場合は、相手の性格や人生観や考え方まで分かり、その後ぐーんと付き合い易くなるような気がしてます。
人数は3~5人までが限界ですね。これ以上多いと全員が打ち解けるまで行かないことになりがちです。この人数だと全員に配慮も出来、全員の話題を取り上げることも容易になります。
私も60歳以前はやや友人が限定的だったのですが山暮らしを始めてから誰とも付き合うようになり、山では、お近所の3~4人で、ほとんど毎日飲み会をやっていましたね。やや壁のある人と親しくなるにはこういう飲み会のようなことを迷わずやるのもいいかもしれませんね。
多人数の会合を何回やっても出席者との距離がいまいち近づかないという場合は、あえて3~5人の会合を別途やることをお勧めします。私はいわゆる会社の職場全員出席の飲み会は反対です、「親睦が目的」とは言うが、あくまで会社の職場の長が主催者で、まあとりあえずみんなで会社の延長で年齢も幅があり、趣味や経験はバラバラ何となくプレッシャーを感じながら畏まってやるので結果的に何も生まれない場合がほとんどで、特に若者には当然不人気です。出席者のバランスを考え、肩書抜き、人数も最大5人で皆が参加できるようなリラックスな雰囲気作りが大事で、今回のように年齢で合わすとか、趣味で合わすとか・・・。例えばあまりに一人相撲をする人が参加する場合は、座が白けますので、事前に少し控えるようにアドバイスしておくことですね。
もし会社の課長がやるのでしたら、3人くらいを招き課長の家に招待して食事会をするなどは素晴らしい課長だと思います。何しろメンバー選定をいい加減にすると、効果が出ないどころかかえってマイナスの結果になってしまい「二度と出たくない飲み会」になりかねません。何のためにやったのか無意味になってしまい、後味の悪いものになってしまいかねません。飲み会と言えども、人選や参加者へのきめ細かい気配りは実はすごく大事なのです。「何となく誰でもよいから人数を集めて、何も考えずとりあえずやる」というのは絶対にやめましょう。人数・誰と誰・目的・会の進め方などをしっかり決めて準備しましょう。
出来れば貴方が冷静であれば場の雰囲気を読んで、気まずい雰囲気はないか、話題が偏ってないか、誰か取り残されてないか・・・など、問題があればすぐに何らかの手を打ってあげることも大事です。誰か一人が盛り上がり過ぎて場が白けてしまわないことにも注意を向けましょう。そういう影ながら会合を制御できる人がいない場合、自分がそれを何となくやってあげることも大事なことです。会合がダラダラ、バラバラ、ガタガタ、ギクシャクしないよう注意しましょう。
あまり難しい話は禁物ですし、個人的な話題も短い時間で打ち切ることが大事です。そして大事なことは場を和ませ、全員が楽しく会話したりカラオケしたりすることが大事です。そして最終終わりを宣言するのも大事なことでついついだらだらと長時間に及ぶのも、参加者は次の予定もあるので気を付けて欲しいですね。そして終わって皆が「楽しかったね」と言う言葉が出ることがその会合の評価になります

新旭卓球大会で見事に準優勝しました、卓球クラブに加わって5年、実力はまだまだですが、どうやら腕前は少しだけ上がっているようです。

卓球は高齢者にすごく良いのを実感していますが、運動が偏ったり、座りっぱなしは、むしろ腰痛や肩こりや身体の衰えの原因と反省し、部屋の内外で無理のない範囲で身体の各部位を適度に一日数回動かすようにもしています。「卓球+運動」が大事ですね
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598.高いものは買わない、大きな節約も大事

2024-12-08 08:35:56 | 経済
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
**物事は起きてからではなく起きる前にやる村上原基人生勉強会**
高いものは買わない、大きな節約が大事
生活を根本から見直すことだ
目先のことばかりだけでなく総合的に考え直すことだ


