マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます 村上原基
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験
●努力し真剣に生きても、どうしても上手く行かない人お越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」人は自然に沿え
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず
*****************************
テーマ:手あたり次第当たり前の趣味を沢山持て
東京生まれ24歳で大阪・京都、55歳で滋賀県の山暮らしを始めた
山に20年暮らし、次々に色々な作業や技能を必要に応じて習得
してきた。というのも山暮らしでは何でも自分でやらないとかなり
暮らし難いので必然的に何でも自分でやることが習慣になる
でも一般的に都会人がこういうことをやるのはひどく難しい
大工・水道配管・庭つくり、山菜とり、鮎釣り、卓球・水彩画・山暮らし
木の伐採剪定・野菜つくり・サイクリング・温泉・焚火・焼き芋・散髪・
バーベキュー・山歩き・雪かき・虫捕獲・バイオトイレ・タケノコ・・・
細かく言えばもっと沢山手あたり次第やってきたが省略する
散髪なんか自分でやっている。床屋なんかにお金払ったことはない
都会暮らしの人では、こんな田舎じみたことは一生やらないだろう
自立していない、もっとも今や田舎の若者も都会的になり過ぎている
から、何かをするために他人にやってもらうが当り前にになっている
山や田舎で当然自分でやることが今の若者はしないで済ましてしまう
そういう観点からすると
これからの人は、田舎か都会かどちら暮らしを選ぶか、決断を迫ら
れるが、ほとんどの人があまり考えもせず相変わらず都会を安易に
選んでしまうのだろう
東京に生まれ育つたが疎開をはじめ、おばあちゃんが鵠沼に家があり
そこに頻繁に出かけ生活したし、千葉や茨木の田舎に遊ぶことが多か
ったし、戦後は東京自体が焼け野原だったことが田舎暮らしを選んだ
理由だが、今後田舎暮らしを選ぶ人はなかなか壁が高いと思う
72歳で山を下り田舎町に引っ越して来たが、山暮らしを20年も
やって来ると田舎町が限界集落と言えども山に比べると人は多い
最近この田舎町でも色々な事情で空き家が発生し、そこに今はやりの
田舎暮らししたいと、都会の若い人が入って来るが、20年前に私が
山に来た頃より更に一段とほとんど絶望的に何も出来ない人達なのだ
古典的手作業や田舎的肉体作業はした経験もなく、したくもないらしい
本来は、かつての私のように他人を見様見真似、独学でレベルアップ
して欲しいが、そんな気は毛頭ないし期待できそうもない
都会から田舎に移り住む人の中には私のような人はいるにはいるが
まあこの田舎町の田中竹の里には、大工に剪定に刃物研ぎ・・・
ほぼ何でも出来るお爺さんの私がいるということは珍しいのだ
多くの人がやらない、やれない事をやってあげる、頼られるのも快感だ
新型コロナウイルス以降、大工も剪定も今や都会の人も始め出したが
大工は田舎が本場で、小屋が建てられることが最低限のレベルだし
どんな問題にも即時対応し、臨機応変な造作が出来るには年月を要する
「都会の素人大工なんかには簡単に追い越されない」
「田舎の家の周辺には沢山の題材が溢れており経験量が違う」
今年始めた刃物研ぎもやると奥が深い、次々にいろいろな砥石を買う
ことになった。何しろ研げば確実に刃物は美しく、するどく磨かれる
でも最近は刃物研ぎしてくれる人や店が近所にないためか
「家で実際に使っている刃物は、とても刃物なんかじゃない」
石器時代の石斧に近い切れ味がかなり悪いもので切っている
木の伐採と剪定も近所の家で次々に手あたり次第やっている。全くの
独学だから、正直最初の頃はひどくお粗末で、いい加減だった
最近「剪定は村上さんに」ということで、これまた確実に一段づつ腕前を
上げている。思い出すと経営コンサルタントも当初はそんなものだった
最近砥石と今迄使ったことがない刃物が増えて、毎日新しい道具を買う
最近10月に独学で始めたのが24式太極拳、これはある程度習得する
までに3か月を要したが、私にとっては素晴らしい出会いとなった
なぜこんな素晴らしいものを79年間もやらなかったのだろうかと反省
今では毎日5回はやっている。つまずきやつらい時期もあったが、何とか
こらえて続けて今では、毎日やらないではいられない楽しい重要な日課
に定着している。効果はいろいろ言われているが、私にも僅かながらその
兆候が観えて来た。これも多分殆どの人が一生やらないだろう
なぜならばラジオ体操如きに比べて、独学では最初かなり大変なのだ
ラジオ体操は今や、やる気がしない、大まかで雑だし必しも健康的に良く
ないと今は思っている。太極拳は実に良く考えられ合理的で心地良い
更に話が飛ぶが
2年前に始めた卓球もその後クラブで練習し、腕前は上達したが
先日、町の小さな卓球大会を観戦してきた、約1時間観戦しただけで
1~2つの新しい技を見つけた、上手になるにつれ、観て盗めることも
出て来る。観て盗めるというのは人生にとって非常に価値がある
都会に住むと、人が多く賑やか、店が多い、便利とか、楽しいとか言うが、
それ本当なのか?
