村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

595.貴方は自由な時代に本当に自由に暮らしていますか?

2024-11-11 11:01:41 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
貴方は自由な時代に本当に自由に暮らしていますか?自由の意識が欠落してませんか?
 ・不自由な暮らしをして老後を迎え死んでしまうなんて情けない話ですね。
 ・貴方は心底自分が納得するような自由な生き方をしたことがおありですか?
 ・やれ平和とかエコとかリサイクルとか絆とか言うけれど、貴方にとって自由はどういうものなんですか?
 ・物資豊で便利な都会に住むために、かえって自由を犠牲にしていませんか?
 ・これまで一度も心の底から「自由だ」と感じたことがなく、縛り付けられてきませんか?
 ・社会から、会社から、他人から、家族から、常に不自由(拘束)を感じさせられていませんか?
 ・あなたは本当に個性的ですか?今ここで、その個性的なものを全部出してみて下さい
 ・今や平和や自由は当り前になって、しっかり意識出来ていなくて、平和ボケと言いますが、自由ボケしてませんか?
 ・貴方は自由を選ぶのではなく、楽することを選んでいませんか?
 ・大して得ることなく、自分の人生を四角四面に窮屈に生き続けて来ていませんか?
貴方は、心の底から自由ですか?自分の現在の自由さを疑ったことがありますか?もし自由だとして、自由な貴方は何をやっていますか?何をしようとしていますか?現代は自由の大事さの認識が希薄になっている。むしろ自分自身を縛り続けてきませんでしたか?
江戸時代や明治大正時代頃までは身分制度や貧困や家族の厳しい掟や上下関係など本当に不自由な暮らしを耐え忍んで来たので、長いこと、自由を求める空気はすごく強かったと思いますが、戦後一挙に民主化し自由を手に入れ、その後技術革新や法制度の改正などによって現在まで更に飛躍的に自由は進展して来ました。今の時代は出来ないことなどほとんどないほど自由です。私達は徳川家康の何百倍~何千倍も豊で自由な暮らしを享受しているのです。それでもよく観てみると案外わざわざ不自由な生き方をしている人、自由を正しく認識できていない人を私はかなり見かけるのが気になります。もっと自由に何でもやったらいいんですが?
戦後急速に田舎から都会へと言う流れが出来て、都会でお金を稼ぐ人が増え、都会は仕事も多く、物質的に豊かではあったが、過密で物価高の住み難い不自由な場所になって行ったこと、もう一つはあまりに多くの自由を得たために自由に対して不感症になり、少々の不自由さはあまり意識されなくなったり、我慢してしまう癖がついてしまったようです。
貴方は何かするときに①「不自由さ(何か大きな障害)があることを意識しています」か?それとも②「いつも我慢していているので格別、不自由を意識はしていない」ですか
どちらか一方を選ばざるを得ないのですが、どちらを選んでも、必ずそれぞれに何がしかの不自由さが潜在しているのです。子供はその不自由さに耐えられないのでぐずぐず鳴いたり怒ったり正直に不満を表に出してしまうのですが、過剰な自由時代において、大人は我慢することを覚えるのです。そして年齢とともに自由さを求めるよりも我慢をするほうに偏ってしまうのです。
既婚者の場合は未婚者に比べると想定外の不自由さが生じる
都会暮らしの人田舎暮らしの人に比べると想定外の不自由さが生じる
転職しない人転職する人に比べると想定外の不自由さが生じる
上司部下に比べる想定外の不自由さが生じる
頭の良い人は頭の悪い人に比べると想定外の不自由さが生じる
有名人無名な人に比べると想定外の不自由さが生じる
先生先生でない人に比べると想定外の不自由さが生じる
・・・・・・・・・
自分は良かれと思ってやっているが、案外に我慢をしていて、知らぬ間に自由を奪われてしまっていることがあるのです。
例えば、有名人や先生や警察官などは有名税というか、絶えず他人の目を気にかけて行動することが要求されますし、周囲からも真面目であることが求められるので、その分日常的に緊張を強いられ、かなり自由が束縛されます。有名人より私達のような無名な人間のほうがずーっと自由だということを忘れてはいませんか?
「都会暮らしと田舎暮らしとどちらが自由ですか?」こんな質問をしてみて下さい。多くの人は「当然自由なのは都会でしょ」と言うでしょうね。でも私のように元都会人が実際に田舎に長年住んでみると意外なことに、田舎のほうがずーっと自由だというのが実感です。例えば田舎は大病院がないので不安なんて言われますが、そんな場合でも、大きな病気になったその時だけ都会に行けば済むことなんです。田舎にもよりますが、私の住む安曇川のような田舎では町の医院は沢山ありますし一応大病院もあるにはあるのです。また都会と田舎の二重生活でもよいのです。我慢して都会だけに住み続ける必要はないのです。田舎をあーだこーだと勝手に悪く決めつけるのは間違っていると思います。
まあそうは言うものの元々田舎の人自身が自由かというと、やや自由ボケしているところもあるにはある。田舎の自由より都会の不自由に憧れているような若者も多いのは事実であり、それを私は否定しない。田舎に私のように都会の人間や外人が移り住むと田舎の自由を発見するのだ、そんなものなんだ。
日本人自身は日本の素晴らしさに気づいていないのだが、今未曾有の外人来訪ブームだが彼らも日本の自由さ、日本の個性的なものにびっくりしているんだ。

東京・大阪・京都と大都会住まいの後に30年近く山と田舎に独り住まいをして来た私から観ると、まるで別世界の人間のように、都会の人間に凄く違和感があります。多分彼らからすると「そんなこと田舎ペーに言れたくない」ということでしょうが、私も昔は都会側の人間だったから、「お前さんたちいい気になっているんじゃないよ」と思いますね。「何しろお前さん達かなり不可思議な奇妙な行動を当り前のようにやっているんだが、貴方方にはそれがトンと分かっていない」私にしたら申し訳けないが、「勝手にやってろ」としか言いようがない。彼らからすると「自由を謳歌している」のだろうが今の私から観ると「なんとも窮屈な生き方」にしか見えない
コロナの時も過疎地である田舎は、空気もきれい、人込みがないので、私のような一人暮らしの高齢者ほどむしろ、ほとんどコロナに感染する危険を感じたことはありませんでした。また、もし、感染しても一戸建ての広い家でじっとしていることが出来るので、そういう点でも都会ほど困ることはなかったように感じています。今思うと「7回もワクチン注射なんか打たなければ良かった」と思っていますし、最近はインフルも含めてワクチンは一切止めてしまいました。当時、都会に自分の会社や学校がある人だけが当地でもコロナにかかっているような状況でしたね。
また大きな声では言い難い事なんですが、私が55歳の時に妻が他界しそれ以降私は自動的に一人暮らしになったんですが、ほぼ同時に滋賀県山の暮らしが始まったがそういう意味では家族とも離れての暮らしが続いてきた。そして思うことは全部自分で考え、全部自分で決断し、全部自分で自由にやってきたが、「これぞ自由な暮らしだった」のではないかと思っている
老人の私が京都の家に帰ると困るのが家の近くでやることがないので、京都では一日中家の中でじっとしているか隣のス―パーにでも出掛るくらいしかないのです。一方安曇川の家では前が空地、家には庭や土間があり、周囲には自然も、川も山もあるし無論5~10分で買い物の出来る大型店も5~6軒もあるんです。また毎週生協が配達してくれますし、頻繁にネットで買い物をしますが1~2日で配達してくれるので、不自由さはほとんど感じません。
田舎の道路はかなり(チョー)空いていますから目的地には時間通りに着けますし、駐車に困ることは全くありません、田舎暮らしを始めて田舎の自由さをあらゆる場面で実感しています。私は水彩画や卓球や大工仕事や木の剪定などをやっていますが、習い事もできます。スポーツも近くの体育館で出来ますし、むしろ都会より簡単かもしれません。まあそんなことで私は不自由でむしろ自然がなく騒々しい京都に帰ることがほとんどなくなってしまったというわけです。だから京都市内や繁華街にもここ30年ほとんどご無沙汰しています。
それと、とにかく都会の家および玄関・風呂・トイレ・洗面所・庭なども全て狭いですね。私が一人で住む今の田舎の平屋(一階建て)の家は152㎡建坪62㎡で玄関・風呂・トイレ・洗面所・土間や庭も広いですし、一人住まいとしては、たっぷり十分な広さがあります。庭も前後合計70㎡ほど、しかも家の道路の向いにもかなり広い空き地があります。それでも欧米の家は更に一回り広いらしいから日本の都会の家がいかに狭いか不自由かが推測できるというものです。日本の都会は、4人暮らしでは私の家と同じ程度の広さで庭もなく、かなり窮屈です。しかも都会の中古の家でも価格は極端に高いです。都会の家の価格は私の田舎の家6~10軒分はしますし、かつ狭いです。そういう意味では都会では、お金の自由も奪われているのです。収入は多いが案外つましい暮らしをしておられる。
しかし田舎でも、都会とは別な不自由さは伴いますから田舎のどこに住むかは、自分で慎重に選ぶことも大事です。都会暮らしの時から失う自由と、山暮らしで得る新たな自由を天秤にかけてどちらが大きいかで決めたらよいと思います。私の場合は山暮らしのほうが格段に自由でしたが、72歳でさすが体力や緊急対応に自信がなくなり山を降りました。
更に私は東京から関西に移り住み更に滋賀の田舎に引っ越したり会社も4つ転職してきました。引っ越しや転職経験は、私が何か考える場合にも他の人より情報の質も量も多く、考えたり決断する自由度は広いのです。東京に住んだことのない人に比べて、24年暮らした私には、東京の様々なイメージがすぐに頭に浮かんできます、大企業とか小企業についても私にはすぐに頭にそれらのイメージが湧くのです。大都会の暮らしも山や田舎の暮らしも容易にイメージ出来るのです。すごく自由に広く正しく物事が考えられます。
また京都での長い暮らしも、京都に住んだことのない人よりより広く深く体験しているのでイメージもかなり自由に出来ます。他県だけに住む人には観光地の京都市しかイメージ出来ないはずで、そういう点では観光だけで京都に長く住んだことのない人の場合は、ほとんどきょうとについて偏見ばかりで不自由だなーと思わざるをえません。
趣味も同様で私は色々な趣味をやってきましたから、何でも容易に、正しく、自由なイメージが可能ですし、多くの人といろいろな趣味について深い会話が出来ます。
私の山暮らしや田舎暮らしで感じた自由感は他のあらゆることについて自由を考えるきっかけとなりました。「今自分は自由なのか?」「もっと自由な環境はないのか?」
まあ「都会が好き、田舎なんて大嫌い」、「大企業が良い、中小企業なんて絶対に行かない」、「卓球とか水彩画なんて苦手で絶対にやらない」なんて人は狭い経験の範囲で暮らしているのでかなり不自由なんです。そういうことを少しは考えてみることをお勧めします。
◆何故、人や自動車や家の多いところで狭い家に住んで不自由な暮らしを我慢しているんですか?
◆なぜ一か所に住み続けて自分を閉じ込めているんですか?もっと自由に引っ越せばよいのに
◆なぜ一つの会社に勤め続けて毎日ほぼ同じ仕事をやり続けているんですか?もっと自由にいろいろな会社に勤めていろいろな仕事やいろいろな人と出会ったら
◆なぜ趣味が少ないんですか?もっと自由にいろいろな趣味を体験して楽しんだらどうですか?