私は会社ではIEやVEや無駄取り改善や生産管理や環境管理が専門でした。今もあれこれ無駄改善や環境対応をしています。田舎暮らしや平屋の家を選んだことも、その一つですし、家の断熱工事や瓦をガルバリにしたり、大工や野菜作りや草木の剪定や自分の頭の散髪なども全部自分でやっています。自動車でなくバイク、新聞などもかなり以前から購入してません。
物価高で大変と言うのだが物価というのは需要と供給の関係であることはご存じですね。この冬はイチゴやケーキなどが値上がりとか、まあ、あれもこれも値上がりしているらしいが、私は高いものは買わない、安いものは買うというのが基本です。これは困っている業者の応援の意味もあるのです。「皆が買わなければ価格は下がる」のです「無理して高くても買うから物価が勝手に上がる」のです。
私は今年イチゴもケーキも高いものは不必要に買いませんでしたから、別に物価が高いという実感はありません。「物価高をなんとかしろ」そういうことを理由に政治家を選ぶのは間違いです、物価が上がるのは自然の原理なんですから、風邪ひいて熱が出るのと同じことなんです、熱は身体を防御し警告しているんです。多くの人は物価とか不動産価格とか株価とか金属相場とかがなぜ上がるのかを理解していないで、あたかも立派な国民であるがごとく、ひたすら文句ばかり言うのです。私は「政治のせい」にはしません。物価対応は各自自分でやることなんです。物価ということが全く分かっていない、分かっていたとしても各自の実行がともなっていないのです。
現代の暮らしは、江戸時代の徳川家康の何百倍も便利で豊ということも忘れてはなりません。
私は10年前に今の田舎の家を買いましたが50坪の庭・駐車場付きの広い中古平屋が都会人には信じられないほど安価でした。しかも水害や土石流や災害の少ない場所を厳格に選びました。都会は逆に信じられないほど高いですがそんな場所に住むから家のローンや賃貸料や夏の猛暑などで悩むのです。物価が高くなるのは何でも同様です。
工夫も大事ですがチマチマした節約だけではなく、大きな出費にこそ思いきってメスを入れるべきで、7年前から自動車をバイクに変えました。当然遠出もしません。出かけるのは行き先が同じ場合には、友人が同乗させてくれますが、有難いです。保険も火災保険とバイクの強制保険以外は加入してません。『何をいつどう買うか』は大事です。ブラックマンデーなど必要な日常品を安くまとめ買いをするのもお勧めです。私は最近夏の猛暑対策で断熱工事をやり、暖房も灯油ストーブやエアコンは止めてオイルヒーター1台だけ、これで十分温まりますし匂いもなく、換気も必要ありません。、大事なことはまず日常主に暮らす部屋そのものも改善すること、夏は水シャワー等々、光熱・ガス代の節減を図っています。また私は地震に強い平屋を購入したり災害に対する見直しや病気をしないように健康維持のための運動習慣も大事です。災害や病気や事故にあえばかなりダメージが大きいのです。そういう観点で無駄を徹底的に排除することも大事ですね。ちなみに私の電気代や水道代やガス代もびっくりするほど少ないです。旅行や会社の出張も若い時にさんざやってきましたし、今は田舎に住んでいるし、東京の両親も他界しているので東京や観光地に行くことも全くありません。年数回、京都に出掛ける程度のものです。町内の福祉での毎年1回の滋賀県各地の無料ツアーなど、音楽会も高島市主催の無料のものに出る程度。それで全く不満もつらさもありません。※物はやりよう・考えよう

「物価高をどうにかせい」なんて政治のせいにする人が高級な自動車をジャンジャン乗り回し、ペットなんかも飼っていませんか?こういうものは環境にも著しく悪いものだという認識も大事ですね。防災や健康にも全く無頓着だ、政治の責任にする以前に貴方のやるべきことは?

