村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

50.シリーズ.ISO14001取得企業の悩みその1(10回シリーズ)

2006-09-28 16:02:14 | ISO
「村上」:ISO14001の認証取得支援のお手伝いをする村上和隆です
「会社」:よろしくお願い申し上げます。ところでISOは大変難しいと聞いていますが、当社のように、こういうものが不得手の会社でも大丈夫でしょうか?
「村上」:何故、大変難しいと思われるのですか?
「会社」:すでに取得しているA会社さんのお話をお聞きすると環境事務局の方が次のような悩みをお話ししてくれたのです。
①沢山文書を作る
②ややこしい規則を沢山作る
③コンサルタントの指導にかなりの時間をとたられた
④指導が難しくて確実には理解できなかった
⑤あれ作れこれ作れと言われるがどんなもの作ったらよいか困った
⑥22回も訪問を受け毎回6~7時間くらいの指導になるので、仕事に支障が出た
⑦現場の人を動員していよいよ具体的な活動を展開するために従業員への説明がうまくできなかった
⑧現場の管理者や従業員の協力が得られず往生した
⑨環境法令や県や市の条例については全くの素人で未だに何が何だかわからない
⑩審査では審査員の質問の意味がわからずうまく答えられずに難儀した
⑪審査で指摘を受けたが何が何だかわからず、どう是正したらいいのか全く分からなかった
⑫認証取得してやれやれだったが、さあ運用をするとなると、何をどうやるのか迷う

その結果ISO14001の認証取得をしたが、こんなに難しく、こんなに大変だとは思わなかった。一体取得した意味があったのだろうか?その後も事務局として社長や経営層からの支援もなく現場からそっぽを向かれ悩んでいる。いっそ会社を辞めようか?とも考えたこともあるのだそうです。

「村上」:そうですか、未だにそんなことがあるのですね。ISO14001はスタートして10年も経つのですが、当初は、大企業が先行して始められ、その大企業の方が中小企業さんを指導されたために、非常に難しいシステムや文書類、記録、運用方法が普及してしまったのです、経営コンサルタントの指導方法にも問題があったのです。でも最初は、ISO14001について関係者全員が、よくわからなかったのですから、それでもしょうがなかったのです。
その後、そいういう大企業出身の難解なシステムや指導方法から脱却し、徐徐に中小企業さんにあったものを研究し開発する経営コンサルタントがほんの少しではありますが、現れてきたのです。
それと勘違いして戴きたくないことは、「認証取得自体は、そんなに難しいことでなく、どんな会社でも可能」ですが、問題はシステムの内容の良し悪しなんです。また取得に膨大な労力をかけてしまい、やる気をそいでしまうことです。
「会社」:ということは最近は、昔、認証取得した会社に較べてそれほど難しくなくなったと考えて良いのですか?
「村上」:そうですね、レベルは確実に向上しています。しかしまだ依然、コンサルタントの指導方法には問題があるケースが多いのです。また指導件数の少ないコンサルタントさんの場合はあまり指導方法が改善されていないし、指導方法が下手な場合が多いですね。それと難しいということでは、当然のことですが、認証取得後当初の3年くらいは難しいと感じるのが当然です。これはISOに限ったことではなく、ゴルフでも会社の仕事でも最初の3年はひどく難しいと感じるものです。それを「ISOは難しい」と言うのは大間違いです。認証取得後3年間は「見習い期間」です。いかに簡単なことでも、最初はわからないことだらけです。
「会社」:当初3年は見習い期間というわけですね。難しいというのはゴルフや仕事でも同じこと
「石の上にも3年」というわけですね。
「村上」:簡便で適切なシステムさえ構築し導入されていれば、そういことが言えますね。
「会社」:”良いコンサルタントを使い・良いシステムを導入し・3年真面目にやればよい”というわけですか。
「村上」:そうです。今言われたことはISOだけでなく何にでも言えることですよ。「ISOはややこしい」なんて安易にISOのせいにしてはいけません。そういうようなことを言う会社は、能力の低い・やる気のない会社と思って間違いないですよ。そういう会社とは心底おつきあいはできませんね。逆に「当社は3年でISOを定着し効果を挙げています」なんていう会社は信用でき頼りになりますよ。私が昔働いていた京都の優良企業のR社では、何をやっても自分以外のせいに責任転嫁なんか絶対にしませんでしたね。

