<マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 村上原基
●努力して真剣に生きているが、どうやっても上手く行かない人はお越し下さい
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒
東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町
*****************************
テーマ:新型コロナウイルスは自然からの警告だ
53歳でロームを突然むりやり退職させられ、妻が他界し、コンサルタントに
全く偶然だが滋賀県の安曇川の山中にログハウスを1100万円の
大金で購入し住み始めた、貧乏人が何とも思い切ったもんだ!
山に移り住む格別な事情や必要性などはなかった
たまたまだったが、でも今思うと、
お陰様で、その頃から私の生き方は良い方向に変わったように思う
それからすでに24年間私は滋賀県の寂しい町で一人ひっそり暮らしている
東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀 松下電器⇒零細企業⇒ローム⇒コンサル
という経過を経て今の暮らしは、人が少ない、店も施設もあまりない、
畑や自然だけ、自動車も少ない、静かな田舎町,いわゆるつまらん町(?)
京都のような大都会から真逆な自然優位な町の暮らしへと大きく舵を切った
そこに今年突如として、新型コロナウイルスが起きた
何と私は、結果的にコロナウイルス対策を24年間かけてやってきた
事に気づいた。幸いにも今年ウイルス感染に関係ない暮らしが出来た
まあ偶然山や田舎暮らしにはまった私への単なるオマケなんでしょうが
当然、私は新型コロナウイルス対策を目指していたのではない
あくまで偶然、ひとめ惚れの乙女のような気分で田舎に移り住み
その結果に過ぎない
そして山暮らし以降私は、山や田舎暮らしに深くはまったのは確か
参考までに言うと、
人口過密な町に住むのは、大きなリスクだとも分かったが
何故か人は多くの人の住む場所へ場所へと好んで移り住む
そうして大都会はますます加速度的にリスクが肥大化していく
止まることを知らない悪化状況を観るにつけ、私には、愚かしいと言うほかない
でも都会人にそんな危機意識は全くない
注意すべきことを敢えて言えば
田舎暮らし=見晴らしの良い場所の夢のような暮らしではない
実際に私の田舎暮らしはごく質素で平凡なものである
当時から、元都会暮らしの私の心に人生観が根付き始めたのだと思う
今思うことは世の中変わった、大きく変わりつつあるという感慨だ
急速に今まで通りの生き方を漫然と続けられない時代になっている
生き方・暮らし方の断捨離
私は正直言って、都会暮らしを捨てて欲しい
都会暮らし(限界都市)のマイナス面を参考までに少しだけだが上げておく
・身体を使わなくて済む暮らし方で体力や抵抗力が弱まる
・都会は田舎より酸素濃度が低い
・強い有害電波が多く飛び交っている
・自動車や工場が多く有害ガス有害物質が多い
・飲料水や大気の汚染がひどい
・温暖化や。気候変動で外来生物や動物の都市流入が増える
・常に騒音や振動に曝されている
・サイクリングやバイク運転をしてもよいが事故の危険が高い
・エアコンや廃熱や高層ビルによるヒートアイランド現象
・都会型の集中豪雨が起き、排水不能に陥る
・インフラが老朽化しすごい費用がかかるので修繕がおいつかない
・夏の水不足が起きやすいが対応が困難
・何らかの広範囲な大事故でも起きると機能回復に時間がかかる
・空き家が増加するとその処置対応が難しくなる
・人が多く過度に気にすること、自分の存在が小さく感じる
・他人の目を気にし過ぎる
・頭の良い人や金持ちや立派な人に囲まれ息苦しい
・電車バスや店での混雑による身体や精神の疲労
・庭や空地や森林がなく自由な作業が制限される
・騒音や振動を勝手に出せない
・狭い空間で、いつも何か我慢をしている
・競争意識が働き、見栄をはる
・家や土地の価格が高い
・家や教育のローン、物価高で意外に貧乏暮らし
・無駄使いや贅沢によって田舎より金使いが荒い
・飲食が外食が多く無駄使いする
・自動車を持っていても駐車場が少なく簡単に乗れない
・交通費・光熱費・通信費が多くかかる
・都会は田舎に比べて広いので移動時間がかかる
・ラッシュアワーはつらい
・もし財政破綻すると公共サービスの低下が深刻になる
・固定資産税が高い
・電車事故が多く、頻繁に電車が遅れる
・わざわざ田舎にでかける
・ウイルスや病原菌が蔓延しやすい
・今後高齢化少子化で一番被害が大きいのは都会、田舎はさほどでもない
・人口減少に伴い財政逼迫が加速度的に進む、物価高も進む
・巨大災害や大停電が起きると対応が困難で大混乱する
私はまだ出せるが、少し考えただけでも、これだけあるのにまだ都会ですか?