昨年は柚子の不作でしたが今年は大豊作、早速ゆずジャムを作りました。また最近はリンゴジャムも簡単なので作ることが多いです。安くできますし、美味しいですよ

今年は柚子の豊作で昨年は不作で困惑したのが信じられないくらい。田舎では柚子の木は当り前にあちこちに生えている。5時に夕食を食べて元気を取り戻すと、すぐに柚子ジャムの制作にかかった。柚子は小さいが約10個を皮むき繊切りにし、種は袋に入れ、しぼり汁は瓶に保管、本命の皮は砂糖を入れ果汁も少し入れて煮込み仕上げました。リンゴジャムはすごく簡単ですが柚子は皮を繊切りにするのが手間で大変ですが、この苦みがなんとも好きですし健康にも良さそうです。柚子はジャム以外にも半分に切り、果汁は絞りのこった皮は料理やお風呂に入れるのも良し、種は醤油に付けて・・・

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597.「ゆったりした暮らし」をどう取り戻せるのか?

2024-12-03 13:31:32 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

「ゆったりした暮らし」をどう取り戻せるのか?
人は何時までも若くはない、歳相応に少しづつ荷を減らし、趣味を持ち自分だけの時間も楽しむ、ゆったり自分自身を見詰め直す

私は都会暮らしで長年”せっかち”に生きて来た。小学校の通信簿に「貴方は凄くせっかちです。何も逃げませんよ」と先生はやんわりとですが、私のせっかちとその結果何事もぞんざいなことや引っ込み思案を心配してくれていたようです。当然母も心配していたが、その母も私に直させることは出来なかったようです。それでも、81歳、27年の田舎暮らしの末、最近やっとのこと、ゆったり・ゆっくりした生き方を少しづつではあるが得られつつあるのです。
まあ55歳で山暮らしを始めたことは、少なくとも都会に暮らし続けるよりずーっとゆったりした暮らしへと私を導いてくれたはずですが、でも山での一人暮らしの時期であっても、私はずーっと依然頑張り続けてきたように思います。世の中にすごい業績を上げる人が称賛されますが、この人達も成功者ではありますが、所詮はせっかち・いらちで、ある意味偏屈や頑固や気難しい人間的に必しも褒められた人ではないもんなんです。
せっかちでないし、それほど忙しくはないという人でも日本人の多くはどちらかというと特有の百姓根性で勤勉でせっせと働き、動き回るタイプの人が圧倒的に多い。もし若い頃からゆったりしている人がいたとしたらば、そんな人は、よほど優秀な人か又は日本人としては真っ当に生きていけなかったはずなのです。まあ日本人のせっかちさがある意味日本の経済や文化を支えてきたことは間違いないのですが、問題は60歳とか70歳になってもせっかちな病的な性格をきちんと直さないし直せなくてイライラしたり不都合を感じている人達なのだ。豊かな時代もっとゆったり暮らすべきなのです。
私は過剰なせっかちは一種の病気だと思っています。せっかちをきちんとコントロールできうまく活用できている人はおらず、やはりどうしてもあれこれ弊害が出てくるもんなんです。
戦時中に生まれた私は、体力も並み、頭もさほど良くなく、末っ子で、戦後で貧しかったせいもあって若い頃は自信がなく、せっかちでいつも追い立てられるようにセカセカしていた。ごく最近2年前くらいまでその性格は直そうとしていても一向に直らなかった。ところが田舎暮らしを30年続けて、さすが80歳を超える頃から僅かづつではあるが、やっとゆったりすることが実感出来る気配を見せ始めた。その理由はおよそ次の通りです。
①急ぐと転倒や事故など危ない年齢になった
②筋肉も減ったのでよたよた歩きしかできなくなった
③もの忘れがひどく慌てるととんでもないことになる
④忙しい事が減り、田舎ではゆったり過ごせる環境がある
⑤ゆったり・ゆっくりすることを身体が覚え始めて来た
⑥ゆったりするほうが今の自分であっていることがやっと分かって来た。急がしいことの愚かさもやっと分かって来た
⑦長年せっかちを直そうとしてきて、治せる環境や暮らし方を手に入れた
⑧人生勉強会の活動を通じてこの27年、生き方や暮らし方全般を改善してきた