江戸時代以前の昔には、皆ある意味真面目にコツコツ暮らしていた、体系的な科学技術は存在しないに等しく、いつも厳しい日々であった。だから、そういう時代にはある程度の正当な嘘誤魔化しが必要であった。歌とか踊りとかマジナイとか飲酒とか占いとか信仰・・・とか。でも現代はそんなものはほとんど必要ないはずなのだが、昔よりむしろ嘘誤魔化しだらけの社会になっている。もはやどれが嘘誤魔化しでどれが真実かも分からなくなっている。そんな人間の行動はまさに麻薬患者や泥酔アル中患者のようなものでまともに観るに値しないようなものになっている。そんな者にもはや「自由とは何か」「本来の自由を再度獲得しよう」など到底理解はできないことだろうと私は思っている。
自由に飛び立て、自由に駆け巡れ、自由に新しい環境に突入しろ、そうすることで現在の私のように自由な生き方や暮らしを手に入れることが出来るのですが、貴方は一生狭い籠に閉じこもって、これだけ自由な時代に、わざわざ不自由な一生を生きていくことにならないように注意して下さい。「海外旅行に行きましたとか都会でいろいろな楽しみをやっています」なんて言ってもそんな人が自由かというと、必しもそうでもないのに私は少々心配になるのです。政治家や先生も意外と狭いし不自由を我慢している、そんな人に導かれていて大丈夫なの彼らももっと自由にいろいろな体験をしてほしいものだと思わざるを得ません。
空き地が放置されていますが、そこは雑草が生え放題で環境悪化につながるところを、私は我が家の前の空き地をきれいに維持して差し上げ、その代わりに自由に使わしてもらっています。
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594.高齢者は腰痛で運動を諦めるか、それともどう戦うか

2024-10-18 12:50:12 | 健康作り
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高齢者は腰痛で運動を諦めるか、それともどう戦うか

先日卓球仲間の女性に久しぶりに会って「最近腰が痛み足がしびれるようになり心配しているが医者からは卓球を控えるように」と言われたらしく少し落ち込んだ様子だった。
昔、テニスやジョギングをやっていた私は30年以上腰痛としびれに悩まされ続け、医者や長く整体にも通ったこともあったが、結局現在は医者や整体とは決別し、コルセットを腰に巻き付けて今も身体を毎日決め事のようにして動かし続けている。高齢者は絶対にきつい運動をやり過ぎたり、無理はいけないが、腰痛だ、しびれだと言って運動習慣や身体に負荷をかける事を諦めて捨ててしまうのは結局かえって自分の老化を早め、病気がちにしてしまうように思う。
腰痛が起きるとかばってじっと安静にする人が多いが私の場合は山暮らしだったので、外に出て何等か身体を動かし続けていた。当時を思い出すと腰痛との闘いの日々であり、悪くなっていく時があったりで、あまり調子が良い日はなかったと思う。それでも負けずに戦う精神は保って今日に至っている。
しかし「私の場合に良かったから」と私の体験を女性に押し付けるのには、かなりの無理があるので、「ある程度軽く卓球もやったほうが良い、あまり心配や思い悩みはしないほうがよい」とだけ言っておくしかありませんでした。やはり自分で何とか腰痛やしびれと向き合っていくのはそう簡単ではないし、高齢女性は多くの場合、必ずどこかで挫折すると思う。
とにかく毎日傷むし、もう歳だから、医者に言われたから、面倒臭いから・・・結局前向きのことより後向きのことを選んでしまう。医者もどちらかと言うと”後ろ向き助言者”に過ぎない。そういう医者の態度を安易に責めるのは間違いで、色々な人を多数診察する医者には一般的な助言をするのが精一杯であろう。
あとはやる気のある患者自身がどう我慢強く取り組むかでしかない。
私の場合は、基本的に医者の言うことは半分しか受け入れないし、腰痛に関しては医者のアドバイスは60歳以降は完全に無視して来た。彼らの言うことは私個人について言ってくれてるのではなく、単なる一般的な事を言うに過ぎない。医者は私の体力・体質や私の過去も、現在の詳細な暮らし方も、心情ややる気も何も分からないので私個人にあったアドバイス・助言は到底無理なのである。
占い師や相談専門家が勝手に個人に誠しやかに細かいアドバイスをすることがあるがあれは全くの嘘・インチキである。当たる場合は「千に三つ」程度で、ごく稀でしかない
腰痛にしろ何にしろ医者のアドバイスを100%信じるのには無理があり、ましてや占いや相談者などに頼るべきではなく、本当に直そうとするのであれば、一番頼るのは自分自身であることを肝に銘じるべきである。いろいろの参考情報を取り入れつつ「俺はこうする」なのである。
話は少しそれるが人口密度の極めて低い田舎暮らしの私はワクチン注射を最近しなくなった。なぜならば、ワクチンを短い期間に7回もうつというのが異常に感じたし、次々に何らかの毒素を身体に入れ続けることにさすが疑問を持ったからであるし、田舎でほとんど人込みに行くことがないのに必要なしと思ったからである。ところが「高齢者は皆うつように」という一般的な指導だけが行きわたっているのに不信感を抱いたこともある。「高齢者は皆、全員うて」ではなく「打つべき高齢者はどう、うたなくても良いのはこれこれの人」という発信もほしいのである。
高齢者の健康や福祉や災害その他多くの問題は、同様に問題の解決方法の選択を間違ってしまっているような気がしてならない。まあそんな例をだすまでもなく、役所や医者から一律に出される指示も怪しいと疑うべきだと思う。

我が家は、平屋で今年の猛暑で更に断熱工事を追加してやってきたが、あと一か所南側の屋根に近い壁の断熱を業者に頼んで工事する予定だがそれに先立って破風と母屋の木の板の塗装が剥げ始めたので急遽午後45分かけて塗りました。

作業はやや傾斜のついた波板の上に板を敷いて、そこに梯子で上り水性塗料を塗りました、案外やり易く出来栄えもまあまあで、他の家の同じ部分はすでに30年以上経過し塗料もはげ木も傷んでいますが、わが家のように自分では出来ない構造なので、わが家はかなり光り輝いています。翌日二度塗りも完了がっちり修理を終わりました。

そして後日、壁の断熱リフォームしてこうなった


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593.知事や警察本部長のパワハラに関して私の一言

2024-10-06 21:45:39 | 企業パワハラ
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知事や警察本部長のパワハラに関して私の一言
人間として信じられない真面目できちんとした人がいない

京都府警本部長を事実上更迭、警察庁が訓戒処分 「殺すぞ」不適切発言問題、議会で謝罪という、斎藤兵庫県知事以上に全く信じられないニュース。悪事ではあるが「上には上がある」言ってみれば犯罪的行為を警察のトップの指導者が平然とやっただなんてまず100%ありえないこと、これぞ史上最大のやくざ者・詐欺師と言える。でも世の中には斎藤知事も含めて経営者トップや今回の警察やお寺の坊さんや学校の先生までおよそ信じられない指導者が案外沢山いるものです。
多分皆さんも日頃会社や組織などでとんでもない滅茶苦茶な経営者や幹部や上司に遭遇することがあおりのことでしょうが、私も20数年前かつて勤めていた会社でひどいパワハラで会社を追い出された経験があります。当時私は「こんなことは、この会社だけのこと、その社長や常務達が格別やばい人、これは世の中でも滅多にない珍しいこと」なんだと思っていましたが、その後今回の事案も含めて世の中にはパワハラなんて当り前にあっちでもこっちでも存在しており、指導層やトップなんか安易に信じられないという認識に変わってきました。
人の性善説や性悪説などというものが議論されることもありますが、人間は知恵がある分、本質的に動物などに比べると性悪な生き物だと断定しても間違いはない。私の場合も会社はすごく急成長し社長は有能で立派な人と”話題の時の人”になっていましたから、私も「良い会社に入った」とすごく幸せを感じていましたし、株価も急騰し家族や友人知人にも自慢していました。
世の中で優秀な経営者や知事になったり、警察の本部長になると「自分は偉い」と勘違いする、別にさほど偉くもないのだが、こういうことこそが人間の精神的矮小さ・見苦しさですね。この二人の事件公表後の哀れな姿が如実に彼らの本当の姿を見せています。またこういう人は必要もないのに非常に焦っているし、不安感もあり、案外孤独・孤立しているんですよね。正直な話ですが、私めも、万一もし偉くなったら、同じタイプかもしれません??
私の場合に戻って、会社は驚くほどの高業績が続き私も55歳になり、これで私も無事人生後半を生きて行けると思っていましたが、突如ある朝呼び出され「すぐに会社を辞めてくれ」という話をされ「なんというひどい会社だ」と耳を疑いました。社長は人前には全く出てこないような人でしたし、当時会社は取締役や部長などがいつの間にか会社にいなくなるというようなことが多くなっていたのですが、どうやら社長がイエスマンを除いて、口やかましい年寄りを計画的に排除していたようなんです。その代わり若いさほどでもない社員がいきなり昇格し、社員皆で『一体何が起きているのか」と驚いたことが頻繁にあり、人事の移動通知が回って来る回数が凄く増えたことも記憶しています。その社長も確かに何となく非常に焦っているし、不安感もあり、かなり孤独・孤立していましたね。
まあ社長も当時のひどい常務連中も今はいないようですし、今となってはむしろ「辞めさせてくれてありがとう」もうどうでもよいほど昔のことで、これくらいにしますが、兵庫県同様に社員も「こんな業績の良い会社なのに何かおかしい」という雰囲気はありましたね。まあ世の中は立派な会社や組織でもこんなものです。「我が企業は超一流だからそんなことはない」なんて例外はないのです。ジャニーズ事務所・ビッグモーターなどもその例ですが、ガックリですよね。知事だからさぞかし有能で人間的にも立派な人と思いきやそうではない。まさか我が企業の社長は・・と思いきや、”まさか”はないのです。警察の本部長だからごく当然のように清く正しい人と思いきや「殺すぞ」と言うようなとんでもない人だった。私の場合も常務から「首つれ」「紐もってきてやれ」なんてのは再三やられましたし、毎朝一番で常務から電話がかかって来る、会議では皆の前でこれ見よがしの嫌がらせというしつこい虐めを経験しました。
こんな話はニュースにならないレベルでは巷にはごろごろとあるものですし「一見立派なトップクラスの人でも安易に信じてはいけない」こんな状況はいつまでも無くなることはありません。今度の2件の事案はまさに職員や市民を騙した大きな詐欺であり、世の中にはいろいろな詐欺がまだかなり横行しているようですが、私はこんな人達は基本的に大掛かりなオレオレ詐欺だと思っています。人は相当に厳しく自己を見詰め、自己をも磨き上げて来た人でなければ信じられるものではないです。でも現実は人間として立派な人なんて存在しているんでしょうかね?もう絶滅しているかもしれません。
今回の斎藤知事や白井利明本部長記者会見で言っていることを聞いていると基本的に自分のことを心底反省はしていないように見え、謝ってはいるがまだまだ何も自己を厳しく見詰め直してはいません。「とんでもないひどい事をやらかしてしまった」という反省はなく「まだ何とかなる」「どうにか取り繕おう」程度の認識しかない、どこまで行っても極めてお粗末な腐りきった人達なのでしょう。
日本や国家が駄目になる場合の最重要事項は国や県のトップが首相や知事である前に立派な人間であるべきなんですが、この日本でさえも政治家を含め、そんなことは全くない実情を嘆くばかりです。残念ながら「人は信じられない」「人は危うき人に近寄らず」ですかね
そういうインチキな指導者に従わなければならない社員や職員や生徒は、それこそひどく迷惑なことですね。立派な指導者や先輩という証明書がない人はホテルや病院同様に安心してそれらの人の指示命令や指導に寄り添うことが出来ない時代になったのでしょう。
親は選べないからまあ仕方がないが経営者や幹部や上司や更に友人や兄弟や伴侶まで人を信じるということが難しいことだと思う今日この頃です。日本でもこんな体たらくだが、世界に目を転じると、意味のない合理性のない戦争を勝手気ままにやって罪のない他国・自国の人民の命や財産を平気で奪ってしまう国のリーダー達もおよそ信じがたい存在である。まあそれらの殺人鬼の国家指導者に比べればマシではあるが、世界は異常気象同様に異常指導者の時代に突入しつつあるのだろうか?
このようにひどい指導者が目立つが、指導者ばかり責めてはいられない、振り返って貴方は、自分はどうなのかと自分を見詰め直してみると、まあさほど褒められたことではない。今の時代「深い反省」と「大きく広い心」が求められますね。すなわち上も下も満遍なく世界が堕落しているのであれば、もう地球の最後も近いのだろうと思わざるを得ない。最近起きる異常気象による巨大洪水や台風や干ばつなどというものは、その結果であることも思い出してほしい

燃やせるゴミの指定日に関係なく別の日に平気で出す人がいて、ずーっと続いている。ごみ箱を設置させて戴いている家の人に匂いや害虫発生でご迷惑がかかるので非常に困っている。

そこでそんなことでお困りの町の場合に、こんな掲示を出されたらと提案します。この掲示を出したら当面1月くらいは厳しく監視を行い不正が続くようでしたら、更なる強い監視や指導をやってみて下さい(あくまで参考です)
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592.兵庫県知事はまさに本能寺の変

2024-09-18 07:13:36 | 企業パワハラ
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(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
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兵庫県知事はまさに本能寺の変
知者タイプの斎藤兵庫県知事は織田信長タイプ

