村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

459.巨大豪雨に思う、大いなる反省

2018-07-20 09:45:22 | 防災
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
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出来た・出来ます
今回の(線状降水帯)豪雨はかつてない甚大な被害になった
日本全国に1年で降る雨の総量の10%が関西にたった4日で降り注いたそうだ
 ・長期間(4日)
 ・広域(九州~東海)
 ・記録的豪雨(平年月の4か月分など)
今回の恐怖体験を教訓にして、今すぐに家や暮らしを根本的に見直して欲しい

日本は最早、温帯ではなく、亜熱帯になった、超異常気象で豪雨と巨大洪水が起きた
日本は世界有数の巨大災害大国になったのである
 地震・津波・氾濫洪水・土石流・火山・地すべり・猛暑・大雪・たつまき

すなわち異常気象さえも過去の事例が参考にならなくなった
豪雨などが来たら、気象関連のテレビの画面に釘付けになって、どうなっているか、
 どうなりそうか、どうするのか自分で分析し考え、行動しなければならない
今回あまりの異常豪雨だったので、あり得ない想定外の大災害になった
   気象も「想定外」
よほど安全な地域や場所を探し引っ越ししないと、もはや怖くてしかたない
お金をかけ十二分な対策や予防をやっておかなくてはならない
災害が起きて直後にインタビューすると出てくる被害者の答えや態度は
 ①生れてこの方こんなことはなかった
 ②想定外だった
 ③予防は全くしていない
 ④自分専用の避難場所を確保してない
(自ら納得する避難場所を自分で確保せよ)
  避難場所がどうあらねばならないかなんて考えない
  避難場所は役所が用意するものと思い込んでいる(役所の避難所を利用するのは一時的)
  避難場所の安全性を自ら厳密の検証することなどない
  避難所に自ら行ったことも、そこで寝たりしてみたこともない
  ことほど左様に災害に対して自ら考え・確認し・設定することはない
  自動車や重要なものも避難させる人は少ないが、事前に場所を決めておけば簡単に出来る
  財布や通帳・免許証。保険証などは事前に決めた袋に収納して、いざと言う時に持ち出せる
  大事なものは水に濡れても平気な密閉容器に保存しておく
 ⑤車や大事なものの事前避難はしてない
 ⑥事前の避難行動が遅れる、ぎりぎり
 ⑦災害指定地域であることを事前に知らない、知ろうとしない
 ⑧災害起きた場合の対応を事前に準備したり被害緩和のための準備してない

 災害⇒想定⇒住む場所の変更⇒自前の避難先確保⇒更に予防処置や緩和処置
  ⇒万一起きた場合の対応の準備

ここ迄でやっと災害の予防・緩和・対応の準備が完璧なのであるが、
大半の人は真剣さが足りない、何もやれてない   対応の準備とは:
  水や非常食やラジオや照明、ロウソク寝る場所、バイオトイレ、テント、バール、
  近くや自前の避難場所に身体を洗う場所の確保・・・


全てがほとんどやられていないのは、すなわち「想定外」で済ますからなのだ
災害の多い国なのに、妙な安全神話、どうにかなるさが蔓延している
平和が続く、災害がないと、いつしか予防や緩和や対応準備を完全に忘れてしまう
付近の状況は変わらないが、災害の大きさは従来の2~3倍になっているのだ

・戦争はない(野党がさかんに言うことだが、ナンセンスだ)
・大地震も自分のところにはない(大阪の直下型地震が正にそれだった)
・大津波も自分のところにはない(東北地震が正にそれだった)
・土石流も洪水なんてない(今回の豪雨が正にそれだった)
・いざとなれば、役所がやってくれる(今回や大都会では、かなり無理)

・家や自動車が洪水で流される
・家や自動車が浸水、水没する
・土石流が襲う
・家が倒壊する、埋まる

・山からの水
・山からの土砂
・山からの土石流
 1)裏に山があるか?あれば相当早めに避難する
 2)水が大量に流れてくる道の下にないか?
   山からの大水は道にそって降りてくる
 3)土石流の流れてくる道の下にないか?
   山からの土石流は道にそって流れてくることが多い
 4)山の土が大雨で流れ出易い種類か、植わっている根っこが浅い

・川の決壊
・池などの決壊(上流にため池なんてありませんか?)
・水が溜まる(大水はどこからどこに流れていきますか?)
 住んでいる地域がどんな場所にあるのか?危険はないのか?
 付近に山や川や池など洪水や土石流の原因がないか?

