評価点:90点/2009年/フランス・ドイツ・ベルギー・カナダ
監督:ジャコ・ヴァン・ドルマル
「ブラック・スワンが2点なら、これは500点やわ」
2092年、人は不老不死の技術を手に入れた。
人はセックスする必要もなく、老いに苦しむこともない。
その中で一人の老人が生き絶えようとしていた。
人類最後の老衰で死ぬ人間。
老人の死に誰もが興味を持ち、全世界で報道されていた。
老人の名前は「ニモ・ノーバディ」。
彼はインタビューに「自分は34歳だ」と過去を告白し始める……。
冒頭の言葉は「M4」会のメンバーが言ったものだ。
まさにそんな感じの圧倒的な映画だった。
前田有一さんの批評で高評価だったので、単館上映を承知で無理やり時間を合わせて見に行った。
体調が思わしくなく、うとうとしながら最後まで見てしまった。
機会があればもう一度みたいと思う。
おおよそは見切ったので、とりあえず批評の形にはしておこうと思う。
上のストーリーはあまり意味を成さない。
とにかく予告や前評判を知らないで観た方がいい映画の典型だ。
むしろ予告編を見ても、全く理解できないだろう。
▼以下はネタバレあり▼
僕たちはサルではない。
サルと人間との違いは何か。
一つの特徴は、サルには〈時間〉がないことだ。
〈時間〉がないので過去と未来を表現する方法を持たない。
過去に何があったか、その経験則から判断を下したり、変えたりすることはできる。
けれども、過去に何があったのかを表現することができない。
当然、明日何しようかという計画もない。
〈時間〉というのは人間特有の概念なのである。
僕たちはゆえに〈時間〉に縛られてしまう。
昨日の連続として今日があり、今日のあとには必ず明日が来る。
過去に戻ることは許されず、下した決断を元に戻す方法もない。
だからこそ、僕たちは決断に迷い、正解を求める。
より安定した、より安全で安心な、そしてより幸福になるための決断をしたいと考える。
失敗した時、人間は基本的には失敗ばかりするわけだが、だから後悔する。
あの時あの決断をすればよかったのに、と後悔する。
僕たちは時間を駆る。
結果に至る原因を追求したがる。
原因となる選択を知ることで正解を得た気になる。
原因と結果を追求していくとどうなるか。
2092年にはそう、不老不死を手に入れることになるのだ。
インタビュアーと、老人の死の中継を見ている人間は、みな不老不死を手に入れてしまった。
そこには完全な自由が存在し、制限を持たない人間が生を謳歌している。
だから、ニモがなぜ死を選ぼうとしているのか、全く理解できない。
その原因をぜひ突き止めたいと考える。
だからこそ、彼が死んでいく前にその原因となった出来事を彼から聞き出そうとする。
僕たちは完全にインタビュアーと同じ立場にいるのだ。
「なぜいまの私はこうなったのか。以後どうするべきか」
未来を待つことなしに、未来を迎えるほど待ちきれない僕たちにとって、不老不死への拒否はまさに根源を揺るがしかねない問いなのだ。
そんなことを感じているかどうかは別にして、老人となったニモへの問いは繰り返されることになる。
「あなたはどんな人生を歩んできたのか」
しかし、彼はその医者やインタビュアーの意に反してこう答えるのだ。
「私は34歳だ」
彼にはすでに118歳になったという結果のみがあり、そこまでの経緯がすっぽり抜け落ちている。
そこにはあらゆる可能性が広がった34歳の男がいる。
時間の中で生きる僕たちにとって究極の理想である不老不死を提示しながら、それを否定するところにおもしろさがある。
僕たちはどうしても彼がどのような人生を描いてきたのかという物語を知りたがる。
けれども彼から語られる物語は物語ではない。
そこには時間がないからだ。
人生には選択が満ちている。
その選択によって人生は大きく変わっていき、そしてそれが故に人は選択の正しさを求める。
彼はそれに対してあざ笑うかのようにこう答えるのだ。
「今日(死にゆく日)は人生最高の日だ。」
脚本は非常に巧みに展開していく。
父親と母親が離婚することになった。
どちらへついていくか。
その問いがまず彼の人生を大きく変化させる。
母親について行けば、その恋人の娘アンナと再開することになる。
アンナと恋に落ちてしまったニモは、彼女と運命的な絆で結ばれる。
母親が恋人と別れることになったとき、アンナとの関係もまた引き裂かれる。
二人は再会するために34歳になるまで待ち続ける。
父親を選んだニモは、エリースに恋する。
エリースはしかし他に好きな人がいて、彼女をあきらめてしまうニモと、あきらめずに結ばれるニモに分かれる。
あきらめてしまったニモは、クラブで出会った女性ジーンと結婚してしまう。
ジーンは非常にニモを愛してくれるが、ニモにはその気がない。
