村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

360-2.高梨沙羅はさらとしていた。真央も結果的にすっきりしていた

2014-02-12 15:26:00 | 虚業
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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村上原基今日の一言

昨日11日の私のTwitter
村上和隆(人生勉強会代表) ‏@kazutakaji 2月11日
オリンピック、多額な税金使い、メダルメダルと血走る
高梨沙羅は金メダル取れない、浅田真央も金メダル取れない
油断、あまりに力み過ぎ、勝とうと考え過ぎ、精神的な弱さ
------以上昨日のTwitter--------

12日、高梨沙羅は4位だった
私は、まさかメダルが取れないとは思わなかったが
なんと結果はメダル圏外だった
私は「沙羅のために、これで良かった」と思った

決して失敗ジャンプではなかった
他の選手が素晴らしいジャンプだったのだ
ジャンプでは飛ぶ瞬間の風の影響もあるのだ
沙羅はさらりしていた
「いつもどおりジャンプができた、悔いはない」

沙羅は泣いていたが、暗さや敗北感がなかった
大物だ
まあ次のジャンプでどうなるかが楽しみだ
多分次のジャンプ大会は優勝するはずだ

オリンピックはジャンプの終りではない
オリンピックは全てではない
彼女はすでに何回も優勝しているのだ
沙羅の4位のジャンプも、これで終わりではない

否、むしろ
あらたな沙羅の始まりである
勝てるものなら、次のジャンプでも沙羅に勝ってみな

私は沙羅に言いたい

良かったね、オリンピックでも優勝していたら
あまりに甘すぎる、次の目標を見失う
今回、君の新ライバルがついに登場したかもしれない
だから次の競技が楽しみだ
誰も沙羅には簡単に勝てないよと

沙羅は優勝しなくて良かった
メダルとれなくて良かった
神様が多分そうしたんだ

そう思う日が沙羅に、必ずいつかやって来る

オリンピックの結果なんてどうでもいいんだ
あんなものに多額な税金をかけてメダルをとることが
そんなに日本国にとって大事なことなのか

沙羅はさらっとしていた

わざと負けたというか
彼女は普段通り飛んだんだと思う
それが何か悪いのかよ!
普段どおりでいいんだ

オリンピックは勝ためにあるのではなく、参加することに意義がある
この崇高な目的がいつか完全に忘れられ、平和の実現でなく、まさに闘争だ

日本人までも勝ちにこだわる、なんと情けないことか
一体、一秒や一点の差になんの意味があるのか

勝と思うな、思えば負けよ
オリンピックに限ってはいかに負けるかが問われているのだが
どっこいそうは行ってない、それどころか、
オリンピックで儲けようとする団体や選手ばかりになっている

オリンピックとは負ける場所なんだ
沙羅はそれを、さりげなく、やりのけた、見事だ、あっぱれだ
もっとも沙羅自身がそのことを理解・認識していたかは不明だが

オリンピックがもっと質素に、どこの国でも開催され、誰もが気軽に参加でき
勝つことより技や心や和を表現するものであってほしい
メダルをとった選手だけが金持ちや有名人になるようなことはやめて欲しい

2月22日追加
浅田真央も5位だった、散々な結果だったが
私の推測どおりになった。私はそれでよかったと思う
浅田も高梨もなんとなく生気・気力・迫力・余裕・自信が感じられなかった
オリンピック前から、どちらかというと疲れた表情だった

今回の挫折で彼女も何か吹っ切れた顔の表情をしていた
メダル以上の素晴らしいものを高梨も浅田ももらったのだ

金メダルも銅メダルさえもらえなかった挫折
人生には大きな成功も必要だが
その数倍数十倍の大きな挫折が必要だ
人の価値や品位・品格は、勝った時より負けた時に見えてくる

人生とは究極、自分を捨てること、精算することだから
生まれてから得たものが多ければ多いほど、それだけ捨てるべきものも多いのだ
得れば部屋が一杯になり身動きできなくなる

常に得た分・得る分だけ捨てて行かなければならないのだ
成功した分だけ、挫折しないといけないのだ

成功も大事かもしれないが、挫折こそが人間を大きくするのだ
挫折を裂けてはいけない、むしろ挫折を歓迎し、大いに迎かい入れることだ

あまりに順調に行ってしまうことは長い人生にとって大きなマイナスだ
私が気になる選手はゴルフの石川、野球の田中マー君、ダルビッシュ
一発芸人や一発歌手なんかもその典型だ

