村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

522.手あたり次第当たり前の趣味を沢山持て

2021-12-11 10:54:56 | 趣味
マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます  村上原基
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 

●努力し真剣に生きても、どうしても上手く行かない人お越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」人は自然に沿え
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)

村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog      地図

「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:手あたり次第当たり前の趣味を沢山持て

東京生まれ24歳で大阪・京都、55歳で滋賀県の山暮らしを始めた
山に20年暮らし、次々に色々な作業や技能を必要に応じて習得
してきた。というのも山暮らしでは何でも自分でやらないとかなり
暮らし難いので必然的に何でも自分でやることが習慣になる
でも一般的に都会人がこういうことをやるのはひどく難しい

大工・水道配管・庭つくり、山菜とり、鮎釣り、卓球・水彩画・山暮らし
木の伐採剪定・野菜つくり・サイクリング・温泉・焚火・焼き芋・散髪
バーベキュー・山歩き・雪かき・虫捕獲・バイオトイレ・タケノコ・・・
細かく言えばもっと沢山手あたり次第やってきたが省略する
散髪なんか自分でやっている。床屋なんかにお金払ったことはない

都会暮らしの人では、こんな田舎じみたことは一生やらないだろう
自立していない、もっとも今や田舎の若者も都会的になり過ぎている
から、何かをするために他人にやってもらうが当り前にになっている
山や田舎で当然自分でやることが今の若者はしないで済ましてしまう
 そういう観点からすると
これからの人は、田舎か都会かどちら暮らしを選ぶか、決断を迫ら
れるが、ほとんどの人があまり考えもせず相変わらず都会を安易に
選んでしまうのだろう

東京に生まれ育つたが疎開をはじめ、おばあちゃんが鵠沼に家があり
そこに頻繁に出かけ生活したし、千葉や茨木の田舎に遊ぶことが多か
ったし、戦後は東京自体が焼け野原だったことが田舎暮らしを選んだ
理由だが、今後田舎暮らしを選ぶ人はなかなか壁が高いと思う

72歳で山を下り田舎町に引っ越して来たが、山暮らしを20年も
やって来ると田舎町が限界集落と言えども山に比べると人は多い
最近この田舎町でも色々な事情で空き家が発生し、そこに今はやりの
田舎暮らししたいと、都会の若い人が入って来るが、20年前に私が
山に来た頃より更に一段とほとんど絶望的に何も出来ない人達なのだ

古典的手作業や田舎的肉体作業はした経験もなく、したくもないらしい
本来は、かつての私のように他人を見様見真似、独学でレベルアップ
して欲しいが、そんな気は毛頭ないし期待できそうもない
都会から田舎に移り住む人の中には私のような人はいるにはいるが
まあこの田舎町の田中竹の里には、大工に剪定に刃物研ぎ・・・
ほぼ何でも出来るお爺さんの私がいるということは珍しいのだ

多くの人がやらない、やれない事をやってあげる、頼られるのも快感だ
新型コロナウイルス以降、大工も剪定も今や都会の人も始め出したが
大工は田舎が本場で、小屋が建てられることが最低限のレベルだし
どんな問題にも即時対応し、臨機応変な造作が出来るには年月を要する
 「都会の素人大工なんかには簡単に追い越されない」
 「田舎の家の周辺には沢山の題材が溢れており経験量が違う」

今年始めた刃物研ぎもやると奥が深い、次々にいろいろな砥石を買う
ことになった。何しろ研げば確実に刃物は美しく、するどく磨かれる
でも最近は刃物研ぎしてくれる人や店が近所にないためか
「家で実際に使っている刃物は、とても刃物なんかじゃない」
石器時代の石斧に近い切れ味がかなり悪いもので切っている

木の伐採と剪定も近所の家で次々に手あたり次第やっている。全くの
独学だから、正直最初の頃はひどくお粗末で、いい加減だった
最近「剪定は村上さんに」ということで、これまた確実に一段づつ腕前を
上げている。思い出すと経営コンサルタントも当初はそんなものだった
最近砥石と今迄使ったことがない刃物が増えて、毎日新しい道具を買う

最近10月に独学で始めたのが24式太極拳、これはある程度習得する
までに3か月を要したが、私にとっては素晴らしい出会いとなった
なぜこんな素晴らしいものを79年間もやらなかったのだろうかと反省

今では毎日5回はやっている。つまずきやつらい時期もあったが、何とか
こらえて続けて今では、毎日やらないではいられない楽しい重要な日課
に定着している。効果はいろいろ言われているが、私にも僅かながらその
兆候が観えて来た。これも多分殆どの人が一生やらないだろう
なぜならばラジオ体操如きに比べて、独学では最初かなり大変なのだ
ラジオ体操は今や、やる気がしない、大まかで雑だし必しも健康的に良く
ないと今は思っている。太極拳は実に良く考えられ合理的で心地良い

更に話が飛ぶが
2年前に始めた卓球もその後クラブで練習し、腕前は上達したが
先日、町の小さな卓球大会を観戦してきた、約1時間観戦しただけで
1~2つの新しい技を見つけた、上手になるにつれ、観て盗めることも
出て来る。観て盗めるというのは人生にとって非常に価値がある

都会に住むと、人が多く賑やか、店が多い、便利とか、楽しいとか言うが、
それ本当なのか?
田舎暮らしの私に言わすと今や都会の人と何かしようなんて考える
ことはない。正直言わせてもらえば「都会人は面白くない、退屈だ」

私の子供達は「田舎は嫌い」「つまらん」「退屈」なんて全く田舎に来ない
もっとも来てもらっても、ごろごろするだけなので私が困るだけ
下手に都会の子供が来るとどう扱うべきかてんでわからなくお手上げ
今はそんな時代になってしまったのだが、新型コロナウイルスのおかげで
少しは田舎に引っ越そうとする人が出てきたのが「災い転じて福となす」
コロナ様様だ
でも都会の人の多くが「趣味はテレビ・外食・買い物・スポーツ観戦・・・」

73歳~74歳で当初水彩画も嫌々やったが、完全に埋もれていた我が
才能を掘り起こせて嬉しかった。絵も案外描ける、高尚な新しい趣味
ゲットで、またまた趣味が増え人生に厚みが増しててきたというものだ

また74歳から近所の人に近くの川で鮎釣りをしたが、鮎釣りなんか
とんでもなく難しいと思っていたが、なんとも簡単で、今や毎年10分
くらいの近所の河で夏場はアユ釣りをし、家で鮎の天ぷらでワイワイ
ビールを楽しんでいる。金もかからず、何とも優雅である
おとりでの鮎釣りなんかすごい立派に見えるがサビキで小鮎をとれば
安い竿一本で行けるのだ

