村上和隆
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
新:村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
お久しぶりです、目下人生勉強会立ち上げに取り組んでいます
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀人生勉強会・クリック
村上原基健康体操塾
東京はいいよ
しかし待てよ本当に東京は良いの?
東京は良いと思っているが本当はそれほど良くないのかもしれない
確かに東京は良い所なんでしょうが、だからこそ大きな間違いを孕んでいるのです。
東京から関西に移り住んだ私にとっては東京は良くないどころか最悪ですよ。
一見良さそうな物事には、皆そんな勘違いが潜在しているもんです。
もう一つ例をあげましょう。
美女っていいよ
しかし待てよ本当に美女は良いの?
美女は良いと思っているが本当はそれほど良くないのかもしれない
良いのは顔だけのことであって、人間として良いかは全く別のこと
美女・美男とも付き合った私にとっては美女は全く良くはないどころか最悪な人も多い。
ところで、そういう観点で、人が考えるということも、どうなんですかね?
「人間は考える葦である」
あたかも考える高尚な生き物のように思っている。確かに考えることは高尚なことですが。
しかし待てよ、「現実は、考えるって本当に素晴らしいことになっているの?」
考えることで人間はどんどん愚かになっていないだろうか?
考えることで人間はかえって迷っていないだろうか?
考えることで人間は怠惰になっていないだろうか?
人間は愚かです、そういう愚かな人間が考えて、安易に結論を出してしまう
その考えは極めて浅い、極めていい加減なもので短時間で結論を出していませんか?
あたかもきちんと考えているようで、現実は考えたということで誤魔化していないだろうか?
考えているの? ⇒ 考えている でも考えていない 考えているふりをしている
人間は考えているというが、インターネットで調べて安易に結論を出す程度のものではないのか?
考えるというのは人間に与えられた素晴らしい能力ですが、諸刃の剣であって、
考えることが人間をして人間の道を間違わすことになる危険は大いにあるのです。
若者に「君はこの件についてよく考えたのか?という質問に対して若者の答えは
「よく考えました」なんですが、年上の私から見るとその若者は、全く考えていないのです。
考えるというより、むしろいい加減な考えならしないほうがいいと思うほどなんです。
考えるという素晴らしい武器は、人間を崩壊へと導く害毒にもなるのです。
考えるということの具体的な裏付けとして、行動・修行・勉強・修養・苦難・体験が必要です。
東京に住む・美人と付き合う・考えること・・・で、その善し悪しは無視して、ただただ安心してしまう。
泳ぎ方を勉強し考えれば泳げると錯覚する、考えるというのはそういう危険性を孕む。
考えるということで、人は楽をしているのです。他の生き物は考えることができないのです。
考えるということは人間を大幅に楽にさせ、安易な行動を選択する可能性・危険性を与えている。
考えるということは、こうした現実の裏付けもなく安易に結論を出す危険性を孕んでいます。
考える事は人間にとって大事なことであり、もっと深く・広く・本質を極めることに使うべきです。
パソコンやインターネットは優れたツールである
しかし
その優れたツールが人間を愚かにしてしまう・崩壊させてしまう危険性があるのと似ている
考える葦、いい加減に考える葦ならば、むしろ、考えないほうがよほど良いのかもしれない
愚かな人間が考えても、愚かなことしか考えられない、考えるというのは、案外そんなものだ
馬鹿が幾ら考えても馬鹿でしかない
馬鹿は死ななきゃ直らない
馬鹿な考え休むに似たり
人が考えるのは果たして良いことなのか?
人は考えるべきではないのかもしれない
人はひょっとして、考えないほうが、良いのかもしれない
やってやってやり尽くして、その上でたった一つだけ考えるべきなのかもしれない
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
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新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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東京はいいよ
しかし待てよ本当に東京は良いの?
東京は良いと思っているが本当はそれほど良くないのかもしれない
確かに東京は良い所なんでしょうが、だからこそ大きな間違いを孕んでいるのです。
東京から関西に移り住んだ私にとっては東京は良くないどころか最悪ですよ。
一見良さそうな物事には、皆そんな勘違いが潜在しているもんです。
もう一つ例をあげましょう。
美女っていいよ
しかし待てよ本当に美女は良いの?
美女は良いと思っているが本当はそれほど良くないのかもしれない
良いのは顔だけのことであって、人間として良いかは全く別のこと
美女・美男とも付き合った私にとっては美女は全く良くはないどころか最悪な人も多い。
ところで、そういう観点で、人が考えるということも、どうなんですかね?
「人間は考える葦である」
あたかも考える高尚な生き物のように思っている。確かに考えることは高尚なことですが。
しかし待てよ、「現実は、考えるって本当に素晴らしいことになっているの?」
考えることで人間はどんどん愚かになっていないだろうか?
考えることで人間はかえって迷っていないだろうか?
考えることで人間は怠惰になっていないだろうか?
人間は愚かです、そういう愚かな人間が考えて、安易に結論を出してしまう
その考えは極めて浅い、極めていい加減なもので短時間で結論を出していませんか?
あたかもきちんと考えているようで、現実は考えたということで誤魔化していないだろうか?
考えているの? ⇒ 考えている でも考えていない 考えているふりをしている
人間は考えているというが、インターネットで調べて安易に結論を出す程度のものではないのか?
考えるというのは人間に与えられた素晴らしい能力ですが、諸刃の剣であって、
考えることが人間をして人間の道を間違わすことになる危険は大いにあるのです。
若者に「君はこの件についてよく考えたのか?という質問に対して若者の答えは
「よく考えました」なんですが、年上の私から見るとその若者は、全く考えていないのです。
考えるというより、むしろいい加減な考えならしないほうがいいと思うほどなんです。
考えるという素晴らしい武器は、人間を崩壊へと導く害毒にもなるのです。
考えるということの具体的な裏付けとして、行動・修行・勉強・修養・苦難・体験が必要です。
東京に住む・美人と付き合う・考えること・・・で、その善し悪しは無視して、ただただ安心してしまう。
泳ぎ方を勉強し考えれば泳げると錯覚する、考えるというのはそういう危険性を孕む。
考えるということで、人は楽をしているのです。他の生き物は考えることができないのです。
考えるということは人間を大幅に楽にさせ、安易な行動を選択する可能性・危険性を与えている。
考えるということは、こうした現実の裏付けもなく安易に結論を出す危険性を孕んでいます。
考える事は人間にとって大事なことであり、もっと深く・広く・本質を極めることに使うべきです。
パソコンやインターネットは優れたツールである
しかし
その優れたツールが人間を愚かにしてしまう・崩壊させてしまう危険性があるのと似ている
考える葦、いい加減に考える葦ならば、むしろ、考えないほうがよほど良いのかもしれない
愚かな人間が考えても、愚かなことしか考えられない、考えるというのは、案外そんなものだ
馬鹿が幾ら考えても馬鹿でしかない
馬鹿は死ななきゃ直らない
馬鹿な考え休むに似たり
人が考えるのは果たして良いことなのか?
人は考えるべきではないのかもしれない
人はひょっとして、考えないほうが、良いのかもしれない
やってやってやり尽くして、その上でたった一つだけ考えるべきなのかもしれない