そういうことに気づくのは晩年になってからだ
いかに多くのしかも大きな挫折を味わったかそれが人生の深み・厚み・渋みを与える

今回メダルをとった選手はどちらかというと
オリンピック以前に大きな挫折を味わっていた人が多かった
挫折はそれくらい人を鍛えるのだ
しかしそういう人もここで有頂天なるとどん底に落ちることになる
野球の松坂選手がいい例だ

まあオリンピックのメダルが彼らの収入に大きく関係するのだ
漫才の世界も、歌手の世界も、スポーツ選手も同じだ、生活がかかっている
メダルが取れなければ収入には全く影響はないどころか
暮らしは良くならない、だから選手は必死なのだ
オリンピックのメダルが生活や収入に影響を与える貧しい時代になったのだ
クーベルタン男爵も、さぞかし悔やみ、悲しんでいるだろう

「メダルとるため」「スポーツ選手育成」「感動をもらう」みな嘘臭い
マスコミが悪い、やれ感動だ何だとやたら日本選手だけの映像を流す

外国選手のプレーは移さない、見せない・・・何なんだ国粋主義者マスコミ
オリンピックは国際平和のためであって国威発揚ではないぞ

喜ぶのはスポーツ関係者とメダルをとった選手とその周辺だけ
高梨が勝とうが浅田が勝とうがそれだけのこと
やれ国民栄誉賞だ特別表彰だ、強化費に税金を増やせなんて止めて欲しい
そんなことより放射能汚染や津波被害からの復興や災害予防のほうが急務だ
スポーツは必要だが、メダルを取ることは何の意味もない、クーベルタンを思い出せ

メダルを取った選手が凱旋、取れない選手はしょぼくれて暗い帰国
テレビや新聞に出ることもなく、何故メダルを取れなかったか原因の分析ぐらい

物づくりや技能や日本企業がもっと、メダルを取れることのほうが何倍も重要なのでは?
メダルを取る人の数ではなく、底上げ、底辺の拡大、層の厚さこそが必要なのでは?

3月3日追加
沙羅は早速やってくれました
ノルディックスキー・ジャンプのワールドカップ(W杯)3連勝し
2季連続の個人総合優勝
オリンピックではメダルを譲ってあげてよかったんじゃない
メダルじゃないぜ、大事なのは高梨沙羅の人生だぜ
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360.もっと落ち着いて暇を味わおう、暇も苦難も面倒とも付き合う

2014-02-12 08:56:53 | 暮らし
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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村上原基今日の一言

第二次世界大戦中の昭和18年生まれ、アメリカが盛返し、やばくなり始めた頃
昭和16年12月に日米開戦、それから約1年少し後に生まれた、悲しいかな
戦況不利、情勢が悪化する中だったらしい、ジフテリアにかかり鼻と穴が委縮
粗末な電気治療のせいで胸にアザが残ったり、戦争被害者の一人だった
そのおかげで18歳位まで、ひどい鼻炎や顔や胸のあざの劣等感で悩んだものだ

昭和19年11月から翌年4月まで東京大空襲、母は私を負ぶって埼玉まで逃げた
そのとき空襲された東京下町の光景は地獄以上の凄まじさだったらしい
そして終戦後は食べ物もなく、家も衣服も粗末、家計はいつも火の車だった
母は早朝から夜遅くまで働きづめだった、学校では弁当のない生徒もいた
でも今思い返すと、つましいが、何とも家族らしい人間らしい暮しがあった

そして戦後10年の昭和28年末、日本は約20年の長い高度成長に突入する
私が大阪の松下電器への入社が昭和43年、まさに高度成長の真っただ中
入社当初は給与も安かったが、年年の賃上げは昨今の中国のように早かった
ごく普通に考えれば、良い時期に生まれたと言ってよいのだろうが
あまりに変化が急過ぎた、大き過ぎた、多くの歪みを生じたまま突き進む