よく確認しておくべきであり、もし危険地域であれば、何らかの対策が必要である
今回の豪雨被害の大きな場所を観ると、一般的に次のような場所は危険だ
 1)近くに川や池があるか?
 2)水が大量に流れてくる道の下や近くにないか?
 3)長時間の豪雨や決壊した水が溜まらないか?

今回の広島の土石流や家水没は、その地域が低地で豪雨が起きると
川が決壊し山から土石流が襲って低地に溜まる地域であることが事前に
分かっていたそうだ。しかも上流に、ため池やダムがあったそうだ
日本は、そんな場所が警戒地域としてホームページに明確にされている。
しかし、そういう場所に家建てて住む、又は何の予防をしないで平然としている
何でなんだろうか?
「こんな災害はなかったので甘かった」と深く反省する住民がいたが、そのとおりだ
   災害に関する考え方や予防対策非常に甘かったのだ
予防をしないとまた同じ災害に必ず襲われることを肝に銘じるべきである
 予防例:
 ・1階をピロティーにし、2階以上に家を作る
 ・鉄筋コンクリートにする土台を高くする
 ・山からの土石流被害のない場所に引っ越す
 ・土石流被害のない高台に引っ越す
 ・土石流被害を弱める構造の鉄筋コンクリート造りにする
 ・浸水時に家ごと縦方向に浮く構造の家にする
 ・家の周囲を土石流や浸水に対応できるように防護する
 ・水に濡れさせたくないものは高い位置に保管できる場所を作っておく
 ・必要ならばゴムボートなど各家に簡易な船を準備しておく
 ・救命胴衣を用意しておく


しかし土地が危険な場所にあること自体がまずは大きな問題である
災害が来ても被害に遭わないためには、事前に確認・対策・予防だ
 ①危険地域に住まない
  川・山・崖・土石・堤防・坂道・低地
 ②危険地域に住むならば安全な場所を選ぶ
  高台・山から離れる・川から離れる
 ③土石流や川が決壊しても自分の家は被害にあわないように予防する
  家の土台の高さ・一階はピロティー・鉄筋コンクリート

危険な場所に平気で住んでいませんか?すぐに引っ越しや対策して下さい。
 ①山の麓
 ②川のそば
 ③大河の周辺
 ④低い土地で水が溜まる地域
 ⑤造成地
 ⑥崖の下
 ⑦急な坂道
 ⑧貯水池の付近、下の地域
 ⑨堤防の内側
 ⑩周辺に比べて低い土地
 ⑪地盤の脆い土地、元海、元川、元池など
 ⑫山の道の真下
 ⑬水のたまり場になり易い
 ⑭大都会の真ん中(大都会は大災害にかなり脆弱である)
大阪市内や東京の下町や京都の市内はかなりの危険地帯、私は絶対に住みません
私の住む滋賀県安曇川の田中は、相対的にかなり安全地帯だと思います。ぜひ引っ越しを

今回の広島の床上浸水や家の倒壊は土地の状況が極めて悪い場所だった
ひどい豪雨になれば一たまりもない土地だったのだが
いままで大きな被害がなかったのが不思議なくらいだ
要するに過去には大きな被害がなかっただけのことなのだ
「災害は忘れた頃にやって来る」のである

山に囲まれ、山に近く、家の建つ平地はプールのような状況なのだ
このような危険地域は東京や大阪をはじめ全国各地にあるようだ
過去に被害がなかったことを良師とせず、住む土地にどんな危険があるかを
よく確認しておかなければならないが、この地は災害の指定地域だったそうだ
指定地域であることを知らなかった、又は知ってても甘く見ていた
対策や予防がいい加減だったということである

