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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

マイ・ブラザー

2010-07-04 08:31:43 | 映画(ま)
評価点:65点/2009年/アメリカ

監督:ジム・ジェリダン

僕が見ているのは、リメイク作か、オリジナルの亡霊か。

サム(トビー・マグワイア)は銀行強盗を起こして仮出所した弟を迎えに行った。
弟トミー(ジェイク・ギレンホール)が家族に帰ってきたその日は、サムはアフガニスタンへ出兵される送別会でもあった
不安を感じながらも自分の遺書を家族に宛てたサムは、派兵後まもなく、乗っていたヘリが追撃されてしまう。
訃報を聞いた妻グレース(ナタリー・ポートマン)は悲しみに暮れる。

デンマーク映画の「ある愛の風景」を「イン・アメリカ」の監督がリメイクした。
舞台はアメリカに書き換えられ、キャスティングには三人の有名な役者が迎えられた。
「マイ・ブラザー」は、M4会(映画をこよなく愛する会)の三本目の作品となった。

僕はリメイク前のオリジナルを、数ヶ月前に二度も立て続けに見たこともあって、ほとんどの内容を覚えていた。
よってどうしても比較してしまった。

もうすぐ公開は終了してしまうだろうが、もし気になる人がいるなら、まずはオリジナルを見ることをおすすめする。
おそらくこの映画のテーマには、無名の俳優たちが似合う。
リメイクから見て、どんな評価を下すのか気になるところではあるが。
キャスティングは安定感のある俳優たちだ。
映画として、十分楽しめるだろう。

▼以下はネタバレあり▼

先にも書いたが、オリジナルを見た記憶が鮮明にあるため、どうしても比較という観点で見てしまった。
オリジナルを知らずにこの作品から見た人なら、僕と違った印象を持つことだろう。
比較することは、監督をはじめとした制作者には少々アンフェアな鑑賞法になってしまうので、いやだが、どうしようもない。
批評を始める前に、そのことを「言い訳」しておきたい。

比較という観点でも見ても、この映画は上手く撮っている、と感じた。
なぜこのタイミングでリメイクしたのだろう、という印象がどうしてもぬぐえなかった。
オリジナルがそれほど時間が経っていないのに、もうアメリカを舞台にしてリメイクを撮るというのは、不思議だ。
だが、イラク戦争に一区切りをつけようとしていることが、この企画を持ち上げた理由だったのかも知れない。

その観点で言えば、この映画は上手くアメリカナイズされている。
大きな流れはオリジナルとほとんどかわらないが、それでもアメリカ人受けするように工夫されている。
ひとまずこのリメイクは成功と言えるのではないだろうか。

具体的に指摘すれば、サム(オリジナルではミカエル)の変貌がわかりやすい。
サムは戦争から生きて帰ってきた時点ですでに狂っている。
それは戦争帰りのアメリカ兵がどのようなPDSDを背負っているか、よく知られていることからくるのだろう。
オリジナルではどちらかというと、帰ってきて自宅で過ごすうちにひずみに耐えられなくなっていく
リメイクのほうが、よりわかりやすい変化だと言えるだろう。

映画的な演出という意味では、サムが残す遺書も効果的だった。
死んだという報告を受けてもその遺書を開くことができなかった妻も、夫が逮捕されたときにようやく封を開ける。
夫はここで死んだということを、象徴的に示している。
分かりやすい演出だが、映画の主題を見せるために効果を発揮している。
抜けなかった指輪が、帰ってきてすぐに抜けるほど指が細くなっているのも、夫婦生活を象徴するような変化だ。

二人の姉妹の対比も、オリジナルよりもさらに鮮明だ。
妹への嫉妬を描くことで、サムとトミーとの対比も描き出している。
こちらもオリジナルにはない設定だ。

退役軍人へのリスペクト、殉死した兵士への敬意が意図的に示されるのも、アメリカ映画を印象づける。
殺してしまった兵士の墓を訪れるシーンでは、何百もの同じような戦死者たちが眠っていることを映し出す。
このシーンを撮りたかったからこそ、捕虜のジョー・ウィリスが死んだという設定にしたのだろう。
この辺りも、アメリカ人の心を打つように、リメイクされている。

このように、この映画はアメリカ映画としては非常に完成度が高いリメイクと言えるだろう。
ジェイク・ギレンホールとトビー・マグワイアという二人の俳優を競演させたことも、アメリカ映画らしい。
僕の予想ではもっと完成度は低いものだと予想していたが、そうではなかった。
案外おもしろかった、というのが感想だ。
ラストで少しだけ泣けたのも、それを証明しているだろう。

だが、僕はこの映画を観ながら、この映画がおもしろかったのか、それともその影にちらつくオリジナルの完成度がやはり高かったのか区別がつかない。
涙を流したのも、やはりオリジナルの影響がなかったとは言えない。
この映画を観ているときに感じたことは、やはりオリジナルの完成度の高さと、普遍性の高さだ。
舞台を米国に移しても、殆どのシーンクエンスはそのまま使われている。
キッチンという女性の城を直すという記号性や、直すときにペンキをこぼしてしまうというシーン、酒浸りになってしまった父親と弟との口論など、殆どがオリジナルのままリメイクされている。
見れば見るほど、オリジナルがいかに過不足なく映画を成立させていたかを感じてしまう
おそらく、このリメイクがオリジナルであれば、殆ど記憶にも残らないような映画だっただろう。

スサンヌ・ビアが撮ったオリジナルこそが、リメイクする価値があるほど、希有な高い完成度を有しているのだ。
そうかんがえると、どうしてもこの映画はかすんでしまう。

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