スモールタウン・スモール人口・スモール施設・スモール公共物がベストなのだ
大きいことは良いことだ、多いことは良いことだ、便利なことは良いことだは、過去の事
今やここ安曇川を含め高島市は人口減少してはいるが、元々の滋賀県の人は減り
大阪京都の県外者の人は増えている、子供さんが働きに都会に出ているからだ
経済成長期の東京のように安曇川も都会の人が多く住む町になりつつあるのだ
もう10年もすれば、安曇川もすっかり田舎好きな都会人町になるのは目に見えている
私の住む町の田中竹の里区周辺でもすでにその状況が出現しているのだから
昔「チェンジ」と言ったアメリカの大統領がいたが大して変わらなかった
むしろ皮肉にも世界情勢や社会の状況はますます悪くなった
チェンジと言えば、指導層の質が低下し、堕落・無能さばかりが進んでしまった
私は偶然そういう社会や環境や災害の変化を先読みしていたと思う
そんな能力が私にあったとは思わないが、そもそもその原点は
10年目に大企業をエイヤーと捨ててしまったあの忌まわしき事件に
あったように思う。私の人生は、全てはあの時に大きく変わった
あの時大企業に定年まで嫌々勤めていたら、こんな人生には
ならなかったと思う、そういう意味では大企業よありがとうだ
大きなものを捨てるというのも時としては男一匹必要なのだ
元々人は本来無一物、捨てられないほどの物は持ってない
「本来無一物」もともと無いものを、有るとか大事とか思い込む
ことが基本的に間違っているという認識が大事だ
さすが高齢になるとそういう思い切った決断は出来なくなる
やれ不便、身内や友人がいなくなる、大病院がない、つまらん・・・
私に言わせれば
そんなつまらん事の逆の事が全て、田舎住まいの大きな素晴らしさだが
こういう事は20年くらい実際に住み続けないと分からないかもしれない
隣近所に数人75~85歳くらいの高齢者が最近他県から引っ越して
来ているが、興味深いことは、
その人達も若い時の思い切った変身を沢山やってきた体験者なのだ
ところで滋賀県は周辺の県からやや馬鹿にされているが
滋賀県湖西は、とにかく地味・堅実・真面目・倹約・謙虚・素朴・穏やかでゆったりする
滋賀を馬鹿にしている大阪や京都の人が別荘や移り住む人や遊びに来る人も多い
ちなみに京都はきつい、よそ者はあんなきついところにはよう住まん
地味なようで派手、よそ者排除・頑固・きつい・陰湿・いざとなると怖い・影で噂する
気悪くせんといてや、本当の事やさかい すんまへーん! でも京都は良い所も沢山あるし
やはり人生というのは我が筋道あり、自分の進むべき方向を定め、
我が進むべき道を切り開いて、進み続ける勇気と決断・実行がいる
私としては、「新型コロナウイルス様ありがとうございます」である
人間はますます傲慢・横柄になっている「人間よ反省せよ、改めよ」
という自然からの警告だと思っている
もしこんな事でもなかったら「良いわ・良いわ」でこの世は深刻な
崩壊・破滅に突き進んでしまうだろうと思う
政治家のせいにする前に自分の生き方を猛反省すべきだと思っている
我が書斎10畳の部屋を冬は6畳に仕切り、断熱し、厚着し、机の周辺を仕切りで囲い
オイルヒーターだけで暖房している。そして今はシーツをかけているがかなり暖かい
会社以来無駄取りの専門家の私だが、暮らしでも光熱費その他経費はかなり少ない
無駄への依存はあかん。滴水禅師を御存じですか、無駄を厳しく戒めた禅僧
家の外から帰ると多くの人が防寒コートを脱ぐがそれはおかしい間違っている
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 村上原基
●努力して真剣に生きているが、どうやっても上手く行かない人はお越し下さい
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒
東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町
*****************************
テーマ:新型コロナウイルスは自然からの警告だ
53歳でロームを突然むりやり退職させられ、妻が他界し、コンサルタントに
全く偶然だが滋賀県の安曇川の山中にログハウスを1100万円の
大金で購入し住み始めた、貧乏人が何とも思い切ったもんだ!