まあいろいろ並べ立てたが、そうしないと説明できないほど80年間も続いた”せっかち”という病気なのです。以上のように理由は、ほとんど年齢によるものではあるが、「なぜそんなに急ぐの?」「急ぐと何か良いことでもあるの?」若い頃は都会自体がせわしなかったので、私もどうしてもせっかちである必要もあったのだろうが、現在田舎暮らしの81歳の私にとっては、そろそろ急ぐ意味がなくなって来ていることは事実で、急げば何か儲かるとか、最早自分の成長になることはない。すなわちいくら何でも、もうそろそろ”ゆっくり・ゆったり”で暮らすほうがずーっと望ましいようになってきたのである。出来れば70歳くらいにそういうことに気づくべきであったのだが、遅まきながらやっと80歳で気づき出したということである。
いちど”せっかちや急ぐ”をきちんと断捨離すべきなのだ
何故かと言うと最近の私がゆったりしてきて、おかげでストレスが減り日々楽しく生き生き元気で暮らせるよう実感しているからだ。私は55歳で滋賀の現在の田舎に移り住んだし、それ以来田舎で更にいろいろな趣味を体験し、身に着けられて来た。

①田舎に移り住んで自然で自由なゆとりのある環境を得た事
②趣味を増やした事
が、やっとのこと”ゆったりに回帰した”大事な鍵
なのだと思っている。

もし私が都会のマンションに住み続けて、趣味も少ないまま狭いマンションの一室で「毎日何かやろうと焦り藻掻く毎日が続いていただろう」、ゆったりとかゆっくりを永遠に味わうことはなく、それこそ「死ぬまでセカセカしていた」と思っている。それが今はいろいろな趣味があり、また田舎の自然と広々とした環境で、自由に出来ることが気持ちを緩やかにしてくれていると確信している。昭和20年代の東京暮らしの時代にも田舎並みのかなりの自由さがあったのだが、今の都会では全く存在しない。
山や田舎住まいの私の趣味の中には大工とか野菜つくりとか雑草抜きとか町内の清掃とか「それが趣味か?」と疑うようなものも含むことが普通の都会人とは違う点です。都会の人の趣味はお金をかけ立派なお道具が必要なんてものが趣味のように聞こえますが田舎ではありとあらゆる作業みたいなものを自然の野原でやることですら立派な趣味なんです。都会では庭いじりとか草木の剪定とか雑草抜きとか大工仕事なんてやりたくても場所もないし騒音を出せないのでそんなことが趣味だなった言う人は少ないと思う。しかし身近な自然に向き合い、やる作業はゆったりに一番ぴったり当てはまるものだと思います。
私のような田舎で暇な老人に「本日はお忙しいのにわざわざお越し頂いて恐縮です」なんて社交辞令な言葉を言われるが、「俺はあくせく働くほど忙しくはない、忙しいのではとは失礼な」と最近はこういう社交辞令にさえ違和感を覚えるのである。日本人にとっては、「忙しい人=立派な人」なのである。私としては、忙しくてもゆったり出来る人間でありたいと思う。日本人の多くは、まだ暇をじっくり味わい・楽しめる域には到達出来ていないのであり、なんせ、せわしなく動き回る水準なのである。
私以外の多くの人は、私のように二つの鍵を得られていなかったし、忙しい事を目指し続けているのではないかとも思うのです。そういう人は高齢になっても、なかなかゆとりの生き方を取り戻すことは難しいように思います。結果的に「死ぬまでせっかちが直らず、永遠にゆったりを知らない人」となるのです。
環境を大きく変えること、ゆったりとした自然の環境に思い切って入りこみ、そこでいろいろな趣味に目覚めることが大事なんだと私は思っています。過密で高層ビルが立ち並び、なんだかんだと種々雑多なもので埋め尽くされている都会暮らしとか、身近に出来る趣味の少ない人は、「ゆったり」という境地に達することは容易ではないように思われます。昔は都会で毎日いつも何かに追われていたが、今私は少なくとも毎日追われているという感覚は全くない、81歳で田舎住まい、暇だらけで趣味は多い、追われないのは当然と言えば当然なんでしょうが、それでもそう簡単に得られる境地ではなかったように思っている。
ゆったりするとはどういうことかをよくよく考えてみる事ですが、多くの人は「ゆったり」なんて暮らしをしていないので、「ゆったりとは何か」なんて全く分からないままなのです。
私が最近思うゆったりとは、つぎのようなもので、こういうものは年とともに備わって来るものだと思っています。
①ビルが少なく川や山など自然豊かな地域で
②騒音がなく静か、落ち着きのある場所
③過密で人は少ない、人も自動車もあまりいない
④空気や景色がきれい
⑤一戸建て、家や庭や空き地が広い
⑥趣味をやる環境や場所が身近にある
⑦趣味が多く日替わりでも趣味を楽しめる
⑧近所の人も穏やかせかせかしていない
⑨自然自体も遊びの場となる
⑩時間がゆっくり流れる環境に15年以上暮らし続け、慣れる
⑪つまらんことに拘らない
⑫病気・災害・事故などを予防し、準備し備える
⑬十分の暇があり、かつその暇を楽しく使える
⑭忙しく自分を追い込まない、追われない
⑮自分を捨てきる

