村上和隆
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
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村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
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関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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「幸福になりたい」
「幸福にします」
「幸福です」
「娘を幸福にしてやって下さい」
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さてそういう人を見ると、一体全体幸福とは何かを知っているのか首をかしげます
実を言うと幸福について漠然としていて、自分としての定義ができていないのです
・不幸でなく平穏なこと
・暮らしに困らずゆとりがあること
・楽しみや喜びが沢山あること
・楽をすること
・災難や苦しみがなく豊なこと
・お金持ちで贅沢に暮らすこと
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そんな程度にしか考えていないはずです
そういう安易な考えの人は、病気や事業の失敗や災害に見舞われ考えは一変します
当たり前に、普通に、最低限の暮らしができれば幸福だなんて考えが変わるのです
すなわち幸福の定義がしっかり決まっていないで状況により、大きくぶれるのです
時々の状況によって変わる幸福の定義では、本物の幸福を求めることすらできません
嘘の幸福を求め、誤魔化しの幸福を手に入れてしまいます。それこそ不幸です
現実に富・名声・地位・健康を得た瞬間から、むしろ不幸になっていく人は沢山います
また幸福というと不幸・災難・苦とは真反対のことと考える人も多いのです
これこそが大きな間違いの元であり、永遠に幸福を手にすることが出来ない理由です
むしろ不幸・災難・苦というものが来ても平然としていることこそが幸福の姿なんです
戦国武将の山中鹿之助のように
「願わくは、我に艱難辛苦を与えたまえ」というのが正しい幸福追求の姿です
まあ山中鹿之助が、はたして幸福を実感したかは、疑問ではありますがね?
他人が羨むような幸福そうな人は、むしろ幸福という服や化粧を纏っているに過ぎません
幸福を手に入れた人の多くは幸福という幻想・幻影を手にしたに過ぎないのです
それが証拠には、幸福を手に入れたのに拘わらず、更なる幸福を求めるのです
肥え溜めに浸かって「いい湯だ」と言っている人のようなものなんです
見せかけの偽者の幸福を求める人とは、肥溜めの風呂を求めている人なんです
不幸・災難・苦を遠ざけるのが幸福ではないのです。
もしろ全くその逆なんですが、不幸・災難・苦があることのほうが幸福に近いのです
ここを間違えばいつまで経っても、その人には不幸・災難・苦しかやってきません
いつまで経っても、その不幸・災難・苦から逃げ出そうとすることに汲々とするのです
不幸・災難・苦にどっぷり浸かり・がっぷり四つで組み合って打ち負かすべきなんです
何度も不幸・災難・苦にぶちあたってそれでも打ち勝つ時に本物の幸福がやって来ます
現代の豊かさを享受し過ぎた若者は、不幸・災難・苦を味わった経験がないのです
ひたすら見かけの幸福を求めるあまり、不幸・災難・苦に打ち負かされてしまうのです
勘違いしてはならないことは、
幸福とは不幸・災難・苦と中の良い友達・深い友だちになることなんです
「幸福に見えることが幸福”という考えを根本から捨てることです
むしろ、どうみても不幸に見えることが幸福の真の姿です
どうみても不幸に見えるが実は幸福であるというのが幸福の真の姿です
「幸福に見えること”は多くの場合、幻想・幻影です
幸福を求めるということがすでに幸福ではないのです
幸福を意識しない・幸福を求めないのに明るく生き生きしている事が幸福なのでしょう