大工は山暮らし時代に始めたが今や道具も一式そろい、毎日大工を
しない日はないくらい馴染んでおり、今や大工が我が日課となっている

大工の技術もさることながら、頭を使い知恵を出す能力もアップした
設計図なしでほとんどの物は自分で修理したり造っている
おかげで欲しいものは何でも自分で造れるし、大工費用・修繕費用は
かなり節約出来ている。大工に頼む場合の1/3~1/10くらいで済む

大工を自分でやれないなんて、不器用でダメ男・馬鹿男・つまらん男だ
多分知恵も働かない頼りない、魅力のない男だと推察する
よく都会であるのがマッチョなんてやつだがあれは自己満足に過ぎない
欧米人は大工を当然のようにやるらしいが日本の都会の家は大工を
やるには狭いから無理もないが
都会で絶望的、都会では出来ない趣味が田舎では簡単に出来てしまう
プロスポーツ観戦とか熱狂的ファンなんてのもくだらない都会的な趣味だ

それ以外に私はスポーツもほとんどやって来たし、家事も文章書きや
人生論も一人床屋も会話もパソコンもホームページやブログも
専門では経営や管理や無駄取り改善もISO14001や環境問題も
また禅宗や資産運用、・・・あれこれ出来る男の一人だと思っている
そういう厚い経験や趣味によって私の思考や意見表明も支えられている
趣味が多く身体や頭を一日動かし続ける人に認知症は関係ない

自分が生きて行くために最低限必要なものが当たり前にやれない男は
すなわちつまらん男でしかない
。当たり前に出来て、その上で都会暮らし
しているなら別だが
私の知る範囲では、ひろみ・所ジョージ・森泉・高木美保・工藤夕貴という
ところだが、私にしてみれば、このクラスでも、ごく普通のレベルに過ぎない

普段偉そうなこと言っていて「なんやかんや立派なこと言う」男が
いざやらしてみたら、何も出来やしない
、例えば水彩画や卓球や料理や
家事なんかは、都会暮らしでも出来るようにしておかないと「ゴミ」だ

ところで趣味はレベルはどうでもよい、やってみて面白ければどんどん深く
入ったらいいし、オリンピック選手やプロスポーツじゃないんだから
一番になろうとすることはない、趣味なんてそこそこ出来れば一ちょ上がり

と考えればよい、あれもこれも手あたり次第やってみることを勧める
優勝とかメダルなんか取ろうなんて絶対に考えないことだ。そんな事では、
商売根性になって、趣味どころではなくなり、つらいものになってしまう

ところで最後に英会話だが
あれだけ学校で勉強してもあまり喋れない、苦手なものはしかたない
それでもいざとなればアメリカ人と少しは喋れるというものだが
まあ、そういう意味で、あれは多くの日本人の立派な趣味の一つだ

「縛られない」ことだ。なぜならば私達は本来自由なんだから
都会に長く住むと縛られる、縛られるとますます身動き出来なくなる
都会は住み難い、案外不自由な場所だ、それは山や田舎に長く住むと
分かってくることだが。今の人は苦労して金使ってそういうものを分かろう
とはしないのだ。困ったものだと私は心配している

近所のSさんの家、家や庭を整理する手伝いをした(すっきり整理しました)

女の子供さんと旦那様と3人で半日で凄まじく生えた木や草を大量に
取り除き70%は完了。私の担当は寒椿の生垣付近、重労働だったが、
思い切り自分の腕が揮えて楽しい半日でした。
こんな機会は滅多に与えられない。その後一人で6日
それぞれ半日かけてほとんど伐採と片づけ及び剪定を終えた
やがて見違えるほど美しい庭が蘇るのが待ち遠しい
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496.二年ぶりに家の絵を描いてみました:エー気持ちや

2020-10-08 09:11:32 | 趣味
マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます
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 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 
    村上原基
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   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)  
村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog   地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設  東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町

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テーマ:二年ぶりに家の絵を描いてみました:エー気持ちや
高齢になったら絵描きくらい出来るようになりましょう
恥ずかしいなんて少女じゃあるまいし、何でもやってみる!


2年前に近所の絵の上手い人に誘われ、嫌々ながら絵の教室に
一年間通ったが、当初3回くらいは「やめておけばよかった」が
「やって良かった」に変わり一年経つと、「すごい楽しい」になった
しかしさすが一年で「もう勘弁下さい」になった、やはりしんどい面もある
その後、描かずに2年少し経った一週間前(令和2年10月秋)に嫌々ながら
「久しぶりに絵でも描いてみるか」と重い腰を上げた

60年ぶりに、絵の教室に一年通い楽しさを回復し、描き方のイロハを
習得したが、ここ2年ほとんどご無沙汰、でも芸術の秋、今年は体調も
万全で、久しぶりに描く意欲が湧いてきたのだろう、やはり身体の健康
も大事だ、健康があっての趣味である、その点田舎は適している
今年新型コロナウイルスでも影響はほとんどなかった

題材は戸外、いつものサイクリングで場所探しを始めたが感が鈍ったのか
適当な場所が見つからなかったが、
さすがの私でも、いきなり見も知らぬ公道では恥ずかしい
そこで、まずは田中の我がぼろ家を描くことにした。これならばそれほど
恥ずかしくもない「人が寄ってきて、なんだかんだ」はない

とにかく絵を外でのんびり描く事は、この上ない極上の良い気分だ
やったことのない人には絶対に味わえない 「ざまーみろ」&「残念」だ
「とにかく下手でも描けよ!」と言っているが誰も描こうとはしない
100%そうだ

とにかく落ち着く、楽しい、いつもとおりに2枚作成した
一枚に色を付ける予定だ、今後戸外で家の絵を描いていきたい
自信がついたのであちこちの楽しそうな家を見つけて描いて行きたい

一枚目はいつも失敗する、一枚描いて問題点を定め二枚目を描く

恥ずかしいが描いてみたい人は連絡下さい、一緒に田舎で描きましょう
こちらに色を付けていく予定
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442.若い頃絶望し、断念したことの復活

2017-10-17 13:52:12 | 趣味
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
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台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
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出来た・出来ます
安曇川長尾のログハウス売り出し中
9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円 ⇒更に変更360万円
その後外回りを整備し、自分でリフォーム工事など実施し、以前よりすっきりさせました