(来週、次回に続く)
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49.昔の人は当り前に苦を求めたが、現代人は楽を求める

2006-09-20 05:34:02 | 人生
私は大学を卒業後、東京から関西に出て来て、大阪門真の松下電器で10年、京都伏見のエンゼル工業に4年、京都右京区のロームに15年、大阪中央区のテクノ経営に半年仕事をして後、自営して9年前から経営コンサルタントの仕事をしていて最近つくづく思うことは、会社様において、経営者や社員さんといろいろなことをお話していて、例外なくどこでも「どうしたら楽できるか?」ということを真剣かつ基本的に考えておられることなんです。お許し願ってあえて悪く言わして戴ければ、「どうしたら手抜きできるか?」と真剣に考え・行動する習慣が身についておられるということです。
こういうことは、最初は少ない会社や少ない人のことだろうと勝手に思っていたのですが、どうも例外なくそうなっているようで、私にとっては、かなりびっくりしていることなんです。
私も63歳の気の弱いしがないコンサルタントですから、大切なお客様に「馬鹿もん」などと、どなりつけるわけにはいきませんから、エンゼル工業やロームでの体験をベースに、じわじわとお話をしますが、それでやっと少し理解して戴ける範囲であって、「諸手をあげて私の意見に賛同してくれる」という方に出会うことは皆無です。エンゼル工業やロームでは常識的なことであったはずのことでも、むしろ「随分大変なこと言う先生だなー」というようにお考えのような印象を受けるのです。
今迄そんなことは、思ってもみませんでしたが、「そうかエンゼル工業やロームの仕事のやり方や管理のし方は、思った以上にレベルが高かったんだ」ということさえ感じるようになってしまったのです。(私にとっては嬉しいというより、むしろかなり悲しいことなんですが)
昔、私が小さい頃、戦後のとてつもない苦しい時代、社会全体が食べ物も物資もない、貧しい時代をなんとか生き抜いていた頃は、大人達は「苦を求めて仕事や暮らしを営んでいた」とつくづく思うのです。社会や会社が楽になることは良いことだが、「人々が楽を求める癖」「楽にドップリ浸かってしまう悪癖」がどんどん身体にしみ込んでいく恐怖感みたいなものを実感する今日この頃です。
振り返って身の回りを見ると、自分の子供の家での暮らし方を見ていると、自分が子供だった頃に比べて恐ろしいほど、「楽を身にまとってしまっている」のです。それでも、まだ私の子供なんかは、ましなほうで、社会一般の日本の子供達や若い大人達は、もう絶望に近いほどです。

・楽に慣れ
・楽を求め
・楽に浸かり
・楽に溺れ
・楽に依存し
・苦を遠ざけ
・苦を厭い

というように日々暮らし・仕事をし・管理をするようになっているのです。
だからそういう中で苦の味を少しでも知っていると「凄い人間」のようにおだてられるのですが、とんでもない、昔の日本人に較べたらもう比較するのも馬鹿馬鹿しいほど堕落(楽につかる・楽に手を染める・手を抜くこと)してしまっているのが現実なんです。

・政治家しかり
・役人しかり
・先生しかり
・親しかり
・経営者しかり
・管理者しかり
なんです。

・プロを目指しているようじゃ大した人間にはなれんぞ、プロのプロを目指せ
・楽をしたことのツケは大きくなるばかり「安易に楽なんかするもんじゃねー」
・他人の目を誤魔化せても、自分や自分の師の目は誤魔化せない
・中途半端な苦を苦と思うべからず、かえってそれが苦の種になる
・えーい、そんなもんは、まだ苦のうちにゃ入らねー、出直してきやがれ
・不思議にも苦を多く体験することによって苦はどんどん減っていく
・楽することを手間省くと考えると落とし穴にはまるよ


冷静に考えれば、ここ100年くらいの現代というものは、ひたすら「楽」を求め、「楽」を賞賛してきた100年なんです。もう今更、戻ろうにも戻るすべさえない状況なんです。この100年捨ててきたものはもう取り戻すことはほとんど不可能なほど人間は、本質的に変化してしまったのです。

「苦を知る人種というものの絶滅」又は「絶滅危惧種」なのでしょう?

こんな世の中にしてしまって、今更何を言っても始まらないのですが、最後にもう一言「楽は苦のたね・苦は楽のたね」
これからこれまでの100年の楽の代償として、苦の100年がやってくるのでしょうが、その苦の100年で人間が再生できればいいのですが、コウノトリの再生の何百倍も難しいのではないのでしょうか?


