secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

プリズナーズ

2014-05-11 08:51:06 | 映画(は)
評価点:85点/2013年/アメリカ/153分

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

囚われの身となったのは誰なのか。

ケラー・ドーヴァー(ヒュー・ジャックマン)は二人の子どもをもつ父親だが、ある日、娘が突然失踪してしまう。
友人の娘とともに外出したが、戻ってこない。
兄が見た、見知らぬRV車が容疑者として上がってくる。
RV車はその日の深夜に見つかるが、二人の少女は見つからなかった。
刑事のロキ(ジェイク・ギレンホール)は、関わった事件をすべて解決してきた男だが、RV車に乗っていた男アレックス(ポール・ダノ)は10歳程度の知能しか持ち合わせていない男で証拠となるものは一切出てこなかった。
焦るケラーは釈放されたアレックスを誘拐してしまう。

パレスチナとイスラエルの対立を見事に切り取った「灼熱の魂」の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの作品である。
もはや名前を覚える気にならないので、コピー・アンド・ペーストしているわけだが、とんでもない鬼才であることは間違いなさそうだ。
よくある話、どこかで聞いたことがあるようなストーリーとしてしか紹介できないことが非常に心苦しい。

冒頭はどこにでもあるようなシチュエーションだが、映画そのものは非常に秀逸だ。
終幕後の脱力感、虚無感はとてつもない。
「とらわれて夏」も同様だが、全く一般受けするような作品ではないが、ぜひ見て欲しい作品だ。

▼以下はネタバレあり▼

「プリズン」(監獄)の人称形が「プリズナー」である。
複数形なので囚われた人々というのが直訳になるのだろうか。
もちろん、誘拐された少女二人、そしてポール・ダノ演じるアレックスを指しているのだろう。
しかし、この映画はほとんどの人間が「自由を奪われた者」として存在している。
それがこの映画のすごさであり、怖さなのだ。

ケラーは父親からずっと「何があっても対応できるように準備しておけ」と言われていた。
そのため家には大がかりDIYキットがそろっており、自分自身で何でもこなしてしまうという男だ。
地方のアメリカ人には多いタイプの人間(父親)だろう。
(まあ、修理屋なので職業としても当たり前なのかもしれないが。)
厳格な考えを持ち、信仰心も篤い。
その彼は、今まで経験したことがない、おそらく想像もしなかったことに巻き込まれていく。

娘が誘拐されてしまったのだ。
それはアメリカには誰にでも起こりうる恐怖であり、日常的にニュースになるような出来事だ。
しかし同時にだれもが「自分の子ではない」と思うような非日常的な話題でもある。

ケラーは多くの他の被害者家族と同じように、動揺させられる。
そして、彼は重要参考人である男を捕らえてしまう。
監禁し、虐待し、拷問して詰問する。
しかし、彼には全く優位性がない。
それは同じく娘を誘拐された友人夫婦の様子をみれば分かることだ。
拷問したところで、相手は10歳程度の知能しかない。
それは隠しているのか、わかっていないのか、本当に何も知らないのか、判断がつかない。
いらだちながら拷問を続けても、ケラーには全く「事態をコントロールしている」という感覚を持っていない。
捕らえているはずの人間が、囚われてしまっているのだ。


ロキも同じだ。
ケラーの言動や態度、そして容疑者たちの行動によって彼は自分の捜査がどちらの方向へ向いているかわからなくなっていく。
捜査を進める内に、捕まえるべき相手を捕まえられずに、他のことに気を病むことが増えてしまう。
神父宅の地下室にあった死体、容疑者アレックスの失踪、重要参考人の自殺。
事件の捜査が進んでいるのか、混乱しているのかわからなくなっていく。
これまですべて事件を解決に導いてきたはずなのに、囚われていく。

犯人であるメリッサ・レオ演じるホリーも同じだ。
彼女は幼い息子を亡くし、その失意に耐えられずに幼い子どもを誘拐し、殺すという天に唾する行為に及ぶ。
26年以上それを繰り返し、夫はそれに耐えられずに6年前神父に相談する。
神父はその夫をどのようにしたのかはわからない。
ただ、あの地下室に放置されていた男は、そのホリーの夫だったわけだ。
喧嘩の後出て行ったきりだ、というホリーの説明は一部正しかったのだ。
アレックス(ポール・ダノ)と思われていた男は実は最初に誘拐した少年で、彼には知的障害があった。
(それは先天的なものなのか後天的なものなのかはわからないが)
それを利用し、甥っ子とすり替えてしまう。
甥っ子は叔父からの虐待によって蛇に対する極度の恐怖を持ち、自室に置いておけなくなったのだろう。

ホリーは、信仰心を失い、自分と同じ境遇に陥るように被害者の親たちを引き込むことで自己の苦しみを晴らそうとしたのだ。

この映画が単なるメロドラマ、二時間ドラマのテレビ・サスペンスに終わらないのは、誰もが弱者であるということだ。
誘拐された少女、誘拐した老女、その義子、刑事に、被害者家族。
全てが子どもを失うことによって狂気に駆られていく弱さをもっている。
いや、それはだれもがそうなのだ。
だからこの映画は「ああ、私には関係がない」と思わせる余地がない。
誰もが主観的にこの映画を体験し、そして恐怖する。

私たちは二時間ドラマを見て、特殊な背景(動機)を見てほっとできる。
しかし、この映画はそんな甘さを与えてくれない。
特殊な事例だと切り捨てることができない、怖さと緊迫感を持っている。
だから、見終わったあとの脱力感、虚無感が大きいのだ。
(上映時間が長いのもあるけれども)

誘拐に手を染めた父親は正しかったのか。
やはり悪だったのか。
正しいはずはないが、何か行動を起こさなければ「生きていられない」苦しみは誰もが理解できるはずだ。
誰もが愛する人をもっている。
真に孤独な人間などいない。

それが今目の前にいるのか、それとも既に失ってしまったのか、という違いはあっても。
愛は人を自由にするが、不自由にもする。
愛と憎しみという檻の中でしか人は生きられない。
この監督の切り取り方は、本当に鬼才で危険としか言いようがない。

もう一つ。
この映画を支えているともいえる役者はポール・ダノだろう。
パンフレットにも書かれてあったが、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の牧師、「それでも夜は明ける」の大工と印象に残る役を次々とこなしている。
癖のある役者で、計算されているのか、本物なのか、狂気じみた表情は不思議な力がある。
今後も注目したい役者だ。



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