私が災害用に準備しているもの(当然皆さんも準備していると思いますが?)
 4人用テント、空気ベッド、ライフジャケット、災害時用運動靴、
 1mバール、スコップ、大工道具一式、ヘルメット、乾麺・レトルト食品、
 水、停電時LED照明、ローソク、バイオトイレ(ポリバケツにおが屑)、
 屋根付き駐車場、板と土嚢袋、


しかし普通の人はそんなものを考えもしないし、当然用意してない

その後も空前な猛暑が続いている、一体日本は大丈夫なんだろうか?
大豪雨・大洪水の後は、なんとかつてない連日の猛暑だ
昨年まではこんなことはなかった。ここ安曇川でも最近、冬に大雪が降るようになった
あきらかにここ2年、かつてなく気象が大きな変化し、大きく狂っ来ている
各地で40度が続いているが、外で測ると日中は+10度で50度近い、
50度は風呂の温度より10度高い、そんな所にじっとしていられますか?

私も昨年74歳から初夏に熱中症のひどい症状で苦しむようになった
花粉症同様に、次期が来ると確実にやって来る
猛暑が続く中、年寄りの多くはよほど注意しないと部屋の中でも死にいたる
症状は
 ・しんどい ・食欲がない ・頭痛 ・横になりたい
こういう症状が初夏以降数日続けば間違いなく熱中症である
 ・水分補給 ・塩補給 ・身体を適時冷す ・エアコン使う ・扇風機使う
7~8月は一日かけっぱなしでもしかたない状況、でも万一停電することもある
 症状が出たらすぐに医者に 症状が出たら外に出ない 症状が出たら安静に
私は医者から漢方薬を処方してもらっている
ツムラ補中益気湯 ホチュウエキトウ 41

遮熱・断熱・空調・扇風機・除湿器などを的確に利用しなくてはならない
日中の戸外での作業は一切やらないようにしましょう
またサングラスをかけることも絶対に忘れてはならない
また夏の行事はやめましょう、または時期を秋にずらしましょう
もし、懲りずにどうしてもやるのなら、殺人罪に問われてもしかたないでしょう
 ・オリンピック
 ・高校野球
 ・夏祭り

多分、京都の祇園祭りなど、廃止や変更をしないと思うが、人は頑固なのだ
過去を断捨離し、よくよく考え、調べどこに住むべきかをこの際考え直そう

都会に住むのもよし、山すそに住むのもよし、海のそばに住むのも勝手だが
土地の災害を想定し、予防、処置対策、緩和処置を事前に講じておきましょう
もうバカげた成長神話・平和神話・役所神話などをきっぱり捨て
破綻崩壊や大災害多発にめげず自力自助努力を真剣にやろうではありませんか

例えば高齢化時代で腰痛患者や寝たきりや要介護者が急増しているが
「年取ったら、歳に抗わず、諦めるしかない」という老人が多いが大きな間違い
むしろ日々身体全体をこまめに動かす努力が大事なのだが、老人はやらないのだ
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458.質問:友人とはどんな人ですか?

2018-07-05 13:13:22 | 会話
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出来た・出来ます
テーマ:質問:友人とはどんな人ですか?
  人付き合いが浅くなり、深い付き合いを避ける

何事も、原点に戻って、そもそも何なのか?と時々問うてみるとよい
意外にも答えは簡単には出てこない、すなわち全く分かっていない
今回のブログでは「友人とは何か?」の質問を投げかけてみます
よく考え、出来れば、とりあえず自分なりに答えを出してみて下さい

友人とは何ぞや、友人に満足しているか?自分の友人はどうなのか?
「友人とは何だ?俺たちは友人か?」友人とも語り合ってみて欲しい
一般的に日本人は宗教観同様、友人に対しても淡泊なので深くは考えない
一日中いや1週間1カ月も人と会話しなくても平然としている日本人は多い
便秘じゃあるまいし、原則毎日、ご近所さんと会話し付き合いましょうよ