山に移り住む格別な事情や必要性などはなかった
たまたまだったが、でも今思うと、
お陰様で、その頃から私の生き方は良い方向に変わったように思う
それからすでに24年間私は滋賀県の寂しい町で一人ひっそり暮らしている
東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀 松下電器⇒零細企業⇒ローム⇒コンサル
という経過を経て今の暮らしは、人が少ない、店も施設もあまりない、
畑や自然だけ、自動車も少ない、静かな田舎町,いわゆるつまらん町(?)
京都のような大都会から真逆な自然優位な町の暮らしへと大きく舵を切った
そこに今年突如として、新型コロナウイルスが起きた
何と私は、結果的にコロナウイルス対策を24年間かけてやってきた
事に気づいた。幸いにも今年ウイルス感染に関係ない暮らしが出来た
まあ偶然山や田舎暮らしにはまった私への単なるオマケなんでしょうが
当然、私は新型コロナウイルス対策を目指していたのではない
あくまで偶然、ひとめ惚れの乙女のような気分で田舎に移り住み
その結果に過ぎない
そして山暮らし以降私は、山や田舎暮らしに深くはまったのは確か
参考までに言うと、
人口過密な町に住むのは、大きなリスクだとも分かったが
何故か人は多くの人の住む場所へ場所へと好んで移り住む
そうして大都会はますます加速度的にリスクが肥大化していく
止まることを知らない悪化状況を観るにつけ、私には、愚かしいと言うほかない
でも都会人にそんな危機意識は全くない
注意すべきことを敢えて言えば
田舎暮らし=見晴らしの良い場所の夢のような暮らしではない
実際に私の田舎暮らしはごく質素で平凡なものである
当時から、元都会暮らしの私の心に人生観が根付き始めたのだと思う
今思うことは世の中変わった、大きく変わりつつあるという感慨だ
急速に今まで通りの生き方を漫然と続けられない時代になっている
生き方・暮らし方の断捨離
私は正直言って、都会暮らしを捨てて欲しい
都会暮らし(限界都市)のマイナス面を参考までに少しだけだが上げておく
・身体を使わなくて済む暮らし方で体力や抵抗力が弱まる
・都会は田舎より酸素濃度が低い
・強い有害電波が多く飛び交っている
・自動車や工場が多く有害ガス有害物質が多い
・飲料水や大気の汚染がひどい
・温暖化や。気候変動で外来生物や動物の都市流入が増える
・常に騒音や振動に曝されている
・サイクリングやバイク運転をしてもよいが事故の危険が高い
・エアコンや廃熱や高層ビルによるヒートアイランド現象
・都会型の集中豪雨が起き、排水不能に陥る
・インフラが老朽化しすごい費用がかかるので修繕がおいつかない
・夏の水不足が起きやすいが対応が困難
・何らかの広範囲な大事故でも起きると機能回復に時間がかかる
・空き家が増加するとその処置対応が難しくなる
・人が多く過度に気にすること、自分の存在が小さく感じる
・他人の目を気にし過ぎる
・頭の良い人や金持ちや立派な人に囲まれ息苦しい
・電車バスや店での混雑による身体や精神の疲労
・庭や空地や森林がなく自由な作業が制限される
・騒音や振動を勝手に出せない
・狭い空間で、いつも何か我慢をしている
・競争意識が働き、見栄をはる
・家や土地の価格が高い
・家や教育のローン、物価高で意外に貧乏暮らし
・無駄使いや贅沢によって田舎より金使いが荒い
・飲食が外食が多く無駄使いする
・自動車を持っていても駐車場が少なく簡単に乗れない
・交通費・光熱費・通信費が多くかかる
・都会は田舎に比べて広いので移動時間がかかる
・ラッシュアワーはつらい
・もし財政破綻すると公共サービスの低下が深刻になる
・固定資産税が高い
・電車事故が多く、頻繁に電車が遅れる
・わざわざ田舎にでかける
・ウイルスや病原菌が蔓延しやすい
・今後高齢化少子化で一番被害が大きいのは都会、田舎はさほどでもない
・人口減少に伴い財政逼迫が加速度的に進む、物価高も進む
・巨大災害や大停電が起きると対応が困難で大混乱する
私はまだ出せるが、少し考えただけでも、これだけあるのにまだ都会ですか?