一方的な愛だが、そこにはしっかりとした愛がある。
またエリースと結ばれたニモは、こちらも一方的な愛に悩まされる。
本当は好きな人が別にいるのだという悲しみに囚われたエリースは、ニモの愛に応えることができない。
やがて鬱になってしまった彼女は、家族からも疎まれる存在になってしまう。
僕たちはこれらの12の枝分かれした物語を体験しながら、直ちにどれが正解であり、どれが実際に118歳のニモが選んだ人生なのかと考えたくなる。
けれども、そこにはどんな答えも設定されていない。
答えなどない。
ただ、延々と広がるエントロピーのように、可能性だけが膨張していくだけだ。
そして結果だけが示される。
「私は幸せだ」と。
これだけ複雑な脚本を、一瞬のカットだけで違和感なく切り替えさせる監督の手腕には脱帽するしかない。
見終わった瞬間からじわじわ感じられる感動の波に、僕は一週間以上さらわれたままだ。
完璧な映画が存在するとすれば、こういう映画だし、映画でなければこの感動は味わえない。
その根底にあるのが悲しみにあふれる人間への絶対的な肯定であることも、幸福感で包み込む要因だろう。
今年で言えば、「ソーシャル・ネットワーク」、「キック・アス」に続き、珠玉の作品である。
僕はもう一度見たいと思っている。
頼むから6月4日以降も公開してくれ、シネ・リーブル梅田様。
監督:ジャコ・ヴァン・ドルマル
「ブラック・スワンが2点なら、これは500点やわ」
2092年、人は不老不死の技術を手に入れた。
人はセックスする必要もなく、老いに苦しむこともない。
その中で一人の老人が生き絶えようとしていた。
人類最後の老衰で死ぬ人間。
老人の死に誰もが興味を持ち、全世界で報道されていた。
老人の名前は「ニモ・ノーバディ」。
彼はインタビューに「自分は34歳だ」と過去を告白し始める……。
冒頭の言葉は「M4」会のメンバーが言ったものだ。
まさにそんな感じの圧倒的な映画だった。
前田有一さんの批評で高評価だったので、単館上映を承知で無理やり時間を合わせて見に行った。
体調が思わしくなく、うとうとしながら最後まで見てしまった。
機会があればもう一度みたいと思う。
おおよそは見切ったので、とりあえず批評の形にはしておこうと思う。
上のストーリーはあまり意味を成さない。
とにかく予告や前評判を知らないで観た方がいい映画の典型だ。
むしろ予告編を見ても、全く理解できないだろう。
▼以下はネタバレあり▼
僕たちはサルではない。
サルと人間との違いは何か。
一つの特徴は、サルには〈時間〉がないことだ。
〈時間〉がないので過去と未来を表現する方法を持たない。
過去に何があったか、その経験則から判断を下したり、変えたりすることはできる。
けれども、過去に何があったのかを表現することができない。
当然、明日何しようかという計画もない。
〈時間〉というのは人間特有の概念なのである。
僕たちはゆえに〈時間〉に縛られてしまう。
昨日の連続として今日があり、今日のあとには必ず明日が来る。
過去に戻ることは許されず、下した決断を元に戻す方法もない。
だからこそ、僕たちは決断に迷い、正解を求める。
より安定した、より安全で安心な、そしてより幸福になるための決断をしたいと考える。
失敗した時、人間は基本的には失敗ばかりするわけだが、だから後悔する。
あの時あの決断をすればよかったのに、と後悔する。
僕たちは時間を駆る。
結果に至る原因を追求したがる。
原因となる選択を知ることで正解を得た気になる。
原因と結果を追求していくとどうなるか。
2092年にはそう、不老不死を手に入れることになるのだ。
インタビュアーと、老人の死の中継を見ている人間は、みな不老不死を手に入れてしまった。
そこには完全な自由が存在し、制限を持たない人間が生を謳歌している。
だから、ニモがなぜ死を選ぼうとしているのか、全く理解できない。
その原因をぜひ突き止めたいと考える。
だからこそ、彼が死んでいく前にその原因となった出来事を彼から聞き出そうとする。
僕たちは完全にインタビュアーと同じ立場にいるのだ。
「なぜいまの私はこうなったのか。以後どうするべきか」
未来を待つことなしに、未来を迎えるほど待ちきれない僕たちにとって、不老不死への拒否はまさに根源を揺るがしかねない問いなのだ。
そんなことを感じているかどうかは別にして、老人となったニモへの問いは繰り返されることになる。
「あなたはどんな人生を歩んできたのか」
しかし、彼はその医者やインタビュアーの意に反してこう答えるのだ。
「私は34歳だ」
彼にはすでに118歳になったという結果のみがあり、そこまでの経緯がすっぽり抜け落ちている。
そこにはあらゆる可能性が広がった34歳の男がいる。
