村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

435.「私はそれが苦手です」と簡単に拒否・拒絶しない

2017-06-14 16:18:17 | 暮らし
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
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    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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テーマ
「私はそれが苦手です」と簡単に拒否・拒絶しない


人がいない長尾の山から安曇川の終の棲家の田中竹の里に移り住んで早2年半
同じ安曇川でも、山の暮しとは大きく違う町の暮らし(都会は人ゴミの町)
田中も静かな田舎ですが、冗談に「田中は大都会だなー」って言うのです
そういう中で、久しぶりに近所付き合いも始まって来た
ところが私に関しては、近所付き合いが上手いとの評価を戴いている
「付近が明るくなった」など嬉しいお褒めの言葉も戴いてしまった

実は凄く不思議なことなのだが、20年の山暮らしの結果だろうか?
私は都会暮らしの55歳までは、とにかく人付き合いも何もかも下手だったし
人間関係では、むしろ悩み続けて来たからだ、友人もほとんど出来なかった
どちらかというと暗い性格だったろうか、ところが
最近の私は友人も多く出来、皆から村上さんは付き合い上手だと言われている
ところで、世の中にはかつての私のように人付き合いが苦手な根暗な人は多い

最近それと同じような現象があった、それは絵描きについてである
絵を描くのと習字は70年間私のコンプレックスの最たるものであったのだ
絵はとにかく下手、並の下手ではない、自他認める”絵と字の音痴”
習字は先生から「すっごーく字が汚い」と生徒の前で大きな声で言われ
 字が下手⇒国語嫌い⇒本読まない⇒文章書かない⇒文科系は苦手意識
絵も同様に私にとって大の苦手なものの最たるもので、長年私を責め立てて来た
先生や親や先輩や友人のたった一言が人の人生に災いを植え付けてしまうのだ

ところが偶然に田中の3軒隣に絵の先生が住んでいたのだ「絵を描きませんか」
私にとっては、悪魔のお誘いであり、当然うかつに乗れませんでした
「絵と字は我が人生で最大の苦手なんです」と1年半断り続けて来た
その時は悪魔か女神かよくわからない人が登場したのでありますが、それでも
絶対に絵を描くなんてことは我が生涯にありえないと心に深く刻んでいたのです
どんな甘い誘惑や魔の手が来ようと、絶対に微塵も揺るがぬ信念でありました

しかし、何と言うことでしょう、
私は2年目の4月5日絵描きを始めてしまったのでした
まあ小舟で太平洋に漕ぎ出してしまった(それほど大袈裟ではないってか)

「村上さん、お絵かき教室が始まります、たった一年間です、いかがですか?」
「一年間か、まあ駄目ならば2~3回出て止めればいいか」と思ってしまった
青天の霹靂とは、まさにこの時の私のことです
そして、4月5日ついに絵描きの教室に行くことになったのです

何せ50年以上も絵を描いたことがなく、すごい絵コンプレックス人間で
「絵は大の苦手で描けない」と信じ切って生きて来た小ぽけな私めです
当然生まれてこの方、人から絵や字を褒められたことも全くありません
その私がなんと、絵描き教室に来て絵を描き始めてしまいました
あーあ、ついに踏み越えてはならない一線を踏み越えてしまった!!!
かつて東工大、大阪単身、松下電器、京都移住、エンゼル工業、ローム、
コンサルタント自営、安曇川の山のとき同様な青天の霹靂がやって来たが

私にとっては大袈裟ですが、つらい、人生最大の心臓バクバクものでした
4月5日初日、初心者ばかりかと勝手に思って参加したら、皆経験者でした
「今度参加する村上さんです」「えーっ初心者は俺一人だけ」しかも大半は女性
いきなり「さあー今日のテーマはお魚です、どうそ書き始めて下さい」だって
「一体、何を、どう描けばいいのか?」「何だかんだと言われる」のですが
土素人に、難しいことを理解し、実行出来る、そんな余裕はありませんや
裸で女性の前に立たされたような恥ずかしい心境でした(例えが良くなかったか)

とにかく絵を描かなくてはならない、必死です、鉛筆デッサンの方法は知らない
でもでも、そのうち何とか絵になり始めると、やっと少し落ち着きましたがね
絵は俺がやるべきものではないと、現実問題としてはっきりした初日だった
休憩まで必死に魚を睨んで、画用紙の上に絵描いて行きました
1~2時間くらいだったでしょうか、「休憩ですお茶をどうぞ」
私はいろいろな面で、ホトホト疲れていました、疲労困憊でした