スモールタウン・スモール人口・スモール施設・スモール公共物がベストなのだ
大きいことは良いことだ、多いことは良いことだ、便利なことは良いことだは、過去の事
今やここ安曇川を含め高島市は人口減少してはいるが、元々の滋賀県の人は減り
大阪京都の県外者の人は増えている、子供さんが働きに都会に出ているからだ
経済成長期の東京のように安曇川も都会の人が多く住む町になりつつあるのだ
もう10年もすれば、安曇川もすっかり田舎好きな都会人町になるのは目に見えている
私の住む町の田中竹の里区周辺でもすでにその状況が出現しているのだから
昔「チェンジ」と言ったアメリカの大統領がいたが大して変わらなかった
むしろ皮肉にも世界情勢や社会の状況はますます悪くなった
チェンジと言えば、指導層の質が低下し、堕落・無能さばかりが進んでしまった
私は偶然そういう社会や環境や災害の変化を先読みしていたと思う
そんな能力が私にあったとは思わないが、そもそもその原点は
10年目に大企業をエイヤーと捨ててしまったあの忌まわしき事件に
あったように思う。私の人生は、全てはあの時に大きく変わった
あの時大企業に定年まで嫌々勤めていたら、こんな人生には
ならなかったと思う、そういう意味では大企業よありがとうだ
大きなものを捨てるというのも時としては男一匹必要なのだ
元々人は本来無一物、捨てられないほどの物は持ってない
「本来無一物」もともと無いものを、有るとか大事とか思い込む
ことが基本的に間違っているという認識が大事だ
さすが高齢になるとそういう思い切った決断は出来なくなる
やれ不便、身内や友人がいなくなる、大病院がない、つまらん・・・
私に言わせれば
そんなつまらん事の逆の事が全て、田舎住まいの大きな素晴らしさだが
こういう事は20年くらい実際に住み続けないと分からないかもしれない
隣近所に数人75~85歳くらいの高齢者が最近他県から引っ越して
来ているが、興味深いことは、
その人達も若い時の思い切った変身を沢山やってきた体験者なのだ
ところで滋賀県は周辺の県からやや馬鹿にされているが
滋賀県湖西は、とにかく地味・堅実・真面目・倹約・謙虚・素朴・穏やかでゆったりする
滋賀を馬鹿にしている大阪や京都の人が別荘や移り住む人や遊びに来る人も多い
ちなみに京都はきつい、よそ者はあんなきついところにはよう住まん
地味なようで派手、よそ者排除・頑固・きつい・陰湿・いざとなると怖い・影で噂する
気悪くせんといてや、本当の事やさかい すんまへーん! でも京都は良い所も沢山あるし
やはり人生というのは我が筋道あり、自分の進むべき方向を定め、
我が進むべき道を切り開いて、進み続ける勇気と決断・実行がいる
私としては、「新型コロナウイルス様ありがとうございます」である
人間はますます傲慢・横柄になっている「人間よ反省せよ、改めよ」
という自然からの警告だと思っている
もしこんな事でもなかったら「良いわ・良いわ」でこの世は深刻な
崩壊・破滅に突き進んでしまうだろうと思う
政治家のせいにする前に自分の生き方を猛反省すべきだと思っている
我が書斎10畳の部屋を冬は6畳に仕切り、断熱し、厚着し、机の周辺を仕切りで囲い
オイルヒーターだけで暖房している。そして今はシーツをかけているがかなり暖かい
会社以来無駄取りの専門家の私だが、暮らしでも光熱費その他経費はかなり少ない
無駄への依存はあかん。滴水禅師を御存じですか、無駄を厳しく戒めた禅僧
家の外から帰ると多くの人が防寒コートを脱ぐがそれはおかしい間違っている