評価点:67点/2010年/アメリカ
監督:ダーレン・アロノフスキー
期待しすぎた感、痩せすぎた感が大きい。
ニナ・セイヤーズ(ナタリー・ポートマン)がバレエ団に入団して4年が経ったある時、新しい「白鳥の湖」を上演する企画が持ち上がった。
いよいよ主人公役の女王に抜擢されるかも知れないと思っていた矢先、「白鳥を演じるのは申し分ないが黒鳥を演じるにまだ足りない」と指摘される。
自分自身を乗り越えるために必死になるニナだったが、どうしても妖艶な黒鳥を演じることができない。
不安な練習を過ごしていると、監督からキャスティングが発表されたが……。
いよいよ公開となった「ブラック・スワン」。
もうずいぶん前から予告編が流れていたので、期待に胸を膨らませて観に行った。
とうぜん「M4」会での鑑賞である。
前評判では様々な情報があった。
すごく良い。
とにかく観に行くべし。
ポートマンが主演女優賞獲得。
今敏の「パーフェクト・ブルー」から着想を得ているのではないか。
などなど、僕のハードルをあげようとするものばかりだった。
特に今敏のぱくりではないかという情報は随分前から耳にしていたので、意識して見てしまった。
前評判無しで、期待せずに観に行った方が良かったかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
彼女は明確な課題を抱えている。
それは「母親と同じ道を歩んでしまうかもしれない」という恐怖である。
母親はニナを生むことで、バレリーナの道をあきらめた人間である。
一流のバレリーナに憧れながらも、振り付け師と恋に落ち、その子どもを宿したことをきっかけにバレエをあきらめた。
だから自分の子どもに対する期待は人一倍大きく、そして強い。
「私と同じようになってほしくない」という想いを娘のニナに背負わせる。
けれども、それは裏返しなのだ。
「私は結局バレリーナの道をあきらめたけれども、娘にその可能性があるなら私は幸せだ」という自己肯定の裏返しなのだ。
母親が注ぐ愛情を一身に受ければ受けるほど、それは母親と同じ道を歩んでいくというパラドックスである。
ニナは母親に愛情を受けることで、バレエを極める環境を得たわけだが、逆に母親の愛情を受けることでそれ以上は望めないという逆説である。
だから、ニナは母親と同じ事を極端に嫌う。
振り付け師のルロワ(ヴァンサン・カッセル)に演技指導をしてもらっても、心を開くことができない。
彼に惚れること、抱かれることは「母親と同じ道を歩む」ことに他ならないからだ。
けれどもルロワが求めているのは、彼自身を誘惑することではない。
「踊りでだれもを魅了する悪魔」になることを要求しているのだ。
ニナにとってその境が曖昧になっていく。
だから混乱していくより仕方がないのだ。
この映画のポイントは、その「境界」である。
今の自分が何のためにそれをしているのか、境界が見えなくなっていく。
同時にそれが現実なのか幻想なのか見えなくなっていく。
自分が感じている感情が愛なのか憎しみなのか見えなくなっていく。
同僚のリリーとの情事は確かに彼女にとって快感だったのだ。
その一方でそれが憎しみや嫉妬、焦りに変換されて、彼女が「敵」になる。
鏡に映る自分は、自分でありながら母親を思い出させる。
母親が指導すればするほど、それに反発しなければ彼女はプリマになれない。
彼女にとってその枠が強すぎるため、枠を越えるためにあらゆる犠牲を払わざるを得ない。
彼女の結論は、自己を越えるためにエロスを獲得するために、死を選ぶことだった。
バタイユを待つまでもなく、死はタナトスでありながら、エロスである。
彼女は究極のところにあるエロスを引き出すために、死を選ぶ。
完璧な世界にたどり着くために自分を越えたのだ。
それは母親を観客に置くと言うことであり、喝采を浴びると言うことである。
彼女はたぐいまれなる才能を開花させたのだ。
だが、こうも言うことができる。
彼女は死と引き替えにしかプリマドンナになれなかったのだ。
彼女は結局母親を乗り越えることができなかった。
死という禁断の方法でしか、その手段がなかったのだ。
それでも完璧な世界に到達できた彼女はすばらしい。
僕にはそんなこと、到底できないが。
話の流れは非常に模範的だ。
紆余曲折あるものの、わかりやすい。
鬼気迫るナタリー・ポートマンの演技には脱帽だ。