田舎暮らしの私に言わすと今や都会の人と何かしようなんて考える
ことはない。正直言わせてもらえば「都会人は面白くない、退屈だ」
私の子供達は「田舎は嫌い」「つまらん」「退屈」なんて全く田舎に来ない
もっとも来てもらっても、ごろごろするだけなので私が困るだけ
下手に都会の子供が来るとどう扱うべきかてんでわからなくお手上げ
今はそんな時代になってしまったのだが、新型コロナウイルスのおかげで
少しは田舎に引っ越そうとする人が出てきたのが「災い転じて福となす」
コロナ様様だ
でも都会の人の多くが「趣味はテレビ・外食・買い物・スポーツ観戦・・・」
73歳~74歳で当初水彩画も嫌々やったが、完全に埋もれていた我が
才能を掘り起こせて嬉しかった。絵も案外描ける、高尚な新しい趣味
ゲットで、またまた趣味が増え人生に厚みが増しててきたというものだ
また74歳から近所の人に近くの川で鮎釣りをしたが、鮎釣りなんか
とんでもなく難しいと思っていたが、なんとも簡単で、今や毎年10分
くらいの近所の河で夏場はアユ釣りをし、家で鮎の天ぷらでワイワイ
ビールを楽しんでいる。金もかからず、何とも優雅である
おとりでの鮎釣りなんかすごい立派に見えるがサビキで小鮎をとれば
安い竿一本で行けるのだ
大工は山暮らし時代に始めたが今や道具も一式そろい、毎日大工を
しない日はないくらい馴染んでおり、今や大工が我が日課となっている
大工の技術もさることながら、頭を使い知恵を出す能力もアップした
設計図なしでほとんどの物は自分で修理したり造っている
おかげで欲しいものは何でも自分で造れるし、大工費用・修繕費用は
かなり節約出来ている。大工に頼む場合の1/3~1/10くらいで済む
大工を自分でやれないなんて、不器用でダメ男・馬鹿男・つまらん男だ
多分知恵も働かない頼りない、魅力のない男だと推察する
よく都会であるのがマッチョなんてやつだがあれは自己満足に過ぎない
欧米人は大工を当然のようにやるらしいが日本の都会の家は大工を
やるには狭いから無理もないが
都会で絶望的、都会では出来ない趣味が田舎では簡単に出来てしまう
プロスポーツ観戦とか熱狂的ファンなんてのもくだらない都会的な趣味だ
それ以外に私はスポーツもほとんどやって来たし、家事も文章書きや
人生論も一人床屋も会話もパソコンもホームページやブログも
専門では経営や管理や無駄取り改善もISO14001や環境問題も
また禅宗や資産運用、・・・あれこれ出来る男の一人だと思っている
そういう厚い経験や趣味によって私の思考や意見表明も支えられている
趣味が多く身体や頭を一日動かし続ける人に認知症は関係ない
自分が生きて行くために最低限必要なものが当たり前にやれない男は
すなわちつまらん男でしかない。当たり前に出来て、その上で都会暮らし
しているなら別だが
私の知る範囲では、ひろみ・所ジョージ・森泉・高木美保・工藤夕貴という
ところだが、私にしてみれば、このクラスでも、ごく普通のレベルに過ぎない
普段偉そうなこと言っていて「なんやかんや立派なこと言う」男が
いざやらしてみたら、何も出来やしない、例えば水彩画や卓球や料理や
家事なんかは、都会暮らしでも出来るようにしておかないと「ゴミ」だ
ところで趣味はレベルはどうでもよい、やってみて面白ければどんどん深く
入ったらいいし、オリンピック選手やプロスポーツじゃないんだから