パワハラというのは今回の斎藤知事に限らず大なり小なり政治家や経営者や指導者などにあるのだが、今回の兵庫県のケースは絶対にありそうもなく、県知事の斎藤さんがかなり強引に権力を行使して当面の課題を自分の力で押し通そうとし過ぎた結果であろう。織田信長や豊臣秀吉も国家統一のために強引な独裁政治を実施した。現代のように「公益通報者保護法」なんてものが全くない時代には当然のことだったのだろうが、なんと現代においても兵庫県でやられていたことが県民や国民にも信じられない事となったのだ。しかも知事はあろうことに公益通報者保護法を自ら違反し、通報者を自殺に追い込み、更に道義的責任を感じないし、罪を認めないという稀なケースとなった。
今回の案件はまさに本能寺の変で斎藤知事(織田信長)元県民局長(明智光秀)がパワハラによる対決で、斎藤さんは必死に耐えているがまあ完全な死に体である。彼は絶対に辞職はしないタイプ、簡単に言えば経験不足の尻の青い大馬鹿だから中国共産党のように「自分だけが正しい」という単なる自己中心の子供みたいな最悪の男なのだ。
私も昔、会社で同様なパワハラをやられた経験があるが、東証上場の大企業でも業績が向上している会社の社長ほど織田信長や斎藤さんのように「自分の指示を迅速かつ厳格にやらせようと焦る」、過去のパワハラ事例もほとんどがそうであったように思う。多分今回も斎藤組の斎藤組長の指示の下、一部の悪い手下の組員(斎藤の息のかかった県庁幹部)が一丸となって課題を早く実現しようと焦ったあまり、部下を大きな声で罵倒し、強引なやり方をこれ見よがしで進めたたものと思われる。まあ会社の場合も社長は直接の取り巻きを置きそいつらに指示しあれこれやらせる。まあ今回パワハラを知事本人が直接やってしまったのが下手だった。土産物やおねだりも取巻き連中にやらせるべきだった。暴かれた時に知事が言い訳が出来ないからだ。私の時は社長は一切関与せず取巻きの新参の常務連中に虐めをやらせていた。「知事は知事」のままにしておくべきだったのだが、そこが斎藤さんの稚拙で未熟なところだったのだ。
私の知る範囲でも社長は取巻きの幹部に指示して「俺らの言うことを聞かない奴や面倒な奴は同じ目にあうぞ」みたいな個人を大声で恫喝し、「よく見ておけ」とばかり織田信長さながら見え見えの強引なやり方をするのだ。織田信長も自分でやらずに取り巻きのお偉方に指示してやらせるべきだったのだ。驚くのはそれをやらせたり、やるのが普段は部下に立派な事を言う、部下や人々を正しく導くはずの社長や知事なのだ。まさに現代にも織田信長は大企業や立派な県や組織でも未だに当たり前にあちこちに存在するのである。今回の兵庫県のケースはまだ明るみに出す元県民局長のような勇気ある人がいたから早めに表ざたになった例なのだ、地方の役所や中堅以下の企業では大半がもみ消されているのが実態だろう。
大手企業や県などでも100%とは言わないがかなり当たり前に横行している。どこの会社の社員でもどこの県や市や組織などでも1~2回はパワハラ・セクハラされたり、日常的な嫌がらせを受けた経験があるのが実情なのだ。
斎藤兵庫県知事のあまりの自分本位さ・身勝手さが毎日批判されています。世の中の人は知者と仁者に分かれ、彼はどちらかというと知者すなわち頭が良いグループ、このグループの中にえてして斎藤さんのようなパワハラに走りがちの指導者が登場するのです。プーチンやトランプ氏や織田信長氏などもそれに近い人達なんですが、彼らは仁者の要素が全く欠落しています。”知事の面を被ったナラズ者”と言うべき人を安易に知事に選んだ市民も大いに反省すべきなんだろう。ある意味今回の事件はパワハラの告発という点では結果的に非常に良かったのだ。
知事でも社長でもない役立たずの私でも”人を虐めないことや嘘誤魔化しをしないなんてこと”は当たり前に最も順守するようにしているのに、絶対にやりそうにもない多くの政治家や社長や組織の長がなぜパワハラをごく普通にやってしまい、更にそれがバレそうになると、何とか誤魔化そうとするのだろうか?中には筋の通らず戦争を身勝手に起こし、人の命を奪い家や街を破壊し、しかもそれが自分の大手柄みたいに言うのが信じられない。
「道義的責任を感じない」画一的なロボットみたいな人なんです。だから百条委員会で「道義的責任を感じますか?」と言う質問への回答が「私は道義的責任の意味が分かりません」という非常に不可思議な回答だったのです。こういう人は自分の思い通りに物事を進めたがり、「自分は正しい」と自分の非は絶対に認めません。私が常々言っていることは、万一悪事を働いた場合、悪あがきをせず、素直に罪を認めることが大事。 知者にありがちだが、知者は幼児のように、これが出来ない、そして何も得ず、自ら地獄の底に落ち込んで行く。
知者タイプで突っ走る人を総理大臣や知事にする場合は必ずそれをうまく諫める側近や仁者が必要ですが、残念乍ら今回の側近はそんな立派な人達ではなかったということです。今回の件で分かったことは、知者(頭がよい、業績を上げた人)というのは、むしろよほど慎重に選ぶべきだということですね
  ◆孔子の論語の雍也第六の二十三◆
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽
  【子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、
  仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し】
  ◆吉田兼好【徒然草】友とするに悪き者(第百十八段)◆
にこんなのがあるが、斎藤氏にも当てはまる
 友とするに悪き者、七つあり。
 一つには高くやんごとなき人 二つには若き人  三つには病なく身強き人
 四つには酒を好む人。五つには猛く勇める兵(つわもの)  
 六つには戯言(そらごと)する人 七つには欲深き人
一介の無能な私が知事に言うべき事ではありませんが、斎藤さん辞職しなさい。今だったら、まだ人々は貴方を許す心の広さを残しているが、万一貴方が解散を指示したらもう完璧に貴方は、断崖絶壁から落下し大怪我を負い、日本の街を堂々と歩けなくなり、もし家にいても精神的に追い込まれ惨めな暮らしが続くと思う。更に貴方は幾つかの犯罪者として告発されるのも必至でしょう?最最悪の事態にならないことが貴方にとっても兵庫県民にとっても今はぎりぎりの最後の一線だと思っています。何しろプーチン氏以上に貴方の態度が理解不能なので精神異常ではとか、まさかと思うが万一の不穏な事件(自殺とか爆破とか・・・)でも起きなければ良いがと疑わざるを得ない。
「素直に謝りなさい」残された貴方のたった一枚のソフトランディングカードです。まあ私にとっては貴方の将来などどうでもいいのです、自業自得で貴方が更に惨めな状況になるだけのことです、全ては貴方自身が決めることです。それにしても貴方はこの場に至って何を得ようと焦っているのか全く理解できない、すべてを捨てきりなさい。貴方はとにかく、まだまだ未熟者、何とか素直になって謝って出直してほしいと願うだけだ
多分常識的には不信任決議案が提出される前後か放置して自動的に失職となるんだろうと思っている。失職が濃厚であろう。もし議会の解散となれば彼は異常者としか言えず、相当厳しい批判を再度受けるのは当然である。不信任決議承認後の彼の独裁者のような顔つきや態度が不吉・不気味で少し気になる。


友人の大工さんがお客様の家に依頼された家具を処分する前に我が家に持ってきてくれました。洒落た0円の籐製家具を玄関に設置しましたがピッタリ、しかも物入の場所が増えてバンザーイ
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591.夏の過ごし方を真剣に見直そう

2024-09-17 08:44:17 | 健康作り
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

夏の過ごし方を真剣に見直そう。
  今年の猛暑の中の暮らし方を総括する

今年の夏の猛暑は81.5歳の老人にはかつてないほど、かなりきつかった。毎日が地獄だった、それでも必死にいろいろ工夫し猛暑の夏の過ごし方を模索し耐え抜いてきた。まあ私はつらい中でも上手く乗り切ったほうだし来年以降の猛暑の夏の過ごし方をかなり確立出来たと思っている。
 ①酒ビールは2年前からやめている
 ②通常毎週やっている卓球は全面的に中止
 ③昼寝
 ④断熱の見直し
 ⑤早朝散歩
 ⑥夕方運動
 ⑦部屋の改善
 ⑧エアコンの使い方
 ⑨食事を普段通りきちんととる
 ⑩無理せず慌てず耐える

そして今夏の基本ポリシーを纏めてみると
 ①普段使う部屋を一か所に集約そこを一日中エアコンで冷やす
 ②運動は日中は中止し朝晩涼しい時間にしっかり運動する
 ③家の内外全手を徹底して断熱する
 ④夜寝不足の場合は、眠い時は昼寝する
 ⑤夏8~9月は外出・旅行を控え夏籠りする
 ⑥普段で出来なかったことを夏に部屋でやる

 ⑦
そしてごく最近9月中ばに、私は10畳の部屋に必要なものを集結、その部屋の周囲は廊下や別の部屋で、ある意味二重に断熱されている部屋なのだ。そこの部屋を重点的にエアコンで一日適度に冷やし続け電気代の効率化している、トイレや風呂や食事を除いてその部屋で過ごすようにしているこの部屋を私は「北海道の間」と呼んでいる

 今月も猛暑はむしろ8月以上に過酷。【耐える事と独自に工夫改善する事】の大切さを改めて思い知らされた夏でした。10月も無理せず疲れ切った身体を労わりゆっくり回復させて行きましょう。涼しくなったからと急に元気になると夏の疲れがもとになって身体はむしろ不調を訴えることにならないように
この夏ナシやぶどーやスイカなど果実や多くの野菜まで壊滅的にやられているそうです。肉や玉子や魚も不良。従来の農業や畜産では限界だそうです。もう従来通りのやり方が通用しなくなってきそうなのだ。これらの食材の価格高騰の心配ばかりでなく、老人の夏の暮らし方も余程真剣に改善が必要なようだ・・・・

自転車でサイクリングは猛暑であまり出かけませんが、タイヤが丸坊主であるのも気になっていました。アマゾンでタイヤ(5580円)とチューブ(1483円)を買い取り替えました。





この自転車はもともと700×25cですが、リム幅を28cにしてみました。乗ってみると従来は幅が狭過ぎでしたが、やや安定感が増したように思います。(25cの自転車に28cのタイヤの装着は可能です)
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590.猛暑の夏の過ごし方は正しかったのかが秋以降に表面化する。

2024-09-05 08:05:33 | 健康作り
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
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猛暑の夏の過ごし方は正しかったのかが秋以降に表面化する。

今年の夏は歴史的な格別な猛暑であった。また速度の遅い・迷走台風がきて日本中を大混乱させてくれた。そういう厳しい猛暑の環境の中でどう暮らしたかが次の季節になって身体の好不調になって表れてくる、私が気になるのは、この猛暑の夏にスポーツの大会や個人的にスポーツを未だに従来通りやらせている、やっている人が多いことだ。
歴史的な猛暑がやってきているというのに、何の疑問もなくスポーツ大会なんかやっている場合じゃないと思うんのだが?せっかく健康のためにやっているのに身体を大きく害してしまう。そんなことが許されてよいのだろうか?この際夏のスポーツやイベントなどを基本的に検討し直すことが急務である。
何か大きく変ったと思える場合は、即座に従来からの習慣ややり方を厳しく点検し迅速に対処することが大事で、そうしないと取り返しのできない事態になってしまうことを覚悟しなければならない。「今までなかったから今後も起きない」と考えがちなのだが、これが落とし穴なのだ。巨大台風や巨大地震も個人ですぐに対応策を考え実施すべきなのである。
私は81歳と高齢でもあり夏の突入時点でこの夏の過ごし方を自分で決め、守ってきた。その点私はかなり時代の最先端を走っているのだと思う。私の場合は、今年8~9月はいつもやっている毎週の卓球やその他普段はやっている無理な運動も全て止めた。きわめて当たり前の処置であると思うのだが
夏にいろいろな大会が多く開催されその結果高校生や学生や社会人までもハードな練習と試合を無理やりやらされている。これは国民の健康に対して重大な危機であると私は考えている
とんでもない猛暑の夏でもドーム球場だからいい、夜にやるからいい、色々熱中症対策をするからいいというそんな生易しいレベルではない。「夏は無理な運動は一切休止する」が基本原則とならなければ、もはや人権侵害と言っても過言ではないまあ大丈夫だろう程度の低い認識では非常に困るのである
「夏、夜もエアコンかけっぱなし」なんてもう限界を遥かに超えているエアコンが普及したのは昭和60年頃、私が40歳以降の話である。今や一部屋に1台の時代に、そして夜もつけっぱなし、さあ今後どうなって行くのやら?考えただけでも恐ろしい。夏に停電や災害でも起きたら多くの人が熱中症にかかってしまう。・・・・・
昔冬は家に籠ったが今年の夏は私はほぼ家に籠っていた。それがこの猛暑では当然だと考えたからである。夏は何もできない時代が到来したのだ。そして朝晩の涼しい時間に散歩や汗をかく運動をするようにした。夜眠りが浅くなるので、昼間眠くなったら、時間に関係なく昼寝をするようにした。これも、そうするのが自然だと思ったからである。
また酒(ビール)は2年前から止めていたのでそれは今年の夏も守れたことは良かったと思う。真夏の炎天下で汗かいて夕食前にキンキンの酒(ビール)を飲むのは胃腸や肝臓を弱らし結果的に体力や免疫力の大きな低下につながる。猛暑の中過度の飲酒(ビール)の悪習慣も国民の著しい健康低下につながる由々しき事態だという認識が必要になって来る。水を飲めというあまり、アイスや氷やジュースも過剰に食べ・飲み過ぎがちだが、これも良くない。
この猛暑での運動などの私が守っている留意点は
 ①無理な運動や作業は全て止める。体温が上がる無理な外出も避ける
 ②スポーツ競技大会の応援や観戦は止める
 ③朝晩の涼しい時間に散歩や汗かく程度の運動をする
 ④あまり冷たいものを飲み過ぎない
 ⑤酒(ビール)は飲まない
 ⑥眠い時は日中でも昼寝する
 ⑦部屋にいて座っている時間が長くなるので時々立ち歩きなどをする
 ⑧身体の体温が上がらないように注意する(エアコンや扇風機)
 ⑨部屋ででもよいがストレッチや筋トレをする
 ⑩食欲低下や便秘や血圧アップに気を付ける
歴史的な夏の猛暑に遭遇しても、危機感は政治家・役人・スポーツ団体や先生や企業経営者は持っていないというか遅い。政治家はとにかく何でも遅い、早いのはいい加減な公共工事くらいのもの。大丈夫ですか?
最近米不足が言われているが実は政府は備蓄米を持っているらしいが、全く放出していない。全く状況把握ができていないし、出し方の基準さえ決まっておらずお粗末な政治の典型である。私としては「出します」と言って1~2回少し出しておけば、それで国民も安心すると思う。ところが農水省大臣が2度も「出さない」と言ってしまえば、買い占めを煽るようなものだ「この阿保め」。そもそも今回のように急激な米無しや価格急騰をホッタラカシにすることがお粗末過ぎる。お米情報をネットに出すとか臨機応変に備蓄米を小出しにするように工夫するべきだねとにかく政治馬鹿、指導者馬鹿の時代、お粗末すぎるあまりに無能な政治がこの国を滅亡へと導く、しっかりしよう国民一人一人時代の急変は早期に発見早期に対処しないと手遅れになってしまう。政治家や役人はそういうことを予想し早期対応するのが使命なんですが、現実はむしろ一番下手・苦手ということが大問題、国の命運にかかって来るんです。
医療費の増大、医療のひっ迫、国民の健康の低下が問題になっているというのに平気でいる・・・・大体スポーツという虚業にあまりに熱意を注ぎすぎるのも何となくこの国の行末が暗示されいるように思えてならない。この際虚業にあまりに熱意や税金などをかけることを考え直すことが大事だと思っている。現代は【虚業・虚事・虚飾・虚栄】があまりにも多すぎる地球温暖化の原因も多くの人間の無為・無駄な欲望によるものだということを思い直してほしい。
私は健康な暮らし・安全第一・質素・倹約・無欲をモットーにしている
 スポーツ競技に異常な関心を持たない
 ペットは一切飼わない
 自動車は所有しない
 旅行はしない
 都会に住まない
 自然と共存する
 贅沢はしない 
 家の修理は古材を使って自分でやる
 断熱をする