「レオン」の時、家族から様々なクレームがあったという箱入り娘を完全に脱却している。
ある意味、彼女と共通するところがあったからこそ、この映画のオファーを受け、なおかつ自費でレッスンまで受けたのだろう。
特に、ベッドでのシーンはどきどきした。
その後に母親がいたことが象徴的で、もっとどきどきしたけれども……。
けれども、僕としてはそれほどおもしろくは感じなかった。
一つはホラーの演出があまりに陳腐でチープだったからだろう。
上滑りしている感じがして、幻想であることがまるわかりだった。
だから、途中で感情移入しがたくなっていく。
完全に幻想であり、現実感がなくなっていくので観客との乖離が激しい。
薬を飲む当たりまでは非常におもしろかったのに。
同じような演出で言うなら、「マシニスト」のほうがよほど怖かったし、引き込まれた。
「パーフェクト・ブルー」の前評判が僕の思考と感情移入を邪魔したことはやはり間違いないだろう。
とにかく、残念さの残る映画だった。
監督:ダーレン・アロノフスキー
期待しすぎた感、痩せすぎた感が大きい。
ニナ・セイヤーズ(ナタリー・ポートマン)がバレエ団に入団して4年が経ったある時、新しい「白鳥の湖」を上演する企画が持ち上がった。
いよいよ主人公役の女王に抜擢されるかも知れないと思っていた矢先、「白鳥を演じるのは申し分ないが黒鳥を演じるにまだ足りない」と指摘される。
自分自身を乗り越えるために必死になるニナだったが、どうしても妖艶な黒鳥を演じることができない。
不安な練習を過ごしていると、監督からキャスティングが発表されたが……。
いよいよ公開となった「ブラック・スワン」。
もうずいぶん前から予告編が流れていたので、期待に胸を膨らませて観に行った。
とうぜん「M4」会での鑑賞である。
前評判では様々な情報があった。
すごく良い。
とにかく観に行くべし。
ポートマンが主演女優賞獲得。
今敏の「パーフェクト・ブルー」から着想を得ているのではないか。
などなど、僕のハードルをあげようとするものばかりだった。
特に今敏のぱくりではないかという情報は随分前から耳にしていたので、意識して見てしまった。
前評判無しで、期待せずに観に行った方が良かったかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
彼女は明確な課題を抱えている。
それは「母親と同じ道を歩んでしまうかもしれない」という恐怖である。
母親はニナを生むことで、バレリーナの道をあきらめた人間である。
一流のバレリーナに憧れながらも、振り付け師と恋に落ち、その子どもを宿したことをきっかけにバレエをあきらめた。
だから自分の子どもに対する期待は人一倍大きく、そして強い。
「私と同じようになってほしくない」という想いを娘のニナに背負わせる。
けれども、それは裏返しなのだ。
「私は結局バレリーナの道をあきらめたけれども、娘にその可能性があるなら私は幸せだ」という自己肯定の裏返しなのだ。
母親が注ぐ愛情を一身に受ければ受けるほど、それは母親と同じ道を歩んでいくというパラドックスである。
ニナは母親に愛情を受けることで、バレエを極める環境を得たわけだが、逆に母親の愛情を受けることでそれ以上は望めないという逆説である。
だから、ニナは母親と同じ事を極端に嫌う。
振り付け師のルロワ(ヴァンサン・カッセル)に演技指導をしてもらっても、心を開くことができない。
彼に惚れること、抱かれることは「母親と同じ道を歩む」ことに他ならないからだ。
けれどもルロワが求めているのは、彼自身を誘惑することではない。
「踊りでだれもを魅了する悪魔」になることを要求しているのだ。
ニナにとってその境が曖昧になっていく。
だから混乱していくより仕方がないのだ。
この映画のポイントは、その「境界」である。
今の自分が何のためにそれをしているのか、境界が見えなくなっていく。
同時にそれが現実なのか幻想なのか見えなくなっていく。
自分が感じている感情が愛なのか憎しみなのか見えなくなっていく。
同僚のリリーとの情事は確かに彼女にとって快感だったのだ。
その一方でそれが憎しみや嫉妬、焦りに変換されて、彼女が「敵」になる。
鏡に映る自分は、自分でありながら母親を思い出させる。
母親が指導すればするほど、それに反発しなければ彼女はプリマになれない。