一番になろうとすることはない、趣味なんてそこそこ出来れば一ちょ上がり
と考えればよい、あれもこれも手あたり次第やってみることを勧める
優勝とかメダルなんか取ろうなんて絶対に考えないことだ。そんな事では、
商売根性になって、趣味どころではなくなり、つらいものになってしまう
ところで最後に英会話だが
あれだけ学校で勉強してもあまり喋れない、苦手なものはしかたない
それでもいざとなればアメリカ人と少しは喋れるというものだが
まあ、そういう意味で、あれは多くの日本人の立派な趣味の一つだ
「縛られない」ことだ。なぜならば私達は本来自由なんだから
都会に長く住むと縛られる、縛られるとますます身動き出来なくなる
都会は住み難い、案外不自由な場所だ、それは山や田舎に長く住むと
分かってくることだが。今の人は苦労して金使ってそういうものを分かろう
とはしないのだ。困ったものだと私は心配している
近所のSさんの家、家や庭を整理する手伝いをした(すっきり整理しました)
女の子供さんと旦那様と3人で半日で凄まじく生えた木や草を大量に
取り除き70%は完了。私の担当は寒椿の生垣付近、重労働だったが、
思い切り自分の腕が揮えて楽しい半日でした。
こんな機会は滅多に与えられない。その後一人で6日
それぞれ半日かけてほとんど伐採と片づけ及び剪定を終えた
やがて見違えるほど美しい庭が蘇るのが待ち遠しい
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験
●努力し真剣に生きても、どうしても上手く行かない人お越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」人は自然に沿え
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず
*****************************
テーマ:手あたり次第当たり前の趣味を沢山持て
東京生まれ24歳で大阪・京都、55歳で滋賀県の山暮らしを始めた
山に20年暮らし、次々に色々な作業や技能を必要に応じて習得
してきた。というのも山暮らしでは何でも自分でやらないとかなり
暮らし難いので必然的に何でも自分でやることが習慣になる
でも一般的に都会人がこういうことをやるのはひどく難しい
大工・水道配管・庭つくり、山菜とり、鮎釣り、卓球・水彩画・山暮らし
木の伐採剪定・野菜つくり・サイクリング・温泉・焚火・焼き芋・散髪・
バーベキュー・山歩き・雪かき・虫捕獲・バイオトイレ・タケノコ・・・
細かく言えばもっと沢山手あたり次第やってきたが省略する
散髪なんか自分でやっている。床屋なんかにお金払ったことはない
都会暮らしの人では、こんな田舎じみたことは一生やらないだろう
自立していない、もっとも今や田舎の若者も都会的になり過ぎている
から、何かをするために他人にやってもらうが当り前にになっている
山や田舎で当然自分でやることが今の若者はしないで済ましてしまう
そういう観点からすると
これからの人は、田舎か都会かどちら暮らしを選ぶか、決断を迫ら
れるが、ほとんどの人があまり考えもせず相変わらず都会を安易に
選んでしまうのだろう
東京に生まれ育つたが疎開をはじめ、おばあちゃんが鵠沼に家があり