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。

テーマ:若い頃絶望し、断念したことの復活

若い頃、何かと劣等感にさいなまれ、
どんどん成長するどころか、小さくなって行く自分があった
学校・近所で周囲の人と比較し、自分が駄目人間なことを悔やむ
長所を探すが何もない、かと言って左程の努力もせず悩むだけ
若い時は未熟だから、そんなに急に能力アップ出来ることもない

その他、顔や容姿や成績や付合いや人に好かれるかかも悩みの種
あーだこーだと、多岐にわたって悩みが尽きなかった
そうこうしているうちに、自信がないからと、遠ざかってしまいがちになる
勉強・稽古ごと・友達作り・体力・芸術能力・会話力・リーダシップなど・・・
だんだんに苦手ばかり増え、成績は無論、自分の位置は低下するだけ

ついには登校拒否一歩手前まで行ってしまう

会社に入ってからも、ますますそういうことが増えてきて
人によってはノイローゼ、うつ病になる若者も増加している
有名人にも、麻薬に走ったり、非行に走る若者も多い
若い時に絶望し断念することの影響は大きい
私自身もそういうことに悩まされ苦しみ、どうにか乗りきってきた

そこで、私の体験に基づき、そのようなことを少し考えてみた
55歳で会社を辞め、妻を病気でなくし、山に暮らすようになったが
以来私は大きく変わって来て、74歳までいろいろやってきた
昔断念したことが、この歳になって出来るようになったことも多い

その中で今年のことだが
私の体験した一つの例を紹介して話を始めよう
今年4月に絵画教室に通い出した、なんと63年ぶりだ
小学校時代、絵が下手で、絶望し、ついに大の絵嫌いになった
小学生でも、周囲に絵達者がいた、それらと比べるようになり
自分の絵に嫌悪感や羞恥心が日増しに高まって行った
絵の成績はどんどん落ちて行く、絵嫌いになっていく
誰もそういう経験があるだろうが、それ以来絵を描かなくなった

劣等感が激しく、74歳まで絵を描いたことはない
約1年半、近所の人から「絵を描きませんか?」とお勧めを戴いた
でも、「絵だけは勘弁下さい」と、ずーと断り続けて来たのだ
ところが
不思議なもので1年半後、絵画をする決断をしてしまった
その変化については、今は、自分を褒めたい気がしている
1年半かかったが、絵嫌から絵を描こうに意識が変わったのだ

すでに数回絵画教室に通っているが、1回目はすごくドギマギして
当然のこと、碌な絵が描けなかった、お粗末なサンマが描けた
でも、何となく気分が良く、楽しかったのを覚えている
そして2回目以降何となく絵が描けるような気分になって行った
徐々にというか急速にというか、絵描きが楽しくなって行った
まさしく「まあ、何と言うことでしょう」であった

絶望・断念は人間を委縮させてしまうだけなのだ

絵画教室に通い始めて描いた絵は
・さんま(最低)
・靴、ポール、帽子の絵(おー案外描けたぞ)
・自画像(自分で挑戦してみたが難しかった)
・新旭駅前のコーヒー店の風景画(外で絵を描いた、戸惑った)
予想外にデッサンは無論、色をつけることも出来るようになった

絵描きについて、かすかな自信が63年ぶりに復活した、スゲー遅咲き
教室の高齢の男先生のずばりの指導がすごくためになるし、楽しい
絵描きの世界観が全く変わった、光が差し始めた
何故こういう適切な指導を小~高校でしてくれなかったのか?
絵嫌いになったのだが、実は根本的に下手糞ではなっかったのだ

英会話なんかも、典型的な教育失敗例で、未だに改善されていない
「いい加減な教育しやがって」と文部省を訴えても良いくらいのものだ
日本の教育は「一応教育してやる」的レベルで
「教育の効果が確実に出る」ようにはやられていない
私の経験でも
効果が出る教育を日本の義務教育や大学教育で受けたことはない
5段階評価で2~4が多かった、5は僅かだった
「お前さんは能力なし」とお墨付きをもらい、烙印を押された
テストによる、テストの、テストのための教育、効果はどうでもよい
先生の責任はテストで良い成績をとれば一切問われないのだ

英会話が出来なくても、テストの点数が高ければよかった
先生ではない、単なる説明者、尊敬する先生は一人もいなかった
企業に入ると俄然状況は変わり、厳しい教育訓練の日々となる
外国に行くと俄然英会話ができるようになる
学校教育は落ちこぼれ作りにだけ役立ってきた

学校の教育が役立ったことはほとんどなかった
一体何だったんだろう?何ともお粗末な教育を受けて来たのだ
一流国立大学の教授なんてお粗末極まりなかった、トホホッ・・・
文字が読める、足し算引き算掛け算が出来る最低限度の教育

ところで若い頃絶望し断念したことがどうだったのだろうか?
1)当時は断念して正解だった、まだ機が熟してなかっただけ
2)何らかの出会いや経験によって、自分の幅や深さが高まっていた
3)年齢を重ねて全体的な能力・脳力が向上した、絵なんかも描ける
 (しかし、若い時のあまりに根強いコンプレックスが妨げていただけ)

それならば、断念した頃以降どうすればよかったのだろうか?
1)絶望、断念しても絵描きを続けるべきだった
2)その後も絵を描くために先生を捜すなど努力を続けるべきだった
3)絶望し断念して、10~20年程度、時の経つのを待てば良かった
 何らかの原因で出来ないこともやがて出来る時が来るものだ

若い時に絶望し断念してしまうと、一生やらないことになりがち
危険だ、怖いことだ、残念だが多くの人がこのタイプになる

私の最近の思いは、
若い頃出来たこと、やって来たことは、単なる勢いだったが
年取ってからゆったり手掛けたことは、深みや味わいがある
勉強は若い時にやるもの、始めるものと思うのは大きな勘違い
始める年齢や環境によってそれぞれに違った味わいになる
スポーツも(恋も)必しも若い者だけのものではないのだ

むしろ若い時からやるより
若い時にはあえてやらないで、年取ってからやるのも妙策だ
一度絶望し断念してある期間をおいて、
何かの出会いで再開するのが良い結果を生むのかもしれない

一見正統派みたいなやり方が良いとは断定できないのだ
天才キッズとか早咲きが必しも良いとは限らない
遅咲きには遅咲きの妙味があるし、本人も至極楽しかもしれない

絵画もそうだが、美味い下手は実はどうでもよいのだ
そこを勘違いすると人生の楽しみ方を知らずにあの世行きになる
スポーツも早い、強いは実はどうでもよいのだ
オリンピックは勝つためでなく参加することに意義がある
上手い絵を描くのではなく、描きたいように絵を描けばよい
芸術もスポーツもこうあるべきとか、型に押し込めるのは邪道だ