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第6号 村上和隆の経営塾「一言」   管理できない人が増えています→崩壊への道か?

2006-09-18 08:41:13 | 経営管理
6、管理できない人が増えています→崩壊への道か?

管理というのは、出たとこ勝負で結果にまかせるのではありませんが、何事も”おまかせ”、”ほったらかし”の人が多い。
人間にとって最重要事項の一つである管理ができない人間が増えているのは何故なんでしょう?
昔の人々は、暮らしや仕事を厳しく規範・規則で律し、厳格に守りとおして来ました。
安全・快適・便利な生活に浸かっているために、堕落・油断・傲慢・ボケが急速かつ広範囲に進行しているんでしょうね。
自然の中で暮らす動物を見ていると、彼らは彼らなりにしっかり管理していますよ。むしろ最近のだらけた人間以上です。
管理とは、基準・規則・目標・計画を設けて確実にそれらを順守・達成することです。
仏教の修行なんかも、だらけた人間を真っ当に戻すための、ある種の厳格な管理のための厳しい修養だとも言えるのです。厳しい修養もしなくなった若者や更に大人達まで、その堕落は目を覆うものがあります。
野球でもサッカーでもゴルフでさえも勝利を得る者やチームは厳格かつ有効な管理が必要なんです。
管理が益々必要になるのに「管理はますます疎かになっている」、その先にあるのは『崩壊』なんでしょうね。
何でもおまかせしてしまうタイプの人は、早晩「運命」に飲み込まれてしまいますよ。

①他人まかせ
②時まかせ
③成り行きまかせ
④親まかせ
⑤上司まかせ
⑥国まかせ
⑦運まかせ
⑧妻まかせ
⑨部下まかせ
⑩結果まかせ
⑪業者まかせ
⑫流れに身をまかせ

とにかく自分できちんとやらない人が多くなっています。そしてこんな人に限って占いに頼るんです。そしてむしろ失敗するんです。
そういう人は、自力・自活・自制・自信・自立がない、きちんとすることができない。

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47.苦を師とし・苦を友とす 村上和隆

2006-09-14 06:18:27 | 人生
「生きて死す・死して生きる」
「富みて貧す・貧して富む」
「勝って負ける・負けて勝つ」
「楽して苦する・苦して楽する」

苦を師とし・苦を友とす
楽に近づかず・遠ざけ
楽のほうから来るようにする
あせらなくても必ずやって来る

『威張るな・奢るな・風格を持て』

①当たり前のことをきちんとやる
②やるべきことは、徹底してやる
③自分自身を厳しく見つめ、磨く
④そして本物の自由と安楽に浸る
村上和隆
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46.偽装人間の多い現代は土台・基礎・根本崩壊時代が進展する

2006-09-08 22:01:21 | 人生
現代において、人間も会社も国家も地球も、基礎・土台・根本が腐りつつあるのではないかと大いに懸念しています。又は実は元々いい加減なものであったがそれが今になって表面化してきたのかもしれませんね。基礎・土台・根本が腐っているのに、脆弱な土台や基礎の上に、無理やり、更にこれでもかこれでもかと積み上げていくように思いませんか?
土台は白蟻が喰い、木は腐り・コンクリートはヒビが入り、ボロボロになり、崩壊寸前の家のように、個人も会社も国家も世界もあちこちで、とんでもない状況が不気味に進展し、不具合や事件・事故が頻発しているように思います。
基礎や土台というのは、家で言えば建築当初の1週間くらい、人間で言えば10~20歳くらいで出き上がるんです。
家の場合では、えてして手抜きされ易い場所の一つなんです。
人間の場合、若い時の生き方や周囲の大人や人間や環境が極めて大事なんですが、案外いい加減に過ごしてしまうもんなんです。
昔は、厳しくかつ暖かい親・兄弟・先生・社会というのがあって、赤ん坊から若者の基礎・土台の構築に日常的に大きく拘わっていました。しかし今から20年くらい前:高度成長が進展する中で、急速に若者を取り囲む環境は変化し、基礎・土台の弱い若者が表面化してきたのです。しかも同時に本来強固であったはずの大人もバブル崩壊とともに、何故か急速に土台が腐りはじめたのです。
例えば家の場合、どうしても上物や外観・表面に目を奪われがちで、普段見えない箇所である土台や基礎などを見落としがちです。そういう部分は、本来は、家を支える大事な部分なんです。もしそういう大事な部分が損傷・劣化したり上物を支えられなくなってくると①家が傾く②地震によって倒壊する③家が痛む④家が腐る。
基礎・土台・根本が腐る又は腐りはじめた場合は、非常に大きな決断がいるのではありますが、一度上物を取り壊し、根本的に土台・基礎から建て直すことが必要になるのです。
今年起こった事件で、姉歯マンション偽装事件というのがありましたが、外見は立派でも、地震時などに基本的に必要な強度が不足しており周囲にも危険が及ぶので、一度取り壊さないといけないそうですが、3~4千万円も払って、やっとのことで手に入れたマンションですから、壊すなんてとんでもないことだと思います。
被告の首班格は、「どちみち巨大地震が来れば、ほとんど皆倒壊するのだから、少しくらい強度が不足していても、とり壊す必要なんかない」と言っているのだそうです。このような偽装マンションの場合は、家主の意向を尊重するわけにもいかず、もったいないとも言っておられないので、取壊す運命だそうです。但しローンをかかえて家賃まで払って立て直すことは大変なことで、実質不可能なことなんでしょうね。ご心痛お察しします。