そこに頻繁に出かけ生活したし、千葉や茨木の田舎に遊ぶことが多か
ったし、戦後は東京自体が焼け野原だったことが田舎暮らしを選んだ
理由だが、今後田舎暮らしを選ぶ人はなかなか壁が高いと思う
72歳で山を下り田舎町に引っ越して来たが、山暮らしを20年も
やって来ると田舎町が限界集落と言えども山に比べると人は多い
最近この田舎町でも色々な事情で空き家が発生し、そこに今はやりの
田舎暮らししたいと、都会の若い人が入って来るが、20年前に私が
山に来た頃より更に一段とほとんど絶望的に何も出来ない人達なのだ
古典的手作業や田舎的肉体作業はした経験もなく、したくもないらしい
本来は、かつての私のように他人を見様見真似、独学でレベルアップ
して欲しいが、そんな気は毛頭ないし期待できそうもない
都会から田舎に移り住む人の中には私のような人はいるにはいるが
まあこの田舎町の田中竹の里には、大工に剪定に刃物研ぎ・・・
ほぼ何でも出来るお爺さんの私がいるということは珍しいのだ
多くの人がやらない、やれない事をやってあげる、頼られるのも快感だ
新型コロナウイルス以降、大工も剪定も今や都会の人も始め出したが
大工は田舎が本場で、小屋が建てられることが最低限のレベルだし
どんな問題にも即時対応し、臨機応変な造作が出来るには年月を要する
「都会の素人大工なんかには簡単に追い越されない」
「田舎の家の周辺には沢山の題材が溢れており経験量が違う」
今年始めた刃物研ぎもやると奥が深い、次々にいろいろな砥石を買う
ことになった。何しろ研げば確実に刃物は美しく、するどく磨かれる
でも最近は刃物研ぎしてくれる人や店が近所にないためか
「家で実際に使っている刃物は、とても刃物なんかじゃない」
石器時代の石斧に近い切れ味がかなり悪いもので切っている
木の伐採と剪定も近所の家で次々に手あたり次第やっている。全くの
独学だから、正直最初の頃はひどくお粗末で、いい加減だった
最近「剪定は村上さんに」ということで、これまた確実に一段づつ腕前を
上げている。思い出すと経営コンサルタントも当初はそんなものだった
最近砥石と今迄使ったことがない刃物が増えて、毎日新しい道具を買う
最近10月に独学で始めたのが24式太極拳、これはある程度習得する
までに3か月を要したが、私にとっては素晴らしい出会いとなった
なぜこんな素晴らしいものを79年間もやらなかったのだろうかと反省
今では毎日5回はやっている。つまずきやつらい時期もあったが、何とか
こらえて続けて今では、毎日やらないではいられない楽しい重要な日課
に定着している。効果はいろいろ言われているが、私にも僅かながらその
兆候が観えて来た。これも多分殆どの人が一生やらないだろう
なぜならばラジオ体操如きに比べて、独学では最初かなり大変なのだ
ラジオ体操は今や、やる気がしない、大まかで雑だし必しも健康的に良く
ないと今は思っている。太極拳は実に良く考えられ合理的で心地良い
更に話が飛ぶが
2年前に始めた卓球もその後クラブで練習し、腕前は上達したが
先日、町の小さな卓球大会を観戦してきた、約1時間観戦しただけで
1~2つの新しい技を見つけた、上手になるにつれ、観て盗めることも
出て来る。観て盗めるというのは人生にとって非常に価値がある
都会に住むと、人が多く賑やか、店が多い、便利とか、楽しいとか言うが、
それ本当なのか?
