2月14日 編集手帳
子供にとって、
ものを与えられるとはどんなことだろう。
まど・みちおさんに「朝がくると」という題の生活に根ざす詩がある。
<顔をあらうと
ぼくが作ったのでもない
洋服を きて
ぼくが作ったのでもない
ごはんを むしゃむしゃたべる
それから ぼくが作ったのでもない
本やノートを
ぼくが作ったのでもない
ランドセルに つめて
(中略)
おとなになったなら
ぼくだって ぼくだって>(『まど・みちお全詩集』理論社)
こんなふうに思ってくれたら、
与えがいもあるだろう。
頼もしい将来が見える気がする。
ただ、
何でもそう思えるわけではあるまい。
詩の「洋服」の部分を「アルマーニ」に替えると、
どうなるか。
その一行をつぶやいてみれば、
よほどただの洋服のほうが大切なものに感じられないか。
東京都中央区立泰明小学校が高級ブランド「アルマーニ」の標準服を採用する。
朝が来て、
顔を洗い、
一式約8万円の服を着ることが子供たちの将来にどう好ましく影響するのだろう。
今や食育は立派な教育用語だが、
発案者の校長先生は「服育のため」と語った。
それって、
なんだ?