1)友人とは一体何ですか?
2)友人は何人いますか?多いですか?
3)親友とはどんな人ですか?
4)親友と普通の友人とはどう違いますか?
5)友人は何人くらいがよいと思いますか?
6)異性の友人はいますか?異性の友人は友人ですか?
7)友人とはどう貴方の人生に係わっていますか?
8)友人がいない時期がありましたか?
9)友人がいないとどう困りますか?友人は必要ですか?
10)親子や兄弟とは友人ではないですか?友人はどう違いますか?
11)自分が嫌な人は友人にしませんか?
12)友人の大半は同じ年齢の人ですか?何等かの傾向がありますか?
13)友人と別れる場合、つらいですか?つらくないですか?
14)なぜ一部の人だけ友人なのですか?
15)友人の条件は何ですか?
16)友人は偶然に出来るのですか?
17)友人はどのくらいの頻度で会いますか?
18)友人はどこの人ですか?会社・近所・趣味・血縁・旧友?
19)友人を作るにはどういう努力をしたらよいですか?
20)今いる友人で満足していますか?友人はいればよいのですか?

私を含めて多くの人は「友人とは何か」など全く分かっていない
友なんて、普段付き合っている人程度の感覚しかない
面倒臭い、厄介、格別会話することもない、むしろ嫌なやつばかり・・・
友人はいるものの、本当に友人なのか?価値ある友人なのか?
改めて訊かれたら、全く答えられない、あげくのはてに
今の友人に「どんな意味があるのか?」さして重要な友にも思えない

友人でもない人を友人と信じて一生懸命付き合っている人は多い
「友人がいない」と悩んでいる人のほうが、案外真面目に考えている
友人って何なの、本当に必要なの、なぜ、どんなのが真の友人?
現代においては、真の友人関係なんて現実にあり得るのか?
チャランポランな、どうでもいいような友人ばかりだったりする
何事も本物と偽物では全く違うもの、多くは偽物で誤魔化している

どこの馬の骨とも分からん人と必死に付き合っているのかもしれない
実際の友人を次のように点数で評価してみたらいかがでしょう?
(各項目:10優秀・8優・6普通・4下・2最悪⇒50点が限界)
出来れば70点以上と付き合いたいがそんな友人は見当たらない
友人などというものはその程度のものだ。下に事例をあげてみたが
56点などは合格点で、実態は40点くらいなのかもしれない
   1)知識経験性    6
   2)倫理道徳性    6
   3)人間性      6
   4)生活力・行動力  6
   5)利益・有効性   6
   6)創造性      4
   7)思考力      4 
   8)楽しさ・明るさ  6
   9)良識・常識    6
   10)表現力      6
          合計点 56点
これ自体はさして意味はないが、考える糸口にでもなればと思う

お粗末な人を友人として付き合いをしているとしたら、
肥え溜めを「良い湯だ」と気持ちよさそうにしているのに似ている
友人に限らず、多くの人間の人生は肥溜め人生なのだ
願うべくは、良い友達が欲しいが、現実はそんなにうまくいかない

●昨今の私が強く願っていることは、
   まず自分自身が相手にとって良き友であることである
●友人ができない最大の理由は自分にあるのではないか?
 自分を磨けば、自ずと、自分より優れた友人も増えてくるはずだ
●友人を選ぶ以前に、自分が相手から選ばれなければならない
●子供と同様に友人にも”私の”と言う言葉を頭につけると間違いの元
●友人などというものはさほど素晴らしいものではない
 あまりに友人に拘らないほうがよい
●結婚相手を決めるなんてこともすごい難しいことだ
 それが証拠には昨今は日本でさえ離婚が増えている


友人とはあくまで恋愛感情抜きの話、恋愛感情は本当はくだらない
恋愛感情というのは羨ましいようだが、冷静に考えるとむしろ弊害だ
日本では男女の恋愛関係も友人関係が少ない又は希薄だが
男女の友人はあり得るが男女の恋愛関係と友人関係は同じものではない
これを混同するといろいろな誤解や問題が生じる
恋愛関係というのは基礎的な同一基盤がないので、時に簡単に崩壊する
恋愛関係とは酒に酔うようなものであり、友人関係とは相反する
60歳になって退職し家にいる時間が増えると
恋愛関係の夫婦にとってはもはや「好き」ではない鬱陶しい存在だけ