 ・・・・・
「個人だから環境負荷を出してもしれている」という考え方は私は、一切しない、どんな細かい事でも環境負荷削減に日々努めています
そういう地道なことが気候を正常に戻し猛暑を改善することにつながるのだが?
なにしろ歴史的な猛暑に突入した以上は夏の過ごし方を自分なりに大きく変えてみることが大事ですね。貴方の夏の新しい過ごし方は?

パナソニック 口腔洗浄器 を7月23日に購入し一カ月以上使ってみた。私の歯磨きは従来は普通の歯ブラシ3種類と電動歯ブラシと歯間ブラシ・歯間クロス・歯石とりを使ってきた。しかも一日4回きちんと磨いてきた。そこへ今度口腔洗浄器を試験的に買ってトライしてきた。結果は良好で大きな効果があることが分かった。

冷蔵庫の製氷室が凍って付近の部屋にも霜がつき引き出しが開かなく一年以上ホッタラカシ。台風が襲来する中、冷蔵庫の電源を切り格闘する事1時間やっと製氷室の霜と氷が取れやっと正常に戻った。久しぶりに冷蔵庫が正常に戻り、早くやっておけばよかったと後悔しました
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589.別れは悲しいことではなく、より多く経験すべきことだ

2024-08-27 20:26:06 | 言葉
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
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**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

別れは悲しいことではなく、より多く経験すべきことだ

「別れは悲しい」だから別れない、そういう人は多い
「別れはつらい」だから別れない、そういう人は多い
「今で満足している」だから別れない、そういう人は多い

一体そんな考えで良いのだろうか?

別れはつらいもの、避けるべきこととされがちだが
一生のうちに何度別れを経験したかで人生の値打が決まる
人は別れの回数だけ、貴重な出会いを経験する
別れてから出会うことで少なくとも人間の厚みが少しづつ増す
別れや出会いは逃避的や、投げ槍なものであってはならない
私は他人より数倍別れて来た、場所と、会社と、文化と・・・
自分を真摯に見詰める者は、心の中にも出会いや別れがある
別れは悲しむのではなく前向きに捉える者は、別れを利する

ある都会の人が言う「私は人脈が豊富だ、楽しい、おかげで
私の毎日は充実している」しかし私にはこの人を羨むどころか
可哀そうだとも思ってしまうのだ。なぜならば
人というものこそ最も自分を縛り付ける足かせになるのだ。
人から自分自身を自由に保つことなど到底できないのだ。

多くの人と付き合うとその人達をつい見詰めてしまい、
自分を他人と比較する、他人を基準にする事など意味がない
多くの人が自分や自分の心に纏わりつく、住み着くようになる

何事においても「過ぎたるは及ばざるがごとし」である
自分を深く見詰めて自分自身を成長させていくべきなのだ
「主体は自分自身、自分が自分の主人」を忘れてはならない

多くの人からの情報や考え方や付き合いはいろいろな意味で
自分を縛り付けてしまうことに気づいていない。
そんな人に言ってあげる「私のように山に10年籠ってみたら?」
「一度今までのシガラミを全部捨ててみたら?」

背後霊と言うのがあるらしいが私はそんなようなものが
全員の心にびっしり住み着いている
のだと思っている

多くの場合自分自身を縛るのは、友人・知人・家族・会社・住まい
なのだということを知るべきだ
麻薬患者を縛るのが麻薬そのものだということに似ている


別れとはいったい何であるか、人はじっくり考えてみるべきだ
出会うから別かれる、別れるから出会いがある
新たな素晴らしい出会いのために別れると言ってもよい
人が長生きなのは多くの別れをするためかもしれない
結婚し子を産み孫が生まれて永遠の出会いに繋がって行く
学校や就職や結婚や家族との別れ程度で最低限の別れは、
それらは私に言わせれば別れとは言えない


私は
24で東京から大阪へ更に京都へ、55歳で都会と決別し、
滋賀県の一人山暮らし、今は田舎町で暮らし続けている
松下電器からエンゼル工業そしてロームを経てコンサルタント会社へ
最後は、山暮らしをしながら経営コンサルタントを自営、
妻とは55歳の時に癌で他界して別れ、
 ”妻の死と会社退職とコンサルタント自営と山暮し”はほぼ同時発生した
 のであるが、そういう厳しい別れは55歳以降の私の生き方
 を大きく変え新たな出会い(自由と自然と自分発見)
 もたらした

子供達も兵庫・大阪・京都と別々の地で暮らしている

地域文化や住環境や多くの人々との別れと出会いもしてきた
仕事も趣味も生き方や暮らし方多くの出会いをしてきた

生まれて以来同じ場所・環境・人・便利さ・過密さの中で
生きているのは人を狭く・浅く・小さくするだけのことだ
長年大都会や大企業に居続けた人と後年遭うと、私は大きな
違和感を感じる。本人はそんなことを感じていないのだが
すでに得た地位や会社や住居や人を捨てたくないばかりに
別れることを躊躇ってはいけない

私は、最初30歳頃は怖々、悩み苦しみながら
そして50歳頃からはやや大胆になり
65歳以降は躊躇なく多くのの別れと出会いをして来た。
それに反して多くの日本人は、別れないことを後生大事に保つ、
私に言わせれば自分を縛り付ける生き方をしている。
私の経験から言えることは別れを恐れないとか
面倒くさいとか考え過ぎない
ことだ

いろいろな別れや出会いを経験し続けてくると
死別もどんな過酷な分れでさえも、悲しい事ではない
生を享けた者、出会った者に、別れは100%やって来る
誕生や出会いは同時に別れや死ぬことを意味する
死は最後の別れ、もう二度と別れることはできないのだ
大事なことは人生でより多くの別れを作り、経験することだ
別れはいつも”ハッピーエンド”とするのだ

別れが悲しいものであれば、生まれも出会いも悲しいはずだ
生まれる・出会うことだけがなぜ目出度いのだろうか?
別れが、なぜ悲しいもの・つらいものと考えるのだろうか?
別れとは完了・完成・完結ということ、締めくくることなのだ
別れないことで自分を必要以上に縛りつけていませんか?

別れを泣いて悲しむ人の姿を多く見かけることがある
私は「一体なに悲しんでいるんだ?」と思ってしまう
別れを悲しむなんて事を考える僅かな隙間は私にはない
別れは悲しむとか悩むことなんかでは全然ない
別れとは私的には決別・挑戦・冒険・脱皮・飛躍・変革と考えている
別れの少ない人の人生にチャレンジの痕跡はない


会社も住まいも環境も趣味も仕事も友人も妻や夫さえ
別れを恐れず変えても良いと思っている。
結婚でさえ契約、双方合意ならば契約解除もありえる
ましてや契約のないものは、自分が意味ないと思えば
別れることだ。普通は経済的などの理由で離婚などできないので
仕方なく結婚を続けている場合が多いが、
可能な人ほど何回も離婚と結婚を繰り返すのですよ。
離婚は望ましくないとか、離婚禁止の法律はないのです。
最近結婚しないなんて言う人が多くなって困っていますが、
簡単に離婚できないのであれば結婚しないという選択もあり
私の場合も妻が他界して再婚はしませんでした。

以上、別れについて述べてみたが、何事においても同様なのだ
悲しむことは悩むことなど、この世には一切無いのだ
悲しむ・悩むことはむしろ人間を成長させる原動力なのだ
人はつまらんことを、固定観念で悪く考える傾向がある
別れが悲しいと躊躇う者は「勝手に悲しんで躊躇っていろ」
別れのない人生は出会いのない人生に過ぎないのだ
55歳以降私が体験した些細な事だが別れを紹介する
 妻との別れ 都会との別れ  会社勤めとの別れ
 子供への小言・意見することの別れ 家族暮らしとの別れ
 自動車との別れ 酒ビールと別れ せっかちとの別れ
 床屋での散髪との別れ 新聞との別れ 旅行との別れ
 着飾るからの別れ 自己中心からの別れ 
 会話苦手からの別れ 他人への依存からの別れ:自活
 経営コンサルタント自営との別れ 山暮らしとの別れ⇒田舎町へ
 父との別れ 母との別れ 東京の兄姉との別れ
(東京血縁との付合いをやめ京都人として生きるに決める)
 55歳山暮らし・自然・安曇川・山菜との出会い
 55歳ISO14001との出会い 55歳コンサルタント自営との出会い
 57歳ホームページ作成との出会い 57歳前立腺がん摘出との出会い
 60歳素人大工作業との出会い 60歳ブログ作成との出会い
 62歳人生勉強会との出会い 67脱腸手術との出会い
 72歳田舎町暮らしとの出会い 72歳草木の剪定との出会い
 72歳福祉活動との出会い 73歳水彩画との出会い
 74歳卓球との出会い 80歳老いとの出会い

 その他やったことや小さいことはいくらでもあるが省く

今年も歴史的な猛暑そして台風10号歴史的な本土上陸台風らしい
道からの洪水に侵入をふせぐガードを設置しました


停電が予想され熱中症も心配なので電源も購入しようと調査検討にかかりました。大災害の多くなるこの時代安全にはより多くのお金と努力をかけることをお勧めする。費用は14万円くらいになりそうだ  Anker Solix C1000  1056Wh 世界最速の急速充電 高出力AC(定格1500W / 瞬間最大2000W / SurgePad 2000W, 6ポート) 長寿命10年 リン酸鉄 ¥139,900 税込

ポータブル電源の選び方
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588.猛暑凄まじ、冷蔵庫内でじっとしている自分おり

2024-08-15 19:39:31 | 暮らし
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
なにしろ凄い猛暑だ、災害だ、歴史的だ、日本は熱帯だ、世界は大丈夫か・・・

昔、冬は仕事も無く室内で酒を喰らい内職などしていたらしい。
今や、私は猛暑の中夏の冷蔵庫に入って腐らないように日がな一日じっとしている。人も魚や肉などの食材とあまり変わらない、時代は大きく変わったようであります。日中に外出でもしようもんならば、人は腐っていくか干物のように干しあがってしまう。もう時代は戻らないのか?オソロシア
人間が豊かさを求め「頑張れ、頑張れ」とやってきたノーベル賞級のあまたの技術革新が温暖化を招き、異常気象をもたらし、人までも冷蔵庫(低温の部屋)に押し込むそんな時代にしてしまったらしい
今や日本はあちこちに動く冷蔵庫動かぬ冷蔵庫があり、そこに食べ物だけでなく人や多数のペット様までも文化遺産のごとく保管されている。家で犬猫だけでなく金魚や小鳥まで飼っている場合は一日エアコンをかけ続ける。鶏は牛を飼っている業者や温室栽培をしている人も一日中エアコンが必要になっている、悪循環だ。高い原油や天然ガスを輸入し円安の原因になっている。贅沢や豊かさや便利さなんか追及し続けると、この国もあと何年もつかどうか心配だが、世界にも消滅しそうなのや森林火災や干ばつや大洪水で困っている国や島があるとか。
海外旅行者の増加や商業主義のオリンピックや競技スポーツやイベントややたら自動車を乗り回しての観光や子供の数より多いペット(大事な食糧を食いつぶし、メタンガスを大量に出す)等々そんなものを今すぐにやめる覚悟がないと猛暑は酷暑になり、ついに熱地獄になって行く。私は微力ながら必死に環境配慮の暮らしを日々続けている。
もし夏に大都会で巨大台風や大地震や大津波が起きて、更に大停電や大断水にでもなったら生き地獄だそんな日々が何カ月も続いた場合、はたして耐えられるのだろうか?

