関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:(台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)
※お知らせ:今後3~11月は滋賀県高島市の滋賀支所に常駐しています
滋賀支所 ■安曇川・朽木半日案内ボランテイアします(自動車で来る人に限定)
12~3月は京都市伏見の本部事務所に常駐しています
68、勇気を持って向こう岸に渡れ、向こう岸からこちら岸を眺めて見よう
よりによって、女性を引き合いに出して恐縮ですが、
女・子供ということを言いますが、こんなこと言うと女性にこっぴどく叱られそうですね
しかし、冷静に観察すると、女性は大人になっても幼児的なものを持ち続けるものです。
子供とは、又は女性とは、
①現実にこだわる
②外見にこだわる
③他人と比較する
④小さなことにこだわる
⑤感情的・情緒的
⑥ヒステリック
⑦泣き喚いて訴える
⑧物を欲しがる
⑨怖がり
⑩自己愛
⑪独占欲
⑫買い物好き
⑬真実より嘘を信じる
⑭やさしさを求める
⑮保守的
………・
断っておきますが、私は、これらの子供のような女性の特性が悪いこととは言っていませんよ、むしろ良い特性でもあるのです。
男はロマンチスト、女は現実的な生き物と言いますが、まあ大方、そんなところですね(無論、人によって多少のばらつきはありますがね)
「私は、そうではないという」女の人は、男性的な人かもしれませんね。女性であることを極度に嫌う女性もおられますからね。
男はロマンチスト、女は現実的な生き物ですから、同じことやっても大きな違いが出てくるのです。
従来の感覚では男性の仕事と思っていたことが、案外女性のほうがむいている場合も出てきたのです。
現実に最近では、女性社長や役人や技術者や大学教授が活躍するなんてことがあったり、男性が、からきし駄目だったりしているのです。
しかし女性だけでなく男も同様な男としての特性を持っていますから、あいこです。
サラリーマン・営業・技術者・職人・芸術家・スポーツマン…それぞれ人によって、それぞれの特性を持っているのです。
女は女・男は男・サラリーマンはサラリーマン…であって良いのですが、全く問題がないというのではありません。
それぞれの特性は特性であると同時に、悪性にもなりうるのです。
それぞれの特性の裏返しとして、落とし穴・アキレス腱・弱点が存在するのです。
女は素晴らしい女・男は素晴らしい男・サラリーマンは素晴らしいサラリーマン…であることを前提にして、その上で自分の弱点を正しく認識しておくことが大事です。
女らしさが良く出ている場合は良いのですが、えてして悪い面が出てしまうことがあります。そういうことは女がドプリ女に浸かり、そこにアグラをかいてしまうからなのです。
人間には、それぞれ本来の人間が存在しているのです。
女は女として男は男として、…・・皆それぞれに、自分の立場を演じているだけなのです。
女も男も元々は人間なんですが、この社会で暮らしていると嫌でも応でも女性や男性を演じるようになってしまうのであります。
あくまで、日常、女は女の側で、男は男の側で生きるのです。女の向こう岸や男の向こう岸には本来の人間の側があるのです。
それは女や男だけではなく、どんな人もその人の自分の側で生きているのであって、それぞれの人の向こう岸には本来の人間の側があるのです。
本来の向こう岸に渡ろうとする人は少ない、渡ろうとする人は本当に珍しいのです。
「向こう岸もあるから一度渡ってみなさい」と強く勧めてあげても、渡ろうとしないのです。
川の幅は広い・深い・流れは急だ
だから敢えて向こう岸に渡ろうとする勇気もない、決断もしない
そしてこちら岸に閉じこもる、安住する
こちら岸でも、まともに生きられていないのに閉じ篭る、だから向こう岸からこちら岸を一度眺め直すということもできない、なんとも情けないことだ。
そして多くの女も男も、本来の向こう岸に渡るキッカケを掴むことなく一生を終える。
人間は人間として生まれ、やがて人間の側からこちら岸に来て安住するのです。ちょうど田舎から都会に出てきた若者のようなものなんですね。
そして田舎出の若者同様に、田舎に帰ることなく都会に埋もれて、やがて都会の片隅で寂しく死んで行く運命なんです。
こちら岸は
固定観念 既成概念 常識・良識 保守性 自堕落 殻 閉じ篭り 引き篭もり
向こう岸は
反対側 相手側 自然 人間 本質 本来 仏性 革新
いつもこちら岸からだけ見ようとしないようにしましょうね、また少しづつでいいですから、向こう岸からも見られる人間に成長しましょうね。