時間の中で生きる僕たちにとって究極の理想である不老不死を提示しながら、それを否定するところにおもしろさがある。
僕たちはどうしても彼がどのような人生を描いてきたのかという物語を知りたがる。
けれども彼から語られる物語は物語ではない。
そこには時間がないからだ。
人生には選択が満ちている。
その選択によって人生は大きく変わっていき、そしてそれが故に人は選択の正しさを求める。
彼はそれに対してあざ笑うかのようにこう答えるのだ。
「今日(死にゆく日)は人生最高の日だ。」
脚本は非常に巧みに展開していく。
父親と母親が離婚することになった。
どちらへついていくか。
その問いがまず彼の人生を大きく変化させる。
母親について行けば、その恋人の娘アンナと再開することになる。
アンナと恋に落ちてしまったニモは、彼女と運命的な絆で結ばれる。
母親が恋人と別れることになったとき、アンナとの関係もまた引き裂かれる。
二人は再会するために34歳になるまで待ち続ける。
父親を選んだニモは、エリースに恋する。
エリースはしかし他に好きな人がいて、彼女をあきらめてしまうニモと、あきらめずに結ばれるニモに分かれる。
あきらめてしまったニモは、クラブで出会った女性ジーンと結婚してしまう。
ジーンは非常にニモを愛してくれるが、ニモにはその気がない。
一方的な愛だが、そこにはしっかりとした愛がある。
またエリースと結ばれたニモは、こちらも一方的な愛に悩まされる。
本当は好きな人が別にいるのだという悲しみに囚われたエリースは、ニモの愛に応えることができない。
やがて鬱になってしまった彼女は、家族からも疎まれる存在になってしまう。
僕たちはこれらの12の枝分かれした物語を体験しながら、直ちにどれが正解であり、どれが実際に118歳のニモが選んだ人生なのかと考えたくなる。
けれども、そこにはどんな答えも設定されていない。
答えなどない。
ただ、延々と広がるエントロピーのように、可能性だけが膨張していくだけだ。
そして結果だけが示される。
「私は幸せだ」と。
これだけ複雑な脚本を、一瞬のカットだけで違和感なく切り替えさせる監督の手腕には脱帽するしかない。
見終わった瞬間からじわじわ感じられる感動の波に、僕は一週間以上さらわれたままだ。
完璧な映画が存在するとすれば、こういう映画だし、映画でなければこの感動は味わえない。
その根底にあるのが悲しみにあふれる人間への絶対的な肯定であることも、幸福感で包み込む要因だろう。
今年で言えば、「ソーシャル・ネットワーク」、「キック・アス」に続き、珠玉の作品である。
僕はもう一度見たいと思っている。
頼むから6月4日以降も公開してくれ、シネ・リーブル梅田様。
小学生のとき、初めてバックトゥザフューチャーを観たのを思い出しました。
改めて、映画の可能性というか、言葉にできない何かを感じました。
すでに死期が近づいているかもしれません。
なぜこんなに仕事があるのか……。
できれば倒れたいです。
>地デジさん
返信遅くなりました。
すみません。
おもしろいですね。
揺さぶられる感覚は、やはり映画でしか味わえない独特の楽しさです。
僕の選択も、「幸福」へとつながっていくことを期待しています。
松本映画も、たけし映画も興味無いの?
久しぶりに前の職場の連れと飲みました。
いつも酔いつぶされる人です。
ちょっとお互い忙しすぎて二日酔いになることもできなかったので、久々に飲みました。
結論。
「やっぱ飲まんとあかんわ」
いや、二日酔いはもういやですけれども。
今日のは軽かったので午後から仕事しました。とほほ。
>渡辺麻友さん
書き込みありがとうございます。
先日同僚と話をしていて「たけし映画をみないなんて映画好きとはいえない」と叱責されました。
とりあえずいくつかみようと思います。
避けているわけでも興味がないわけでもないのですが、レンタルにしても映画館にしても、どうしても候補リストから漏れていくというだけの話です。
松本は幻滅したくないからみていません。
「大日本人」、借りてみます。
こんな映画体験ができて、私は最高の気分。
私はもう少し、理屈っぽく観ました。
完璧な美しい映画。
いろんな見方ができるようで、
実はシンプルな見方しかできないような、
完璧さがあります。
もっかいみよ。
やはりまだまだ落ち着きません。
今日もこれから仕事へ出かけようと思っています。
自宅の部屋も掃除できていない状態…。
せめてもう少し寝たい……。
>蜷・脳羽泥さん
返信遅れました。
単館上映だったので、観られてラッキーでした。
僕も二度目に行きましたよ。
二度目に気づくこと、楽しめることがたくさんあります。
壮大な世界観がたまりませんね。
すべてのジャンルを網羅しているような広がりがとても好きです。
DVD買おうかな、どうしようかな。