大都会より朝晩は僅かに涼しい安曇川田中の田舎町に住む私は何とか専用冷蔵庫で村上原基人生勉強会の原稿を書いたり部屋の模様替えをしてどうにか腐らないように生き延びています。
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587.この夏の恐ろしい猛暑どう生きるか、私は最近こう変えた

2024-08-08 09:28:25 | 防災
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(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
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**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
この夏の恐ろしい猛暑どう生きるか、私は最近こう変えた

何か急な変化があったら、自分の暮らしや生き方も変える、もし変えないで放置するといろいろな問題が大きくなって混乱の原因になる。今年の猛暑も災害級の暑さで従来通りの暮らし方のまま続けるのは大いに危険。と言うのは、今年だけの猛暑ではなさそうで、今後もっとひどくなる可能性があるから、考えましょう、どのように変えたらよいのか?
 (猛暑の問題以外にも他にいろいろな困難な問題があり、かつそれが今後ひどくなる可能性があるというのが多い。ところが若い人は戦後この手の深刻な問題への対処法の経験があまりないのが気になります。)
夏の猛暑について、私の場合はすでに事前にやっていたものとこの夏に急遽新たに変えたものを紹介します。
涼しい朝早く起きて散歩、夕方も涼しい時間に作業や運動、エアコンや扇風機の使い方、寝方が主なもの。エアコンも2か所以上、2台以上設置して、もし1台が故障しても大丈夫なようにしておくことも大事。ルールを決めたら守り続けることが大事で、絶対に守り続けることです。特に高齢者は無理しない、食べる・寝る・暮らし方全般についてこの際点検することが大事だ。私もやっている卓球を当分止めることにしたし、酒ビールも止めていますが、止めるべきことは迷わず止めることだ。
老人は何かと言うと過度に保護されしまう。私はわざわざ面倒臭い事やしんどい事も敢えてやるようにしている
①朝は5:50分に起床し朝飯を準備
 日によっては5時に起きてしまい、散歩も早くしてしまうことも多い
②いつもどおり水を1杯飲む、食事前に更に2杯くらい飲む
③4か所の換気扇や扇風機を回す:酸素濃度定価と細菌と黴防止
 (早朝の最低気温の空気と入れ替える)
④涼しいうちに散歩に行く
 (猛暑の時は朝晩の涼しい時間を有効活用する)
⑤作業や軽く身体を動かす
⑥6:30朝食(8~9時迄に排便)
⑦日中はほぼ室内中心に行動
⑧11時にエアコン入れ昼食
 昼寝は時間を決めず、眠たい時に1時間くらい寝る
⑨16時室内でストレッチなど
⑩17時夕食
⑪18時から外で草木に水やりと汗かく運動
⑫22時寝室のエアコンかける1時間で切れるよう設定
⑬22:30就寝
⑭寝返りは多くする
⑮夜間に目が覚めて暑い場合は扇風機とエアコンを1時間かける
⑯朝5時寝ながらストレッチ
⑰5:30分起床

夏は他の季節に比べて約1時間早く起床する、不足する睡眠時間は昼寝で補う
またそれ以外に別の猛暑対策はつぎのとおり
・夏の猛暑の9月中旬まで全ての卓球はお休み
・屋根はすでに断熱、そして天井裏にも断熱済み
・窓やドアーも簡易断熱を徹底
 段ボールや布切れを利用
・外出は最小限にし、室内での作業や運動や片付けなど
・部屋は1日3回換気、天井は夕方換気
・エアコン(除湿)は昼間は狭く仕切った書斎で12時間ほぼかけ続ける
・夕方、付近の道路などに水撒き3回、気化熱を奪い道路が冷える
・飲み水は多め、飲む回数も多くしている
・酒ビールは一切飲まない。飲みたい場合はノンアル(アサヒゼロ)

地球温暖化・少子高齢化・円安・物価高騰・ゼロ金利解除・災害の増加・・・つらいことだが人間はこれらに、各自備えなければならない時代の到来なのだ、政治や役所任せではいけない。

一戸建ての一階家、昼間は暑いがなんとか断熱を徹底したり工夫改善で乗り切っている、庭の土間もあれこれ断熱している


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586.人が変わったと言うが、本当に心底変わっていない人ばかり

2024-07-29 20:56:05 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
人が変わったと言うが、本当に心底変わっていない人ばかり

私は24歳で東京を出て関西に来て以来、会社・住まい・暮らし方・仕事・趣味・・次々にさまざまに変わってきました。まあ普通の人の数倍変わって来たと思っています。変わるということは、まず変わるかどうかの厳しい決断が必要になりその後変わったことに順応していかないといけない、かつ変わったことを続け、それで終わりではなく更に変わることが大事になる。変わることの連鎖反応、その結果今81歳で思うことは「よくぞ積極的に変わって来た」「人間としての成長に満足」ということです。私の人生を振り返ると「変わる」こと自体そのものが大事だったという感じさえしている。逆に変わらない人は、そんな人の一生はおよそ人生とは言えないと思っている。
ところで
26年前、都会暮らしを止めて55歳からの15年間一人の山暮らしは全く初めての経験であったので最初は多くの時間を山の掃除・片付けをしていた時期があり、小さな森に分け入ってそこを綺麗にするために黙々と雑草を抜いて小道を作ったりしていたのですが、その後もそれが習慣になって雑草を採ることが私の趣味というか専門能力になり習慣化している。そういうことをやっている内に森を綺麗にするのに普通1カ月かかりそうな場所でも3日で終わるなんてことにまで進歩した。でもさすが「趣味は草採りです」と、あまり自慢げに言うことはない。今住む町も朝の散歩道路や空き地や空き家の雑草も採ってきれいに保たれていることで私は僅かに知られるようになっている。
さて雑草を抜く専門的な話は別の時にして、ここでは雑草を人間に例えての話をしたいのです。人間にとっては庭や空き地に雑草がびっしり生えてしまうのは気分が悪いし、繁殖してほしくない草花が増えてしまい、蛇や虫やシロアリが住み着くなど困った面が多い。完全な悪者ではないが今日の話では、雑草=ダメ人間の行いとしておきます。結論は雑草は刈るのではなく抜け、抜いた草はそこらへんに撒き散らす(草刈正雄)のではなく、きちんと処分せよ(草抜和隆)ということが大事で、それを今回のブログのテーマ:「変わる」ことの結び付けて後半で説明して行こうと思っています。

今日の話は、人が変わるということについてです。無論良く変わるということですが、私の周辺の多くの知人を観ていて思うことは、人はなかなか変わらないということ。付き合いの中で「この人はこういう点とこういう点を変えたら随分と良くなるのに」と思うことがしばしばある。しかもそれが私だけでなく周囲の皆が同じ意見だったりするのだが、本人は変えようとしない。その点私はプロ級に変わって来た。本人も気はついているし、自分の悪い癖は理解している。治せるならば直したいが治せないか全く治す気がないというかどちらかである。喫煙や飲酒や過食やごみ屋敷程度の些細なことでも人間は簡単にやめられないのだ
その理由は
①長年染み付いた癖である
②本人はさほど悪い癖と認識していない
③変えるには努力が必要だが到底耐えられない、面倒くさい
④変わる事の意味や価値を分かっていない
⑤変わることが苦手
⑥悪な質で、良いことを拒否する性格
⑦自分勝手、自分中心

簡単に一口で言えば ”やる気が全然ない” のである
「俺、変ったよ」と簡単に言う人が多いが、本人がそう言うほど変わっていない。「あたかも変わったように装って」いるが全然変わっていない

よく軽々しく「貴方最近変ったわね」などと言われたが、実は髪の毛や顔の化粧や衣服の好みが変わった程度の事が多い。そんなの変わったとは言えないどころか、むしろ嘘誤魔化し(詐欺)に過ぎない。本人は「やった」と言うが、周辺の人は「ぜんぜん変わってない」という具合

「変った」ということは周囲の大多数の人間から「すごい、よくぞ変わった」と認められないような場合は本当に変わったとは言えないのだが、本人は「変わった」と信じ切っている。皆さんの周囲の街や組織の中で、「あの人はすごく変わった」なんて言う立派な人を見受けますか?
変るということもまあ5段階くらいに分かれる
✕レベル0.変わったというがむしろ悪くなって行く(最悪)
Xレベル1.あまり関係ない些細な事しか変わってない(ごまかし)
Xレベル2.ほんの一部分しか変わっていない(全部はやらない)▢
△レベル3.一見変わっているが完ぺきではない(完全ではない)
ロレベル4.変わってはいるが、それでおしまい
〇レベル5.変わったことを表に出さず更に変わろうと努力を続ける

あまり変われない人の特徴は、意外かもしれないが、強い人・元気な人・明るい人でもどこか大雑把で反省はあまりせず、前進する気がなく、大事なことが抜け落ちている人「そんな小ぽけな事、どーでもいいじゃん」みたいな”変わることが全くない人”。”変わらない人=頑固=自分勝手=いい加減=自分を観ない”私のもっとも苦手な人の一人である。職場の同僚や上司や先輩にも、そんな人がいませんか?
まあ0~3はよくあるパターンで、こんな人はある意味どうでもいいと言うかまあどうやっても変わらないダメな人。問題は実は4の人なのだ。こういう人は変わったことを自慢するが、時々元の悪い状態に戻ったりする。”変わる”ということは私の経験で言うと自慢する事ではなく、むしろ他人に知られなくても黙々と地道にやる性格でない人は長続きしないし、やった行為の奥深さがなくなってしまう。まあ一応変わってはいるのですが、それが頭のてっ辺から足先まで身体全体に完璧に染み着いていないのです。「変わった変わった」と大騒ぎする奴に碌な奴はいない、騒ぐほどシッカリ変ってはいないものなのです。
例えば、オリンピックで金メダルを取ったといって大騒ぎで喜ぶ選手は私としてはあまり感心しない。むしろ銅メダルでも負けてもオリンピックの本来の目的を黙々とやる人格的に優れた選手のほうを称賛したい。人から称賛されることを追求する人やお金儲けの手段にしている人は私にとっては話にならない類の人なのだ、そんな人を目標にしたり、尊敬なんかしてはならない。例えばイチロー選手や大谷選手がいかに素晴らしい成績を上げても大金持ちでも、私にとっては、単なる野球の美味い普通のおっさんとしてしか認識していないし格別尊敬もしていない私は競技スポーツを勝ち負けを気にして真剣に観ることはない
喫煙に例えるとたしかに「禁煙した」でも時々酒を飲んで盛り上がったときなどに、つい「1本くれる」なんてことで喫煙してしまう。いかにも変っているようで定着や進歩がない。まあタバコならまだよいが麻薬や厄介なものの場合は深刻だ
ダイエットもそうだ、ダイエットで20%も減量したがある時に油断してリバウンドして前より太ってしまう。ちなみに私も喫煙は当初は「1本くれる」タイプだったがも
 ・変わったことを続けること
 ・それで終わりでなく更に引き続き変わること
 なのだ変わったらそれで御終いではない
更に更に大事なことは
  自分がやったとか自分は偉い・素晴らしいと思わないことだ


例えば私は長い都会暮らしを捨て、山暮らしや田舎暮らしを始めたが、こんなことは普通の都会人はあまりやらない
私の歯はかなり健全な状態だが、私のやっているきちんとした歯磨きのやり方や間食しないなどという事をごく普通にやっている人も少ない、だからそういう多くの高齢者が入れ歯だ
私が、あれこれ変わって来て今も続けていることを多くの老人の場合は変われていないのだ。歯磨きの例でもどこか欠陥があるが、「それでよい」と思い込み続けている人が大半だ


変わるということを分かって戴きましたか?
変わって、変わることが身についてくると何にでも対処できる、自信がついてくる、活力が湧いてくる、人生が分かって来る、健康で明るくなる、迷いが減って来る・・・・