ところで現代においては、気づいてみたら「偽装人間が多い」ことが判明してきました、いや偽装マンションどころの程度の騒ぎでは済まないのです。人間は、そんなに簡単に建て直しなんかできませんから、今後、先進国家を中心に崩壊人間が続出するのは、火を見るより明らかです。

現代は、個人・会社・市町村・国家・世界は、一度思い切って腐りきった今の状況をとり壊すべきなのに、壊さずそのままにしています。当然ですが、間違いなくどんどん状況は更に悪化して行きます。

会社の例でお話しますと、バブル崩壊開始した当初の頃の話ですが、
A社は、売り上げも順調で、新規に社員を雇い設備も増強しどんどん拡大路線を歩んでいきました。業績はどんどん上がり、暇もない状況が続きました。

B社は逆に、売り上げが伸びず、社員を20%減らし、設備も更新できず、製造を中心に間接部門も含めて徹底したコストダウンに取り組むとともに、新規の研究開発に必死に取り組みました。急速な景気後退場面ですから、当然業績は低迷のままです。
ところが、その後経済環境は、年々どんどん急激な不況が進展し大不況が襲ってきました。A社は固定費が多く、一転して赤字に転落しました。B社は赤字はそれほど増えず、むしろ新規開発した製品がヒットし、不況知らずに売り上げが拡大しました。不況にも拘わらず大幅な黒字になってむしろ優良企業へと変身していったのです。
A社は上辺の華やかさに目を奪われ基礎・土台の点検や強化を忘れていたのです。一方B社は、幸か不幸か業績が低迷したために基礎・土台の強化をしたのです。

こういう事例は会社だけでなく、個人・国家でも同様なことが過去沢山あるのです。今危ない国は、例えばアメリカ・日本・中国やこれらに類似した多くの国です。何故かというとガタガタしているのに、しばしの経済状況の好況などに目を奪れ、基礎・土台の深刻な弱さに心を配っていないのが危惧すべき点です。
重度の肥満・高血圧で、医者から養生を命じられて、少し改善したので油断してしまい、またまた根本的な養生の手綱を緩めつつあるのと似ています。

癌にかかっている人が、「俺は今まで病気一つしたことがない、病気になんかならん」とばかり、癌になっているとは知らずに仕事や遊びや金儲けに走りまくっているのと同じです。過去人一倍元気であって、今も一見元気な人でも、そんなことは何もなりません。ある日「末期癌です」と言われたら、もう手の施しようがないのです。基礎や土台は普段は見えない「縁の下の力持ち」しかしここが腐ったり・崩壊していれば、突如ある日突然、縁の下から崩れるのです。

崩壊現象の例
①山崩れ・がけ崩れの頻発
②都会の停電・大水道管の破損
③石油・ガスや金属類の急速な高騰
④銀行・金融機関・大企業の赤字・破綻
⑤未婚・晩婚・子供生まないための少子化進行
⑥国市町村の財政赤字・破綻
⑦自己破産・ホームレス化・自殺増加
⑧フリーター・ニート・引篭もり・
⑨学生の減少・私学の採算悪化
⑩会社の乗っ取り・違法な株取引
⑪突如切れる・犯罪の低年齢化・親殺し・幼児虐待
⑫小学校の学級崩壊・中学校の校内暴力・大学性の放蕩
さあ基礎・土台という地味で目立たない箇所を、敢えて思い切って、直すかどうか?
村も町も会社も家庭も国家も、基礎・土台に目を配ることで建て直しをする最後のチャンスなんです。その気になり真剣に土台・基礎を抜本的に直しさえすれば、建て直しは不可能ではありません。