私は恋愛感情が薄れたら、高齢化時代には距離をおくべきだと思う
夫婦は、友人ではない、「一時の好き」で一緒になっているだけ
「好き」が薄れれば一緒にいる意味がないし、むしろトラブルの元だ
友人関係 ⇒ 恋愛関係 ⇒ 単なる契約関係と変化してくるのだ
高齢で家で二人きりというのは、単なる契約関係なのだから
「そろそろ離婚(別居)しましょう」なんて契約変更もあり得るのだ
生涯愛し合うなんて現代では時代錯誤、夫が浮気するのは本来自然な姿


すなわち恋愛関係というのは、冷静に考えると、さほど価値はない
「盲目の恋」とか「結婚は人生の墓場なり」というのはその通りだ
50~60歳になって仲良し夫婦なんて、どうにかしている
ある意味怪し気・不気味だし、単なる仮面夫婦でしかない

高齢化時代の人生は2期に分かれる、すなわち人生は2つあるのだ
人生1期が終了する大体50~60歳に、2期に備えるべきなのだ
愛情関係を清算して、友人関係に転換すべき時期でもあるのだ
子育てが終われば恋愛関係も終わりだが、人間は長生きになった

どんな友人にしろ、友人作りが下手な人の人生第2期は厳しい

1)友人とは俗に言う「馬が合う」という相手同士のことだろう
  馬が合わなければ、付き合いは長続きしない
2)それと話題が互いに共通していることもあるだろう
  趣味友達というのもその一つだろう
3)それと互いに価値観が同じ人というのも条件だ
  不潔とか、貧乏くさいとか、厳しい など価値観が合わないと困る
4)何となく面白い、楽しい、愉快なんていうのも大事なことだ
5)中には仕事仲間というのもある共通の目標に向かって頑張る同志
6)また飲み友達なんてのもあるが、「息抜き仲間」だ
  前向きではないが人間は昔から何かと言うと飲んだくれる
7)褒め合い友達・慰め友達・指摘友達・放蕩友達なんてもあり得る
8)一番望ましいのは近所友達だ「遠くの友」より「近くの他人」だ
 友人などと気取るのではなく、近所付き合いこそが友人の原点だ

まあ友人になるにも、何等かのきっかけが必要で
魚釣りのように、餌を上手く仕掛ける人が魚を沢山釣るようなものだ
他方餌かけが下手な人は雑魚一匹さえもつれない
何度も言うが孤独が悪いと思っていない、むしろ前向きな孤独であれば
孤独を味わい突き詰めた者のほうが素晴らしい人生になると言うものだ
概して人間などという者はくだらん、傲慢・堕落した者を
無理して友人にする必要はない、努力はするが無理しない、
肩の力を抜く、友人が出来てもその友人に拘ることはない、縛られない
むしろ一期一会の友のほうが望ましいくらいに最近の私は思っている

但しやはり普通の人間は一人では生きるのが難しい・つらい
まあ友達とは近所の本当の仲間みたいなもんだ
昔戦後の東京の下町のご近所さんは家族以上だったことを思い出す
現代は近所さんとの付き合いをしない傾向があるが大きな間違いだ

・いざとなれば頼りになるのはご近所さんだ、普通に仲良くせい!!
・家族は今や同じ家に住まなくなった遠くの人となったことも心しておけ
・血のつながりに、どれほどの意味があるのか、考えてみろ

何しろ何かに拘り過ぎて、友人関係を歪めてはならない
少なくとも友人を色分けというか差別するのは止めよう
60歳以降の私のように、老若男女、見境なく誰とも付き合おう
近くにいる人達がいざと言う時に助け合い励まし合おうではないか

血のつながりだけで会話や付き合いも全くないが、家族に拘っている
友人というか自分をとりまく友人をきちんと考え直す時期に来ている
あなたは、自分の友人・近所とどう向き合うべきなのか?
「もう老い先短いから友人などどうでもいい」なんて「勝手にしなはれ」