遮二無二働き、日本が豊になる急な坂道をぐいぐい登り続ける時期だった
余計なことは考えず、文句一つ言わずに頑張り、結婚し、家も子供も授かった
高度成長が良い面があると同時に悪い面になって来るとは想像すらしなかった
暇がゆったり味わえないのは、マイナス面かもしれない、暇が大の苦手なのだ
暇を暇としてゆったり過ごすことが出来ず、ひたすら動き・働きじっと出来ない
麻薬患者が麻薬やめても、真っ当な暮らしができないようなものかもしれない

私世代はひたすら物質的豊かさを追求してきた、心を求める余裕はなかった
心を強く・心を豊かに・心を穏やかに・心を素直にする余裕はなかった
豊なようで貧しい、強いようで弱い、穏やかなようで騒々しい
じっとしていない・ゆっくり出来ない・心が静まらない、休まらない

昭和48年12月から平成3年2月まで17年3ヶ月間続いた安定成長の時期へ
平成3年3月のバブル突入、平成3年~12年の失われた10年が続く
膨大な財政赤字、保険や年金破たん、類稀な超高齢化などが一挙に押し寄せる
莫大な退職者が毎年どしどし世の中に溢れ出している、老人がやけに目立つ
限界集落、元気老人、寝たきり老人、一人暮らし老人、貧乏老人などなど

私の誕生~戦後のつまらん前置きに長く付き合わせてすみませんでしたが、
定年退職後の高齢の多くの男が暇をもてあますのは、若い頃に想像した以上
若い頃は忙しくて暇に憧れ、暇を切望した「あー暇が、休みが欲しい」と
しかし忙しさにまぎれ、長生きや老後の生き方なんて考えたこともなかった

職や地位を失い、膨大にはじき出され、これといってやることもない老人は、
あれこれ動き廻り、暇をつぶそうと必死に努力し、資源の無駄使いする
もっとも、老人はもっと動け・遊べ・金使えなんて声も一方で大きいのだが
何故、あれだけ憧れ続けた暇を、そうも嫌い、恐れ、優雅に使えないのか?
今は私も暇だらけであるが、私もごく最近まで、暇を潰そうと格闘して来た

仕事、テニス、パソコン、運動、物書き、田舎暮らし、ネットあれこれやった
それでも、暇になれば、懲りずに皆がやることを真似て手当たり次第やりだす
良い面でもあり、悪い面でもありだが、少しの暇でも非常に苦痛に感じる
このようなことは、家の中が物で溢れかえっている状況と似ている
どの家も狭く、物で溢れている、お客を呼んだり、泊める余裕は全くない

貧乏で金のない家が物が少なく綺麗かというと、なんということだ
貧乏で金のない家のほうが物で溢れかえり、散らかっていることが多い
最近、ひどい場合は家にゴミを手当たり次第持ち込む老人も増えている
高度成長期にひたすら物質を求めた人々の業・拘り・悪足掻き・習性なんだろう

物を次々に拾ったり、買って家の中に持ち込む、結果的に部屋は物で溢れる
物収集依存症だ。部屋は、物が沢山あるべきと信じ込んでいる、ところが
よく観てみると、なんと、使わない無用な物ばかり、すなわち邪魔物だらけ
それと同様に
暇は潰すべきもので、次々に潰しまくり、暇を暇のままに楽しむことが出来ない
部屋を空間のまま放置出来ないのと似ている、空間があれば埋めてしまうし、
空間がなくなっても、詰め込もうとする、現代人は何事でもその傾向がある
「何かしてないとつまらない・不安・落ち着かない・・・」症候群だ
「何か買わないとつまらない・不安・落ち着かない・・・」症候群だ
「部屋が物一杯でないとつまらない・不安・落ち着かない・・・」症候群だ

昔の高僧曰く「無・空・虚」に対し、凡夫は「有・色・実」を追い求める
物や便利さや快楽を求め過ぎるとむしろ不幸や苦難や悩みがやって来るのだが
戦後、昭和の貧しい時代は、皮肉だが部屋は物が少なく清楚で整然としていた
日本の狭い家、ウサギ小屋は、電気製品や家具や本やCDなどで一杯になった
心の中も、西欧的なもので、いつも何かしらで一杯になってしまい隙間がない
暇・余裕・間・余白・遠慮・譲・謙遜・謙虚・控え目・八分目等がなくなった