田舎暮らしの私に言わすと今や都会の人と何かしようなんて考える
ことはない。正直言わせてもらえば「都会人は面白くない、退屈だ」
私の子供達は「田舎は嫌い」「つまらん」「退屈」なんて全く田舎に来ない
もっとも来てもらっても、ごろごろするだけなので私が困るだけ
下手に都会の子供が来るとどう扱うべきかてんでわからなくお手上げ
今はそんな時代になってしまったのだが、新型コロナウイルスのおかげで
少しは田舎に引っ越そうとする人が出てきたのが「災い転じて福となす」
コロナ様様だ
でも都会の人の多くが「趣味はテレビ・外食・買い物・スポーツ観戦・・・」
73歳~74歳で当初水彩画も嫌々やったが、完全に埋もれていた我が
才能を掘り起こせて嬉しかった。絵も案外描ける、高尚な新しい趣味
ゲットで、またまた趣味が増え人生に厚みが増しててきたというものだ
また74歳から近所の人に近くの川で鮎釣りをしたが、鮎釣りなんか
とんでもなく難しいと思っていたが、なんとも簡単で、今や毎年10分
くらいの近所の河で夏場はアユ釣りをし、家で鮎の天ぷらでワイワイ
ビールを楽しんでいる。金もかからず、何とも優雅である
おとりでの鮎釣りなんかすごい立派に見えるがサビキで小鮎をとれば
安い竿一本で行けるのだ
大工は山暮らし時代に始めたが今や道具も一式そろい、毎日大工を
しない日はないくらい馴染んでおり、今や大工が我が日課となっている
大工の技術もさることながら、頭を使い知恵を出す能力もアップした
設計図なしでほとんどの物は自分で修理したり造っている
おかげで欲しいものは何でも自分で造れるし、大工費用・修繕費用は
かなり節約出来ている。大工に頼む場合の1/3~1/10くらいで済む
大工を自分でやれないなんて、不器用でダメ男・馬鹿男・つまらん男だ
多分知恵も働かない頼りない、魅力のない男だと推察する
よく都会であるのがマッチョなんてやつだがあれは自己満足に過ぎない
欧米人は大工を当然のようにやるらしいが日本の都会の家は大工を
やるには狭いから無理もないが
都会で絶望的、都会では出来ない趣味が田舎では簡単に出来てしまう
プロスポーツ観戦とか熱狂的ファンなんてのもくだらない都会的な趣味だ
それ以外に私はスポーツもほとんどやって来たし、家事も文章書きや
人生論も一人床屋も会話もパソコンもホームページやブログも
専門では経営や管理や無駄取り改善もISO14001や環境問題も
また禅宗や資産運用、・・・あれこれ出来る男の一人だと思っている
そういう厚い経験や趣味によって私の思考や意見表明も支えられている
趣味が多く身体や頭を一日動かし続ける人に認知症は関係ない
自分が生きて行くために最低限必要なものが当たり前にやれない男は
すなわちつまらん男でしかない。当たり前に出来て、その上で都会暮らし
しているなら別だが
私の知る範囲では、ひろみ・所ジョージ・森泉・高木美保・工藤夕貴という
ところだが、私にしてみれば、このクラスでも、ごく普通のレベルに過ぎない
普段偉そうなこと言っていて「なんやかんや立派なこと言う」男が
いざやらしてみたら、何も出来やしない、例えば水彩画や卓球や料理や
家事なんかは、都会暮らしでも出来るようにしておかないと「ゴミ」だ
ところで趣味はレベルはどうでもよい、やってみて面白ければどんどん深く
入ったらいいし、オリンピック選手やプロスポーツじゃないんだから
一番になろうとすることはない、趣味なんてそこそこ出来れば一ちょ上がり
と考えればよい、あれもこれも手あたり次第やってみることを勧める
優勝とかメダルなんか取ろうなんて絶対に考えないことだ。そんな事では、
商売根性になって、趣味どころではなくなり、つらいものになってしまう
ところで最後に英会話だが
あれだけ学校で勉強してもあまり喋れない、苦手なものはしかたない
それでもいざとなればアメリカ人と少しは喋れるというものだが
まあ、そういう意味で、あれは多くの日本人の立派な趣味の一つだ
「縛られない」ことだ。なぜならば私達は本来自由なんだから
都会に長く住むと縛られる、縛られるとますます身動き出来なくなる
都会は住み難い、案外不自由な場所だ、それは山や田舎に長く住むと
分かってくることだが。今の人は苦労して金使ってそういうものを分かろう
とはしないのだ。困ったものだと私は心配している
近所のSさんの家、家や庭を整理する手伝いをした(すっきり整理しました)
女の子供さんと旦那様と3人で半日で凄まじく生えた木や草を大量に
取り除き70%は完了。私の担当は寒椿の生垣付近、重労働だったが、
思い切り自分の腕が揮えて楽しい半日でした。
こんな機会は滅多に与えられない。その後一人で6日
それぞれ半日かけてほとんど伐採と片づけ及び剪定を終えた
やがて見違えるほど美しい庭が蘇るのが待ち遠しい