山暮らし以降私も村上原基人生勉強会を立ち上げブログを書き続けてきたがその結果自分が本物に変わるように追い込まれることになった。そういう経過を通じて変わることも単なるchangeではないなということが少しは分かって来て、ますます人生の到達点は遠ざかっていくのを実感している。変わろうとして努力してもなかなか難しいのだが、変わろうとしない人は、俗にいう「死ななきゃ治らない」のであり=生きている本物の価値がない人で一生を終えることになります。
以上の考え方は禅でもそのようなことが言われているように思います。

高齢化して気になるのは病気だが、なかなか病院に行って検査や診察をしない人というのがいるが、これがまた「変わらない人」のもう一つの特徴なのだ。こういう人はいくら検査を進めても絶対に病院に行かないのだ。「怖いのだ」そしてアドバイスする人を毛嫌いするのも特徴なのだ。これが夫婦だと「うるさい、黙ってろ」で喧嘩になってしまうのだ。

高齢になって「もうあまりジタバタしないでゆったり老後を暮らす」なんて言う人が多いが、これは大きな間違いだと思う。生まれて必死に勉学を続け、社会に出て更にいろいろ経験し、専門能力を磨き、苦しみや悩みを潜り抜け、成功や失敗も積みあげてきた、いよいよ老後となれば人間の完成のために貴重な時間を費やさないでどうするのだ、一体何のためにこの世に生まれてきたと言うのだ?
65歳以降日々人間として反省したり、更に人間完成のためのチャレンジをしたり、人間としてあるべき本来の姿に仕上げていくべきではなかろうか?「もう変わる必要はない。あとは余生をゆったり好きな事をして暮らせばよい」なんてのは実にもったいない。例えば若い時は日本一の剣豪だった宮本武蔵は、老後は180度生き方を変えて人間らしく暮らしつつ寺の奥にある「霊厳洞」に籠って「五輪書」を書きあげた。
  老後に変わらなくていつ変わるというのだ

「衆生本来仏なり」…人は本来仏なのだから、生きているうちに立派な仏のような人間になりなさい・・・そのために自己を徹底して捨てきって、本来の仏性に近づく生き方をしないさい
死んで仏になるのは、すなわち”仏にならずに死んだ”、”餓鬼のまま死んだ”という意味で人間として最低なんですよ。老後にこそ過去を反省し大きく変わりましょう

私は50歳くらいから大工を趣味にして来た、81歳の今も何がしかの大工作業は続けている。LIXILの「店舗用引戸のキット5.3万円」(2枚アルミ引き戸180×180㎝)を庭の土間の入り口にやっと一人で組上げた「よくやった」
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585.山と田舎に26年住み続けた私が都会嫌いになった

2024-07-20 20:15:14 | 暮らし
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
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山と田舎に26年住み続けた私が都会嫌いになった

都会と田舎はいろいろな面で違う。55歳から26年も滋賀県の湖西地方の山や田舎で住み続けて来た私は結果的に現在は「都会嫌い」なっている。今や京都ですら住み続けることに我慢できない自分がいる。その理由をあまり深く論理的にきちんと考察したことはない。
定期的に京都の家に帰って泊まるが、何しろ一晩明けて翌日になると早く田舎の家に帰りたくなる。だけど冷静に考えてみると、格別にその理由になるものは何もないのだ。まあ、ただそれだけのこと、それが事実だというだけのことである。26年も自然と向き合ってきた私には、すでに豊かさや便利さや物欲なんて今やどうでもよく、あまり感心もない、つまらんことに過ぎない。最近ここ15年くらいは「京都の家に帰る」ではなく「京都に行く」と表現を使ってしまう私なのだ。
都会ばかりに住んでいる人は逆で田舎に数日いると都会が恋しくなるらしい。その理由はごく単純なことで、物や便利さに溢れた町に戻りたいという子供じみた事に過ぎない。便利さや豊かさは短期間に急速に進み過ぎ、そういうものを「あって当前、便利で当然」単純に当り前に受け入れて暮し続けていると、人間は本来持つ根本的な資質やするどい感覚や判断力の適格さを失ない、介護施設にいる高齢者のように、無力で、ただただ生かされているだけの主体性の薄い存在になってしまうのだ。
都会好きな人の脳は、都会脳とか物脳とか便利脳とか楽脳とかにすっかり変化してしまっている。そういう都会人の単純な気持ちは誰にも理解出来るが、私が田舎に帰りたくなる理由は未だによく分からない。とにかく私は自然で自由でゆったりとした田舎の家へ帰りたくなるだけなのだ。京都には25年近く住んできたが、京都の家は15年前からすでに帰りたい家ではなくなっている。
その答えは、大雑把で恐縮だが、およそこんなことだろうか。都会の豊かさや便利さの中に戻ると頭がついていけなくなる最近の私なのだが、それは私が高齢化したこともあるが、理由がそれだけではないのは明らかだ。以前都会に住んでいた私の脳は、今、田舎脳・山脳・自然脳に変化してしまったのだ、というよりも元々の原始的な古来の人間の脳・より自然な人間の脳に戻ったのだと考えている。
自然との会話というか私が再び自然と付き合えるようになったのだろう。禅僧が山奥で修業する理由の一つかもしれない。都会の人は豊かさや便利さにどんどん犯されて脳が戻れなくなるほど不自然な脳へと洗脳されてしまった、はっきり言わせてもらえば、脳が劣化したのだと思う。だから急速な技術革新や生産革新や情報革新による劣化脳を回復するには私のように長く山や田舎に暮らし続けないといけないのかもしれない。でも都会暮らしを続ける都会人は自分たちの脳が劣化しているとは全然考えもしない
・・・・・更なる分析はまたゆっくり考えて後日・・・・・
ところで
あまり専門家ではないので脳について難しい事は分からないが、脳というのは覚えたこと・決めたことを忠実に繰り返し指令する。この歳で卓球を始めて繰り返し球を打つことで上達することを知って卓球が単なる身体の運動ではなく脳の働きが身体そのもの以上に大きく寄与していることを実感している。
アメリカ人が子供でも英語を喋れるのに日本人は学校で10年学んでも喋れない。その理由はアメリカ人は幼少時からいち早く英語脳が作られ始め、そこが急速に成長するが、他方、日本人はコテコテの日本語脳なので英語脳にはなかなかなり難くなっている。もし英語脳をあらたに作りたいのであれば、アメリカに住むことしかない。アメリカで一日中英語を喋る生活を数年すれば、今度は日本語脳が衰え出し、英語脳に置き換わる。但し日本語脳は奥のほうに存在するので日本語を喋ろうとすれば喋れるのである。
※余談
話は脱線するが幼少時から何か始めると英語や日本語同様に誰でもかなりレベル高くマスターできるらしい。まだ幼少時の空っぽの頭に〇〇脳を形成してしまえば、その発達はジェット機並みに早いとうことだ。例えばピアノ演奏とか卓球なんかの例でもそういうことが実証されている。小学生でもあることを一生懸命にやった子供は大人の私達でも太刀打ちできません。出来るだけ早くやれば、それはいち早く脳に頑健な指定席を確保してしまう。『幼少時に大人以上にやらせる』ところが多くの人が子供の幼少時をだらだらと無為に過ごさせてしまう。『多くの大人の絵が下手な理由は幼少時から描く習慣がなかったから』子供は何となく遊ばせておけばよいは大間違いなのだ幼い時ほど早く楽にレベルの高い習得が可能なのだ。例えば卓球などは3歳から始めた子供には基本的に勝てないのだ余談終わり

私が東京から関西に移り住んで、関西弁を喋ってすでに60年近くになるが私の脳にはすでに関西弁脳が形成されている。だから今では東京弁はだんだん喋れなくなっているということで、こういう私の経験から脳とはそんなものだということが理解できる。異文化体験とか変わるということは新たな脳を形成することになるのだろう、だからいろいろな趣味を持ち、様々な環境や人付き合いや経験をすることが大事なのだ。私のように高齢になってから大工や水彩画や卓球や太極拳を始めたことは脳の活性化に役立っていると信じている。

 我が家の前の空き地です。のんびり花や野菜が茂っています。こんな自然の姿が家の前に普通にあるのです。田舎は過疎で限界集落だなどと言って、田舎を安易に否定するのは大間違い都会が最高という思い違いは怖い、不自然な環境は「栄えるものはいつか確実に滅ぶのである」いつか深刻なダメージを受けることになる。自然は必ずそういうことを人間に厳しく教えて来る時期があるのである。
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584.円安・物高の今の日本において失礼ながら馬鹿な人とは

2024-07-03 21:26:10 | 経済
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

今の日本においてどんどん儲かる人(損しない人)と どんどん損する人は(大してお金持ちでもないのに)
簡単に一口で言えば、 まあ失礼ながら馬鹿な人
『一体なんのためにそんなことやっているの?』
無駄は貧乏神、無駄を切れ、自分の弱さも切れ

①株式を買わない人、買わなかった人
 円を資産に変えておかないと目減りする
②金・プラチナなどを買わない人、買わなかった人
 円を資産に変えておかないと目減りする
③銀行預金やタンス預金ばかりしている人
 お金をほったらかしにして円の価値が半減した
④どこに行くのも自家用自動車を乗り回している人
 歩く・バイク・自転車・相乗りで・電車バスで
⑤物珍しさだけで海外旅行をする人
 物見遊山は何も生まない、ネット動画で十分
⑥贅沢する、ペットを飼う、グルメを食べたがる人・・
 15歳未満の子どもよりペットの数のほうが多い
⑦高額な家を変動金利ローンで買ってそれを支払っている人
 そろそろ金利は上がって来るが、利子は大きいよ
⑧老人なのに用もないのに都会に住んでいる人
 都会に老人は要らない、老人に都会は要らない
⑨大谷翔平や阪神タイガース等のスポーツの勝敗で一喜一憂する人
 他人の事はどうでもいい、自分自身をもっと観よ/磨け
⑩馬鹿な子供を大金かけて大学に進学させようとしている人
 日本の優良企業株を買うほうがずーっと良い
⑪筋トレやったり、必死に鍛えて、必死に頑張っている人
 やり過ぎは害が大きい、他にやる重要な事はないのか?
⑫株式や金や円などが上がってから、遅ればせ買い始める人
 資産や株式などは早く買う(good timing)のがポイント
⑬やたらエアコンをつけまくる人
 まず断熱など基本的なことを200%やるべし
⑭洪水や土石流や大地震で被災する危険地域に住み続ける人
 (崖下・低地・川のそば・盛り土・過密都市・海岸ベリ)
⑮家の狭い庭に木を沢山植える人
 庭は広く自由に使うもの、木は邪魔で面倒臭い
⑯高齢になっているのに全く健康に努力しない人
 間違いなく衰え・大病し・寝たきりになる
⑰夏に汗かいてキンキンに冷えたビールをガブ飲みする人
 意志の弱い人で、いわゆる「ダメ人間」
⑱超一流でもないプロスポーツ選手
 ただつらいだけ、適当な時期に引退を
⑲戦争をする国家元首とその取り巻き連中
 自国民も被害者だし誰も喜んではいない
⑳詐欺に簡単に引っかかる人
 全財産持って行かれますよ
㉑歯磨きしても間食する人
 こんな人が多い、もし間食するなら、間食後も歯を磨け
㉓太陽光をやたらに部屋に入れたり、天井を高くする人
 そんな無駄な事だ、今はLED電球があるじゃないか
㉔家をあまり断熱しない人
 クーラーかけるより、まず外から熱を入れないこと
㉕二階家で屋根を重い瓦のままにしている人
 まず100%倒壊するし、被災後の修繕も困難だ
㉖安易に犯罪を犯す人
 やがて確実に地獄に落ちる
㉗あーだの、こーだのと頑固な人
 頑固な人が最も厄介者、死ななきゃ治らん
㉘あれは嫌、これは嫌と、面倒くさがりな人
 何とか理由をつけてやらない人は衰退あるのみ
㉙自分ではやらず、大工や散髪や修理を当り前に業者に依頼したり新聞購読をしている人
 自力でやれば安いし、自分自身ですぐに出来る
㉚家を買わずに借りる人
 探せば安い家はある。私の家は350万円庭付き152㎡
31強盗などの侵入に予防や警報装置を家や庭に全くつけてない人
 多くの事件を観ていると予防や対処の基本ができてない
32派手好きな人、目立ちたがり屋さん
 全く目立とうと思わないのに目立ってしまう人になれ
33冠婚葬祭や墓などにお金をかける人
 これは単に過去の悪い風習に過ぎない
34情報収集分析力がない人
 調査分析力のない人・しない人は致命的
35パチンコや競馬競輪などで時間を潰す人
 お金も減るし健康にも悪いし人生を捨てている
36本当に必要なものにお金を使わない・出し惜しむ人
 必要でないものにはお金を浪費するのだが
37ダメな相手をダメと見抜けず、友人や伴侶にしている人
 友人や伴侶は見かけではない、きちんと選べ
38新興宗教や有名人にかぶれ、全財産をつぎ込む人
 妄信したり、好きとか尊敬とかを安易にすべきではない
39趣味も狭く、技能・技術専門も少ない人
 少なくとも10種類くらいの趣味や特技を持て
40転居・転社・転職・転暮らし・転性格・転生き方 しない人
 世間が狭く、経験不足の、頼りない、ひ弱な者になる
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 貴方は愚か組(バカ)か それとも 賢い組(利口)か?
 もう遅いのかもしれないが・・・・
 「物価高で商売が低調だ」なんて零す経営者はもう諦めるべきだ、多分頑張るだけ無駄だ。勘違いしてはいけない日本の物価は世界中でかなり低い。だから外国人が日本で買い物するんだ。「物価が安いのだ」
  ◆清く、正しく、美しく  生きよう
ところで円安というが、5年前、1ドルが100~110円だったものが今は161円になっているが、円安は一時的な要因もあるので、これも早ければ年末~来年初には、また円高になり120~130円には戻って来るはずである。そういうことも忘れてはならない。今度は今までと逆の事が起きるのである。今からはそういう事態に事前に備えることが大事になるのである。いうなれば今の円安の状況は日本にとっては非常に良い状況で、また円高に戻ると必しも「よかったね」とはならないのである。
 ↑ 5年間のドル円推移 以下のグラフは円の値動きと同じ動き