歳はとるべきものだ、
私も72歳にして、最近何故か、ふと、暇との付き合い方にやっと目覚めた
暇であれば、その暇そのものと付き合うことの良さが少しわかって来た
3年前に
私は面倒くさいことや苦難をあえて求めるようにしようと思い立った
二つか三つの選択肢がある場合に、敢えてしんどい方を選ぼうというものだ
都会暮らしをやめ田舎暮らしに、新幹線をやめ夜行バスに、特急をやめ鈍行に
敢えて、しんどさを味わう事によって、それ迄見えなかったものが見えてきた
また自分の心が強く逞しくなり、心の底に自信みたいなものが芽生えて来た

「誰もが嫌う暇君は付合わない」ではなく「‏嫌われ者の暇君とも付き合う」に
「誰もが嫌う苦難君も付合わない」ではなく「‏嫌われ者の苦難君とも付き合う」に
苦難も真摯に付き合ってみると案外いいもんだ
暇でい続けることも捨てたもんじゃない楽しいもんだという感覚が蘇ってきた
暇をマイナスと受け止めない、ピンチをマイナスでなくチャンスと受け止める
まさに、かつてのロケット博士の糸川教授の「逆転の発想」を思い出した
悪いものという自分の強い認識・思い込みをスッパリ疑ってみるべきなのだ

物が少ない部屋が意外に良いのと同様、暇も意外にすごく素晴らしいものなのだ
苦難や面倒さが本来良いのに頭ごなしに否定する、ここに根本的な問題が存する
現代人はせっせと暇を作り、その暇を有益に使うのでなく、暇を潰すために、
あくせくしている、更に、無駄に資源を使って地球環境を汚染しているのだ

暇=悪、暇=つぶすべきもの、暇=無駄、暇=限られた時間だから暇はいかん
・・・どうも暇は追放すべき大悪人.大罪人らしいが、実は”暇=宝”なのだが
最近良かれ悪しかれ日本人にも、あくせくせずゆったり暮す若者も現れ始めた
或る意味、それはそれで新たな問題でもあるが、我々世代の反動なんだろう

現役の皆さんは青春真っ盛り”バリバリの暇無しマン”若い時はひたすら働くべきだ
当面は、今のまま大いに暇を嫌い、貪欲に、あれもこれもやって行くべきだと思う
現役の皆さんは50歳60歳までは暇はなく、積極的な生き方を実践し続けて欲しい
でも、どうか老後は暇を暇として楽しむ将来を心に描いて置いて戴たいものだ
面倒も苦も暇も悪人でなく、友であり、師であり、極上の豊かさにして戴たい

幸か不幸か72歳の私にはダイナミックな皆さんほどの気力は最早全くない
いろいろ徹底してやり終えた向うに、やがて私めの様に暇はつぶすものでなく、
暇は優雅に味わうもの、付合うものに、いつか大きく変化して来るだろう
現代のように物質的に豊かな時代には、心の豊かさをもっと貪欲に求めて欲しい

暇でいい、何も買わなくていい、幸福感がなくていい、苦難があってもいい
であれば、何もあくせく動きまわったり、買い物したり苦難を排除することもない
はなはだ楽というものだ、楽と言うのは本来そういうものなんだろう

物はもういい、足るを知るべき時期になっているが、心の成長には限界がない
切り替える時期なのに、何も切り替わっていない、それが現代の悲劇の元凶だ
若い皆さんは今後、私の時代と違い老後の暇の使い方は優雅なものにすべきだ

物で溢れる部屋に、更に物を新たに買って詰め込む、かつての私のようなもの
退職後の今暇を味わうべきなのに、更にあれこれやろうとするのに似ている
断捨離とは、これをエイヤーと踏ん切り、始末することなんでしょうが
物を捨てられず、苦難を受け入れられない、同じように、暇も放置できない
でも
そういうことは、まだ元気な証拠、意欲に溢れている証拠ではあるが
しかし
そういう人も歳とって、
元気や意欲や生甲斐や情熱や健康を失ったときが怖いのかもしれない
自転車のようにペダル漕ぎをやめれば倒れるように
暇も同じように暇だからその暇を潰すのでなく暇のまま開けておけ
そうすると、そこに何か新たなものが、入り込む余裕ができるのだ