当面する多くの諸問題の根本は、上辺・外見でなく、基礎・土台の腐り・破損なんです。
地球環境問題なんてのも、すでに基礎・土台を抜本的に何とかする時期に来ているんですが、もう手遅れかもしれませんね。気候変動などによってある日突然日本中に大洪水や大雪や巨大台風がきて、日本中の山の木が一挙に枯れでもしないと、その深刻さを認識できないんでしょうね。

・若者のニート・フリーター・引き篭もりの方々に一言:そんなことしている場合じゃないぞ、しっかり土台を築けよ
・政治家・役人に一言:思い切った財政赤字の解消や国民のための政治をやらんと国や村が滅ぶぞ、崩壊するぞ
・多くの普通の人々に一言:自分は、基礎・土台がしっかりしているなんて甘い認識を捨てないといけませんぞ
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45.本物の学歴社会

2006-09-03 07:24:23 | 人生
私は4回転職した後、今のコンサルタントを自営しています。
松下電器は有名大学出の社員が沢山いました。一方エンゼル工業やローム株式会社には、それほど有名な大学出身者はいませんでした。しかし会社の業績・能力・パワーは後者のほうが飛びぬけていました。エンゼル工業もロームもトップレベルの優れた会社でした。
世間一般的にも、有名大学出の多い会社は、業績不振になると言われています。政治や役所の世界においても、東大・一ツ橋や早稲田・慶応など有名大学出身者や頭でっかちの人が多く、その結果、最悪かつさんざ不正を働く政治やお役所仕事をして世界の恥さらし・国民のお荷物になっているのです。
だから「学歴不要論」というようなことが言われ定着してきました。松下電器も幸之助さんが創業した当初の10~20年の町工場のような時代には、有名大学出がほとんどいませんでしたが、その当時の松下の力は相当なものだったということをよく先輩社員から聞きました。幸之助さん自身が小学校しか出てませんが、幼い頃から社会に出て、大学出の何百倍・何千倍も努力したのです。松下電器も大卒が増えるに従って確実にパワーが弱っていったのも事実なんです。

私は学歴というものは、6つにあると思っています。

①幼児学歴:誕生~学校までの教育
②学校学歴:小学校~大学の学校教育
③社会学歴:企業など社会に出てからの教育
④経営学歴:親になって上司(指導者・経営者)になってからの教育
⑤家庭学歴:家庭での暮らしを通じての教育
⑥趣味学歴:習い事や趣味を通じての教育

ですから会社を転職する時には履歴書にこの6つに分けて教育歴を書くことが必要なんです。この6つの学歴が揃って立派であれば、どこの会社に行って働いても全く心配することはありません。まあ一度履歴書をこの6つを意識して作成してみて下さい。学校の履歴だけが光っているという方は、非常に問題なんです。こういう人を採用すると、会社にとって益するより弊害が多くなるのです。また働いた会社が、1社だけとか、1職場とか1業種では、あまり立派なものとは言えません。幅広くいろいろな体験をしいろいろな苦難を乗り越えてこそ初めて「立派な学歴」と言えるんです。
学校の学歴より、社会の学歴や家庭の学歴のほうが大事なんです。また意外に大事なのが、幼児学歴です。「三つ子の魂百まで」と言いますからね。お子さんを生み育てる場合の親の責任や、会社での上司の責任は、極めて重大なんです。
学校の先生・学校の教育は、先生も社会学歴が全くなく、あくまで座学・耳学問・目学問にすぎませんので実践には向きません。人の真の実力とは、新しいことや困難に、どれだけ、どう対処するか、要するにテスト問題の何倍も応用問題が大事なんです。
生涯教育なり。生まれてすぐの幼児教育、家庭内での教育、指導者や経営者としての教育こそ、最も大事なことですよ。どちらかというと、学校出てからの学歴が大事なんですね。そういう真の学歴を持っている社員が沢山いる会社が強いのですよ。絶対に勘違いしないことです。
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