動物でも群を作らず一人で生きる獣がいるし、弱い者は群れるとも言う
人間も一人では活きられない、歳とって悟りきればそんなこともないが
年取って悟り切ってしまうと逆にどんな人とも付き合えるようになる
私も昔は、孤独で友達もいな時代が長かったが、  55歳から
人里離れた山で長く暮すうちに友達が増え・会話好きになって行った

孤独な若い時代を思い起こすと「人間がカリカリしていた」ように思う
トゲトゲしていて相手も近寄り難かったと思う。
   未熟なのに、
やたら自己主張が強く・他人を受け入れない・その割に自信がない
面白くもないし、相手への思いやりもない・・

舌きり雀のお婆さんのように、重いゴミのツヅラを背負い続けて来たのだ
20年の山暮らしで、やっと重いツヅラを降ろし身も心も軽くなった
過去を断捨離するには、過去を引きづっていては無理なことを思い知った
今75歳で思うことは肩に力が入っている内は、友達も出来ないものだ
心がゆったりしてくると、意識せずに、勝手に友達が増えてくるものだ

ところで、私が今思う「友としての最低限の必要5条件」は
 ①ゆったりした・心の広い大きな人
 ②あれこれ経験や見識が豊かな人
 ③健康な人・明るい・楽しい人
 ④依存や甘えがなく、かつ謙虚な人
 ⑤何でも挑戦し、行動的な人
5条件を備えている人は少ないですから、現実には若干の妥協をするしかない

「友達百人出来るかな?」でなく「良い友達が一人でも出来れば」よいのだ
「本当に良い友達が一人でもいるのだろうか?」と考え直すべきだろう
友人は人数が多いことが重要ということではない   どちらかと言うと
多くのどうでもいい友人より一人の素敵な友人を目指すべきだろう
ここらへんも、「友人とは」の各自の考え方によるのである

自分より優れた人が簡単に自分と付き合ってくれるだろうか?
結婚しない若者が増えているが、伴侶をゲットするのは簡単ではない
自分より素晴らしい友は出来難い、碌デナシは碌デナシと付き合う
一般的に、優れた人は、より優れた人と付き合いたがるものである
友人とは一般的に自分と同程度か以下の人で、さほど役立ちはしない
どんぐりの背比べ、価値ある会話もあまり期待出来ない
すなわち同程度以下の友人が普通だから、あまり期待しないことだ

現実の友人関係はそんな程度のものであり、類は類を呼ぶのだ
頭の良い、あまりに立派な人とは付き合い難いものである
自分がつきあっている友人は自分の鏡なのかもしれない
だから友人は互いに慰め合う関係で競うべき相手ではない
名門の野球部に入れるような人はごく一握りなのだ
しかも何かで世界的な一流の人でも万事が優れているとは限らない

そのようにあれこれ考えると自分にとって友達とは何なんだと迷う
「迷ってもしかたない」と考えるのをやめてはならない
人は大いに迷うべきである、迷いを楽しむべきである
迷うのは悪いことではない、迷うから迷わなくなるのだ

長年付き合っていた友人とある日大喧嘩して別れることもある
友人などと言うと多いほど良いことのように思われているが
そうではない
部屋に無用なガラクタが沢山あるように、ガラクタ友人が沢山いても
何も得ることはない、いっそ孤独でいたほうが無難なのかもしれない
「キジも鳴かずば撃たれまい」なまじ友達なんかいるために悩み苦しむ
友人に限らないが、何でもあることが良いと思い込む人が多い、例えば、
金持ちとか秀才とか美貌とか必しもあればあるほど良いとは限らない

友人は、とりあえず誰とも付き合うというスタンスが良いと私は思う
日本人は誰とも付き合う、誰とも友人になることを放棄している
相手との摩擦や揉め事を嫌うのだ、「触らぬ神に祟りなし」なのだ
多くの日本人には、友人とは身近な人を必死に友達に仕立てることだ
友人が出来るとその友人に拘る、縛られる、離れまいと必死になる

昔の私は60歳くらいまで、友人は出来ず、孤独であった
しかしその後180度変わって誰とも付き合うようになった
そうすると、誰とも付き合う反面、友人造りに、あくせくしなくなった
一人なら一人でもいい、街中で人に出会ったら気楽に声かける
声かけても良い返事が返って来ない人は多い、「なぜなんでしょう?」
「自分のことをどう思っているか」他人の思惑を気にかけなくなった
若い時以来54歳までさんざ他人も目を気にかけて来た私なのだが