私は間食しないし、お菓子やお茶どころでもなく、他の人の絵は、さすが上手い
私の絵はやっとこさっとこ、かろうじて絵になっている、という状況
でも言い聞かせました「絵なんか上手くなくてもいいのだ」と
でも、あとでこの言葉は意外に大事なことだと気づきましたが

休憩後、気分一新、再度絵を描く作業に集中して行けました
するとどうでしょう
何とも言えぬ落着きで、神経集中、精神統一、瞑想みたいな気分になっていた
周囲のことが気にならず、ひたすら絵を描くことに集中して行ったのです
絵が上手いか下手かはどうでもいい、夢想無念・無我・無心
ひたすら絵を描くことに全神経を集中出来ること、そのものが素晴らしいと実感

初日の結論は、「当分、止めずに絵を続けよう」だったのです

早速スケッチの本を買ったり、家でデッサンを始めました
そして6月7日3回の絵描き教室に通い、三日坊主にたどり着きました
あとはどこまで続けられるか?案ずるより・・・・
その後、デッサンは案外上手く描けていったのです、びっくりしました
案外描け、先生のずばずばと有益な助言も良く、更に褒めても戴きました
「きちんとしっかり描けています」ですって・・・・真実、嬉しかったですね

男の先生のアドバイスを受け、教室で他の人の絵を見て、上達したように思います
「苦手ではない、案外描ける」というふうに変わったのが現在の実感です、
「よかったコンプレックスで一生を終わらなくて」そして、
ここ数年いろいろな苦手を克復した私は最大の苦手も克復したことを嬉しく思った
習字も自習でやっていますが、意外とソコソコ書けるようになってきました
苦手ではない、苦手と強く思い込み、それをやらない理由にしてきただけなのだ

最近他の人にも絵描きを勧めるが、かつての私のように「大の苦手です」と言う
何と私が絵を描けと説得する側になっているという、皮肉な結果になったのです

かつて会話も大の苦手でしたが、今は会話は大好きに大きく変わりました
私のことを、何時間でも話す、或る意味やや困った人になっているのです
かつて山暮らしも大工も野菜も料理も大の苦手でしたが、今は得意分野です
「苦手です」この一言で片付づける人生は不毛です「苦手です」は禁句なのだ

さて絵描き教室の第三回目は題材が沢山おかれた、そして目の前に靴が置かれた
どうやら靴二つとよれよれの帽子を描かなくてはならないようだ
しかし悲しいことに靴は描いたことがないので自信がない、
まだ新しい画題が出るたびに不安や恐怖感が生じ、ひどく戸惑う私なのです

ところがこの難題も結果的にクリヤーできていて、それどころか案外上手い
こういう経験の積み重ねが自信になっていくのでしょうね
「絵だけは、苦手、勘弁して」と言う人もやってみれば案外上手く描ける

まだ絵に関してかなり消極的ですが、徐々に快方・開放・解放に向かっています
55歳で未知・未経験の山に暮らし始めた時のことを思い出します、
何かのきっかけで、偶然に物件のあるその山に入り来てしまったのです
そこですぐに中古ログハウスを買った私だったのです

当初5年くらいは山に5日京都に5日という繰り返しでした
そうです、最初は山にずーと住み続けることが苦痛だったのです
当初数年は山暮らしに馴染めなかった、それが何ということでしょう
10年目くらいから自然に山に住む比率が増し、京都が苦痛になって行き
そして15年目には完全に山暮らしが好きに、都会嫌いに変わって行ったのです

そんなものなんです、当初は苦手だの難しいと思われたことが
決断して挑戦すれば、そのうち楽しさに逆転して行くのです
つらい、苦手なことが嬉しい、楽しいことに変わってしまうのです
だから仏教、禅宗でも、「己を捨てよ」と言うのでしょうかね
「捨てよ・捨てよ分別を捨てよ」「死ね・死ね・死にきれ」
バンジージャンプのように思い切って飛び込むのです
「苦手」「固定観念」に縛られている、自分のつまらん分別を捨てよです

石の上にも3年、継続は力なり、職人は10年で半人前、三日坊主

・出会い: 今回の絵でも3軒隣に絵の先生がいたことがきっかけです
・次に : まずとりあえずやってみること、分別を捨てよ
・更に次は:やるという決断です、駄目な理由を探さないこと
・そして: 快感や手ごたえを得ること、褒められることも大事
・そして: あせらずゆっくり続けること、何か効用を見出すこと
  (ここまでが最も大事、ここまで至らない人が多い、すなわち出会いがない)
:更に : 静かに埋没すること
・そして: 自分の新たな生きがいや趣味や技術として続けること
・最後は: 深めること、他人にも教えること、やってあげること
・更に : こだわりを捨て、ゆったり味わうこと、人生を深めること
  (最初から「苦手ですから」なんて言う人の人生は貧しい・悲しい・惨め