私の場合も絶望・断念したから、普通は永遠に落ちこぼれるところを
偶然に引っ越先の安曇川の田中の町の人に救われたのだ
そういう救いの神みたいな人が、たまたま、いたのだ、巡り合わせだ
その神様のお誘いを素直に受け入れるかどうかが鍵だ

そうすればギヤが入り再び絵描き車が走り出すのである
私は絵描きギヤーが入ったことを今思えば、すごく感謝している
というのは絵嫌いが多い反面、それだけ
絵描きが素晴らしいことを私が実感出来たからだ
今迄63年止まっていた脳の働きが、絵を始めて再始動したことだ
脳は言っているだろう「あー63年ぶりに起こされ、俺にも朝が来た」

家の壁は一つづつ私の絵に変わっていく、有名画家の複製絵より
断然私の絵のほうが嬉しい、楽しい、本物の自家製でコストは安い
誰が描いたかも知れない古臭い絵でなく、自分で好きな絵が飾れる
絵から私の声も聞こえてくるのだ、1億円の絵より私の絵が好きだ
金持ちの家に有名画家の高そうな難しい絵が自慢気に飾ってあるが
私には、他人のものがあれこれ並ぶ家が、必しも豊とは思えない

現代の都会人は自分で物を作らない、昔は何でも自分で作った
作れないようになったのだ、狭い家、テレビにネットで暇もない
ちなみに私は自分でやってきたし、今もやっている
絵・大工・水道・野菜作り・椎茸・散髪・物書き・剪定・庭・木材切出し等

自然に身体も動かし・頭も使う、現代人は頭も身体もあまり使わない
全部自分でやれるし、やっているが、自分の思うままになるのが良い
自分の絵も飾らなくなった、昔は祖先や子供や叔父さんの絵があった

若い時は駄目、歳とって飛躍的に能力発揮する人も僅か存在する
多分、何らかの出会いによってギヤーが入った人なのだろう
そんな人も案外身の回りにいるものなのだが・・・
自分に、まだギヤーの入ってないものがないか宝探しが必要だ

私の友人で絵を描く人はいないが、本当に珍しいのだが
一人だけ75歳から始めた80歳の男の人がいる
その人は驚くことに、今後プロになろうと意慾を燃やしている
やっと私も絵という高尚な趣味を持つ友人を持てたわけだ
全く新たなジャンルの友人ができるのも嬉しい
そういえば、年老いてから
古来の高僧や偉人は、上手い書画を描いた人が多い

物忘れの激しい私の脳の働きが最近やや良くなって行くように思う
絵が上手い下手は関係ない、とにかく絵を描くことが良いのだ
運動も同様で、とにかく、結果を問わず身体を動かすべきだ

ところで、最近、
「村上さんは絵心がある」などと私に言う人が出現するようになった
昨年まで、絵など全く縁のなかった私に向かって「何が絵心だ」
そういう安易な言い方は正しくない、絵心は皆の脳に在庫されている
ただ長年眠っているだけで、今後も眠り続ける恐れがあるだけだ

例えば、腰痛なども、直らないと諦めてしまう人がいるが、
諦めたら負け、二度と直らず、むしろ着実に悪化して行く
老人に多いのが「もう歳です」と歳寄り臭くなってしまうことだ
”老人・老化とは心の諦めである”
諦めが老化を進め、本物の老人を生んで行く
歯もそうだが、歯を磨かない・間食する・口が汚れたまま寝てしまう
「歳だから歯が抜けて当前」と思い込むと、歯はアッという間になくなる

絶望が断念につながり、その後どうなるかというと
1)永遠に断念しっぱなし
2)時々断念を中断し、いろいろやってみるが効果なし長続きもしない
3)その後何らかのきっかけで、やってみて、ついに克復する

野球に例えると
逆転満塁ホームランだ、諦めないと老後そんな素晴らしいこともある
まあそういう状況は、人生の変曲点とも言うべきもの
マイナス状況が俄かにプラス局面に変曲するのだ
人生の変曲点を掴む人と不幸にも掴めない人、まるで違う人生だ

ところで
絵の場合は、一般的に女性は絵画教室に通うが
私の場合も当初そうでしたが、男は絵画教室には行きたがらない
現実に絵画教室の生徒は女が95%、男は一人もいればよいほう
なぜかというと、男は面子を重んじる「日本の男は恥ずかしがり屋」
私のように「面子を軽んじる男しか絵画教室に行こうとは思わない
「男よ、もっと面子のレベルを下げろ」「面子など邪魔なだけだ」
そう言えば、男は年取ってからの付き合いが楽しくない人が多い
世間と交わらない、人と会話しない、難しいことを言う、頭が固い

女の方が絶望・断念の復活が上手いということだ

絶望し断念するのも、次のような原因が考えられる
・面子を重んじる、上手くできないと恥だと思っている
・完全に駄目とあまりに強く思い込んでいる
・やろうとする気力がなくなってくる
・やる価値や意義を感じなくなっている
・面倒くさい
・もう歳だし、今更やっても大したことない、しょうもないと考える
・やったところで長続きしそうにないと勝手に思う
・この歳で一から始めることが億劫
・適当な先生がいない、教室はあるが敷居が高い
・その他いろいろな原因を作ってはやろうとしない

さてもう一つの例として最近こんなことがあったので紹介する
それは椎茸作りに関してだ、山で椎茸作りをする人が多い

私が田中である人と付き合いし始め、「山に椎茸の原木がないか?」と
相談を受けたので、山にあるので、さっそく木を切ってあげた
そうしたら、その人がその木を町のコンクリートの土間に1年ほど放置
一年後私が確認したらその原木が乾燥し切って木が割れていた

私はその人に言った「こんなに乾燥したら駄目ではないの?」と
そうしたら、その人が「お前何を言うんだ、これで良いのだ」と
私も実は、山で10年くらい見様見真似で椎茸を作っていたのだ
山は湿気が多く、原木も生乾きが良いと勝手に思い込んでいたのだ
ところがその人は「カチカチに乾燥するほど良い」と言うのだ

そしていろいろ聴くうちに
1)原木は1年乾燥し完全に乾かすこと
2)更に穴をあけ更に3か月ほど乾かす
3)種菌を植える間隔は木の太さにもよるが密でよい
4)種菌を植えるのに金づちを使って強くうちつけてはならない
 木の棒で優しく打つこと
5)2~3週間木が白くなる迄、横に並べ水をやりビニールで巻いて保存
 (白くなるのは菌が回った証拠なのだそうだ)
6)その後、ビニールから出して立てて置き、毎日米のとぎ汁をかける
 (水分を絶対欠かしてはならない、場合によっては一日2回散水)