すなわち友人が出来たが別にその友人を独占しようとは全く思わない
友人を固定化する/固定化されるのは怖いこと、危険だと思っている
友人が偏った考えを持っていればそんな影響を受け続けるのは危険だ
友人以外何でも固定化・限定化するのは危険だと思っている
トランプさんが急激かつ大胆にアメリカファーストをやっている
独断的なやり方は友人をなくし、敵に回し、怨念を蓄えることになる

さて結婚についてであるが、最近は結婚しない人が増え、少子化している
豊な時代には結婚して子供を造る必要はない、それよりも自分自身が大事
親・兄弟・子供・他人より大事なものは自分、付き合いなんて面倒臭い
夫婦は長い間縛られる関係、そんなものはぞーっとする
高齢化時代の夫婦関係
・夫婦協働時代
 1)新婚時代
 2)養育時代
 3)子離れ
・夫婦自立時代(おまけの時代)
 長く縛られた関係から、自由な暮らし・生き方に戻るべきだろう
 4)リタイアー
 5)老い
 6)死期前

友人とは遠くにいようと、恋焦がれなくても、自分の心に寄り添う人
ただ残念ながら、
そんな友人はほんの僅かしかいないか、いないと言うべきか
私は若い時から60歳くらいまで
明確にこれが友人だという人はいなかった、どちらかと言うと孤独・孤立
しかし60歳過ぎる頃、友人もでき、孤独で悩むこともなくなった
孤独を味わうようになったし、他人との付き合いも楽しめるようになった
友人とはべたべたした関係ではない。

人との付き合いは、恋人でも愛人でもなく、クールな友である
 ・依存し過ぎない
 ・好き過ぎない
 ・意気投合し過ぎない
 ・気にかけ過ぎない
 ・つまらん関係を作り過ぎない

友人と言うとつい、いつも寄り添い付き合う関係のように言うが
私的にはそうではない
他人というのは薬ではない、むしろ毒であることもある
特定の人を長くベッタリ寄せていると、その毒は本当に効いてくる

日本では街で気楽に声かけても最初は素直に会話に乗って来ない
「この人一体何なの?」と高い壁をつくり、距離をとる
何なのだろうか?何でもっと気楽に楽しく会話を楽しまないのか?
隣近所の人と挨拶もしない、会話はしない人が多くなった
経済成長前は、そんなことはなかった、近所付き合いは広く濃かった
この経済成長期の何が人々を寡黙にさせてしまったのだろうか?
近所付き合いをしない・挨拶をしない・他人の目を避ける・・・

現代人は
 ・出来るだけ会話しない、付き合わない
 ・付き合うのは自分の許可した人だけ
 ・隣の人やご近所さんと付き合うのは鬱陶しい
 ・自分の年齢と差の大きな人は付き合いたくない
 ・見知らぬ人なんか挨拶さえもしたくない
 ・それ以外の人は、せいぜい適当な挨拶程度
 ・もっぱら会話や付き合いはLINEでやる
 ・自分のやっていることは写真撮りネットに挙げる
 ・それと、付き合いらしいものは、いつものメンバーで女子会や飲み会
 ・異性や初対面の人と話すのは苦手、話題が続かない
 ・他人と衝突するのは嫌だ
人は貝になった、重い固い貝殻をかむり、何故か自分を守る


テレビ・携帯電話・インターネット・過密都市・豊さ・マンション暮し
多忙のせいだろうか?
人は深く物事を考えなくなったし、人と係わらなくなった
私の経験では、友人つくりは挨拶と笑顔と会話から
 1)必ず挨拶をする
 2)笑顔・笑い・気軽さ
 3)誰にも声かけ・少しお節介に
 4)相手も乗り易い楽しい話題つくり
 5)自信を持つ、でも壁は作らない
 6)文章書きを続ける
 7)何事にも挑戦・異文化体験
 8)田舎暮らし・山暮らし
 9)深く考える・創意工夫する・習慣
10)トライし失敗も多くすること
11)大工や野菜作りを続ける
12)自分自身の生き方を走り続ける
13)どんどん質問する
14)誰にも教えを乞う
15)関心する・感動する・驚く・賞賛する