とにかく、なんだかんだ言わずに、やってみなはれ
出来た・出来ます

否定語を使わない⇒でも友人や子供は、当然のように、すぐに否定語を使う
現代人は否定語で生きている、ほぼ毎日否定語を使わない日はない
質問やお誘いをして見て下さい、多分100%否定語が帰ってきます。
「出来ない」「苦手だ」「何でそんなことせないかんの」「やりたくない」
「うざい」「興味ない」「意味ない」「バカバカしい」「一体なんのために」・・


御願い:「田舎に住みませんか?」「老後は山暮らし始めませんか?」
  答え:コンビニもなレストランもない、やめときます、無理、もう歳だし、都会が便利

御願い:「絵描きませんか?」
  答え:絵は苦手、絶対に無理です

御願い:町の役員お願いします
  答え:無理です、歳ですし、身体も動かないし

御願い:「俳句しませんか?」
  答え:俳句なんてやったことないし、素養は全くなし

御願い:「野菜作りませんか?」
  答え:野菜なんて作ったことないし、やり方が分らない

御願い:「インターネットしませんか?」
  答え:難しいし、特にいりません、格別何も不便はない

御願い:「株式や資産運用しませんか?」
  答え:危ないことはしません、第一お金がない

御願い:「誰でも会った人に気軽に話しかけませんか?」
  答え:そんなこと恥ずかしくて絶対に出来ません

御願い:「家買いませんか?」
  答え:今の家で精一杯です、二軒も三軒も買う余裕はないし、一体どう使うのか?

御願い:「東京まで夜行バスで行きませんか?」
  答え:いつも新幹線で行きます、8時間もバスに乗ってられません

その他:バンジージャンプしませんか? 外国に暮らしませんか? 部屋の物半分に減らしませんか?
    座禅しませんか? 本書きませんか? 人前で話ししませんか? 料理やりませんか・・・

その弊害の主なものは、次のようなものだ
やらない理由がすぐに見つかるのだ
・あまりに便利/不便
・豊/貧しい
・何でも機械がやる
・金出せば何でも買える
・面倒くさい
・出来ない
・経験ない
・必要がない
インターネット・家電製品・インフラ・ロボット・テレビ・携帯・スマホ
3軒隣の横山道子先生(写真左の人)の個展を近所の友人と見てきました

今年も一年一度のシャボテンの可憐な花が咲きました、雨にあてないで
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434.老いた私の生き方

2017-06-08 08:28:42 | 人生
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

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老いた私の生き方

老いるということは悪いことではない
勝手に悪くしてしまったのは本人の責任なのだ
老いること自身には責任はない
「すっかり歳とってねー」ではなく、本人が「うっかり歳とってしまった」

老いて、駄目老人になるのは
①諦め。逃げ
②ごみ屋敷
③整理整頓
④嘘誤魔化し
⑤追い詰める
⑥引き篭もり・テレビ漬け
⑦動かない
⑧依存・媚び
⑨暗い・汚い・鬱陶しい・固い
⑩頑固・威張り
⑪会話下手・話題不足
⑫医者頼み。介護頼み

若い時から生き生きした老後にする準備が始まっているのだ
老後に近くなって、付け焼刃で素晴らしい老後を作り込もうとしても無理
若い時からせっせと人生をしっかり組み上げて来た人に、豊な老後がある

その上で老後近くになったら、もう一度深く過去の生き方を振り返り
人生を大きく変えるべきなのだ   ■ 元気な老後=
若い頃の生き方+壮年期の成長と蓄え+老後の準備+初老期の見直し

そのために、まず自分の指針をしっかりと作るべきだろう
部屋に禁酒や禁煙などの張り紙ではなく、もっと基本的な人生の指針を
張り出し、繰り返し心や頭に叩き込むことだろう
禄でない・ふらふらと青春期や壮年期を過ごせば碌な老後しかやって来ない

巨大地震に襲われて初めて、考え方や普段の予防が甘かったことを反省する
時すでに遅しなのだ

●老後にありがちなごみ屋敷、でも部屋同様心もごみ屋敷なのだ

●老後の心構えだが、若い人にも通じるものだ
 大半の老人のいけないことは、きちんとした考えが欠落していることだ

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