変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない
村上和隆人生塾のホームページへ
村上和隆高齢者のための健康体操支援のホームページへ
村上和隆の会話塾
東京都浅草出身/京都市伏見住人の京都雑感と会話ブログ
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よりによって、女性を引き合いに出して恐縮ですが、
女・子供ということを言いますが、こんなこと言うと女性にこっぴどく叱られそうですね
しかし、冷静に観察すると、女性は大人になっても幼児的なものを持ち続けるものです。
子供とは、又は女性とは、
①現実にこだわる
②外見にこだわる
③他人と比較する
④小さなことにこだわる
⑤感情的・情緒的
⑥ヒステリック
⑦泣き喚いて訴える
⑧物を欲しがる
⑨怖がり
⑩自己愛
⑪独占欲
⑫買い物好き
⑬真実より嘘を信じる
⑭やさしさを求める
⑮保守的
………・
断っておきますが、私は、これらの子供のような女性の特性が悪いこととは言っていませんよ、むしろ良い特性でもあるのです。
男はロマンチスト、女は現実的な生き物と言いますが、まあ大方、そんなところですね(無論、人によって多少のばらつきはありますがね)
「私は、そうではないという」女の人は、男性的な人かもしれませんね。女性であることを極度に嫌う女性もおられますからね。
男はロマンチスト、女は現実的な生き物ですから、同じことやっても大きな違いが出てくるのです。
従来の感覚では男性の仕事と思っていたことが、案外女性のほうがむいている場合も出てきたのです。
現実に最近では、女性社長や役人や技術者や大学教授が活躍するなんてことがあったり、男性が、からきし駄目だったりしているのです。
しかし女性だけでなく男も同様な男としての特性を持っていますから、あいこです。
サラリーマン・営業・技術者・職人・芸術家・スポーツマン…それぞれ人によって、それぞれの特性を持っているのです。
女は女・男は男・サラリーマンはサラリーマン…であって良いのですが、全く問題がないというのではありません。
それぞれの特性は特性であると同時に、悪性にもなりうるのです。
それぞれの特性の裏返しとして、落とし穴・アキレス腱・弱点が存在するのです。
女は素晴らしい女・男は素晴らしい男・サラリーマンは素晴らしいサラリーマン…であることを前提にして、その上で自分の弱点を正しく認識しておくことが大事です。
女らしさが良く出ている場合は良いのですが、えてして悪い面が出てしまうことがあります。そういうことは女がドプリ女に浸かり、そこにアグラをかいてしまうからなのです。
人間には、それぞれ本来の人間が存在しているのです。
女は女として男は男として、…・・皆それぞれに、自分の立場を演じているだけなのです。
女も男も元々は人間なんですが、この社会で暮らしていると嫌でも応でも女性や男性を演じるようになってしまうのであります。
あくまで、日常、女は女の側で、男は男の側で生きるのです。女の向こう岸や男の向こう岸には本来の人間の側があるのです。
それは女や男だけではなく、どんな人もその人の自分の側で生きているのであって、それぞれの人の向こう岸には本来の人間の側があるのです。
本来の向こう岸に渡ろうとする人は少ない、渡ろうとする人は本当に珍しいのです。
「向こう岸もあるから一度渡ってみなさい」と強く勧めてあげても、渡ろうとしないのです。
川の幅は広い・深い・流れは急だ
だから敢えて向こう岸に渡ろうとする勇気もない、決断もしない
そしてこちら岸に閉じこもる、安住する
こちら岸でも、まともに生きられていないのに閉じ篭る、だから向こう岸からこちら岸を一度眺め直すということもできない、なんとも情けないことだ。
そして多くの女も男も、本来の向こう岸に渡るキッカケを掴むことなく一生を終える。
人間は人間として生まれ、やがて人間の側からこちら岸に来て安住するのです。ちょうど田舎から都会に出てきた若者のようなものなんですね。
そして田舎出の若者同様に、田舎に帰ることなく都会に埋もれて、やがて都会の片隅で寂しく死んで行く運命なんです。
こちら岸は
固定観念 既成概念 常識・良識 保守性 自堕落 殻 閉じ篭り 引き篭もり
向こう岸は
反対側 相手側 自然 人間 本質 本来 仏性 革新
いつもこちら岸からだけ見ようとしないようにしましょうね、また少しづつでいいですから、向こう岸からも見られる人間に成長しましょうね。
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