例えば今回の足腰を悪くした私のような場合
幸か不幸かこの2か月腰痛で
暇と付き合う・向き合わざるを得なくなった
暇にしていると、不思議ですが、従来とは異質な意欲や元気が生まれる
多くの無駄な荷物を捨てて一瞬綺麗サッパリになり過ぎて空虚さえ感じる
無用無駄な荷物が減るとさっぱりし、新たな物を買い求めることも出来る

暇が欲しい、でもいざ暇になると、暇は大嫌い、暇を目の敵にする自分が
深く暇と付き合った経験がなかった、暇と真剣に付き合っていなかったのだ
暇も面倒も苦難も付き合いの経験が足りてない、もっと付合うべきだったのだ

彼女が好きだ、でもいざ結婚し毎日顔を合わせていると、鬱陶しくなる
寝ても起きてもあんなに彼女が好きだった頃の自分はどこに行ったのか?
同様に暇があんなに欲しかったのに、鬱陶しいものになってしまう

彼女や暇が悪いのではない、自分自身が悪いのだ、心変わりに過ぎないのだ
それはあまりにも自分勝手、利己的、幼稚さ、依存症なだけのことだ
そんなに好きで結婚したら、死ぬまで彼女を愛し大切にしなければならない
結婚したら、すぐに飽きてしまう、会話もない、愛も完全に失せてしまう
暇も嫌わず、暇そのものを大事に、暇を愛し大切にせねばならないのだ
元気ない腰の曲がった蠢く老人で溢れた町ではなく、暇をもっと豊に過ごす
老後の膨大な暇な時間を嫌って暮らすのか、それとも相思相愛で過ごすのか

高度成長期にあれほど憧れた暇とか田舎暮らしとか心の豊さ、人間付き合い
なんかが、いざ経済的に豊になりリタイアーして暇ができたのに出来ない
やらない、確かに超高齢化や経済の失速や年金や保険の破たんはあるが、
あれほど憧れたものを、あっさり諦め、相変わらずイソイソ・ザワザワと
都会的・西欧的・功利的な暮らしに追いまくられているのは悲しいことだ
自然・ゆったり・日本的暮らしをたっぷり楽しもうじゃありませんか

よく「私は趣味がなくて老後もやることがありません」なんて言う人がいる
これは大いなる間違いだ、趣味なんてのは忙しいときには最低限やればいい
働き盛りであれこれ趣味を持っている人は碌な仕事が出来ていない人の証拠だ
若い元気な時は、知識や技術や経験や健康やお金を貯めておけばいいのだ
老後引退して多くの暇ができてから、やおら「さー何か趣味でも作ろう」でいい
退職して更に就職するならば、金儲けのためでなく暇を自分なりに使うべきである

暇と言う貴重な財産を自分の考え・希望で有効に楽しくゆったり使うべきなんだ
私はあれが出来ない、あれは苦手だ、やったことがないではなく、
もっと気軽に何でもやってみることだ、英会話よし、習字よし、野菜作りよし・・
趣味や老後の再就職というと、どうも過去の延長で考えてしまう人が多い
むしろ過去に苦手なこと、出来なかったこと、やらなかったことこそお勧めする
例えば次のような事を暇を使うなんてのも素晴らしいことだと思う
・現役時代に出来なかったことをやる
・一生かかるようなことをやる
・自分の苦手だったことをやる
・自分にとって最も大事だと思うことをやる
・人間の根源的な課題解決をする
・人として生まれた証を残したい
・過去を反省し自分の問題を根本解決してみたい
・世間の人が到底出来そうもないことをトライする
・自分をもっと大きくしたい
・断捨離したい、本物の楽をみつけたい

「もし暇ならば、暇のままにしておけ」が私なりの生き方だ、
「ずっと暇のままでよければ、それはそれでいい」と考えるくらいの大らかさが必要
少しばかりの暇を、いちいち、あーだのこーだの、ちまちま潰そうとするな

団塊世代の我々世代はとにかく小さい、せっかち、糞真面目、落ち着きがない


12月にベランダに水菜を植えた。水菜は素人でもできる野菜だ
晩秋に植えて冬~春先まで葉っぱが繁る
冬は毎日間引きながらサラダに使える、2つくらいやっておけば
ほぼ3か月は収穫できるので水菜を買う必要はない
是非お試し下さい
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