そうすると収量が多く
原木の寿命が伸びる
ということを聴いて二度びっくり
私は10年くらいで椎茸栽培をやめてしまった、絶望し断念したのだ
その人の話を聴き、実際に見せてもらうことでまたやる気になった

しかも、今住む町の家の中でも出来ることを知った
早速山で原木を確保し来春に習ったように再度挑戦してみることにした
大したことないことでも、諦めてしまうのはもったいない

これなども絶望、断念後、ある人との出会いで復活した例であろう
多くの人が人生前半での思いによって将来を決めてしまう傾向がある
私も、そういう人生を歩んでいたら、実につまらん人生になっていたはずだ

コンサルタントや大工や野菜作りや山暮しや人付合いや一人暮らし等
以前は出来るあてもなかったことが、今は人並以上に出来ている
特に大工が自分で出来ることは、暮らし方に大きな変化をもたらした
自分が長年暮らす家を自由に変えることが出来ないとは、情けない
以前から言っているように、若い時のように何でも頼む・依存でなく、
年取ったら自分で何でもやるようにすることも、真の自由を得る道だ

野菜作りも木の剪定や伐採、山暮し、人付合いも同様の大きな変化
絵はそんなに簡単ではない、たかが絵描きだが自分を大きく変える

私の若い頃の劣等感やコンプレックスの状況は次のようなものだ
1)人付き合いが下手、友人はほとんど数えるほどしかいない
2)初対面の人、目上の人が大の苦手
3)口下手、会話下手、苦手な人とは口がきけない
4)引っ込みじあん、内弁慶、人前で話せない
5)せっかち、慌て者
6)小心者、臆病、心配症
7)絵が下手、幼児なみ
8)習字や文字を書くのが最悪
9)本を読まない、語学関係も苦手、英会話が出来ない
10)囲碁将棋はからきし駄目
11)運動もどちらかというと平均より下、体力がない、喧嘩も苦手
12)自立・自律ができずに長いこと中途半端だった

私の場合幸運にも現在74歳遅まき乍ら、全て克服できている
若い時の絶望、断念が、ほぼ80%は再挑戦が成功している
そんな私などは、極めて珍しい例かもしれない
何らかの出会いがそういうことを劇的に可能にすると思う
宮本武蔵などもそういう例であろう

しかし世間には若い時の思い込みやコンプレックスを引きづり
一生、出来ずに終わる人も多いのだろう
人付き合いや会話が高齢になっても、苦手な人を多く知っている
無論絵なども一生描かない人(特に男)も多く知っている
というより、あまりにも多いのは悲しいというか今更ながら驚きだ
こんなことは実に悲しいこと、本来あってはならないことなのだ
英会話も本来はペラペラ出来なくてはいけないはずなのだが

私の若き日は劣等感やコンプレックスとの闘いであった
何とも空しい日々であったことか・・・・
でも、おかげ様で65歳から私は一挙に挽回した
9回の裏、ホームランみたいなものだった
でも9回の裏三振のままで終る人のなんと多いか・・・

せめて絵でも始めたらいかがですか?
良い先生のいる絵画教室に通って下さい
または若い時から大の苦手に敢えて挑戦してみたらいかがですか

・パソコンを諦めている
・インターネットを諦めている
・田舎暮らしを諦めている
・部屋の片づけを諦めている
・友人造りを諦めている
・スマホを諦めている
・ギターやピアノを諦めている
・物書きを諦めている
・人に好かれないを諦めている
・チャレンジ・冒険を諦めている
・腰痛を諦めている
・性格の悪さを諦めている
・人生を諦めている
・貧乏を諦めている
・老いを諦めている

安易に諦めるとは悲しいことです・・・・・
当り前のように、諦めるとは恥ずかしいことです・・・・・
義務教育で被爆した数々の劣等意識を綺麗さっぱり洗い流せ
そして早く再挑戦せよ

多分驚くほど、意外にスラスラ何でも出来るようになっているはず
脳には眠り続け一生目を覚まさない部分が多すぎる・・・
そしてボケや痴呆の悪化がかなり食い止められる結果に驚け
私のように都会から山や田舎に移り住むことも効果的と信じます
そういうことによって、
「駄目だという長年の強い思い込みを本気で消し去る」こと

11月2~4日の展覧会に出す絵
絵描き半年とても出展など恐れ多いです


今年もサボテンの花がさきましたが

絵に描けというので、泣く泣く描いてみました

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438.絵を描いて褒められた老人の私

2017-07-26 17:19:01 | 趣味
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

出来た・出来ます

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9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円
その後外回りを整備し、自分でリフォーム工事など実施し、以前よりすっきりさせました

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  

お元気ですか?今年はひどく蒸し暑いですね,熱中症になりそうです
安曇川田中の家でも例年になく
 ・クーラー入れる
 ・除湿機入れる
 ・扇風機廻す
 ・一時間おきに水飲む
 ・外にはあまり出ずサイクリングも自粛
 ・家の中でストレッチや体操しています
 ※でも野菜は鈴なりだ

すでに何回かお話しましたように
1年半断り続けて来た絵画教室に今年通い始めて4回が終わりました

約60年続いた最悪のレベルから、短期間で脱出できた
家で自画像を描いてみたら、予想外に、すんなり描けたりしたのだ
何でだろ?あれだけ嫌がっていたのが嘘のような状況になっている

自画像を描いたこともあるが、ひどく全く似もしなかった苦い経験を思出す
人間特に顔は難しいが、
74歳の吾輩に”自画像をきちんと描く”という身近な目標を与えてくれた
絵描きを苦しむのでなく、じっくり樂しめばよい、他人の評価などどうでもよい

早速居間の模様替えをし、机の端に絵を描くための台を設置した
そうしたら「何と言うことでしょう」片隅アトリエが出現したではありませんか
ときどき、絵に向かうというしごく洒落たことが出来る部屋になったのだ
丁寧に鉛筆で描いた線を一つづつ見直し修正していく、のんびりした時間が流れる

さて話し変わって、キュウリが大豊作、あげてもあげても減らず困っている
採ると、ぞろぞろと出てきます、「もう出てくるな」と怒っていまいそう
ゴーヤも大豊作の予兆、小さいのが幾つも細い蔓に懸垂している
まあ、たまたま植た家の前の空き地が風水的に良かったせいもある