友人になる第一歩は挨拶と会話だ、挨拶出来ないと友人は出来ない
会話の前が挨拶だ、「たかが挨拶されど挨拶」だ、気軽に交わそう
友人がいない人、人付き合いが苦手な人の多くは会話下手なのだ
挨拶や会話が出来ずに、人はまず仲良くなることはない

「会話一年生」一から始めないと一生、会話らしい会話も出来ない
そんな人生は実に惨めなものだと思う
人として生まれて、読み書き出来て、一生会話をしないなんて
頭も目も耳も鼻も口も語学力も広い知識経験もあるのに
問題なのは、
頭も良い良識もあるマナーも良いのになぜか会話下手な日本人が多い
日本独自の社会的な要因だろうが、人なのになぜ会話が苦手なのか?
「話さずに相手に分かって欲しい」と虫の良いことは考えないことだ
日本人は各自もっと気軽に多くの人と付き合い会話を楽しんで欲しい

友人は百人ではなく千人・万人・無限であるべきなのだ
特定の友人しかいないというのがむしろ異常なのかもしれない
そういうことで友人について深く広く考え直してみましょう

人付き合いがますます浅くなり、深い付き合いを避けようとする
・もともと日本人としてあまり口を出すことを抑制してきたが
その上に
・挨拶をしない
・付き合いを避ける
・結婚しない、相手を探さない(男女よ大いに語れ)
・結婚相手がいない(自分を磨け)
・一人でいたい、お宅、引きこもり
・テレビやDVDやパソコンやゲームだ
・人より犬や猫のほうが可愛いし面倒臭くない
・平和で豊かで便利で何も心配なんかない
・隣人に聞くとか何か借りるなんて考えたこともない、コンビニに行く
・考えるのは面倒、考える必要もない
・動く、汗かくのは嫌、趣味も大して興味ない
・俺は何もしない、金出せば誰かがやってくれる
・自然も田舎も面倒臭い、都会で便利を享受する
・あたかも最先端の現代人のように装い次のような”意味ねー”的態度
 人は考える葦ではない、面倒臭い
 人にとって大事なのは絆なんかじゃない
 人が汗水たらして頑張るなんて昔のこと
 他人と深く係わるなんてのも昔のこと
 一体友人なんてどんな意味があるの?
 あるとすれば飲みに行って駄弁る時だけくらいかな
 会社の仕事終わって飲み会なんてまっぴら御免、無駄なだけ
友人だけでなく、ことごとく何でも「意味ねー」で片づける
しかし
そんな社会にしたのは経済成長期に頑張った私達なのだ
世界は年々怪し気な政治家や指導者に振り回されている
世の中はゴチャゴチャで大混乱前夜であるように思うの
そのうち「エーイ面倒だ、一度壊してしまえ」となる
私はそんな中で55歳以降山暮らしや田舎暮らしを選んだ
都会や人と交わりを断ち、20年うそ社会から距離を置いてきた

第二次大戦の日本のように又は北朝鮮のように人々は、主体性なく
指導者や人工知能の言うがまま、スマホが唯一の友や師のように
科学技術進歩は良いが、人は振り回され、しんどそうに日々生きている
一体、このバラバラの社会や世界はどういう方向に行くのだろうか?
トランプなる人が社会や世界を是正し立て直ししてくれるのか?
ひげや軍服は来ていないが、第二次大戦のヒットラーのように見える
怪し気なあんな者達に自分の人生を引っかきまわされてなるものか?

当り前の町の当り前の人と当り前に付き合い、当り前に暮らす
肩の力を抜く、  依存・執着もいかんが、無視・無関心もいかん

長尾のログハウスの前庭の階段を鹿対策のため簡易なドアーが必要で
従来の使い難い衝立をドアーに直した。およそ最後のリフォーム
買う人がこてこての都会人なので少しでも小綺麗にしないといけない
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