2月9日 NHK海外ネットワーク
北海道 宗谷岬の向こうに見えるサハリン(旧樺太)。
面積は北海道をほぼ同じ。
島の南部で生産され輸出されるLNG液化天然ガスは
日本のLNG消費量の約1割を占めている。
日露戦争後 南半分が第二次世界大戦終結まで日本の統治下になった。
多いときには40万の日本人が生活し漁業や製紙業を中心に発展した。
終戦から68年。
ユジノサハリンスクを中心に48万のロシア人が暮らしている。
ソビエト時代は交流も途絶え現地の状況を知るすべもなかったが
再び日本とつながりを深めている。
街には今も日本の名残が・・・。
「日本の建物は大好き。」
「日本とロシアの共通の歴史なので大切にして生きたい。」
ユジノサハリンスクで開かれた展示会のテーマは“昭和の日本”。
日本の統治下にあったころ実際に使われていた生活用品が紹介された。
展示会を開いたのはミハイル・シェルコフツォフさん。
日本の統治時代を調べている郷土史の研究家である。
当時の歴史や文化に興味を持ち展示会を訪れる人は最近増えている。
経済の成長で人々の生活に余裕ができたためだとシェルコフツォフさんは感じている。
(シェルコフツォフさん)
「展示会を通じてたくさんの人がサハリンの歴史を考えてくれる。」
戦後68年 ロシアの州として発展してきたサハリンだが
日本の統治時代の建造物が多数残っている。
日本の城をモデルに昭和12年に建てられた博物館は
いまはサハリンの歴史をテーマにした郷土博物館として使われている。
老朽化がすすんだ建物を州政府が数千万円かけて修復した。
夏は憩いの場として市民に親しまれ
建物前にたたずむ狛犬も人気である。
結婚式後の記念撮影の定番スポットにもなっている。
かつて北海道拓殖銀行の支店だった建物は州の文化財に指定された。
約1,400万円かけて博物館として改修されることになっている。
神社の建物こそ失われたが村のシンボルとして親しまれている鳥居。
「日本人が残したものだと知っているわ。」
「気に入っているのでずっと残ってほしい。」
日本の統治時代の歴史を物語る独特の風景。
サハリン州政府は新たな観光資源にしようと乗り出した。
初めて詳しい解説を付けた専門のガイドブックを作成することを決め
日本とロシア両方からの観光客を引き付ける狙いである。
(サハリン州政府担当者)
「サハリン州にとって日本の建物は文化的遺産。」
サハリンは今新たに地元経済を引っ張る産業育成の必要にせまられている。
石油と天然ガスの開発により市民の所得は10年で10倍になった。
しかし4年前に開発ラッシュが終わってからは経済が伸び悩んでいる。
州政府が期待する新たな観光資源。
ガイドブックは日本語 ロシア語 英語のものが造られ今年中に発行される予定である。
(サハリン州政府担当者)
「このガイドブックが普及すれば日本の歴史的建造物を見るために
大勢の観光客が来るだろう。」
一方で忘れ去れようとしているものもある。
雪ノ下にあったうち捨てられた石碑。
日露戦争の際の日本軍の上陸を記念して建てられた。
日本の統治時代を調べているシェルコフツォフさんのこだわりは
両親から聞かされた話が原点になっている。
“戦後 日本人が引き揚げるまでの数年間日本人とロシア人は一緒に暮らしていた”
と当時を知る両親から教えられ強く印象に残ったと言う。
日本の建造物や日用品を保存し残すことが
一番近い隣国日本を知り有効につながると信じている。
シェルコフツォフさんはユジノサハリンスクの山中に分け入り
旧日本軍の施設跡の状態の確認に訪れた。
(シェルコフツォフさん)
「旧日本軍の地下通路として使われていた。
この先は壊れてしまった。」
これからもうずもれようとしている歴史に光をあてたいと考えている。
(シェルコフツォフさん)
「日本統治時代の歴史は日本とロシアを結びつけるもの。
日本とロシアがさらにわかりあえるようになってほしい。」
サハリンの風景の一部として欠かせない存在になった日本の建造物。
これからの日本とロシアの距離を縮める役割も担おうとしている。