豊作貧乏でやつですかな、出来過ぎて困ってしまうという話(嬉しき悲鳴かな)
家の庭の屋根付きのトマトは出来よく、真っ赤な完熟が食べられ最高に美味い
「何をやってもお上手ですね」なんて言う人まで出てくる、正直嬉しい
生まれて以来始めてです、やっと褒められることが私にも出来たらしい?
でも、実は、空地の力・自然の力・肥料や太陽の力なんですがね

さて、話の方向を少し変えて、”褒められるというのは、良いことだ”という話
私も、人様のやっていることに、いちいち関心し褒めることが多い
正直、心の底から関心しているので、褒めているというより関心しているのだが

ここ当面、私の絵も予想外に褒められっぱなしだが
私が描いた絵を友達にみせて、「絵をやらないか?」と誘うほど
しかし答えは誰も同じように
「絶対にやらない」「村上さんは絵心があるが私にはない」と逃げ腰・へっぴり腰
困った人達だ、私が一年半横山さんに断り続けた同じフレーズを口にする
「あーこの人間どもめ」「体よく絵を描かない理由を述べたておるわい」
私のように、騙されたと思って、一回でも絵を描いてみれば、何のことはない

俳句くらいなら、どうやら、やらないこともないが、絵となると敷居が高いようだ
そんなことはない、こんな楽しいことはないのだ、「愚か者め」と言いたい
山暮しもさんざ勧めるが、山暮しのほうはもっと悲惨だ、誰もやろうとはしない
それにつけても、日本の義務教育は絵嫌いや○○嫌いを沢山量産してしまったようだ
そして褒められた、ごく一部の幸運な人が絵描きになったようだ

人は、最もしたいことをやろうとチャレンジしなくなり、やれそうな事だけをする
やれそうもないと思い込んだり、他人から言われるだけで、絶対にやらなくなる
やれそうなことだけする人生なんて、そんな人生はつまらん人生に違いないのだ
やれそうもないことを、勇気を持ってやってみると人間が一皮剥ける・一段上がるのだが

子供や生徒や部下に対して
「褒めて育てよ」と言うが、
「黙って育てろ、見て盗み」
「叱って育てろ」
まあ、いろいろですが、どうされていますか?

私も74歳、すでに褒められて有頂天になる年齢ではないが、
やはり、けなされるより褒められるほうが、人間は気分は良いので
会話上手の条件の大事な一つは、うまく褒めることだ
効果的に若者を褒めるには、それなりに経験と高等な技術が必要だ
矢鱈に褒めれば良いということではない
お中元やお歳暮みたいなもので、単なるお仕着せでは効果がない
安物や要らないものを貰っても嬉しくはないどころか迷惑なものだ
真心が篭っていないと伝わらない
見え見えの歯の浮くようなお世辞はいけないし、いい加減な褒め方も逆効果だ

もっとも上目線から言うのも逆効果だ
あくまで相手と同じ目線で優しく言ってあげ、手伝って支えてあげることだ

褒めるには、褒める人自身がまず、尊敬されるようでないといけないのは当然だ
”誰から褒められるか”褒められる人によってその効果はまるで違う
父親やそこらのおっさんから褒められても子供は大して嬉しくないかもしれない
褒められて嬉しい、感動を与えるほどの器量の人間でないと効果は少ない
何でもいいのだが、そういう意味で身近に子供を感動させる大人が減った

現代において、尊敬される人が身近にいるだろうか?いや、いない
身近に尊敬出来る人なんか99%いない、少なくとも私の感じでは、いない
尊敬されるということは人間の全部がそうでないと受け手は納得しない
立派なことを言うわりに、だらしない・いい加減・軽蔑に値する人では駄目だ・・・
全幅の信頼や尊敬がおける人がいない以上、限られた専門領域ならともかく
褒められても、感動し、おいそれと手放しで喜べない

私が絵描き教室に通っても、先輩の生徒さんからは、どちらかというとお世辞
先生は褒めてはくれるが、駄目出しも厳しい、でも嬉しい・楽しい・深い・ためになる
「良いは良い」「悪いは悪い」「なぜ」「こうしたらもっと良い」・・・を言ってくれる
もし、良いものがないのであれば、無理して褒めない
それが親切であり、真心というものだ、尊敬されていれば恨まれることなどない

くれぐれも、頭ごなしにけなすとか安易に叱り飛ばすのは厳禁
私にも京都の一流電子部品企業にいた頃経験したが、ひどい叱りや罵声や嫌がらせを受けたが
   死ね・首吊れ・辞表持って来い・そして数々の嫌がらせでしたね
一流企業の最高幹部クラスでも、そんな間違ったことを平気でするものである
また幼児虐待なども困ったことだが、尊敬できない自分勝手な親が増えているのだ
自分がどんだけ立派な人間と勘違いしているのだろうか?人には立派な人なんかいないのだ

人々の生き方を観ていると、私も含めて逆のことを願ったり、やったりしている

 ・厳しくされないと成長しないのに、厳しさを避けたり、嫌う
 ・苦しいことがないと成長しないのに、楽なほうを選ぼうとする
 ・失敗を多く経験しないと成長しないのに、ほうをとする
 ・貧乏を経験しないと脆くなるのに、金持ちのほうを選ぶ
 ・結婚し子供を作らないと成長しないのに、未婚・一人暮らしを選ぶ
 ・嫌なことを自ら進んでやらないと成長しないのに、他の人にやらせてしまう
 ・損しないと成長しないのに、得するほうを選ぶ
 ・叱られないと成長しないのに、叱られるのを避ける

褒めることも大事だが、的確かつ上手く叱ることも究めて大事なのだ
親も子供を叱らなくなった、その分会社では陰湿な部下苛めが増えているらしい
今74歳になってみると、こういうやり方は大間違いと分かってくる

良き師を持ち、褒められたり、厳しくされたり、そんな環境が最高だろう
自分は子供や生徒や後輩にとってそうなんだろうか?と反省する

ところで褒められると言っても、次のようなことは褒めないほうがよい
 ・金持ち羨ましい
 ・美人ねー
 ・格好いいね
 ・がんばるわねー
 ・ラッキーだったね
 ・頭いいね、成績いいね

こんな褒め言葉は本当の褒め言葉ではない、気休め、気まぐれだ
自分の努力の結果でないものを誇ってはならないし、褒められても価値がない

私は55歳以降「褒められよう」として何かをやることを戒めるようになった
というより
「他人のためにやってやる」「社会のために役立つ」と考えず、口に出しても言わない
大人は褒められることを期待しないが、子供や若者の成長を褒めることは大事だ
私の若い頃「下手・駄目」は致命傷だった、やる気を失った、くよくよ悩み続けた
一言、そしてそれが続くとやる気は完全になくなり、一生コンプレックスになってしまう