彼女にとってその枠が強すぎるため、枠を越えるためにあらゆる犠牲を払わざるを得ない。
彼女の結論は、自己を越えるためにエロスを獲得するために、死を選ぶことだった。
バタイユを待つまでもなく、死はタナトスでありながら、エロスである。
彼女は究極のところにあるエロスを引き出すために、死を選ぶ。
完璧な世界にたどり着くために自分を越えたのだ。
それは母親を観客に置くと言うことであり、喝采を浴びると言うことである。
彼女はたぐいまれなる才能を開花させたのだ。
だが、こうも言うことができる。
彼女は死と引き替えにしかプリマドンナになれなかったのだ。
彼女は結局母親を乗り越えることができなかった。
死という禁断の方法でしか、その手段がなかったのだ。
それでも完璧な世界に到達できた彼女はすばらしい。
僕にはそんなこと、到底できないが。
話の流れは非常に模範的だ。
紆余曲折あるものの、わかりやすい。
鬼気迫るナタリー・ポートマンの演技には脱帽だ。
「レオン」の時、家族から様々なクレームがあったという箱入り娘を完全に脱却している。
ある意味、彼女と共通するところがあったからこそ、この映画のオファーを受け、なおかつ自費でレッスンまで受けたのだろう。
特に、ベッドでのシーンはどきどきした。
その後に母親がいたことが象徴的で、もっとどきどきしたけれども……。
けれども、僕としてはそれほどおもしろくは感じなかった。
一つはホラーの演出があまりに陳腐でチープだったからだろう。
上滑りしている感じがして、幻想であることがまるわかりだった。
だから、途中で感情移入しがたくなっていく。
完全に幻想であり、現実感がなくなっていくので観客との乖離が激しい。
薬を飲む当たりまでは非常におもしろかったのに。
同じような演出で言うなら、「マシニスト」のほうがよほど怖かったし、引き込まれた。
「パーフェクト・ブルー」の前評判が僕の思考と感情移入を邪魔したことはやはり間違いないだろう。
とにかく、残念さの残る映画だった。
またよろしくです♪
>けんさん
コメント、トラックバックありがとうございます。
僕も先ほどさせていただきました。
今後ともよろしく。
この映画はエロスというのがとても良く描かれていた作品だと感じました。そして完璧を求めるがあまり闇に落ちていく主人公がなんとも…。全然違いますがSWのアナキンがダークサイドに落ちていく様を思い出してしまった。
後は、鏡の使い方がすごく印象に残ってます。ちょっとくどい気もしましたが。僕は非常に満足できる映画でした。
ドラッグの世界に引き込まれますよ。
なんだかずっと忙しいのでげんなりです。
どうにかしたいですが、結果も出ていないのでやるしかありません。
はあ。いつ休める日が来るのやら。
もはやブログの存在が危ぶまれてきました。
やめませんけれども。
気長にやります。
どうかアクセスだけはやめないでください。とほほ。
>向かいのiPhoneさん
返信遅れてすみません。
僕は感情移入が難しかったですね。
アナキンはさすがに思い出しませんでしたが……。
期待していただけにやはり残念な感じでした。
はやく「ミスターノーバディ」をアップしたいと思います。
>InTheLapOfTheGods さん
この監督は完全にノーマークです。
「レスラー」も結局怖くて(?)手を出していません。
姉妹作品らしいので、まずはそこから手を出してみようかと。
情報ありがとうございます。
ブラックスワン。見ました。
バレエの「白鳥の湖」は見に行ったことあるので、親近感はあります。
ただ母親へのコンプレックスというか、拒絶感というか、あれはいきすぎかな…と。
それと、先日、ラサール石井がスケートの浅田真央に対してブログでエロスが足りないと表現しましたが、それはこの映画で表現されていたな、と改めて感心しましたが。
多忙です。あたぼうです。
もう何をやってるんだか、わからなくなってきました。
宇多田ヒカルも、ソーシャルネットワークもブルーレイを買ったものの…。
明日も馬車馬のように働きます。
ひひん。
>せがーるさん
ナタリー・ポートマンがあんなシーンやこんなシーンをするなんて。
ちょっとショックですね。
僕はおもしろかったですけれども。
「白鳥の湖」はみたことがありませんでしたが、違和感なくみられました。
バレエをみたくなるような作品ではありましたね。