 ↑ 5年間の日経平均株価推移

 ↑ 5年間の金価格推移

 ↑ 5年間のプラチナ価格推移
日経平均株価は一月に33,288円 3月22日40,888円4月19日37,068円といったん調整が入ったが今日7月2日は40,066円4万円を回復し7月3日は40,580円に7月4日は40,913円。この株価の上昇は日本の企業の体質が良くなり業績が良い事や配当の増加やアメリカの好景気やNISAの影響などもあるが、目下の大きな要因の一つが円安である。今外人観光客が日本観光に来ていることからも分かるように、日本の物や不動産などは外人にはかなり割安になっていることもある。日本人の感覚はそれとは逆なのだから株も買わないので、儲けられない
金価格を観るともっとわかりやすい5年前の約2倍になっている。プラチナも金ほどではないが約2倍になっている。となれば株価も2倍近くになってもおかしくないし、現実にすでに2倍になっている。
元々日本の株価は安すぎたので今の4万円の水準は高いとは言えない本来は5~6万円くらいになっても全くおかしくはない。もし株価が調整する局面でもあればまだ買ってない人は是非買っておいて欲しいものだ。投資信託でよい
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583.住みやすい街・風光明媚な街・便利な街が今オーバーツーリズム

2024-06-27 20:56:56 | 暮らし
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀安曇川
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
滋賀事務所:滋賀県高島市安曇川町地図
*********村上原基人生勉強会*********
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

住みやすい街・風光明媚な街・便利な街が今オーバーツーリズム

オーバーツーリズムが最近話題になっている。外国観光客が観光地で地元民にかなりの負担になっているらしい。京都や東京の繁華街や富士山周辺や今まで静かな村や山の中までひどく人が増え混乱しているらしい。昨今どの地域でも気をつけないと、とんでもないことが起きてとりかえしが出来なくなる可能性がある。
私の住む滋賀県湖西の安曇川はその点従来からもあまりに地味で私は、安曇川の価値を低く観ていた。しかしその一方で何となく住み易い街だとも実感し26年も住み続けて来た。限界集落とか何とか言われるが、むしろ、それこそが住みやすい街の理由なのかもしれない。ここ安曇川は
①外人観光客がいない②市内どこに行くのにも定刻に目的地に着く③何処でもいつでも無料で駐車できる④洪水や台風などの災害が少ない(災害の少ない県:1位佐賀県 2位鳥取県 3位滋賀県 4位奈良県 5位香川県)⑤夏でも特に朝晩は都会より3~5度涼しい⑥朝から夜までいつも静か⑦コロナの時も混乱はなかった⑧野菜は都会より安いし畑で自給も可能⑨大型スーパーなどが多い⑩医院やドラックストアーも多い⑪どこも空いている⑫道路はすいているので自動車運転も安全⑬ネット注文の品がきちんと入手できる⑭家は広いし庭もあるし安い⑮自然が豊、空気もうまい⑯犯罪や事件・事故もすくない都会ではこれらのことはほぼ全て不合格なはずだが・・・?
家とはごく常識的な範囲で良ければそれでよいのであって、あれもこれもと住みやすい以上の事を求めすぎる、その求めすぎの部分が全国住みやすい市ランキングの重要な部分を占めてしまうのはまずい。ランキングではなく項目別に基準を定め5段階評価のようなものが適切であって総合点や順位を競うものではないと思う。一項目だけで、ある人はこの地は住み難いと判断し住むことを断念することがあるのである。だから、例えば観光地であることは、住みやすい街の大事な一評価項目であり、ある人は住みやすいと評価するかもしれないが、私の場合はそれだけですでに住みやすい街ではない。
今の時代こういう町滋賀県高島市が「全国住みやす街ランキング」で下位になっているがオーバーツーリズムの街(煩い・過密・狭い家・不自由な上に更に外人観光客で悩む)が上位なのだ、一体どうなっているの?何か根本的に大きな勘違いをしているとしか思えない。「非常におかしい」この際こんなランキング止めるか、大きく訂正が必要なようだ。少なくともこんな怪しげなランキングは断じて許されることではない「上位の街を信じて実際に住んでみたら凄く住み難い街だった」「下位の街に住んでみたら凄く住みやすかった」となりませんか?全国各地田舎や山や海も含めて、住んだ経験のない人がこんなランキングをでっち上げるのは非常に間違ったことを伝えかねない。しかも市単位では広すぎるもっと狭い地域で調査し分析しないと大雑把なものでは役に立たない
住みやすい人口密集で便利で風光明媚な地域のか?東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀に移り住んできた私には、全く違うこと甚だしいと思えて仕方がない。私は昔から外人観光客の急激な拡大には反対だったし、オーバーツーリズムに警鐘を鳴らしてきた

さあ全国各地の観光地の住人の皆様あなたの街は大丈夫ですか?日本のルールを知らない外国人観光客がウロウロしても上手く対応出来るのですか?生活に支障が出てませんか?
外人観光客が多い時に大地震や大津波が起きたら大丈夫なんですか?混乱はさらに大きくなりませんか?
人口が減って来る将来、それらの街はもっとつらくなりませんか?更に混雑はひどくなり物価も上がってしまいませんか?交通混雑はさらに増加していませんか?
そして皆さんは急激に増えた外人観光客のおかげで良い事がありそうですか?

金儲けや便利さや過密さや華やかさばかり求めていると住みづらい地域に押し込められていることにさえ気づかなくなってしまうのです

私の住む安曇川田中の家、庭から前の空き地を望む。家も庭も前の空き地も広々としてゆったりしている。   なぜ狭苦しい、息苦しい家と庭の都会の町にわざわざ住むのか理解できない
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582.医者を信じない頼り過ぎない、医者には限界がある

2024-06-14 20:54:08 | 健康作り
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀安曇川
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趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
滋賀事務所:滋賀県高島市安曇川町地図
*********村上原基人生勉強会*********
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
医者を信じない頼り過ぎない、医者には限界がある(整骨・整体師も含む)
自分の、自分による、自分のための自分独自の健康管理
   天は、自ら助ける者を、助ける
  「医者が何でもどうにかしてくれる」という考え方はダメ

かかりつけ医や緊急時に医者にどうしてもお願いすることは次のこと
①血液検査②注射③投薬④専門機器による検査⑤緊急処置⑥手術など素人には出来ない検査や処置
高齢者の私は、普段の自分の健康については医者は誰であれ、あまり頼りにしない。医療に関わらず何でも、「最終的に判断し決断するのは自分自身であって医者ではない」と考えています。なぜならば医者は私の身体や暮らし方や健康管理や私に関するデーターをあまり持っていない。基本は自分で検査し自分で判断する。私は、朝昼晩に血圧を計り、記録している。そうすると一日の傾向や季節変動など自分自身の血圧状況が厳密に分かるのである。
自分で検査し・記録し、自分で判断し、自分で対策する。
そのためには個人も医者レベルの知識が必要、今は一般人でもインターネットなどで知識はいくらでも得られる。医者の言いなりにもならないで済むのです。医者の公式な判定基準は厳しく、画一的で断定的で、その基準が自分に当てはまるとは限らないが、強引に当てはめられてしまう。医者としても「一応言いましたよ」程度。例えば腰痛や胃の調子が悪いとか老化や夏の不調などは医者に聞いても大した答えはもらえないことが多い。それも無理ない事と言えばそうなのだ、医者は私の傍にいて又はインターネットでデーターを受信するなど四六時中私に関わっているわけではなく、赤の他人に過ぎないのだ。
それに反して、自分は自分の身体の状況及び自分の生活習慣や身体の不調の原因を100%知っているし、例えば血圧検査や簡単な測定なども一日中家庭で出来るのに対し、医者は通常それが出来ない。「健康は自分で管理し維持する」が大切なことなんです。私は、朝昼晩に血圧を計り、記録している。そうすると一日の傾向や季節変動など自分自身の血圧状況が厳密に分かる。もっと自分自身の健康状態を医学的な見地から日々見詰めていくべきなのだ。禅で言うところの「自己を自分自身をしっかり観よ、脚下照顧」なのである。医者はそういう24時間・30日・1年の状況は分からないしデーターはとれない。しかも医者はそういう問診さえあまりしない。すなわち患者のことをあまり分からずに診察して、まあ適当に薬や注射や助言をしているのに過ぎない。そういう全体を判断するのは自分が一番適切なのだ。私のような高齢者の血圧が少し高いと言ってやたらに降圧剤を服用させるのも困ったことである。高齢者の血圧は少し高くてよい場合が多いが、降圧剤の服用は慎重さが大事で、場合によってはかえって症状を悪化させてしまうことも多い。
テレビなんかででも「具合が悪ければ自分で勝手な判断をせずに医者に行って下さい」と安易に言うが、まあそれはそうなんだが、私は、まず自分で考え症状や原因を明確にし更に対策を自ら考えることが先決のように思う。私が言いたいことは「そういう習慣を持て」「原因くらい自分で究明せよ、占い師じゃあるまいし、それを全部医者にやらすのは酷だ」ということなのです。あまりいつも医者をべったり頼るとか安易に医者の言うことを軽々しく信じ過ぎてしまうととんでもないことになる。忙しい医者は患者の事を馬鹿丁寧に深くは調べたり考えることはせずに、取り急ぎ,限られた時間で一般的な処置を決めてしまいがちなのです。大工や剪定なんかの場合も同様なことが起きるので私はかなり注意をしている。最悪の場合はひどい経験不足だったり、詐欺に近い手抜き工事になる場合もあるから怖いのです。
  自分は何も調べず、考えもせず、専門家に無批判に100%丸投げしてしまう。
私は大工も木の剪定も自分でやっている。大工さんや剪定を業者に頼むのは、自分では出来ない規模や相当高いレベルの仕事の依頼をする時だけである。そんな場合でも私は作業や出来栄えの監視は忘れない。 専門家や業者というのは100%べったり依存・丸投げする、そしてそれが当然のように思っていると、とんでもない事になるが、そういうケースが頻繁にニュースで流れることがある。でもニュースにならないで知らぬ間のひどい目にあっている場合も案外多い。特に老人のことを若い医者に相談なんかしても、彼らに老人の暮らしを理解することは無理で、結果的に一般的な処置しかしてもらえませんからね。その人には副作用があり得るなんて場合でも強引に投薬や処置してしまうなんてこともありえるのです。
正直な話、医者にどうしても行かないと出来ないような①血液検査②注射③投薬④専門機器による検査⑤緊急処置以外で医者の言うことが私の健康を劇的に改善したことはほとんどない、少なくとも「私のような高齢者の健康管理についてはほとんど役立たない」と思っている。医者が曰く「そんなことは医者の仕事ではない」それでも医者に頼るという人は自分の健康や命をその先生に預けたという恐ろしいことになってしまう。私はそんな安易な危険なことは絶対にしたくはない。
厚生省などでも高齢者にかかりつけ医をつけ医者にお任せ方式を推奨するのはいかがなものであろうか、医療費がかかるだけで、効果少なしだと思っている。腰やひざが痛いと整骨院通いで大して良くもならないのに気休めに通院を続ける人が多く、自分で治す気のない患者とそれでうまい汁を吸う整骨医が医療保険料を無駄に浪費している。
私なども、ほとんど一生継続して悪玉コレステロールなどの同じ薬を毎回服用されており、大きな変化もなく、調子が悪くなくても2か月毎に医者通いをしているが、老人患者で医者が良しと判断した場合に限って、6カ月~1年分薬をもらえば医療費も減り私などの高齢者の通院の負担も減るのだが・・・・どうも厚生省か保険省かが2か月以上は薬は出さないということらしく、その結果互いにムダな時間や手間やお金を出費していることになる。

昨年ご近所の人からラッキョウの苗2年物を戴き家の前の空き地の畑に植えたら今年はかなり大きく成育しました。昨日少し収穫し甘酢に漬けてみました。2週間後に食べられます。成功すれば残りも順次、甘酢づけする予定です。