子供若者にとって、しかるべき大人からの褒め言葉は人生さえも大きく変えるもの
子供若者にとって、褒めらLことは栄養源・活力源だが
「最近褒められていますか?」老人も褒められることを諦めないで欲しいですね

しかし大人になってから、褒めらて有頂天になることはマイナスになる
褒められないようなことはすべきではないが、鼻つまみの老人は案外多い
老人になると、むしろ我が強く頑固になる人も案外多い

 ・自慢もしなければ、しょげることもない
 ・喜びもしなければ、悲しみもしない
 ・賞賛を求めないし、賞賛もしない
 ・期待もしなければ、落胆もしない
 ・威張りもしなければ、卑屈にもならない
 ・欲張りもしなければ、何でもやってみる
 ・わざわざ他人のためにやらなければ、淡々と何でもやる
 ・過度な楽しみや贅沢も求めないし、質素倹約も厭わない
 ・頑固に自己を主張しなければ、他人の主張は受入れる
 ・楽を求めなければ、苦も厭わない
普通・中庸・自然・合理・平然・温和・謙虚・

ところで
写真の画像を送って戴ければ、自画像にします
まだ絵は下手ですが、それなりに似せて描くくらいはできる
写真は左から光を当て、影がきれいになるように撮影下さい
あの世にも持っていけるかもしれませんよ
本音は、皆さん、ご自分で描くのが一番ということだ

たった絵を描くということから人間は大きく変わるもんです
たった山で暮すということから人間は大きく変わるもんです
たった一歩踏み出すことで人生は大きく変わるものです
もう歳だから、絵は苦手だから、恥かきたくないから、
これらは老いですよ、ある意味すでに死ですよ

自分は金持ちだから、美人だから、頭がいいから、強いから
絵なんか描かなくてもいい、山なんかに暮さなくていいと思ってはいないか?
描けるが描かないのなら許されるが、描くのが億劫なんてのは駄目
山暮し出来るのなら許されるが、山暮しが億劫なんてのは駄目

「出来ない」は人生の禁句なり、人生の負けなり、人生の恥なり
しかし、先輩や大人や先生が、くれぐれも、わざわざ
若い人に絵嫌いやあれこれコンプレックスを植え付けたりはしないように

部屋も整理整頓し、ストレッチ場とアトリエを設置しました


近所のお子さんが私の家の大きな手づくり郵便箱が欲しいというので
設計図に基づき、板材を切り出し、ネジで組み上げた
そして再度ネジを外してばらし、材料とネジや蝶番をセットにして
「組み立てて下さいと」部材一式を渡してあげました
お子さんが大工に親しむ良い方法だと思いませんか

ちなみに費用は材料だけで1300円程度です、郵便受けが小さくて困ってませんか?
近くの人でご希望ならば材料実費で作ってさしあげますので、どうぞ3日もあれば
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437.絵描き教室その2:絵具で色付け

2017-07-20 07:53:35 | 趣味
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   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
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安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
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テーマ:絵描き教室その2:絵具で色付け

絵嫌いの私のその後の4回目の絵描き教室の状況報告であります

皆さま、誰かからある日突然「絵を描きませんか?」と誘われたらどう答ますか?
 1)無理無理、絶対にやらない
 2)絵には全く興味ない
 3)忙しくてそんな余裕がない(実は忙しくないのだが)
 4)下手くそで恥ずかしいが、とりあえずやってみます
 5)ハイ、絵がやりたいです、絵を描きます

さあ、答えはどれですかね?
私はお誘いを受けた当初はお察しどおりノー:2)と3)でした
一年半たって、何かのきっかけで、嫌々ながら、しぶしぶ4)に
ほとんどの人の答えは1)2)3)でしょうが、一体何故なんでしょうね?
絵嫌いの人が多いのは・・・???
日本人には○○嫌いなんてのが沢山ありますが、絵はbest one

あれほど嫌々だった絵描き教室も早というか、遅いというか4回目
前回3回目に描いた靴と帽子のデッサンに色付けをするが、家で嫌々色付け
絵具や筆は買ったが絵の具の扱い方は全くわからない、まあ鬱陶しい
小学校~高校まで絵を勉強していたはずが、絵の具の使い方も全く分からない
日本の義務教育はすごくいい加減だったことに今更ながら気づかされる
英語同様に、沢山の絵嫌いを育てただけ

英語・絵描き・習字・文書書き・会話・プレゼンなど全く身についてない
歴史や地理や化学や物理なども大して役に立ってない
きちんと役立つように教えて来なかったのだ⇒役立つ教育への変革が必要だ
義務教育で、勉強好きにならずに、勉強嫌いになったものが多い、トホホ
最悪な教育にしては、戦後の日本人は頑張ったと思うが、なんとも残念だ

この歳で絵を描くことになったが、日本の義務教育の被害者の哀れな姿だ

教室3回と家での自習でデッサンは、どうやら初心者なりに描けるようになった
これは誠に意外で、デッサンは、すぐに、そこそこ描けるようになった
絵の具だけは、気が重い、というか絵描き教室を止めようかと悩む始末、憂鬱・・・
先輩の生徒さんが楽しそうに絵の具をつけていて、さすが、すごく上手い

私は、もう全然だめ、多分大半の大人が絵描きを躊躇う理由もここら辺にある
  ・まずは鉛筆描きのデッサン(構図と描く場所と方向)
  ・絵を習うのを拒否する最大の原因は絵具つけ
まず色出しが難しい、対象の物の色にあわせて絵具を混ぜて色を作ること
12色の絵具を絞ってそれらを混ぜて色をだすのだが、素人には全くわからない
先生や先輩はこともなげにパレットの上であれこれの絵具を手早く混ぜて行く
それが出来ない、経験と感性なんだろう、2~3年やれば出来るのだろうか?