私なりの考えでは、自由な環境や自由な心境や自由な日々を増やすことだ、都会は自由であるかのような錯覚をしているが全くそうではない。元55年間都会暮らしだった私が田舎に27年住むと田舎の自由さが分かって来たように、日本を訪れる外国人が日本の都会より田舎を好むようになるのはまさに田舎には自由さや優しさやゆったりさやある意味の土地の歴史を感じるからだろう。
都会はあれこれ目の前の欲望を満たしてはくれるがその一方で元来あったはずの自由が奪われている。都会の場合欲望とはまさしくどくどくした欲望であって、田舎に住む私の場合はもっと素朴で自然なものに感じる。自然や自由を失って目先の欲望を必死に負い続けているのが都会人なのだと思う。例えば私は超高層マンションなんかに住みたいとは思わない、贅沢な自動車なんかも要らない、派手な流行の最先端の恰好をしようなどとも思わない。都会の人の趣味はセカセカしたもの闘争的なもの恰好良くしたいものが多いのは事実で、どちらかというと流行や風潮に振り回されたものである。
都会では老人達も僅かでも若者とも競っている、「自分はまだ若いの、恰好良いの、まだまだ負けない」なんて雰囲気があるように思えてならない。力みがある、見かけを気にかけ、何か意味ありげなギラつく老人が多い。私でさえも京都に帰ると、私自身も僅かでも都会人に戻ろうとする気分が出てしまうのであるから。
過密な都会、物やサービスの価格の高い都会では当然のこと、田舎は過疎というとダメな地域と思われがちであるが、都会だって昔は田舎同様に過疎だったのだ、それをあれこれぎっしり詰め込み続けるとあーなるのだ「田舎の成れの果て」に過ぎない。田舎は、しっかりとそうならずに維持出来ていると思えばよいのだ。私が田舎が過疎で滅ぶなんて考え方は全くないし、田舎の将来を心配などしていない、あくまでも自然が存在し続けるだけだから。むしろ都会こそ過密で滅びかねないとかなり以前からひどく心配し続けて来た。田舎は現在も将来も自然であり自由であり続ける、他方、無制限にあれこれ持ち込み過ぎている都会は気が張り詰め、自由度がどんどん減っている。そんなところで「ゆったりせよ」と言うのが無理なんでしょう。
すごくゆったりしています


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