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581.高齢化に向かってはきちんとした人生観や良い習慣が必要

2024-05-17 16:03:36 | 老後
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気で・多くに挑戦し・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀安曇川
専門:IE・VE・無駄取り改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮し・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化体験・資産管理・
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
滋賀事務所:滋賀県高島市安曇川町地図
*************村上原基人生勉強会 村上原基***********

**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
高齢化に向かってはきちんとした人生観や良い習慣が必要だが
何となく生きてしまうのは人生の質を下げる
どう生きるかを決め・良い習慣を続けること
人生を惰性で、行き当たりばったりで生きている人は悩みが多い
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今迄の生き方が逆転する  というか 今迄の生き方が逆転していたのだ
嘘誤魔化しを悔い改めた  ではなく 本来の正しい自分に戻っただけだ
苦しみ続けても全く改めない ではなく 衆生は本来仏と目覚めるべきだ

人は逆立ちで人生という道を歩んでいる。つらいだけで良い事は何もない
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1.自分の人生や生き方の考え方や習慣
自分の人生、特に老後をきちんとした人生にするには、自分の人生や生き方の考え方や習慣がきちんとしていることが絶対的に重要なことですが、世の中にはまずそれらの基本が全く確立していない人がかなり多い。ひどい人は考え方や習慣がとんでもなく邪悪な場合で、そういう人は平気で反社会的なことや犯罪を犯し、病気や貧困や孤立をすることなども気にかけず好き放題な暮らしをする。ごく普通な人間関係が出来ないで孤立し自暴自棄になったり、鬱病になる人もいる。そんな人の人生は不幸になるのは当然で、つらい老後になってしまう。
まあそれほどひどくない人の場合でさえも、自分の人生や生き方や暮らし方についてきちんとした考えや習慣を持たずに「何故自分はこんなに悩むのだろう、こんな目に合うのだろう?」などと、苦しむ人も多い。残念だがそういう人というのは真面目に自分のきちんとした生き方や習慣を継続的に反省し悔い改めるだけの力に欠けている場合が多い。国家元首や政治家や経営者や先生や警察官におよそ信じられない次元が低すぎるお粗末な人がいるのにも驚く。ロシアや中国のトップやその取巻きが「自分達は人間として最悪なことをやっている」という認識が全く出来ない鬼であるが、第二次世界大戦のドイツのヒットラーはまだ死に絶えていない事にぞーっとする。幼児期や若い時によほど親や周辺の人の愛を受け足りなかったのだろうと思って納得させるしかない。
私の知人や昔の友人を観ていると昔はそれなりに成功し良い暮らしをしてきた人でも、若い時にそれに甘えてそれで満足してしまい、将来的な自分の人生の在り方やあるべき習慣を真剣に考えて来なかったために、高齢化するにつれある日突然、大病になったり、家庭不和や、犯罪や事件事故に巻き込まれて挫折する人が多い。

2.私はどうしてきたか
私の場合、そういう事がきちんとして来たかは定かではないし、むしろ未だに「これでよいのか?」と疑心暗鬼の毎日で、そんな程度の人間ではあるが、滋賀県で一人、ひと気のない山暮らしを始めて7年目62歳の時に「人生勉強会」をネット上に立ち上げ、自分の生き方を考え、ブログに掲載し、それを自分の習慣として具現化し実践してきたのであり、少なくともその当時より、自分の生き方は改善されて来ていると実感している。がちがちな息苦しいやり方ではなく、むしろ自由でゆったりと取組んで来た。禅宗で言う「口で言うことだけでは駄目でそれを実践し続けること」、「反省し悔い改め、更に実践し続けること」を基本に取組んできた。
55歳で私が長年の都会暮らしを捨て山暮らしを20年し今も田舎暮らしを続けているが、主に山暮らしでまず過去を断捨離し、自己変革を常に求め続けて来た人間と 都会で便利さと豊かさの中で漫然と生きて来た人との違いは年齢とともに明らかに出て来ると思っている。安定とか平和は必しも良い事ではない、人は一つだけの環境に安住してはならないと実感している。ちなみに私は東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀 松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒経営コンサルタント自営と住まいも会社も仕事も変ってきた。
そこで現在81歳の私の生き方についての考え方や習慣を次に乗せてみます。大したことはないが、少しでも参考になれば幸いです。でもこれらは私が20~30年かけて日々積み重ねてきた結果であり、こんなつまらない事でも一朝一夕に出来るものではなく、今日思いついて、明日に実現出来るようなものではない。まず禅宗で言うようにまず、捨てきって一から出直すことだろう。一つだけ良くなっても改善しても全体としてはよくならない。だから例えば便秘の人があることを改善するが直らないという場合は、改善すべきごく一部のことしか改まっていないのに気づかないからなのです。

3.私の習慣や考え方をまとめ
高齢化して現時点で感じた良かった私の習慣や考え方を50個にまとめてみました。これらはあくまでも私の場合ですが、私がほぼかなりきちんと実施していることです。こういうものを自分自身できちんと考え「私はこうする、こう生きる」というようなことをしっかり持つことが大人としては非常に大事なことだと思っています。
①永いこと文章を書き続ける習慣
②毎日運動を続ける習慣
③歯を一日4回磨く習慣
④人と会話する習慣、出来れば楽しく議論する
⑤家事(炊事・洗濯・掃除・買い物・大工・修理など)自分でする
⑥腹七分目3食きちんととる。夕飯は三分づき玄米にする
⑦健康的な暮らしを模索し、具体化しその実践に努める
⑧食事で不足するビタミンやミネラルなどサプリメントも服用
⑨朝7時(夏6時)起床夜11時就寝の習慣
⑩禅宗や禅僧の暮らし方を手本「衆生本来仏」「脚下照顧」「無・空」
⑪パソコンを使う、インターネットを使う
⑫創意工夫し節約・無駄を減らす、それをすぐに自分で具体化する
⑬法令違反、悪いことはしない
⑭山や田舎など何処にでも暮らす
 都会人は都会の嘘誤魔化しによる苦しみを田舎に旅して癒す
 田舎人は自然や真実の暮らしが出来るが時々噓誤魔化しの都会に出掛ける

⑮ビール・酒を一切飲まない
⑯美しく草木を育て周囲を明るくする
⑰自由な暮らし・生き方・環境を尊重する
⑱資源の無駄使いや環境悪化することをしない、排除する
⑲自分の住む地域の環境美化に努力する
⑳草木の剪定や大工作業をする、簡単な家具は自作し修理もする
㉑異文化に触れる、異文化に暮らしてみる
㉒歳を取ってから無駄な観光旅行をしない、定住する
㉓家でペットを飼わない(ペット愛玩は幼児性を示すもの)
㉔プロスポーツの勝敗にこだわらない、熱狂ファンにならない
㉕100%朝9時までに必ず1回排便する.溜めない
㉖大きく口を開け口や目や顔の筋肉を動かして経を唱える
㉗空き地や庭の雑草は日々小まめに出来るだけ抜く
㉘会社は変わる、住まいも変わる、同じ状況にあまり長く留まらない
㉙年齢のせいにしない、高齢者になってもやるべきことはやる
㉚電気ガス冷暖房に過度に依存せず、家の断熱や衣服での調整
㉛住まいや資産など何事も分散させる、例:円預金だけはダメ
㉜結婚式や葬式などは身内だけでこじんまりやる
㉝子供達は親元から離す。別々な場所に暮らさせる
㉞『36歳以上で会社務めや結婚した子供』に小言や干渉をしない
㉟先生や経営者や有識者などの言うことを安易に信じない
㊱自分でやってみて、考えてみて自分自身の意見を持つ
㊲他人や自然からの良い意見や忠告を受け入れてみる
㊳出きるだけ多くの趣味を持つ(大工・剪定・水彩画・卓球・・・)
㊴災害が少なく、過密でなく、平和で自由で自然が豊な地域に住む
㊵来る者拒まず、去る者追わず、別れを格別惜しまず
㊶他人の目や噂や批判を気にかけない、考えもしない
㊷衣服や持ち物で自分を飾らない裕福を装い、自慢しない
㊸強い者、能ある者と同等に戦おうとしない、自分の身の丈に合わせる
㊹理由をつけて、あれが出来ないこれが出来ないとは言わない
㊺不幸な人恵まれない人に比べたら自分はましだと言い聞かせる
㊻物は安い時に買う、もし高くなれば売る
㊼規則を決め・改善しそれを日々きちんと守る
㊽高齢になって傷み易い身体(腰・目・骨・・・)の部位の養生をする
㊾自分の生き方や暮らし方を常に反省し問題点は悔い改める
㊿何かをやってあげても見返りや世間からの評価を求めない
    ※その他
51慌てない
52心配し過ぎない
53媚ない
54他人と同じことを求めない
55恥じない
56分析する
57数値化する
58欲張りすぎない
59小ポケな事に拘り過ぎない
60終わったことを悔やまない
61怒らない
62こせこせしない
63笑顔を忘れない
64相手を思いやる
65相手を観察し・分析し・相手を知る
66自分を観察し・分析し・相手を知る
67面倒くさい・しんどい・やりたくないを理由にしない
68知らない・わからない・出来ないを言わない
69「可愛い」「便利」「楽しい」に騙されない、深入りしない
70自分が良く考えて正しいと信じることをやり続ける
71真っ当な生き方を追求し真っ当に生きる
72真っ当でないことに関わらない
73質素に簡素に素朴に素顔で生きる
74時には物事を深く疑ってみる
75何が起きても、どういう状況に置かれても、平然としている
76清く・正しく・美しく・明るく・楽しく・元気よく
77自由で自然で安全な環境に住む
78依存過ぎず・頼過ぎず・甘え過ぎず
79見る・聞く・話す・読み・考える・書く・動く・作る
80衆生本来仏なり
・・・・・・・・・・・・・

参考:子曰く「吾十有五学に志す。 三十にして立たつ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従えども、矩を踰えず」
歳を重ねるにつれ、人間は自分の考えや行動形式を持たず、ふらふらとしていてはならない。そんなのは人間ではない、犬猫にも劣ると言うべきだろう、人間としてこの世に生まれた意味がない。物事を深く考えて、しかもそれを実現すべく、日々行動に移していいかねばならない。他人や社会のことなんかより、自分自身をきちんと見詰めて自分を磨き上げ、正していかねばならない。
成人式は大人になるスタート地点に立ったことで、ゴールは私に言わせれば70~80歳、そのくらいから周囲の人の手本・模範にならないと歳は取っても、大人とは言えない。(但し目立っのはダメ)「かなり完成に近い又は完成された大人だ」と思えないような80歳では人生を生きて来た意味がない。自分を観る、自分の成長に集中することが成人式以降大事なことだと思っている。
くれぐれも身の回りにいるつまらんお粗末な大人を真似て、そうなろうなんて考えてはならない。金持ち、頭が良い、贅沢な暮らし、華やかな、目立つ格好良い人の外見を真似ようなんてしてはならない。※ 例えば大谷選手なんかも必しも模範・手本ではない、自分の身の丈に合わせたものが望ましい。若い時に華やかな人は、その人が70歳以降どんな人生を送っているかということが大事なのです。

4.何が得られるのか、何が良くなるのか
こういう習慣や自分の考え方によって何が得られたかというと、自信が出来迷うことが減ることだ、そして
頭が動く、身体も動く、何でも自分でやれる、迷わない、元気、明るい、間違わない、楽しい、困らない、自由、豊、ゆったり、楽・・・・
具体的に言えば81歳でも目も見える、鼻つまりはない、腰痛はあるがどうにか耐え、運動や作業をしている、胃腸も大腸も良好、歯は28本健全、老眼はない、大きな病気もない、卓球も出来る、散歩も出来る、一人で暮らせる、暇はたっぷりある、でも案外忙しい、自動車はない現付バイクだけ、趣味は卓球・大工・ブログ・草木の剪定・野菜・水彩画など多い、平和・安全・災害にもあわない、貧乏だがお金にも困らない、安いが住む家(田舎で広く庭も空き地もある)もある、友人もいる、子供達も元気で働いている、人生ブログも続いている、卓球も運動も作業も毎週・毎日続けている・・・・
こんな暮らしが出来るのも自分の正しい考え方と良い習慣があるからこそだと思っています。ところが気を付けないと「もう高齢だから諦めよう」と負けてしまう人が多い。自分の生き方の基本や正しい習慣の裏付けがあって更に日々自分の生き方を反省し改革を続けることをお勧めします。
麻薬や犯罪を絶つには「やろうという意識改革だけ」では到底無理で、やはり「住む環境を大きく変えない」と無理です。私が山に17年暮らしたことは、禅僧の修行同様に、その点が上手く行ったということになるのでしょう。決して諦めてはいけない、やり方次第で必ず良くなる。

81歳の私は、卓球・太極拳・ラジオ体操・ストレッチや年に数回400mの低山の登山もしている
高島市見張り山に登ってきました。81歳には、予想に反して急登続きでかなりハードでした。
         
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