まあ絵の具つけは2回目だが、何しろ私にとっては、難行苦行である
絵の具つけて教室に持っていくと、先生がいろいろ指摘してくれる
その指摘が的確なのにはびっくりするが、指摘された通り上手くはいかない
絵描きは、デッサンよりも絵の具付けがとてつもなく難しいのに気づかされる

①パレットの上で絵具を混ぜ合わせて色を作り出す
②大胆に紙の上に塗ってみる、駄目なら渇いてから何度も重ね塗りする
 (絵具も進化しているのか、実際に重ね塗りが可能なのだ)
③ちまちま塗るな、大胆に失敗を恐れず塗れ
④縁取りはするな、縁取りを意識して色付けするな
⑤物の質感を出せ、隣会う場所の色の違いを出せ
⑥平板に色つけしました的な説明的な絵にするな、
⑦背景は部分毎につけて行く、場所毎に違う、背景は単なる壁塗りではない
⑧影を大事にせよ、影によって微妙な質感も出てくる
⑨色付けで自分だけにしか描けない個性的な絵にしろ
⑩光も白や黄色を大胆につけろ、白は塗らない白と塗る白がある
⑪きれいに描こうとか仕上げようとするな、汚くなってもいいから大胆にトライせよ
⑫色を塗ったらその色や塗り方で良いのか、よくよく見直す
 ・絵を描くのは物や景色そのものを写し取るのではない
 ・正確に写真のように描くことではない
 ・しっかり描くことも大事だが真面目過ぎた絵は面白くない、
  遊び心や少し気を抜けくことも大事

こんなところが先生から戴いた助言でしたが、初心者には非常に参考になった
どうやら絵の具付けが出来ましたし、最悪だと思っていた絵について先生からは
始めて色付けしたのにしては、上出来とお褒め戴ました、「ホッッ」
まあ数日前まで今すぐにも止めようかなどと憂鬱に陥っていましたが
なんとあっさり、絵具付けの楽しさを知ってしまいました
ある意味、ひょっとして、私は絵描き下手ではないのかもしれませんな

パレットの上で絵具を混ぜて色を出すのも何となく少しだけ分かったようだ
私は絵心は全くありませんし、絵描きは正直嫌いで、60年くらいご無沙汰でしたが
是非皆さま絵描き教室に通おう、最初だけ我慢して始めれば何か得るものがある
出来れば私のような歳ではなくせいぜい60歳くらいで始められたらと思う
お茶・お花・楽器・カラオケも良いが、絵は、ずーっと良いよー
心も落ち着くし、禅僧や偉人が晩年、絵を描くのも合点が行く

物や景色をいい加減にしか観ていなかった、絵を描くとなると物の見方が深くなる
たかが絵描き、されど絵描き、すごく奥が深い、味わい深い趣味だ
趣味としては絵描きのような長い年月かかりそうな趣味を持つのもよい
その深みを少しでも分かると絵描きの楽しさが分かってくる
幼少時から幅の広い経験を重ねておくことが老後を価値を高めると考えている
 偉い禅僧のように、深み・味わい・ゆとり・が経験の浅い人と全く違ってくる

小中学校で絵を描いて良い悪いの評価をしていたのは、不味かったと思う
学校時代に「絵を褒められたことがない」他の人の絵は展示され表彰される
絵の上手い子供と比較してしまう、そういうことが6年も9年も続くと絵嫌いになる
いつしか「自分は絵が下手くそ、恥ずかしい」となってしまっていた
会話下手も同様に、会話下手だという強い意識が、会話しない人にしてしまう
その他何事も○○嫌いになってしまうことは、恐ろしいことだ・悲しいことだ
これを直すためにも会話や絵を習いませんか?なんなら私でも頼って下さい

ところが今度のことで、身近な人に絵描きを勧めるが100%Noだ
高齢者であろうと、日本人は元気、気力、素直さがなくなってしまいました
今はかく言う私も、数か月前まで、一年半、断り続けてきたのですがね
60・70歳の男性は我が可笑しくなるほど、同じ回答、同じ態度を示します
なぜ絵描きがこの歳の男に嫌われるのか?
「絵描きは専門家だけが描くもの、素人は手を出してはならない」みたいなこと
こんなにまで嫌われるには原因がありそうだ

 ・絶対に無理
 ・絶対に出来っこない
 ・絶対に嫌
 ・絶対にやらない

嫌われる、そういうものほど、実は、その人が本来やるべきことなのだ
  嫌=その人の弱点 ⇒ 弱点の克服=幸せに通じる

人は、頑固というか自分を信じないというか、とにかく、ひどく臆病者だ
今迄も普通の人が嫌がることをやってきた私だが、今度、更に私は確信を深めた
ナポレオン:「俺の辞書に不可能という文字はない」そのとおりだ
自分にとって、あれこれ不可能を引っ張り出して、挑戦してみよう
それこそ遠回りのようで、本物の人生への近道かもしれない

「貴方の辞書に不可能という文字が沢山ある」
「出来ない・出来ない」と思っていることは、自分にとってマイナス効果だけ
「出来ない」ではなく、とりあえず何でもやってみる、結果は問わない

 ・高齢化、老後には室外の趣味だけでなく室内での趣味も持っておく
 ・絵描きは、頭や手先を使う趣味も望ましい
 ・老後の趣味に若い時に苦手で、それを克復した勲章のような趣味を
 ・他の人があまりやらないが、やれば老人でも出来る趣味を持ち広める

74歳の村上にも出来たんだから、俺にも出来るはず、と考え方を変えるべきだ
何しろ思いきりが悪い日本人は「腹切ります、ご免」「バンジー」でないといけない
人に絵を教えてあげることも人付き合いを広くし、明るい老後に役立ちます

老人に一言
歳をとって、もうあの世が近いのだから、
自分で好きなことをあれこれやってみるのが一番
金もある時間もある能力もあるんですよ
チャレンジ、結果は問わない

年寄りに「絵描きませんか?」なんて普通は言ってくれない
「あの爺さんもうあの世が近そうだから、絵描きなんて勧めても無駄ね」
そうなるとテレビみて一日が経っていく 、テレビが唯一の親友の友達
いよいよあの世が総体的にぐぐぐっと近づいてくる
あと元気年齢・健康年齢10年くらい、お互いにあれこれやりましょう

やることは、ごろごろ沢山転がってます、少なくとも田舎にはね
絵描きは始めるまで長くかかったが、やってみるとなかなかのもんです
「絵は絶対にやらん」「死ぬまでやらん」「この歳で絵描いて恥さらしたくない」
そう言わんとやってみなはれ、近くに絵描き教室ありまへんか?
特に男性、さあー勇気をふるって通いましょう

高島市には毎月新旭駅前で絵描き教室やっていますからどうぞ
次回は8月2日午後1:30新旭公民館(駅前のビル)
スケッチブックB3程度、鉛筆2Bと4B各3本消しゴム毎回1000円
問い合わせ:0740-32-3022 横山みち子
     私でもいいですよ090-6750-7889村上和隆

デッサンの絵(初心者、幼稚絵描き、まあまあですか)


絵具付けた絵(どうやら色付けたが、全然なってませんがね)
でも楽しさを少し分かりかけたような出来です


ところでこんなのも描きましたが、自画像、まだまだ上手くは描けない
顔の微妙な影が再現できません、どうやったら出せるのか?
顔の場合は、他の静物と比べると、なかなか誤魔化せない
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